TOP メニュー 目次

 act.19 エルリム降臨
前へ 次へ

 緑にむせぶウバン沼を抜け更に分け入った最深部に、それは静かに威厳を放ちそびえていた。辺りの草原は枯れ、赤土の剥き出した地面には、葉の落ちた無数の太い枝が這っている。岸壁のような巨大な幹が天へと伸び、空を支える太い根を千姿万態に這わせている。逆さまの巨大樹、すなわち、森の神エルリムの依り代、御神木バオバオである。
 御神木のふもとの石舞台に、エルリムの従者・聖霊アラボスがひれ伏している。森の神エルリムがついに最後の瞑想から目覚めたのだ。大地を貫く枝々がざわめき、荒野に砂塵が舞い上がる。アラボスの頭上、幹に巨大なこぶが盛り上がり、テラスへと変わった。無数の繊維が波のように踊り、幹の奥へと開いていく。光が溢れ、純白に輝くうろが現れる。その中央に、ひとりの女性が静かに横たわっていた。外見は四十歳ほどの女性の姿だが、どれほどの歳月を生き抜いてきたのか計ることは叶わない。瑞々しさこそ失い掛けているが、威厳と妖艶さを湛えた高雅な美女である。彼女こそが、このパレル世界を生み出した根源、森の神エルリムその姿であった。
 エルリムは、気だるそうに立ち上がると、ゆっくりと光のうろから歩み出た。テラスから額をこすりかしずく聖霊アラボスを見下ろすと、彼に向けて右手をかざした。アラボスは、彼女の瞑想中に起きた出来事総ての記憶を差し出した。エルリムは力強い通る声でアラボスに告げた。
「分かっています。シャマインのこと、人間は侮れぬということです」
 既に総てのリオーブが、力を蓄え終えている。アラボスは僅かに顔を上げると、当然命ぜられるであろう帰還の命を無言で待った。
「森は……還します」
 エルリムの決定がアラボスの脳へと流れ込む。アラボスは、その命令に驚いた。
「まだ終わってはおらぬ。『彼の者』の心、折れぬ限り……。だが、それもこれが最後となるでしょう」
 エルリムは、決意みなぎる瞳で、聖魔の森を見渡した。

 * * *

 ナギの隠れ里入りは明朝とし、シド=ジルはバニシング・ジェネシスの謎への仮説をまとめ上げ、メロディーとフレア=キュアに語って聞かせた。

 惑星パレルの歴史の空白期間『バニシング・ジェネシス』。紀元前500年頃からパレル歴1000年頃までのおよそ1500年間、この星に何が起きていたのか、一切の歴史的記録が残されていない。バニシング・ジェネシスを研究する考古学者シドとその一家は、まさにこの空白期間最後の年へとタイムスリップし、歴史の真実を知ることとなった。
 紀元前500年頃、忽然と現れた森の神エルリムは、ナノモジュールの技術を使い惑星パレル全土に300近い閉鎖空間『コロニー』を作りだした。そして夥しい数の滅びの蟲オニブブを放ち、パレル全土に住む人類700万人総てを眠らせ、コロニーに作ったケムエルの繭塚に収容した。
 その後、エルリムの依り代・御神木バオバオのあるコロニーを拠点に、エルリムは下僕である聖霊たちに命じ、幾つかの近辺コロニーに眠る人間を目覚めさせた。聖霊の監視の元、目覚めた人類は初期の国家を築く。だが、その内容に不満を持ったエルリムは、オニブブを使いその国を滅ぼしてしまった。人類を目覚めからやり直させ、再び国作りをさせる。だが、2度目の創世も長くは続かず、3度目もまた滅びを迎えた。
 そして4度目の創世。紀元前112年、ガガダダに生まれた都市国家がその版図を拡大。ついにゲヘナパレ帝国を建国しパレル歴が制定される。ゲヘナパレは順調に繁栄を続けた。聖霊から数々の知識を引き出すことにより、部分的には2007年の世界を遙かに凌駕する超文明国家を築き上げた。
 だが、帝国の栄華にもやがて終末が訪れる。過剰な繁栄は文化の退廃を呼び、王室はもとより帝国全土を蝕んでいった。表向きそれは、エルリムの不興を買うには充分な変質であった。エルリムの代弁者であるナギ人との確執も、悪化の一途を辿っていた。
 一方その陰で、帝国を支える錬金術師たちは、このパレル世界がエルリムの鳥かごに過ぎないことに気付き始めていた。飛行型造魔の開発は空が有限であることを教え、ワールド・エンドの研究はこの世界を満たすエルリムの力を思い知らせた。錬金術師たちはエルリムからの自立を夢見ながら、空高くそびえるゲヘナの塔を築いた。
 だがそれをエルリムは許さなかった。錬金術師に過度に知恵を与えた聖霊マモンを森人に変え、アルカナの悲劇をきっかけに、ゲヘナパレの粛清が始まった。聖魔大戦の勃発である。錬金術師たちは、勝ち目のない戦いを不屈の闘志で戦い抜き、ついには聖霊を滅ぼし、聖霊の揺りかごをも破壊した。聖霊を生み出せなくなったエルリムは、最後の手段として破滅の蟲ヨブロブと滅びの蟲オニブブを繰り出し、帝都ガガダダを破壊し封印した。
「こうして、パレル歴389年、ゲヘナパレ帝国は滅亡した。今、ゼロが行っている時代だ。だが不思議なことに、ゲヘナパレはオニブブによって滅んだが、パレル世界総てが4度目の眠りを迎えたわけではなかった」
 シド=ジルは話を続けた。

