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 act.24 回合
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 聖魔の森の帰還は一段落し、均衡状態に達した。カヤの門より続いていた冥界の森はそのほとんどが2007年へと移動し、クマーリ門より続く森も、半数が999年のパレル世界へと帰還した。この結果、300近く存在した聖魔の森は、時空の狭間、パレル世界、2007年へと3分割されたことになる。特に、パレル世界に帰還した森は、時空の狭間へ残る森と往来が可能であり、結果としてケムエル神殿のカヤとクマーリ2つの結界は事実上その効力を失った。予言者ギの残した遺産は、ここにその役目を終えたのだ。
 一方、999年のパレル世界の住人にとっては、冥界の森の行方は知る由もない。カヤの門、クマーリの門、それぞれの結界から続く森は、互いに独立した存在だった。かつて繭使いリケッツとレバントが活躍した時代にも、先のリリスの変でレバントが黒繭を紡いだときも、直接横断する道は存在していない。唯一2つの森が交わる場所、それは御神木のたもと、即ちエルリムがいる場所であった。フレア=キュアは、エルリムが2007年へ出没する事を予見した。冥界の森が2007年に出現した今、エルリムはまさに2つの時代に手を下せる場所にいる事になる。残された時間が少ないというゼロとメロディーの予感は、まさに正鵠を射ているのだ。

 エルリムの計画が着々と進行する中、新生魔攻衆も決して後れを取ってはいなかった。ケムエル神殿の魔攻衆は、日を追う毎に攻勢を強め、特に青の繭使いコリス率いる部隊の進撃は凄まじかった。そしてその結果、ついに新生魔攻衆は、先行する八熱衆の背後を捉えたのである。
 ある森を合流場所に十数名の魔攻衆が集結していると、偶然そこへ八熱衆参之者サムガが現れた。魔攻衆たちは多くの負傷者を出しながらもメタルゾーンを効果的に駆使し、サムガを徐々に追い詰めていった。そしてついにサムガの第八の封印が発動し聖魔獣と化したところへ、コリスが駆けつけたのである。
「案ずるな。わたしも後から行く」
 コリスは自我崩壊し狂獣と化したサムガを倒し、死にゆくかつての同胞に別れを告げたのだった。
 損害を被りながらも八熱衆の一人を倒した事は、魔攻衆の士気をいよいよ高めることとなった。ウー以下新生魔攻衆は、エルリム討伐への確かな手応えを実感したのである。

 そしてコリスがサムガを倒したのと丁度同じ頃、メロディーは竜神ケムエルの手がかりを探すため、単身辺境の聖魔の森を巡っていた。大きな森から時空の狭間を飛び越え、一本道の小さな森へと差し掛かった。辺境のせいか、聖魔の姿さえ見あたらない。
「ここも何にも無さそうね……アラ?」
 道から少し外れた森の中に、大きな骨が見える。近付いてみるとそれは、巨大な蛇か何かの骨のようだった。半分土に埋まった肋骨のアーチが続いている。
「ワー、スゴーイ!」
 メロディーは背骨の連なりを見上げながら、骨のアーチの中を歩いていった。
「なにアレ?」
 不意に前方に大きなイガ栗のようなものが見えた。メロディーより少し小さいその固まりが、モゾモゾと動いている。
「あ、森人ヤム!」
 メロディーはヘブンズバードを憑着し、一気に近付いていった。
「ウワ! やべ! 見つかった!」
 突然飛来した純白の人影に、イガ栗が慌てて逃げ出した。ポッカリ空いた原っぱに出る。メロディーはイガ栗の周囲を旋回し逃げ場を封じると、彼の前に着地した。進退窮まったイガ栗は、いきなりその場にひっくり返り、手足をジタバタさせながらだだっ子のように泣き出した。
「ウワー、ヤダー! 死にたくない! 死にたくないよー!!」
「ちょっと。誰も殺しやしないわよ」
 メロディーはその反応を呆れながら見下ろした。イガ栗のようなずんぐりした体。飾りの付いた粗末な槍。間違いない。ジルの記録にあった森人ヤムだ。キキナクと同じ元聖霊で、聖魔の森を熟知している。メロディーはヤムを落ち着かせるため話し掛けようとした。バタつかせる短い足が目に留まる。そのプヨプヨした足の裏を見て、メロディーはハッとした。思わず足を掴み土をはらう。
「これは! ケムエルの紋章!」
 なんと、ヤムの右足の裏にも、メロディーたちと全く同じケムエルの紋章が刻まれていた。くすぐったがりジタバタしているヤムを問い詰める。
「アンタ、ヤムよね。元はエルリムの聖霊だったアンタが、何でケムエルの紋章を持ってるのよ?」
「ウヒャヒャ、ウエ?」
 メロディーは憑魔陣を解除し、右手のケムエルの紋章を見せた。ヤムは跳ねるように起き上がるとメロディーの紋章をジッと見つめた。瞳いっぱいに涙を浮かべると、泣きながらメロディーに抱きついた。
「ウワ――ン!!」
「ちょっと……どうしたのよ?」
 一向に泣きやむ様子がない。仕方なく、メロディーはその場に座り込むと、そのままヤムを優しく抱いてやった。外見とは異なり、トゲだらけのヤムの体は、フエルトのように柔らかかった。
「ピーちゃん、誰か来たら教えてね」
 周囲を警戒するため、ヘブンズバードを近くに放す。こんな所を聖霊や八熱衆に襲われたら大変だ。ヘブンズバードは、メロディーの回りをうろうろ歩き回り、近くの枝にとまった。
 どれくらい泣き続けただろう。ヤムは泣き疲れ、そのままウトウトと眠り始めた。メロディーはヤムの頭を優しく撫でながら、パレルの子守歌を歌ってやった。

