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近鉄 16000系(近鉄南大阪線 特急)

 幼い頃,一度だけ特急に乗って吉野に行ったことがあるらしい(私は全く記憶が無い).近鉄特急には何度か乗ったことがあるが,南大阪線の特急に乗ったのはこれ一度きりである(Train Simulatorを除いて).平成になり,さくらライナーや16400系といった新しい特急が加わったものの,16000系は第一線で活躍している(大井川鉄道に移籍した第一編成と第二編成を除く).

近鉄

 実家の最寄り駅; 近鉄南大阪線 古市駅
 高校以前    ; 遠足か,あべの橋方面(近鉄百貨店阿倍野店)へ出かけるときのみ 
 高校時代    ; 長野線で通学 (古市駅から滝谷不動駅まで約13分.以降,スクールバス or 徒歩で高校へ
 大学時代    ; 南大阪線で通学 (古市駅から大阪阿部野橋駅まで急行で1駅16分.以降の経路は阪急編JR西日本編をご覧あれ

あこがれの鉄道模型

 電車に乗るといえば,遠足か百貨店に行くぐらいしか機会がなかった.百貨店といえば,近鉄百貨店阿倍野店のことであった.百貨店の鉄道模型売り場にある模型が欲しくてたまらなかったが,地べたに座り込んでだだをこねても,買ってもらえなかった.社会人になった今でも,安月給なため鉄道模型はなかなか手の届かない存在には違いない.ただ,現在は鉄道シミュレーションゲームなるものが誕生して,鉄道趣味の楽しみ方が一つ増えた.これにはまっているため,金を貯めてまで鉄道模型を買おうとは思わない.

玉手山遊園地のおもひで

 近鉄南大阪線の道明寺駅で下車し,12分ぐらい歩くと近鉄玉手山遊園地にたどり着く.遊園地といっても,ジェットコースターのような絶叫マシンや大観覧車はない(小さな観覧車はあった).しかし,入園料が安く(数百円ぐらいだったかな?),小さい子供が十分楽しめる遊戯器具があり,また地面にゴザを敷いてお弁当を食べることができるスペースが十分あるので,ピクニック気分が味わえ,かつ気軽に行ける有料児童公園(笑)として近隣住民に広く親しまれていた.私も,学校や子供会の遠足で行ったし,家族や親戚とたびたび行ったものである.庭園列車,妙に怖いお化け屋敷と100mもある長い滑り台が印象に残っている.
 数々の思い出がある玉手山遊園地であるが,入園者の減少による経営不振には勝てず1998年5月末で閉園されてしまった.蛇足ながら,玉手山遊園地の開業は1908年(明治41年)で,日本で二番目に古い遊園地(西日本では最も古い)だそうだ.ちなみに,道明寺線(柏原〜道明寺)と南大阪線の道明寺〜古市間の開業は1898年(明治31年)3月で,近鉄の中で最も古い路線である.もちろん,道明寺駅も同時に開業された.(そんなことはどうでもいいと言われそうですな)

近鉄電車が塗色変更

 近鉄電車が塗色変更したのが,小学校高学年頃と記憶している.赤茶色一色だったのが,白と赤茶色のツートンカラーに変わった.塗色変更された電車はすべて新車だと勘違いしたこともあったが,よく見ると従来の電車に白いペンキを塗っただけである電車もあることにすぐに気がついた.冷房なしの車両も,もちろん塗色変更されたが,さすがにこれはボロだと一目でわかった.ちなみに,この車両は名前をラビットカーといい,登場時はオレンジ色で高加速減速性能1 を有した高性能通勤電車であり,一世を風靡したそうだ.ラビットカーのことは,ここ1年以内に知ったことで,小学生の頃は冷房なしでボロでウザイ電車としか思っていなかった.

