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クナは鉱山の街である。
規模は小さいながらも豊かな鉱脈を有し、装飾用の貴石を多く産出している。
原石の採掘と装飾品への加工・交易をおもな産業としており、街の中心に位置する広場を
取り囲むようにして、鉱夫たちの集う酒場や職人たちの工房、交易商などが立ち並んでいた。
通りに軒を連ねる商家がそれぞれに店の準備をしている中を、ラルフは駆け抜けて行った。
広場を通り過ぎ、細い路地へと入っていく。
目指す先は、街の中心から少し外れた雑貨商のひとつである。
辿り着いてみると、店の扉は既に開け放たれていた。
間口は狭く奥行きの深い店構えだが、入口とその脇にある大きな窓からふんだんに光を
取り込んでいるためか、あまり息苦しさは感じられない。
そっと店内の様子を伺ってみると、開店して間もない時刻だというのに、チラホラと客の
姿が目に映る。
「おや! よく来ておくれだねぇ、ラルフ!」
しばらく入口できょろきょろしていると、客の一人に小物の説明をしていた中年の女性が、
人懐こい笑顔で迎え入れてくれた。
この店の女主人――ついでに言えば、友人の母親である。
「こんにちは、おば……」
「おっと、おばさんってのはよしとくれよ」
ラルフが挨拶しようとするのを遮り、女主人は大袈裟に肩をそびやかす。
「その言葉を聞くだけでも老けた気になっちまうんだからね。ノイラと呼んでおくれ」
彼女の仕種に思わず吹き出しながらも、ラルフは素直に従った。
ここで彼女に軽口をたたけるほど、人間慣れしてはいないのだ。
「じゃ、こんにちは、ノイラ!」
女主人は満足そうに肯いた。
「良くできました! ところで今日はひとりかい?」
「あ、はい! あの…」
「ああ、ちょっと待っておくれね。うちの悪ガキには今、家ん中の手伝いをさせてるんだよ。
じき終わると思うから、奥でおやつでも摘んでおいで。マーサがいる筈だから」
「ありがとう! じゃ、お邪魔しまーす」
元気よく答えたラルフは、豊富に取り揃えられた商品を楽しそうに眺めながら、奥の部屋へと
足を運んだ。
店の奥と二階は住居として使っている――友人からそう聞いてはいたが、足を踏み入れる
のは初めてだった。
扉を開けた途端に、むせ返るほどの甘い香りが鼻を突いた。
野生の果実にこんがりと焼けた生地の匂い、それに食欲をそそる香料が混じり合っている
ようだ。ラルフは思わず、扉に手を掛けたまま立ち止まってしまった。
「あ、いらっしゃい! いいところに来たわね」
その時、更に部屋の奥の扉から顔を出したのは、四・五歳年上の少女だった。
奥は台所になっているようだ。
彼女――マーサは左手で杖をつき、片足をひきずるようにして中央のテーブルへと近づいて
来た。右手には大きめの皿をバランス良く乗せている。
皿を満たしているのは、おそらく香りの元と思われる、焼きたての菓子なのだろう。
あと一歩というところで杖がテーブルの脚に引っ掛かり、マーサの身体が前のめりになる。
「!!」
咄嗟に手を差し伸べたラルフは、危ういところで彼女自身と皿と、そして皿の中身のいずれも
バランスを保つことに成功した。二人から安堵の溜め息が洩れる。
「ありがと。お陰でバラまかずに済んだわ」
ほっとひと息ついたマーサは、照れ笑いを浮かべている。
人懐こく明るい笑顔は親譲りのようだ。
「あ……あぶないよ、気をつけないと」
「やっぱりまだ慣れなくって。嫌ンなっちゃうのよねぇ」
そう言ってマーサは杖を掲げ、大きく溜め息をついて見せた。
どこか芝居がかった仕種は、やはりあの女主人と親子であることを窺わせる。
「そうだ! ラルフ、あなたお腹すいてない?」
突然のことにどう答えようか迷っていると、返事をするよりも早く、腹の方が激しく空腹を
訴えた。もともと育ち盛りの年頃に加え、今朝は食事も摂らずに走りづめだったのだから、
無理もないだろう。
ラルフは赤面して俯いてしまった。
その様子を見たマーサは、テーブルに突っ伏して笑い転げている。
「もぉ、ラルフったら可愛い! うちの弟と取り替えたいくらいだわぁ!!」
ひとしきり気の済むまで笑うと、甘い香りを漂わせている菓子をひとつ、ラルフに差し出して
くれた。
「ね、これ食べてみて!! けっこう自信作なの!」
それを聞いたラルフは、ぱっと顔を綻ばせる。
「えっ……いいの!? いただきまーす!!」
やはり恥ずかしさよりも食欲の方が勝ったらしく、その菓子をぱくりと口へ放り込んだ。
「!」
「どう…かな……?」
マーサはおずおずとラルフを見つめている。
ひと息に菓子を飲み込んだラルフは、満足そうに答えた。
「うん、おいしいよ、これ!!」
「ほんと!? よかったぁ!」
