水のほとり>湖畔日記>2005年の湖畔日記

2005年の湖畔日記

2005/01/01明けましておめでとうございます 快晴のすばらしい青空, まぶしい初日に映える雪景色. よい年になる予感. 敢えて今年の抱負と言うほどのものもないけれど, 昨年夏から体調がすぐれないのでまず健康を取り戻すことが先決問題. そして, いまの勤務が三月末で定年になったあと, 何をするかが問題. 研究を続けたい課題はいろいろあるけれど, 必要な資料を見つけ出せる程度に片づけないと何も始まらない. 本の原稿を書くように頼まれて延び延びにしてきたのも, 是非書きたい. そのほかにも, 出版の当てがあれば書きたい話がいくつかある. また, 趣味を捨てて生きてきたけれども, 少しずつ趣味を取り戻すのも悪くないかなと思ってる.

2005/01/02無題 元日に続いて快晴. 最低気温-3度. 今日も年賀状が何通か届いた. 去年までは二日の配達は休みだったけれど, 今年から二日も休まず配達することになったそうだ. ありがたいことだ. 年賀状を読んだりしてのんびりと一日を過ごす. 正月らしい気分.

2005/01/03初の買物 今日も快晴. 正月の空が格別きれいなのは, 走ってる自動車が少なかったり工場が休んでたりする影響だろうか.

部屋の片づけなどしたあと, 連れ合いと麓のスーパーまで買物に行った. おせちの売れ残りの投げ売りなどあっておもしろかった. 栗きんとんを半額で買った. 昼食もスーパーで買って帰った弁当.

2005/01/04在宅仕事始め 朝は東に黒雲があり寒かったが, 晴れた. 陽射しのあるかないかで, 部屋の暖かさは著しく違う. さて, 今日は出勤はしないけれど仕事始めとして, 「水のほとり」の学生向けのページを更新するなどの作業をした.

2005/01/05寒の入り 二十四節気の小寒, つまり今日が寒の入り. 暦どおり夕方から寒い. 歳のせいか寒さがつらくなってきて, 寒の明けるのが待ち遠しい.

買ったばかりのDVDレコーダーが, DVDが取り出せなくなって暮れに修理を頼んだら年明けになるとのこと. 今日, メーカーからの修理の人が来た. 何だか簡単にディスクは取り出せて本体に故障もなく, 保証期間中ということで無料. しかし, 電話で修理を頼んだり部屋を片づけたり, 暮れと正月に機械が使えなかったりと, 気疲れすることが多かった. ところで, イジェクトできなくなった原因は, 何とDVDが2枚重なって入っていたこと.
教訓: DVDは裸で積み重ねて置いてはいけない. 誤って2枚取ってしまう恐れあり.
メーカーへの要望: パソコン同様, 強制的にイジェクトするピンを備えてほしい.

2005/01/16ノロウィルスか 日記を少し休んでしまった. 嘔吐, 腹痛, 微熱などで寝ていたら, いつの間にか一週間以上. この前の週末ごろから, まず連れ合いが具合悪くなり, 一〜二日遅れて私も同じ症状になった. 診断してもらってないけれど, ノロウィルスと思われる症状. ようやく快復してきて, 一昨日から起きて, ちょっと外出してみたりして, 昨日からほぼ日常どおりの生活. 今日は授業の予習など.

2005/01/17最終回 昨日までの雨が上がり, 高層雲の少しある青空. 今学期最後の授業を二つ終えてきた. もろもろの感慨は今はまとめきれない. いつかあらためて書くかも知れない. 大学への行き帰りのモノレールの車窓から見る富士・奥多摩・秩父・丹沢などの 山々が, 今日は格別きれいに感じられる.

