宵闇綺譚
〜よいやみきたん〜
written by KAZMI SAKUMA                                                4/6

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 それより数日前のこと――。
 《主》は、ここよりももう少し山頂に近い場所で、娘の呼びかけに応じていた。


『主様!』
 娘が必死の面持ちで呼びかける。娘の姿は血と泥にまみれていた。
 が、よくよく観察してみると意外と整った顔立ちに、華奢な肢体をしており、腰まで伸ばされた黒髪は今もって艶を保っていた。
 涙で潤みがちな瞳は深い緑色で、《主》に対してまっすぐな視線を投げかけている。
 汚れを落とし、少し上品に着飾れば、おそらくは国内でも十指に数えられるほどの美しさを
持ち合わせているのだろうに……。《主》はふと、そんな思いに捕らわれていた。
『主様、どうか! ――どうかこの方をお救け下さい!』
 娘の傍らには青年が一人横たわっている。
 こちらには、これといって目に付くような傷は見当たらなかったが……果たして眠っている
のか、それとも……。
 娘は自身の傷のために身体のバランスを崩しながら、なおも懇願している。
(何故ダ?)
 《主》の胸の内に、ふつふつと疑問が湧きあがった。
『砂蛇の毒に蝕まれて――……。
医師にも見捨てられたのです……あと幾日も保たぬ、と――!!』

 砂蛇の毒――それは遅効性だが、確実に人の命を奪う猛毒として恐れられていた。
 砂蛇に噛まれたり、あるいは抽出された毒物を何らかの方法で摂取した場合、はじめの
うちは目に見えての変化は現れない。
 だが半年を過ぎた頃から、徐々に身体を蝕みはじめ、一年後には激痛を伴って死に
至らしめる効果を持つのだ。
 原因を突き止めた頃には既に毒が身体中に浸透しており、治療も叶わぬため、苦痛から
逃れるために自ら命を絶つ者もいるという……。

『わたくしの命など差し上げます!!』――娘の声に力がこもる。

(己レガ傷ヲ負ッテイルトイウノニ……)
 まだ新しい傷口からはじんわりと血が滲み出している。
 だが娘は、そんな己れのことをかえり見ようともしない……。

『差し上げますからどうか!!』

 最後の方は悲鳴にも似た、痛ましい声だった――。

(何故、他人ノタメニ ソコマデデキル!?)
 《主》にとっての疑問、それは娘の行動全てであった。




(――妾ニハ理解デキナカッタ……)
 ポツリ…と《主》が言葉を継いだ。

(妾ハモトモト、コノ山ニ棲マウ雑多ナ精霊タチノ集マリデアッタ…。
ソレガ、イツシカ《個》トシテノ姿ヲ成シ――マタ、妾ノ意識ヲ形造ッタモノ)
 様々な精霊達のイメージが、エマの頭をよぎる。

(ソウシテ妾ガ気ヅイタ時ニハ……周リニハ何モ居ナカッタノダ。――何モ)
 この暗い森の中に、ひとりたたずむ《主》の姿が脳裡に浮かんだ。

(故ニ――理解シ難カッタ…コノ娘ノ行動ガ――……。
シカシ…反面、羨マシクモアッタ…ソレホド コダワル相手ガ居ル トイウノガ……)
 淡々と続く《主》の言葉に、エマは何故か心を乱されている。
 ここに、この暗澹たる場所に、目醒めた時にたった一人で、しかも同族の気配すらも
感じられないとしたら、一体どんな気持ちだろうか……。
 エマは我知らず、ラドクリフの腕にギュッ…としがみついていた。

「じゃあ、救けてあげたの? その相手は」
(――イヤ。妾ハ人ヲ癒ス術ナド知ラヌ……。タダ――時ヲ封ジル場ヘト 案内シタダケ……)
「『時を封じる場』?」
 エマとラドクリフが声を揃えて聞き返した。

(コノ山ノ頂キニハ、時ノ流レガ他所トハ異ナル場所ガアル。ソコヘ男ノ身ヲ移シ…)
 娘には、山を降りて男を助けられる者を探すように伝えた、という。
 《主》は、そう告げた時の娘の表情を思い出していた。
 一瞬のためらいと、それを打ち消すかのような決意、そして安堵。
 《主》への返答には、それらの想いがすべて含まれていた。

『はい! 必ず――!!』
 心持ち弾んだ娘の声が、《主》の脳裡に蘇えった。

 必ず――……。


...to be continued → 宵闇綺譚・5

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