【遺跡発見の経過】

 寺屋敷遺跡(岐阜県揖斐郡藤橋村大字山手字沢焼)は、旧徳山村の徳山ダム水没予定地区内にあります。徳山村は1987年3月、徳山ダム建設事業に伴い全村移転・廃村となり、藤橋村に吸収合併されました。
 地元の方々によって「寺屋敷」という地名が残されていましたが、1989年に「揖斐谷の自然と歴史と文化を語る集い(揖斐谷ミニ学会)」(事務局篠田通弘)の略測調査の結果、人為的に山の尾根を削平して整地された痕跡があることが確かめられ、同会より藤橋村教育委員会を経て遺跡発見届が提出されました。

【調査の経過】

 水資源開発公団の委託、岐阜県からの再委託を受けて(財)岐阜県文化財保護センターが1993年度から3か年かけて発掘調査を行い、調査課職員の篠田通弘が調査担当者としてただ1人、3年間通して調査を担当し、補助調査員・作業員の方々とともに調査にあたりました。

【調査の成果】

 調査の結果、遺跡は3つの時期が複合していることが判明しました。まず第1次遺構面として平安時代後期の礎石建物跡(仏堂跡と推定される)を検出し、さらにその下から第2次遺構面として縄文時代の竪穴住居跡を検出しました。また、地表下約2.5メートルの地点より第3次遺構面である旧石器時代の石器製作跡(約2万3000年以上前、西濃地方最古)を検出し、従来1万年前に始まると考えられてきた徳山村の歴史がそれよりも1万年以上前にさかのぼることが明らかとなりました。旧石器製作跡の上層には鹿児島の姶良カルデラから噴出した姶良火山灰(約2万3000年前に噴出)が大量に降り積もっていて、これにより寺屋敷遺跡の旧石器の年代が明らかであることから、中部地方の旧石器研究の物差しとして貴重な資料であるとして、全国的に注目を集めている遺跡です。

【寺屋敷遺跡関係の主な文献】

●篠田通弘「平成6年度徳山ダム水没地区内埋蔵文化財緊急調査の概要 寺屋敷遺跡」(『第13回揖斐谷の自然と歴史と文化を語る集いレジュメ集』所収、1995年)。
●(財)岐阜県文化財保護センター『徳山に埋もれた歴史を探る1993年度徳山地区埋蔵文化財発掘調査現地説明会資料−』(1993年)。

           『ちっとばか きばらまいか通信』号外(1998年6月6日発行)より。