2005/01/23七十歳 実は一昨日21日に, 70歳になった. 大きな病気もせず大きな事故にも遭わず この年齢まで生きてきたのは幸せと言えるだろう. いまの東京女子大学非常勤講師の仕事は70歳で定年, 従って今年度限りで退くことになる. 定年までどうやら無事に勤め終えた安堵感やら, 学生たちと接する機会のなくなる何とも言い難いさびしさやら, 様々な思いが混沌としている.

2005/01/24定期試験 東京女子大学へ行って二科目の期末試験を行った. 履修してる学生みんなと顔を合わせる最後の機会. お互いに名残惜しい. 一人一人の実習のときの写真と最後にみんなで撮った集合写真をCD-Rに焼いて 用意していたのを持って行き一枚ずつ配って喜ばれた.

2005/01/26採点 これから暫くの間, 期末試験の答案を読んで成績を決めることに集中しなくてはならない. 昨日は出席票と答案とを照合し, 出席簿に記録するなどの作業を済ませたあと, 一部の答案を読んでみた. 今日は点をつけるために, 心を静めて一枚ずつていねいに読んでみる. 前期2単位と後期2単位で一組になってる「数学科教育法」は, 前期よりよくできてる気がする. 前期には, 問題文をしっかり読まずに書いたと思われる答案があった. 問と違う見当違いなことを答えている. しかも, せっかく易しい問題を出したのに, 何を勘違いしたか難しい問題を解こうとして計算違いしたり論理を間違えたりしてる. 不合格者は出したくなかったけれど, こういう答案は救いようがない. しかし, 後期の今回は, そういう救いようのない答案はなさそうだ.

2005/02/21成績評価を終えて ごぶさたしました. しばらくぶりに日記再開. 学年末の採点を終えて学務課に成績表を提出し, 今学期の仕事がほぼ終わりになった. 先週末まで日記を休んでいたのは, 文章が頭にまったく浮かばず, 公開するような日記が書けない状態だったから. いつの間にか寒が明けて暦の上ではすでに春だけれど, 私の春はこれから始まる.

2005/02/28短い月 二月を短くしてしまった大昔のローマの人を恨んでも仕方ないが, 二月という月の短さは年度末に向かって追い立てられるせわしなさを感じます. まだ寒いけれど, 明日から三月ですね.

2005/03/30瞬く間に 瞬く間に一ヶ月が過ぎ去り, 三月も明日で終わります. この前日記を書いたのが二月末でした. その間, 何をしていたのかというと, いつもの年度末とあまり違いはありません. 今年が格別忙しかったわけでもなく, 書きたいことはいっぱいありながら, 文章が浮かんでこないのです. 今日こそ書こう, などと思ってパソコンに向かってはみるものの, 一言も書けぬまま時は過ぎていきます. 書きたいのに書けない, しかし決して鬱病ではありません. 何が原因かわかりません. まさか杉花粉のせいじゃないでしょうね.

2005/03/31年度末 年度末で忙しかった人も多いでしょう. 非常勤講師の私は決算等もなく入試もなく, 定期試験の成績は提出済み. 今回は成績についての問い合わせや再試験などもなく平穏無事に2004年度を終えることができました.

2005/04/29無職に 四月一日から無職になりました. 日記を永らく休んでいてすみません. 非常勤講師にも定年があり, 東京女子大学の講師を定年退職しました. そのことはもちろん前からわかっていたのですが, 職探しをせずにいたところ, どこからも声がかからず, ついに無職です. まあ, 今どき仕事を探してもなかなか就職できないのがあたりまえで, 座って待っていても仕事の来ないのは仕方ないことです. 「無理して働かなくていい」と連れ合いが言ってくれます. それが本音かどうかはわかりません. とにかく, 自分でも「充電」したい気持ちがあって仕事を探さなかったのです. いままでできずにいたいろいろなこと, 例えば段ボールの山になってる資料を片づけるとか, 中断したままの研究を再開するとか, そういうことをやりたいと思ってます. 健康を取り戻すのも, 先ず優先したいことです. 「ニート」になって心の整理がつかなかったり, 父親の世話に気疲れしたり, いろいろあってしばらく日記が書けずにいました.