   緑萌ゆる永遠(とわ)の都(みや)
   栄え打つ時の槌(つち)
   黄金(こがね)砂とて
   明日あれパレル遙かに

 それはまったくの偶然だった。小さな森の反対側から、聖霊マハノンが現れたのだ。しずしずと小道を進むと、森の奥でキラキラと輝く純白の光に気がついた。
「……あれはヘブンズバード。もしや、カフー?」
 気付かれぬようそっと近付く。だが、ヘブンズバードの主はカフーではなかった。そしてマハノンは、風に乗って聞こえてくるその子守歌に愕然とした。
 突然ヘブンズバードが気配を察知し、メロディーたちを守るように舞い降りる。
「どうしたの、ピーちゃん?」
 ヘブンズバードが威嚇する先に、純白のドレスを着た聖霊マハノンが現れた。メロディーはヤムを起こすと、すかさず憑魔甲を構えた。
「待って! 争うつもりはありませぬ」
 マハノンは戦う意志がない事を告げると、メロディーを刺激せぬようそっと近付いてきた。
「私はマハノン。生命と豊穣を司る聖霊。貴方と是非、お話がしたいだけ。……座ってもよろしいかしら?」
 マハノンはシロツメクサの絨毯に、そっと腰を下ろした。メロディーはまだ警戒を解かない。彼女の背中には、怯えたヤムがしがみついている。マハノンは小さくため息を吐くと竪琴を取り出し、そっとつま弾き始めた。
「え!? この曲は……」
 それはパレルの子守歌であった。メロディーが戸惑っていると、マハノンが竪琴を奏でながら話し始めた。
「これはエルリム様より賜りし大切な曲。しかし、歌詞はありませぬ。貴方は先ほど、この曲を歌われていました。魔攻衆の貴方が何故この曲を? それに、その神聖魔ヘブンズバードは、誰にでも懐く聖魔ではありませぬ」
 メロディーはマハノンに戦う意志がない事を理解すると、再びその場に腰を下ろした。そしてマハノンの演奏に合わせ、パレルの子守歌を歌い始めた。

