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 act.17 ゲヘナパレ (後編)
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 ゼロは白い闇の中にいた。濃い霧が手足に絡みつき、その存在を霞ませる。足下には濡れることのない水面が広がっている。
「ここは……」
 霧の中、陽炎のようにミントの姿が浮かび上がった。涼やかなドレスを纏い、穏やかにゼロに微笑んでいる。
「ミント! 無事だったのか!」
 ゼロは駆け寄ろうとした。だが、逃げ水のように近づけない。ミントはゼロを見つめながら、静かに語りかけた。
「ありがとう、ゼロ。最後にあなたに会えて良かった」
「ミント!」
 ゼロは必死に手を伸ばした。目の前にいるのに、無限の彼方に思える。ゼロの体に、鈍く痛みが走り出す。
「ゼロ、あなたは生きて。わたしの分も生きて。そしていつの日か……」
 ミントの姿が滑るように霧の中へと消えていく。ゼロは必死に走った。全身の痛みが鐘のように広がる。
「ミント! 行くな!」
「ゼロ……ありがとう……」
「ミント――――!!!」
 宙を掴み体がはぜる。激痛に総ての感覚が甦る。うめき我に返ると、そこは見知らぬ部屋に変わっていた。体中に包帯が巻かれ、毛皮を敷いた狭いベッドに寝かされている。どうやらここは、巨木の洞に作られた部屋のようだ。窓の向こうには木々が穏やかに生い茂っている。ゼロは静かに流れる音楽に気がついた。石を弾いたような澄んだ心地よい音色だ。
「この曲……」
 それは、子供の頃に母フレアが歌ってくれたパレルの子守歌だった。穏やかなメロディーが、窓から森へと流れていく。
「母さん?」
 ゼロは軋む体を音の方へひねった。
「気がついたか」
 少し離れた床に、その男は胡座をかいて座っていた。水晶のような石棒が何本も生えた奇妙な楽器を前に置き、両手をかざし澄んだ音色を奏でている。麻を編んだゆったりとした着物をまとい、鮮やかな飾り帯を巻いている。外見は若いが、仙人のような静かな風格が漂っている。男は穏やかに微笑むと演奏の手を止め、用意した薬湯を手に近づいてきた。大きな石英の首飾りがシャリリと鳴った。
「これを飲め。傷に良い」
「あなたは?」
 ゼロはベッドから起き上がろうとした。だが、痛みで思うように動けない。
「わたしはギア。まずは傷を癒すことだ」
 ギアはゼロに手を貸し薬湯を飲ませた。見た目に違わず酷く不味い。息を殺し一気に飲み干す。胃袋に重い液体が届くと、小さな泡が全身に染み渡り、弾けるように痛みを消してくれた。体が落ち着くと、ゼロはお礼を述べ、改めて自己紹介をした。
「ここはケムエル神殿町ですか? そうだ。魔攻衆のみんなは?」
 ギアはゼロの問いに一瞬硬直すると、目を伏せゆっくりと首を横に振った。
「ここは君のいた時代ではない。ここは御神木の森の外れ。そして今はパレル歴389年だ」
「389年!? そんな!」
 ゼロは愕然とした。ジャンクションの森で聖霊シャマインを倒したとき、ゼロだけが爆発したリオーブの力によって、この時代まで吹き飛ばされてしまったのだ。呆然とするゼロを見て、ギアは穏やかに告げた。
「案ずることはない。君は縁(えにし)あってここへ来たのだ。元の時代へは、わたしが責任を持って送り届けよう」
 ギアの言葉には、静かだが説得力があった。ゼロはホッと胸をなで下ろした。
『アレ? だけど何故ボクがここの時代の人間じゃないって分かったんだろう。それに、縁っていったい……』
 ゼロは男に尋ねようとした。だがその時、突然外から怒鳴り声が響いた。入り口のすだれを跳ね上げ、若いガッシリした男が入ってきた。
「ギア! 音色が聞こえたから来てみりゃ、まだ逃げてなかったのか! ここはもうすぐゲヘナの結界に包まれるんだぞ!」
 男は科学者とも軍人ともつかぬ裾の長い制服を着ていた。歳も背恰好も、ギアと同じくらいだ。だが印象は、静のギアに対し、動の印象を受ける。ゼロはその男にジルの面影を感じた。
「やあ、ジン。わたしに構うなと言ったろう。ゲヘナの結界は、我らナギ人には影響しないよ」
 ゼロはふたりの会話を聞きハッとした。
「ゲヘナの結界……パレル歴389年! まさかここは、ゲヘナパレ滅亡の年!?」
 驚いたジンはゼロの前に立ち問い詰めた。
「滅亡の年だと? お前、何を知っている? おい、ギア。こいつは何者だ?!」
 ギアは沈痛の面持ちで目を伏せた。

