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・「ハロルド・ガーフィンケルのテキストにおける言説空間設定の問題」『天理大学学報』no.187,pp.127-142.天理大学学術研究会(1998/2/26)


ハロルド・ガーフィンケルのテキストにおける言説空間設定の問題
石飛和彦
A Topological Problem in the Work of Harold Garfinkel
ISHITOBI Kazuhiko

0:はじめに

学派としてのエスノメソドロジーは、ハロルド・ガーフィンケルが『エスノメソドロジー研究』を世に問うて以来つねに、社会学の理論的布置の中で/に対して、ある奇妙な位置をとり続けてきた。本稿の目的は、エスノメソドロジーが社会学に対していかなる位置関係にあるかを同定することにある。本稿では、特にガーフィンケルのテキストそのものを辿ることによって、その独特の位置取りを描き出すことを試みる。

1:対立と和解、差異と同一性

3つのテキストがある:

社会的事実の客観的現実性こそ社会学の根本原則であると教えたデュルケムのある種の言辞(certain versions)とは対照的に、次のような教えが採用され、研究方針として用いられなければならない[註:versionには訳文という意味もあるので、ガーフィンケルはここでアメリカへのデュルケム紹介の偏りを指しているとも考えられる。(…)]。つまりそれは、日常生活において共同生活を絶えずなしとげていくこと(ongoing accomplishment of the concerted activities of daily life)としての(as)社会的事実の客観的現実性ということであり、また、このようになしとげていくためのごくありふれたしかも巧みなやり方が、社会成員によって知られており、用いられており、当然のこととされていること − このことこそ社会学する者にとって根本現象(a fundamental phenomenon)であるという教えである。(A)
デュルケームの教えの一部であるところの、社会的事実は客体的リアリティであるということが社会学の根本的な原則であるという説とは反対に、我々は、社会的事実の客体性は、日常生活の一致した行為によって不断に達成されつつあるもの、そしてその当り前で見事な達成のされ方が、その成員によって知られ利用され自明視されているものととらえて、それを、社会学者にとっての根本的な現象であるとみなそう。それが[フッサールからの]教えであり、エスノメソドロジーの研究の指針である。(B)
社会的事実の客観的現実こそ社会学の根本原理であるというある種のデュルケームの教えとは対照的に、この教えを反転させて次のような研究指針として使おう。つまり、社会的事実の客観的現実は日常生活の協働的活動を通して進行的に達成されたものであり、その達成の仕方はごく普通の、しかも巧妙なやり方でなされる。そしてこの達成方法はメンバーによってよく知られており、いつも使われていて、あたりまえのものとされているのである。そして、メンバーによる協働的な達成としての社会的事実の客観的現実は、社会学を行っているメンバーにとって根本的な現象なのである。(C)

これらのテキストはいずれも、『エスノメソドロジー研究』序文の冒頭第2文目のワンセンテンスを日本語に翻訳したもの(註や補訳も原訳文のママ)である。恐らく同書の中で最も頻繁に引用される同箇所の原文は以下の通りである:

Thereby, in contrast to certain versions of Durkheim that teach that the objective reality of social facts is sociology's fundamental principle, the lesson is taken instead, and used as a study policy, that the objective reality of social facts *as* an ongoing accomplishment of the concerted activities of daily life, with the ordinary, artful ways of that accomplishment being by members known, used, and taken for granted, is, for members doing sociology, a fundamental phenomenon.
(文中*行目'as'がイタリックで強調されている)(Garfinkel(1967),p.vii)

一見して明らかな通り、ガーフィンケルによる原文の英語(これが英語と呼べるとして)から日本語に移るまでには、翻訳過程に生ずる解釈が無視し得ない形で介在している。特に、これらの翻訳のうち第2のものはアメリカ、第3のものはフランスでそれぞれ刊行されたエスノメソドロジーの教科書の邦訳書中の同文引用部分ということもあり、上記邦文が決定されるまでには各々独自の経過を辿っていることが想定されるだろう(なお、第1のものは、日本へのエスノメソドロジー紹介のかなり初期のもので、やはり教科書的な体裁のリーディングスの中の一編の中で同文を引用してある部分である)。
ところで、本稿の文脈から注目されるのは、同箇所の冒頭、デュルケームに言及している部分である。『社会学的方法の規準』の著者(ここに引かれているのも同書の中心的テーゼである)であり現代社会学の父のひとりであるデュルケームが言及されているということは、本稿の関心である社会学とエスノメソドロジーとの位置関係はまさにここで指示されていると考えていいだろう。
さしあたり読み取りうる事は、3つのテキストがともに、デュルケームとエスノメソドロジーとの「対照的」ないし「反対」といった関係を強調して訳出しているという点だろう。第1と第3のテキストでは、「対照的」という位置関係を指示する部分を独立させて1文とし、訳文の最初に(つまり、この部分全体の趣旨を要約的に予告する位置に)置いている。第2のテキストでは、原文の"in contrast"をより強く「反対に」と強調して訳している。付け加えるならば、これらのテキストが置かれている文章の文脈が、「反対」という位置関係を強調している。第2のテキストが置かれているのは、教科書第三章「エスノメソドロジーの知的源流」の中のフッサール現象学についての節の中であり、恐らくその文脈からであろうが、原文に対して「それが[フッサールからの]教えであり」という言葉を補っている。つまり、そこではデュルケーム社会学からの切り離しとフッサール現象学への位置づけが(やや強引に)強調されているのである。また、第3のテキストは、教科書第二章「エスノメソドロジー運動の歴史」の中の「1967年学派創設の書」という節の冒頭に置かれている。「『研究』の前書きで、ガーフィンケルは自分の研究が導いたパースペクティヴの転換を宣言している」という1文に続けて上記の部分が引用紹介され、さらにそれに続けて「デュルケームとは反対に、社会的事実はそれ自体で客観的現実として私たちに押しつけられるわけではない」という形で改めて「反対」という関係が強調され、またその節を「『研究』出版の翌年から、ジェームズ・コールマンの論文を皮切りに、伝統的な社会学者たちからの批判と反撃が始まる」という1文で締めくくる事で、あくまで対立的関係が強調されている。
伝統的社会学に鋭く対立するラディカルな思潮としてのエスノメソドロジー − こうした構図は、上に引用したガーフィンケルの宣言を言質としながら、伝統的社会学とエスノメソドロジー双方によって受け入れられていた。それは、単に理論上の問題ではなく、具体的な人的ネットワークや実際の研究・教育活動のありかたの次元の問題でもあった。特に初期のエスノメソドロジー運動をめぐるそうした状況は、例えば次の記述によって鮮明に伝えられている:

何度かエスノメソドロジーの表現や用語(もちろん内容も含むが)をめぐるシンポジウムが組まれ、従来の”社会学”からかなりの批判を浴びた。エスノメソドロジストたちは、公刊せずに、分析の成果を自分でガリをきって原稿を作り、仲間うちでまわし読みをして批判しあうという時代が続いた。まさに … ”一種の秘密結社”的様相をおびたのだ。(好井(1987))

もっとも、そうした対立状況は、現在の時点ではかなり弱まってきてはいる。エスノメソドロジーが徐々にではあれ、学会に認知され、社会学の指導的な理論家によって参照され、標準的な社会学のテキストに紹介されるまでに至った現状を、例えばメルヴィン・ポルナーは韜晦混じりに次のように語っている:

実際のところ、娘をエスノメソドロジストに嫁にやろうとは誰も思わないし、ましてや自分の子どもをエスノメソドロジストにしたがる者などいない − だいいち、エスノメソドロジストを雇おうという者さえ稀なのだ。だがしかし、社会学という学問領域は、かつての賤視の対象による貢献を認知し取り入れ始めたのである。(Pollner(1991))

こうした「和解」は、単に具体的な人的ネットワークの次元でのみ起こったわけではない。純粋に理論的な次元に於いても、エスノメソドロジーの理論的ルーツを社会学の伝統の文脈の中に位置づけようとする研究が発表された。ジョン・ヘリテッジは『ガーフィンケルとエスノメソドロジー』(Heritage(1984))において、ガーフィンケルの問題意識の出発点をタルコット・パーソンズの理論(言い換えればアメリカ講壇社会学のまさに中心)の中に見出し、パーソンズの提起した「ホッブズ的秩序問題」の継承者としてガーフィンケルのエスノメソドロジーを位置づける。また、リチャード・ヒルバートは『エスノメソドロジーの古典的源流』(Hilbert(1992))において、規範・道徳性・リアリティ・アノミー・物象化・官僚制といったテーマについて、ガーフィンケルとデュルケーム、ウエーバーとが共通した問題意識からアプローチしていることを論証し、それによって、パーソンズに代表されるアメリカ講壇社会学が「抑圧」してきた古典的社会学のエッセンスの復活者として、ガーフィンケルを位置づけようと試みている。
対立と和解、あるいは、理論的な差異とその深層に通底する同一性。社会学とエスノメソドロジーとの位置関係を評定しようとする我々の目を、こうした構図は奇妙に安心させる。しかし、本稿ではむしろその構図の与える安心感の「奇妙さ」の方にこそ注目していこう。日常会話のやりとりや挨拶、ジャズピアノの弾き方や性転換者の生活について研究するためになぜああまで激烈な批判を応酬しなければならないのか。それを、単純な表面上の誤解に起因する対立だったとは考えがたいのではないか。むしろ、そうした対立と和解の構図じたいから奇妙に逸脱していくものとして、社会学とエスノメソドロジーとの位置関係を評定し直すことこそが、以下の課題となるだろう。そのために我々は、改めてガーフィンケルのテキストに立ち戻ることにしよう。

2:エスノメソドロジーとは何か?

2−1:「エスノメソドロジーとは何か?」
『エスノメソドロジー研究』第1章には、「エスノメソドロジーとは何か?[What is ethnomethodology?]」という章題が与えられている。同書をごく普通に最初から読もうとするならば、解読困難な序文と短い謝辞、目次に続いてあらためて1頁と記された第1章の章題として提示されたこの疑問文にごく自然に共感するだろう。そして、書名からしてもエスノメソドロジーによる諸研究がまとめてあるに違いない同書の第1章となれば、当然そこにではエスノメソドロジーなるものについての定義的な説明がなされていることを、誰しも期待するはずである。そして現に、第1章のテキストはこの問いへの解答を準備する形で展開するかに見える。
さしあたり、同章は次のように書き始められる:

以下の諸研究は、実践的活動・実践的環境・および実践的社会学的推論を経験的研究のトピックとして扱い、日々の生活の最もありふれた活動に対してあたかも異常な事象に対するときのような注意を向けることによって、それらをそれら自体の権利においてある諸現象として研究しようとするものである。これら諸研究の中心的な主張は次の通り。すなわち、成員たちが日常的な諸々の出来事からなる組織化された諸状況を産出し維持していくために行なっている諸活動は、それらの諸状況を「叙述−可能」にするための成員たちの手続きと同一のものである、ということだ。叙述実践と叙述との「反映的」・「受肉化的」な特徴は、上の主張の中でも重要な問題を成している。「叙述可能」というとき、私は次のようなことに関心を寄せている。観察可能−かつ−報告可能、言い換えれば成員たちに利用可能ということを、私は、見ること−そして−言うことの状況づけられた諸実践という意味で使っている。私はまた次のことも意味している。すなわち、そういう諸実践は、終わりのない・刻一刻の・そして偶発的な達成からなっている、ということ;そしてそれらは、まさにそれらが組織化しながら描きだす当の普通の諸出来事の、助けのもとで営まれ・その中で起る事象として生み出されている、ということ;そして、それらの諸実践はそれらの状況の関与者たちによって行なわれるのだが、彼らは、その達成の細やかなワークに関する自らの技術・知識・そして権威付与といったもの − すなわち自らのコンピータンス − に、執拗なまでに依存し・認識し・用い・そして自明視している、ということ;そしてまた、彼らが自らのコンピータンスを自明視しているということそれ自体が、関与者たちに、状況の独自固有な特徴を供給しているということ、そしてもちろんそのことがまた同時にリソース・トラブル・方針その他をも、彼らに供給しているということである。(p.1-2)

