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 act.20 森の帰還
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 翌朝、メロディーたちはナギの隠れ里に入った。300年を経て畑は雑草深く消え、轍を見分ける術もない。コリスはフロートシップ上部デッキの舳先に立ち、風景を記憶と照合しながらメロディーに進路を指示していた。
「変だな……朽ちたとはいっても、石垣ぐらいは残ると思うが……」
 茂みの奥から、ようやく集落の跡が現れる。入り口を示す朽ちた門の外にフロートシップを停め、四人は徒歩で集落跡へと入っていった。辺りには、草木に埋もれるように小さな家の痕跡が、小山となって残っている。だが四人はすぐにその朽ち方が不自然なことに気づいた。メロディーは近くの住居跡に駆け寄ると、絡まる蔦や葉を鉈で剥がした。出てきたのは、真っ黒に焼け崩れた柱の跡だった。コリスとシド=ジルも、他の住居跡に駆け寄った。木と土で出来た建物は、皆ことごとく破壊され、無惨に焼け落ちている。
「これは只の火事じゃないな……」
 シド=ジルの足下には、壊された土壁が散乱していた。振り返ると、コリスは更に決定的な物を見付けていた。背中が怒りでワナワナと震えている。
「シゼ!」
 コリスの手には、破壊された造魔の破片が握られていた。もはや疑う余地は無い。ナギの隠れ里をシゼ本人が襲ったのだ。造魔の壊れ方から、繭使いたちが里を守り抵抗したことが見て取れる。突然、コリスは何かを思いだし、走り始めた。メロディーたちも慌てて彼の後を追った。
「リケッツ! フィオ!」
 コリスは一軒の住居跡へと飛び込んだ。そこもやはり、天井が焼け落ち、深い草に埋もれていた。陶器の破片や焼け残った籐細工が散乱している。ここはレバントの両親、リケッツ、フィオ夫婦の家だ。コリスは、ささやかな住居の真ん中に、呆然と立ちつくした。
「コリス、これ見て!」
 メロディーは、家の脇にある茂みの中に、白骨化した遺体を見付けた。手を合わせ、遺体を覆う草を払う。衣類と体格から、女性の遺体のようだ。背中を丸め、うずくまるように倒れている。
「フィオ……」
 コリスは傍らにガックリと膝を折り涙を流した。それは、レバントの母、フィオの遺体だった。優しく物静かで美しい女性であった。
「アラ? 手に何か持ってる」
 メロディーは、か細い白骨の指で大切に包まれた若葉色の石に気が付いた。それは、5,6センチの大きさの、玉を削って作られた像だった。メロディーは、その女性像をそっと取るとコリスに手渡した。コリスは涙を拭くことも忘れ、目を見開いてその像を見た。
「これは、人形(ひとがた)だ!」
「人形?」
「多分、レバントの妻マーブのためにフィオが作ったものだろう。ナギの聖魔術師は、人形に魂を残すことが出来る。まさか!」
 その時、人形の表面が淡い光をまとい始めた。光が大きくなりながら近くの木陰に伸び、人の形を結んでいった。そこに、陽炎のようにフィオの姿が浮かび上がった。
「コリス……よくぞ無事で……。もはや、誰も訪ねぬものと諦めていました」
 フィオの瞳に涙が浮かんでいる。コリスは人形を手にしたまま、フィオの前ににじり寄った。
「フィオ、これはシゼの仕業だな!」
 フィオの魂は、悲しげに指を組み、ナギの隠れ里を襲った悲劇について語り始めた。
「あの日、突然シゼが造魔の群れを従え里に戻りました。そして、エルリムを倒し、パレルを手に入れる事を宣言すると、我らに決起を迫ったのです。族長ニ様が諫めようとなさいましたが、シゼはニ様を殺し、里を炎で包みました」
 フィオは組んだ両手を広げた。光が溢れ、惨劇の映像が四人を包んだ。里を襲う造魔の群れ。燃え上がる家々。必死に抵抗する繭使いたち。シゼは幾人ものナギ人を捕らえ、従わぬ者はことごとく殺した。灰じんと化した里で、シゼはナギの男達に無理矢理黒繭を紡がせ不浄の聖魔を生み出し、彼らを異形の贄(にえ)へと変えていった。
「非道い! シゼはナギ人の宿命を憎んでたはずでしょ!」
 メロディーは、その酸鼻を極める光景に涙が止まらなかった。コリスは抑えがたい怒りに全身を震わせながらフィオに尋ねた。
「リケッツはどうした! あいつがやられるはずがない!」
 惨劇の映像が消えると、フィオはゆっくりと首を横に振った。
「あの人の行方は分かりません。他にも何人も連れ去られました」
「それじゃ、八熱衆の正体は!」
 シド=ジルは怒り宿る瞳をコリスと合わせた。フィオの体を作る光が、徐々に薄れ始める。5年前、レバントを救おうとしたマーブの魂がそうであったように、人形を抜け出た魂は元には戻れず、新たな寄り代が無い限りそのまま消滅するほか無い。フィオはやすらかな笑みを浮かべると、最後の別れをコリスに告げた。
「待ち続けた甲斐がありました。コリス、頼みます。もしもあの人に出会うことがあれば、どうか救ってあげて……」
 コリスはじっとフィオを見つめ、死を賭した誓いを立てた。
「ああ、約束する。我らナギの定めは、わたしが必ず終わらせる!」
 フィオは、総てを託し安堵の笑みを浮かべると、優しい風と共に静かに天に昇った。メロディーは、ナギ人の背負ってきた重すぎる軛に、涙が止まらなかった。
 四人は質素な墓を作り、人形と共にフィオの亡骸を弔った。
「出来ることなら他のみんなも弔いたいが、今はシゼを止めるのが先だ」
 コリスはフィオとの別れを終えると、里を見渡しながら呟いた。
「それじゃ……ケムエル神殿に向かいましょうか」
 フレア=キュアは、泣いているメロディーの肩を抱きながら、シド=ジルたちに語りかけた。シド=ジルは、コリスにもう一カ所だけ、調べる場所を提案した。
「念のため、族長の家も調べてみないか?」
 コリスはシド=ジルの提案に頷くと、みんなを族長ニが住んでいた屋敷跡へと案内した。

