更 新 メ モ 過 去 ロ グ
(2003/1/1 - 2003/6/30)

最終更新箇所へ / アーカイヴ(2002/8-12) / 表紙へ戻る




 


1月1日。謹賀新年。

あけましておめでとうございます。

ことしもまたよい一年になりますように。


 


1月12日。真空地帯にいるようだという話。

去年の年末は、異様なほど「年末」感に乏しくて、それはあながち自分だけの感覚ではなかったようで、多くの人が口にしていたと思う(もちろんさいきん毎年あるていどそうなのだが、去年の年末は例年になく極端だった気がする)。それでも、気がつくと、わずか10日かそこら前のことだというのに、今から去年の年末のことをふりかえると、ずいぶん昔のことのような気がする。

1月は、授業が中途半端に2週ほどあったりなかったりで、すぐ試験期間に入り、なしくずしのように春休み期間にはいっていく。授業と試験が終わって成績までつけてしまえば、年度末にかけて今年もまた論文を二つしあげる(研究室紀要と、出身大学のほうの研究室紀要)のでそれ向きの態勢に持っていくことになるが、さしあたりいまのところ、まだ授業期間だし、しかしもう新しいことを何か喋るわけでもないので、ちょうど中途半端な真空地帯にいるような感じだ。

月末にある「関西教育社会学研究会」を楽しみにしよう。開催校の京都女子大の森先生の企画で、エスノメソドロジー/フィールドワークの特集なのである。というわけで、秋からやっている「エスノメソドロジーとコミュニケーション研究会」は、今月は、「関西教育社会学研究会」に乗り込むってことで番外編。いい機会なので若い子たちに研究会のことを宣伝できればいいと思う。
さしあたり、頼まれもしないのにここにも書いておこう。プログラムは以下の通り。

「第71回関西教育社会学研究会」

1:日時 2003年1月25日(土曜) 午後2時〜5時
2:場所 京都女子大学 S207演習室(現代社会学部2F)
3:報告
   大辻秀樹(関西学院大学大学院)
     「女子児童による友人関係の組織化と会話構造に関する研究
                       − 応答の不在に着目して」
   秋葉昌樹(龍谷大学)
     「フィールドワークによる教育臨床的研究に求められるはずのもの」
4:会費 700円(当日徴収)



 


1月18日。理想のごちそうとは現実に食べないということだ。

まあせっかくこういうところにお目よごしをしているのでわざわざつまらないことを書き並べたって誰も喜ばないとしたものなのだが、どうしたものかお腹にストレスがたまったらしく正月明けに近所の医者に出かけて胃カメラを飲んだ、というのがどうにも事件なものだから一応、書いておこう。

それで、前夜から何も食べてはいけませんよ、と医者と看護婦さんに繰り返し言い含められ、その日は教授会が終わってすぐそそくさと帰宅し、素直に軽い晩御飯(鯛をさっと煮たのと、うどん)を食べてお茶を飲んで夜9時を迎えた。それで、本棚から『アンチ・グルメ読本』(福武文庫(1989))を引っ張り出してきて炬燵にはまって読み直した。吉田健一の「饗宴」という文章を読むにふさわしい日がついにやってきたというわけだ。

・・・
 水もなるたけ飲まないように、などという病気にはなりたくないものである。なったら、腹が減ってたまらなくて、喉が渇き、煙草が欲しくてものめず、映画の試写会の招待券がきても出掛けて行けなくて、どうにも情けない感じがするだろうと思う。それが何という病気かということはこの際、問題ではないので、それに、そういうことになる病気はいろいろあるらしい。腹が減っているのが感じられるところまで直ってきたチブスがそうだそうで、それから、胃潰瘍という病気もやはりそうだという話を聞いた。
 先日、それに友人の一人がなって、間もなく病院から出てきたが、病気中の苦労の話を聞いていると実際気の毒で、自分がそんなことになったらどうすればいいかと、思わず各種の対策について空想してみたのが、どこもどうもないのにそういうことを考えるのだから、かえって無責任で楽しい夢の数々に耽ることになり、以下、そのことをすこし書くことにする。
・・・

・・・というような感じで書き始められ、空想の中の吉田健一が空想の病床から空想によって抜け出してあちこちの食べ物屋に入って次々とおいしそうなものを空想で食べる、というおはなし、これはどうやらかなり有名な文章らしくてあちこちのアンソロジーに収録されているのだけれど、最初に買った福武文庫のものが、編纂の趣味といい、活字の様子といい、どうも馴染んでいる。福武文庫というものじたい、今はどうなっているのかしら。大学院生の頃に買って読んだうち、金井美恵子『文章教室』と、この『アンチ・グルメ読本』は決定的だったのだけれど、それはまた別の話で、ともかく当時は、世間の景気もどこ吹く風、なにせ学生で収入がないので気の利いた美食などするはずもなく、もっぱら古本屋に通って食味随筆を買っては読んでいた。そのきっかけがこの文章で、吉田健一と獅子文六の文章は何度も飽きず繰り返し読んだ。
それで、月日は流れて、お給料がいただけるようになってお腹のすくことはなくなって(もっとも、きっかり30歳になるまで犬のような暮らしをしていては、もはやまともな嗜好が育つわけもなく、いまでもしばしば夕食がコンビニの弁当と缶ビールだったり「じゃがりこ」や夏だとソフトクリームが昼食だったりしてそれはきっともう一生そうなのだけれど)、まあつまらない話ではあるけれど日々の仕事だのなんだのであわただしくしていて、食味随筆を読み返すこともしばらくなくなっていたのだけれど、そろそろ中年になって胃の心配なんかするようになれば、以前とはちがってずっと肩の力をぬいて読めるのではないかしら。

それで、結論からいえば胃のほうはたんなる胃炎で、吉田健一のような境地にはまだもう少したりないようなのだけれど、やはりストレスがもとではあったようなのはなにしろ医者だってそういっていたのだから確からしいわけで、今後わたくしの周りの皆様、ご配慮いただけると有難いですねと書いておくことにしよう。

