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<行動科学の目で見る>
戦略経営組織論
 ビジネスマンの組織環境

経営組織論?><指導統率力の危機>

リーダーの資格2

3) 経営リーダーとしての諦観主義者はどうでしょうか。
 例えば、自由自在に生きて、悟りを開きます。そして、粗衣粗食に耐えることで自然の生活に溶け込みます。つまり、心の悩みや迷いから解放される喜びを経験すると、必然的にそのような生活様式を、多くの人達に勧めるような立場に立つとしたなら、そのリーダーの存在は、社会を紛糾させることだけに終始する事になります。

4) ルソー式の自然・原始論者
 ときとして彼らは、環境破壊の防波堤になりうることはあったとしても、、社会のリーダーたるには難しい問題が多すぎます。本当に自然にいきる人達は、実は自然のままに生きなければならない人達でもあるのです。
 何とか、もう少し不安と欠乏に苦しむその生活から脱したいと望んだとしても、それをそのまま続けたいとは、絶対に思っていない人達です。こうした事を望む人達は、自分達の考える『自然な生活』が近代社会の基盤の上にあって、その技術を利用する事によって始めて可能であるという事を振り返り、反省する事を欠いているからです。

 もう一度繰り返しますと、人間は社会的動物である以上、これらの感情的な情緒主義者、虚無主義者、諦観主義者、現世否定論者、自然復帰論者は、社会的組織のリーダーを、望んではないけません。また、そうした人達を社会組織では、リーダーとして、起用してはならないと考えます。

 そういう人たちの中には、人間的には優れ能力のある人がいても、それは、権限を持たぬ「相談役」、あるいは、精神安定の役割を果たす補助組織の、シンクタンク的役割に止めるべきであると思います。もし、そういう人が、その限界を逸脱し、現実的権力を持って人を動かす事になれば、かれらの組織や社会を見出すだけであると考えられます。