♪はしゃいじゃって 良いのかな?


8月29日(水)

大塚英志の本を読んでいておたくについていろいろと考えているのだけれど、どうも大塚の想定しているおたくというのは、アニメおたく・まんがおたくに限定されているのではないかと思える。というかアイドルおたくには当てはまらない議論が多い。そこで以前に友人と話していて出た話題を思い出した。アイドルおたく市場に「インディーズ」というものが存在しないのは何故か、という問題。アニメ・まんがなら、自分たちで好きなものを作っちゃえ! ということができる。同人誌の即売会はあれだけの市場規模になったし、それこそおたくが集まって会社を興して商業作品を作ってしまう例(ガイナックスとか)もある。しかしアイドルおたく界にはそういうことは起こり得ないのだ。

実はアイドル界でもそういうことをしようとした例が全くないわけではなくて、たとえば90年代前半(アイドル市場がいちばん冷え込んでいた時代)に存在していたアイドルたち、「制服向上委員会」だとか「水野あおい」だとか、その辺というのはかなりインディーズっぽい、「おたくによる、おたくのためのアイドル」みたいな感じだった、らしい。ところが当時のぼくは、ヒマな大学生で、アイドル評論中心のミニコミ誌製作に係わるほどのアイドル好きであったにも関わらず、彼女たちにほとんど関心が持てなかったのである。まあぼくの周りではそこそこ盛り上がっていたような記憶もあるが、ぼくとしては、「アイドルってのはTVの中の存在だからこそアイドルなんじゃネーノ?」というのが素直な感想だったのだ。

* * *

・・・と、こういう感じの導入でアイドルとかおたくとかモーニング娘。とか松浦亜弥について語ろうと思ったのだけれど今のぼくにはそういうまとまった評論を書き上げる能力がないことが判明したので断念しようかな。たとえば「アイドルおたくというのは・・」などと大上段に振りかぶって何か書こうとした瞬間に、「いや待てよ、これはアイドルおたく一般の話じゃなくてオレ本人の個人的な話だろ」という考えが頭をよぎってしまったり。「そもそもこんなこと書いて何の意味があるんだ?」という身もフタもない考えも浮かんでくるし。

ちょっと話がずれますが、制服向上委員会と言えば、こないだ週刊現代だか週刊ポストだかを読んでいたら、制服向上委員会元メンバーの何とか言う女の子が、アイドルやってた当時にプロデューサーに騙されてセクースさせられただとか、グループ内ではイジメが恒常化していただとか、そういう暴露話をするという記事があったのだが、ああいうのは止めて欲しいなあ。もっと売れたアイドルでも、名前を見なくなって5年くらいしてから、セクシー写真とセットでアイドルをやってた当時の裏話(初体験は17歳のとき、だとか、事務所に隠れてデートをした、だとか)を語ったりするケースがよくあります。最近見たのだけでも、Winkの鈴木早智子と高橋由美子のがあったかな。中嶋美智代のも読んだことがある。

いや、読んでも別にショックはないんです。中嶋美智代なんて当時相当好きだったけど、別に新人賞を獲った頃に不倫の彼がいてどうこう、と言われても、ハア? それで? というくらいの感想でしかない。ぼくが好きだったのはアイドルとしての彼女たちなのであって、裏で何をやってたかなんてどうだっていいんです。TVの中でちゃんとアイドルを演じてくれさえすればいい。ただね、一度そういう立場であった者の責任として、いちおう当時の「裏」は隠し続けておくのが元ファンへの礼儀なんじゃないか、とこういうことを考えてしまうんですね。変ですかね。

8月27日(月)

夏風邪をひいてしまいました。熱は出てないので会社には普通に行ってるんですが、咳がひどくて大変です。

大塚英志『戦後民主主義のリハビリテーション(論壇でぼくは何を語ったか)』(角川書店)を読んでいます。大塚が論壇誌に発表した文章を集めたもので、ぼくはわりとこの人の書いているものは本屋で重点的に立ち読みしているので、2回目に読むような文章が多いのですが、面白いです。というか、関心の方向とか考え方がぼくととても近いので読みやすいんですね。

まったく関係ないですが市井紗耶香の好きな漫画は、大塚英志が原作の「多重人格探偵サイコ」です。ぼくは読んだことないんですが。

8月22日(水)

いろいろ聞いたところをまとめると、キャバクラというのは基本的にもてない男が行く場所らしい。なるほど、そうだったのか。普段女の子と他愛もない会話をしたりする機会がないからこそ、そういうところに行って金を払って女の子と酒を飲むわけで、そう考えるとまあ納得できます。キャバクラ嬢の仕事というのはテレクラのサクラと似ているところがあるみたいです。相手がつまらない話をしててもニコニコ聞いてあげる。男たちにコミュニケーションの機会(所詮は擬似的なものですが)を提供してあげる。少しずつ気をもたせながら相手を繋ぎとめる。そういう仕組みになっていると思っていて概ね間違いはないようです。まあ物事には必ず例外があって、キャバクラの客が全員もてない男かと言えば、もちろんそんなことはないわけですが。