 ゼロは、ジルの記録から知ったゲヘナパレ滅亡から999年までの歴史をふたりに語った。ジンとギアは、床に腰掛けたまま黙ってゼロの話を聞いている。ゼロは魔攻衆の戦いまでを語ると、未来を語るのはタブーではないかと急に不安になった。だが、ジンとギアは予想外の反応を示した。
「やはりそうだったか……。ギア、お前にも見えていたんだろ? メネクとアルカナが死んで、お前がガガダダを去ったあのとき、帝国の滅亡と、俺の死が」
「ジン……」
「メネクとアルカナって……まさか、アルカナ伝説の?」
 静かに語るジンとギアに、ゼロは驚いた。
 ジンは、ゲヘナパレ帝国カリス王の庶子でメネク王子の兄にあたる。しかも現在は、帝国錬金術師工房長、即ち、ゲヘネストの頂点に立つ人物であった。一方、ギアも、ナギ宗家の跡継ぎで、アルカナは彼の妹であった。
 アルカナ伝説。それはこの世界に聖魔が溢れ、人間との戦いが始まった最初の出来事である。ナギの娘アルカナとゲヘナパレ帝国皇太子メネクが恋に落ち、カリス王の欲望によってふたりが死に追いやられ、そしてそれを怒ったエルリムが人類へ制裁を加えたという伝説だ。ゼロは今、その伝説の真実を知ることとなった。

 * * *

 ゲヘナパレ帝国の繁栄も、やがて文化の退廃に蝕まれていった。特に、聖霊の力を持つナギ人への偏見とねたみは強く、いさかいも増すばかりであった。そんな中、若いジンとギアは人間とナギ人との融和を願い、親交を深めていった。ふたりは共に錬金術師養成学校で学び、常に主席の座を争った。ジンは王族。ギアはナギ宗家の嫡子。ふたりの出会いは腐敗の進む帝国の中にあって、志ある者の光となった。
 カリス王には、ジン、メネク、ラムスという母親の異なる3人の息子がいた。ジンは長兄ではあったが側室の子で、王位継承権は一番低い。だがその人柄、実力共に、もっとも慕われ信頼される人物で、ふたりの弟も大いにジンを頼った。
 ギアの母が亡くなったとき、その葬儀に出るジンに弟のメネクも同行した。そしてウバン沼で水葬を終えたとき、メネクはギアの妹アルカナに出会ったのである。葬儀の場で芽生えた恋に、周囲の者は不吉と眉をひそめたが、ジンとギアは大いに喜びふたりを祝福した。メネクとアルカナは静かに愛を育んだ。だが、それも長くは続かなかった。アルカナが送った織物がきっかけで、カリス王は妖精の繭の乱獲を始めた。父の行為にメネクは抗議したが、カリス王は逆にメネクを幽閉し、王位継承権を剥奪して末子のラムスに渡してしまった。ラムスはカリス王の後妻の子で、妖精の繭の乱獲も、メネクの投獄も、王女の企みと噂された。
 ジンはギアの力を借り、メネクを助けようと奔走した。だが、時既に遅く、メネクはそのまま獄中で毒殺されてしまった。反逆者の汚名を着せられたメネクの死を知り、アルカナもまた、ウバン沼に身を投げてしまった。
 ジンは自ら王位継承権を破棄すると、心で王と王女を呪いながら、純真無垢な弟ラムスに忠誠を誓い、錬金術師工房長の座についた。一方、ギアには、「時読み」の力が発現していた。ギアには元々勘の鋭い一面があったが、妹アルカナの死によって、それが開花したのだ。時読みの力を得たギアの目には、聖魔の襲撃と、ゲヘナパレ帝国滅亡の様子が映っていた。そしてその戦いの中、親友であるジンが死ぬことまでも見えてしまったのだ。ギアは沈黙を守ったままジンと別れ、ガガダダを跡にしたのだった。そして程なく聖魔が人里を襲い始め、聖魔大戦が始まることとなった。