ところで来週ある関西教育社会学研究会、べつに私は事務局でもなんでもないのだけれど、エスノメソドロジー/フィールドワークの特集プログラムになっていて、おもしろくなりそうなので、頼まれもしないのにもう一度ここで宣伝しておこう。プログラムは以下の通り。

「第71回関西教育社会学研究会」

1:日時 2003年1月25日(土曜) 午後2時〜5時
2:場所 京都女子大学 S207演習室(現代社会学部2F)
3:報告
   大辻秀樹(関西学院大学大学院)
     「女子児童による友人関係の組織化と会話構造に関する研究
                       − 応答の不在に着目して」
   秋葉昌樹(龍谷大学)
     「フィールドワークによる教育臨床的研究に求められるはずのもの」
4:会費 700円(当日徴収)



 


1月26日。「関西教育社会学研究会」は盛況。

風邪っぽくてどうなるかと思っていたのだけれど、前夜に薬を飲んではやく寝て起きたらいちおう熱は下がっていたし、ぐてぐてしながら、行った。そうしたら人が集まっていた。
それで、前半戦の司会をやった。もう少しうまく司会できたらよかったかなあ、と後からは考えたが、しかし、おもしろい発表だったし、後半戦とのつながりも非常によかったので、よかったんではないか。
発表と質疑を聞きながらいろいろと考えるところもあり、2月に書かないといけない論文のアイディアにも引っかかってきて、自分的にも有意義だった。
個々の発表の面白さ、というのと同時に、今回の研究会は、企画全体に緊密な統一感があって、「エスノメソドロジー」が教育の場でどう使えるのだろうか、という問題意識 − この問題意識は、たぶん、エスノメソドロジーそのものの理論構成に内在しているわけではない、それだけに、すんなりと正解が出るものではない困難さがあって、そこを生産的な「ひっかかり」にして面白いものが生まれるのではないかと思う − が、全体的なメッセージとして提示されていたのでは、と思うし、そこのところは好感を持って受け取られていたのでは、と思う。そのへんが、「よかった!」と思えるところ。

それで、会が終わって「懇親会」に移り、開催校が女子大だっただけに、懇親会場も洒落ていて、美しいシャンデリアのきらめくホテルの1Fの中華飯店で立食パーティー。立食パーティーだけど誰も最初にいた場所に立ったままほとんど動かないという、ちょっとおもしろいことになっていた。そうなると、なんかすごく「立ち話」感が横溢するのだ。それでもなぜか皆さんすごく楽しそうで、つくづく学者というのは妙な人種なわけで、べつに変なのは私だけではないとここで強く言いたいわけである。

懇親会場で、新発見をしたように、言われるのである。
「石飛くんが懇親会に来るなんて珍しいなアー」
「まったく・・・来たら来たで何か言われ・・・帰ったら帰ったで言われ・・・」
「アハハー 結構なことじゃない 話題になってるんだから」
「まったく! まったく! とんだスターですよ!!」


 


2月1日。ヤン・ムーリエ・ブータン『アルチュセール伝』を1ヶ月も読んでいた。感慨深いものが。

600頁以上もある、しかもやけにまわりっくどくペダンチックな文章で、自身が理論家であるらしくまた小説も書くという著者がアルチュセールの人生を緩やかに辿りながらその中でどのようにアルチュセールの理論が生成してきたのかを詳細に辿ったテキスト、の、上下二巻本が予告されたうちの上巻。伝記の形式通り、なのだろうか、アルチュセールの埋葬の場面がファーストシーンで、そのあと、妻エレーヌの絞殺という「最初の死の夜」のシーンが映し出され、それから、回想に移って幼年時代からの物語が始まり、60年代に『マルクスのために』『資本論を読む』の出版で突如として炸裂的に思想界に登場するその直前、”アルチュセールがアルチュセールになるまでの”前半生が描かれている。
「ガラス球演戯」と題された最終章が圧巻で、同名のヘルマン・ヘッセの長編小説をフランスに翻訳紹介したアルチュセールの親友 − 学生時代からアルチュセールと才能を競いながら、また精神の脆さでもアルチュセールと共通のものをわかちあい、そしてアルチュセールとことなりアグレガシオン試験に落第し続けて、教授職をあきらめ、翻訳で食いつなぎながらついに自殺する − をアルチュセールの影、分身としながら、『ガラス球演戯』そのままのマイナスのビルドゥングス・ロマンとしてエコール・ノルマルの群像を描いている。弱い心を持つ秀才アルチュセールが、あたかもかつて捕虜収容所の中で自分はいつでも脱走できるのだと観念上の脱走計画を立てながら収容所内にとどまっていたように、また”運命の女”エレーヌとのダブルバインディングな関係を最期の瞬間まで引き伸ばし続けていたように、また党内批判者として孤立しながらついに共産党の内部に最後までとどまり続けるように、博士論文の準備を先延ばしにしながらエコール・ノルマルの復習教師という中途半端なポストにとどまっている。収容所での彼とは違ってここでの彼は奇妙に居心地がよさそうだ。周期的に訪れる深い鬱病の発作を適当に「腎臓病」と偽って入院したり休暇をとったりしてうまくごまかしながら、とてもまめやかに学生たちの面倒を見ている。とうとうアルチュセールは自分の居場所を見つけたらしいのだが、それってどうなんだろう? しかし、そうやって40歳を超えるまで過ごしながら、着実に、60年代の炸裂、「アルチュセール」の誕生の瞬間が準備されている。しかし、しかし、それってどうなんだろう?
『アルチュセールを読む』(状況出版)所収のインタビュー「政治と友情」の中でデリダ(デリダもまた、アルチュセールの指導を受けた学生で、またアルチュセールに呼び戻されてエコール・ノルマルでの同僚として長く勤めた)が繰り返し強調している、ユルム街の狭い知的人脈世界の相関図の片鱗が、この本でうかがわれる。なるほどこれは、こうした人間関係を知っているといないではぜんぜん「ポスト構造主義」とかなんとかの理解が変わってくるわ。しかしそれよりなにより、この本、アルチュセールという脆い、脆い心の持ち主の、マイナスのビルドゥングス・ロマンとして、感慨なくしては読めない。
この邦訳書の出版時点では下巻が刊行される見込みはまだない、となっていたけれど、これはもう、読みたいところだ。

