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(2005/7/1 - 2005/12/31)

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7月1日。対角線をめぐるキャンパス青春ドラマ。野矢『無限論の教室』

例によって、売店で昼食のメロンパン&野菜ジュースを買ったついでに買った。野矢茂樹 『無限論の教室』(講談社現代新書)。
なんだかおもしろいという評判を以前から聞いていた本なので、なんとなく買ってなかったのを、まぁ帰りの電車で読む本がなかったので、買った。そうしたら、おもしろかった。
内容は、数学の哲学みたいな話で、まぁ無限論というタイトルなのでそうなのだけれど、それはまぁ、数学と聞くとせなかがかゆくなってくるすっかり文系の自分にはしんどそうな内容で、「カントールの対角線論法」などと言われても自分の引き出しにそれがどう収まって行きようもないわけなのだけれど、しかしそれがまぁ、すくなくとも新書本の3分の2ぐらいまではなんとかついていけた気になったし、残り3分の1にしても、なるほど対角線か、ここでもここでも対角線のテーマが変奏されてるのだな、なるほど数学の哲学というのはエレガントなものだな、などと感心ぐらいはしたのだから、入門書としてわかりやすくもあるのだろう。ある不人気の哲学の授業で、受講生が「ぼく」ともう一人の女子学生「タカムラさん」の二人しかいない、そこで、タジマ先生といういくぶんか変わり者の哲学者の講義を、先生の研究室で紅茶を飲みながら、二人で受ける、というような設定になっている。
で、この本を誰がおもしろがって読むのか、というのは問題で、たとえばのはなし、大学の先生であれば、授業でこんな時間を半年間もつことができれば、と誰だって思うのではないかしらん。また、例えば哲学者(なり、何学者でも似たようなものだと思うけれど)になったような人は、このテキストの語り手の「ぼく」に、学生時代の自分を重ねて読みたくなるのではないかしらん。大学に入学した最初の春に、なにもわからずになんとなく登録した授業で奇妙な哲学の先生に出会ってしまい、「どっちかっていうと・・・美人・・・といえなくもない、と言う人もいないではないかな」みたいな聡明な女子学生と3人で、奇妙に快活で幸福で哲学的な半年間を過ごしたとしたら、この「ぼく」という学生はそのとき、自分でも気づかないままひそかに哲学者への道を歩き始めたのだ、みたいな、ビルドゥングスロマンみたいな話は、すごくありそうで、哲学者(なり何学者なり)の人にとっては、お伽噺のような夢の物語でもあると思う。でもまぁ逆に言うと、この本を学生さんに薦めるのは、ピントはずれで恥ずかしい、ということでもあるかもしれない。だから、こういう本は、ひっそりと自分だけで読み返すのがいいのかもしれない。
ところで、この本、目次に先立って、奇妙にノスタルジックな数行の文章がかかれた1頁がはさまっている。

ぼくが大学で受けた中でもっとも不人気だった講義の話をしよう。
大学に入ったばかりの春から、その夏までのことだ。
まだ友だちもいないし、先輩もいなかったので、ひとりで漫然と授業案内を見て、
まさかこんなに不人気だとは知らず、なんとなくその教室に向かった。
最初、ぼくは教室をまちがえたか休講なのかと思った。
だけどよく見たら隅のほうに女子学生が一人いた。
ぼくは彼女と反対側、窓際の隅に腰掛けて、先生が来るのを待った。

どうしてこの文章があるのか、あるいは、どうしてこの授業は受講生が2人だったのか、あるいは、どうしてこの本が、いきなりタジマ先生の研究室ではじまらず、がらんとした教室の場面からはじまったのか?
それは、この野矢という人が、この本のファーストシーンで、「対角線」を描きたかったからだ、と思うのだけれどどうだろうか? 教室の入り口の位置がどこにあるのかがわからないのではっきりしないのだけれど、「ぼく」が教室に入ったときに「女子学生」は、明らかに、廊下側の、入り口から遠くの隅の席に座っている。教室の入り口がひとつだとすると、たぶんそれは教室の前の方にあって、つまり彼女は逆に、教室の後ろの廊下側の隅に座っていたことになる。第1章冒頭で先生が教室に入ってきて、「あれ?私、教室間違えましたか?」と「ぼく」の方を向いて話しかける、とすると、「ぼく」のほうが先生からみて話しかけやすい前列の席に座っていたのでは、と考えることもできるだろう。
この本のラストシーンは、やはり対角線で結ばれている。

外はまだ明るかった。土手の上でタジマ先生はヴァイオリンを弾き始めた。ぼくは音楽のことはよく分からないのだが、曲調からしてこれはセロひきのゴーシュが猫に弾いてみせた「インドのとら狩り」に違いないと思われた。ぼくもどちらかというと、猫とおんなじで、「ロマチックシューマン作曲のトロメライ」の方がよかった。
「あ」 − タカムラさんが小さくつぶやいて空を見上げた。
夕陽に染まった飛行機雲が伸びていく。空に、対角線が引かれた。

対角線で始まり対角線で終わる本を書く、という発想は、哲学の啓蒙書の発想、というより、小説の伏線の張り方だと思う(たとえばここに登場するヴァイオリンというのは、漱石に由来するのかも、とかも思う。先生、と、私、と、謎の女、の登場する教養小説として、漱石を思い出したりしないだろうか?)。この本を、一度だけでなくまた読み返してみたくなるというのは、そういうところに理由があると思う。

7月にはいった。うちの大学の、担任クラスの1年生の連中にとって、まさに「大学に入ったばかりの春から夏まで」が終わるのである。彼らがなんか楽しそうにやっているのを見ていると、嬉しくもある。ヴァイオリンを弾いたりはしないのだけれど。