   緑萌ゆる永遠の都
   栄え打つ時の槌
   黄金砂とて
   明日あれパレル遙かに

 メロディーはハッとした。マハノンが竪琴を奏でながらハラハラと涙を流し始めたのだ。演奏が終わっても、マハノンはまだ涙を流していた。
「なぜ……泣いてるの?」
「分かりませぬ。ただ、その歌がどうしようもなく悲しいのです」
 メロディーは改めて自己紹介をした。
「この曲はママが歌ってくれた子守歌よ。ピーちゃんは、卵をカフーから譲り受けただけ」
 しばしふたりは、和やかに会話をした。
「よく森人を見つけられましたね。森人は我ら聖霊でも探せませんでした」
 ヤムがメロディーの背中にギュッとしがみつく。マハノンは優しく微笑むとヤムに告げた。
「ご安心なさい。他の聖霊はともかく、私は貴方を害するつもりはありませぬ」
 生命と豊穣を司るマハノンは、元々平和を愛する聖霊であり戦いは好まない。メロディーは彼女との会話でその事を実感すると、この戦いを平和に終わらせる事は出来ないかと切り出した。マハノンもまたその考えに共鳴し、ふたりはその方法を模索し話し合った。だが、ゲヘナパレ帝国の聖魔大戦より600年。それは容易い事ではない。
「私の力ではエルリム様に進言する事は出来ませぬ。しかし、同じパレルの子守歌を継ぐ者同士、これ以上血を流すことなく平和を迎える道は必ず見つかるはずです」
「とにかく、また話し合いましょ。この次はわたしの双子の兄も連れてくるわ。あいつも子守歌を継ぐ者だし。仲間は多い方がいいでしょ」
「はい。私も仲間となる者を探してみます」
 魔攻衆と聖霊は分かり合える。メロディーとマハノンは固く握手を交わし、平和のために力を尽くす事を誓い合った。

 再会の約束をしマハノンを見送ると、メロディーは原っぱの真ん中で新しい希望を噛み締めていた。今までエルリムを倒すことだけを考えていたが、確かに話し合いで決着する可能性もある。そしてそれが最も望ましい結末を迎えられることは言うまでもない。
「よーし、やるぞ──!」
 こぶしを振り上げ興奮冷めやらぬメロディーは、裾を握ったままこちらをジッと見上げているヤムに気が付いた。
「そうだ。竜神ケムエルも話し合いなら絶対力になってくれるわよね。あんた、森に詳しいんでしょ? ケムエルの縁(えにし)ある者なら、当然竜神ケムエルの居場所も知ってるわよね」
「ケムエル?」
 ヤムはキョトンとすると、裾を掴んだまま来た道を戻り始めた。
「ケムエル、死んじゃった」
 ヤムは、先ほどメロディーが通った巨大な骨を指さした。
「やだ、ちょっと……冗談でしょ!?」
 メロディーは背骨に沿って走り出した。ツタに覆われた茂みの中に、巨大な龍の頭蓋骨が横たわっていた。
「そんな! あたしたちを呼んどいて、いったいどういう事よ!」
 希望は瞬く間に不安へと変わった。頼みの綱の竜神ケムエルが既に死んでいるなんて。ヤムの話によると、300年前、繭使いリケッツ,レバント親子が聖魔の森を時空の狭間へ封印するとき、竜神ケムエルはその力を使い果たしたのだという。そして死ぬ間際、最後の力でレバントを不死に変え、辺境のこの森で静かに息を引き取ったのだ。
「それじゃもう、エルリムに対抗できる力は存在しないの? ケムエルの繭塚もオニブブも、エルリムの自由になっちゃうの?」
「メロディ?」
 心配そうにヤムがメロディーを見上げている。メロディーは、ヤムをギュッと抱きしめた。

 * * *

「爆撃計画だって!?」
 ブルーアイランド対策本部を訪れたサガは、対策会議の席上で軍部の提出した計画に驚いた。
「君の情報通り、ブルーアイランドにはドーム状の有効高度が存在する事が確認できた。モンスターが森の中では無敵なのであれば、その見えないドームの上空から絨毯爆撃を加え、森ごと焼き払ってしまえばいい」
 軍参謀の言葉に、サガは激怒して立ち上がった。
「森が増殖した報告を読まれてないんですか! 爆撃なんかしたら、それこそ火に油を注ぐようなものだ!」
「サガ君。君の懸念はもっともだ」
 大統領補佐官がサガを制した。
「無論、増殖のリスクは承知している。だが、我が国としても、足並みを揃えぬ訳にもいかんのだ」
「足並みを揃える?」
 サガの疑問に、補佐官が話を続けた。
「国連の非公式協議により、各国とも明朝をもって聖魔の森への一斉攻撃を行うことが決定された」
「まさか! 増殖の可能性について警告しなかったんですか!?」
「我が国には例のブルーボールがある。ブルーアイランドが世界中に出現したのも、シド教授があの遺跡を発見した事がきっかけではないか。我が国としても、あらぬ嫌疑を掛けられぬためにも、不用意な情報開示は絶対に避けねばならん」
 サガはその言葉に愕然とした。いまやシド夫妻は、世界に危機をもたらした元凶として見られているのだ。これが真実を解き明かした者への仕打ちだというのか。サガは崩れるように椅子に座った。