極端に高密度であり独特のジャーゴンに満ちたこの文章は、およそ理解されるという可能性を拒絶しているかに見える。しかしここには、エスノメソドロジーの基本的論点が凝縮されているだろう。その意味では、冒頭のこの段落が、章題の問いへの解答のアウトラインを予告していることが期待されるだろう。
そして、6節に区切られた同章の中で最大の(全体の3分の2を占める)、そして3つの事例を含んだ節の題に、「エスノメソドロジーとは何か?」という問いが再び繰り返され、そこに次のような形でほとんど定義めいた言明が為されもしている:

私は「エスノメソドロジー」という術語を、次のような研究に言及するために用いる、すなわち、日常生活の組織化された技巧的な実践の偶発的で刻一刻の達成としての、インデックス的表現及びその他の実践的行為の合理的諸特性についての研究に言及するために用いるのである。(p.11)

しかし、ここで我々は奇妙なことに気付く。ごく単純な文法の問題として、「エスノメソドロジーとは何か?」という問いへの解答は、「エスノメソドロジーとは・・・である」という言明のはずなのだ。ところがガーフィンケルは本章の中で、自ら2度繰り返したこの問いに対して、そういう形での解答の言明を避けているかのようなのだ。
無論、"Ethnomethodology is ..."という言い回しを避け、"I use the term "ethnomethodology" to refer ..."という言い回しを選択することじたいは、ごく自然な文体上の配慮以上の何でもないとさしあたりは考えておけるかも知れない。しかしながら、ガーフィンケルが実際に選択した言い回しの中に「言及する[refer]」という語が用いられているという点に注目するならば、そうした「解答の不在」にはある積極的な意義が見出されると思われるのである。

2−2:「記号と言及対象の理論」
第1章に紹介されている事例の中でガーフィンケルはある実験を行っている。彼は学生に日常会話を報告させた。その際、用紙の左側にはその会話の話者たちが実際に言ったことを書き・右側には、その会話について互いに理解していたことを書くよう要求した:

夫:ダナが今日、パーキングメーターに
  うまくお金を入れたよ
  抱き上げてやらなくてもさ。
  今朝私が4歳になる息子のダナをつれて幼稚園から
帰るときに、駐車場に車を停めていたのだが、ダナ
は、パーキングメーターのコインの投入口まで手が
届いた。以前はいつも、抱き上げてもらわないと届
かなかったのだが。

妻:レコード屋に連れてったの?
  彼がメーターにお金を入れたということは、あなた
は彼と一緒のときに車を停めたのね。たしかあなた
はレコード屋に行ったんだったわね。ダナを迎えに
行くときか、それとも帰り道に。たぶん帰り道だっ
たのね、だからダナが一緒だったんでしょう、それ
とも迎えに行く途中で車をおりて帰りにもどっか寄
ったの?
  (・・・・・・)
 

学生たちは左側の欄は簡単に手早く埋めていったが、右側の欄を書くことがとても困難だと気づいた。課題を出したとき、多くの学生が、どの位書くことを私が望んでいるのかを聞いてきた。私が正確さ・明晰さ・明確さを要求するほど、作業はどんどん面倒なものになっていった。最後に私が、彼らが文字どおり書いたものを文字どおり読むだけで彼らが実際何について喋っていたかをわかることができるようにしろ、と要求すると、ついに彼らはねをあげて、その課題が不可能だと言ったのである。(p.25-26)

ガーフィンケルは、学生たちの感じた困難を次のように説明する:

学生はまず第一に、何が言われたか[what was said]というのと何について語られていたのか[what was talked about]というのを区別し、そのふたつの内容をそれぞれ記号と言及対象という形で対応関係に置く。参与者たちが何を言ったかは、参与者たちが何について語ったかの、素描的・部分的・不完全で・正体を隠し・省略され・隠され・曖昧で・読み違いに満ちたヴァージョンとして扱われることになるであろう。彼らのタスクは、言われたことの素描性を埋めていくことから成り立つというわけだ。(p.27)

左欄と右欄をそれぞれ記号と言及対象として把握する事によって、学生たちは、二つのものを実体化してしまっている。第一に彼らは、言語の背後に想定される常識的な「共通理解」の基盤を実体化してしまうことによって、あたかも、右欄の叙述を増やし、ある水準(すなわち「共同体の成員なら誰にでも明らかに理解できる共通理解」の基盤)にまで到達させることによってタスクが完成すると考えている。そしてそうした「共通理解」の基盤を実体化することによって、学生たちはまた、言及対象そのものを言語から独立して存在するものとして実体化している。そこでのタスクは、確固として実体的に存在している現実的対象をそれに対応するしかじかの言語記号に置き換えるという作業として把握されているのである。ところがまさにこうした形で課題を把握することによって、学生たちは右欄の言葉を際限なく増殖させねばならないという困難を覚え、やがて、そうしたタスクそのものが最初から不可能だと思い至ることになる。そこでガーフィンケルは言う:

そこで、私が彼らに与えたタスクを別の捉え方で捉えてみよう。一見奇異に思われるかもしれないが、次のような前提に立つのをやめてみようというのである。すなわち、理解の共同体の一特性としての言語使用を描出するためにはまず実体的な共通理解が何と何から成り立っているかを知っておかねばならない、という前提を廃してみる。それから、その前提に伴っている記号の理論も廃してみる。すなわち、話された事と語られた内容とは、すなわち「記号」と「言及対象」との関係であって、記号と言及対象という形で両者は対応している、という理論を、廃するのである。この理論を廃すると、我々は、実体的な事柄についての共有された合意を喚起すれば言語使用が説明されうる、という可能性もまた捨てることになる。/そういった考え方のすべてを廃するとなると、会話参与者たちが語っていた内容は、彼らがいかにして話していたかという事と、区別できなくなるだろう。彼らが語っていた内容にかんする説明は、すべて、いかに彼らが話していたかの描写に還元されることになる…。(p.28)