 


7月20日。学期末であわただしい。

この半月は、学期末であわただしかった。授業期間が終わる方があわただしいのかしらん。気のせいかしらん。

しかし、あれやこれやおもしろいこともあり、収穫もあった半月であったのだ。

非常勤先で前期最終授業があり、最後の授業はたいてい予備日、というかんじで、まあ「質問受け付けますの日」にしているのだが、このところ、学生さんがかなり真面目に質問してくれることが多く、1時間、結構楽しいやり取りになったりする。その中で、自分でも発見があったりするのが楽しい。今回は、社会人学生の方と、学歴社会についてやりとりができた。

学内の言語系の研究会、今回は、言語学のご発表だったのだけれど、これもおもしろかった。エスノメソドロジーの、とくに「論理文法分析」のあたりは、たぶん、発想的に接点がありそうで、とてもヒントになった。それで、あらためて手元の論文を読み直したりした。

時間があいたときに、家族論の試験の採点。この春に↓下記の本が出て、それを教科書にしながら喋ったら、ずいぶん話が通じやすくなったようだ。採点していても、伝えたいポイントが伝わらなかったという答案の割合が減って、ぐっと来る答案の割合が増えたと思う。よかった。
しかし同時に、答案をみていると、やはり、「児童虐待」問題の過大評価?、が気になってくる。
たしかに「児童虐待」というのは問題なので、それはそうなのだけれど、しかし、「家族」の問題といえば「児童虐待」だ、みたいな答案が多いのは、うーん、と思う。
で、少し数字に当たってみるわけである。
とくに、まぁトリッキーな言い方になるにせよ、意図的にナイーブな数字の比較をしてみせると、学生にもインパクトを与えるのでは、という作戦に出る。

たとえば昨年度の「児童虐待」の被害者の、死亡者数を見ると、51人、これを、逆に「ものすごい幸運を手に入れた人の数」と比較してみる、ということで、いたって不謹慎は承知の上で、ジャンボ宝くじで億万長者になった人の数と比較すると、「グリーンジャンボ」だけで38人、年間を通じてだとたぶん3桁の人数になる。 「クリッピングとメモ」2月4日。 つまり、「宝くじ億万長者問題」のほうが、人数だけでいうと、「児童虐待問題」より大規模といえなくもない、等々。
また、
「交通事故」の件数・死亡者数と比較すると、50分の1、あるいは100から150分の1のサイズと評価されなくもない(「クリッピングとメモ」7月17日)
もちろん、そういう比較は乱暴ではあるのだけれど、しかし、「家族といえば児童虐待が激増」みたいな、見てきたような答案が一定数あるのを読むと、ちょっとそういう数字の提示の仕方もしてみたくなるというものなのだ。
たとえば、自動車を運転して速度制限を平気で守らない人が、「児童虐待問題」に過敏に反応してかえって育児ノイローゼになる、というのは、いかにもバランスを失している気がする。


 


8月6日。夏ばて日記。

いやはや毎日あつい。それと、なにやら気がついたら8月の第一週ももうおわりそうである。このあいだ、なにをやっていたのか。

7月の最後の週は、実習先にごあいさつに行っていたのである。今年は私は5箇所まわることになっていて、ただ、うまいぐあいに近場ばかりで、例年のように四国2泊3日ツアーとか、九州3泊4日ツアーとか、そういうのは今年は、ないので、気楽なのである。さしあたり前半戦の3箇所がちょうど7月の最終週にかたまっていたので、3日連続で行ってた。それと、卒業生との研究会(っていうかこのたびはビアガーデンがメインだったのか)があったり、別の日は、実習ご挨拶のあと大学に寄ったら卒論の学生に捕まってしまって3時間ぐらい話し込んだり、なんかそんなことをやっていたのであった。
実習のご挨拶そのものは、今年も、まだ行ったことのなかった施設にお邪魔して、自分自身が勉強になってよかったのだが、今年はなんといっても、某自然の家がインパクトがあって、朝いちでうかがうために4時20分に起きて始発に乗って乗り換え乗り換えてなんとか最寄り駅まで辿りついた(7時30分すぎ)までは上首尾だったものの、施設のHPの案内に「近道:徒歩30分」というのだけが書いてあったのでそこを行こうとしたら、いきなり山の中にはいりこんでしまってなぜかアスレチック?のコースの中で迷ってしまうことになり、けものみちみたいなところで遭難してしまい、クモの巣まみれになるし、息はあがってしまうし足はつってくるし、しゃれにならなかった。途中で「これは危険だ!」と察知して、もと来た道を逆もどりして、かろうじて人里に近そうなところに出て遠くに見える建物のほうに行ってみたらそれが施設の建物の裏手だったようで、なんとかいちおう8時30分よりは前に施設の受付にまで辿りついたのだけれど、すでに汗だくでへろへろの状態で、なんか遅刻したみたいなことになっていて、せっかく行ったのにむしろ学生さんの足をひっぱってしまったみたいになってしまった。しっぱいしっぱい。

で、月末には研究会があって、議論はもりあがってよかったのだけれど、どうやら空気を読み間違えてしまい、妙に女子率の高い懇親会にまぎれこんでしまうことになって、すっかり気を使わせてしまって、なんかわるかった。春巻ものどを通らなかった。えびマヨとか。あとは、しぶいお茶が一杯こわい、という感じで。

そのあとは、まぁ、比較的気楽な本を何冊か読んだり、残っている試験・レポート採点をやったりしつつ、しかし総体としてはあまり生産性の高いとは思えない日々を過ごしているようである。