HMVのサイトで注文したCDが届いた。1ヶ月待ったので、聴きたいという熱が多少変化したのは確かだが、しかし、やはり楽しみに聴こう。

『Tribute To 岡村靖幸 どんなものでも君にかないやしない』
イルリメ『イるre メ短編座』
イルリメ『Quex』
Collectors『Complete Set - The Baidis Years - Very Best Of 1987-1990』
Collectors『Complete Set - The Baidis Years - The Collectors More』
Dj Krust『Coded Language』
Dj Krust『True Stories』
Jazzanova『In Between』
Trans Am『Futureworld』
Pop Group『Y 最後の警告』

という、まあよくわからないようなわかるようなラインナップだが、コレクターズはそれぞれ2枚組ずつで、年末以来のコレクターズブームから思わず買ってしまった、初期の「ネオGS」時代のもの。それから、雑誌で見たテクノ系のものを、とりあえずわからずにそれらしいものを何枚か、そして、ポップグループはまあ、さいきんずっと80年代ニューウエイヴを聴いている流れで。
この中で、ちょっと期待しているのがイルリメさんで、実はよくわからないのだけれど、岡村靖幸のトリビュートアルバムの参加者の中で唯一、岡村靖幸の曲の「気分」を正しく「今」のものとして生かしているんじゃないかと、まあインターネット上で試聴した限りで判断して、これは「買わねば!」とばかりにアルバムを注文した次第。じつは、注文から発送まで一ヶ月近くかかったのも、イルリメさんのアルバムが1枚入荷しなかったのをずっと待っていたからなのだ。まったくやっかいな・・・
で、今聴いてみてるけれど、やっぱいいですねえ。なにがどういいのか、言えなそうなところがすごい。こういうのが好きなのだから仕方ない。

プロフィールの頁があっさりし過ぎだと学生に言われた。これだけ自意識過剰なHPでさらに何を書けというのか、と思うが、ちょうど先日、勤務校のサイトにようやく教員紹介のページが出来たので、以前書いた河合塾の研究者情報とともに、リンクだけ張っとこう


 


2月11日。2月に入って何をやっていたか。

とりとめがなくてよく覚えない。
・試験監督。
・会議(気が重かったものと長かったもの)。
・レポートの採点と成績付け(今年は案外わるくなかった。授業が成功してたのか)。
・学生さんと来年の合宿の相談。
・そのためのMLの立ち上げ(うまくいくのかどうかまだ模索中。むつかしい)。
・入試。
・まえの担任クラスの同窓会(楽しかった)。
・卒業論文発表会と追い出しコンパ。
ぐらいがおもだったところ?

一般的に言えばぜんぜんたいしたことはしていないのだが、ひきこもりな人間なので、ずっと気疲れしていたのか、今日は夕方まで一日ぐたっと寝ていた。

週末に、「エスノメソドロジーとコミュニケーション研究会」第4回がある。それを楽しみにしよう。


 


2月19日。「エスノメソドロジーとコミュニケーション研究会」第4回も盛況。

今回は、奈良で開催を引き受けていただいたので、キャンパス内で鹿に会うのを楽しみにしていたのだけれど、いざ行ったら、会わなかった。それで、「鹿に会えませんでしたよう」と言ったら、他の人はみんな、「鹿、いましたよ、いっぱいいたじゃないですか」と言うので、孤独だった。たぶん、私は、メールで送っていただいた道案内をプリントアウトして、それを一生懸命に見ながら会場の研究室のある校舎をめざして歩いていたので、気がつかなかったのかもしれない。今考えると、あれなら、鹿が真後ろをついてきていても気がつかなかったかもしれない。ていうかたぶんついてきてた。
研究会そのものは、盛況。おわったあとに、言いたいことが言える雰囲気でよかった、とか、また、新しく参加してくだすった方が、想像したのと違って院生が発言しやすい雰囲気で好感を持った、とか、いってくださって、それがとてもうれしい。
議論の内容も、参加者がみなそれぞれ切実に思っているポイントに触れてきたようだ。
「臨床」ということばが、流行みたいになっている、ということについて。あるいは、研究者が研究対象に対してどのような位置取り、スタンスを取るか、という話。それで、お互いに、自分の研究とか、自分のピンときた文献とかについて紹介したら、そのまま、お互いのそれぞれの関心に関わってきて、「そうそう!」とか「それはどうなん?」とか、「なるほどねい」とか、なる。それで、議論をしながら、各人それぞれの考え方とかスタンスとかがだんだん出てきたりする。
今回は、軽い文献紹介中心の発表を2本立て、という編成をしてみたけれど、結局、文献そのものの紹介以上に、自分たちの現在やっている研究の話になっているし、また、2本立てといいつつ、結局、二つのトピックが関連づいてひとつの議論になったりしている。
そういうわけで、結構、おもしろい研究会になりそうだ。それがとてもうれしい。

授業が終わり採点が終わり、入試もひとまず一段落して、今年もまた文豪生活の季節である。さしあたり月末までに、研究室紀要に軽いものを書かないといけない。例によって何年も前から抱えているアイディアなのだが、いざまとめるとなると、うーむ、と考え込んでしまう。
こういうときに、心の支えになるはずなのが、H・S・ベッカー『論文の技法』(講談社学術文庫)、のはず、なのだが・・・。

まぁそれはともかく、さしあたり、自分なりに調子を整えて論文を完成させよう。


 