「記号と言及対象についての理論」を廃すること。それはすなわち、「レコード屋に連れてったの?」という言葉を、何らかの実体的な事態に言及するものと見るのをやめることである。実際、我々は言葉の客観的意味内容を完全に決定してしかる後に発話する訳でもないし、またひとたび発話された言葉の意味内容がその瞬間に固定されて以後変化しないままである、ということもない。会話は、固定した言葉の客観的実体が煉瓦のように積み上げられていくというようなものではないのである。むしろ、発話の意味内容は、会話の流れの中でそのつど新たに読み直され、刻一刻と変化する。そのように捉え直すならば、「レコード屋に連れてったの?」という言葉は、まさにその当の「レコード屋に連れてったの?」という言葉が発話され流通され会話が組織的に積み重ねられていったその当の会話の流れの一部を成しながら、その会話の流れの事実性そのものをその根拠とし、かつその中における位置づけられかたをその意味内容とするような反映的な叙述/叙述活動と見ることができる。そうした意味において、言葉の内容は言葉の組織的な語られ方そのものだといえるのである。
さて、こうしてガーフィンケルの基本的な視点を確認した上であらためて先の問い、すなわち「エスノメソドロジーとは何か?」という問いとそれに対する「解答」(前節末引用文)を見直してみる。するとそれは、用紙の右欄と左欄に次のように書くことと同じことになるだろう:

エスノメソドロジー
日常生活の組織化された技巧的な実践の偶発的で刻
一刻の達成としての、インデックス的表現及びその他
の実践的行為の合理的諸特性についての研究

ここにいたって、我々の感じてきた奇妙さの正体が輪郭を顕わしてきた。『エスノメソドロジー研究』第1章は、「エスノメソドロジーとは何か?」という問いによって開かれ、それに対する解答の不可能性そのものをめぐりながら、いわば陰画のようにして叙述されている。そして我々は、同テキストの晦渋な文体の背後に何らかの実体的・自己同一的な理論システムとしての「エスノメソドロジー」を探り当てようとすることを禁じられている。エスノメソドロジーとは、それが語られ・用いられる組織的なやり方そのものに他ならないのである。

2−3:エスノメソドロジー流通空間の創出
いまや、『エスノメソドロジー研究』序文の中の次のような叙述が、奇妙なニュアンスを帯び始めようとしている:

この10年余りにわたって、エスノメソドロジー的研究に関心を持つ研究グループの輪が広がってきた:イーゴン・ビトナー、アーロン・V・シクレル、リンゼイ・チャーチル、クレイグ・マカンドリュー、マイケル・モアマン、エドワード・ロウズ、ハーヴィー・サックス、エマニュエル・シェグロフ、デイヴィッド・サドナウ、D・ローレンス・ウィーダー、そしてドン・ジマーマンらである。中でも、ハーヴィー・サックスの膨大な著述と講義とが重要なリソースとなったということが明記されねばならない。/彼らの研究を通して方法が利用可能となってきたのであり、その使用がある種の社会学的現象の領域を確立したのだ:すなわち、実践的組織的達成としての常識的諸活動の形式特性、である。かなりの量に登る初期の成果が刊行され始めている。本書はそういった初期の蓄積の一部である。本書に続いて多くの素材が出版を待っている。ファインディングスや方法が次第に利用可能になりつつある。もはや、社会的現象の広大なしかしいまだ知られざる領域がついに明るみに出たのだということを疑うことはできない。(p.viii-ix)

これは、エスノメソドロジーを共に「発見」してきた仲間の名前を列挙した、謝辞めいた文章に過ぎないのだろうか? むしろ、次のことが重要なのではないだろうか? 「エスノメソドロジー」とは、自己同一的な実体的な理論システムではなく、特にその初期においては、具体的に名前まで特定できる人々の間で語り合われ・用いられるという組織的な活動の中で次第にその輪郭を可視化させ、単なるガーフィンケル個人・サックス個人の主観的なアイディアや思い込みや思い付きの断片にはとどまらない、独立した叙述可能な反映的な実体性を帯びてきた。その中から「エスノメソドロジー」が、しかじかの「方法」と「それによって研究される現象の領域」とのそれ自体トートロジカルに反映的なペアとして、刻一刻と創出され、やがてそれが具体的な形で初期のサークルの外に刊行されることによっていよいよ「エスノメソドロジー」が社会的に観察可能なかたちで反映的に実体化されつつあるのだ、と。そうして見ると、我々は、その後の「エスノメソドロジー」とそれをめぐる人々の組織的活動についてのガーフィンケルの叙述を、翌1968年のパーデュー大学におけるシンポジウムでの発言に読み取ることができると思い当たるだろう:

これでエスノメソドロジーとは何かということについてすべてしゃべり終えたので、この術語がたどった浮き沈みについて話そう。それは、いまや敵味方を見分ける合い言葉[shibboleth]になっているのだが、ここで言っておきたいのは、私には現在人々がエスノメソドロジーだとするに至ったものごとについて責任を負えない、ということだ。ここでは私は「エスノメソドロジー」について語っているが、それは、現在ではたくさんの人々が、実践的活動や様々な常識的知識や実践的組織的推論について、日々研究を行いつつあるからだ。それはエスノメソドロジーの関心とするところのものだ。それは、成員の日常的な出来事や成員自身の組織化された企図についての成員の知識についての、組織的な研究であり、そこで我々は、そうした知識を、ある状況の一部と見なしながら、同時にその当の状況を秩序づけているのがまさにその知識である、という風に見なす。さて、あなた方は、エスノメソドロジーという術語が何かを意味していると思いたがるだろう。デイヴ・サドナウと私は「我々はエスノメソドロジーを用いるのをやめた。我々はこれからそれを「ネオプラクシオロジー」と呼ぶことにする」と言ってこの会議を始めるのもひとつの手だろうか、などと考えていた。そうでもすれば、少なくとも誰であれエスノメソドロジーなる術語が欲しい者のためにはスッキリしていただろう。何で欲しがるのかは関知しないが、遠慮せず持って行け。そうしてくれればそんな術語抜きに我々の研究が残るだろう。私が思うに、この術語は、実際、間違っているかもしれない。それはある種それ自体の生命を持ち始めているのだ。例えば私が人々と出会う、例えばメソドロジーについて専門的に責任を負う専門家に出会うとする。彼らはそれが何であるのか思いめぐらし、やがて想像を始める。「エスノメソドロジーはこのようなものであるはずだ」というふうに。彼らは他の人々に語る。彼らは論文になかなかアクセスできないという困難を抱えている。結局のところ、彼らは知りたがり、そして互いに教え合い始め、噂を産み出すしくみが動き始める。そうこうするうちに、我々がこの仕事についてとるように期待される態度や提起するよう期待される問題 − 我々の態度や問題そのもの、ではなく − を生成していく機械装置が出来上がるというわけだ。(Garfinkel(1974),p.18)