自由にあんばいできる時間が増えた割りには、積読状態のビデオとかCDとかが消化されていくような気配は今のところ見えず、ただ、後ろ向きに、昔に録画した夏のジャズフェスのビデオなんかを見返している。まだバブルの残り香があるような、92年のライヴ・アンダー・ザ・スカイでのパット・メセニーのグループの演奏とか、Mt.Fujiでのゴンサロ・ルバルカバの演奏とか。あぁ、昔はよかったなぁ、みたいな感慨をいだきつつ。

この夏には、懸案があるのだけれど、とても解決にまでたどり着ける気がしない。でも少なくとも一歩前進ぐらいはしなくてはと思っているところ。


 


8月18日。気がつけば3年が経過。

ここの過去ログを見てみると、サイトのデザインを変えてここになにやら書き始めたのが3年前の今日ということになっていて、もう3年たつのか、早いな、と思う。
この3年でなにか進歩した、ということも特になく、ただ当たり前の話だが3年前は今より3歳ぶん年齢が少なくて、当時としてはずいぶん年をとっていたと思っていたのに今からすると若かったのだなあ、と思う。当時若くて今、成長した、ということではなくてたんに年をとった。いかんともしがたい。

気がつけばお盆も過ぎ、大文字の送り火もおわり、夏も終わりが見えてきている。夏じゅうにめどをつけておきたいと思っている懸案について、昨日今日ようやく具体的に動き始めた。卒論を書く学生諸君にいつも言っているとおり、具体的に動き始めることで初めていろいろなことが見えてくるのである。あらためて自分の卒論指導の方針の正しさに自信を深めるわけだが、なぜ夏じゅうにめどをつけたいことにいままで手をつけなかったのか、というところもあるかと思う。それはまあ当然の疑問なのだが、それはしかし、だからこそ、卒論というのは一人で書こうとするとかならずぐずぐずしてしまうので誰かがはっぱをかける役割を買って出ないといけない、それが卒論指導の役割の大半みたいなもので、そこのところを私は、みずからの身を以って理解しつくしているのだ、と、いっそう自分の正しさへの自信を深める勢いがついてくるというわけである。まぁどうでもいい。とりあえずようやくやっと動き始めたのだから、少なくともめどくらいはつけたい。動き出してしまえば、いやおうなく迅速な判断と行動を要求されてしまって悠長にしてられなくなる、というのもありそうである。やれやれ。


 


8月30日。逃がした魚。

さて、8月もそろそろ終わり。で、夏じゅうにめどをつけてしまいたい、といっていた懸案の方はいったいどうなっているのでしょうか。
片付いていない。
ほぼ8割がたこれできまりだろう、というところまでいっていたのが、どうしても気になる点がでてきて、チャラに。
そういうわけで、状況としては、出発点に戻って、経験が残った、といったところ。この、経験が残った、というのが重要であって、それは、依然として学生さんの卒論の進行のプロセスというのと同様なのである。卒論でも、あれこれ調べたり書いてみたりしているうちに、致命的な欠陥が見つかったり、そうでなくてもどうも釈然としないとか、いきづまってしまってよく考えてみたら方向性そのものにもんだいがあった、とか、必ずおこることである(ていうか自分が論文を書いていてもそうだ)。そうすると、ああ、この半月の努力が水泡に帰してしまった、時間が半月経過してしまった、で、出発点にぎゃくもどりだ、どうしよう、ということばかりが気になってしまいがちなのだが、そういうときこそ、卒論指導としては、でかした!これで一歩前進したじゃん!!とゴチック太字で祝福することにしている。
論文では、書くべきことを書く、ということと同じように重要なのが、書かなくていいことや書いてはいけないことを的確に排除すること、だとおもう。正しく問いを立てて進んでいくべきであって、正しくない問いの立て方で進んではいけない。進んでいるうちにうまく行かなくなったとしたら、問いの立て方を疑ってみるチャンスと考える、というのが手で、それによって誤った問いに気づいて、あらためて正しい問いを立てることができるのであれば、誤った道筋で進んだぶんを放棄してあたらしい出発点に立つことじたいがなによりの前進だとおもう。だいたいが、社会学の領域なんて、正しくない問いのほうが断然、人口に膾炙しているのであって、そういう正しくなく立てられた問いに答えるべくあれやこれや書いてみたところで、無駄か有害なのだとおもう。「千里の道も四条烏丸から」と言うではないですか。一歩一歩、目の前の出発点から着実に進んでいくしかないのですよ。叡山電車に乗ってもしょうがないわけです。昔の人はうまいことを言ったと感心する。

それはともかく懸案の話。いやじっさい、いいところまでいっていたとおもったのである。すごくよかったんだけどなあ。
チャラかぁ。出発点かぁ。どうしよう、たしかに途方にくれるなあ。


 


9月14日。生活の設計。

どうやら引越しをすることになるらしい。らしい、というか、夏の懸案というのはそのことで、部屋を探して、どうにか契約、というところまでこぎつけそうなのである。まだなんか実感というものがわかないのだけれど、もう事態は転がり始めているので、引きずられるように引越し、ということになっていくのだろうと思う。いまの下宿は、もうずいぶん前から手狭になっていて、床に本の山がずいぶん進出していてえらいことになっていたりもして、何年越しで引越ししたいとぼやいてはいたのだけれど、いままでずっと原稿とか学会発表とかなんやかんやでとりまぎれて引越しに踏み切れなかった。それが、さしせまったまとまった仕事の予定のない今年の夏休みにとうとう実現となったわけで、しかし、根が進取の気性に乏しい牡蠣的性質であるから、まぁ例によってぐずぐずと遅く取り掛かったんで、部屋の決定と契約は9月にずれこみ、大学の長い夏休みのぎりぎり終わりにようやくめどがついたかんじで、実際の引越しは授業期間中になってしまいそうだ。
新居となるはずの部屋はよさそうなところだと思う。なんだか窓からの見晴らしがいいなあ、という印象があって、それで決めたのかもしれない。


