8月30日(水)
モーニング娘。の武道館ライヴがヴィデオになって発売されたので、早速購入。例の、×万×千円をダフ屋に払って見に行ったやつだ。ぼくのアイドルオタ歴はかなりの長きにわたっているし、好きになったアイドルもいっぱいいるのだが、市井紗耶香のときほどひどくハマったことは、今までなかった。彼女に対する感情には、「かわいいから好き」という以上の何かがあった。流行りの言葉で言えば「リスペクト」というのが近いんだろうけど、そう単純に一言で言い表せるものでもない。
8月28日(月)
ドラクエ7を買ってしまった。最初の1時間くらいはポリゴンの地面になじめなかったけど、進めて行くとやっぱり昔ながらのドラクエで、なんだか安心する。
8月23日(水)
8月6日の「ASAYAN」(プッチモニ特集)を録画したヴィデオを毎日見ている。何回見ても感動の嵐だ。特に武道館の「ちょこっとLOVE」ラストステージは本当に素晴らしい。高い金を払って見に行ってよかった…。なお、モーニング娘。の新曲は、まだちょっとしか聴いてないけど、どうやら糞である。もう買わなくて済む。
関係ないけど「AERA」を立ち読みしてたら(←またか)、斎藤美奈子が「ポパイ」とか「ホットドッグ・プレス」とかのナンパ記事について分析していて、かなり笑えた。連載のコラムみたいなので、来週もチェキしないと。
8月21日(月)
とにかく暑くてどうもこうもない。いやマジで。
今朝会社へ向かう電車の中でケンカに遭遇した。ヘンなおっさんがぼくの隣にいた若いサラリーマンに急に因縁をつけて、胸倉をつかんで…。さすがにすぐ隣では無視するわけにもいかず、仲裁を試みる。ケンカも弱そうだったし、武器も持ってなさそうだったし。でも、因縁をつけられた若者もやり返そうとするものだから、どうも収まらない。ただ両名とも本格的に殴り合うような気はないので、なんだか車内は中途半端な空気に包まれた。結局おっさんが先に降りて解決。
一週間の始まりとしてはなかなか不吉な出来事だったが、まあいろいろと考えてみれば不吉な前兆だとかなんとかいうのは、あとで何かが起こって初めて効力を持つものなのである。それに、ここにこうやって記録しておかなければ、すぐにこんなことは忘れてしまうに違いない。
このサイトの中でぼくはテレクラに行き、そのあとモーニング娘。にハマっているわけだが、たとえばここに書かれたことだけで、このサイトの作者に関する物語を再構成したとしたらどうなるのだろう。きっと相当ヘンな話ができあがるに違いない。というか、この文章を書いているぼく自身が、この2年の記憶をこのサイトに書いた文章によって再構成しながら生きているのであり、だとするとぼくのアイデンティティというか、自分についての評価はかなりややこしいものになる。ような気がする。なぜならここに書かれたことには、もちろん、読まれてもいいことしか含まれていないからだ。逆に、ここに書けなかったことは、いつの間にか、自分にとっても「なかった」ことになっているような気がしなくもない。
さっきから話が快調にスリップしまくっているが、確かにテレクラに行ったこともモーニング娘。にハマったことも、ぼくの人生の中でそれなりに重要な出来事だったのかもしれないが、かといってこの2年ほかに何もしなかったのかといえば決してそうではないのである。まあその点、会社づとめしているというのは、ヘンな言い方だがラッキーだ。会社には仕事をした結果がそれなりに残っていて、それによってなにがしかの評価が下されていて、今のぼくの立場があるからだ。この2年何もしなかったわけではないことが、このことによって辛うじて確かめられる。
だめだ、暑くて頭がおかしくなってるみたい。何が言いたいのかさっぱり分からん。
8月17日(木)
会社の売店には、いまだに先週のFOCUSが置いてあります…。あの雑誌、売れ行きどうなの?
