トラウマ?(臨時掲載:盗聴法)

組織的犯罪の疑いのある場合、被疑者(組織)に対して通信の傍受(つまり盗聴)を認める(合法化する)法案が論議を呼んでいます。
正確には「盗聴法」とは言わないそうですけど、そんなものは言葉のあやに過ぎません。

範囲が限定されているとはいえ、犯罪の疑いがあるだけで他人の通信を盗聴しても良いって?
そんなバカな事が許されるのでしょうか?

「犯罪を犯さなければ、あるいはそのつもりがなければ、普通に生きている限りその疑いがかかることはまず無いだろうから自分には関係ない」と思っているとしたら、それは大間違いです。
犯罪の疑いが思わぬ事から無実の人に降りかかってくることは、トラウマ?2でも紹介したように、簡単に発生してしまうことなのです。

トラウマ?2では、野次馬の無責任で的外れな一言で、私は警察からあらぬ嫌疑を掛けられました。
そして警察は私の言い分を全く聞き入れてくれませんでした。
事実誤認や冤罪は、誰かのたった一言から簡単に発生してしまうものなのです。

同じように、何らかのきっかけでこの文章を読んでいるあなたに、誤認や冤罪が発生しないとも限りません。
そして、一旦疑いが掛けられると、被疑者の言うことには全く耳を貸さないのが日本の警察なのです。
おまけに、疑いが晴れても謝罪の一言もないのが実状です。
あの時の屈辱感や恨みは、私は一生忘れません。

私は、このバカげた法案に賛成した政党を容認することは出来ません。
おそらくこの法案に賛成又は無関心な人は、今まで「たまたま偶然」無実の罪を着せられたことが無い人が多いのではないでしょうか。

でも、今後もその幸運な偶然が続く確証は何もないのです。
そして、何かのきっかけで自分に疑いが掛かって通信を盗聴され、痛くもない腹を探られ社会的には「この人、何か悪いことやったんじゃない?」という目で見られて蔑まれても、その法案に反対しなかった人は文句も言えないのです。
だって、自分がそのことに賛成(又は無関心=法案の可決を黙認)したのですから。

今回はトラウマ?シリーズ本来とは主旨が多少違う内容ではありますが全くの無関係というわけではありません。
盗聴法に関して、どうしても私は上記主張をしておきたく、臨時にこの話をシリーズの一つとして加えました。

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