 * * *

 ジンはさばさばした顔で告げた。
「この世界は創造主エルリムが作り出した世界だ。ケンカを売っても、勝ち目のある相手じゃないさ。だが、飼い犬に噛まれる事だってある。俺は諦めるつもりはないぜ。例え死ぬと分かっていてもな」
 ジンは立ち上がるとゼロを見た。
「来て良かった。たかだか600年にせよ、俺たちゲヘネストの意地が、ちっとは報われると分かったんだ。あとはお前たちが少しでも楽になるよう、せいぜい派手に暴れてやるさ」
 そう言い残しジンが立ち去ろうとしたとき、ゼロはいたたまれず真実を告げた。
「少しなんかじゃありません。エルリムはもうすぐ倒されます!」
 ジンとギアは、驚いてゼロを見た。
「ボクは、エルリムのいない世界、2007年から来た人間です!」
 ギアの時読みの力は、ナギ宗家の血の力によって成立していた。彼には、999年より先の時代までは、感じ取ることが出来なかった。ゼロはふたりに、エルリムなどいない未来の惑星パレルの話を語って聞かせた。
「ボクたちの時代では、エルリムもゲヘナパレもナギ人も一切伝わっていません。この時代のことは誰も知らず、バニシング・ジェネシスと呼ばれていて、ボクの父さんも研究していたんです」
「じゃあ、お前はどうやって帝国滅亡の歴史を知ったんだ?」
 ジンは不思議そうに尋ねた。ゼロは、一家でエルリム樹海を探索していたこと、密林に隠されたケムエル神殿の遺跡から999年に飛ばされてきたこと、そしてそこでジルの持つゲヘナパレ帝国正史写本からこの時代を知ったことを告げた。
「正史写本だと!? そのゲヘネスト、どこの生まれだ?」
 ジンはゼロに詰め寄った。
「確か……セラミケって……」
 それを聞くと、ジンは体中から喜びが込み上げるのを感じ、笑い出した。
「やった……やったぞ! 俺の子孫は生きのびたんだ!」
 今度はゼロが驚いた。帝国正史写本は、皇太子以外の王子だけが持つことを許されているものだった。メネクの死後、それを持っているのはジンだけで、帝国滅亡を予見したジンは正史写本を妻子に持たせ、密かにセラミケへ避難させたのだ。つまり、ジルはゲヘナパレ帝国王室の血を引く人間だったのである。そしてゼロは気付いてはいなかったが、ゼロにとっても目の前にいるジンは、遠い祖先にあたるのだった。
「ゼロ、俺と一緒に来い! こうなったらお前たちのために、あらゆる協力をしてやる!」
 ジンは力強くゼロの手を握った。それを見るとギアは傍らからゼロの憑魔甲を取り出した。
「君の魔操具を直しておいた。悪しき仕掛けも除いてある」
 ギアが差し出したそれを、ジンが代わりに手に取った。
「随分雑な作りの魔操具だな。よし。俺がゲヘナの業を総動員してチューンしてやる」
 外には大きなフロートバイクが停まっていた。ジンが手を貸し後ろにゼロを乗せると、ギアが薬を入れた包みを差し出した。
「わたしは君が戻るまでに、999年に帰るための準備をしておく。ジン、そっちは頼んだぞ」
 ジンはギアと拳をぶつけ別れの挨拶をすると、フロートバイクを発進させ、そのままガガダダ目指して転送させた。

 * * *

パレル歴999年、ゲヘナの塔。破壊し尽くされた研究室で、メロディーは途方に暮れていた。
「どうしたの、冴えない顔して」
 フレア=キュアが笑顔でメロディーの肩を叩いた。
「僕等の職業を忘れたのかい?」
「誰もそんな都合良くいくなんて、考えてないわよ」
 シド=ジルもフレア=キュアも、平然とした顔でメロディーを見た。確かにメロディーだけならともかく、専門家の両親がついている。本当の調査はこれから始まるのだ。
「これだけ高度な文明を持ってたんですもの。装置の予備はともかく、知識データベースのバックアップがあったって不思議じゃないわ」
「ゲヘナの塔の中枢部からあたるべきだな。まずは工房長の執務室から探してみよう」
 コリスの説明を元に塔の構造を分析した結果、残念ながら工房長執務室や議事堂は失われた塔の上半分に有ったことが判明した。シド=ジルは続いて工房長の官舎を探した。高位の錬金術師たちの家は、塔の基部から伸びる官舎区画にあった。コリスは時空のアギトのせいでその場所までは行けなかった。3人は乗り物代わりに造魔を借りると、ゲヘナパレ帝国錬金術師工房長の官舎跡へと向かった。
 そこは思ったよりも質素な住居だった。退廃する帝国の中、錬金術師たちは帝国を支える者としての誇りを胸に、自分たちを戒めていたのだろう。工房長の人柄が伺える。幸い、ヨブロブやオニブブによる被害も少なく、建物はほぼ完全な形で残っていた。
「工房長の日記か手帳のような物があれば嬉しいんだがな」
 3人は書斎らしき細長い部屋へと足を踏み入れた。左右の壁には天井まで届く本棚が並び、夥しい書物や巻物でビッシリと埋まっている。一番奥には大きな机が置かれ、その先にはテラスが続いている。シド=ジルとフレア=キュアは、そのあまりに膨大な資料に唖然とした。
「やれやれ。こんなにあるとは想定外だったな」
「これじゃ、役立つ資料を見つけるだけでも大仕事ね」
 両親が手近な資料からチェックを始めると、メロディーはひとり奥の机に近づいた。机は木製で重厚な作りをしている。年数が経っただけにかなり朽ちているが、崩れるほどではない。机の上には、ホタル石のランプが置かれていた。白化した表面を磨いてやると、今でも淡く光を放つ。椅子の方へ回ると引き出しが見えた。壊さぬよう慎重に開けてみる。そこには大きな封筒が入っていた。メロディーはその宛先を見て背筋が寒くなった。
「パパ! ママ! これ見て!」
 宛先にはハッキリとこう書かれていた。
『親愛なるシド父さん、フレア母さん、メロディーへ ゼロより』
 シド=ジルは慎重に封筒を開けた。中からは、厳重に包装された1枚のシートが出てきた。
「こいつはメッセージシートだ。……動くぞ」
 乳白色のシートに大きな丸が現れる。それに触れると、パスワードを求めるメッセージが流れた。
『父さんの誕生日は?』
「ゼロ!」
「まさか、そんな!」
 メッセージはまさしくゼロの声だった。血の気が引きよろけたフレア=キュアを、シド=ジルが慌てて抱き止める。父に代わりメロディーが誕生日を入力した。シートの表面が突然映像画面に変わる。そこにはゼロの顔が映っていた。