まあそれはそれとして、お盆は週刊誌が出ないので、昼休みや行き帰りの時間つぶしが大変。
そう言えばこのあいだ高杉良の「呪縛」を読みました。銀行員としてとりあえず押さえておかないといけませんからね。それにしても、あのひとの本ってどれもおんなじ。確かに取材はものすごく綿密なんだけど、決して「小説」として読むものじゃないです。普通のサラリーマンは、ああいうのを「小説」だと思ってるのかなあ。なんだかなあ。
8月15日(火)
今日は終戦記念日でした。
8月14日(月)
あれからもう1週間が経ったのでもうマジで打ち止めにしたいんですが、ぶっちゃけた話、先週の水曜日から木曜日あたりに熱が出たのは本当です。微熱でしたけどね。いや本当に参りました。だってなあ。童貞の中坊じゃねえんだからなあ。
まあこの1週間は、「自分が何にショックを受けたのか」ということを考え続けた1週間でありました。
ところで話は全く変わるのですが、いまうちの会社はカジュアル・ウィークというのを試行していて、先週からずっとノーネクタイで仕事をしているのです。何となく違和感があったのは初日だけで、翌日からはもう快適なことこの上なし。もう一生ネクタイなんて締めたくない…。
という感じでこの日記もそろそろ通常モードへシフト。あ、言うまでもなく会社ではちゃんと仕事してます。
8月13日(日)
土曜日
モーニング娘。他が出演する「ハロー! プロジェクト」のコンサートを見物しに代々木に行く。(今回は正規の値段で手に入れました。)そのあと学生時代のサークル(合唱団じゃない方)の先輩たちと飲む。久しぶりのメンバーが揃って、楽しかった。そのまま徹夜。
日曜日
前日に日本酒を大量に飲んだものの、二次会のときほとんどずっと寝ていたせいか、比較的二日酔いも軽く、昼前に起きる。そのあと同じ苦悩を共有する仲間と、昨年夏の歌番組のヴィデオを見ながら語り合う。
涙 止まらなくても
昔のように しかって My Mother
涙 止まらないかも
わがままな娘でごめんね Mother
さて、明日からは仕事だ。
8月11日(金)
さて、そろそろ総括の時間である。ショックで熱を出している場合ではないのだ。
ぼくは去年の冬くらいから、モーニング娘。に依存して生きていた。最初のうちは半分冗談だったが、いつの間にかその場所が、自分にとって他のどこよりも居心地良く、大切なものになっていったようだ。もちろん市井紗耶香の脱退で一つの区切りをつけたつもりではあったが、人間なかなか一度得た安らぎを手放せるものではない。いつしかぼくは(あるいはこの人なんかも加えて「ぼくたちは」と言ってもいいのだが)、モーニング娘。ファンでない人を気の毒に思うようにさえなっていた。一種の優越感である。
8日発売の『FOCUS』が報じた安倍なつみのスキャンダルは、そのままモーニング娘。のスキャンダルだった。モーニング娘。の中心にいたのは、いつも安倍なつみだった。彼女がいて、他のメンバーがいた。市井ファンのぼくでも、モーニング娘。と言えば思い浮かべるのは安倍なつみだった。そしてその彼女のキャラクターは「お泊り」報道で完全に壊れた。それはモーニング娘。そのもののキャラクターが壊れたことを意味していた。
スキャンダル発覚以来、ぼく(orぼくたち)が何故ここまで狼狽し続けているのか。つまりそれは、自分たちが拠って立っていたその土台が、いかに脆弱なものであったかを思い知らされたためだった。週刊誌に載った2ページの記事だけでこなごなに砕け散ってしまうような、そんな土台の上にぼくたちはいろいろなものを乗せ過ぎていたのである。最初はそっと少しずつ乗せていっていたように思うのだが、最近はそこになんでもかんでも乗せようとしてしまっていた。自分でも気づかないうちに。あるいは気づいていたのかもしれないが、いざという時には別の場所に移せばいいと甘く見ていたのだ。その「いざという時」は思いがけない形で訪れた。
実際のところ、安倍なつみが(もっと言えば市井紗耶香が)誰の彼女だろうが誰のセックス・フレンドだろうが、TVを見たりCDを聴いたりしているだけのぼくらには関係ない話なのだ。まあその辺はアイドル・ファンにとっては永遠のパラドックスみたいなところなのだが。
ともかく、今度こそぼくは真人間に戻る。応援はするけど依存はしない。そう決めた。
8月8日(火)
事実を受け止めよう。そして、真実を見つけよう。今までずっとそうしてきたように。
8月7日(月)
ていうかマジでなんで「熱愛発覚」したからってショックを受けないといけないわけ? これだけアイドル・ファンを続けてきて、もっと言えば実生活でだって、いろいろとキツい経験をしてきたんだよ? 失恋だってしたし、仕事でもそれなりに辛いことはあった。テレクラでのいろんな体験は、ぼくの心をタフにしてくれた筈だったんだ。それなのに。
安倍なつみのスキャンダル発覚そのものよりも、自分がそのことでこれほど動揺すること自体がショックだ。
ぼくは一体、今まで何をやってきたんだ?
