異界 その壱  

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あかずの間に跳ぶ


北海道「岩見沢の民話」について(1998年8月)

 今回はホームページ上に公開された「岩見沢の民話」を取上げる。
この民話集には以下の特徴がある。

(1)アイヌ民話(昔話)は一切ない。
(2)従って明治以降にこの地に入植した人々の話のみを集めている。
(3)大半は「わしの若い頃こんなことがあった・・・」という思い出話、
開拓の苦労話、少ないが本州から持込んだと思われる昔話、さらに
信仰、祟り、地名起源を扱った話がある。

 ここにある話の多くは「世間話」と呼ばれるもので、伝説や昔話とは明確に
区別される。民話と言う曖昧な言葉より民間説話なる大きな概念に包含する
のが妥当だと思われる。厳密には私のホームページで扱う範疇を越えている
かもしれないが、実は読み進むうちに、伝説や昔話との違いが気になりだし、
相互の影響や何かの契機で世間話が伝説化するといったことがあるのだろう
かという疑問にぶつかった。この疑問が今回「岩見沢の民話」を取上げた理由
である。

1.「岩見沢民話」概要
 冒頭で述べた通り、このHP上の話には思い出話とか苦労話が多い。
「熊討ち物語」は単に狩人が熊を討つ話だし、「渡し場物語」は町の名物男を
取上げているに過ぎない。寒さの厳しい北海道では朝指が動かないという
「ねている指」。
明治天皇のありがたい命令で渡ってきた「武士たちによる岩見沢の開拓」では
私たちの想像を越えた苦難が語られる。「岩見沢市上幌向の開拓生活」には
米・大豆・塩の値段、服装、履物といった日用品、わずかな娯楽などの話題が
つづられている。
いまだにファンの多い「北の国から」という映画で見た主人公の困難をはるかに
越えるものだったのだろう。しかし、こうした思い出話は北海道生活史の資料と
して興味をそそるが、民話としては退屈の一言に尽きる。

 他方、本州から持込んだと思われる話もある。夜一人で歩いていると
どうしても家にたどり着かないので、おかしいと思って振り向くと子狐がいた
という「親子狐物語」。
原生林開拓のため住み家を奪われた狐が木に座って休む人を恨んで
化かした「きつねの丸太物語」。
これらは江戸時代に大流行した稲荷信仰の流れを汲むお話と思われる。
「橋姫さまの話」では、川に橋を掛けようとして2度失敗し、お宮を建てて
祈願したら3度目に成功した。ある夜お宮から美しい娘が現れ、橋を往復して
宮に消えたという。
まぎれもなく「橋姫伝説」から橋の守り神を連想している (ただし橋姫は顔醜く
ねたみ深いとされる)。実際にあった橋の難工事から生まれた話と思われる。

民話らしい形のものに「出かけられる神様」がある。夜道で迷った仙吉は
日頃敬う道祖神に助けられ、以来旅人の守りとして祭られる。
「雪地蔵」でも雪の日に迷った仙吉を日頃祭っていた地蔵が道案内して
助けたというストーリー。これらは信仰と結びついた昔話によくある御利益・
奇跡タイプの話である。他に悲恋のテーマ、教訓話などがあった。

2.民間説話の視点から
 福田晃は「民間説話」(世界思想社 1989)の中で、考察の範囲に世間話、
伝説、昔話を挙げ、論考上神話と語り物を加えて、その消長を次の様に考えた。

(1)神話:古代に発生・定着し、中古(平安時代)以降衰えた。
(2)伝説:かなり古い時代から受け継がれ、中古・中世(鎌倉時代〜)に
最盛期を迎え、近世(江戸時代)以降衰退した。「常陸国風土記」などが代表。
(3)世間話:「日本霊異記」「説話集」にはしりが見られ、中世以降隆盛して
現代においても新しい世間話(都市伝説など)に姿を変えている。
(4)語り物:「平家物語」に代表され鎌倉時代から全盛期に入るが、
近世後半から消えていく。
(5)昔話:昔話が歴史上体系化されるのは室町時代。民衆の活動で広まるが、
農山村の隅々に伝わるのは 江戸中期あたり。

 以上のごとく、今日でも生み出されているのは世間話のみで沖縄・奄美といった
一部地域で伝説が細々と「生きている」という。
 繰り返すが、「岩見沢の民話」の大半は世間話である。これが昔話や伝説に
変貌することはあるのだろうか。私は重要なモメントが一つ足りないと思っている
(そのヒントは小松和彦の「異人殺し伝説の生成」(「日本民俗の伝統と想像」
弘文社 1988)にあるが、この話は単独に取り上げたほうがよいのでいつか
検討する)。では、一般の世間話として流布するかと言えば、それもないだろう。
昨今の流行は「怪談」「スリラー」「猟奇」ものである。夏になるといくつかの
番組で必ず「怪談」が取り上げられ、「怪奇ツアー」 なるものが企画される。