 * * *

 それはまさにメロディーたちがナギの隠れ里へ到着した時刻に始まった。
 グオ──ン!
 ゴゴゴゴゴゴ!
 シャンズが書類に目を通していると、突然猛烈な反響音と地響きがバスバルス市長執務室を揺らした。
「何だ!?」
 慌てて外の様子を見た秘書官が、真っ青になって西の空を指さした。シャンズはテラスへ飛び出し、その光景に愕然とした。直径が軽く数キロはある青白い光の円盤が忽然と空中に現れ、渦を巻きながら唸りを上げてゆっくりと地上へ降りてくる。ここからは10キロは離れているが、ビリビリと圧力が伝わってくる。円盤の底は青白い光が渦を巻き、上部は青白い透明なドームになっている。そしてそのドームの中には、異形の草木が生い茂る聖魔の森が浮かんでいた。
「始まったか!!」
 シャンズは唇を噛み、帰還を開始した森を為す術もなく睨んだ。
 円盤の底が地上に接触する。青白い渦が、切れ味鋭いカミソリのように、木々を地面を削っていく。とうとう聖魔の森がパレルの大地へ帰ったのだ。シャンズは茫然自失の部下たちを一喝した。
「直ちに全市に戒厳令を発令しなさい! 現場付近の避難状況を再確認。偵察部隊は直ちに現地に急行し情報収集を。ただし、戦闘は絶対に避けるように。森帰還の情報を全市へ連絡。ゲヘネスト・ネットワークを総動員して各地の状況を確認しなさい。急いで!」
 シャンズは矢継ぎ早に補佐官たちに指示を出した。市全域が直ちに戦時体制へと移行し、準備したシナリオの実行に入る。
「バスバルスは準備が整っているからまだマシだが……他の市は……」
 シャンズは今まさに始まろうとしている600年ぶりの第2次聖魔大戦に、祖先のゲヘネスト以上の絶望感をいだくのだった。