あとぼくは女の人がいてお酒を飲む場所と言うと、なんかケバい服を着た女の人がタバコを吸いながら「あ〜らウーさんお久しぶり〜」って出迎えてくれる・・・みたいなイメージしかなかったんですが(何時代だよ)、キャバクラってのはもっとこう何と言うか、システマチックな場所なんですね。たまたま行ったお店がそういうお店だったのかもしれないけど、なんか妙にドライな感じがしました。べたべたした感じがない。そういうのが今の若者にはいいんですかね。ってオレは何歳なんだ。

知り合いに「性風俗」・「キャバクラ」・「アイドル握手会」を同じ体系の中に位置付けて説明しようとしている野心家がいますが、どうなんでしょう。確かに、男の持つ異性への欲望をバラバラに切り離して、それぞれを満たすための装置を考えるとそんな形になるのかもしれませんね。あ、男の持つ、と書きましたが、もちろん全ての男がそういう形の欲望を持っている筈だということを主張するつもりはありません。それらの装置が要求されるのは、現にそうした欲望がこの社会に多く存在しているためではないかということです。

言うまでもなく性風俗は生殖(射精)の欲望を満たすための装置だし、キャバクラはおそらくコミュニケーションの部分をカバーしているのでしょう。アイドル握手会は・・・ぼくにはよく分からないけど片想いの欲望をカバーする装置なのかな? どうもアイドルの話を始めてしまうと議論が大混乱を来たしそうなので、その辺は別の識者(いるのか?)に譲ることにしておきます。

つーかここでいちばん問題なのは、普通それらの欲望というのは恋人を作ったり結婚したりすることで満たされるべきものだとされている、という部分ですね。そういう理屈で言えば、ぼくが考えていたような昔風の「ホステスのいる酒場」っていうのは、どちらかというと浮気の欲望をカバーするものであったのかも。その辺りに何か考えるべきポイントがあるような気がしたり、しなかったりします。

8月19日(日)

キャバクラねたについてはもう少し時間のあるときにまとめたいと思います。ていうか今は時間がある方なのだけれど、ファイナルファンタジーの2周目を始めてしまったので・・・。

8月17日(金)

○宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』を見に行ってきました。

正直、最近の宮崎監督にはあまりいい印象がなくて、夏休みでヒマでなければ見に行かなかったと思うんだけど、予想していたのよりもずっと良い映画でした。萌えポイントも随所にあったし。部屋から海を眺めてるシーンとか、髪留めをもらって髪をまとめ直すシーンとか。千尋がぺこっと頭を下げてからまた顔を上げるときに、結んだ髪の毛が元に戻るところとか。素直に映像のレベルが高いと思いました。

あと宮崎アニメでは本職の声優でなく役者が声を演じることが多くて、それが一種の宮崎アニメの味を作ってると思うのですが、今回は主役の千尋の声まで子役の柊瑠美って子がやっていて、これがまた良かった。どういう演技指導をしたらあんな上手にできるんだろう、と不思議になるくらいでした。むしろ声にあわせてアニメを作ったんだろうか。千尋ってちょっと柊瑠美に似ているような・・・。

ストーリー的には、ものすごく分かりやすい寓意が散りばめられている(=子供向け)一方で、ストーリー全体を通じて伝えたいことは考えないと分からないようになっていて(=大人向け)、そのへんも上手いなあと思いました。良い映画でした。

○初めて「キャバクラ」というところに行きました。

これにはいろいろと前段があって、もう1年以上前にメールをいただいて以来メールのやり取りが続いている読者のNさんという方がそこでお勤めということで、キャバクラって話には聞くけどどんなところなんだ? とかねがね思っていたこともあり、行ってみることにしたわけです。
それって要は「営業」かけられたってことじゃないの? という突っ込みも入るかもしれませんが、どうだろう、まあ正しいのかな? :-)

実はぼくは女の人のいる飲み屋とかって行ったことがなくて、他の業態と比較できないんですが、キャバクラというのは時間いくらという料金が決まっていて、お客一人に女性が一人つくことになってるみたいです。もちろん酒の代金は入ってるにせよ、女性と話をしながら飲むために、男性客はなにがしかのお金を払って店に入るわけですね。店内を見回してみると、若いグループ客のところなんかほとんど合コンみたいなノリなんですよね。何だこりゃ? と思わないでもない。