 聖霊の揺りかごを破壊されたエルリムは、ケムエル神殿にあるクマーリとカヤ、2つの結界の奥へと退いた。そしてゲヘナパレ錬金術師の最後の切り札であるゲヘナの結界によって、残された聖魔の森も封印された。だが、錬金術師たちもほとんどが戦死し、もはや帝国を再建する力は無かった。僅かに生き残ったゲヘネストたちは、帝国滅亡後の不毛な争乱を防ぐため、各地の町や村へと散っていった。
 文明は一気に後退し、時折ゲヘナの結界のほころびから溢れた聖魔が村々を襲った。そして、錬金術師に代わり人里を守ったのが、繭使いとナギの女たちだった。聖霊の血族でもあるナギの女たちは、呪いの刻印に体を蝕まれ、人々の迫害を受けながらも、夫である繭使いと共に人里を聖魔から守り続けた。
 そしてパレル歴700年頃、パレルの獅子と謡われたサイラス村の繭使いリケッツと、父の跡を継いだ繭使いレバントの活躍により、ついに総ての聖魔の森が、ケムエル神殿の結界の向こう、時空の狭間へと封印された。集結の時を迎え、エルリムの軛から解放されたナギ人たちは、その呪われた血の歴史に終止符を打つこととなり、人々の知らない未踏のコロニーに隠れ里を作り、静かに終末を迎えることとなった。
 一方、竜神ケムエルの力により不死となったレバントは、ケムエル神殿に残り、再び人間に危害が及ぶことの無いよう、時空の狭間を漂う聖魔の森を監視した。封印されながらも、聖魔の力は徐々に強くなっていった。危機感を募らせたレバントは鳥人キキナクと協力し、繭使いに代わり聖魔を狩る戦士たち『魔攻衆』を創設した。以来、約300年、今度は魔攻衆が聖魔の脅威の盾となった。だが聖魔の森にも、より強力な敵『カルマ』が現れた。そしてついにはレバントが命を落とし、若いカフーやバニラが彼の意志を受け継いだのである。

 だが、聖魔の森は衰えるどころか、更に牙を剥きだした。カルマはより高等なメガカルマへと進化し、聖魔も浄化が困難な種へと進化していった。この結果、旧種聖魔に頼る魔攻衆は、徐々に後退を余儀なくされた。そしてついに、メガカルマたちを統べる新世代の聖霊が登場した。森の神エルリムは、時空の狭間の奥深くで力を蓄え、失われた下僕たちの新生を図っていたのだ。七聖霊の一人、マテイの策略により、魔攻衆はその半数が戦死する甚大な被害を被り、聖魔の森から駆逐されてしまった。エルリムは、いよいよ時空の狭間からパレルの大地への帰還を実行に移そうとしているのである。
 そしてこのパレル歴999年、バニシング・ジェネシスの最晩年に、エルリムも聖魔も存在しない2007年の未来から、シド一家が何者かの力によって召還された。