 翌朝、国内7つの森に対し絨毯爆撃が開始された。攻撃は数時間に及び、森は完全に炎に包まれた。サガは大統領補佐官たちと共に軍用ヘリに乗り込み、焦土と化した森の視察に向かった。
「各国とも、無事に森を焼き払えたようだ。どうやら、増殖の心配は無用だったようだな」
 上機嫌な補佐官を前に、サガは未だ不安をぬぐえずにいた。
『この程度で済むはずがない!』
 前方に、黒こげになった聖魔の森が見えてきた。火は未だくすぶり続け、もうもうと黒煙を上げている。サガは双眼鏡で地上の様子を見た。焼けこげた異形の樹木が続いている。確かに、地上に動く物は見あたらない。
『聖魔がいない。高次元構造体の彼らが、この程度の炎でやられるとは思えない。やはり森が消失した事で、エネルギー場を維持できなくなったという事なのか?』
 サガは疑問に思った。フレアの推論では、エネルギー場は地中に浸透したナノモジュールによって生み出されているはずだ。表土が焼けた事で、ナノモジュールも破壊されたのだろうか。
『そういえば、各国から収集した情報でも、聖魔は確認できたが、メガカルマは1体も確認されていなかった。超文明を持つエルリムが、この程度の攻撃でやられる聖魔の森を、何故送り込んできたんだ? それとも……』
 その時、煙の中に何か大きな物陰が見えた。サガは思わず叫んだ。
「機長! 10時方向、煙の中に何かある!」
 ヘリが風上へと回る。煙の中に、紫色のタケノコのような物が見える。高さは20メートル近くありそうだ。
「爆撃する前には、あんな物は見られなかったが……おい! 伸びるぞ!」
 まさにタケノコのように、地中からメキメキと伸び始める。その姿はまるで、紫色の三角帽子を積み重ねたようだ。
「1段、2段、3段……何なんだ、あれは?」
「おい! あっちにもあるぞ!」
「あ! 向こうにも!」
 森のあちこちから次々と生え始めていた。高い物では100メートル以上に成長した。積み重なった三角帽子の形状が徐々に変化してきた。端の部分に何本も亀裂が走り、傘の骨のように別れていく。頂上部分は小山のように丸みを帯び、側面には青いレンズのような出っ張りが次々と浮き出てくる。サガは自分の目を信じたくなかった。
「あれは……まさか破滅の蟲ヨブロブ!?」
 地面から生えだした突起は、ヨブロブが積み重なったものだったのだ。人類は、最悪の敵を呼び起こしてしまったのである。
「サガ君、あれは何なのだね?!」
「あれは最強の生物兵器です! どうやらエルリムは、我々の文明を滅ぼすつもりらしい。補佐官、直ちに非常事態宣言を! あいつは森に関係なく自由に活動できます!」
 サガたちを乗せた軍用ヘリは、直ちに全速力で帰投した。

 * * *

「その聖霊、本当に信用できるのか?」
 翌日、辺境の森の同じ場所で、メロディーはゼロを伴いマハノンが来るのを待った。
「彼女は信用できるわ。竜神ケムエルが死んでる以上、彼女を頼るしか方法がないでしょ」
 メロディーは気乗りがしないゼロに答えた。今日はヤムの姿はない。メロディーはヤムに、来ないように告げておいたのだ。
 ヘブンズバードが気配を察知した。どうやらマハノンが来たようだ。森の中から2つの白い人影が現れる。
「メロディー。お待たせしてごめんなさい」
 マハノンは連れてきたもう一人の聖霊を紹介しようとした。だがその瞬間、ゼロとその聖霊の血が沸騰した。
「マテイ!!」
「ゼロ!!」
 ふたりは一瞬にして戦闘体勢を取り飛び立った。マハノンとメロディーが制止する間も無く、空中でゼロの剣とマテイの巨大な爪が激突した。力は互角だった。ふたりの凄まじい剣圧に、お互いの背後の森がズタズタに吹き飛んだ。メロディーとマハノンは慌てて鍔迫り合うふたりを止めた。
「止めるな、メロディー!! こいつはミントの仇だ!!」
「何のマネだ、マハノン!! シャマインの死を忘れたか!!」
 マハノンとメロディーは、マテイとゼロを羽交い締めにして押さえた。
「承知しています。ですが、ここは私に免じて、どうか剣を納めて下さい!」
「落ち着きなさいよ! 今日は話し合いをするんだって言ったでしょ!」
 ふたりの必死の制止に、ゼロとマテイはようやく戦うことを止めた。
 小さな原っぱの中央で、2度目の会談が始まった。メロディーとマハノンは相方を押しとどめるように座っている。メロディーが目配せすると、マハノンは竪琴を取り出しパレルの子守歌を奏で始めた。
「その曲はよせ、マハノン!」
 マテイは憮然として告げた。だがその竪琴の音色に、メロディーが歌を重ねた。メロディーは肘でゼロの脇腹を突き、一緒に歌えと促す。ゼロも渋々歌い始めた。