つまりですね、ぼくがよく分からなくなったのは、お客は何に対してお金を払っているのか? ということなんですよ。さて、というところで時間が遅くなってきたのでキャバクラ論(?)の続きは次回・・・。

○明日こそトップページを刷新するぞ、と思い続けて早1ヶ月。松浦亜弥の新曲発売も近いし、スキャナとかフォトレタッチソフトとか、使えるツールはいろいろ揃ってるし、頑張ってかっこいいのを作りたい。でもデザインの才能ないんだよな・・・。

8月16日(木)

ずいぶん長い間更新をさぼってしまいましたが、そのあいだに特に何かあったというわけではなく、ただひたすらファイナルファンタジーXでレベル上げをやっていたというのが真実なのであります。おかげで土曜日にはクリアし、そこからは最強のモンスターを倒すために(エンディングの後にまだ最強のモンスターがいるのです)とにかくレベルを上げることに全精力を費やす日々。11日からは休暇に入って会社にも行っておらず、まさに文字通り朝から晩までゲーム、ゲーム、ゲーム。

これじゃいかんなあと思っていたところで都合よく飲み会の誘いがかかり、そこでさらに旅行の話が決まりました。で、昨日と今日は群馬県の温泉で友人と二人、のんびりしていたわけです。温泉街は良く言えば閑静で、もう少し現実的に言えば、かなりさびれてました。でも良かったです。この連休、どこに行っても人だらけだろうなと思っていたので、ああいう静けさの中で過ごせたのはラッキーでした。久しぶりに太陽の下を歩いて、少し日焼けしました。

8月6日(月)

今月の『日経エンタテインメント!』誌には、「2001年下半期、音楽の流れが変わる!! NEXTブレイク20組」と題した記事が掲載されており、松浦亜弥もその中で紹介されている。「これからは男性リスナーが主導権を握る時代」という文脈の中での位置付け。キーワードは、“男が泣ける”“ミドルティーンアイドル”“男女2人組”なのだそうだ。松浦は、もちろん、“ミドルティーンアイドル”の代表格としての扱いである。90年代の「女の子たちの憧れとしてのアイドル」という呪縛から逃れ、男性が親しみやすいアイドル像を提示したのが松浦亜弥である、という内容で、その意味ではぼくが以前に主張していた通りなのだが、やはりいろいろと問題点の多い記事である。

まず問題なのは、記事の中で松浦亜弥がすでに大ブレイクを果たしたかのような書かれ方をしていることである。「久しぶりに話題になっている」「存在感がいやおうなしに増している」「等身大の自然さがウケている」・・・等等。だが現実にはまだ彼女の人気は極めて限定的なものである。その意味で、やはりこれは「日経エンタ!」特有の、「どうせ読者はこの雑誌でしかエンターテインメントを知らないんだから何を書いてもOK」的な、仕掛ける側だけの都合で書かれた記事であると言わざるを得ない。今の消費者は、“仕掛け”の匂いに敏感である。供給者側の“仕掛け”の匂いがするものに、簡単には飛びつかない。供給者側が変に“仕掛け”の匂いを消そうとすると、かえって敬遠したりする。avexが大金を投じたdreamが売れなかったのは、たぶんそのせいであろう。松浦亜弥の売り出しもその点だけは間違えないで欲しいと思う。

そしてさらに問題なのは、他に紹介されている“ミドルティーンアイドル”の例が、BoAであったり、Folder5であったり、dreamであったりする点である。確かにみなブレイク寸前なのは間違いないのだが、彼女たちは飽くまでも90年代のアイドル像を引きずったままの存在である。男の子にも色目を使っているが、基本的には女の子の人気を当て込んでいる面がある。本来、松浦亜弥と同列には論じるべき存在ではないのではないかと思われる。

こうして考えてみると松浦亜弥はやはり異端児なのである。この15年間、誰も踏み入れようとしなかった荒野に、(モーニング娘。の人気という側方支援を受けつつではあるが)分け入ろうとしているのが彼女なのである。彼女の戦略が単なるアナクロと見なされたままで終わるのか、或いはこれこそが2000年代的なムーヴメントの始まりとなるのかは、今後の彼女の成長にかかっていると言えよう。

8月1日(水)

モーニング娘。に急速に飽きつつある。石川梨華は嫌いではなく、むしろ好きなのだが、石川梨華中心のモーニング娘。にはどうにも関心が持てない。ぼくの考えていたモーニング娘。の魅力は、完全に失われてしまったように思う。ただ、ぼくのそんな気持ちを見計らったかのように新メンバーがもうすぐ追加されるので、その後の展開次第ではまた関心を持てるようになるかもしれない。


最新の日記
前月の日記
戻る