 


9月21日。学会に行ってきた。

今年は発表はしないので気が楽かと思っていたのだけれど、部会の司会がはじめて当たって、とても緊張した。で、やってみてどうだったかというと、まぁ、部会の司会は二人ひとくみ、私の当たった「学校不適応」という部会は国立教育政策研究所の滝先生といっしょだったんで、ほとんど滝先生にお任せして頼りっきり、ということで、なんとかたすかった。「学校不適応」という部会は、不登校であるとかひきこもりであるとか、あるいはもう少しばくぜんとした学校嫌いの感情であるとか、あるいはいわゆる「発達障害」といった医療的言説についての発表がそろっていて、比較的はなしがかみあいそうだったのだけれど、時間がなかったのと、あと総括討論のときの進行役(わたくしでした)がうまく切り回せなかったというのもたぶんあって、議論が尽くせなかったかもしれない。たぶん、あそこでバトルをやったらおもしろかったんじゃないかなあと思う。

ふだん自分がやっている研究会は、1時間発表、4時間議論、ぐらいのフォーマットでやっている。まぁ、発表者はじめふらふらになるけれど、そのぐらいの時間をとると、かなり議論が出来る。で、それに慣れてから学会に来ると、20分発表、5分質疑応答、全体での総括討論30分、みたいなフォーマットで議論できなくなるようだ。
学会というのは、たぶん、研究の見本市だとわりきらないといかんのである。そのことを、自分が発表するときにも、ディスカッションとかするときにも、また司会とかするときでも、しっかりわかっておかないと、うまくいかないのだろう。

この夏は、実習のご挨拶の出張がぜんぶ日帰りでいけるところだったんで、学会で千葉に行ったのが唯一の遠征だった。例によって電車も宿も予約をせずに、頃合を見計らってふらふらと下宿を出て、みどりの窓口で切符を買い、在来線の乗換えでは適当に駅のお兄ちゃんにたずねたりしながら現地について、その駅に降り立ってその晩に泊る宿をうろうろ探して見つける、という調子でいった。ふつうはまぁ、それでいけるんで、たいていめぼしい駅だと駅前か駅裏にビジネスホテルの何件かはあるとしたもんなのだけれど、今回は、会場校の放送大学の最寄りの幕張駅かいわいを歩いてみたら、ビジネスホテルの気配がまったくなかったんでちょっとあせった。大きくてきれいで便利そうな町なのだけれど、仕事をしに来た人がひょいと泊る、ということは、ないらしい。駅前の交番で訊ねたら、ビジネスホテルは隣りの幕張本郷駅界隈にあるということなんで、ひと駅バックしてみたら、たしかに駅前にホテルがあったんで、ぶじ泊れた。ところがところが、そこで散歩がてらワイシャツを現地調達しようかな、ジャスコかなんかあるだろう、と思ってうろうろしたら、ゆけどもゆけどもその手の大型店もなければ、商店街的なものもみあたらない。夕方なんで、家路を急ぐ人とか、自転車に乗っているおばさんとか親子連れとかとすれちがうのだけれど、なんていうか、生活感みたいなものがたぶん自分の感覚とちがうかんじなのだ。
ふだん、盆地に住んでいると、視線の先に山があったりしないと安心しないってところがある。また、駅を降り立つと駅前にジャスコ、その先にちょっと古い商店街、ビジネスホテル街、みたいなワンセットがあると、安心する。それが、ずーっと向こうまで町並みが続いていて、過疎地なわけでもないのに(ていうか、やたらとビルとかマンションとかたちならんで車も広い道路をびゅんびゅんはしっているのに)、ある駅にはビジネスホテルがなく、ある駅には商店街がなく、というふうに大きいサイズで分節されていると、じぶんの身体感覚のサイズがあわなくて、いきなり広いところにつれてこられた田舎のねずみ、というかんじで、とてもちょうしくるうのである。
ちなみに、ワイシャツはぶじ、紳士服量販店みたいなところをようやくみつけてそこで買えました。


 


10月5日。毎年この時期にくたびれる。/web上の統計資料を使う授業

ここの欄にもうずいぶん長いこと書いているので、という感慨じたいもう何度もくりかえしているのだけれど、以前のものを読み返すと、なんだか例年この時期になるとくたびれている、ということがわかる。ことしはそれほどでもないんじゃないかな − 学会で自分で発表することもなく、授業がはじまっても秋学期の時間割が春学期に比べて少し軽くなっていることだし、なんか連休がところどころ入ってきてるし、引越しの準備を進めていてそれが張りになるということもあるだろうし − と思っていたのだが、やはり、くたびれている。
まぁ、もはやくたびれていないときなどないのだから、いまさらおどろかない。ただまぁ、ああくたびれたなぁ、くたびれたなぁ、というぼやきが、ふっ、とでなくなる瞬間というのがあって、ここの欄の以前のものを読むと、そういう沈黙がこの時期にきてるんだよなあ、という感慨がある、ということだと思う。

ともあれ、引越しの準備は着々と − というか、じぶんがぐずぐずしようと思っても、契約だの手続きだの引越し業者への注文だの、自動的にものごとはすすんでいかざるをえないしくみになっているので − 進んでいる。いま住んでいるこの下宿ともあと半月ほどでおわかれである。