2005/05/01メーデー メーデーが話題にならないのは, 祭典を四月末に繰り上げて実行してしまうからだろうか. 労働者の権利意識が衰えてきたのだろうか. 世は連休の話題ばかりだが, どこへも出かけずに自宅にいます.

2005/05/02ストレス ストレスから解放されたい. 「無職になったのになぜ?」と訝りますか. 仕事のほかにもストレスの元はあって, 逃げ出したい気分.

2005/05/03憲法の日 憲法記念日. 改憲に賛成が何%反対が何%とか無意味な数値が新聞に堂々と載ってるのは困ったものだ.

2005/05/04国民の休日 国民の休日という妙な名の休日. なぜ「国民」なのだろう?この日, 在日外国人はどうしたらいいのだろう?

2005/05/06疲労困憊 たいへんな一日でした. 心身ともに疲れました. 八日まで連休にしてる職場もあるというけれど暦の上では平日, どちらにしても無職の私に関わりありません. 今日は, 遊びに行ったのでもなく, 勤務でもありません. どうしてこんな目に遭うのかわかりません. 泣きたくなります. 昼過ぎから, 涙のような雨が降ってきました. 309kmを一人で運転しましたが, 道路が混雑してなかったのだけは救われました.

2005/05/07定年後 一橋大学を1998年に定年退職したあとも東京女子大学の非常勤講師を続けてきてそれなりに忙しかったけれども, 今年三月に東京女子大学も定年退職. 無職になって一ヶ月あまり. 定年後の暮らしというと, することが無くて時間をもてあますとか, 趣味に熱中するとか, そんな例が多いように聞いている. 私の場合, どちらでもない. 趣味など考えるゆとりもない. とりあえず, 一橋を辞めたときに持ち帰った資料を整理しないと家の中が片づかず研究もできない. しかし, 整理に取りかかったのも束の間, 想定外のことにきりきり舞い. ゆとりを持てないのは宿命だろうか.

2005/05/12寒い 農業への影響も気がかりになる寒さ. 体が冷えたのか, 腰が痛み, 階段の上り下りさえつらい. 日記を休んでしまったのはほかに理由があるのですが…

2005/05/16久しぶりの青空 今朝は, 気温は昨日までの朝と変わらず約10度だが, 青空に陽射しが明るく, 乾いた冷たい風が吹き, ウグイスのさえずりが聞こえ, 高原のような心地よさ. 薄曇りの寒い日の続いたあとで, 昼間の陽射しの暖かさがうれしい. 股関節の痛みも軽くなり階段がまったく苦にならない.

2005/05/23過密ダイヤなのか? 尼崎の電車事故に関して「過密ダイヤ」とマスコミでいわれてきたけれど, 福知山線のダイヤが過密だったのだろうか?過密という以上は何か基準があって, それを超えていたことが示されなくてはならないはずだが, 適正なダイヤ密度がどのくらいまでなのかという議論は見あたらない. 「過密」という言葉を漫然と使っているように感じられる. 過密ダイヤとしきりにいわれるようになったのは1963/11/09の鶴見事故の頃からではないだろうか. 意図したことか否かは別として, 鶴見事故のほんとうの原因は「過密ダイヤ」論に覆い隠されてしまった. こんどこそ, 「過密ダイヤ」などと曖昧なことをいわずに, ほんとうの事故原因を究明してほしい.

2005/05/25過密ダイヤなのか? (続) 列車ダイヤが過密だと主張するならその基準をあきらかにしなくてはいけないと昨日書いた. 鉄道の場合, 船や自動車と違って列車はすべて線路上を走るという制約がある. 鉄道では, 時間あたり何本の列車を走らせることができるかという線路容量というのがあって, これは信号機の種類やその間隔, 制限速度, 単線・複線・複々線の区別等々から計算される. さて, 仮にダイヤが線路容量を超えていたとしたらそれはあきらかに過密と言える. しかし, そんなダイヤを組むことはふつうあり得ない*1. 線路容量を超えては実際に運行できないのだから. 線路容量以下であるのにそれでも過密だと主張するなら, 例えば線路容量の何%までが適正なのか, それはなぜなのかということを示してほしい.