 数時間後、シャンズの元に次々と情報が集まってきた。唯一の救いだったのは、予想に反し、まだ聖魔の森が帰還していない地域も数多く残っていた事だった。森出現の報を受け、遅ればせながらそれらの地域でも住民避難が始まり、多くの命を救うことが出来た。だがそれでも、今後次々と森が帰還することは間違いない。バスバルス市長シャンズは、この僅かに出来たゆとりが少しでも役に立つことを祈るしかなかった。

 時空の狭間にある聖魔の森は、既にリオーブのエネルギー充填を完了し、エルリムの命令一つでいつでも全島が帰還できる状態にあった。だが、今回実際にパレルの大地に帰還したのは、300以上ある島の内、まだ3割程度に過ぎなかった。ガガダダやメロディーたちがいるナギの隠れ里のコロニーでは、森は姿を現していない。そのためメロディーたちは、まだ森の帰還に気付いていなかった。
 そしてもっとも深刻な問題は、人類唯一の希望であるケムエル神殿に聖魔の森が帰還したことだった。

 * * *

 ケムエル神殿玉座の間では、カフーが数人の魔攻衆と共に、森に入る準備をしていた。そこへ、魔攻衆の闘衣を着て戦闘準備を整えたサジバが現れた。
「サジバ! 君は今日は休むように言っただろう!」
 カフーは慌てて彼を止めた。
「拙者なら心配無用。今、手を弛めるわけにはいくまい」
 サジバは厳しい表情で答えた。だが、連日の出撃で、サジバの疲労はピークに達していた。
 聖霊ラキア率いるメガカルマ第2軍の猛攻により、魔攻衆が支配する聖魔の森はもはや無くなり、主戦場はケムエル神殿に隣接する僅か3つの森にまで後退していた。
「これ以上、エルリムの自由にさせるわけには」
 サジバが疲労を押し気勢を上げようとしたその時、ケムエル神殿を揺るがす轟音が響いた。外の様子を見た魔攻衆が、血の気を失い玉座の間に飛び込んできた。
「大変だ! 森が! 森の帰還が始まった!」
 カフーとサジバは、急いでケムエル神殿の外に出た。神殿前の広場には、既にバニラを始め多くの魔攻衆が愕然としながら北の空を見上げていた。神殿町に住む総ての住民が外に出て、北の空に浮かぶ青白い光の渦を呆然と見上げている。
 空には大小幾つもの森が出現していた。元々ケムエル神殿のある御神木の森は、パレル世界最大の聖魔の森があった場所である。そこへ、分割された島が次々と帰還を開始したのだ。一番近くに見える島までは1キロと離れていない。大地をえぐりながら、聖魔の森が着陸していく。
「ちくしょー! もうダメだ!」
「何を言ってる! 神殿には魔攻衆がいるじゃないか!」
「だけど、その魔攻衆も!」
「急いで避難を!」
「逃げるって、どこに逃げるんだよ!」
 町中が騒然とし、パニックに陥る。
「みんな、落ち着いて!!」
 バニラは民衆に向けて叫んだ。
「避難誘導をするから、今は戸外に出ずに避難の準備をして! キキナク! 商会で手はず通りに住民の誘導をしてちょうだい! 魔攻衆は直ちに戦闘準備!」
 バニラ首座の一喝により、一斉に人々が動き始めた。魔攻衆たちも非番の者や怪我人までも応戦の準備に動き出した。
「バニラ! 儂は一足先に町の北側の防備を固める! お前たち、続け!」
 ウーはいち早く新米魔攻衆の部隊を整え先行した。バニラたちも、急ぎ神殿に引き返した。途中、カフーはサジバに告げた。
「サジバ。君は部隊を再編して、いつでも出撃できるよう準備してくれ。ボクはクマーリ門の偵察に出る。現れた森も心配だが、裏をかかれて神殿を落とされたら、それこそ取り返しが付かない」
「心得た。おぬしも無茶はするな」
 サジバはひとり分かれると、各隊へ指示するため闘技場に向かった。一方、玉座の間へ向かうバニラは、不安な表情を浮かべカフーの腕を掴んだ。
「結界の偵察ならわたしも!」
 カフーは立ち止まりニッコリ微笑むと、バニラの両肩を優しく抱いた。
「首座の君までここを離れるわけにはいかないよ。みんなが君を頼りにしている……このボクも」
「カフー……」
 ふたりはジッと見つめ合った。その瞳には、戦士としての絆以上の熱い思いが通っていた。

