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数日後――。
またしても未明にそっと抜けだそうとしたラルフだったが、扉を開けようとした瞬間、
襟首を掴まれて短い叫び声をあげた。
「ホントに学習しないわね、あんたってば…」
エマの呆れたような呟きが頭上から聞こえてくる。
仕方なく自分の部屋に戻ろうとしたラルフに声を掛けたのは、エマの方からだった。
「これ、あんたが持って来てくれたんですってね。サーリアが渡してくれたわ」
そう言ってネックレスの鎖を人差し指に絡め、ラルフからもよく見えるように掲げた。
鎖の先に付いているのは、ノイラから預かってきた指輪である。
「あ、うん」
ラルフはあの夜、箱ごとサーリアに預けたことを思い出した。
「……ありがと。とりあえず礼だけは言っとくわ」
ラルフとは目線を合わせず、ぶっきらぼうに言い放つ。
「いつもそんなふうにして着けてたんだ」
「そうよ。だって着飾るためにつけてる訳じゃないもの」
「じゃ、どうしてさ?」
装飾品とは、自分を引き立たせるために身につけるものではなかったのだろうか?
ラルフはエマの言う意味が理解できず、困惑した。
「これは母の――正確には、母だと思っていた人の形見なのよ。
それに……あたしの犯した罪を覚えている、たったひとつの物だから……」
いとおしそうに、そして苦しそうに指輪を見つめる紫の瞳。
物心ついて以来、エマのそんな顔を見るのは初めてだった。
彼女には自分の知らない世界がある――生きてきた時間の長さが桁違いに長いのだから
当然といえば当然のことなのだが、それを改めて目の当たりにすると、自分が突き放されて
いるような気がして急に寂しさが募ってくる。
「……はじめて聞いた、そんなこと」
「当たり前じゃない、話したことなんてないんだから」
エマは指輪を元どおりにしまいながら答える。
「それはそうだけど…。でも、知ってたらもっと――」
もっと大切に扱ったのに!
あの夜、からかわれて拗ねてしまったラルフは、持っていた小箱を部屋の壁に投げつけた
ことを後悔した。
「大丈夫。壊れてやしないわよ」
ひどく気落ちしてしまった養い子を見て、エマは苦笑する。
「あーあ、仕方ないわね! しばらく休みにするわ」
「え…?」
エマが何を言い出したのか、ラルフには判らなかった。
「休みにするって言ったの。掃除も洗濯も書庫の整理も一切なし!
だからその時間を好きなように使えばいいわ。どこへ行くのも、何をするのもあんたの自由よ」
「どうして急に……!?」
「別に。ただの気まぐれよ。だいたいそんな辛気臭い表情でいられると、鬱陶しいのよね。
こっちまでしんみりしちゃうじゃない。さ、行った行った!」
「あ、うん! うん!! ありがと、エマ!!」
思わぬ言葉に驚きながらも嬉しくてたまらず、エマにぎゅっと抱き着いた。
そしてすぐに重い扉を力いっぱい開け放つ。
「……ラルフ…」
「なに?」
「……いい。何でもないわ。ほら、ぐずぐずしてるなら取り消すわよ!」
「おっと! じゃあ、行ってくるね!」
ラルフは満面に笑みを浮かべて、元気いっぱいに駆け出していった。
その後ろ姿が見えなくなるまで見送っていたエマは、扉にもたれかかったたまま動こうとは
しない。
「何がありましたの、エマ?」
サーリアに声を掛けられてようやく振り向いたエマは、今にも倒れそうなほど青白い顔を
していた。
◇
ラルフはいつものように、カティアの家へとひた走る。
薄暗い森の中も、閑散とした街道も、ざわめいている街並みも、どれも見慣れたもの
ばかりだ。
唯一違っていたのは、店の扉が閉まっていたことだけ。
普段ならば、とうに客が訪れていても不思議はない時刻のはずなのだが、静まり返った扉の
奥からは人の気配すら感じられない。
コンコンコン。
店の入口をノックしても返事はなかった。
窓もしっかりと閉じられており、中の様子を窺うことはできない。
「おっかしいなぁ、どうしたんだろ」
今日はカティアが加工した天蒼石を見せてくれる、そう約束したのに。
仕方なく店の裏側へと廻ってはみたものの、表と同じように扉は固く閉ざされていた。
「一度、広場までもどってみるかな」
時間をあけて出直すことに決めたラルフは、そう呟くとカティアの家を後にした。
裏口の隙間から覗く、射るような視線には気付かぬまま――。
それから一刻ほども経った頃だろうか。
広場の片隅にラルフの姿があった。紅く色付きかけた樹の下で、胡座を掻いてぼんやりと
周囲を眺めていた。
「あーあ、せっかくいっぱい遊べると思ったのになぁ…」
ひとりで呟いていると、尚のこと切なさが募ってくる。知らぬうちに小さな溜め息が洩れて
しまうのだ。
かといってこのまま家へと戻れば、せっかくの機会がムダになる。
こうして何度目かの溜め息をついた時、自分の目の前に細長い影があることに気が付いた。
「よおっ! 今日は一人か、坊主?」
声を掛けてきたのは、先日この広場でぶつかった黒衣の騎士だった。
「あ! この間はすみませんでした!」
男は気にしていた様子もなく、ラルフの横にどっかりと腰を下ろす。
屋台で買ったと思われる揚げものの包みを取り出し、ひとつ口に放り込むとラルフにも
勧めた。
「お前さん、家はどこだい? この街の者じゃないんだろう?」
ラルフは山の向こうとだけ答え、口篭もった。
人当たりの良さそうな相手だとはいえ、正直に話したところで怪しまれるだけだろう。
「そうか。俺の知っている奴と雰囲気がよく似てたんでな。この間は驚いたんだ」
そう言うと、揚げものを頬ばっているラルフを食い入るように見つめた。
(あれ? やっぱり懐かしい気がする……。どうしてだろ……?)
どれだけ考えても理由がはっきりしないため、このことは考えないようにした。
それからしばらく世間話で時間を潰し、午後もだいぶ遅くなった頃、ラルフは再び立ち
上がった。
「よし! もう一度家のほうへ行ってみようっと!」
ここで騎士とは別れ、カティアの家へ向かおうとしたのだが、同じ方向へ行くからと
いうことで、結局連れ立って話しながら歩きはじめた。
次の辻を右に曲がればカティアの家だ――そう思いながら歩いていたラルフは、目指す
辻の辺りに人だかりができていることに気がついた。
するとそれまでラルフの歩調に合わせていた騎士が、
「すまん、先に行く」
そう言って突然駆け出していく。人当たりの良い穏やかな表情は消えていた。
(なにかあるのかな?)
後に残されたラルフは、それでもまだのんびりと首を傾げているだけだった。
...to be continued → Ralph -ZERO・6-