10月29日(月)
金曜日の午後あたりからどうも寒気がするような気がして早めに帰宅し、熱を計ると38度7分もある。すぐさま寝込む。週末だし、2日も寝ていれば治るだろうとタカをくくっていたのだが、いっこうに熱の下がる気配がない。何度計っても38度後半である。全身がだるく、身体の節々が痛む。ときどき果物とおかゆ程度のものを口に入れていたのだが、こういうとき一人暮らしだと大変だろうなあと思う。すぐにでも結婚したくなってしまうかもしれない。
月曜の朝になっても熱が全く下がらないので、会社に病欠の連絡を入れて、近所の開業医へ。ただの風邪で、あと1日も我慢すれば熱は下がるだろうと言われる。午後から、もらった薬が効いたのか、それとも自然に治る時期だったのか、徐々に熱が下がり始める。それでも丸3日寝ていたので体力が落ちていて、歩くとフラフラする。布団で村上春樹のエッセイなど読んで過ごす。
というわけで、体重は見事に4kgくらいは落ちました。明日は会社に行けるかなあ・・・。
10月23日(火)
ここのところ、ぼくは着実に太り始めている。歳のせいなのか、ビールの飲み過ぎなのか。ここのところ飲み会が比較的多くて、そのたびに翌日、「昨夜はちょっと飲み過ぎたなあ」と考えているような気がするから、後者が主な原因である可能性は高い。ただ、ぼくの聞いた話だとビールそのものが太る原因になるわけではなくて、ビールと一緒に脂っこいものをたくさん食べてしまうのがいけないらしい。だとすると、ビールはジョッキ1杯くらいにして、残りを日本酒にすれば太らないだろうか。問題は日本酒を飲むと酔っ払い方がひどくなる恐れが強いことである。
10月22日(月)
正直、昨夜は友人と飲みに行って例によって少し飲みすぎたので、日記も勢いで書いてる部分があったのだけれど、やっぱりモーニング娘。の新曲が非常によい出来であることに変わりはない。13人などという大人数のグループになってしまったモーニング娘。にはもう以前から見切りをつけていたつもりだったのだが、こんな風にあっさりと逆転の一手を出してくるんだから、やはりつんく♂の手腕が見事であるとしか言えない。こればっかりは事務所の戦略だとか、マーケティングだとか、その辺だけでは解決できない部分であろうと思われる。(別につんく一人で考えてるわけじゃないにしても)
10月21日(日)
モーニング娘。の新曲「Mr.Moonlight〜愛のビッグバンド〜」なんですが、
はっきり言ってサイコーです。
これまでにない形の、アイドルによるエンターテインメントです。
メインを取るのは、今までほとんど歌では目立っていなかった吉澤ひとみ。彼女がちょっとキザな青年を演じているのだが、これがもう決まりすぎるくらい決まってる。間奏でのセリフ、シャウト、これを男がやったら寒いだけなのだけれど、彼女が演じるとピッタリと決まる。ちょっとこういうパターンはぼくの記憶にないです。
もちろんこれを吉澤ひとみが一人で歌うのは絶対に無理なわけで、13人のモーニング娘。でやるから成り立つ曲なんですね。アイドル・ポップスにはこんな形もあったのか、とぼくはもう感動するばかりです。素晴らしい。大絶賛。
10月31日発売。みなさん騙されたと思って歌番組チェックしてみてください。
(またしてもこの人と意見がスルドク対立してるんですが・・・)
10月18日(木)
モ娘。(狼)@2ちゃんねるにこのサイトのURLを張った人がいる。アクセス解析もしてないのに素で見つけてしまいました。ていうかぼく名無し閣下じゃないです。そんなおこがましい。
桜井啓子「現代イラン 神の国の変貌」(岩波新書)を読みました。女性の研究者だけに、イラン女性に関する記述が多いです。チャドルに関する話題は、ぼくが最近気になってる「“見られる性”としての女性」というテーマについて示唆を与えてくれるものでした。
10月16日(火)
ふと本棚の奥から高橋留美子の「めぞん一刻」を取り出して読み始めたら止められなくなった。二日連続で朝の3時半まで読みふけってしまった。アホです。しかしこのまんが、まさにラブコメディの金字塔と呼ぶにふさわしいね。
ちなみに↓のコマ、ぼくの考える「“もてない男”にとっての理想」。
10月14日(日)
アイドルポップス通の俺から言わせてもらえば今、アイドル通の間での最新流行はやっぱり、
小西康陽、これだね。
小西プロデュースで化粧品のCMソング。これが通の売り方。
