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一桁のビジネスマン《行動心理資料》より

【忍耐とは力である】

 成功という頂点への道程を、八分どおり昇りきったある指導者は、最近、筆者につぎのような述懐をしております。
「もはや行き詰まったと考えて、二度も職場を辞めるような短気を起こさなかったら、私は、まだ若いときに、もっと素晴らしい成功を、したかも知れないと思う」のだが、と洩らしました。

 その一つは、彼が補佐をしていたある業界連合会の事務局長が、理事長と衝突して全く突然に職を辞したことです。
その出来事が起きたときに、この人が補佐職であれば、幹部となる機会が当然あったのですが、彼は、その数週間前に職を辞していたのでした。
 そして、つぎの職でも、彼はまた、もう昇進の見込み無しと感じて再び職を変えたのです。

 その職を辞めて二ヶ月も立たないうちに、大きな組織の出張事務所の首脳部を、突如として三人も失う出来事がありました。
一人は事故の巻き添えで、一人は病気で、一人は、家族が長期出張にあきたためだったのです。その組織の職員がこの人に、後になってから「貴方が職にとどまっていたならば、二ヶ月後には、間違いなく事務所長になっていた」と云いました。

 多分そのときは、この人の転職は理屈にあったものだと思いますが、その後に起きた変動の発生するチャンスは百分の一という小さいものであったかも知れません。しかし、この経験が説明するように、心理的に焦るときには全体的に総合した立場から、長期見通しの観点が重要になるのです。

「行き詰まりが来た」と感じたときに、よくありがちな忘れ事は、「人間は生身である」ということです。
 十年も同じ地位に座っている上役は、今後二十五年は現役が勤まりそうに思われます。けれども、この上役がいなくなった後のことなどは、想像もされないと感ずるものなのです。

 しかし、とある朝出勤してみると、十五年も務めていた営業部長が、自分で事業を行うために、退職したと聞かされます。
さらに、そのような出来事は類を呼ぶものです。翌日には次長が部長と行動を共にして辞め、その上、担当常務が医者から長期療養を指示されているなどということはよく聞く話です。

 突如としてこの三つの重要なポストを埋めねばならぬ出来事、そして、それに伴う移動は部内の全社員の配置替えに連なることになります。

 われわれがこのような事柄を予期しないのは、これらの人も人間であるからです。ときには、失望し、ときには望みを持ち、ときには彼自身または家族のために計画を立てる人間であることを、忘れているからだと思います。

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