「そういえば、竜神ケムエルのことは?」
 メロディーは、ケムエルの繭塚からの帰路でシド=ジルが口にした言葉を思い出した。
「竜神ケムエルは、もしかするとエルリムとは考えを異にする独立した存在なのかもしれない。ケムエルの名は、エルリムと一線を画すようなケースで度々使われている。言い伝えでは、御神木バオバオを守護する存在とも言われているが、それも見方によってはエルリムを監視する存在だとも受け取れる。それに、ケムエル神殿とレバント……」
 ケムエル神殿のカヤとクマーリの門は、実質的に、聖魔の森を時空の狭間へ封印する結界になっている。そんなエルリムを隔離する存在が、なぜ竜神ケムエルの名を冠するのか。そして、かつてリケッツ・レバント親子が聖魔の森を時空の狭間へ封印したとき、竜神ケムエルはその力をレバントに与え、彼を不死に変えている。森を監視し、ついには森の破壊を企てたレバントを、ケムエルはなぜ不死にしたのか。これは明らかに、森の神エルリムに反抗する行動だと言える。
「ケムエルの繭塚に、オニブブが沢山いたことについても疑問が残る」
 ゲヘナパレ帝国の崩壊では、帝都ガガダダこそ全滅させられたが、それ以外の都市ではオニブブによる損害は無かった。その後、繭使いの時代にも散発的にオニブブが人里を襲っているが、創世に返す規模にはほど遠い。現に、ホワイト・ヴァイスの時、神殿を突破し北の村々を襲ったオニブブの数も、繭塚一つにいる数よりも少なかった。
「だいたい、バニシング・ジェネシス以前の人間を集めたことを考えれば、コロニー内でしか生きられない聖魔と違い、オニブブはどこでも自由に飛び回ることが出来るはずだ。事実、ゲヘナパレの錬金術師たちも、オニブブには効果的な対抗手段を持ち得なかった。ナノモジュールとエネルギー場に依存していないため、メタルゾーンも効果が無かったんだ」
「それじゃあ、わざわざケムエル神殿を突破しなくても、繭塚から幾らでも飛んできて、みんなを眠らせることが出来るってこと?」
 驚くメロディーに、シド=ジルは肩をすくめた。
「滅びの蟲オニブブは、本来は竜神ケムエルの配下にあるんだろう。そしてケムエルとエルリムの間には、何らかの確執が存在する。オニブブが散発的にしか襲ってこないのも、エルリムには自由に出来ないからじゃないかな」
 突然、メロディーは笑顔で立ち上がった。
「だったら、竜神ケムエルを味方に付ければいいんじゃない! ケムエルならきっと、エルリムを倒す方法を知ってるわ!」
 シド=ジルとフレア=キュアは一瞬呆気にとられ、愛しい娘の顔を見ながらクスクスと笑った。
「まったく、簡単に言ってくれるな」
「でも、この子なら案外やれそうじゃない、アナタ」
 竜神ケムエルがどこにいるかも分からない。それにガガダダを襲ったもう一つの存在、破滅の蟲ヨブロブの正体も気に掛かる。更には、もっと切実な問題、2007年に帰る方法も探さねばならない。一家の前には、あまりにも多くの難問が立ちはだかっていた。
 だが、この子たちなら、総てを解決してしまうかもしれない。ゲヘナパレ時代まで行ってしまったゼロも、もうすぐこっちに帰ってくる。シドとフレアは、どんな状況にもへこたれないふたりに、目を細めるのだった。

 シド、フレア、ゼロ、メロディー。四人はまだ運命の糸の総てに気付いたわけではない。ゲヘナパレ帝国王室の生まれで、ゲヘネストの頂点に君臨した錬金術師工房長のジン。ジンの子孫でシドの意識が融合してしまった魔攻衆ジル。フレアの意識が融合した魔攻衆キュア。そしてキュアが身籠もっているジルの子供。彼らは総て、シド一家の祖先である。
 更には、魔攻衆キュアは、かつてはケムエルの紋章を持つ新聖霊のプロトタイプで、魔攻衆カフーがかつてエルリムの使徒としてレバントと闘った時に、エルリムの力により人間になったのだった。その事を知っているのは、カフーだけである。
 だが、かつてキュアも持っていたケムエルの紋章を、シドとフレアの子供、双子のゼロとメロディーが受け継いでいた。そして工房長ジンの親友であるナギ宗家の男ギアも、ケムエルの紋章を知っていた。
 また、フレアの家系だけに伝わってきたパレルの子守歌は、キュアから受け継がれた歌であったが、その曲を、ナギ人ギアや、七聖霊のマハノンまでもが知っていた。
 肉体を2007年に残してきたシドとフレア、体ごとタイムスリップしたゼロとメロディー。時空の狭間へ封印された聖魔の森は、帰還が目前に迫っている。ナギ宗家の生き残り・予言者シゼと八熱衆は、エルリムに取って代わるべく密かに機会を伺っている。パレル世界の外では700万人類の大半が、オニブブに監視されたまま未だに眠り続けている。ガガダダより聖霊に対抗する手段こそ持ち帰ったが、エルリムの手のひらから逃れる術はようとして知れない。そして新たに浮かんだ竜神ケムエルへの疑問。ケムエルの紋章は、ゼロとメロディーに何をさせようとしているのか。
 バニシング・ジェネシスの最終局面、運命の歯車はシド一家を巻き込みながら、音を立てて動き始めていた。