(*1) 線路容量を超えたダイヤを組んだ特異な例として, 日露戦争のときの, 当時は単線のシベリア鉄道がある. ただし上り (西行き) をほぼ運休して下り (東行き) だけを大増発した一方通行に近い状態である.

2005/06/01事件から一年 小学生が同級生に殺される衝撃的な事件から一年. あれほど騒がれた事件も近ごろ話題にならない. ただ騒がれただけで, なぜあの事件が起きたのか究明されてないと思う. 加害者の犯行の動機は何なのだろうか. インターネットのチャットか掲示板でのトラブルとか, 中学生が殺し合いをする小説の影響とか, いずれも本質的な問題じゃないと思われることがあれこれ言われて, 何もあきらかになってないと思う. 幾日かかけて殺害方法を計画し, 首を切った後も妙に冷静であったらしい. 返り血を浴びたままの姿で教室に戻り「私の血じゃない」と言ったと伝えられてるのが真実かどうかわからないが, 真実ならそういう心理を解明する必要があるだろう. 加害者の作と伝えられてる短編小説「BATTLE ROYALE ― 囁き ―」を読んでみると優れた文才が感じられる. あれはコピペだという批判も見かけたが, たとえコピペでもこれだけまとめ上げる力は小学生のレベルをはるかに超えていよう. 文章がうまいといってるのであって, 中学生が殺し合うというテーマについては好ましいとはもちろん思わない. もう一つ「囁き」から感じられるのは, 彼女はかなり見栄っ張りなのではないかと言うこと. 例えば「囁き」の主人公の武器は自動小銃イングラムMAC-10で「恐ろしいほど連射ができ、リロードも早い」と作中にあるけれども, 引き金を引いてる間連射する「フルオート」で使わず (他の登場人物はフルオートを使うのに) 引き金を引く毎に一発発射される「セミオート」にして相手を一発でしとめている. こういう「見栄」と殺意との間に何か関係はなかっただろうか.

2005/06/02横揺れ 尼崎の脱線転覆事件で, 電車がカーブにさしかかる前の直線で横揺れしていたという. 脱線の直接の原因でないとしても, このことは解明する必要のある問題だと思う. 詳しい状況は伝えられていないが, 直線部分を走っていて激しい横揺れを感じたとすると, 台車の蛇行動が疑われる. 台車の蛇行動は一種の共振現象で, 特定の速度で発生する傾向がある. ふつう, 蛇行動の起きる速度を, 車両としての制限速度よりある程度高い速度になるように設計するはずだ. つまり, 事故を起こしたあの電車がカーブ手前で横揺れしていたのは, 直線のところで制限速度120km/hを超過していたか, あるいは車両や線路の整備に不備があったか, どちらかが (もしかしたら両方が) 考えられる. 私の経験した蛇行動と思われる横揺れは, かなり古いことであるが, 制限速度95km/hの80系 (初期の湘南電車) で110km/h近い速度のときであったと思う. 105km/hあたりまでは安定して走っていた. 気動車キハ57 (これも制限速度95km/h) では98km/hで横揺れが始まり, 設計上のゆとりの無さを感じたものである.