2月25日。マートンとブランショ。

web上で、ロバート・K・マートンの訃報を目にした。正直、えー?まだ存命だったのか?とも思ったが、いずれにせよ、淋しいことである。つい先日、マートンのことを思い浮かべていた。授業でもよく言うのだが、社会学で実際に「使える」道具立てをたくさん提供した人で、「予言の自己成就」でも「アノミー」でも、とても使い勝手がいい。今だって、自称ポストモダンでふたを開ければマートン、というのはたくさんありそうだ。ま、そういう軽薄なのは時間とともに消えていくとして、やはりマートンは偉かったわけで、だからこそ、新しいことをやろうと思えば、マートンには見ることのできなかったことをしっかり見て、マートン並みの「使える」道具立てを提起していかないといけない、ということなのだが、例えばエスノメソドロジーだって、1917年生まれのガーフィンケルがいまなお影響力を持っているわけなので、1910年生まれのマートンからだって、ほとんど時代は動いてないという気もしなくもない。ま、いずれにせよ、ごめいふくを。

それで、新聞のほうで訃報欄をチェックしてみたら、マートンの記事は見つからなくて、ブランショが20日に亡くなっていた。年末に何冊か買って、ちょっと読んだりしていたわけで、これも淋しいことだ。ブランショ、買い集めはしたもののたいていよくわからないのだが、以前読んだ『明かしえぬ共同体』(ちくま学芸文庫)だけはなぜかとても心に染み入った。つい先日ちょっと読みかけたデリダのブランショ論を、ちゃんと読んでみようかしら。とにかくこれまたごめいふくを。


 


3月6日。夢のような・・・

〆切を過ぎて、まだ論文を書いている。あと10枚くらい書かないと収まりがつかないというところ。最初は40枚くらいの軽いものを、と思っていたが、だらだら書いていたら70枚くらいになりそうで、これは、長い。
フロイトの短いテキストを読んでずっと気になっていた、どちらかといえば小ネタ的なアイディアを文章化するつもりでいたのだが、いざ起承転結をつけて語りだそうとしたら、あれもこれもと素材をつっこみたくなって、なにしろ研究室紀要なので長さや形式が自分の自由になるということもあり、ついついあれこれつっこんでしまっている。
ところで、論文を書くときに、いつも、ビデオで映画を見ながら書いている。今回はあまり見ていないのだが(だからうまく書けないというのがたぶんあるのだが)、それでも何本か見た。いつも、なるべく短くてシャープなB級的なアクションなんかを見ようと心がけている(サミュエル・フラーとか)。今回は、ついつい、時間に任せてマノエル・デ・オリヴェイラ『アブラハム渓谷』を見てしまったんで、どうも長くなってしまう、という。そのあと見たのも、ウディ・アレンの『バナナ』(これは短かったけどシャープとはいえない、いかにもウディ・アレン節の、さえない男が女の子に出会って振られて再会する話、再会したシーンの女の子の表情だけよかった、でも短いくせにだらだらした映画だった)、それから、戦時中の国産野球ミュージカル『秀子の応援団長』(これはなかなかよかった、高峰秀子といとこの女の子の二人組みが、買った焼き芋をセーラー服の中に隠して小走りに走るところとか、かわいかった、しかも短く、不思議な余韻のある唐突なエンディング)、ぐらいで、論文をまとめるリズムを作るところまでいかなかった。
映画の上映時間の分数を2で割ると、同じ枚数の論文にだいたい対応する、と思っている。90分ちょっとの標準的な長さの映画が、だいたい原稿用紙50枚(註を除くと正味45枚前後ですね)の論文。40枚だと、70分か80分のB級低予算アクション映画。30枚だと、60分の中篇映画のつもりで、ネタと呼吸をそろえていかないと、90分のもののネタを考えていると、あふれてしまう、とか。あるいは、2時間を超える長尺のメロドラマのネタを、80分のB級の呼吸で撮りあげてしまう、とか。論文で行き詰ってきたら、テンポのいい短い映画をがーっと見て、その呼吸で書いていく、と。
今回は、どうもそういう文豪的な執筆生活のペースをつくれないで(春休み期間とはいえ、途中でちょこちょこ学校に出勤する用事ができて)、だから、ということでもないだろうけれど、論文がだらだらしている。
ところで、だらだらした論文が厭か、というと、自分では案外嫌いではないというのが困りものだ。むしろ、自分が次のステップに進むための、実験のような、ガラクタ箱のような、やりたいことをぎりぎりまでぜんぶ突っ込んだ論文というのを、ときどき書きたくなるわけで、こういう研究室紀要のようなところは、それができるのがうれしくもある。
今回は、とくに、フロイトを援用して書いたので、何しろ精神分析の「メタ心理学」というのはウソかホントかわからないような、それじたいおもちゃ箱のようなテキストなので、援用しながら書く論文のほうも、どうしても不思議な感じになる。たぶん、後になって読み直したときに、面白いのはこういう論文だ。夢の記述のようなもので、フロイトの、私の好きな『夢判断』の中の言葉を引用すると、

どんな夢にも、すくなくとも一箇所、どうしてもわからない部分がある。それは、それによってその夢が未知なるものにつながっている臍のごときものなのである。

というような、特異点とか傷跡とか裂け目とか、ひっかかり、が、次へのとっかかりになってくれるような気がする。


 


3月13日。そして人生は続く

執筆者から集まった原稿を取りまとめて、ページを組んで版下を作って、印刷製本をお願いする会社の営業の方に「遅れてすみません、よろしくお願いします」「はい、たしかに」ということでなんとか手渡し、やれ、一仕事終わりである。
自分が書いたものについていえば、やはり、釈然としないなぁとも思うのだが、それでも、頭の中で思っているだけよりは、世に出したほうが絶対によいことなのだ。


 


