総アクセス数
一桁のビジネスマン《行動心理資料》より

【上役にこき使われる】

 どのように冷酷無情な上役であっても、私自身を奴隷にすることは出来ません。
確かに、上役が他人の幸せや利益を気にもかけない冷淡な人間であるため、私の生活に支障が出来ることもあるかも知れません。しかし、どんな上役であろうと、よそよそしい無関心と、わざとらしい冷淡さを、何ヵ月も、何年にもわたって私に受け入れさせることは、絶対に不可能です。私個人としては、本当に薄情な管理者に巡り会ったことは殆どありません。

そういう人間が存在することは知っているし、管理者の地位にある男女の中には、常にこの類の人が何人かいることもわかっているつもりです。重要なのは、この人達がそのままずっとこの地位にとどまるか、それとも昇進するかということではありません。この人達が管理者である間は、大変扱いにくい存在だということです。

 冷淡で非情な上役のもとで働きつづける必要はないと思います。もし、そのようなところで仕事をし続けるとすれば、私を奴隷にしているのは、上役ではなく、自分自身だということになります。私自身が残っているのは、辞めて別の仕事を見つけたとしても、結局は同じような上役に、行き当たるのではないかと恐れているのではありません。

職場を変えることを考える勇気がなくなり、いまのままの方が楽だからだと思ってしまうからです。立ち上がって進むだけの勇気を欠いているのです。おそらく、「いつかは、もっと良くなるだろう」という、むなしい希望を抱いているということになります。

普通、我々は皆、多かれ少なかれ、この種のつまらない恐怖の犠牲になっています。馘になるかも知れない」働きづらい雰囲気になるかも知れない」昇給を認めてくれないかも知れない」などの理由で、上役に恐れをいだくのです。

 時として、我々は、欲求不満の原因を自分のせいにすることがあります。そして、自分の行為や、地位について、非常に批判的になり、自分の優れた意見を引っ込めてしまいます。これまで、我々は、上役に対する恐れを自分への攻撃にすり替えて、重大な精神的打撃を受けてきたのです。これは、全くバカげたことです。

冷淡な上役に対しては、真っ向から攻撃するか、最も人間味のある人物に代えるよう、忍耐強い努力をするかによって問題を解決することです。それが出来ないのなら、出て行けばよいだけです。

 決して奴隷になってはなりません。自分を引き留めているのは、上役ではなく自分自身です。人生をコントロールするのは、他人ではありません。飽くまで自分でなのです。自分で決定を下し、自分のやりたいことを計画し、実行することです。自分にとって一番恐ろしいのは、長い間冷淡な管理者と一緒にいると、つい自分までが、他人に対して冷淡になりはしないかということだと考えます。

backindexNEXT