 カフーとバニラが玉座の間に到着すると、突然何の前触れもなく、玉座が置かれていた場所に4つの光の裂け目が現れた。そして同じ光が、闘技場や神殿入り口など、更に4つ出現していた。眩しく光る裂け目から、漆黒のローブをまとった者たちが現れた。
「その姿……八熱衆!」
 カフーは咄嗟にバニラをかばうように身構えた。カフーたちは魔攻衆に転身したサジバによって、予言者シが魔攻衆を捨て石にしている事実を知らされていた。光の裂け目が消えると、漆黒の者たちはローブの前を開き、深く被ったフードを外した。4人の内3人は、八熱衆のプロテクターを着ていた。3人とも胸板の厚い堂々たる体格をしており、その立ち姿だけからも相当な手練れであることが伺える。2人は仮面を着けており表情は読めない。残る1人は自信に満ちた顔で、カフーたちを見下すように眺めている。そして、3人の戦士に守られるように立つ最後の1人は、うって変わって小柄な少年の姿をしていた。サジバから話を聞いていたカフーたちは、その少年こそが八熱衆の主、予言者シであることを理解した。
 聖魔の森の帰還と予言者シの出現。元々、シと八熱衆は、森の帰還を防ぐことには関心が無かったはずだ。それが何故、よりによってこのタイミングで目の前に現れたのか。カフーとバニラは、尋常ならざる危険を感じ取っていた。
 予言者シは、一歩前に進み出るとカフーや玉座の間に詰めていた魔攻衆たちを一瞥し、通る声で一方的な宣言を告げた。
「ご苦労だった、魔攻衆の諸君。僅かなりとも聖霊どもに損害を与えたこと、誉めておこう。だが、聖魔の森の帰還も無事に始まった。これでエルリムも、もはや隠れることは出来ぬ。後は我らがエルリムを狩り、取って代わるのみだ」
「エルリムに取って代わる? どういう事だ!」
 カフーはシが何を言っているのか理解できなかった。予言者シは、嘲る笑みを浮かべた。
「鈍いな。魔攻衆は用済みということだ。カフー、お前だけは、まだ役立ってもらうがな。アビーチ、プラタナ」
 予言者シが、軽く右手を挙げた。仮面を着けた2人の八熱衆が進み出て、憑魔甲を構える。その時、八熱衆3人目の男が、予言者シに進言した。
「シ様。カフーを捕らえる役目、このタパナにお命じ下さい。エルリムの使徒となった者の力、試してみとうございます」
「ん? まあ良かろう。わたしは神殿の中を見て回る。残りのゴミ共も始末しておけよ」
 シが仮面の八熱衆を従えて出口の方へと歩き始めた。その時、カフーの後ろにいたバニラが素早く憑着し、一瞬の隙を突いて予言者シを攻撃した。だが、成功したと思った次の瞬間、八熱衆八之者アビーチが予言者シを攻撃からあっさりと守り、七之者プラタナがバニラのことを攻撃していた。
「キャー!!」
「バニラ!!」
 バニラの憑魔陣は砕け散り、壁に叩き付けられた。たった一撃で、バニラは重傷を負ってしまった。カフーは慌てて駆け寄り、バニラを抱き起こした。予言者シは見向きもせず、玉座の間から出て行った。1人残った八熱衆六之者タパナは、呆れ顔でカフーに告げた。
「カフーよ、無駄なことはよせ。どうせ直ぐに殺すのだ」
 カフーはバニラの盾となるよう向き直ると、憑魔甲を構えた。今やカフーは、サジバと互角の力を持つようになっていた。だが、そのサジバは、八熱衆の末席に位置し、高弟たちは皆強大な力を持つという。しかも目の前にいるタパナは八熱衆のナンバー3だ。カフーが勝てる見込みは全く無い。憑魔甲第8の封印が使えれば勝てる可能性も出てくるが、未だに発動のさせ方は分かっていない。
 だが、ここで自分が敗れればバニラは殺される。出口の向こうから絶叫が聞こえてくる。仲間たちが次々と殺されているのだ。カフーは決死の覚悟で憑魔陣を発動させた。
「ほう。少しはやりそうだな」
 タパナも憑魔陣を発動させた。正面に立つ基本となる聖魔は、かつて繭使いリケッツが使った最強の聖魔クシードラだった。

