「では山を降りる途中で――?」
ラドクリフは娘の側に屈み込み、彼女の状態を確認していた。
(恐ラク…。元々ココマデ辿リ着クタメニ、無理ヲ重ネテイタヨウダッタ……)
「瀕死の状態だな……。これでは――…」
この呟きに《主》はフイッと顔を背け、それ以上の言葉を遮るかのように断定した。
(大丈夫ジャ、ソナタ達ガ居テクレレバ)
「え……? それって一体どういう…」
言葉の意味が汲み取れず、エマが訊ねる。
《主》は肩越しにエマの方を振り返りながら続けた。
(妾ヲ……妾ヲ糧トスレバ、ソノ娘ハ救カル……)
二人は目を見開いた。
「そんな!! それじゃあ、あなたは――」
遣り場のない感情が、言葉となってエマの口をつく。
ゆっくりと立ち上がったラドクリフは、興奮ぎみの少女の小さな肩にポンと手を置き、《主》と
向かい合った。
「もう、決めたのでしょう?」
「ラドクリフ……」
肩を抱かれた少女が、不安げな顔で男を仰ぎ見る。
(ソナタ達ニハ迷惑ヤモシレヌガ…ソコニ居テクレルダケデ良イノダ。
場ヲ安定サセルタメニ……。ドウカ――…)
《主》は胸の前で両手を組み、祈るような仕種をした。
すると、最初二人の前に姿を現した時のように、《主》の身体が光に包まれていく。
輝きは徐々に増し、しだいに輪郭が溶けはじめた。
「やだ……! 姿が――…!!」
大粒の涙がエマの頬に落ちる。それまで男の腕にしがみついていた手を放し、ドンッ、と
正面から拳で叩く。
そこに憤りをこめて。
「ねぇラドクリフ! 何とかしてよ!!」
男は答えない。
「どうして!? どうしてそんな平気な顔――」
「――エマ…」
ラドクリフが重い口を開いた。
「わたしだって、何とかしたいのはやまやまだよ…」
この言葉に、エマは顔を上げた。止め処無くあふれ出る涙を拭おうともしない。
ラドクリフはエマの両肩に手をやり、諭すような口調で語りかける。少しばかり腰を落とし、
相手と視線を合わせるような格好になった。
「だが…いまのわたし達二人の魔法力では、擦り傷を治すのがやっとだ……」
穏やかな物言いではあるが、苦渋に満ちた表情からは、この一言を口にするのが大層辛い
ものであることが見て取れた。
以前の彼ならば、難なく治すことができたはずの傷である。
己れの意志によらず、強引に奪い去られた力――。
それを思ってか、ラドクリフの表情はまた一段と険しくなった。
目の前の精霊は、緩やかに、だが確実に人間の姿を失いつつある。
「そして、これは《主》殿本人がそう望んでいる――。
ならば…それを見届け、事後処理をする方が良いと思うのだが…」
言葉を区切ったラドクリフは、少しだけ表情を和らげ、ちらとエマの顔を窺う。
「それではダメだろうか……?」
エマの全身がグッ…と強張った。
唇をキュッと噛み、無言でうなだれている少女の頭を、ラドクリフは優しく撫でてやる。
(スマヌ…。ソナタ達ニハ、イクラ感謝シテモ足リヌナ……)
おぼろげな姿になった《主》が、二人に向けてフワリ…と笑みを浮かべる。
驚くほど優しい表情をしていた。
その直後、《主》の身体がパアァッ……と四散したのだ。
激しい光と共に――。
...to be continued → 宵闇綺譚・6