ここでガーフィンケルが苛立っているかに見えるとしても、その苛立ちを、世間の人々によるエスノメソドロジーに対する「誤解」に対するものとは考えないでおこう。なぜならそう考える場合その背後には、自己同一的な実体としてのエスノメソドロジーが人々の組織的な語り合いから独立して存在するという前提があるはずであり、かつ、ガーフィンケルに「誤解」を判定する資格を与えている以上、究極的にはエスノメソドロジーは唱道者ガーフィンケルの頭脳の中にその根拠を持つという前提があるはずだからである。そうした前提は、素朴な実体論であり、かつ素朴な主観主義である。もしそうした前提が受け入れられるのならば、ガーフィンケルはただ単純に、「エスノメソドロジーとは本来・・・である」という形で啓蒙的に語ればよいはずだ。ところが彼は上の引用部でそのような語り方をしてはいない。彼はそうした前提には立たないのである。
我々は先に、エスノメソドロジーとはそれが語られ・用いられる組織的なやり方そのものだと述べた。ここでのガーフィンケルもまたエスノメソドロジーの「それ自体の生命」をその流通形態の中に見ている。エスノメソドロジーは、「秘密結社」的なサークルの外へと流通することによって、唱道者ガーフィンケルひとりの責任から独立した、社会的に観察可能な反映的な実体性を獲得したのである。もしガーフィンケルが苛立っているとすれば、そうして社会的なものとなったエスノメソドロジーと、自らの行っている研究とがズレ始めているという理由からに他ならない。そこでガーフィンケルが「「エスノメソドロジー」の本来の意味」を主張せず、むしろ「我々はエスノメソドロジーを用いるのをやめた」と宣言する可能性の方を示唆している点は興味深い。「我々はこれからそれを「ネオプラクシオロジー」と呼ぶことにする」という宣言は、ハーヴィー・サックスがホットロッダーについて観察したような意味での、革命的な「自己執行カテゴリー」の戦略だからである(Sacks(1979))。自らの研究を自らの元に置くということはすなわち、その研究を語り合い用い合う組織的な流通を自らの管理下に置くということであり、「エスノメソドロジー」ではなく「ネオプラクシオロジー」なる新語を用いると宣言することは、エスノメソドロジカルな研究が制度的な流通空間に回収されつつあるという状況に対する闘争、ちょうど暴走族達が道路脇の壁面を奇怪な文字で埋め尽くすようなやりかたによる闘争の宣言に他ならないのである。
もっとも、「ネオプラクシオロジー」という語そのものが「エスノメソドロジー」という語そのものに比してより本質的に良いとも悪いとも言えない以上、もしここでガーフィンケルが本当に「ネオプラクシオロジー」なる術語を採用し始めたとしてもそれはそれで「エスノメソドロジー」と同じくやがて制度的流通空間に回収されていくだろう。げんに実際にはガーフィンケルは「エスノメソドロジー」を捨てていないし「ネオプラクシオロジー」などという術語をそれに代えてもいない。したがって、我々がここで読み取るべきなのは、ガーフィンケルの闘争的な態度それ自体の方であろう。
初期の秘密結社的なサークルの語り合いの中で次第に「方法」と「研究対象たる現象の領域」とのペアが産み出されてきたことは、先に述べた。それを言い換えるならば、エスノメソドロジーの流通空間がそこに開かれ、次第に自己組織的に押し広げられてきた、ということである。そして、エスノメソドロジーが一般に流通し始めてからも常に闘争的なやり方で流通の自己管理が図られているということは、すなわち、エスノメソドロジーの流通空間が徹底して自己準拠的に維持されている、ということをいみしている。従って、ここで「エスノメソドロジーとは何か?」という本章冒頭の問いに対する解答ならざる解答のひとつとして、あるいは実験用紙の右欄に書き加える言葉のひとつとして、次のように言うことができるかもしれない:エスノメソドロジーとは、エスノメソドロジーの自己準拠的な空間の中で流通しているところのもの、すなわち、その空間の中で人々が語る組織的なやり方、すなわち、その空間そのものであり、人々がその空間を開き維持する活動そのものである。

3:ハロルド・ガーフィンケルのトポロジー

3−1:空間と空間の位置関係?
本稿の目的は、エスノメソドロジーと社会学との位置関係を同定することであった。ところが、エスノメソドロジーそのものが自己準拠的なひとつの独立した空間であるとすれば、我々の目的は困難に直面することになる。エスノメソドロジーという空間を位置づけうるような座標軸は、いったいどこに設定されるというのか?
無論、先に触れた通り、人々は「エスノメソドロジー」について語り、それを制度的な流通空間に回収した上で社会学の理論的布置のしかるべき位置に位置づけるだろうし、現にそうした位置づけが行われることによって、本稿第1章で素描したような対立と和解の劇が演じられ(対立すること自体がその前提としてしかるべき位置取りを必要としていた事は言う迄もない)、結局のところ社会学の標準的なテキストに「エスノメソドロジー」についての記述が場所を占めることにもなっている。そして、前章で触れた通り、それもまた確かに社会的事実としてのエスノメソドロジーである。しかしながら、我々がここで位置づけたいものが、ガーフィンケルらのやっている研究活動のことであって世間でそう呼ばれるエスノメソドロジーのことではない、と仮に措定するならば、我々の問題にしているエスノメソドロジーは、社会学の制度的な流通空間からズレた、あくまで独立した空間を成しているのである。
空間と空間との位置関係の同定 − この奇妙な課題を達成するために、さらにガーフィンケルのテキストを読んでいこう。

3−2:「構成的分析」対「エスノメソドロジー」?
無論、ガーフィンケル自身、制度的な社会学に対するエスノメソドロジーの関係について幾度も言及している。その際ガーフィンケルは制度的な社会学を「構成的分析[constructive analysis]」と呼ぶ。この語自体は『エスノメソドロジー研究』序文から既に登場しているが、ここではガーフィンケルがより最近に発表したテキストを参照しよう。そこには、「構成的分析」と「エスノメソドロジー」との関係がより明確に素描されている。
ガーフィンケルは、「構成的分析」の出発点を、自らの師でもありアメリカ講壇社会学の中核をも成していたタルコット・パーソンズの業績のうちに見、次のように述べる:

…『社会的行為の構造』においてパーソンズは専門的社会学にあるやり方を、すなわち不朽の・普通の社会の現実的産出と叙述可能性をみつけ・示すやり方を、与えてくれた。人々の諸特性における/から成るものとしての人間行為の類的・重厚・頻発的な諸特性に関して・またそれに深く動機づけられて、『社会的行為の構造』は形式的分析的社会学の例を示し、かつ、分析的社会学の・そして全世界的社会科学運動の象徴となったのである。 (Garfinkel(1991),p.11)
あの著作の理論化の方針、そして構成的分析の方法は、断固たる態度で、不朽の社会の観察可能性の問題を提供していた。それらの諸方針のなかでもひとつの方針が他のすべてを支配していた:すなわち、諸活動の具体性・と・分析的に提供された諸行為との間の区別である。この区別は『社会的行為の構造』の全ての行の間に宿っている。その著作が書かれた時代、その区別は全ての専門的社会学・全ての社会科学においてあまねく広がっておりそれは今だに続いている。 / 私は、パーソンズがその区別によって具体的に提供した諸行為を、パーソンズのプレナムと呼ぶことにしよう。彼のプレナムは、具体的諸行為・分析的諸行為という対の一方をなすものである。彼のプレナムは、その対の一方の構成要素として運用されている。 / パーソンズはプレナムを必要としていた。彼はそれを必要とした最初の創始者でもないし彼だけが必要としたのでもない。社会科学運動においてのみならず、知性の歴史の至る所にあって、創始者たちはプレナムを用いていた。創始者たちはプレナムを設計し、それによって、現実世界の諸特性について記録したり・読んだり・書いたり・収集したり・描いたり・それについて語ったり・思い出したり・印を付けたり記号化したりするというタスクにともなって、残余の世界的事物・取り置かれた世界的事物・すなわち気付かれざるままある現実世界的事柄が供給されるようになったのである。(p.12)
パーソンズの理論的アジェンダは、不朽の普通の社会の観察可能性に対して全面的に責任を負うものであった。その点でそれはつねに行為の具体性と分析的に解釈された行為との間の相違に敏感であった。『社会的行為の構造』の理論的アジェンダにおいて − そして、そのアジェンダがあらゆる適切性問題の責任をその区別に対して常に負っているという点において − パーソンズは社会科学運動のスポークスマンだった。彼はその主導者ではなかった。また言う迄もなく彼がその区別を始めたわけでもない。しかし、その区別によって彼は、その区別に異口同音の是認を与える専門的社会科学の全世界的運動を代弁していたのである。それら全ての点において、そして特にプレナムの中には秩序が無いという異口同音の合意という点において、パーソンズは専門的社会学に・そして全世界的な社会科学運動になりかわって語っていたのである。(p.14)

パーソンズにとって現実は2つの局面に峻別されるものである。比喩的に言うならばそれは、「眼鏡」を使うことによって見える像と、眼鏡の「向こう側にある対象」の世界、という2つの局面であるといえる。社会学者が分析によって手にする現実、それは、あくまで分析的方法(眼鏡)によって形式を与えられ構成的に秩序化された現実である。そのいわば向こう側に、具体的な現実の層が措定されているが、それはあくまで分析されることを待っている無秩序なカオスに過ぎない。無論、社会学者ではない普通の人々の生活がカオスに満ちている訳ではないが、それは、彼らがいわば疑似社会学者として現実を彼らなりに分析し形式と秩序を(不完全でノイズ混じりではあるにせよ)与えているためにほかならない。そこで専門的社会学者の使命とは、彼らの不完全な分析を訂正・修復し、より明晰な形式と秩序を分析を通じて与えることに他ならないということになる。
すぐさま気付かれるように、ここでパーソンズのものとされている図式は、本稿前章で紹介した実験において学生が採用していた前提と全く同じである(そしてガーフィンケル自身、同箇所で、学生の態度を専門的社会学者になぞらえている)。従って、その限りにおいてはガーフィンケルはここで何も新しいことを言ってはいないだろう。にもかかわらずこのテキストが興味深いのは、そこで「構成的分析」とされ問題とされているものの正体が明確に描き出されているからである。ここでパーソンズの名のもとに標的とされているのは、要するに、先に「眼鏡」の比喩で素描して置いた図式、いわば社会科学に導入されたカント主義的二元論に他ならない。パーソンズがここで特に指名されているのは、そうした認識論を彼が発明したからではなく、彼がその図式を社会科学(つまり、哲学の次元ではなく、我々が現に生きているこの現実を認識する社会科学)に、この上なく厳密な形(『社会的行為の構造』は極めて厳密な認識論からなるテキストである)で導入したことによって、同時代の「全世界的な社会科学運動」に(そして、より広く言えば「知性の歴史」に信頼を置く全世界の「普通の人々」に)あまねく潜在していた近代科学的認識論を一挙に代弁し、制度的に正当化する事になったためなのである。
ここにいたって我々は、社会学とエスノメソドロジーとの位置関係という我々の課題に立ち戻る。ただし、正確には我々の課題は変更を強いられている − 社会学・対・エスノメソドロジーという図式に代わって、社会学・構成的分析・エスノメソドロジーという三項の図式が問題になっているのである:

…デュルケームのアフォリズムの要約の仕方が、両者の違いを示している。 / 『社会的行為の構造』においては、デュルケームのアフォリズムは手付かずのままである:「社会的事実の客観的現実性は社会学の基本的原理である」。 / エスノメソドロジーにとっては、社会的事実の客観的現実性は、まさにそれがあらゆる社会の、ローカルに内生的に産出され・自然に組織化され・反映的に説明可能であり・刻一刻のものであり・実践的な達成であり、あらゆるところで・いつも・ただ・精確に完全に成員達のワークであり、休むことなく、回避・消失・パッシング・延期・足抜けの可能性もない、という限りにおいて、そしていかにしてそうであるかという事、それによって、社会学の基本的な現象なのである。(p.11)
きわめて豊かな研究蓄積は、社会科学運動の総体とは正反対に、通約不能で非対称的に異なる社会学において、パーソンズのプレナムにおいて/から成るものとして、不朽で普通の社会の局域的な産出と自然で反映的な叙述可能性を現実に・実際に・明らかに・そしてそれら秩序そのものとして、詳細に示している。(p.17)