では思い出話は意味がないかといえば、私はそうは思わない。例えば戦争体験や
被曝体験は人間の歴史の重々しい証言である。戦争の悲劇を世間話と
同一にしては申し訳ないが、それは世間話を注目を集めるだけの軽いお話と
考えるからである。民間説話の中では神話や昔話と同列なのだ。
かつては政治的権威を裏付けるものとされ、信仰を広める説話とされ、
英雄譚として人々の生活に深く根差してきたのである。その話の一つが悲劇を
繰り返さぬための教訓として語り継がれることも重要なのである。
インターネットのホームページの功徳はマスコミに乗りにくい世間話をも
広く伝え得るところにある。岩見沢のお話は「北海道開拓史」の証言として
生き残るのだろう。

3.昔話的要素を求めて
昔話の分類は柳田国男はじめ多くの専門家が論じている。あえて私の挿む
言葉はない。ここでは「岩見沢の民話」を素材に昔話的要素を考えてみたい。

(1)砂金沢物語
 アイヌの若者が金色のザリガニを捕らえる。ザリガニは「私と仲間を助けて
くれるなら小川の水が枯れないようにしよう」「金の砂も流そう」と約束する。
その後和人が入ってきて砂金を取り、魚も採ったので砂金はなくなった。
動物を助け富を得るが約束を破って全てを失う・・・これは昔話の一典型だ。
表面上昔話の構成をしっかり持っている。だが約束を破ったのは和人である。
恐らく歴史的事実を負い過ぎているため、一人の主人公の「異界との接触」と
「破綻」という形式に致らなかったものと思う。

(2)お坊さんと「びわ橋」
 旅の僧がダルミ川支流に来てびわを弾き川岸に埋める。その後大雨で
びわの形の沼ができ、附近の水害がなくなった。このタイプの話は円空、
行基、空海たちの布教伝説として各地に残されている。しかしこの話では
「水害を除いてくれた坊さんの恩を忘れないようにしました」とまとめられ、
布教に伴う奇跡が強調されているとは思えない。

(3)土地守り神の話
 開墾のため木を切ると妻の目が悪くなった。古老の言葉に従い切り株を
祭ってようやく失明をまぬがれた。その後治水工事のため社は取り壊された。
これは祟りの話のタイプである。もしこれが社を壊したため事故が起こり、
実はその社にこんな由来が・・・という構成になったならば立派な伝説となった
だろう。

(4)ヤチベコ物語
 夜ヤチベコの声を聞くと不幸が起きる。案の定、元次郎の馬車は踏切で
汽車に吹き飛ばされてしまった。自然の災害、偶然の不幸に人間は無力だ。
しかし昔話と伝説は知恵と言い伝えによってこれを避けることができると
語っている。ヤチベコの声が何故不幸を招くのかという説明がないし、
それにまつわる伝承もない。この話はよくある鉄道事故の一つとして
おさまってしまっている。

(5)ひどじょう物語
 アイヌの娘と鉄道工夫の悲恋物語。男には故郷に妻子があると知って娘の
思慕の一念がひどじょう(赤い土鯰)と化す。この話がもっとも民話らしい風情を
持っている。「片目の鮒」という話が加賀のHP他に載っているが、要するに
起源譚なのである。表記上、娘が自殺したかどうかは明らかでない。
男に妻子があったというのは多分事実を背負いすぎているためで、
「アイヌと和人は結婚できない」等の理由があればまさに悲恋である。

昔話となるためには事実と時を捨て「むかしあるところにある男と女が」と
ならなければならないし、伝説とするためには過去の言い伝え(由来)と現在の
事実(不幸)が証拠の品で結びつかなければならない。こむずかしい構成を
捨て「この間こんなことがあった」と事実を強調するのが世間話、
といったところか。「そんな分類をして何になるか。聞いて楽しければそれで
よい」とするのも考え方である。

4.終わりに
 口承で伝えられてきた話が情報化社会の中で文字として定着しつつある。
過去の遺産が保存されるのは良いことだ。今回、民話に関するホームページを
概観して判ったのは各地の教育委員会が編集出版した「民話集」を出典とする
ものが大変多いことだった。すでに語り部を失いつつある現代に伝承されて
きたものが消失しないよう書き留めておく努力がされている。教育委員会の
出版物は関係者以外ほとんど手に入らないからHP上で公開されることは
悦ばしい限りである。私自身は、昔話と伝説だけでなく、世間話にも目を
向けられたのが収穫だったといえる。


素材に使わせていただきました「岩見沢の民話」製作者の方々に感謝します。以下はそのホームページアドレスです。

           http://www2h.meshnet.or.jp/~shin/minwa/minwa.html

ここでも一休み。
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