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電車通学

 高校生になって,初めて電車通学した.乗車区間は自宅の最寄り駅である近鉄古市駅から滝谷不動駅まで,乗車時間は13分であった.わずか13分間であるが、朝の10分間テストの勉強をする貴重な時間であった.これ週一日二日ではなく毎日あった。しかも、きちんと採点され、得点がある点以下であれば居残り補習させられるため、みんな結構必死になって勉強していたのを記憶している。

補習授業

 私の通っていた高校では,夏休み・冬休みに補習授業を行っていた.中には絶対参加というのもあった.せっかくの休みがつぶれることより,スクールバスが運行されないことが一大事であった.坂道を延々と30分もかけて歩くことが必要となるからである.
 年越し補習もあったが,私は参加しなかった.正月ぐらいのんびりしたところで,勉強してきたことが一気に無になる訳じゃないでしょうという信念を持っていたからである.

勉強合宿

 一年生の時,野迫川村に勉強合宿に行った.4泊5日だったと思う.勉強に必要なもの以外何もない環境下で一日中勉強に励むというものである.勉強の妨げとなるテレビはもちろんないし,新聞すらない.つまり,俗世間と隔離された環境に,勉強するためだけに送り込まれたようなものである.4泊5日という期間であったから,何とか耐えることが出来たと思う.1ヶ月間だったら,発狂する人が続出していたものと思われる.
 野迫川村の合宿所へは,河内長野駅から南海高野線に乗って高野山駅まで行き,そこからバスに乗って行った.高野山駅から1時間以上かかったように思う.高野線の橋本〜極楽橋間はまるで登山鉄道のような趣があったことを覚えている.当時は,21000系・22000系ズームカーが現役であった.

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長野線100周年

開業年
(西暦)
(年号) 開業日 南大阪線 長野線 会社名
1898 明治31年 3月24日 柏原〜道明寺(道明寺線)
道明寺〜古市
河陽鉄道
4月14日   古市〜富田林
1902 明治35年 3月25日   富田林〜滝谷不動 河南鉄道
12月12日   滝谷不動〜河内長野
1919 大正8年 3月8日 大阪鉄道に社名変更 大阪鉄道
1922 大正11年 4月18日 道明寺 〜 布忍
(藤井寺駅開業)
1923 大正12年 4月13日 布忍 〜 大阪阿部野橋
(阿部野橋〜道明寺間 1500V電化2
1923 大正12年 10月16日 道明寺〜古市間電化 長野線電化
1929 昭和4年 3月29日 古市 〜 橿原神宮前
 (南大阪線 全通)
1943 昭和18年 2月1日 関西急行鉄道3 に吸収合併される 関西急行鉄道
1944 昭和19年 6月1日 近畿日本鉄道 発足(南海鉄道4 との合併により) 近畿日本鉄道
 参照: 近鉄電車ストーリー路線の履歴書

 近鉄南大阪線沿線の実家から離れて早いもので5年目である.実家に行くときぐらいしか南大阪線にしか乗らなくなった今でも,南大阪線への関心は強く,ネットで南大阪線関連の情報を見たり,音楽館のトレインシミュレータ(近鉄南大阪線・吉野線)5 をプレイして運転士になりきって楽しんだりしている6 .つい最近,近鉄のサイトで近鉄の成り立ちを見た際,あることに気づいた.それは,長野線が全線開通してから今年で100年目になることである.ただし,100周年関連の特別イベントを開催したり,記念カードを販売すると情報は今のところ(7/1現在)ない.道明寺線開通100周年(1998年)の時も特別記念カード,切符の類は販売された記憶はない.南大阪線ファンとして残念でならない.


  1. ラビットカーについては,近鉄電車ガイド内 線路の名優 参照.なお,高加速減速電車といえば,阪神の各停専用車両ジェットカーや京阪のスーパーカーが有名である.
  2. 1500V電化は大阪鉄道が国内初である。20m電車(1両の長さが20m)を最初に走らせたのも大阪鉄道である.
  3. 大阪電気軌道(大軌)と参宮急行電鉄(参急)の合併で昭和16年3月15日に誕生した鉄道会社.
  4. 戦後,南海電気鉄道として分離独立した.
  5. 社内情報誌で現在はまっているもの(マイブーム)として思わず紹介してしまった.シミュレータをシュミレータ,運転士を運転手と書くというミスをし,今読むと恥ずかしいかぎりである.
  6. なりきっているといっても,大声で指差喚呼するといったことはしていないので,ご近所の方ご安心を.

近鉄 阪急 JR西日本 番外

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