2005/06/06食事の後片付けとは 男女の家事・育児分担 (tama * fuwari : NEWS Watching, 2005-05-22) を受けて, 「食事の後片付けとは何か」を考えてみる. 男女の家事分担について調査があって (参照されている記事は既にリンク切れ), その結果では男性が週3〜4回以上行っていると答えた家事は, 「ゴミ出し」(22.5%), 「食事の後かたづけ」(21.8%) の順で多かったという. その調査結果についてtama32さんは「食事の後かたづけ」というのは「食器を流しにもっていくだけじゃなく, 食卓を拭いて, 食器を洗って拭いて食器棚にしまって, 鍋釜も元の位置に戻して, 流しのゴミを片付けて, 台所全体をきれいに拭くというところまでやっているのですよね?」と問いかけ, 数値に表れない意識の差を指摘している.

こういう統計調査で後片付けは具体的にどこまでやるのか詳細にまで踏み込むことには困難があるとのコメントがあり, 言われてみれば尤もなことなので, 調査に異議を唱えるのは間違いだろう. それよりも, この種の調査結果の数値を読むときにどう読むか, 数値の解釈が問われるのだろう. 後片付けとは何かということについて世の中の人々はどう考えているのだろう. 食器を食卓から流しに下げるだけの行為を「食事の後片付け」とは到底言えないと私は思う. 他人の後片付けのやり方に文句を言うつもりはない. ただ, 私の思ってる後片付けとはこういう行為なのだと言うことを述べてみたい.

食器を流しに下げて洗い (油汚れの激しいものは水洗いの前に紙で拭く), 拭いて食器棚にしまう. 洗い桶もきれいにして所定の位置にしまう. ここまでやるのが, ひとまずふつうの後片付けと思える. やや手抜きして, 洗った食器をカゴに上げておくだけでしまわない場合, 後片付けをしたとは言えなくても後片付けのかなりの部分を手伝ったとは言えるだろう. 私が「後片付けをした」という満足感の得られるのは, 食器を洗って拭いて棚に収めたあと, 布巾を洗って干し, 洗い桶も洗って片づけ, 流しを (排水口まで含めて) きれいに磨くところまで行ったときである. 鍋釜包丁を洗ってしまうことやゴミを処理することに触れなかったが, するかしないかの問題でなく, これらの作業は手順として「料理の後片付け」に分類するのが相応しいと思う.

2005/07/08直ったパソコン 一ヶ月も湖畔日記を休んでしまったのは, パソコンの故障がおもな原因です. 先月17日に修理を依頼し, 修理してくれて一昨日ようやく帰ってきました. HDDの無事だったのが幸いし, 周辺機器を接続したら問題なく動きました. 昨日は動作の様子を見たり溜まっていたメールを受信したりしてました. パソコンのない間は不自由してました. ウェブを見るにはケータイ, メールもケータイ. いま, やっと普通の暮らしに戻った気がします.

2005/07/31七月の終わり 再開してすぐまた日記を休んでしまいました. なんとなく忙しい日々でした. パソコンの故障してた間にできなくてたまっていた用事を済ませたりしてました. なぜか今年は故障が重なります. パソコンのほか, 電子レンジ, テレビ, エアコンが次々と故障. 五十年前にはそんなものはどれもなくてふつうに暮らしていたのに, 今はこういう文明の利器に頼り切った生活をしているのだとあらためて気づきます. 年老いた父親の奇行にも振り回されて気の休まらぬ日々でした. 気がつけば, 明日はカレンダーをめくる日. 暑さは厳しいけれど, ゆとりをもって乗り切りたい夏です.

2005/08/21夏休み 八月に入って何も書けぬままに三週間が過ぎてしまいました. すみません. 今月初めに遡って夏休み宣言いたします. 暑さの和らいだ頃, 再開する見込みです. 六十年前の思い出等々書きたいことはあれこれあるのに, 文章としてまとまらずどうにも書けません. 猛暑はつらいですけど昨年の夏よりは元気でおりますからどうぞご心配なく.

2005/12/05ごぶさたしました 取り敢えず湖畔日記再開. 思えば, 八月に夏休み宣言して以来, 休んだままです. すみません. 夏休みどころじゃなくて, 秋が終わって冬が来てます. 今朝は霜がおりました. 昨夜の雨が雪にはならず, 今朝は快晴.