3月19日。「エスノメソドロジーとコミュニケーション研究会」が早くも半年。

第5回研究会も盛り上がった。修士論文の展開で、エスノグラフィーの方法論的問題プラス実践例、みたいな。その実際のエスノグラフィーのほうは、まさにいま模索中、という感じで、そこがおもしろかった。エスノグラフィーの、記述のやり方の問題に、エスノメソドロジー的な視点は有効だろうか。発表者は、そういうつもりはとくになさそうだったけれど、私は個人的には、やればけっこういけそう、という感じを持った。
関西教育社会学研究会に乱入した1月を勘定に入れると、10月からだいたい毎月、充実した研究会で、半年が経過した。次回は4月に、と思うのだが、年度始めのごたごたした時期にできるかなあ、日程調整が心配かも。でも、参加者がみんな乗ってきた感じがあって、たしょうの困難があってもうまくいきそうなのだ。それがうれしいところ。

研究会のあと、懇親会の席で、文法の話になった。そのとき言ったら賛同を得られたという話。
 − 先日、近所を散歩していたら、警察の交通安全の看板が立っていて、
「急げども 事故を起こせば 遠回り」
と書いてあって、「?」と思ったのだが、これでは、「急いだのだけれど、事故を起こしたので遠回りになってしまったものであることだなあ(次からはうまくやろう)。」という、詠嘆のような意味にならないだろうか。どうせいうなら、
「急ぐとも 事故を起こさば 遠回り」
かなんかではないだろうか。文法よくわからんけど。
ていうか、もちろん、
「急いでも 事故を起こせば 遠回り」
で、十分なのでは。

Web上では、インターネットならではのいろいろなプロジェクトが進行しているようだ。知識を共有していこう、というのは、インターネットそのもののコンセプトでもあるだろうが、先日、見かけたのが、Wikipediaというサイト。
「wiki」というのは、web上で、アクセスした誰もがコンテンツを自由に書き込み・書き換えできるような仕組み、だと理解できると思う。BBSの、もっと強力なやつだと思っておけば当たらずといえども遠からざるところだと思う。もちろん、下手に使えばいくらでも荒廃してしまうけれど、上手に使えば面白いことになりそうだ、と思わせるツールだ。
で、そのwikiを利用して、みんなで百科事典を作ってしまおう、というプロジェクトが、上記サイト、のようだ。まさに知識共有。
ただし、さすがに、書き手がいい加減なことを書くと(まあ、あとから他の人が自由に修正できるとは言え)やはりまずそうな気がしてくるので、たぶんこのプロジェクト自体は、全体としてはうまくいかないのではないか、という予感はする(もっと、みんなが気軽に書き込み/書き換えできるようにならないといかんだろうし、しかも、「2ちゃんねる」のような荒廃の段階をたぶん一度や数度にわたって通過してのちに、ようやく、残る部分が残る、というふうになるんじゃないかなあ)。こういう、一箇所のサイトで百科事典を作る、という試み自体が、インターネット的なものを生かしきってないような気もしなくもなくて、げんに今の段階でも、web上にたくさんの人たちが、自分のサイトを持って自己責任で自分の情報を出していて、それをGoogleみたいな素晴らしい検索ツールで検索できるのだから、そういう分散型かつ横断検索型のやりかたのほうが、よりインターネット的と言えなくはないとも思う。
のだけど、まあ百科事典はともかくとしても、知識共有というのをいろいろ試みる、というのは、ぜったいに面白いと思う。
ちなみに、このWikipedia日本版、「社会学」の項目を見ると、いまのところ、現象学とかエスノメソドロジーとか、そっち方面にえらく偏った項目が立ててある。趣味がいいというか悪いというか。それで、ぜひ、しかるべき方が、しかるべき解説を書いてくれたらなあ、と思っている。めったな人が嘘を書いたりすると、教育上よろしくない。

敵を愛し、迫害する者のために祈れ。こうして、天にいますあなた方の父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。あなたがたが自分を愛するような者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもすることではないか。兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。
「マタイによる福音書」 第5章 44−48


 


3月30日。新学期が始まる。

今年度から、入学式が4月1日、在学生のガイダンスその他は3月末にやることになっていて、だから、もう新学期なのである。
新学期だからといって何か新しいことをやるわけでは、たぶん、ない。新しい科目の授業を担当したりすることも2、3あるが、それはそれ。
一番大きいのは、先日、4年間一緒だったひとクラスを卒業させ、今度また新しくこれから4年間付き合うひとクラスを入学させる、ということだ。どんな子がくるのか楽しみにしよう。

ていうか春休みに仕上げようと思っていた論文が一本、仕上がらない。〆切は先日だったのだが、なんとなく〆切が延期になってもいいということのようで、それで安心もしたが気持ちも切れかかっている。宙吊り状態のままの3月を過ごして、新学期に突入なのである。


 


4月6日。逃げ水

論文の〆切が3月24日だと最初は告知されていて、しかしどうも困ったと思っていたら、早々に、3月末まで待ちましょうとメールが届いた。それで、なにせ突然に一週間も〆切が遠ざかったので、かなり安心して、それでも「遅れてすいません」とメールを送ったら、実はどうせ4月に入るまで〆切をのばすつもりなのだという返信が帰ってきて、それでいったん気持ちが切れかけてしまったのだが、しかし、3月末に、デッドラインは4月7日だ、と通告が届き、それでこの週末を当て込んで書き進め、だいたい見通しがついた、あと一晩でだいたいできそうだ、と思って今日の昼過ぎに、「明日なんとか提出できそうだけど、何時までに送ればようございましょう」とお伺いの電話をかけたら、どうもまたしても〆切が延期になりそうで、金曜まで待ってもよい、との返事が返ってきた。それで、なあんだ、といってすぐさまアルコール分を購入しに出掛け、したたかきこしめしたのだとお考えいただきたい。この歳になって、自分の弱さを自分で打ち負かそうなどと無駄なことはもうやりたくないのである。

とはいえ、肝心の論文のほうは、どうやら面白いものができそうだ。
ちょうどこのHPを改装してこのメモを書き始めた去年の夏にここに書いていた、「短くシンプルなもの」というのが、ようやく仕上がるというわけだ。それで、40枚のものを書こう、と心に決めていたのだが、どうもぐずぐずしているうちに、やはり多少のびてしまいそうだ。それでも50枚弱にはおさめたいものだ。

今日は、天気がよかった。宇治川の河川敷の長い長い土手を、論文のまとめかたを考えながら、てくてくと散歩していた。桜が咲いて、広い河川敷では草野球を何試合もやっていて、風が吹いていて、とても気持ちがいい。足元の草のあいだを、てんとう虫が忙しそうに歩き回っていて、しばらくしゃがみこんで見ていたら二匹目、三匹目が同じように忙しそうに現れたり隠れたりして、とても楽しかった。てんとう虫などしげしげと見るのは何年ぶりだろうか?