誉められて安心したマーサは、皿ごとラルフに勧めてから再び台所へと姿を消した。
喜んで次の菓子を口に運ぼうとした時、ラルフの頭上から聞き慣れた声がした。
「おい、姉貴に気ぃつかうことなんてないぜ」
階段から降りてきたのはラルフと同じ年頃の少年だ。
街の子どもにしてはよく日に焼けた褐色の肌で、クセのある黒髪が乱雑にはねている。
それがラルフにとって初めて出来た、そして唯ひとりの大切な友人だった。
「カティア!」
柔和な母や姉とは反対に少しきつめの顔立ちで、ともすれば生意気にも見られがち――
実際、言葉だけ聞いていると乱暴な感じがするのは否めないのだが、不思議なことに
ラルフとは気が合うようだ。
「別に気なんて使ってないよ。本当においしいって。ほら、カティアも食べる?」
「おまえな……。だいたい何でこんなに遅ぇんだよ! 朝一番っつったろ!?」
「ごめん、うちを出るのにちょっと手間取っちゃってさ」
「ったく。ま、いいや。早く行こうぜ! せっかく穴場教えてやるんだからよ」
「うん!」
揃って店の入口から駆け出そうとした彼らを、女主人が奥から呼び止めた。
「二人とも、ちょっとお待ち。忘れ物だよ!」
ラルフたちが顔を見合わせているところへ、小さな包みを差し出してくれたのはマーサ
だった。
「はい、お弁当。気をつけるのよ、ふたりとも」
「おいこれ、ちゃんと食えるんだろーな?」
手を差し出しながらカティアは憎まれ口を叩く。
「んもぅっ! そんなこと言って、いつもつまみ食いするのはどこの誰よ」
マーサはカティアの目の前で包みを引っ込め、軽くにらんで見せた。
「あーあ、やめた。やっぱりあんたにはあげない! 全部ラルフに食べてもらうんだから。ね!
はい、ラルフ」
打って変わって笑顔を見せると、今度はラルフの目の前に包みが差し出される。
「え……えーと……」
「へっ! こいつだってそんなに食えねぇよ! な、ラルフ?」
「あんたが決めることじゃないわよ、ね?」
姉弟の勢いに押され、ラルフは口を挟めないでいた。
考えてみればラルフ自身も養い親との間で同じようなやり取りをしているのだが、
第三者として傍から見た場合には、どう反応すれば良いのかが判らないのだ。
いつも適当なところで仲裁をしてくれるサリィって、本当はすごいんだなぁ、などと
要らぬことまで考えていた。
少し離れた所から三人の様子を眺めていた女主人が、子どもたちを一括する。
「およし! ラルフが困ってるじゃないか」
さすがに二人が大人しくなると、ラルフは胸をなで下ろした。
そこへ女主人が思い出したように声を掛けてきた。
「そうそう、ラルフ。帰りにもう一度寄っておくれ。
あんたの姉さんに頼まれてた指輪の修理、出来てるんだよ」
「……姉さん?」
「こないだ一緒に来てただろ」
(なんだ、エマのことか。本当は姉さんじゃないんだけど……ま、いいか)
敢えて訂正しなかったのは、自分ではうまく説明できる自身がなかった為でもある。
「指輪ってどんなの?」
ラルフが聞き返すと、女主人は奥の棚から瀟洒な造りの小箱を持ってきた。
見覚えのないその指輪には、細やかな金細工の台に真紅――いや、それよりも
黒みがかった石が埋め込まれていた。
光の加減によって血に染まったような紅にも、また闇のような黒にも見える。
じっと見つめていると吸い込まれてしまいそうだ。
「ちょっと古い型だけどね、いい造りの品だよ。きっと大事にしてたんだろうね。
早く手元に欲しいだろうから、持って帰ってあげとくれ」
「うん、それじゃ帰りにまた」
「行ってくらぁ」
口々に応え、少年たちは飛びだして行った。
もちろん、カティアが弁当の包みを忘れるようなことはなかった。
ちょうど広場の端を通り過ぎようとした時、ラルフたちは背の高い人物とぶつかった。
黒い外套を羽織った旅姿の若い男で、腰に吊り下げた大剣から騎士であることが知れた。
「わっ! ごめんなさ…!!」
「申し訳ありませんでした!」
二人は慌てて頭を下げる。
「ああ、こちらは大事ないが……気を付けないとケガするぜ、坊主ども」
騎士は苦笑しながら少年たちを交互に眺めていた。
が、顔を上げたラルフを見て、驚いたように息を呑んだ。そのままラルフを凝視している。
「おまえさんは――!?」
何か言いたそうに口を開いたが、結局それ以上は言葉にならず、
「すまん、勘違いだ。――じゃあな」
そう言い置くと、足早に店の賑わう方へと去って行った。
「おい、今の知り合いか?」
怪訝そうに尋ねるカティアに、ラルフは無言で首を振る。
(でも……なんだろう、懐かしい匂いがした……?)
自分にも理由は分からなかったが、ラルフは街を出るまでに何度も、その男が去って行った
辺りを振り返った。
...to be continued → Ralph -ZERO・4-