 一方、闘技場でもサジバが八熱衆弐之者カーラと対峙していた。カーラは唯一の女戦士で、サジバより少し年上であった。
「な〜に、その格好? 魔攻衆なんかのマネをして」
 カーラは呆れてサジバを笑った。
「我は魔攻衆。仇なす者は、たとえカーラ様でも容赦はせぬ!」
 サジバは緊張した面持ちで憑魔甲を構えた。真っ赤なテュテュリスがサジバの前に現れる。居合わせた魔攻衆たちも、全員サジバに加勢する。
「目を掛けてあげたつもりだったのに、寄りにもよって魔攻衆なんかに感化されるなんて。せめてもの情けに、楽に死なせてやるよ」
 カーラも憑魔陣を発動させた。正面には、4本腕の青い上体に蛇のような下肢を持つ闇の使徒の聖魔セティリアンが現れた。火属性を主体としたサジバの憑魔陣は、水属性を主体としたカーラに対し、ただでさえ分が悪い。しかも、腕はカーラの方が上であり、体調も万全ではない。仲間の加勢を受けたところで、カーラを倒すことは至難の業だ。サジバは絶望的な状況を前に戦いを挑んだ。

 予言者シは、まるで無人の廊下を進むようにケムエル神殿の中を歩いた。応戦に出た魔攻衆は、まるでアリでも潰すかのように、アビーチとプラタナによって殺されていく。
「まったく。ナギの聖地がすっかり低俗に汚されている。人間などに預けるものではないな」
 シは生命の間に気付くと、その中へ入っていった。トリ男たちは、慌てふためき奥へと逃げていった。巫女の座では、肌を覆い苦しそうにするラーを、ムーが抱きかかえるように守っている。シは巫女の座へと上っていき、2人の前に立った。
 人形巫女のラーとムーは、元々族長ニの長女と次女、即ちシゼの姉を模して作られている。シゼは手を伸ばすと、ラーの顔を隠すフードを引き剥がした。怯えるラーの美しい顔には、呪いの刻印がおぞましく蠢いていた。シゼの顔から一気に血の気が引き、抑えがたい怒りが噴き上がる。
「死してなお、我が姉を辱めるか!!」
 シゼは、手刀でラーとムーを切り上げた。2人の胴がザックリと裂け、傷口から光の泡が噴き出し天に昇った。2人の体が見る見る退色し、生気を失い白蝋化する。そのままゆっくり背後に傾き、巫女の座から落下した。聖魔を浄化し魔攻衆を支えてきた人形巫女のラーとムーは、とうとう死んでしまった。