 * * *

 パレル歴2007年、クイン大学キャンパス仮設ヘリポート。物理学教授ラングレイクは、シドとフレアが囚われている青い球体分析のための調査機材・物資を、政府への支援要請によってチャーターした軍用輸送ヘリに詰め込んでいた。
「よし。もう積み残しは無いな。それじゃ、出発するぞ!」
「ラング!」
 その時、真っ黒に日焼けした初老の男が走ってきた。ラングレイクは慌てて彼を出迎えた。
「ケズラ先生! いつシドラ海調査から戻られたのですか」
「ああ、昨日な。それより、シドのことを聞いた。儂も連れてってくれんか」
「ええ、喜んで! どうぞ」
 ラングレイクは、恩師でもある宇宙物理学者ケズラ名誉教授をヘリへと案内した。彼らを乗せた輸送ヘリが、エルリム樹海へ向けてフライトを開始した。
 ケズラ教授は、まさにシド一家が999年へとタイムスリップした前の晩、ゼロが聞いていたラジオで偶然流れた海底クレーター調査に関するニュースに紹介されていた教授である。ケズラはこの数ヶ月、シドラ海海底のクレーター調査で大学を離れていた。
 硬い軍用ヘリの椅子に膝を寄せて腰掛けながら、ラングレイクはシド発見時の資料をケズラに示した。
「この青白く光る球体については、正体は全く分かっていません。物体と言うよりは、4,5メートルの球状に切り取られた別空間のような感じでした。当然、触れることも出来ません。試しに棒を入れてみたら、まるでこちらの空間ごと切り取られたように、差し込んだ部分が消滅してしまいました」
「それで、君はシドたちがどうしてこうなったと考えるかね?」
 ケズラは、ラングレイクの撮ってきた写真をジッと見つめながら、彼の仮説を聞いた。
「恐らくふたりは、この球体に入ったのではなく、何らかの理由によって青白い空間に包まれたのだと思います。呼びかけにも全く反応はありませんが、ふたりとも生きています。微かですが動きがあり、まるで深く眠っているみたいです」
「いつから、こんなことに?」
「遺留品の記録から、8月1日ごろと推測されます。既に2ヶ月近く経っている……」
 ラングレイクは、苦しそうに視線を落とした。
「ということは、ふたりは一種の冬眠状態にあるということか……」
「それと、子供たちの行方が分かりません。今朝の連絡では、遺跡周辺には何の痕跡も見つかっていないそうです。球体に捕らわれているのはシドとフレアだけですし……」
 ケズラは、ラングレイクを励ますように力強く告げた。
「いや。そう判断するのはまだ早いぞ。この球体が異空間なら、今見える外観が総てとは限らん。どこかへ繋がっている可能性も充分ある」
「なるほど……ふたりはその向こう側にいると……」
「とにかくまずは、この青白い球体の正体を調べることが先決じゃな」