この際、少し冷静になって考えてみる必要がありそうだ。
8月5日(土)
火曜日〜金曜日
例年は7月〜9月くらいは比較的業務の繁忙度が低いのだが、今年は一向にヒマにならない。
佐藤俊樹「不平等社会日本」(中公新書)を読む。最近のぼくの関心事にドンピシャである。おもしろい。日本的な選抜システムの崩壊について述べたここのくだりなんか、すごく刺激的。
「選抜そのものが実は空虚なのだ」と選抜の勝者が言明する。エリートがエリートであることを自己否定する形で、「敗者」の意欲をそがないようにする。簡単に言えば、「ボク、テストでいい点をとるのがうまいだけなんですー」とエリート自身が告白したり自己批判することは、この社会の選抜システムにとって、重要な「お約束」の一つなのである。
とても鋭い指摘だと思う。
この本の全体について言えば、ぼくが統計学に明るくないせいだと思うけれど、どことなく「統計の遊び」っぽい部分があるのがちょっと気になったです。あと、これからはあれでしょうね。この本では女性の地位とかそういうことについてはあえて触れてないんだろうけど、その問題はますます大きくなっていくと思うんですよね。
土曜日
学生時代の友人たちと、花火見物に出かける。天気は良好、ポジションも絶好。
7月31日(月)
昨日「巨人が嫌い。自民党が嫌い」と書いたけど、今日AERAの村上龍のインタヴューを流し読みしていて、そう言えばぼくの出身大学も思いっきりその範疇に入っているのだ、ということに気づいてしまった。ぜんぜん首尾一貫してないじゃん。…まあいいか。
まあその「保守本流」ということで言えば、なっち(安倍なつみ)はかつてはモロにアイドルの保守本流だったと思うんですよね。かわいくて、ちっちゃくて、頑張り屋さんで、いつもステージの真ん中にいて…。んで、ぼくはその頃のなっちは必ずしもそんなに応援してませんでした。ちょっと渋ごのみの、福田明日香派だったんです。(もちろん、今に比べて娘。萌え度は非常に低かったわけですが。)
そのなっちが後藤真希の加入で影が薄くなって(それと反比例するように影の面積が増えて)ゆくのにつれて、ぼくは彼女のことがどんどん気になり出していたのです。なんとかもう一度、昔のようにセンターに立つなっちの姿を見てみたい。たとえばそれは子どもの頃、強過ぎて嫌いだった北の湖が千代の富士にその地位を逆転され、長い休場を続けた後に復活の全勝優勝を遂げたとき、思わず感動して拍手を送ったのに少し似ている、かもしれません。(別になっちが太ったから相撲の喩えを出したわけではナイ。)
それはそうと、某三流スキャンダル雑誌に市井ちゃん(今まで「市井紗耶香」、とかよそよそしい書き方をしてたけどもういいや、面倒になった)が都内に引っ越したとかいう話が載っていたらしいのですが、その情報を見ただけでぼくはかなり大きく動揺してしまいました。取り乱した、と言い換えてもいい。でも何故それくらいのことで取り乱すんだろう? まったくどうかしている。やれやれ。
7月30日(日)
このウェッブ・サイトにぼくに関する情報がすべて網羅されているわけでないことはもちろんだが、たとえばぼくが大のアンチ・ジャイアンツファンであることは、それなりにぼくのアイデンティティの一部を形成する重要な要素であるにもかかわらず、ここには一度も書いたことがない。まあ書いたことがあってもなくても、ぼくは東京読売巨人軍的な存在が大っ嫌いなのだ。首尾一貫して。貴乃花も嫌いだし、自民党も嫌い。
7月29日(土)
ここのところ、「ねじまき鳥クロニクル」が自分の中で再ブームを起こしていて、ちょっとした時間(寝る前とか、夕食の後とか、トイレ(!)とか)を見つけてはあちこち拾い読みをしている。学生時代に「ノルウェイの森」を読み、社会人になってそれなりにいろいろ経験を積んでから「ねじまき鳥」を読むことができたのは、思えば幸運なことだった。
ところで、良いニュース。
なっち(安倍なつみ)が今度こそ本当にやせ始めた!