タグ打ってFTPして云々という作業がめんどうになってきて, ブログシステムに移ろうかと迷ったりもしてますが, まだまだ決断がつきません. 元日を期して新しいブログへ, などというのは到底間に合いません. そういうわけで従来の形式で取り敢えず復活です. 日記以外にも「水のほとり」の更新したい気持ちはありますが, 今日はリンク集の修正だけ.

復活がせめて一日なら切りがいいのですけれど五日になっちゃいました. 書きたい話がないわけじゃなくて, 書くだけの心のゆとりがないのです. 定年で四月から無職になりましたが, それと前後して父のことであれこれ振り回される日々が続き心身ともにゆとりなく過ごしてきてます. 具体的に書けないこともいろいろあるのですが, とにかく97歳という高齢ゆえ, 老人ホームに入ってるとはいえ何かと手がかかります.

とにかく, 遡って一日からのことを簡潔に書いておきます:
1日 (木) 昨30日に父の通院治療のため茨城県へ行ってきて, その疲れを繰り越したようです. 夕方ラッシュ前に自宅に帰り着いてほっとしたのですけど, 朝になったら疲れが…. 一晩寝ても疲れのとれないのは年齢のせいか, 何もする気の起きぬ一日.
2日 (金) やや気分快復して庭仕事など. 一方でイヤな出来事もあり, どう対処したらいいか悩む. 世の中にはどうにも困った人がいるものですねえ.
3日 (土) 頭が激しく痛む. 低気圧の近づいてるせいか, 左股関節がまた狂ったか. 何もできない.
4日 (日) 珍しく小雨, 寒い. あちこちから雪の便り. ちょっと心の和むことあり.

以上, 曖昧ですがどうぞお察し下さい.

2005/12/06何をどこまで書くか 公開する日記で何をどこまで書いてよいだろうか, しばしば迷い悩みます. 実名で開いてるサイトなので個人情報が漏れることにとくに用心が必要です. 例えば「家族全員で旅行に出る予定」などと書けば空き巣に狙われかねません. また, 元同僚などもここを見てる可能性があり, 職場での出来事などうっかり書けません. 親類が見てる恐れさえあり, 油断がなりません. 匿名サイトを別に設けてまで日記を公開しようとは思いません. 限られた条件の下で, 日々の思いを皆さんにお届けできれば幸いです.

2005/12/08開戦の日 ほぼ毎年同じことを書いてますが, 日本が米英と戦争を始めた日です. 日本軍がハワイを奇襲攻撃し太平洋戦争が始まりました. その当日, たまたま母とともに母の実家に滞在していた私は, 世の中が何かたいへんなことになったらしいと感じましたけれど, 戦争がどういうものかわかっていませんでした. 日本の海軍航空隊がハワイの米海軍基地を攻撃したのを知ったのは後のことです. それでもとにかく私には忘れがたい日です. 何があったのか, いつかきっと書きます.

2005/12/09家の跡継ぎ よその家の跡継ぎに誰が選ばれようとかまわない. 男でも女でも, 長子優先でも男子優先でも女子優先でも, 男系でも女系でも養子でも「あっしには関わりのねえこと」なのだ. しかし, もしその家の跡継ぎの選び方が他の家の跡継ぎの選び方に影響するというなら, 関わりないと言ってられない. 長男が家を継ぐのがあたりまえという考えを我が家には持ち込まれたくない.