デュルケームの名とそのテーゼが再び現れていることに注目しよう。そして、デュルケームによって始められた社会学を、パーソンズとガーフィンケルが異なるやり方で展開していること、ガーフィンケル自身がエスノメソドロジーを、「社会科学運動の総体とは正反対に、通約不能で非対称的に異なる社会学」と、すなわち彼みずから社会学と、名乗っていることに、注目しよう。

3−3:空間の重合/貫入
ガーフィンケルによるデュルケーム社会学の継承 − 事態は、ヒルバートの記述通りに展開しているかに見える。しかし、ヒルバートの論証の手つきには奇妙な欠落がある。ガーフィンケルの議論の中にデュルケーム的なテーマの存在を一々指摘し、両者の共通性を論証すること。それが可能であるためには、デュルケームとガーフィンケルを共に含み両者の差異と同一性の判定を可能にするような一つの空間が存在しなければならない。ヒルバートはそれを「古典的社会学」として想定しているかに見える。「古典的社会学」の空間の中でデュルケーム、ウエーバー、ガーフィンケルといった社会学者たちが活動し、その空間内に登録された、規範・道徳性・アノミー・官僚制・等々といったテーマの内から、幾つかを選択して議論し、学知を産出していく。テーマを共有する者は共通性を持っている。ヒルバートの論述を極論するならば、そうしたユートピックな「古典的社会学」空間を前提としているかに見えるのだ。ところが、エスノメソドロジーはそうしたユートピックな空間から学知を産出してきたわけではなく、現実には常に激烈な批判を応酬し合いながら運動を展開してきたのであり、また本稿でこれまで辿ってきたのはそうした展開の空間論的な必然性であったはずである。問題は、従って、ここでもまた、デュルケームとガーフィンケルの理論の内容ではなく、それが語られ用いられるやり方のほうである。我々はここで、デュルケーム自身が、社会学の空間の創設者であったこと、そしてそれによって彼がやはり執拗な無理解と批判を受けていたことを想起することになる。
社会学の古典としてではなく、一つのテキストとして『社会学的方法の規準』を読む者は、その第1章として「社会的諸事実の研究にふさわしい方法がどのようなものであるかを問うに先立って、このように呼ばれる事実がいったい何であるかを知っておく必要がある」という1文から始まる「社会的事実とは何か」なる文章が充てられていることに驚くことになる。実際の「規準」は第2章以降に記されるのだが、第1章を読む以前にはそこで規定されている社会学の対象の実在性を誰も知らないはずなのである(そして多くの者は読んだ後でも信じようとしないのだが)。すなわち、同書は、社会学なるものに方法の規準を与えようとするものではない。一つの科学の研究対象と研究方法のトートロジカルで反映的なペアを提供することによって、社会学の流通空間そのものを切り開こうとするテキストなのである。現に同書の第2版序文は、その困難に満ちた経緯を伝えている:

この書物が最初に世に問われたとき、かなり激しい論争を引き起こした。一般に流布していた諸思想は、いかにも面くらい、当初ひじょうに強い抵抗を示したため、しばらくのあいだ本書のいわんとするところをほとんど理解してもらうことができなかった。(p.21)
社会的諸事実は物のように扱われなければならない、というわれわれの方法のまさしく根底をなしている命題は、もっとも多くの反論をよびおこしたもののひとつである。筆者が社会的世界の現実を外的世界の現実と同じように扱っていることを、人は奇妙で言語道断なことと考えた。(p.23)

興味深いのは、デュルケーム自身がそうした空間の創設に意識的だということである。同書の結語付近にある有名な、奇妙な記述はそれを示しているだろう:

…多数の顧客をあつめることはわれわれの目的ではない。むしろ反対に、社会学はいわゆる世俗的成功を放棄し、およそ科学というものにふさわしい秘教的な性格を獲得すべきその時点に立ちいたっていると思われるのだ。そうすれば、社会学は、おそらく通俗的な親しみにおいて失うであろうものを、威厳と権威において取り戻すにちがいない。というのも、社会学が…いかなる専門的な能力も前提としないかぎり、それは、情念や偏見を沈黙させるにたるほど堂々たる声で語る資格をもたないからである。(p.269)

しかも、同書でデュルケームが闘争の相手としているのが、一般の人々の個々の「偏見」そのものではなく、むしろ「偏見」で語ることを可能にしている流通空間、すなわちデュルケーム言うところの「人間中心主義」「観念論」の空間をこそデュルケームは批判していることを見れば、そしてそれが、先に言及した「構成的分析」の空間と重なる、眼鏡の比喩で言い表し得るような近代的認識論の空間であるということを確認するならば、デュルケームとガーフィンケルとの相同性を、理論内容の次元ではなく、理論流通空間の創出という身振りの同一性によって示すことができるであろう(なお、この点については、拙稿(1997)で論じているので併せて参照されたい)。ただし、デュルケームとガーフィンケルとでは、一般社会的空間に対する自らの空間の設定の仕方が異なっている。
デュルケームは、「物としての社会的事実」という奇怪な現実について語る「社会学」の空間を、一般社会的空間にいわば「重合」させる形で設定したと考えられる。前記拙稿で辿ったように、デュルケームの記述はしばしば奇妙な矛盾をしかもあからさまに示している。デュルケームのテキストは二つの空間にまたがる、積極的に多義的なテキストなのである。従って、もし仮に(というよりも現に事態はそう進行したのだが)その多義性がそっくり読み落とされ・あるいは善意によって訂正されてしまえば、デュルケームの理論は一般社会的空間にそっくり回収されてしまう危険性を持っている − すなわち、「構成的分析」と呼びうる、パーソンズや「全世界的な社会科学運動」が成立するのだ。
ガーフィンケルの空間設定はむしろ、従来の一般社会的=構成分析的空間に対して、比喩的に言うならば、さらに新たな座標軸を直交させ、いわば次元の異なる空間を「貫入」させる形でなされていると言える。それゆえに、一般社会的=構成分析的空間の中の任意の一点を指定すれば、そこにエスノメソドロジー空間が既に開かれていることになる。エスノメソドロジカルな研究が日常生活の些事を巡って蓄積されているのは、こうした空間設定によるものと考えられるのである。

