♪へなちょこ男はダメダメ!


3月30日

やっと熱が下がる。予定外の休みが一日入っただけで、仕事の日程が突然きつくなってしまった。体調の管理はやはり大事だ。そう言えば、先日の昇格試験の結果が出ていた。なんとか合格したらしい。やれやれ。

3月29日

いつまでたっても熱が下がらないので、ついに会社を休む。病気で休んだのは会社に入ってから初めてのことだ。とはいえ、こうして日記を更新していることからも分かるように、起き上がることもできない、というほどでもない。明日は下がってくれるといいのだが…。

3月28日

熱が相変わらず下がらない。今日はさすがに医者へ行って薬を出してもらったのだが、夕方になって逆に熱が上がってきたので、早々に家へ帰って寝る。こういうときに一人暮しだと寂しいだろうな、と思う。家族が特に何をしてくれるわけでもないのだけれど。

3月27日

朝、バファリンをのんで会社に行ったら、熱も下がって結構調子良かったのだけれど、帰ってきてからまた少し熱が出た。会社人間のさがだろうか。

3月26日

一日じゅう寝たり起きたり。

3月25日

風邪気味だと思っていたら、本格的に熱が出て一日寝込む。ぼくが熱を出すのは決まって週末だ。まだ病気で会社を休んだことはない。今回の熱もたぶん、月曜日には下がるだろう。

3月22日〜23日

チームの宴会でしゃぶしゃぶを腹いっぱい食べ、カラオケが大好きな次長のお供でカラオケに行き、ホロ酔い気分で帰って寝ようとしているところに会社からトラブル発生の連絡が入る。あちこちに連絡しながら対応策を決めてとりあえず寝る。朝はいつもより早めに出勤していろいろ仕事する。一日で二日分疲れたような気分。市井紗耶香の写真でも眺めて心を癒そう。

3月21日

昼休みに近所の書店で「MUSIC MAGAZINE」を購入。パラパラと読んだだけだけど、特集の「音楽誌が書くJポップ批評」は、「おお!さすがは音楽誌が書いただけのことはある!」とまでは言えませんでしたね。

モーニング娘。についてもいろいろ語られてましたが、「踊らされてることに自覚しながら、あえて踊りたいという気持ちにさせる」という表現は、なかなかいいところをついていると思いました。ただ、その話が出ている対談の中で、別の発言者が「『LOVEマシーン』が出たときに、これが俺の求めていた音楽だ、と思った人はいないだろう」と言っていたのは、違うと思いましたです。だってぼくはあの曲出たとき、これだ! と思ったもん。

てな感じで、モーニング娘。についての評論は、そろそろ出尽くした感がありますね。これからどうなるのかな。

更新情報リンク集がちょこっと更新されてます。

3月20日

三連休の最終日でもあることだし、今日は外出しよう、と思っていたのだけれど、ちょっと風が強過ぎるので、家にいることにする。ずっと勉強をしていた。ということにしておこう。

3月19日

古いパソコンのファイルの整理をする。あとは勉強。

3月17〜18日

17日の金曜日は仕事帰りに新宿のロフト・プラスワンに行った。久しぶりだ。宮台真司のトークを聞くためだったが、ゲイまんが家の田亀源五郎もなかなか面白かった。今夜のテーマはセックスについて。セックスの多様性を認めろという主張、これはいいと思う。だけどちょっと違和感を感じたのは、「だからみんなもっと探索しろ」という具合になると、なんか抑圧的? になっちゃうんじゃないかなあ、と。…考え過ぎかなあ。つまり相手がいなけりゃ話にならないんだからさあ。うーん。本当に「セックスを楽しまないと人生損してる」のか? うーん。なんだかなあ。別にセックスしなくても幸せな人はいくらでもいるし。

もちろん、ここで主張されているのが「自分の物差しで他人の性に文句をつけるな」だというのはよく分かる。ただそれを進めて「多様な性を知らない人は損してる」と言い切っちゃうのは、結局「自分の物差しで他人の性に口を挟む」ことにほかならないのではないか、なーんて。

イヴェントが終了したのは12時過ぎで、そのあと知り合いと飲みに行って徹夜する。日本酒を飲み過ぎてフラフラになりながら、朝8時に家に帰りつき、死んだように眠る。よく家に帰りつけたものだと思う。四ッ谷駅と飯田橋駅で吐いたことや、東京駅のエスカレーターで転んでまわりの人に「大丈夫ですか?」と声をかけられたことなどを断片的に憶えているので、かなりの酔い方だったのではないかと思う。

目が醒めると夕方の5時。5時10分に新宿で学生時代の友人たちとの飲み会の待ち合わせがあったのだが、とても間に合わない。幹事に連絡を入れてからシャワーを浴びて出かける。米国に留学中の友人が一時帰国しているのだ。すっぽかすわけにはいかない。さすがに今日はもう飲めないと思っていたのだが、美味しいおでんを食べるとどうしても酒が欲しくなってまた飲む。

それにしても、ぼくはいつからこんな酒飲みになってしまったのだろう?