 眼下では既に集落もまばらになっている。機長のアナウンスが、到着まであと1時間と告げた。
「そう言えばケズラ先生、シドラ海調査の方はいかがでしたか?」
 ラングレイクは、重々しい雰囲気を変えようと、ケズラの調査へと話題を振った。だが、その結果返ってきたケズラの説明は、思いも寄らぬ内容であった。
「これはまだ一部にしか公表しておらんのだが……あの海底クレーターを作った物は、おそらく、ただの隕石などではない」
 ケズラの表情が、シドの話にも増して険しくなった。彼の話によると、シドラ海海底にある直径500キロの円状地形は、かつてよりクレーターではないかとの説はあったという。ただ、一般的なクレーターと比べ異常に平坦で、形状からはクレーターと断定することが出来なかった。
「隕石落下の衝突モデルが通用しないんじゃ。まるで直径数十キロもある円盤状の物体でも墜ちたかのように、広範囲にエネルギーがかかっとる」
 ケズラは手のひらを隕石に見立ててその様子を説明した。
「しかも衝突に要した時間が異常に長い。丁度、巨大なクッションに受け止められるように落下したらしい。少なくとも何か衝突を和らげる力が働いたのは確かじゃろう。そういう衝突シミュレーションでないと、あの形状のクレーターは出来ん」
 ラングレイクは、ケズラの話が信じられず、疑問を口にした。
「それは海底海流か何か、長い年月の浸食でそうなったのではありませんか?」
 ケズラは、良い質問だと言わんばかりに、ラングレイクの目を覗き込んだ。
「儂もそう思い、徹底的に年代測定を行った。そして、その結果出た答えは、約2700年前。僅か紀元前700年の出来事と分かったんじゃよ!」
 ラングレイクは、驚いて応えた。
「まさか! たった2700年前にそんな大衝突が? そんな記録はどこにも……あ、バニシング・ジェネシス!」
 ケズラは大きく頷くと話を続けた。
「そういうことじゃ。その頃からの歴史的記録は、一切何も残っておらん。現在、地質学のフェールズ君にも大衝突の痕跡が無いか調査を頼んだところじゃが、そもそもこの話、シドのバニシング・ジェネシス研究と大いに関わりがありそうな気がしての〜」
 ケズラは、そのシドが事件に巻き込まれていることに、ため息を吐いた。
 ケズラの調査では、落下した隕石の質量は、最大で数十兆トンもあったと試算されている。それが猛烈な勢いで減速しながら落下したという。それでも落下物の中心部分は、地殻深く数千メートルもめり込んでいる。
「それだけの大衝突なら、極めて深刻な天変地異を引き起こしたはずだ。それこそ、ほとんどの生命が死に絶えるような大絶滅が起きても不思議じゃない。しかし、そんな痕跡はどこにも……」
 ラングレイクには訳が分からなかった。ケズラもそうだと言わんばかりに頷いている。
「こんな分析結果は、とてもじゃないが公にできん。だが、データは確実にそれを物語っている。紀元前700年にいったい何が起きたのか。もしかすると、儂らはとんでもない物を見つけちまったのかもしれん」
 シドたちを包む謎の光。バニシング・ジェネシス直前に起きた大衝突。ラングレイクとケズラは、偶然重なった二つの事件に、言い得ぬ息苦しさを覚えた。しかし、そう感じるのはまだ早すぎた。ふたりが向かうエルリム樹海には、三つ目の事件が待っていたのだった。

 ヘリが遺跡上空に到着した。ラングレイクは眼下の様子に驚いた。シドたちのキャンプ脇の河川敷には、強化プラスチック板を並べて作った仮設ヘリポートが4機分も整備され、その一つには小型の最新鋭VTOL連絡機が着陸している。周辺の森にも数台の重機が入れられ、森林を伐採し整地が進められている。まるで、百人規模の駐留キャンプを作る勢いだ。勿論、作業を進めているのは大学のメンバーではない。彼らは政府への応援要請によって派遣された陸軍部隊である。
「応援が多いのはいいが……こいつは、ちと大がかり過ぎやせんか?」
 ケズラとラングレイクは、思わず顔を見合わせた。
 ラングレイクたち大学スタッフは、ヘリから機材を降ろすと、兵士たちの力を借りて直ちに遺跡へと向かった。地下入り口には歩哨が立ち、内部にも照明が入れられている。神殿遺跡に入り、シドたちの待つ部屋へと向かう。ラングレイクたちが中にはいると、見知らぬ男が青白い球体を見上げながら立っていた。
「ようこそ。お待ちしてましたよ、ラングレイク教授、ケズラ教授」
 男はふたりに気付くと、笑顔で近づき握手を求めた。歳はシドやラングレイクと同じぐらいだろう。浅黒い爽やかな表情と、スラリと引き締まった体をしている。革靴にダークスーツ。どう見ても発掘現場に似つかわしい姿ではない。
「初めまして。わたしは国家安全保障局・調査部学術顧問、サガと言います。ヘリの定時連絡でお二人がこちらに向かったと知りましてね。急ぎ駆けつけましたが、わたしの方が先に着いてしまったようだ」
 サガは白い歯を見せ人当たりの良い笑顔で笑っている。ラングレイクは彼の所属に驚いた。
「国家安全保障局?」
 確かにシド救出にあたっては、政府関係機関への応援要請を出している。青い光球を調べるには、クイン大学の力だけでは不可能だとも感じた。だが、なぜ国家安全保障局なのだ。ラングレイクは、急に不安になった。サガはそれを見透かすように説明した。
「安保局とはいっても、わたしは学術顧問です。教職にこそ就いていないが、あなた方と同じ研究者です。今回わたしが来たのは、シド教授が捕らわれているこの球体が、現在世界各地で起きているある現象と関連があるのではないかと睨んだからです」
 サガは再び青白い光球を見上げた。
「こうして目の当たりにして確信を深めましたよ。こいつはブルーアイランドと何か関係がある」
「ブルーアイランド?」
 サガはニッコリ微笑むと、壁際にあるテーブルへとふたりを誘った。