ぼくの見間違えでないことを祈るのみ。
7月27日(木)
会社の帰りに同期と某有名ラーメン店に行く。おいしかった。うん。
今さらだけど、保険金目当てで娘を殺そうとしていた看護婦の事件、テレクラがらみだったことが分かってきて、うみゅーという感じ。たぶんテレクラで複数の男と知り合って云々というのは、原因ではなくて結果なんだろうなあと想像する。報道されてることがすべてではないだろうから、もちろん本当のことは分からないんだけど、テレクラ依存の段階で既に精神のバランスを崩してしまっていて、こんな結果になってしまったんじゃないか。そう言えば昔、主婦層にテレクラ不倫を推奨していた社会学者さんもいたような…(文脈が違うけど)。まあともかく怖い事件です。
さて、プッチモニの話。
もちろん、後藤・保田・吉澤の3人の“プッチモニ”は、保田圭が言っていたとおり、市井紗耶香がいたときのプッチモニとは違う、まったく新しいグループなのだろう。それは分かっているつもりだ。分かっているつもりでも、雑誌のグラビアやTVの画面で彼女たちを見かけるたび、やはりぼくはそこに市井の幻影を追ってしまう。タンポポの新曲は発売日に買ったのに、プッチモニの新曲はどうしても買う気が起こらない。
市井がいれば「青春時代1・2・3!」はもっとカッコ良い曲に仕上がっていただろう。市井がいれば(たとえトークは寒くても)番組は2倍も3倍も盛り上がっただろう。彼女は今の後藤真希のように、「クールさ」と「やる気のなさ」を取り違えたりは、決してしなかった筈だ。彼女が歌えば、「笑顔がカッコイイ」という歌詞は、もっと実感をもって響いたことだろう。
ほかのメンバーたちのことにしてもそうだ。後藤は市井に尻を叩かれてやる気を出したとき、いちばん魅力的だったのだ。保田のキャラも、市井という突っ込む相手がいてこそ生きてくる。吉澤ひとみはまあ、新人だからこれからだけど…。
もちろん、そんなことを考えるのは正しいことではない、おそらく。何しろ市井本人は、今ごろもっと先へ進んでいる(筈だ)。ぼくらも彼女に負けていてはならない。
7月24日(月)
FF9クリア。最後はレベルを上げすぎてラスボスに楽勝してしまいました。2周目を始めるべきかどうか思案中。前にも書いたけど、なかなかよくできていたと思います。
7月23日(日)
木曜日
♪今夜飲み会 期待している 友達の友達に
金曜日
2連休の谷間。あまりの暑さに寝苦しく輾転としていると、明け方の地震でまた目覚める羽目に。一日中眠い。
土曜日
モーニング娘。のアルバムの曲をたんまり唄う。
日曜日
飲みすぎ。
7月19日(水)
先月の休日出勤の振替休日。あまりに暑いので外へ出る気が起こらない。一日中FF9。
7月18日(火)
会社の帰りに新宿のロフト・プラスワンへ行く。
7月17日(月)
部屋が暑い原因は、プレステとパソコンの廃熱なのではないかと考え始める。
会社の売店で村上春樹「辺境・近境」(新潮文庫)購入。
7月16日(日)
暑くてゲーム以外やる気が起きない。
7月13日(水)
そう言えばぼくは今月ちょっと出世したのですが、まあだんだんと社内でも責任が重くなってきていることを感じないわけにはいかないのであります。来年は30歳だもんなあ。こういう物言いは本当に陳腐だとは思うのですが、30代が近づかないと分からないことがいろいろとあるものですね。いつまでも若いつもりではいるけど、やっぱり学生のころや新入社員のころとは何もかもが違う。そんなことを、最近よく考えてしまいます。これが29歳ってことかな。
7月11日(火)
それにしても暑い。そして眠い。相変わらずアエラの記事は莫迦ばかしい。
そう言えば週末に阿部和重「インディヴィジュアル・プロジェクション」を読んだ。一冊くらいは「J文学」ってやつを読んでおきたかったのだ。とてもいい小説だと思った。だが結局、「J文学」が他の「文学」とどう違うのかはよく分からなかった。