小西プロデュースってのはポップ感が多めに入ってる。そん代わり萌え要素が少なめ。これ。
唐突ですが、告知です。
10月10日(水)
市井紗耶香に復帰の情報があるのだけれど、まったく嬉しくない。というよりむしろ腹立たしいくらいだ。なんなんだ、たいせー(元シャ乱Q)と組んでフォークのカバーアルバム、って。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前は本当にフォークをカバーしたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
10月9日(火)
深田恭子の新曲「キミノヒトミニコイシテル」はいいなあ。どこから聴いてもピチカート5そのままなんだけど、小西の作ったアイドルの曲の中でこれがいちばん好きかも。三浦理恵子のファンだった頃、「日曜はダメよ」とかまっっっったく萌えなかったのに。
10月8日(月)
昨日のオフ怪はとっても楽しかったです。幹事2名がいちばん楽しんでいたような気もしますが。というか「お前は幹事としての自覚があるのかゴルァヽ(`Д´)ノ」とか言われてましたが。
10月6日(土)
昼過ぎに目を覚ます。で、あとはずっと家でゴロゴロしてました。
10月5日(金)
昨日は会社のチームで飲み会があった。10時過ぎに家に戻ってきて、布団をしいて服を脱いだところまでは覚えているのだが、その次に気づいたら朝の5時半だった。そんなに飲んだつもりはなかったんだけど・・・。
10月3日(水)
1年くらい前に企業向けの商品展示会に行き、会場を埋め尽くすコンパニオンの群れに「何なんだ、これは」と思って以来、どうにもそのわだかまりが取れないでいる。どうして来場者に新商品を説明するのに、身体のラインを思いっきり強調した、水着に近いような衣装をつけた、スタイルの良い若い女の子が必要なのか。
関係あるかどうか分からないけど、ぼくは男性向けまんが雑誌の巻頭の水着グラビアというやつがあまり好きではない。「若くてそこそこ可愛くて胸が大きい」という条件さえ満たしていれば誰でもいい、いくらでも代替可能な、そういうグラビア・モデルの存在にどうも馴染めない。
たぶんコンパニオンにしてもグラビア・モデルにしても、本人たちにはそれぞれ努力や苦労があるのだと思う。だがそれはそれとして、彼女たちの存在価値の大半は、男性の視線を集める、というただその一点に集約される。そしてそのためには、若くて、そこそこ可愛くて、胸が大きければ事足りる。名前などなくていいわけだ。名前のない、ただの「女」。そういう存在をこの社会が必要としていることそのものに、ぼくは引っ掛かりを覚えてしまう。
それとぼくがアイドルおたくであることとの間に矛盾はないのか、と問われるかもしれない。ぼくの中で矛盾はない。松浦亜弥はあくまでも松浦亜弥であって、他の誰をもってしても代替の利かない存在なのだ。逆に言うと、そういう存在になり得ないアイドルは、ぼくにとってはアイドルではない。
10月2日(火)
週刊文春の長寿コーナーに「淑女の雑誌から」というのがある。女性誌のセクース記事のダイジェスト版。ぼくは思春期の頃からあのコーナーが大好きだった。というか、実用的な意味でとても重宝してました。当時は、「女性にも性欲がある」っていう事実そのもので興奮できたんですね。でも最近マジでつまらない。採り上げられる雑誌が偏りすぎ。あのコーナーの担当記者は、そっち方面専門の女性誌・ティーン誌を適当にパラパラやって、適当に記事を抜いてくるだけでいい、みたいなことになってる。
結局のところ、男でも女でも、性欲の強い人、セクースこそ人生のすべて、ぐらいのことを思ってる人と、性欲があんまりない人、セクース? フーン、ってなくらいにしか思わない人、こういう二つの層に分化してるんじゃないのかなあという気がしないでもないです。たぶん「an・an」のセクース特集あたりからいろんなことが変わってきたのかもしれない。根拠はないけど。普通のメディアが普通に性を採り上げるようになって、それはいいことだと思うんだけど、なんかその分どこか別の場所に歪みが出てきてやしないかという感じもします。「淑女の雑誌から」がつまらなくなったのもそのせいだし。
で、ぼくとしてはここから例によって話題を「もてない男問題」につなげていきたいのですが、うまくまだ考えがまとまってないんで、また書きながら考えていきたいと思います。