3月16日

くしゃみ・鼻水の原因が風邪なのか花粉症なのかよく分からず、悩む。

3月15日

2000年対応無事に終わっておめでとう会があったので、いささか酔っているわけであります。

週刊少年マガジンで福本伸行の連載が始まりました。福本伸行ワールドです。ぼくはいちおう「天」「アカギ」「金と銀」「カイジ」と彼の作品を読んできてますから、すんなり世界に入っていけるわけですが、初めて彼の作品に接する人はすぐにこの世界に馴染めるものなのでしょうか。ざわ・・・。

まあそれはいいです。別の話をします。えーと、「小谷野原理主義過激派BBS」にも書きましたが、小谷野敦の結婚およびその後の「転向」とも思える発言の数々、実は分からないでもないなあという気がしているのであります。つまりね、オレは本当にもてないわけじゃねえんだよ、ていう。彼は、「最近の若者はもてるやつ、もてないやつが二極分化している」という意味のことを言っていましたが、実際にはその中間層というべきものがあるわけであります。彼も自分自身そこに位置すると思っているに違いありません。(そしてぼくもそうです。)

本当にもてない男とは、それこそ30歳過ぎても童貞で、女性と話をすることもできず、趣味と言えばアニメを見るとかゲームをするとかしかなくて、たまさか女性と二人で出かけるような機会があってもゲーセンとかアニメ映画に行っちゃうような、そういう連中のことです。小谷野氏はそういう連中から支持されるとは想定していなかったのでしょう。(そのこと自体が甘いと言えばそれまでですが)。

ただね、微妙なんです。オレは本当にもてないわけじゃないんだ、とか気張ったって、実際もててるわけじゃないんですから。まあ普通に女性と話したりどっか遊びに行ったりする分にはいいけど、その先はまったくダメという男にとっては、知り合った女性を次から次へと「食って」しまう男の存在、そこまでは行かなくても「五人に一人は食うだろ、普通」という男の存在というのは、ものすごく疎ましいわけです。それで、ごっちゃごちゃ理屈をこねるわけですが、それが薮蛇というか墓穴というか、そんな感じになっちゃうんです。すっごく分かります。(これ自体勘違いかもしれないけどさ。)

ていうか、酔っ払って書く文章ってやっぱダメですね。

ここ2,3日、久しぶりに村上春樹の文章を読んでいます。「やがて哀しき外国語」。

3月13日

久しぶりに仕事。

3月12日

学生時代の友人と4人(男女2人ずつ)で映画を見に行く(本当は野球観戦の予定だったが雨で中止)。そのあとカラオケを歌って、焼肉を食べる。とてもおもしろかった。

3月11日

一日中家にひきこもって過ごす。4連休はいいなあ。3日休んでもまだ1日休みが残ってる。今日は久しぶりに「考えないヒット」を更新しました。なんかイマイチだけど。

『噂の真相』誌の浅田彰・田中康夫・中森明夫の特別鼎談、中森明夫がなんかむかつく。わざとやってるのは分かるけど、あまりにも悪乗りし過ぎ。自分が本当に「黒幕」としてすごい力があるんだと勘違いし始めてないか? まあ、あの人が最近言ってる「アエラ的」っていうキーワードはけっこう面白いと思うんですけどね。

3月10日

昨日と今日は休暇だった。昨日は昔勤めていた支店に行って、残っている口座の整理をした。今年の新人の女の子が応対してくれた。そのあと秋葉原の電気街に行き、買い物をした。大きな金額を見た直後だったので、ついつい気が大きくなってCD-Rドライブなど買ってしまった。何に使おうかな。デジタル・カメラにも食指が動いたのだが、それは今度にした。でもデジカメってハメ撮り以外で何に使うんだろ?

