寺井美津子の初リサイタルを見る   山野博大


 藤田佳代舞踊研究所では、幹部のダンサーによるリサイタルを、このところ一年に一人のペースでずっと続けて行なって来ました。藤田氏の「5人は舞踊家として独り立ちさせよう」という計画も、もう今回が5人目。アンカーを勤めたのは寺井美津子さんでした。その《寺井美津子ダンスリサイタル1》は、7月31日に神戸朝日ホールで開催されました。500の客席は超満員。
そのプログラムは、
  寺井美津子振付「蝶の肖像」
  寺井美津子振付「記号の丘[Λ]」
  藤田佳代振付「赤椿」
  寺井美津子振付「月明かりの下で」
というもので、藤田佳代舞踊研究所のダンサーたちが総出演。特別出演に二期会所属のメゾソプラノ竹本節子さん、ピアノの岡本和子さんという豪華な顔ぶれとなりました。
 「蝶の肖像」は、幕が開くと黒い衣裳のダンサー12人がポーズしているところが見えます。「蝶」の踊りということになると、きれいな衣裳のダンサーがひらひらと舞うところを誰もが予想すると思うのですが、地味な黒の上下のダンサーたちが、客席に向かってじっと立っているので、ちょっとびっくりさせられます。4人づつ、3つのグループに分かれて、ゆっくりと動きはじめます。しだいに群が乱れて、さまざまに融合して行くのですが、いつまでたってもひらひらの蝶の乱舞にはなりません。藤田佳代さんの舞踊は、バレエや普通に行なわれているモダンダンスとはかなり違った印象のものです。それは彼女がただやたらに動くということをしないからです。ひとつひとつの動きをじっくりと吟味して、たんねんにこなして行くのが藤田流だと私は思っています。その藤田流を寺井さんも踏襲してこの「蝶の肖像」を作っているのだということが、すぐ分かりました。たくさんの動きをしなくても、ひとつひとつの動きにしっかりと力が入っていて、それがきちんと仕上がっていれば、充分に観客をなっとくさせることができるという考えで作品が貫かれているのです。
 しばらくすると、舞台後方の紗幕の後をダンサーがひとり、またひとりと通過するシーンとなります。よく見ると、ダンサーたちは黒い衣裳の片肌を脱いでいて、下から白い衣裳がちらりとのぞいています。ここまで来て黒い衣裳の12人が、蝶のさなぎであり、いよいよその羽化が始まったのだということが見えて来ます。さらに黒い衣裳を脱ぎ捨てて白いひらひらの付いた衣裳のダンサーたちが登場するところでは、これが蝶なのだということを確信できるというわけです。モダンダンスは、言葉を使わない芸術なので、何がどうなっているのか、よく分からないこともしばしばなのですが、その仕掛けを見ることによって、「なるほど!」「そうなのか!」と納得した時の喜びはまた格別です。モダンダンスを見る喜びの大半は、それが理解できた瞬間にあると私は思っています。
 11人のダンサーが蝶の姿で優雅に動きはじめているのに、一人だけまだ黒い衣裳のダンサーが残っています。それを寺井さん自身が踊っているのですが、ここからしばらくは1対11の構成の舞踊が進行します。寺井さんはプログラムに「わたしの心にすんでいる蝶よ、いでてその姿をあらわせ」と書いています。ここで、蝶になるということと自分の心の在り方がはっきりするということが、この作品のメインテーマなのだということが分かって来ます。なかなか自分の心がはっきりと姿を現わさない状態は、彼女自身の心の葛藤のあらわれであり、そこに観客は「じつは自分もそうだ」と共感するのではないでしょうか。
 次の「記号の丘[Λ]」は、また別の作り方のモダンダンスです。3人のダンサーが登場します。ひとりひとりが「ア!」と声を出しつつ踊るのですが、その「ア!」のニュアンスの違いがさまざまなのです。驚きの声だったり、うんざりした声だったり、疑問の声だったりと、いろいろに聞こえ、それに動きがついて来ます。こういうどうということのないところにおもしろさを見いだして振付をするのもモダンダンスなのだということがお分りいただけたのではないでしょうか。
 藤田さん振付の「赤椿」は、まず上着が赤のダンサー、次にボトムが赤のダンサーと順に出してストレートに赤い椿の咲くさまを表現して行きます。動きがたくさんあって、いつもの藤田流とはやや違うなという印象がありますが、ここのダンサーたちはべつにそれを苦にする様子もなく、どんどん踊ってしまいます。ゆっくりとしか動けないわけではないのだということを、このあたりで見せておこうとしたのでしょうか。藤田さんは、自分の踊りを限定して考えない融通無碍な人なので、イメージが広がって行く状態に合わせてこういうこともやってくれます。そして最後には、全員白い衣裳のダンサーがずらりと登場するので、どうしてこれが「赤椿」なのと言いたくなってしまいます。でもそういう思いのままに何でもやってしまうところが彼女らしくて、私はとても好きなのです。
 開幕前に、藤田さんが客席でお友達と「赤椿」のことを話していたことをとつぜん思い出しました。それはどこかですばらしい椿の花を見たとかいうごく日常レベルの会話で、ごく当たり前のおしゃべりでした。この作品がそういうご夫人方の普通のやりとりの中から生まれているのだと考えてみると、たちまち「納得!」です。
 「月明かりの下で」は、1992年に初演し、1997年に野外舞台で再演しており、今回が3回目の上演だそうです。リサイタルは初めてという人が、こういうレパートリーを持っているということはすごいことです。日本歌曲の独唱と踊りでつづる優しい日本情緒の世界が広がって行きます。ダンサーたちは狐のお面をかぶって、これが狐の世界の出来事という設定にしてあるのですが、悲しかったり、懐かしかったりのひとつひとつのシーンは、すべて人間の感情にストレートに響いて来るものばかり。お客さまには、美しい感傷の余韻を残してお家に帰っていただくという仕掛けです。竹本節子さんは、寺井さんの高校の同級生だそうで、そういう事情を知っていると、このこ舞台はさらに温かいものとして感じられたと思います。


山野博大(舞踊批評家) 1950年代より舞踊批評を書きはじめ、現在は週刊オン★ステージ新聞、音楽之友社発行のバレエ、新書館発行のダンスマガジン、季刊ダンサート、インターネットの東京ダンス・スクエア等に執筆している。藤田佳代先生とは古くからの友人であり、良き理解者のひとり。


山野先生から過去にいただいた舞台批評
*1998.5.30.かじのり子モダンダンスリサイタルvol.1(兵庫県民小劇場)



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