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 act.22 誤算
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 重傷のバニラに代わりウーが新たな神殿首座を務め、さっそく魔攻衆の再建が始まった。八熱衆が聖魔の森で暴れ始めたせいで、幸いにも帰還した聖魔の森からの組織的侵攻は無く、今のところ予想に反し散発的な衝突に留まっている。予言者シの動きは依然気になるが、聖霊もそう易々とやられはしないだろう。両陣営の潰し合いは、魔攻衆の再建にとって、都合の良い時間稼ぎとなった。
 ゼロもコリスも、ひとまずは神殿の警備に徹し、魔攻衆の再建に力を尽くした。新憑魔甲を操るゼロ,メロディー,コリスの力はもはや圧倒的で、瞬く間に神殿付近の聖魔の森を掃討し、新魔攻衆の練習場に変えてしまった。
「オラオラ、トリ男! ドンドン卵のお代わり持ってこんかい!」
 生命の間は、新巫女ルーが仕切ることとなった。ルーは清楚なラーとは正反対の性格だった。だが、聖魔の浄化能力はラーを遙かに凌ぎ、今まで浄化できずに貯めてあった新種聖魔の卵も、呪いの刻印に犯されることなく片っ端から浄化し、新魔攻衆の戦力に換えていった。
 一方、フレア=キュアは新型憑魔甲の早期配備を可能にするため更に改良を加え、より簡単に扱える量産タイプを開発していた。使用する聖魔数を半数に減らし、威力はフルスペックの物に若干劣るものの、使用者への負担も少なく、簡単なレクチャーで実戦配備が可能であった。キキナク商会では、フレア=キュアの指導の下、総動員体制で量産型憑魔甲を大量生産した。
 戦士たちへの戦い方の指導,聖魔知識の教育は、ウーやシド=ジル、そして闘技場を仕切る新たな巫女ミーが担当した。続々と集まる戦士たちも、元々腕には自信のある者ばかりである。経験が物を言う魔攻陣に比べ、憑魔甲はすぐに実戦配備が出来る。ウーたちは彼らをいきなり聖魔の森へ連れ出し、聖魔を相手にしながら実戦で戦い方を学ばせた。早くも数日後には、才能ある者たちから正式に魔攻衆として認められ、遊撃部隊の第一陣をバスバルスに送り出すまでになっていった。四代目神殿首座のウーは、出発する新たな戦士たちを前に訓示した。
「よいか。まずは聖魔を相手に技を磨け。メガカルマを相手にするのはそれからじゃ。運悪く戦わねばならぬときは無理をせず、必ず3対1になるようにするんじゃ。先走って死んだのでは何にもならんからの!」
 実際、量産型とはいえ、新憑魔陣の威力は絶大だった。対聖魔戦では初心者の彼らでも、危なげなく対処することが出来た。熟練すればメガカルマであろうと後れを取ることはないだろう。
「ある程度戦い方に慣れたら、聖魔自体も合成強化する必要がある。手持ちの聖魔が物足りなくなったら、集めた卵を持って神殿まで来るんじゃ。皆、くれぐれも命を粗末にするな。武運を祈る!」
 こうして次々と戦士たちが各地へ救援に向かい、また各地の戦況情報と共にケムエル神殿に集まった。こうしてバスバルスを初めとするパレル世界は着々と防備を固め、ケムエル神殿と魔攻衆は、急速にその勢力を挽回し始めたのだった。

 目の回る忙しさの合間を縫って、簡素ではあるが、命を落とした戦士たちのために葬儀が執り行われた。その中には、サジバの姉である八熱衆カーラも含まれていた。
「ありがとう。姉弟一緒に弔ってもらえて、ふたりも感謝しているだろう」
 コリスはウーたちに礼を述べた。
「ふたりは戦士の家系の出なのだ。その力は、わたしやリケッツにも引けを取らなかった。彼らが八熱衆として力を出し切らなかったのは、シゼに操られた事への最後の抵抗だったのだろう」
 墓碑を見つめるコリスに、ゼロが尋ねた。
「他の八熱衆も、何とか救うことは出来ないのかな」
「無理だな。ナギ宗家の力はナギの血を束ねるものだ。真実を知らせぬ方が、せめてもの救いになるだろう」
「コリス……」
 コリスは既に、自分が最後のナギゆかりの者となる覚悟を決めている。そしてその時が訪れた時、もしかするとコリス自身も……。
 パレルの歴史の中、多くの者たちがエルリムの紡ぐ運命に翻弄され、抗い、挑み、そして死んでいった。ゼロは英霊の墓碑を前に、このパレル世界に幕を引く決意を新たにした。
『ミント……必ずこの戦いの歴史を終わらせるよ』