ファイナルファンタジーIXはなかなかおもしろい。少なくとも前作よりはいいと思う。なんと言ってもバトル開始の音楽がよい。学生時代に部室に泊まり込んでプレイした「ファイナルファンタジーV」を思い出す。
最近、徐々にこのサイトが昔からの友人にバレ始めている。と同じに、ネットで知り合った友人が徐々に「昔からの友人」になり始めている。同じことをやっているようでも、やはり昔とは違うのだ。
7月10日(月)
おととい「ファイナルファンタジーIX」を買ってしまったので、すっかり機能麻痺の状態です。
7月8日(土)
ときどき、僕の知らないどこかの男が紗耶香の服を脱がせて行くところを想像した。その手が彼女の下着を取っていくところを頭に思い浮かべた。僕は紗耶香の柔らかな乳房や、白い腿を目にし、その上にある誰か別の男の手を目にすることができた。僕はそんなことを考えたくなんかなかった。でも考えないわけにはいかなかった。何故ならそれはおそらく実際に起こったことだからだった。そして僕はそのイメージに自分を馴らさなくてはならないのだ。現実をどこかに適当に押しやってしまうことはできない。
7月7日(金)
今日はチームの新人歓迎会。会社で飲むのは久しぶりでしたが、とても楽しかったです。台風接近中にもかかわらず、二次会(カラオケボックス)に行ってしまいました。
7月6日(木)
昨日は酔い過ぎていて日記を更新できず、今日は特に書くことがないので、昨日のことを書きます。
昨日は先日の休日出勤の振替休日。昼間にたまたまNHKをつけていたら、「スタジオパーク」のゲストが渡辺満里奈でした。まあ予想はしていたのですが、きわめて真っ当なことを話していましたね。というか、ちゃんと話すべき中身を持っている人の話し方でした。元おニャン子の中で彼女一人が芸能界での地位を保ち、むしろ向上させつづけているのは、もちろん、理由のないことではなかったのだろうと思います。
夕方から都内で買い物、その後友人と酒を飲み、大いに酔っ払いました。
タンポポの新曲「乙女パスタに感動」はかなりいいです。というかぼくの好みです。でも一般受けはしないかな? と勝手に思っていたのですが、売れ行きも好調みたい。
7月4日(火)
今日の夕方、大手町はたいへんな雷雨でした。10秒おきに空に稲妻が走ってた。地球ができたばかりのころを思い出しました。
7月2日(日)
髪を切る。そのあと秋葉原へ。携帯型のMP3プレイヤーを購入。これで通勤中に英語の勉強をするのだ(←本当か?)
そう言えば4月に受けた資格試験は合格していたし、TOEICの方もまずまずだった。それもこれも全部市井紗耶香のおかげだ。
7月1日(土)
モーニング娘。の過去の映像を見ていると、時の流れのふしぎさ、というものを感じないわけにはいかない。
ぼくが彼女たちの存在を初めてはっきりと認識したのは、「抱いてHOLD ON ME!」のときであった。考えてみれば、もう1年半以上前のことになる。
当時の映像と、現在の「ハッピーサマーウェディング」を比べてみるがいい。決して美少女とは言えないのに、歌でもトークでも圧倒的な存在感を持っていた福田明日香がいない。大人の雰囲気で異彩を放っていた石黒彩は妊婦さんだ。名実ともにグループの「顔」だった安倍なつみは今やあんなことになってしまった。そして、まったく目立たなかった市井紗耶香は1年後に一気に開花し、そして去って行った。
自分自身はどうなのだろう? と考えてみると、やはりいろいろな変化があったような気がする。あのころのぼくはテレクラの個室で、有線放送から流れてくる「抱いてHOLD ON ME!」を聴いていた。今はこうして仲間たちと「ハッピーサマーウェディング」を聴いている。それが進歩なのかどうかは分からないが、変化であることには間違いない。
これからもモーニング娘。は変わってゆくのであろうし、それを見ているぼくも変わるのだろう。この日記を書き始めて、そろそろ1年になろうとしている。