そして、授業。
いま、おもしろいと思っているのは、web上の統計資料を使う、というの。官庁統計なんかがどんどん公開されているし、それをアンテナなんかで捕捉してweblogにクリッピングしよう、としはじめてもうじき1年になる。で、これはなかなか面白い。
1回生のゼミの授業なんかで、使えそうな官庁統計のサイトをいくつか紹介して、最近行なわれて発表された世論調査について、紹介新聞記事ともと統計データ(両方web上にある)を示して、そこから自分で何かを読み取ってレポート、みたいなことをやってみた。じっさい、インターネットの普及で、その程度の作業ならすごく簡単にできるようになったんで、学生さんたちがレポートとか卒論とかを書くときに実際にそういうやり方を活用してくれるといいなあとおもう。ゼミでも、飲み込みの早い学生さんは、かなりうまいこと資料を読んだり、データをうまく使ってレポートをレイアウトしたりしていたようだ。そういうのは期待できるかも。
統計データポータル(総務省)
世論調査(内閣府)
各種統計情報(文部科学省)
最近公表の統計資料(厚生労働省)
府省等統計サイトマップ(総務省)
ついでに、日能研さんの研究所サイトのやっている
NTS教育研究所 教育ニュース
は、教育関連のニュースをこまめにクリッピングしていて便利。

うーん、そうだなあ、ここの欄を見ていると、くたびれたかんじになっているけれど、weblogのほうを読み直すと、学会から帰ってきたころからも、まぁ読みやすい本ではあるけれど本も読んでいるし、まぁ、いいとするかなぁ。
そうそう、学会以来、ということになるのか、仕事(大学の方じゃなくて、研究の方ですね)のほうで、おもしろそうなお話をいくつかいただいて、まぁまだどうなるかわからないにせよ、それが張りになりそうだ、というのもある。よいことである。


 


10月19日。非情緒的な荷造り。

保健婦さんか看護婦さんか、やっていた叔母の新人時代のエピソードとして昔、聞いて印象に残っている話なのだけれど、なにしろ生まれて初めて大手術に立ち会ったときに、ハイ、と何かわたされて、それが切断した腕だか脚だか、で、はっと気がついてそのまま卒倒した、とかなんとかそういうおはなしで、まぁそれじたいは新人看護婦(だか保健婦だか)の通過儀礼のようなそれだけのエピソードで、あのころは若かったわね、という程度のはなしではあるのだけれど、なぜそのはなしをいまおもいだしているかというと、このおはなしの印象として、じぶんの中では、切断した腕のずっしりとした重さというのがあって(脚ならもっと重そうなのだけれど)、生きた状態の腕の重さなどないに等しい気がするのに、いったん切断されると、腕というものはなぜかずっしりと重いのだなあ、という印象がはっきりと − 自分がその腕を持ったわけではないにもかかわらず想像の上で − 残っているのだ。
ここまでが噺のまくら。

引越しは徐々に進んでいる。徐々に、というところがぴんとこないむきもあるかもしれない。要するに、段取りが悪い人間であるし、とくに授業期間中であるということで、一気呵成の引越しは無理だろう、と見越して、新居の契約と現在の部屋の立ち退きとのあいだに重なりをつくって、いったりきたりしながら徐々に引越ししていこう、という趣向である。
ともあれ、いまやとうとう引越しの佳境である。某業者に電話をして、荷物を一切合財もっていってもらう日、というのをきめてあって、それが今週末である。いよいよ、ながねん住んできた部屋のいろいろなものを取り崩しては段ボール箱に詰めなおしはじめた。作業はなかなかはかばかしくすすまない。泥沼の中を行軍するごときものである。それは、荷物のほとんどを占める本や資料の類が、箱に詰めなおしてみると意外なほど重い、からである。本は四角い紙の塊であるからして、重たいのである。しかも、段ボール箱の中にきっちりと詰まる。だから、一抱えもある段ボール箱 − これでもSサイズだそうだ、某業者の引越しパックで、荷造りは自分でやりますということにしたら30箱ぶんほど置いていってくれたものである − に、まともに本ばかり詰めるとたぶんとてもじゃないけれどうごかせたもんじゃなくなる。わざわざ業者に電話で問いあわせなおして、「本って重たいんですが」と言ったら「軽い本とかないでしょうか?」とのことだった。本の密度(内容ではなく、フィジカルないみで)になど、注意を向けたことはなかったので新鮮だった。しかし、おなじ紙の束であるわけだからそんなに密度の違いなんてないのではないだろうか(内容はともあれ、フィジカルないみでは)。だいいち、密度のない本だけ引越しに持って行くというのでは本末転倒である。買い集めた本たちをすべて連れていくのだ。大洪水を前にしたノアの気分である。

けっきょく、段ボール箱には三分の一から半分ぐらい、本を詰めて、あとは軽そうな衣類なんかをふわふわと入れてごまかすことにする。それでもずっしりと重いのである。

ここで、切断された腕のはなしにもどってくる。生活している空間のなかで、本棚に並んだり台の上に積み上げられたりした本というのは、生きた人間の腕のようなもので、重さを感じないのだけれど、それを取り崩して段ボールに詰め始めると、切断された腕のように、、フィジカルな重量をあらわにする、という感じで、小さいころに聞いた叔母のエピソードを思い出したんである。
先日、メルロ=ポンティの入門書を読んだのもあるかもしれない。身体論、みたいな連想が働くようである。
本はひとかかえ10kgほど。これを大判のバッグにつめて、ひまをみつけて新居まで運んだりもしてみた。バッグを肩からかけて自転車に乗ると、ずっしりと重い。油断するとふらつきそうである。二人乗りなら、50kgぐらいの負荷がかかるはずなのに、案外誰でもスイスイ乗りこなしている。ふしぎだ。やはり生きた人間の身体というのは重さがあるけどない、みたいなことなのか、とか考える。

