アプリリアRSV250とスズキRGV-γ250


”Aprilia(アプリリア)AF1”は、ロータックス製のロータリーバルブ・タンデムツインを搭載した
イタリアのマシン
1985年にGPに登場しました。

87年のサンマリノGPでは、ロリス・レッジアーニ選手のライディングで
劇的な優勝を遂げています。

翌88年からはシリンダーを90度の間隔に広げたVツイン”AF1V”をデビューさせました

ディディエ・デ・ラディゲスの89年型アプリリアAF1V250。

アプリリアが競争力をつけて来たのは、
ロリス・レッジアーニ、ピエール・フランチェスコ・キリ、マッシミリアーノ・ビアッジ
らを擁する、強力なオールイタリアンチームを結成した92年ごろから。
マシン名も”RSV250”と改名されました。

ピエール・フランチェスコ・キリ(テルコ・バレージ・レーシング)の92 年型アプリリア

94年から、マックス・ビアッジ VS 原田哲也の天才対決という図式で
怒涛の快進撃がはじまります。

マックス・ビアッジ、96年のマレーシアGP

日本にはほとんど入ってきていませんが、
同様の構造を持つ市販レーサー「アプリリアRSV250」もいまやGPでは多数派。

全日本GP250に、市販「アプリリアRSV250」で参戦した”TEAM DAYTONA”の宮崎敦選手。
これは94年、ランキング4位のとき。

02年からはマシン名が「アプリリアRSW250」
となっているようです。

市販バイクの「アプリリアRS250」は「スズキRGV250γ(VJ21A,VJ22A)」
のクランクケースリードバルブエンジンを独自にチューニングしたものを搭載しています。
 




「スズキRGV−γ250」も90年代を代表するマシンのひとつ。
若井伸之というライダーの名前とともに思い出されるマシンでもあります。

若井伸之選手/ケーユー・レーシングサプライスズキの93年型RGV−γ250

90年に登場し、マーティン・ウィマー、ウィルコ・ツェーレンベルグ、ジョン・コシンスキー
などのライダーがGPに参戦しました。
93年、コシンスキー選手が乗った時にはかなりの活躍をしましたが
原田哲也という天才ライダーの出現で勝てるレースを落としたりして
シーズン途中でマシンを降りてしまうなどのハプニングもあり、
本格的に実力を発揮するようになったのは
スズキのお家芸ともいうべきマシンの小型、軽量化が進み、
全日本で沼田憲保選手が活躍しはじめた94年ごろからです。

95年の全日本チャンピオンマシン(XR95)では
トラクション向上を狙って、500の近接爆発の理論を取り入れたエンジンを搭載しました。
’96日本GPでマックス・ビアッジの「アプリリアRSV250」を、
路面にブラックマークを描きながら追い上げた沼田選手のライディングは
鮮烈な印象として残っています。

沼田憲保選手の’96全日本チャンピオンマシン

スズキには、市販レーサー化の意向もあったようですが、
スペシャルマシン的な存在に終わったのは残念。
市販バイクの「スズキRGV−γ250(VJ23A)」はこのバイクのかなり忠実なレプリカのようです。


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