 カーラの攻撃により、サジバの両腕が消し飛んだ。
「勝負あったわね!」
 カーラの氷の剣がサジバの胸を切り上げる。超重装備の装甲が、真っ白に凍り付きながら粉々に砕けた。夥しい血が噴き上がり、サジバはカーラの目の前で、前のめりに倒れた。
「まったく。手こずらせてくれるじゃないか」
 サジバの攻撃も通用しなかった訳ではない。だが、重傷を負わせることはついに出来なかった。カーラはサジバの首をはねるため脇に立つと剣を構えた。
「サジバ──!!」
 まだ息のある魔攻衆たちが、サジバを助けようとカーラを攻撃した。だが、全く効果がない。
「ええい、うるさい蝿どもだね!」
 カーラは氷の剣を薙いだ。切っ先から無数のつららが飛び、魔攻衆たちを1人残らず貫いていく。
「やめろ……やめろ──!!!」
 その時、サジバの命の炎が失われた右腕から噴きだし、剣となってカーラの体を貫いた。
「なにぃ!?!」
 渾身の剣がカーラの心臓を焼き尽くす。カーラは何が起こったのか理解できぬまま崩れるように倒れ、そのまま絶命した。カーラとサジバの憑魔陣が砕け散る。カーラの栗色の巻き毛が、血の池に沈む。まばたきせぬ青い瞳が、血の涙を流しながらサジバを見ていた。突然、サジバの頭の中で、記憶の枷が砕け散った。予言者シによって無理矢理封じられた真実の記憶が、走馬燈のように蘇る。隠れ里を襲う造魔の群れ。穏やかな里の暮らし。そして温かい家族……。
『いつまでも泣くんじゃないよ、男だろ!』
『強くなったね……。今やお前はナギ最強の戦士だ。繭使いも目じゃないさ』
「あ……姉上……」
 目の前に横たわる八熱衆カーラ。それはサジバの実の姉であった。サジバは、藻掻くように這い、カーラに近づいた。
「姉上……姉上!! おのれ、シゼ──!!!」
 サジバは血の涙を流しながら、予言者シへの憤怨をあげ、無念の形相のまま息を引き取った。

 サジバがカーラと差し違えたのと同じ頃、玉座の間では、カフーがバニラを守りながら全身血まみれになって仁王立ちしていた。
「もう少し歯ごたえがあると思ったんだが……エルリムの使徒もこの程度か。まあ、気力だけはたいしたものだが」
 八熱衆タパナの体には、傷一つ付いていない。カフーに加勢した魔攻衆は全員死亡し、生き残っているのは唯一カフーに守られたバニラだけである。タパナは頭をかいてカフーに告げた。
「さーてと。これ以上やったらお前は死んじまうから手を出せんが、ゴミを始末しておけとも言われてるしな。邪魔しようなどと思うなよ」
 タパナは重傷を負って動けぬバニラに狙いを定めた。その時、予言者シが玉座の間に戻ってきた。
「タパナよ。カフーが死にそうではないか」
 タパナはカフーを気にもせず予言者シの方を向くと、片膝を付いて謝った。
「ハッ。申し訳ございません。なかなかに往生際が悪いもので」
「当然だ。それぐらいでなければ、エルリムの使徒は務まるまい」
 シは笑ってタパナを諫めた。
 カフーは、失血し朦朧とする意識で考えた。もはや勝つ術など無い。せめてバニラだけでも助けられれば。そのためには……。
「さて、そろそろ終わらせよ」
 シの命を受け、タパナが再びカフーに向き直る。その時、カフーは憑魔陣を解除して短剣を抜き、切っ先を自分の首に突き立てた。
「神殿から手を引け! さもないとボクは命を絶つ!! お前たちの目的は、ボクだけのはずだ!」
 カフーは最後の賭に出た。切っ先が皮膚を裂き、首から一筋血が流れる。
「貴様、この期に及んで!」
 タパナが動こうとする。だがそれを予言者シが制した。
「お前がわたしに服従するというなら、ケムエル神殿には手を出さぬと約束しよう」
 シが傍らに大きな光の裂け目を作った。
「……わかった」
 カフーはひと目だけバニラを見ると、ナイフを首に突き立てたまま光の方に歩き始めた。アビーチとプラタナがカフーの両側に並ぶ。
「よし。エルリムを狩りに行くぞ」
 シは八熱衆に撤収を命じた。血に染まったケムエル神殿から、漆黒の男達が消えていく。
 バニラは傷つき動けぬ体で、カフーの背を追うように手を伸ばした。赤く染まったか細い手が、むなしく宙を掴む。
「カフー!! カフー!!!」
 涙の向こうで、カフーがシや八熱衆に伴われ、光の中へと消えていった。ケムエル神殿玉座の間には、ただひとり残されたバニラの号哭だけが、いつまでもいつまでも木霊した。

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