そういうわけで、荷造りはなかなかすすまない。感慨に耽る余裕もなく、フィジカルに、泥沼的に、悪戦苦闘している。段ボールの隙間を埋めるために、古着だのボロだのが動員され、けっきょく、ほとんど何も捨てずにごっそりと新居に移動することになるようだ。まったく、大洪水を前にしたノアの気分である。


 


11月1日。引越しとかけて精神分析ととく。

そのこころは。エスのあったところを自我たらしめねばならない。
ま、そういうわけで、月末に前の下宿の鍵を引き渡して、いちおう引越しは完了である。

荷造りをしていたら、昔の授業ノートが出てきた。自分が講義をするノートではなくて、学生のときに自分が受けていたときのノートである。私は物持ちがいい、というか、捨てられない性格なので、そういうものがぜんぶとってあるのだ。
1回生のときにとった教養の「社会学」の授業(入学して4月のさいしょの授業開講日 − たしか金曜日だった − にはじめてみにいった教室が、社会学、というやつで、面白い先生だったので、授業はあんまりわからなかったけれど、登録を決めて、1年間、皆勤 − 「皆勤皆眠」と当時は称していたけれど − した)のノートを見ると、高沢先生が当時どんなレジュメを配布してくだすっていたか、わかって、意外と面白そうな講義だったことが推測されるのだけれど、いかんせん、ノートの方は支離滅裂である。
ノートにはレポートが挟まっていて、そのレポートを私は覚えているのだけれど、指定された文献リストから1冊を選んで読み、まとめてコメントを書け、というものだった(いま自分が学生に課しているフォーマットだ)。自分は、小此木『モラトリアム人間の時代』を読んで書いた。おどろいたことには、あの大教室の授業のレポートなのに、先生は全部に傍線やコメントをつけてくださっていたんである。私のレポートは、規定枚数10枚のうち9枚分を本の要約に費やし、残り1枚でその本自体を切って捨てるという、典型的にありがちな学生の答案で、先生はよく読んでくださったなあ、と思う。小此木は、あの本で、これからはよくもわるくもモラトリアム人間の時代だ、と言いつつ、全体的な色調としては、モラトリアム人間なるものの肯定面を見つけられずにいるのだ、そこらへんの態度が保守的でいけない、自分は生まれたときから豊かな社会でこの時代の空気の中で育っているので、モラトリアム人間と呼ばれようがどうだろうが、そのように生きるしかないし、生きているわけで、小此木がどう憂えて見せようと、そういう人間ばかりの世の中になるだろう、モラトリアム人間ばかりになって社会は解体していくだろうけれど「私たちは困らない、困るのは社会学者である。」という乱暴なきめぜりふで終わるレポートだったのだが、先生は、小此木がモラトリアム人間の肯定面を見つけられずにいる云々と断定しているくだりに傍線をひいて「may be」と書き込み、結語のきめぜりふのあとに「なるほど! しかし・・・」と留保を書き込んで、全体の総評としては、10枚目のコメントのところはおもしろい、しかし、社会を分析することとその社会を生きることは別のことでは・・・と書いてくださっている。
このコメントは、自分にとっての宝物だと思った。なぜなら、私の理解する限り、高沢先生のデュルケーム論は、まさに「社会を分析することとその社会を生きること」を重ね合わせるようなものであって、高沢先生の訳されたティリアキアンもまた、デュルケームの「社会的事実を物として扱え」という方針を現象学の「事象そのものへ!」という方針に重ね合わせて実存主義化するというていのもので、それを自分の修士論文で参照して、デュルケームとガーフィンケルを社会学的実践のうちに重ね合わせるということをやろうとしたのだから。

高沢先生には、学生時代・院生時代にかわいがっていただき、教育社会学の師匠とはまたべつの場所で、自分にとってのアイドルだった。早くに亡くなられたのがほんとうにおしまれる。けっきょく自分は、就職するまで長いモラトリアム期間を過ごし、いまだに成長しそこなっているのかもしれないけれど、いま、それを晴れやかに学部1回生のころの自分のようなやり方で肯定できるようなポストモダニストにはならなくて、けっきょく、過去のノートやらガラクタやらを溜め込んで繰り返しそこに立ち戻ることで自己確認をする、ようするにモダンをひきずることしかできなかったようである。自分が授業するときのようすは少し高沢先生に似ているかもしれないと思う。


 


11月17日。このところなにをしていたか。

あいかわらず、形而下的なことに気を取られている。近所のスーパーを開拓するとか、100均で小物を買い揃えるとか、オーブントースターを買うとか、買ったら火力が強すぎてきれいに焼けないとか、常備菜をつくろうとかぼちゃを炊いたりとか切干大根を煮付けたりとか、なんかそういういろいろな日常のことがしっくりとうまく回転し始めるまで、ためいきをついたり首をかしげたり試行錯誤をしたりしながら、こちゃこちゃとやっているというわけである。
そういうときは、こういうところに何かを書こうというふうに気持ちは向いていかないわけだし、また、こういうところに何かを書くことによっては何も進展しないような種類の事態のなかにいるというわけでもある。まぁ、こういうところに何かを書くことによって何かが進展することなどいずれにせよないわけなのだけれど。まぁ、いずれにせよ、形而下的なことをこちゃこちゃとやっているという次第。