今日はレンタル屋でヴィデオを借りてきて家で見た。田中麗奈主演の「がんばっていきまっしょい」。ぼくが見ようと思う映画のジャンルは偏っている。これまで見て印象に残っている映画と言えば、「バタアシ金魚」「櫻の園」、このあいだ見たのは「四月物語」だったし、要は高級なアイドル映画が好きらしい。「ラブ&ポップ」もそうかな。

3月8日

地下鉄日比谷線が脱線して死者が出る。通勤電車の車内で事故に遭って死ぬ可能性は、ぼくにだってある。死はいつもぼくの隣にあるということだ。改めて、そんなことを考えてしまう。

3月5日

朝はちゃんと起きて、お茶の水で本を買ってから四谷の上智大学でちょっとした検定試験を受ける。運が良ければ受かっているだろうが、運が悪ければ落ちているだろう。まあどちらでもいいのだ。

ぼくはそこらの銀行員の中では段違いにフェミニズムについてよく知っていると思うのだが、知っているからそれが何になるというのかが問題。結局のところ、ぼくだって結婚したら家事は相手にやってもらおうとするんだろうし…。う〜ん。

3月4日

遙洋子「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」(筑摩書房)を読む。これは面白い。分かりやすいフェミニズム入門書であり、かつ、「学問」そのものへの入門書にもなっている。遙洋子というタレントは、NHKのスタジオパークかなにかでちらっとしか見たことなかったけど(基本的に関西ローカルの人なんでしょう)、すごいよこの人。ダビスタのアナウンサーなら「これは恐れ入りました!」と叫ぶところだ(分かりにくい喩えですみません)。後書きによると編集担当が藤本由香里だったらしく、なるほどと思う。

3月3日

昨日か一昨日の朝日新聞の夕刊で、東京女子大学の哲学の先生(例によって名前忘れた)がネット上の文字情報についての考察をしてました。紙に書かれた文字は改竄されればその痕跡が残るが、ネットの上にある文字は、それが書き換えられてもまったく分からない。ネット時代の到来によって、「文字情報」というものに対して人が無意識に抱いていた信頼が覆されつつある。そんな話。

会社でもペーパーレスという話題はよく出るんですが、なかなか徹底されません。特に年齢が上の人は、電子的な情報というものに本能的な猜疑心を抱いていますからね。しかも、その猜疑心はあながち間違ったものとも言いきれないわけです。2000年問題で露呈してましたね。結局、最後の手段はデータをすべて紙に出力することだったわけですから。ぼくらが信頼しているのは、手で触って確かめることのできる、実体のあるモノとしての情報なのです。

それとちょっと話がずれるかもしれないんですが、音楽のネット配信というものがありますね。あれってどうなんでしょうね。音楽ビジネスがすっかり変わってしまうと言われていますが、本当にそうなんでしょうか。つまり、今でもレンタルショップというものがあって、単に音楽を聴くだけなら借りてきて録音すれば十分なわけですよね。それなのに何故みんなCDを買うのか。それって、はっきりと所有できる、実体のあるモノを手に入れたいからなのではないでしょうか。ジャケットがあって、贔屓のアーティストの写真があって…。

これって古いのかな? 重要なのは情報の中身(コンテンツ)であって、本で言えば装丁とか、字の大きさとか、持ったときの重みとか、文庫本だったら手にすっぽり収まるあの感じ、そういったものって単なる付属品で、いらないものなのかな? そんなことないような気がするんだけどな。

3月2日

神戸でテレクラ襲撃事件が起こる。明け方のテレクラの一室で炎に巻かれて命を落とした4人の男性のことを考えると、こういう言い方は不謹慎かもしれないが、非常にイマジネーションがかき立てられる。もしかするとそれはぼくだったかもしれないのだ。もしぼくが小説家かルポライターであれば、今すぐ神戸に取材に出発していることだろう。たぶんノン・フィクションとして書くよりも、フィクションにした方がいいような気がする。

そうだ、ここで「テレクラ再襲撃」の冒頭を使って、小説を書けばいいのだ。死んでいった4人の男性の心情。リンリンハウスだから、話し相手はきっとサクラだろうが、そのとき彼らと話していたサクラ嬢。犯人。いったいどんな小説になるのだろう。ああ、もしも僕の文章がハルキ節であったなら。

3月1日

風邪は何とか持ちなおすが、目の充血が取れない。ぼくは肩こりは知らないのだが、代わりにときどきひどい疲れ目になる。ゲームを控えて早めに寝よう。


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