 * * *

「エルリムめ……どういうつもりだ」
 予言者シは、虹色に輝く時空の狭間の空を見上げていた。そこへ、偵察に出た八熱衆六之者タパナが戻ってきた。報告によると、大半の森が未だにパレルへの帰還を果たしていないという。カフーも手に入り、ついに自らエルリム狩りに乗り出した予言者シであったが、肝心のエルリムの居場所が特定できぬ以上、迂闊に動くことはできなかった。たとえエルリムを討つ力があろうと、たどり着く前に森ごと時空の狭間へパージされれば、如何に予言者シといえどどうすることも出来ない。だが、エルリムもまた、このまま時空の狭間に留まり続けるとは思えない。
「タパナよ。森を揺さぶり、聖霊をいぶり出すのだ。エルリムも、聖霊が失われるのを黙って見ているとは思えぬ。行け!」
 思惑こそ外れたが、予言者シは本格的にエルリムへの戦いを開始した。八熱衆はその力を遺憾なく発揮し、聖魔の森を警備するメガカルマを、ランダムに次々と撃破していった。そしてそのゲリラ戦術によって、第二軍軍団長の聖霊ラキアが、罠の待つ前線へ姿を現したのである。

 聖魔の森の一角で、聖霊ラキアは窮地に立たされていた。
「クックックッ。聖霊も、大したことはないな」
 八熱衆四之者ラウラバと伍之者マウラバが、ラキアを取り囲み笑っている。最速の女性型聖霊ラキアは、迂闊にもラウラバ,マウラバの罠にはまり、彼らの卓越した連携攻撃によって脇腹に重傷を負ってしまった。純白の甲冑が見る見る真っ赤に染まっていく。従えていたメガカルマも、1体残らず倒されている。ラキアは苦悶の表情ではみ出す腸を抑えながら男達を睨み付けた。
「き、貴様ら、魔攻衆ではないな! 何者だ!」
「あのようなカスどもと一緒にするな。我らは八熱衆。エルリムを狩る者」
 そう告げると、マウラバは手にした巨大な鎌を構え、とどめを刺そうとした。だがその時、突然背後から声がした。
「ほう、そうかね」
 突然マウラバの背後に光の裂け目が現れ、巨大な爪を持った白い腕が飛び出すと、超重装備に武装しているマウラバを鷲掴みにした。
「ギャ――!!」
 巨大な白い爪が、まるでトマトを握りつぶすようにマウラバを圧殺する。爪を握りしめたまま、ゆっくりと光の裂け目から聖霊マテイが姿を現した。
「チイッ!」
 形勢は逆転した。ラウラバは光の裂け目を作ると、慌ててその場から姿を消した。
「なるほど。逃げ足も速いな」
 マテイは握りつぶしたマウラバの死体を打ち捨てると、傷ついたラキアのそばに近づいた。安堵したラキアの体が力なく崩れる。マテイは彼女を抱きとめた。
「マテイ様。不覚を取りまして申し訳ございません」
「気にするな。お前は下がり、傷の手当てをせよ」
 マテイは応急処置をすると、光の裂け目を作りラキアをウバン沼の畔にいる聖霊マハノンへと送った。
 戦いが終わった森で、マテイはゆっくりと立ち上がり、傍らに転がるマウラバの死体に近づいた。
「この者……ナギの戦士か。ナギ人はとうに滅んだと聞くが。先ほどの技も、シャマインを死なせたゼロとかいう魔攻衆が使っていた技と同じようだったが……。この者たちが魔攻衆に伝えたものか」
 マテイはマウラバが使った聖魔の残骸を見た。それはかつて大地の闇の使徒が使った聖魔デルファネルであった。
「封印せし常闇の聖魔を扱うか。なるほど、我ら聖霊と伍するのも頷ける。だが、この程度の力でエルリム様を倒せると思うなら、八熱衆とやらもとんだ凡愚に過ぎぬ。それとも、何か他に策でもあるというのか?」
 マテイはゆっくり辺りを見渡した。八熱衆も確かに厄介だが、マテイにはもっと気がかりな事実があった。それは前線に出ている軍団のことであった。ラキアが突出し第二軍のメガカルマが多くを占めるのは分かる。だが、マテイは第三軍軍団長のサグンにも出撃を命じており、当然それ相応の布陣がされていてもおかしくない。特に第三軍を構成するのは冥界の森のメガカルマであり、八熱衆を倒せぬまでも、第二軍と共に物量で押せば、これほど一方的にやられることは無いはずだ。だが実際には、第三軍のメガカルマは、ほとんど森には見あたらなかった。
 シャマイン,ラキア,サグンの率いるメガカルマ3軍は、現在はマテイの指揮下に置かれている。だが、その経緯における因縁により、サグンは少なからずマテイにわだかまりを抱いていた。
「サグン……何を考えている……」
 聖魔の森全島の帰還が遅らせられた理由も知らされていない。新たな謎の敵・八熱衆の登場も気にかかる。本来ならば結束してパレルへの帰還を進めるべきこの時期に、次々と不可解な状況が生まれている。マテイは、メガカルマの軍団総てを直接指揮し、自らこの状況を打開する決意を固めた。