そうなると、通勤電車のなかでれいによって新書本とか、読みやすそうな形而下的な本に目を通すこと以外に、なにか読書、といってもそういう気にあんまりならない。ここ何日かは松岡正剛『知の編集工学』(朝日文庫)を流し読み。形而下的だなあ。なんか、親本が96年だったとは信じられないほど、80年代のノリの本。「編集」というキーワードで時代を切る、みたいな。これからは「編集」の時代だ!みたいな。なんかそういうスタンスがねえ。まぁ、戦中生まれの著者ですし。なんか若い感じに写った笑顔の写真がカッコいい表紙になってますし。解説は山口昌男。やれやれ。

枕元には、入居日から数夜にわたり、就寝時の精神安定薬のかわりとしてすこしずつ読み返した獅子文六『飲み・食い・書く』がまだ転がっているけれど、今だと、寝床に入ったらすぐくたびれてねてしまう。

そのあたりちょっとぱっとしないので、職場の売店で、数ヶ月の間並んだままになっていた(そのつど見るのだけれど売れない)ミシェル・ビュトール『即興演奏』をレジに持って行ってみた。ほんとは仏文の人が買うのかなあと思いつつ、でも誰も買わないなら、自分が買うのが縁ってやつかな、などと思いつつ、まぁ読めないつもりで、でも欲しいので、おもしろそうだ、みたいなかんじ。枕元に新規参入。

あと、ネット通販では、ポール・ブレイの60年代のものがCDで出ていたので注文。クリスマスぐらいに届くかな、というかんじ。ステレオがじゃっかん新しくなって、夜、聴くのはやはり女性ボーカルなのだけれど、朝、聴くようなものがないかなあと手持ちのものを探していて、そういえば置き場所に困っていたレコードプレーヤーも復活したのだから、といって、LPのポール・ブレイの60年代のトリオの演奏を聴いたらやはりよくて、フリージャズのくせに意外とさわやかで朝でもオッケーな感じだったんで、そのへんをCDで買い集めようという。ついでに、やはり古いLP盤を安いプレーヤーにかけると音が悪いので、CDを買うことにしたわけである。

来年度から二年間、学会方面で、面白そうな役をいただいた。非常勤で面白そうな授業を持たせていただけるという、来年度、半期、のお話もいただいた。それはいいのだけれど、来年度から二年間、学内で、ちょっとしんどそうな役に当たった、というのもあって、まぁ、世の中というのはちょうどバランスが取れているものだなぁ、と感慨深い。まぁそれも、おなじ役に当たった方が、ちょうど、学内の研究会でご一緒したりしている方だったりするので − ようするに、そういう役が当たるようなトシに、みんななってきたというわけなのかな − まぁ、てきとうにぼやきながら、アカデミックな息抜きもいれつつ、やっていけるかなぁ、とはおもっている。

そんなところ。


 


11月28日。めのまえにしめきりが。

べつにとつぜん出現したというわけでもないのだけれど、授業期間中に〆切が設定されていると、通常営業をしながら書かないといけないということで、しかもこの時期、学生の卒論の〆切り前でもあって、そっちの指導をしながら自分も〆切りに突入、という、ぞっとしないスケジュールではある。
いちおう、いちど書いたものを書き直せばよい、ということなので、そうたいへんではないというはずなのだが、あんのじょう、一から別のネタを書きたくて仕方なくなっているのでたいへんだ。

枚数があらかじめ決まっている。短い。映画でいえば70分。ジャンルを意識したものを、ということなので、B級のジャンル映画、ということになる。シンプルで、スピーディーで、鮮烈な印象だけを残してあっけなく終わってしまう、というような。
そのためには、ごちゃごちゃした要素を盛り込みたくならないように、低予算早撮り、という条件はプラスになるわけで、だから、いまの状況は、悪くない、のだと思おう。


 


12月2日。眠る、夢を見る / 「否定」

なんだか12月に突入である。いろいろな用件が同時平行的にあるのがやっかいだ。あれこれのペース配分のバランスをうまいこととりつつやっていかねば。皿回しのような状態である。

19日が〆切りの卒論の方は、今週のゼミで学生さんたちに申し渡した。「はーい、みなさんお分かりの通り、最終コーナーを曲がっていよいよ直線に入ったからねえ。もうあとは駆け引きもペース配分もなく走るだけだからねー」「ディープインパクトや!」「まぁがんばるようにー」「うわー」

そういうことをしつつ、じつは引越し以来、すっかり早寝になっている(早起きにもなっているのだけれど)。なにせ、前の下宿の、枕元にテレビがあって深夜テレビやビデオを延々と見ていた状態がなくなってしまったので。まぁ、枕元にもう一台、テレビを置けばまた元通りになりそうなのだけれど。
で、よく夢を見ているようだ。内容は覚えていたり忘れたり、あるいは、目がさめる間際に、最近よく夢を見ているようだと夢うつつの中でもやもやと考えたり自己分析していたりしながら、目がさめてしまえば結局、そういうのもふくめたいがい忘れてしまうのだけれど、しかし、そこでいろいろ考えていたこと。
フロイトに、「否定」という短い文章があって、たぶん面白いヒントになりそうなことが書いてある。あるいは、ほかにいろいろその周辺のものを読んだ印象も混ざって考えたのだろうし、あるいはそんなに難しいことでなく初歩の初歩かもしれないのだけれど、とにかくそのへんを参照するといいと思うのだが − 