   緑萌ゆる永遠の都
   栄え打つ時の槌
   黄金砂とて
   明日あれパレル遙かに

「この歌は……」
 マテイの心の奥底から、大いなる悲しみが込み上げてくる。瞳に涙が押さえようもなく溢れ出す。マテイはたまらず口元を押さえ、横を向いた。エルリムをも超える力強い願いが、マテイの体を締め付ける。
「これは……いったい何なのだ!」
 その優しくももの悲しい歌に、4人はしばしの間身をゆだねた。

 マテイは厳しい表情で告げた。
「人間は欲望にその身を翻弄される。ねたみ、憎しみ、裏切り。エルリム様は、浅ましき人間どもに平安の世を築かせるべく導いてこられた。だが、幼きお前達はその度に煩悩に焼かれ、パレルの大地は血と涙に塗られた。エルリム様はやむなく三度も終末をお与えになり、そしてようやくゲヘナパレ帝国が建国された。だが、エルリム様の願いが届いたかと思えば、またしても人界は欲望にただれていった。あげく、恐れ多くもエルリム様を遠ざけ、蛮行を繰り返してきたのだ。お前達はそれでも、エルリム様の加護無しで生き続けられるというのか!」
 身にまとったゲヘナパレ帝国錬金術師の闘衣から、ジンたちゲヘネストの矜持がこみ上げる。ゼロはひるむことなくマテイの指摘に真っ向から反駁した。
「確かに帝国は腐りきっていた。だが、腐敗する帝国にあっても、錬金術師たちはより良い国へと変える熱意を常に抱いていた。その子孫はエルリムのいないパレルを受け継ぎ、こうして600年生き続けてきた! それに……」
 ゼロは更に、自分たちの秘密を明かす覚悟を決めた。
「ボクたちふたりは、1000年後の未来から来た人間だ。確かにボクたちの時代でも、殺人も戦争も無くなってはいない。だが人間は、自ら滅びを選ぶほどバカじゃない! 2007年の未来では、既に17億にも増えた人類がこの星で生き続けている。そしてこの先の1000年間も、エルリムも君たち聖霊も存在していない。人間にエルリムの加護は必要ない!」
「馬鹿な! 我らがもうすぐ消えるだと?」
 マテイは思わず立ち上がろうとした。マハノンが慌ててそれを止めようとすると、マテイは分かっているとばかりにその手を遮り腰を降ろした。
「自ら滅びかねぬ危うい世界にあっても尚、エルリム様の御加護を拒むというのか」
「例えこれからもどれほど血を流すことになろうとも、人間は自らの手で未来を繋ぐ。それが後世を受け継いだボクたちの使命だと思う。それでももし、人間が滅びてしまったのなら、それはボクらが愚かだったというだけだ。神の手助けはいらない!」
「話にならん!」
 マテイとゼロの意見は、完全に平行線で終わった。だがそれでも、ふたりの意識の中には、お互いを尊重する思いが芽生え始めていた。
 会談をこのまま決裂させたくはない。場の雰囲気を和らげようと、マハノンとメロディーはわざと話題を変えた。
「それにしても、聖霊の私が知っている曲が、パレルの子守歌として1000年後にも歌い継がれていようとは。まったく、不思議なこともあるものですね」
「うちの家系だけに伝わっている歌みたいよ。キュアという魔攻衆がこの歌を知っていて、彼女がわたしたちのご先祖様らしいの」
 ふたりは何気なくパレルの子守歌へと話題を振った。だがそれに対し、ゼロは思いも掛けない真実を告げた。
「それほど不思議な話じゃないさ。キュアは元々、聖霊のプロトタイプだったんだから」
 メロディーは驚いてゼロを見た。
「キュアが聖霊のプロトタイプ? どういうことよ、いったい?」
 ゼロはマテイたちをジッと見つめ、何かを考えながら話を続けた。