 マテイは光の裂け目を作ると、指揮系統を再編するため、いったんウバン沼へと後退した。眩しい光がかき消すように消え、戦いの終わった聖魔の森に静寂が訪れた。そこにはもはや、動く者は聖魔一匹いない……はずであった。
 低木の重なる茂みに、存在しないはずの気配が陽炎のように現れる。安全が訪れたことを確認すると、その気配が茂みからヒョッコリと顔を出した。それは森人ヤムであった。
「フー。危なかった〜」
 森人ヤムは鳥人キキナク同様追放された元聖霊で、かつては知恵の聖霊マモンと呼ばれていた。森における森人の能力は恐ろしく高く、七聖霊でさえもヤムを捕らえることは至難の業だった。
「もっと安全な場所へ隠れなきゃ。でも、いつまで逃げればいいんだよ〜!」
 ヤムは茂みから這い出ると、イガ栗のようなコロコロした体をヒョコヒョコと揺らしながら、慌てて他の森へと逃げていった。

 * * *

 魔攻衆の再建が始まって2週間が過ぎた。既に優に200人を超える戦士たちが魔攻衆として正式に量産型憑魔甲を与えられ、ケムエル神殿は、充分にその戦力を取り戻した。神殿首座ウーはいよいよ反撃の決意を固め、全員に告げた。劣勢の中、壮絶な死を遂げた戦士たちに成り代わり、新たな戦士たちはエルリムと予言者シの打倒を誓うのだった。
「新たな力を得たとはいえ、お前達はまだ初心者じゃ。コリス、ゼロ、メロディー。お主たちが中心となり、彼らを導いてやってくれ。くれぐれも無理な突出はせぬように。頼むぞ!」
 ウーに続きフレア=キュアが発言する。
「フロートシップは本来、ゲヘナパレ錬金術師をサポートするために作られた支援戦闘艦なの。今はまだ工房機能が必要なので出撃させる事は出来ないけど、対エルリム戦には戦力として必要になるでしょう。それまでは前哨戦と考えてちょうだい」
「そうだね。何と言っても相手は神だ。みんな、心してかかってくれ。大丈夫。僕たちは必ず勝つ!」
 最後はシド=ジルが全員を鼓舞した。
 ケムエル神殿を始め各地に展開する魔攻衆は、防衛警戒範囲を超えて、一斉に聖魔の森への再侵攻を開始した。ケムエル神殿からも、神殿町北方に出現した森やクマーリ門の向こうへと、戦士たちが次々と出撃する。コリスは、急成長する若手十数名を従え、前線を一気に押し上げる縦走戦闘を敢行した。再編が始まったばかりのメガカルマたちは、新生魔攻衆の反攻に為す術もなく敗走した。
 ゼロとメロディーは、フレア=キュアの指示で一旦戦闘を切り上げ帰還した。その日の晩は、久しぶりにジルの家で4人揃って食事をした。楽しい夕食が終わると、居間でくつろぎながらゼロとメロディーは戦況を話した。
「憑魔陣は不慣れでも、やっぱりみんな強者揃いだよ。敵の力の見切りもいいから、無茶な戦闘も無いし」
「これなら案外早くエルリムを倒せるかもね」
 ふたりのくつろいだ雰囲気に、後片付けを終えたフレア=キュアが、厳しい表情で近付いてきた。だが、ゼロもメロディーも以前のふたりではない。母親の顔を見ると、ゼロは穏やかな表情で話し掛けた。
「分かってるよ、母さん。油断するつもりなんて無いさ。エルリムを倒せると分かっていても、ボクたちが無事だという保証は無いからね」
 だがフレア=キュアは、苦しそうに頭(かぶり)を振った。
「いいえ、あなたたちは全然わかってないわ! エルリムは倒せないかもしれないのよ!」