 


4月15日。授業が始まった。

非常勤の授業までふくめ一通り始まった。ことしはどんなふうになるだろう?

大学の授業期間というのは、どう見ても一年間の半分くらいしかない。4月の半ばに始まって7月の半ばまでの3ヶ月、9月の半ばに始まって12月の半ばまでの3ヶ月。1月に少しあっても、逆に学園祭期間とかあるのでチャラ。というわけで、授業をやっているだけが大学の先生の仕事というわけでは、あまり、ないのだが、しかし、論文を書いたり学会発表したり研究会やったり本を読んだりというのは、あまり直接金銭に結びついているようには見かけ上見えないので、やはり授業というのが仕事、という気がしている。大学の先生というのも季節労働者なのか、そのへんに、さる先生に薦めていただき最近通勤電車で読んでいるエリック・ホッファーの自伝にも通じるものがあるようにおもわれなくもないがそれは悪い冗談だろう。
ともあれ、2月、3月の文豪生活期間でことしもなんとか2本の論文を書き上げ(←卒論の学生さんが勘違いするとあかんので念のためにいっとくと、構想3年、準備1年、で、まとめが一ヶ月、という感じですから、きみたちは卒論を一ヶ月で書こうとゆっとったらあかんよ)、ぎりぎりセーフで授業開始にまにあわせて先生モードに切り替えである。

ま、そういうわけで、この春に書いた2本もアップ


 


4月25日。「散り行く花」

先日書き上げた論文をアップしたという宣伝をもう少しやっておこう。出身大学の研究室紀要に書いた、「「生徒コード」を語ること − 「いじめ」のリアリティの反映的達成」『教育・社会・文化』no.9(印刷中)というのは、けっこう自分で気に入った出来で、研究会の若い人が褒めてくれたのでとてもよろこんでいる。やはり、自分より若い世代の大学院生の人とかが褒めてくれるととてもうれしい。
結局、この論文、60枚近くなってしまい、40枚のシンプルな・・・という最初の予定は変更になってしまったのだが(たぶん、ぐずぐずとゆっくり書いていたからというのもあるだろう)、しかし、お話そのものは、シンプルなしあがりになっているはずだ。
この論文を書くときに、うまくイメージが固まらなくて、うーむ、と思いながらあれこれ思い浮かべていたが、結局『散り行く花』(グリフィス)で行こう、ということにして、何年ぶりにビデオを取り出して、『東への道』と連続で見直した。論文に出てくる何人かの中学生がリリアン・ギッシュに似ているというわけではないのだが、それでも、モノクロのシンプルな画面の上のリリアン・ギッシュを思い浮かべながら、その呼吸で書いたつもり(自分の中では)。半年くらい前に、ここで、「顔の見えるエスノグラフィー」みたいなものが書きたい、と書いたが、そういうことがたぶんやりたかったのだと思う。できたのかというとよくわからないのだが、自分の中では、少し近づいたのでは、と思っている。


 


5月3日。なんかせわしないことになってきた。

体調の管理に気をつけること。

先日書き上げた論文をアップしたという宣伝をもう少しやっておく。自分で気に入ったものを書いたと思ったら、宣伝までが仕事だと考える。「「生徒コード」を語ること − 「いじめ」のリアリティの反映的達成」『教育・社会・文化』no.9(印刷中)


 


5月11日。ブックマークをようやく改装。

先日、新しいノートブックを購入。研究室のが古くなって使えなくなってきたので。これで少しは仕事の能率が上がればよいのだが。
その流れで、この週末にこのサイトのブックマークのページをようやく新装開店。そのまま仕事用のパソコンのブラウザのスタートページに設定してしまえるように、というコンセプト。大枠はこんな感じで、あとはぼちぼち修正していこうと思う。

先日書き上げた論文をアップしたという宣伝をもう少しやっておく。自分で気に入ったものを書いたと思ったら、宣伝までが仕事だと考える。「「生徒コード」を語ること − 「いじめ」のリアリティの反映的達成」『教育・社会・文化』no.9(印刷中)


 


5月23日。体調はあっけなく崩れ落ちてしまったのだが

義務だけは人並みの最低限は果たさなくてはね。大変だ。

(だめ。全文削除。)

映画『サウンド・オブ・ミュージック』を見直さないといけない。
「古いヨーロッパを(アメリカ的な?)明朗さが救う」みたいな文化帝国主義があるんじゃないか、とか。

先日書き上げた論文をアップしたという宣伝をもう少しやっておく。自分で気に入ったものを書いたと思ったら、宣伝までが仕事だと考える。「「生徒コード」を語ること − 「いじめ」のリアリティの反映的達成」『教育・社会・文化』no.9(印刷中)


 


5月27日。「マック・ザ・ナイフ」

某日。なんとなしに聴きたくなって、エラ・フィッツジェラルドのベルリンでのコンサートの、有名な、「マック・ザ・ナイフ」をひっぱりだして、聴いた。「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」と併せて、会場を大盛り上げにするナンバーで、ちょっと気分を盛り上げようと思っていたとかそういう理由だとお考えいただこう。それで、エラが、即興の歌詞を歌いながらどんどん盛り上げていくのだが、その中で、ルイ・アームストロングの名前を呼び出して、ルイの声真似でアドリブをしてみせる、というこれまた有名なくだりで、ふいに目が熱くなってくる。

