総アクセス数

人間関係のルール

 すべての人間関係は、ある程度、法のルール(rules of law)に支配されています。
その上に、社会にはそれを構成している人々が、従うべきだと信じている多くの非公式のルール(informal rules)「慣習」「道徳」が存在しております。そのルールの中には、そのルールが破壊されると、人間関係自体が崩壊してしまう重要なものもあれば、ルールが明らかなものと明らかでないものがあります。

 人間関係の殆どはルールに支配されていますが、ここで、ビジネス上とくに注目したいのは、ルールが持っている「機能的」な性質の問題で、それは、人生を過ごしやすくしている点です。
 例えば、交通のルールは衝突を防ぎ、道路を利用しやすくしております。けれども、ルールは同時にある行為をしてよいとか、してはならないと言うように、活動の可能性を限定します。制限の理由は様々で、ゲームやスポーツの場合のように、明らかにその行動がルールによって縛られるものから、人間関係のように緩やかなものまであります。

 一方でルールの軌跡とは、試行錯誤の結果、ある集団の産物として徐々に定着してきたものです。例えば相撲のルール、あるいは野球のルールなどもこのようにして出来、その社会の所属する人達に教えられて普及してきております。また、家庭では、子供は親から教えられ、そのルールに従うように求められています。
 キャンベル(Donald Canpbell)によれば、道徳のルール(moral rule)は、元々、自己本位な生物学的本性を抑制するために社会が必要としたものあるとしています。現代の社会生活は、特に、不正直や反社会的行動を抑制するルールがあることによって可能になっています。もし、ルールがなければ社会は混乱しますし、都市は反社会的なジャングルになってしまいます。

 ルールは、良く過去に関連づけられますが、変化する社会にあわせて絶えず改変されます。キャンベルは、人間行動にとって、このルールの社会的変化の方が、生物学的進化より重要な意味があるとしています。社会には、このルールを変えようとする政治的圧力もあります。例えば、女性は両性間の関係を支配してきた伝統的なルールの変更を望んでいるし、また、若者はセックスについてのルールを変えようとしています。
 他方で社会生物学者(sosiobiologists)は、人間の子供や一族の幸福を守る生得的傾向を持つとしています。確かに、準社会的ルール(pro-sosial rule)の中には生物学的基礎を持つものがあると思います。特に、互いに関心を持ちあうような親密な関係にはそれがあるかも知れません。そして、そのような関係の場合には、社会的ルールなどは必要ないのかも知れません。

 社会的ルールの多くの場合、個人に短期間の不利益と長期間の利益をもたらしています。酒は飲み過ぎたり、食べ過ぎたりしてはいけないというルールも、その一例です。さらに、ルールに従うことは、他者の利益にもなっています。例えば、盗みをしてはならないというルールもそうです。その場合、巡り巡って、個人利益にもなっています。主に他者を益するリールの中には、さらに後押しが必要なものもあります。後押しは法律や道徳的・宗教的リーダーなどから外的に与えられたり、個人の内的な良心(conscience)によって内的に与えられたりします。良心は、幼いときの親による禁止や教え込み、さらに、罪の感情を伴う罰の体験、正しく振る舞ったときの満足感を伴う賞の体験によって成立しているものです。

参考文献:「人間関係のルールとスキル」M・アーガイル/M・ヘンダーソン著、吉村護訳、北大路書房刊。
 
公・非公式の接触 ←前のページへ戻る→ 相互理解