「ボクが予言者ギの力でこの時代に帰ってきたとき、たまたま5年前のキュアを見たんだ。父さんがカフーに取り憑いた聖霊のプロトタイプの話をしていただろ。当時はカルマと呼んでいたけど。男のプロトタイプと対をなす女のプロトタイプとして、おそらくエルリムはキュアを生み出したんだ。そしてカフーがレバントを倒したとき、失敗作と思ったのか、エルリムはキュアを人間へと変えた。それが魔攻衆キュアの正体さ」
 その話を聞き、マテイはフッと笑った。
「なるほどな。それでキュアとやらもあの曲を知っており、子孫であるお前達も受け継いだということか。聖霊の血を引くのなら、神聖魔が従うのも頷ける」
「そいつはまだ分からないよ」
 ゼロはマテイの理解にくさびを打った。ゼロは、マテイとマハノンのその姿に、大きな疑問を感じているのだ。
「ボクたちが聖霊の子孫と呼べるかどうかは、まだわからない」
 マテイもマハノンも、メロディーでさえも、ゼロが何を言いたいのか理解できなかった。ゼロはゲヘナパレ帝国で見てきた事実を語り始めた。
「ボクはゲヘナパレ帝国に飛ばされていた2週間の間に、錬金術師工房長のジンに連れられ残存聖霊の掃討作戦に参加した。そこで見た聖霊は、体つきは人間と同じだったが、表情はむしろライオンに近かった。その後、ジンはエルリムに特攻をかけ、聖霊の揺りかごを完全に破壊した。かつては聖霊アモスだったキキナクも、エルリムは二度と聖霊を生み出せなくなったと言っている」
「貴様……何が言いたい」
 マテイは怪訝な表情で次の言葉を待った。
「ボクもキュアが先祖と知って正直驚いた。ボクたちも聖霊の子孫なのかってね。だが今こうして君たちを見て確信したよ。5年前、キュアは人間にされたんじゃない。人間に戻されたんだ」
 マテイとマハノンはゼロの言葉に愕然とした。
「マテイ。君たちは元々人間なんじゃないのか?」
「貴様!」
 マテイの鋭い爪が伸び、ゼロの喉に突きつけられる。だがゼロは微動だにせず、じっとマテイの目を睨んでいた。
「マテイ。ボクからもお願いする。戻ってエルリムに伝えてくれ。人間はあなたを必要としないと!」
「クッ……」
 マテイは唇を噛み、ゼロを睨み返した。マハノンが突きつけた左腕にそっと手を添えている。マテイは視線を切り爪を元に戻した。審判の聖霊に相応しい森厳な表情に戻ると、すっくと立ち上がった。
「残念だが、もはや寄るべきものは無い。帰るぞ、マハノン」
 マテイは純白のローブを翻し背を向けると、少しだけ振り返りゼロに告げた。
「次に会うのは戦場だ。その時まで、その命預ける」
 そう告げると、マテイは会談の場を後にした。マハノンは何も告げられずひと目メロディーを振り返ると、森へと消えていくマテイを追った。メロディーは立ち上がると、マハノンの背中へ叫んだ。
「わたし、諦めないからね! マハノン、あなたも諦めないで!」
 ふたつの純白の人影が、深い森の中へと消えていった。メロディーは呆然と見送ると、不意に振り向いてゼロの頭をパカンと殴った。
「あいた!」
「何やってんのよ、アンタ! せっかくのチャンスだったのに!」
 ゼロは頭をさすりながら立ち上がった。
「仕方がないだろ〜。ボクらも神殿に帰ろうぜ」
 こうして会談は決裂した。だが4人は、それぞれの心に僅かな兆しが芽生えた事を感じていた。

 4人が去った小さな原っぱに、静かに風が流れた。不意に、原っぱの中央に、黒い闇が水溜まりのように広がる。
「いっちゃった」
 闇の中から、ゆっくりと森人ヤムが姿を現す。その背中には、ガリガリに痩せこけた少年を負ぶっている。少年は、途切れそうな意識の中、顔を上げる力もない。だがその表情には、笑みが浮かんでいた。
「……これは……最後の希望だよ、マモン……」
 少年は、柔らかい森人ヤムの背中で、再び気を失った。

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