All I Need is…
〜 Ralph -ZERO- 〜
written by KAZMI SAKUMA                                                2/7

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 一刻ほど後、座り込んだままの状態でまどろんでいたエマは、砂利を踏む足音と
間近で揺れた空気に気付き、ぼんやりと目を開けた。
 自分が放り出した鏡を拾っている人影を認めると、嬉しそうに笑いかける。
「サーリア。お帰りなさい、予定よりもずいぶん早いんじゃない?」
「ええ、ただいま」
 丁寧に土埃を拭った鏡を手渡しながら答えたのは、麓でラルフとぶつかった黒髪の
女性である。彼女は左肩に担いでいた荷物を解きながら、旅の様子を語った。
「レイグランドの国境周辺を訪ね歩いていたのだけど、隣国との小競り合いが多くなって、
雲行きが怪しくなりそうだったものだから、予定を切り上げてきましたの。
あまり収穫もありませんでしたし」
「レイグランド!? またずいぶんと遠出したのね」
「だって、この近辺はあらかた訪ねてしまったもの」
「……それもそうね」
 二人は揃って苦笑した。
 何十年――人間の一生分を超えてしまうほどの年月を費やして、サーリアは大陸中を
訪ね歩いていた。彼女がこの家に戻ってくることは年に数回程度である。
 全ては毒に蝕まれ、この山の頂きで時を止められている恋人を助けたいが為――だが、
未だ報われたことはなかった。
「そう言えばあそこの領主、数ヶ月前から臥せってるって噂をちらほら聞くけど、
ほんとなの?」
「おおやけには何も。
ただ、大陸中から高名な医師や薬師が集められているという話なら、ずいぶんと耳に
しましたわ」
「ふーん。噂が本当なら、国境周辺で小競り合いが多いってのも、そのせいかもね。
あそこってば確か、この前の代替わりの時にもお家騒動があって、ざわついてたじゃない?」
「あの時の惨状は……思い出すのも辛いですわね」
「あーやだやだ、今回もまたひと悶着あるのかしら。やるなら自分たちだけで勝手にやれば
いいのよ。平穏に生きてる人間を巻き込まないで欲しいもんだわ!」
「ええ、本当に。……そうならないことを願いますわ」
 瞳に悲しそうな色を映し出したサーリアは、祈るように眼を閉じた。

 しばらくしてエマの隣に腰を下ろし、気を取り直すように尋ねてみる。
「ところで、ちびちゃんは一体どちらへ?」
 エマは両膝に頬杖をついて、けだるそうに溜め息をついた。
「街道沿いにクナって小さな街があるでしょ」
「ああ、たしか質の良い装飾品の生産地でしょう?」
「ん。三月ぐらい前、だったかな。ちょっと天蒼石が必要だったから、クナまで調達に
行ったのよね。その時、どーしてもってうるさいから、あいつも一緒に連れて行ったんだけど、
その時、街の子どもと仲良くなったらしくて。
たびたび抜け出しては遊びに行ってるのよ」
「それであんな格好を……」
 どこにでもいるような少年の姿になっていたラルフを思い出し、サーリアはひとり、
納得したように肯いた。
「簡単な幻術なんだけどね。あたしもあいつも、そのままの姿じゃ歩けないから」
 エマは柔らかな金色の髪に指を絡ませて、寂しそうに目を伏せる。
 この近在の人間は漆黒の髪を最大の特徴としており、それにそぐわぬ者を寄せ付けない
傾向が強いためだ。
 少年にいたっては、少しばかり尖った耳と爬虫類を思わせる太い尻尾というオマケ付き
である。
 突然、横からそっと抱きしめられたエマは、慌てて答えた。
「あ、でも慣れてくるとさ、違う自分になるのも結構楽しいのよね、これでも」
 そう、偽りの姿を寂しく感じるのは、ただの感傷にすぎない。

 誰も傷つくことがないのであれば。
 誰も傷つけずに済むのであれば。
 姿形など些細なことなのだから――。

 それに、少なくともここには、自分の姿を知っていてくれる者たちが居る――それだけで
十分ではないか。
「大丈夫――なのね?」
 サーリアはエマの顔を覗き込みながら心配そうに問う。
「当然でしょ!」
 そう答えるエマに憂いた表情はなかった。
 手を離したサーリアは、口元に笑みを浮かべて別のことを尋ねてみた。
「では、ちびちゃんのことは? 育ての親としては淋しいのではなくて?」
「だ……だぁーれが! 心静かに過ごせる日が多くなって、大助かりってもんだわ!」
 エマはとたんに膨れっ面になり、強がってみせる。
 その様子がとても分かり易くて、サーリアは笑いを押し殺した。
 結局のところ不器用な淋しがり屋なのだ、この友人は――改めてそれを見て取った
サーリアは、なだめるようにして家の中へと誘い、二人は扉の奥に消えた。


 再び静寂を取り戻した森には、紅く染まった落ち葉が風に舞うばかり――。


...to be continued → Ralph -ZERO・3-

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