「まさか! それはどういうことだい、ママ?」
 みんながフレア=キュアの言葉に驚いた。
「エルリムはこの時代を去り、2007年に出現するかもしれないの!」
 驚くシド=ジルの目を、フレア=キュアは悲しそうにジッと見つめた。
「わたしたちが2007年と999年の結び目になっている事は話したでしょ。おそらくエルリムなら、この歴史交差に気付いている。もしエルリムがリオーブの時空跳躍能力を使って2007年に向かってしまったら、パパが研究してきたように1000年から2007年までエルリムがいない事も説明が付く。もしかするとわたしたちの時代は、かりそめの人間だけの歴史を歩んできただけなのかもしれないのよ!」
 一家は言葉を失った。フレア=キュアは自身の辿り着いた結論を話し始めた。
 賢者の石に残されていたゲヘナパレ帝国のテクノロジーはとてつもなく高度な物で、それに比べれば2007年の科学力など稚戯に等しかった。もしもエルリムが2007年に出没すれば、例え世界中が束になって戦っても、まるで歯が立たないだろう。唯一対抗できる者がいるとするなら、それは同じ技術を用いている魔攻衆だけなのだ。
「これほど高度な科学力がこの星で生まれたとは考えられないわ。おそらくエルリムは、異星人かロボットか、想像できないほど高度な文明を持った星から来た来訪者よ。わたしたちがエルリムに勝てるかどうかは、全く分からないのよ」
 重苦しい空気が一家を襲う。だがゼロとメロディーは、すぐにそれを跳ね返した。
「な〜んだ。結局なんにも変わらないんじゃない。要するに、わたしたちがエルリムを倒せばいいんでしょ」
「予言者ギが言ってたよ。ボクらはそのために、竜神ケムエルに召喚されたって」
 ふたりは右手のケムエルの紋章をかざした。もはや歴史の事実など関係ない。ゼロとメロディーの双肩には、ジンやギア、繭使いや魔攻衆たち総ての願いが託されているのだ。フレア=キュアの疑念にも、ふたりの決意は微塵も揺らぐ事は無かった。
 フレア=キュアはふたりを見つめると、呆れ顔でため息を吐いた。
「そうね……そうだったわね」
 彼女は立ち上がると奥の部屋へ行き、細長い板のような物を持ってきてふたりに渡した。
「これはブレード・チャンバー。わたしが考案した、あなたたちの新しい装備よ」
 それは腰の両脇に長い翼のような板が下げられているベルトだった。自動的に姿勢制御する仕組みで、動きの邪魔になる事はない。メロディーは嬉しそうに笑った。
「凄いわママ。新しい魔攻衆の装備なのね?」
「いいえ。それは、あなたたちにしか使うことが出来ない装備よ」
 ふたりはその言葉に息を呑んだ。
「もしもブレード・チャンバーを使わなければならない時が来たら、それで魔攻衆のみんなを助けてあげなさい」
 ふたりはブレード・チャンバーの使い方を教わると、早速試そうと外へ向かった。シド=ジルとフレア=キュアは、穏やかな表情でふたりの後ろ姿を見送った。だがその時、突然、シド=ジルとフレア=キュアの体に、予想もしない異変が起こった。
「ウグッ! こっ、これはいったい!」
「ゼロ! メロディー!」
 ゼロとメロディーが振り返ったとき、シド=ジルとフレア=キュアの体が青白い光を帯びていた。ふたりはそのまま意識を失い、崩れるように床に倒れた。