「父さん、母さん、メロディー。みんなならきっと、このメッセージを見つけてくれると思う。みんなが出かけた後、神殿では大きな戦いがあってね。……そこでミントが戦死した。ボクも憑魔甲の仕掛けが元で、過去に飛ばされちゃったんだ。あ、でも心配しないで。そっちに帰る方法は、もう見つかってるから」
 それは過去からの贈り物だった。ゼロと共にガガダダに戻った工房長のジンは、600年後に訪れるシド=ジルたちのために、錬金術師工房が誇る最新鋭の装備を残してくれたのだ。3人はシートの案内を頼りに古い石切場に隠されたその装備を受け取った。それは転送移動機能まで装備した最新鋭のフロートシップだった。大型トレーラーを2台並べたぐらいの大きさで、内部には8台のフロートバイクも搭載している。小さいながらも工作設備も持ち、移動工房としての機能も持つ。そして何よりも3人を喜ばせたのは、賢者の石のバックアップを搭載していることだった。
 メッセージの最後には、見慣れぬ人物が登場した。
「おい、正史写本を受け継いだゲヘネスト。そこにいるか? 俺はゲヘナパレ帝国錬金術師工房長のジン。お前のご先祖様だ。俺はもうすぐエルリムに対し特攻をかける。倒せないことは、ゼロからも聞いてるさ。せいぜい大暴れして、エルリムに一泡吹かせてやるつもりだ。ゼロと相談して、お前のために最高の装備を残した。あとはお前たちで何とかしろ。お前なら出来る。なんたって俺の子孫だからな。頑張れよ!」
 メッセージは、ジンのエールで終わっていた。シド=ジルはフレア=キュアと顔を見合わせた。
「こいつは参ったな。最高の贈り物だ」
「これでもう、負けるわけにはいかないわね」

 早速、フレア=キュアは賢者の石を試してみた。ゲヘネストの英知の総てが、彼女の脳に流れ込む。その圧倒的な知識にめまいを覚えた。ゲヘナパレの科学力は異常に偏った物だった。聖霊から会得した物だけに、パレル世界のエネルギー場を前提とした物が多く、肝心の根本的な原理・理論は曖昧だった。フレアは2007年の科学知識と照らし合わせ、その欠落した部分に仮説を立てながら、残された知識を理解しようとした。
「これの理解は、なかなか骨が折れるわね。メロディー、あなたはこっちの石だけ使いなさい。このフロートシップを操縦できるわ。パパはこっちの石。ゲヘナパレの歴史が記されてるわ」
 フレア=キュアは、賢者の石システムのメモリーバンクにあたる透明な石板をふたりに渡した。
「時空のアギトの解除方法も分かったわ。これでコリスも解放される。時間が惜しいわ。直ぐにガガダダを出発しましょ」
 これでガガダダ探索の目的は達成された。エルリムを倒す方法は見つかっていないが、聖霊への対抗手段は手に入った。ケムエル神殿では、首を長くして3人の帰りを待っているはずだ。メロディーはフロートシップを起動させると、コリスの待つゲヘナの塔へ向かった。

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For the best creative work