・ペットの死・

物心ついた頃から我が家には動物が必ず同居していた。犬・猫・小鳥・鶏・チャ
ボ・軍鶏(しゃも)・狸・うさぎなどなど、思い出すと随分色々飼ったものだ。
私が動物好きなのは今は亡き父の影響が大きい。父が家を数日開けるときには私
が代わって小鳥の世話をした。しかし、子供の小さな手では出入り口に隙間がで
きる。その隙間から父の大切な小鳥を逃がしたことが何度もあった。しかし、コ
マツナを小鳥用の小さな擂り鉢ですり潰し、それに擦り餌を加え季節に応じて水
で固さを加減しながら餌を作るのは母には無理なので私に頼んだのだろう。動物
が好きでなければ気が回らない事もあるのだ。

最後に熱心に卵から孵してまでして父が飼っていたのは軍鶏(しゃも)だった。
子供の頃にやはり夢中になって飼ったことがあると聞いた。自分で丹精込めて育
てた軍鶏を抱えて田舎の山道を歩いて隣村まで出かけ、軍鶏を戦わせたのだそう
だ。その村の決まりなのか、それとも闘鶏の決まりなのか、負けると鶏を相手に
渡さなければいけないのだそうだ。お金の代わりだったのかも知れない。勝てば
よいが負ければ自分の軍鶏が相手の手に渡り、頚を捻られて食べられてしまうの
だ。父は負けが決まりそうになったとき隙を見計らい、軍鶏を抱えて逃げたこと
があるという。潔く、正直な父の性格からは想像できない事だと思ったが、最近
そうでもなかったのだと思い当たった。

父は小鳥が弱ってくると小屋の扉をわざと開け放して逃がした。逃げてゆく後を
目で追うこともしなかった。私が隠れて小屋を見張っていて「喜んで飛んでいっ
た」と父に伝えた。また、軍鶏を友人の鶏と戦わせてきた日には、酒を飲んでゴ
ロンと横になってウトウトしながら「オー、いてて。オーいてて。」と首を縮め
ながら寝言を言うことがあった。父の様子を見ながら「今日は負けたんだね。」
と母が笑った。自分の鶏が相手に叩かれ蹴られする姿を見ながら父は心の中でそ
う叫んでいたのか、それとも本当に体に傷みを感じたものなのか、今となっては
聞きようがない。こんな父だから生き物の最後を看取るのは苦手なようだった。
本当は見てやらねばならない。愛した生き物であれば最後の最後まで見るのが当
然だが、それができない父の脆さが私にもあることは薄々気付いていたのだが。

私が学生の頃に可愛がっていた犬が死んだ。私が留守中の事だった。様子がおか
しいので病院へ運ぼうと父と母が抱きかかえたら息を引き取ったのだそうだ。帰
宅し犬小屋の前で名前を呼んでも出てこない。裏庭だろうかとそちらに回って縁
の下を覗き込んだが気配がない。仕方なく家に上がり珍しく夫婦そろって炬燵に
あたり、ぼんやりしている両親を見れば母の目が赤い。父が私に事情を話した。
「それで、どこにいるの?」と聞けば「お前が悲しむと思って裏庭に埋めちゃっ
た。」と、言うのだ。私は悲しさと呆れる気持ちが混ざりあい言葉がなかった。
父は自分自身と私を重ねて考えてその様な突飛な行動に走ったのだろう。それと
も私の性格を見抜いての事だったのか。

今、私は6匹のハムスターと生活している。少し前までは7匹だったが、先日原
因不明の病気で1匹死んでしまった。数日間、世話をしたがどんどん衰弱してい
くハムスターを見るのは本当に辛かった。どうしても出かけなければいけない用
事があって家を空けたときにその子は死んだ。手の中で看取ってやりたかったが
それに耐えられない精神的脆さを神様がご存じで、私に用事を作らせたようにも
思えてならない。

「飼うのはいいけど、先に死ぬからもう飼わない。そう言う人がいるけど、好き
なら飼ってあげて欲しい。」と、先日友達が話していた。彼女は拾ってきた猫を
たくさん飼ってきた人だ。辛い体験もたくさんしてきたのだろうが、1匹でも幸
せにしてあげたいと思って大好きな猫を飼い続けている。
ペットの死は本当に辛いが、私も生き物を飼い続けると思う。これまで私を育て
てくれた動物たちへの恩返しの真似事として。(1998.9.10)

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