 * * *

 パレル歴2007年、エルリム樹海神殿遺跡。
 ラングレイクとケズラは、助手たちを指揮して装置の稼働準備を急いでいた。玉座の間は、物々しい機材の山によって、びっしりと埋まっている。シドとフレアを取り込んだブルーボールは、ぐるりと超電導磁石によって取り囲まれている。壁際には、磁場の制御装置や様々な観測装置が並び、分析結果を刻々と弾き出している。玉座の間の入り口は、外から引かれた夥しい量のケーブルによって、人ひとりすれ違うのがやっとの隙間しか空いていない。その隙間から、数日ぶりに国家安全保障局のサガが現れた。
「ようやく組み上がりましたね、教授」
 サガは笑顔でラングレイクたちと握手した。サガの言葉は誇張などではなかった。国家安全保障局の指揮の下、あらゆる組織が動員され、国家予算が惜しげもなく投入された。ドーム遺跡の外には大規模な支援キャンプが設営され、急造の変電設備も完成している。ネオサイラス村を中継地点に樹海を縦走する送電ケーブルも接続が完了し、いつでも大容量の電力供給が可能な状態にあった。遺跡内部の設備についても、ラングレイクとケズラの要求通りの物資が遅滞なく集められ、僅か2週間の準備期間で、総ての機材が整ったのである。
 これまでの調査により、ブルーボールの周囲には微弱ながら磁場が観測されていた。彼らは得られた観測結果を基にブルーボールの構造を解析し、その正体を推論した上で、その効果を中和する装置を考案したのだ。3人は、計算式がびっしりと書き込まれたホワイトボードの前で議論した。
「ということは、ブルーボールの中は時間軸だけがこちら側と等しく動き、3次元としての物質空間と分離されていると?」
 サガは真剣な表情でケズラ教授に尋ねた。
「おそらく中にいるシドとフレアは、エネルギー的には全く変質することなく、時間の経過だけを受けているはずじゃ。大雑把な言い方をするなら、常温のコールドスリープといったところかな」
 ため息を吐くケズラに続いて、ラングレイクが説明した。
「このブルーボールは、一種のクライン空間として向こう側の世界に繋がっていると考えられる。そしてそちら側とは時間軸だけが交差し、連動しているんだろう。この惑星パレル上の別の地点か、どこか別の宇宙か、ひょっとすると過去や未来の世界なのか……。シドたちは、向こう側とこちら側を繋ぐ『へその緒』になっているんだ」
 ケズラが書き殴った数式を示して説明する。
「ブルーボールの表面は次元断層のような界面になっており、こちらの空間を球状に切り取っている。そして、内表面には信じられんほど強力な磁場が発生しているようじゃ。周囲に観測された磁場は、次元界面の外表面に生じた僅かな空間の歪みによるものじゃ」
「そこで、逆にこちら側の空間から強力な磁場を与えることでブルーボール内に歪みを誘発し、ブルーボール内で分離されている物質空間と時間軸を同調させると……」
 サガは書かれた数式を読み解き、その導き出された答えを口にした。ラングレイクは緊張した面持ちで、その効果について推論を述べた。
「我々の予想が正しければ、シドとフレアの肉体は時間の流れを取り戻す。危険な賭だが、うまくいけば彼らの意識を回復させ、我々と会話をすることが出来るはずだ」
「会話だけ? ブルーボールを消滅させ、彼らを救出する事は出来ないのか?」
 サガはラングレイクの説明に驚いた。ラングレイクは別の数式を指し示した。
「こちら側の磁場がまるで足りない。こんな未開の地に送電線を引いてもらっておいて悪いんだが、ブルーボールを消滅させるには、この数百倍の規模の設備と原子力発電所を1ダース以上揃える必要がある。今、僕らに出来ることは、何とかシドたちの意識を取り戻させて、いったい何が起きたのか、それを突き止める事だけだ」
 サガとラングレイクが言葉を失う。ケズラはふたりの肩をポンと叩いた。
「この遺跡の年代測定をさせたところ、ここは世界で初めて確認されたバニシング・ジェネシスの遺跡だそうだ。今まで誰も発見していない時代の遺跡で、シドとフレアがこのブルーボールに取り込まれた。バニシング・ジェネシスとブルーボール。何か関連があると見て間違いなかろう。シドはバニシング・ジェネシスの専門家で、フレアは優秀な物理学者じゃ。捕らわれているのがふたりであったことは、むしろ不幸中の幸いかもしれん。彼らならきっと答えを知っているはずじゃ」
 ニッコリと微笑むケズラ教授に促され、3人は装置の最終チェックに取りかかった。

