石  飛  本  人  に  よ  る  ご  挨  拶




更新メモ(2018/8/14)

weblog「クリッピングとメモ」 / Twitter

プロフィール

論文・レジュメ・テキスト

担当授業シラバス

天理大学生涯教育専攻HP / weblog / Twitter

研究室紀要『天理大学生涯教育研究』

「教育・文化研究会」

「エスノメソドロジーとコミュニケーション研究会」

ブックマーク

掲示板

ご意見ご感想ご質問をお寄せ下さい




















 



更 新 メ モ


8月14日。地震・大雨・台風・猛暑、平成最後の夏。『ファンシィダンス』再読。

さて、6月に大きな地震があり、天災は忘れた頃にやってくる、と言いつつそろそろと油断をしていたらこんどは西日本豪雨というのがあり、ひとしきり心配しているとこんどは東から西に進む奇怪な大型台風が列島を縦断し、そして連日の猛暑。なかなかにタフなことである。平成最後の夏、というフレーズがどこからともなく耳に入り、というかどうせ毎日見ているTwitterで見かけるようになったか何かかしらと思わなくもないけれど、まぁ色々なことがある平成最後の夏である。色々な天災が起こるから改元する、というのならわかるが、改元にあわせて天災が起きるという法はないだろう、等々というのも概ねTwitterで見かけた軽口で、また、東京オリンピックをやってる場合じゃなくて大仏を建立すべきレベル、みたいなのもTwitterで見かけた軽口、まぁこういうのが間断なく流れ来ては流れ去るのだからTwitterというのものはありがたいというか、まぁ世の中には才気の余っている人たちがたくさんいるようなので結構なことである。ありがたがっている場合ではなく暑い。暦の上では秋、といいながらのまだまだきびしい残暑である。

このまえここに何か書いたのが6月の末で、それはつまり、学校で同僚の先生方と顔を合わすたびに、おかしいですねえ、昔は7月になったらもうじきに授業期間おわりだったのが、あと1ヶ月あるんですよねえ、等々ぼやいていた頃、ということで、まぁそれが7月頭の時候の挨拶になってから既にずいぶん経つわけで、まぁ考えてみれば7月になったら早々に授業がなくなるような時期から在職している先生のほうが少なくなってきたのかもしれない。やれやれである。ともあれ、7月の頭には学外のお仕事もあり、そして件の豪雨では大学も休講になったりして(地震のときにひきつづきまたもや)、学期末までの授業のやりくりやら、次年度の実習科目の算段やらであたふたしているうちに試験期間が訪れ、あたふたしているうちにようやく授業期間も終わり、8月に入るとこんどは学生さんの社会教育実習の巡回で、まぁこのところ近場ばかり当てて頂いているので日帰りで回ることができて助かるのだけれど、気がつけばそんなこんなで現在に至るのだ。

平成最後の夏、といわれて、ふと思い出したのは、自分が学部を卒業して大学院に進学したのが平成元年だったということである。平成とともに歩む教育社会学稼業、というわけなのだった。平成最初の夏には、徳岡先生の集中講義があったような覚えがあって、なぜ覚えているかというと、夏休み終わりに提出したレポートが、なかなか自分で気に入っていたからというのもある。書き出しが、「その夏、私は退屈していた」とかなんとかそういうかんじで、まぁ院生がそんなふざけた調子でレポートを書いていたんだからまぁ平成元年というのものんびりとした時代だったことは間違いない。その夏、自分は退屈していて、テレビで流れる怪事件のうわさばなしに心を奪われていた、みたいなレポートで、ちょうどその夏は「宮崎事件」で世間がもちきりだったそのことを題材に、「おたく」とは何かとか、まぁそれを他者執行カテゴリーというか、言語ゲーム論みたいな方向にもって行って、単なるラベリングというだけではない、「誰もが自分以外の誰かに「おたく」というレッテルを貼る − それによって自分の正常性を主張する − ゲーム」としての社会問題言説、みたいな図解を提示して、「・・・そうやって私もまたうわさばなしを語り継ぎ、それによってまた退屈な日常をとりもどそうとしていたということなのかもしれない」みたいなオチをつける、みたいな。まぁともあれそんなレポートでも、叱られもせずに単位を出していただいて、まぁなんやかんやで現在に至るのだからありがたいことである。
そしてまた、平成、という元号を目や耳にするたびに、つまりほとんどこの30年ずっと、「へいせいのへーは へーいぼんのへー・・・」と、頭の中でかすかにリフレインするわけで、それは、そのころ読んでいた決定的な作品、岡野玲子『ファンシィダンス』のひとコマからきてるのだった。それで、平成最後の夏、といわれてやはりここは再読すべしと本棚からひっぱりだしたのだった。読み返すと、平成元年3月掲載号で主人公は「お山」を降りて、4月号で娑婆に戻る。そこで「平成」という元号が言及されているわけである。ちなみにそのタイミングでわたくしは大学院に入って、まぁ現在に至るという。そう思えば感慨深いものがある。読み返してやはり、決定的といわざるをえない。

電車で学生さんの実習先に向かう。窓の外の景色の中に、あるとき、ちらほらと青い色、屋根にブルーシートがかかっている家がちらほらと現れはじめる。地震で瓦の落ちた屋根ならん。それがどんどん増えて、それからまたなくなる。被害の大きかった地域を電車が通り抜けたとわかる。ずいぶんと日が経った積もりで、しかしそれは現在でもあり、しかしそれもあっというまに視界から消え、しかしやはりそれはつねにそこにあるのだった。

大学もようやくお盆休みに入り、ほっとひといきといったところ。のんびりとしたいものである。


過去の更新メモ