P・K・ディックの『ゴールデン・マン』(ハヤカワ文庫)の、本人による「まえがき」ばかり、繰り返し読んでいる。

岡崎京子『恋とはどういうものかしら?』(MAG COMICS)。さいきん、岡崎京子の本が続けて出版された。どういう意味なのだろう? 「恋愛に限界はあるのか?」「初恋・地獄篇またはヨーコと一郎」「みりん星人大襲撃」「にちようび」なんか、とてもよかった。

録画したまま積んどく状態になっているビデオの山の中から、オーソン・ウェルズを見ようか、と思いたったが、しかしそんな気力もないかも、と気分がやはり縮小してきて、隣にあった『ウディ・アレンの影と霧』を見る。ビデオがスタートすると、例によって例のごとく白黒画面に例の飾り文字でタイトルやキャストやスタッフが浮かび上がり、いつもより少し重めの、しかしやはりオールドスタイル・ジャズが流れて、はじまりはじまり。例によってウディ・アレンはさえない男で、夜中にたたき起こされ、ごたごたに巻き込まれ、べらべらと弁解をして、例によってミア・ファーロウが悪くない役で登場し、なぜか例によっていつの間にか美人に見えてきたりして、夜の影と霧の中を絞殺魔から逃げ回ったり星を見たりして、まあおきまりのものというのはやはり悪くない。マドンナはどうでもいいとして、ジョディ・フォスターやジョン・キューザックがちょろっと出てきたのはよかった。
それで、気がつけば連続殺人魔の話なので、最後に流れる曲は「マック・ザ・ナイフ」なのであって、オールド・スタイル・ジャズばかり使うウディ・アレンがこれを使わないわけはないのであった。

先日書き上げた論文をアップしたという宣伝をもう少しやっておく。自分で気に入ったものを書いたと思ったら、宣伝までが仕事だと考える。「「生徒コード」を語ること − 「いじめ」のリアリティの反映的達成」『教育・社会・文化』no.9(印刷中)


 


6月4日。「顔の見える・・・」

勤務校の学部内でやっている研究会の席で、メルロ=ポンティについての入門篇の本はどれでしょうか、と、さる哲学の先生にうかがったところ、鷲田清一『メルロ=ポンティ』講談社、がいい、ということで、さっそく読んで、とてもよかった、というのがこのまえの春休みの収穫で、それからまた先日おなじ研究会の席で同じ先生が、デリダにおける神の場所みたいなことを言っておられて、「ユダヤ教の”神”についてはどうなんでしょう?」とか訊いてみたら、それならレヴィナスがもとでしょう、みたいな話になり、それからレヴィナスにおける「顔」の話になったりして、そのへんになるとほとんど分からないのだけれど、分からないなりに、なんか面白そうな予感はして、それで思い出したのが、『メルロ=ポンティ』に続けて買ったなりになっていた同じ鷲田清一『顔の現象学 見られることの権利』(講談社学術文庫)で、引っ張り出してきて読んでみたら、すいすい分かったわけではないにしても、面白そうだった。このへんのものを読んでいくと面白いだろう、という目安みたいな。

以前、ここで、「顔の見えるエスノグラフィー」みたいなことを書いた:
・・・
どうも、「顔の見える」エスノグラフィー、というのが好きだ。せっかくインタビューとか参与観察とかしたのだから、論文を読んでいてその「顔」がありありと浮かんできて「いるいる、こういうやつ!」というふうになると、面白い。自分が書くときも、そういうのをやりたいという気持ちは、ある。例えば会話の録音データを読むのであれば、そこから「口調」みたいなものとか「呼吸」みたいなものが、ありありと浮かんでくるようだと、面白いと思う。 / しかし同時に、そういう描き方をめざすことは、記述の態度として通俗的な人間主義になってしまうのではないか、という気もする。むしろ、その「描き方そのもの」と「顔」との相互反映的な生成を、「顔」の浮かび上がりの記述のなかで描き出す、というようなことがエスノメソドロジーなのか、という比喩を思いついた。モネの描いた睡蓮の池のようなものとして描かれた〈顔〉(あるいは、モネが奥さんの死顔を描いた『死の床のカミーユ』みたいなもの)、としてのエスノグラフィー/エスノメソドロジー、みたいな? この比喩で、どこまで行けて、どこで限界につきあたるだろうか?
・・・
それで、『顔の現象学』の中で、鷲田が次のように書いているのが、関係してくるだろうか、とか、考えたりする:

・・・〈顔〉を、「読める」記号へと馴化すべきではないのである。それを「表情」という制度化された形象から解除しなければならないのである。〈顔〉は「見られることの権利」あるいは「見られることへの呼びかけ」なのであって、それ以上でも以下でもない。 / 伝統的に肖像画と呼ばれてきたものは、そういう〈顔〉を記号へと縮減する装置としてある一方で、その「見られることの権利」に向かって〈顔〉を解き放つ冒険としても、試みられてきた。その後者の可能性にことよせて矢内原伊作が述べた言葉をここで思い起こそう。「モデルを前にして芸術家は多くのデッサンを繰り返す。デッサンは繰り返されねばならぬ。なぜならそれは瞬間的な顔の動きを捉え、顔は絶えず動くからである。一つの表情は他の表情を打消し、一つのデッサンは他のデッサンによって打消される。そして長い観察と無数のデッサンのはてに肖像ができあがるとき、それはすべてのデッサンを打消し、どの瞬間の表情をもあらわさないように仕上げられるのである。」(矢内原伊作『顔について』)