 装置の準備が終わり、ラングレイクとケズラは軍から支給される夕食を胃袋に納めた。
「軍隊も案外美味いもんを食っとるもんじゃな。こんな樹海の奥地じゃ、食事だけが唯一の楽しみだ」
 ケズラはラングレイクの差し出すコーヒーを受け取ると、美味そうに飲んだ。
「明日はいよいよ稼働ですね。何とか無事に、ふたりが目覚めてくれればいいが……」
 ラングレイクがブルーボールに眠るシドとフレアを見上げていると、そこへ厳しい表情のサガが足早に戻ってきた。サガは食事も取らず、緊急の呼び出しで遺跡の外に設置された支援本部に行っていたのだ。
「ラング! ケズラ教授! 直ちに装置を稼働させて下さい。もはや猶予はありません!」
「直ちにって。稼働は明日のはずじゃないのか?」
 ラングレイクが驚いて立ち上がると、サガが彼の肩を掴み、ケズラと顔を寄せ小声で話し始めた。
「世界各地でブルーアイランドがハッキリと見えるようになりました。今までのような断片的な陽炎なんかじゃない。まるで立体映像のようにハッキリと。ブルーアイランドが重なった都市部などでは、ちょっとしたパニックが起きています。今から10分ほど前、政府も公式にブルーアイランドの存在を発表しました」
 3人は、サガが収集した情報を元に、ブルーアイランドについても分析を始めていた。そしてブルーアイランドは、一つ一つが向こうの世界に存在するブルーボールに似たクライン空間の影であると結論づけていた。
「ハッキリ見えてきたってことは……向こうの空間が落ちてくるぞ!」
「大変だ! 早くこの事を全世界に伝えなきゃ!」
 ラングレイクとケズラは、迫り来る危機に声を荒げた。だがそれをサガが制した。
「避難勧告は出します。ですが、今はまだ情報開示は出来ません」
「バカを言うな! 向こうの空間が出現したら、そこにある町も家もそっくり消滅するんだぞ!?」
 ラングレイクは思わずサガの胸ぐらを掴んだ。
「これは政府の決定です。ここで得られる情報は、最大限我が国で押さえる。いずれ他国もここの存在に気づくでしょう。それまでに出来るだけ多くの情報を手に入れる必要があります」
「こんな時まで国益優先か!」
 ブルーアイランドが世界中に出現する。しかもその後何が始まるのか、誰にも全く分からない。こんな世界的な危機においても既得権を主張するのか。ラングレイクは、サガが国家安全保障局の人間であることを改めて思い知った。
 全員防寒ジャケットを着込み、稼働の秒読みに入る。変電設備が唸りを上げ、電力が注ぎ込まれる。冷却装置が稼働し、冷気が噴き上がる。超伝導磁石が一斉に稼働を開始し、シドとフレアが眠るブルーボールを強力な磁場で包み込んだ。
 ついに、シドとフレアの強制送還が始まった。

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