4:おわりに

本稿第1章冒頭に引用した3つのテキストには、奇妙に一致した翻訳上の工夫が見られる。"certain versions of Durkheim"なる部分がそれぞれ「デュルケムのある種の言辞」「デュルケームの教えの一部であるところの」「ある種のデュルケームの教え」となっているのだが、"versions"という語を無視することもできず、しかし何かいかにもこなれない翻訳ではないだろうか。そして、そこで言われている「教え」がデュルケーム本人の思想といかにも簡単に同一視されていることによって、その直後に「それとは対照的に」という形でエスノメソドロジーをデュルケームに対立させるロジックが導出されている事を見ると、この部分の翻訳は同文の重要なかなめとなっているとも言えるだろう。そこであらためて"versions"の語意(聖書等の翻訳/訳書/訳文;特殊個人的な視点からの説明、叙述、意見;等)を汲んで、「(オリジナルに対する)異版」という含みを生かして、次のように訳してみてはどうだろう(前掲拙稿参照):

…社会的事実の客観的現実性こそは社会学の基礎的第一原理であると教える幾つかのデュルケームの翻訳異版とは対照的に、…

この語釈の含むところは、第一に、デュルケームが読者達の間に複数の理論解釈を産出させるような能産的・複数的な言葉を語っているということであり、第二に、しかし多くの解釈者達が、一方でデュルケームを一義的な聖典として絶対化しながら、それぞれ自分の言葉に合うようにデュルケームを翻訳(解釈)し、各々の版のデュルケームを産出し、デュルケームの名においてしかじかの命題(翻訳異版)をそれぞれの解釈者が教えてまわる(流通させる)ということである。この図式は、前章で触れた、デュルケームの「構成的分析」への回収という事態に重なっている。そして、第1章の訳文の訳語選択は、いずれも、デュルケームとガーフィンケルとを共に自己同一的な理論体系=一義的聖典と措定した上で両者を対立的に提示しているという意味において、それ自体、制度的な流通空間に両者を回収せんとしてしまっているものと解されるだろう。
ここで本稿のような語釈を採るならば、ガーフィンケル本人はむしろデュルケームの命題の多義性を積極的に回復して(デュルケームの命題を、「…としての」命題へと書き換えて)いるのだ、と見ることができるだろう。ガーフィンケルは別のところでもまたこの命題に言及している:

例えば、「社会的事実の客観的現実性は社会学の基礎的第一原理である」という自然言語でできた公式がプロたちの耳には、場合によって、学界の成員の諸活動の定義として・彼らのスローガンとして・彼らのタスク・目的・達成・自慢・宣伝文句・正当化・発見・社会現象・あるいは研究の制約として聞こえることになる。他の色々なインデックス的表現と同様、その使用時の一次的な環境がその意味の確定性を定義として・あるいはタスクとして・などなどとして、それを聞くすべを知っている誰かに対して保証するのである。
(Garfinkel&Sacks(1970),p.338-339)

列挙すること − それも、体系も原理もなく思いついただけ書き並べること、こそは、ガーフィンケル的な身振りである。その身振りによって、彼はデュルケームを自己同一的な理論体系から解放するだろう。折に触れてこの命題に言及するガーフィンケルは、従って、制度的社会学の根幹をなすこの命題に多義性を書き込むことによって、社会学そのものの空間を再び開き直そうとしていると思われるのである。(以上)

* 本研究は、これまで筆者が発表してきた研究に対して多くの方々からいただいたコメント − 「これはエスノメソドロジー的ではない」という批判から、「これもエスノメソドロジーなんですか?」「これもエスノメソドロジーでいいんですよね?」といった疑問、「エスノメソドロジーのわりには面白い」「エスノメソドロジー的じゃないから面白い」といった評価にいたるまでの様々な、しかし見ようによっては異口同音のコメント − に多くを負っている。それらのコメントからは、エスノメソドロジーの流通空間・あるいは社会学とエスノメソドロジーとの空間的位置関係についてのアイディアを、まさに単なる観念を超えた具体的経験として得ることができた。ここに記し謝意を示すとともに、コメントへの回答として「しかし、なぜ社会学者がエスノメソドロジーを・あるいはエスノメソドロジストが社会学をやってはいけないのか、なぜそこまでして社会学とエスノメソドロジーを見分けることにのみ熱中しなければならないのか」という率直な疑問を提起しておこう。

【文献】
デュルケーム、E(1978) 『社会学的方法の規準』岩波文庫(原著(1895))
Garfinkel,Harold(1967) Studies in Ethnomethodology.Prentice-Hall.
- (1974) "On the origins of the term 'ethnomethodology'" in Turner,R.(ed) Ethnomethodology,Penguin. - (1991) "Evidence for locally produced,naturally accountable phenomenon of order,logic,reason,meaning,method,etc.,in and as of the essential quiddity of immortal ordinary society (I):an announcement of studies"in Button,G.(ed) Ethnomethodology and the Human Sciences.Cambridge Univ.Press.
- &H.Sacks (1970) "On formal structures of practical actions"in McKinney,J&E.Tiryakian(eds) Theoretical Sociology Appleton Century Crofts.
Heritage,J.C. (1984) Garfinkel and Ethnomethodology. Polity Press.
Hilbert,R.A. (1991) The Classical Roots of Ethnomethodology.Univ.of North California Press.
石飛和彦 (1997) 「神話と言説」『教育・社会・文化』no.4.
Pollner,M (1991) "Left of Ethnomethodology"in American Sociological Review,vol.56.
Sacks,H (1979) "Hotrodder:a revolutional category" in Psathas,G.(ed)Everyday Language - Studies in Ethnomethodology. Irvington
好井裕明 (1987) 「「あたりまえ」へ旅立つ」山田富秋・好井裕明・山崎敬一編訳 『エスノメソドロジー』せりか書房