2005/12/16医師だけじゃなくて教師も しんぞぉのおんなの12月6日の頭に血がのぼり過ぎて泣けてくるについて. 「医者ってのは どうしてどいつもこいつも ぶっきらぼうで礼儀知らずなのかしら!?」と, ある出来事をあげてabsinthさんは怒り嘆き, 最後に「こんな医者はめったにいないと思います。」と追記してる. 礼儀知らずの最も多いのは教師だと感じてたので, ああ, お医者さんにもそういう人がいるんだというのが最初の感想. もちろん, 礼儀知らずで非常識なのは教師のほんの一部に過ぎないのだろうけれど, それでもabsinthさんの表現を借りれば「教師ってのはどいつもこいつも…」とつい叫びたくなるときがある. あまりにも世間の常識にはずれ, 礼儀知らずで「ありがとう」も「すみません」も言えず, 人に頭を下げられない. そういう教師がいる. 小中学校の教師にとくに多いと感じるけれど, 大学の教師にもそういう人がいるから, 高校などの教師にもいるだろう. とにかく, 医師だけではない. 幸い, 私は礼儀知らずの医師を見てない. 個人的な感じとしては, 教師の方がむしろ礼儀知らずが多い. 礼儀以前の問題さえある. 例えば, 借りたものを返すのに「ありがとう」の一言もなく黙って突き出す, ノックもせずにいきなり扉を開けて踏み込んでくる, 他人のものを無断で持ち出す, 権限もないのに命令する, などなどの行為. 教師ってこういう奴らなのかとあきれ果てたことがある. こんな人たちが教育に携わることに憤りを感じる. 私も大学の教師, 自らを戒めなくてはいけないと思っている.

追記: 「しんぞぉのおんな」のabsinthさんからコメントいただきました. こちらに書き込めなかったとのことでご自分のところに書いてあったのを転載致します.
Commented by absinth at 2005/12/24 14:35
応対のできない、というのはとりもなおさず、相手のことを思いやれないということだと思います。そういう先生方の後姿をみて育つ子供たちを思うと暗澹たる気持ちになりますね。

2005/12/19ゆとりを下さい 心のゆとりがほしい, 時間のゆとりがほしい. 定年になったら自分の自由になる時間が得られるだろうと思っていた. しかし, その期待は外れた. 定年後に暇をもてあましてる人がいるというけれど, いったいどんな人なのだろう. 自由な時間がない. 学問にも趣味にも集中できない. 研究を始めるといつも何か不都合なことが起きて中断される. 中断されたあと, 再開しようとしても順調に続けられるものではない. 30分+30分は1時間とは違うのだ. これは研究に限ったことではない. 細切れの時間では, 継続した時間と同じことはできない. 一人の時間がほしい. そして夫婦二人の時間もほしい. 心を乱すような事柄を持ち込まないでほしい. 穏やかな心で過ごせるときがほしい. 心のゆとりを下さい.

2005/12/29せわしない一年 十日ぶりになってしまいました. 今年は何か訳のわからぬ問題に追い立てられ振り回されている間に, 明後日で終わりになってしまいます. せわしない日々の中で, うれしいこともありました. それについては来年書きます. 年賀状を書いたり買物をしたり年内にすませなくてはいけない事務的なことを処理したり, そういうことがひとまず終わり. 旅行に行かず正月は我が家で迎えます. 穏やかな良い年が来ますように.

2005/12/31五大ニュース 今年も多くの方にお世話になりました. 心からお礼申し上げます. さて, 我が家の2005年五大ニュース発表.
(1) 無職になりました. 非常勤講師も定年になり, 四月から仕事に就いてません. 取り敢えず積極的な職探しもせず年金で暮らしてるので「ニート」です.
(2) 運転免許が「高齢者」になりました. 「高齢者」と免許証に書いてあるわけではないけれど更新のときに高齢者講習というのを受けさせられ, 自動車には高齢者マークを貼り付けることに.
(3) 九十七歳の父が… (具体的に書けません. はらはらしたけれど結果として無事だったのは偶然の幸いなのでしょう).
(4) オーマン (R. Aumann) がノーベル経済学賞を受賞. これがなぜ我が家のニュースかというと, オーマンの定義した概念についての理論を創ったのが私たちだからです.
(5) 家電やパソコンの周辺装置など幾つも故障の相次ぐ年でした.

e-mail