話はたんじゅんなことで、夢のなかで例えばなぜ、主人公がピンチにばかり遭遇するのか、「ここでこうなったらやばい」と思ったら「こうなる」のか、「あいつがおいかけてきたらどうしよう」と思ったら「あいつがおいかけてくる」のか。
それは、↑このように文章に書いたらすぐわかるとおり、「ここでこうなったら・・・」と思った瞬間に、その中で「こうなったイメージ」が思い浮かべられているから、また、「あいつがおいかけてきたら・・・」と思った瞬間に、「あいつが追いかけてくるイメージ」が思い浮かべられているから、ということなのだろう。「無意識は否定文を知らない」わけで、反実仮想的な仮定法の文章が、ちくいち、可能世界のリアリティを持って上演される。
それで、夢の中の私はそうしたピンチやらなにやらに直面してはじたばたしているようで、それは、一歩引いた覚醒時の視点から見れば、無意識の中でさまざまな困難の可能性に対処するシミュレーションをしている、というようなことなんだろうけれど、夢の中の私にもどれば、最終的にどうもつじつまが合わなくなって窮地に追い込まれることになる − それはそうで、なにしろ思いついたピンチが、思いついた時点でかたっぱしから襲い掛かってくるわけなので − どうにも「・・・やばい」「・・・どうしよう」という状態にたたされることになる。そういうときに、しかし、夢は、場面をぱっと変えたり、最終的には「はっ!!」と目がさめたりするんであるが

なんだか夢うつつの時にはもうすこし話がちからづよくつながっていたようなきがするのだけれどそうでもないらしい。自分としては、現実を否定して前に進んでいく力、みたいなことを考えていたはずなのだけれど。夢から「はっ!!」とさめるときの感じ、というのは、無意識のドラマに対して「否定」を導入して新しい次元にジャンプする力の感じなんじゃないか、だから、自己肯定がだいじみたいなことばかり世間で言われているけれど、自己否定する力っていうのだって必要じゃんみたいなことだったようなんだけれど、どうもぐだぐだですね。

なんかだからあれなんじゃない? 寝てばかりいないで起きて仕事しろってことじゃない? あれができなきゃやばい、みたいなタスクばっかりあるもんだから。


 


12月20日。とりあえず卒論終了。

全員無事提出、という連絡をいただき(提出最終日は非常勤でそとまわりだったので自分は大学にいけなかったのだけれど)、まずはやれやれ、ほっと一安心、なのだが、じつはまだ緊張から抜け出せていない。戦争が終わった実感がまだないかんじなのだ。
ことしは提出期間が土日をはさんでいて、提出最終日の月曜を目前に、まだゼミの6人中4人が出してなくて、土日は電話やメールのやりとりで過ごした。その間、自宅パソコンが壊れてファイルが消えたもの1名、携帯が壊れてメール連絡ができなくなったもの1名、音信そのものが10日間ほど途絶えていたもの1名、というぐあいで、胃に穴が開きそうだった。
基本的には、送られてきたメールや電話に対して指示を出す以外は待つことしかできないのだが、それがいちばんきつかったりして、まぁ、日曜の午後になってようやく、音信が途絶えていたやつから草稿が届いて、それがけっこううまくまとまっていたので、それでだいぶんめどはたったのだが、その後も結局、夜中1時過ぎに電話がかかってきたり、3時前から5時前ぐらいまでメールを何往復もやり取りしたりして、最近にないどたばただった。
ていうか、提出期間の初日に早々に提出した1名も、これまた前代未聞の400字詰め300枚という、卒論の規定枚数「30枚以上」の10倍の分量で、ファイルに綴じられるかどうかであたふたしたわけで、ほかの子も70枚とか80枚とか100枚とか、大部のものをまとめるのにさいごまで苦労をしていたわけで、どうも最初から最後までたいへんだったんである。

まぁ、卒論ゼミの指導の仕方に原因があるのはわかっていて、まぁ、わかってやっているということではある。インタビューで歩き回ったりするデータ集めの段階から実際の文章を書き始める段階に切り替えるタイミングを、意図的に遅く設定しているんである。それまでは章立てもさせない、という、まぁ、まっとうといえばまっとうなのだけれど、しんどいといえばしんどいやりかたですすめている。なので、うちのゼミになった学生諸君は、「30枚以上」という規定で想定されているサイズよりもずっとおおきなデータを抱えて、そこから「言える事」をすべて盛り込めるように章立てをしてまとめあげる、という作業を、ぎりぎりの日程でやることになる。これは、毎年かなりしんどいんであるが、でも、できあがったものはそれぞれ力作だと思う。
とはいえ、たぶん私自身がそのやりかたに慣れてきたというところもあるのだろう、年々、大部の卒論が増えてきて、またそれに反比例してこっちはトシのせいか、締め切り前のタフな作業に付き合うのがしんどくなってきて、今年はかなりきつきつな感じがしたのもしょうじきなところ。いやじっさい、慣れってのはあると思う。あと、学生は先輩の卒論というのを、見るわけで、そうすると、そこに含まれる傾向がどんどん純化されて増幅されていく、ということもあるだろうし。
次からは少しぐらいコントロールすることを考えようかしらん。


 


12月29日。原稿を抱えていると本が読める。

〆切りを過ぎた原稿を抱えている。そうすると本が読めたり積んどくのビデオが消化できたりするのでけっこうなことである。これで原稿のほうも進んでくれるといちばんありがたいのだけれど、まぁものごとはなにもかにもそうすべてがうまくいくというものでもないので、少しぐらいうまく行かないこともあったほうがいいような気もする。つつしむべきは強欲であって、たまには足るを知るということも必要である。

与太はともかくとして、まえもここでぼやいたにきまっているのだけれど、ものを書くとなると、読み手の顔が浮かばないのがつらい。自分の書くことばが誰かに届くことはあるのかしら?


 


1月1日。謹賀新年。

あけましておめでとうございます。
ことしもまたよい一年になりますように。