直感的にいうと、自分が以前、モネの絵を比喩として参照していたのは、ちょっと弱くて、というのも、モネという人は、たぶん、さーっと一筆で「表情」を写し取るのが巧すぎて、上に引用されている比喩でいうと「デッサン」のようなものに相当するのでは、と思う。それで、「その「描き方そのもの」と「顔」との相互反映的な生成を、「顔」の浮かび上がりの記述のなかで描き出す、というようなこと」と以前書いたのよりも、もっとのっぺらぼうな感じの〈顔〉を、鷲田は問題にしているので、その〈顔〉の「呼びかけ」の上で、「呼びかけ」に応える形で、「「描き方そのもの」と「顔」との相互反映的な生成」みたいなことが演じられる、ということなのでは? 等々。 − もちろん、そうしたのっぺらぼうの〈顔〉を「解き放つ」試みだけがなされなければならないことのすべてなわけではたぶん、ないし、私はやはり、さーっと一筆で「表情」を写し取ったようなエスノグラフィーがあったら、やはりその固有の次元において、面白いと思う。

・・・いや、そもそもモネという人は、鷲田的というかレヴィナス的というか、そういった〈顔〉の「呼びかけ」の磁場より一歩退いた(ふりをした)場所で「自然」だか「光」だかを写していたのかしらん? 「素晴らしい眼だ、だが眼に過ぎない」的な?? だとすると、それを、「自然の表情を捉えた」とか比喩的には言えるけれど、鷲田=レヴィナス的な〈顔〉の、訴えかけてくるような存在性とは、たしかにかなり別次元のものだ。等々。

先日書き上げた論文をアップしたという宣伝をもう少しやっておく。自分で気に入ったものを書いたと思ったら、宣伝までが仕事だと考える。「「生徒コード」を語ること − 「いじめ」のリアリティの反映的達成」『教育・社会・文化』no.9(印刷中)←校正中


 


6月19日。6月にはいって何をやっていたのか?

月初めの研究室の合宿から帰って以来、咳が止まらなくなって現在に至る。そのずっと前から続いている微熱もいっこうにおさまらない。それでいい機会なのでまえから気になっていた野口晴哉『風邪の効用』『整体入門』(ちくま文庫)を買ってきて読んだ。惹句に曰く「風邪は自然の健康法である。風邪は治すべきものではない、経過するものであると主張する著者は、自然な経過を乱しさえしなければ、風邪をひいた後は、あたかも蛇が脱皮するように新鮮な体になると説く」。まあ、ものというのは何だって考えようである。それでいろいろ見ていると、以前から竹内敏晴の本(けっこう嫌いじゃない)で見かけていた「野口体操」というのは野口三千三という人のやってることで、これは野口晴哉とはかんけいない人であったらしい、野口晴哉のほうは「野口整体」、で、こっちも竹内敏晴はちょっと参照しているのでややこしいのだが、似たようなことをやっている別人らしい、とか、わかった。でも、このへんをまとめて身体論として勉強するとおもしろいだろう(ほんとは、本で読んでるだけではわからないのだろうけれど)。

それで、あたかも蛇が脱皮するように新鮮な体になったかというと、まだその境地には達していなくて、さしあたりは「風邪は治すべきものではない」というくだりだけ実践できている感じだがそれは修練の成果というわけでもない。咳と微熱がだらだらと続くというのは、実は例年のことで、まあ、虚弱体質なわけで、それが今年はさっそく出たということなのだが、例年、医者に行って薬をもらってもいつも全然治らないで、検査をしても風邪としか診断がつかないまま2ヶ月、3ヶ月と咳や微熱が続くのが通例なので、たしかに目先を変えて風邪の効用でも数えていたほうが精神衛生上いいのだといえなくもない。「蛇が脱皮するように新鮮な体に」というイメージは、けっこう悪くないと思うのだが、いかんせんこう長い間イメージし続けていると頭の中が蛇でいっぱいになってそれもいかがなものかとは思わなくはない。

ここ数日のBGMはスモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズのベスト盤です。パソコンに取り込むと、とにかくそればっかり繰り返し聴くようになりますね。通勤のMDは椎名林檎の『無罪モラトリアム』とその頃のシングルB面。「すべりだい」がいい曲だ、とか言いつつ、もう5年も前なのか、今更聴くのも気恥ずかしいものではあるけれど、まあしかし聴き飽きのしない気持ちのいい音ではあるので、しばらくぶりに引っ張り出して通勤電車(片道1時間ほど)でこれも繰り返し聴いています。

論文の宣伝をもう少しやっておく。自分で気に入ったものを書いたと思ったら、宣伝までが仕事だと考える。「「生徒コード」を語ること − 「いじめ」のリアリティの反映的達成」『教育・社会・文化』no.9(印刷中)。校正で、結局、タイプミスを一箇所だけ訂正(「4:おわりに」のところで、「拡大さしていくだろう」→「拡大していくだろう」)。ここにも訂正したものをアップし直してます。


 


6月30日。ようやく6月がおわる。

早いもので、今年ももう半分が過ぎたわけで、折り返しである。今年上半期はさて、どうだったか、と振り返ると、まあ、ええこともあかんこともおましたわなぁ、と言うしかないであろう。そして、けっきょくのところこういう場所にお眼汚しをしているのは、あかんことやら辛いことやらについてはせめて黙っていようということであるわけだから、かといってええことばかり書くという気にもならないわけだから、まぁ結局のところ、今年ももう半分過ぎましたなぁ、おたがいようがんばりましたわなぁ、あともう半年、がんばったら今年もぶじおわりますなぁ、おたがいがんばりましょなぁ、ということだけを書くことにしよう。がんばってさえいれば、こうして半年がつつがなく過ぎ、また半年がつつがなく過ぎてお正月をめでたくむかえられる、そしたらまたお祝いをしましょう、等々。

印刷が上がるまで、もう少しだけ論文の宣伝を。「「生徒コード」を語ること − 「いじめ」のリアリティの反映的達成」『教育・社会・文化』no.9(印刷中)。校正で、結局、タイプミスを一箇所だけ訂正(「4:おわりに」のところで、「拡大さしていくだろう」→「拡大していくだろう」)。ここにも訂正したものをアップし直してます。で、いま手元に再校のゲラがあって、もうそのまま送り返そうというところ。

そうそう、この論文が形になったことは、今年上半期のベストな出来事だ。そういうのを大事にしつつ。