 サガは数枚の写真を取り出すと、ふたりに示した。町外れや麦畑、工場の上空。どの写真にも、青白いモヤのような物が写っている。透明でぼんやりとした光の固まりで、まるで心霊写真のようだ。ラングレイクは、その薄い青白い光が、シドたちを包んでいる光に似ているような気がした。
「これはいったい何ですか?」
 ラングレイクの問いかけに、サガは真剣な表情で話し始めた。
「これは、数週間前から世界各地で報告され始めている蜃気楼現象です。町中や山間部、農村上空や海岸線、昼夜を問わず突然浮かび上がっては掻き消すように消える。初めは青白い霧や林を見たという目撃情報だったんですが、それが各地で報告されだしたんです。中には、森を歩くモンスターを見たという証言までありました。情報を整理したところ、これらの目撃情報は直径数キロの範囲内に同時に発生している。つまり、これらの写真は、巨大な青白い幻影の一部を見た物だということが分かってきました」
 サガは更に別の写真を示した。そこには丘を覆うように出現した巨大な青白い森が写っていた。
「こっちの遠景写真を見て下さい。木がうっそうと茂る島のように見えるでしょう。場所によって見える幻影は異なっているようですが、どれもこのような森林の一部を写し出した物だと分かりました。我々はこの巨大な森の幻影をブルーアイランドと呼んでいます。これが何なのかは、まだ分かっていません。無用な混乱を避けるため、今のところ各国ともその存在を認めず、情報を抑えながら調査を進めている段階です。しかし最近、このブルーアイランドが、頻繁にハッキリと見えだして来ました。マスコミもだんだん騒ぎ始めた。我々の調査も、急がねばならないというわけです」
 サガは、ラングレイクが提出したシド救出に関する協力要請資料を示し話を続けた。
「そんなとき、偶然この光球の報告を聞きましてね。出現時期はブルーアイランドより1ヶ月ほど早いが、この光球が呼び水になったと見ることも出来る」
 ラングレイクは一つの懸念を覚え質問した。
「まさか、そのブルーアイランドでも、空間の切断現象が起きているのですか?」
 もしも全く同じなら大惨事になる。だがサガは、落ち着けと言わんばかりに微笑んだ。
「いえ、そこまでは一致しません。ブルーアイランドはあくまでも幻影で、触れることが出来ないだけです。ただ、これからもそうとは限らない。この光球は、ブルーアイランドに比べ、非常に強いエネルギーを感じる。もし総てがこれと同じになったら、その時は世界中が大パニックになるでしょう」
 サガはシドたちを包む青白い光球に近付くと、それを背にするように振り向いて告げた。
「事態はもはやシド教授一家だけの問題ではありません。本件は国家安全保障局の管轄下に入ります。おふたりには機密保持と徹底的な調査をお願いします。政府も協力を惜しみません。必要な人員・物資・機材、何なりとおっしゃって下さい。事態は一刻を争います」
 ラングレイク、ケズラ、サガの三人は、迫り来る得体の知れない危機に、背筋を凍らせるのだった。

前へ 次へ
 
TOP メニュー 目次
 
For the best creative work