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(2004/7/1 - 2004/12/31)

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アーカイヴ (2002/8-12) / (2003/1-6) / (2003/7-12) / (2004/1-6)



 


7月10日。焼け石に水。

6月末に、専攻の学生に課している「課題図書レポート」というのの〆切を設定し、また同じ日に卒論構想検討会のレジュメの〆切も設定したので、学生にはっぱを掛けるのと、提出されたレポートの整理や、卒論構想検討会(先週末に朝から夕方まで。まずまずの発表が揃ったんじゃないかな)や、それから学期末にちょうど当たっていたリレー式講義が朝イチの授業で入ったり、あれやこれやで目がまわっているうちに、もう7月も10日である。どうやら春学期の最終の授業もだいたい終わり。

ここ数日は無闇に暑かった。西日本に豪雨の恐れ、などと何度も報じられながら、まったくそういう気配もなく、毎日晴天、猛暑であって、お湯の中を歩いているようなふわあーっとした気持ちになったものだが、さらに最悪なのは、夜、下宿に帰ると室内が40度近くになっていて、こうなるとクーラーも効かず、ベランダに出て何度も打ち水をして、クーラーの室外機にもばしゃばしゃと水をかけて、ようやく少し冷気らしきものが出たような気になるのだけれど、それでも昼間のあいだじっくりと熱を吸収していた床や壁のコンクリートからじわじわと放出される熱気でもって、ついに朝まで30度をはるかに越える暑さである。
それが、今朝は、目が覚めたら雨の音がしていて、涼しくなっていた。ようやくひといきである。その雨も、すぐにやんでしまってやはり日中はえらく晴天ではあるのだが、それでも一応、予報どうり雨はまがりなりにも降ったのだし、少しだけど雷の音などもしていたので、もう気象庁の面子も立ったということにするので、意地を張らずにさっさと梅雨明け宣言をするとよいだろう。

この夏は2本ほど論文を仕上げないといけない。なるべくはやくそれに集中できる態勢を作りたいのだけれど。


 


7月21日。フラフラ日記。 / タイトルを書き換えろ!

春学期の授業が終わり、試験監督や実習関連のあれこれやオープンキャンパスや会議その他が不規則に入るこの時期というのがどうもサエない感じであるのは、去年の今頃のこの場所に自分が何を書いていたのかと読み返してみればあらためてわかるのであり、つまり、何を書いていたというよりも、なかなか何も書かないでいたというありさまがあらためて思い出されもするわけで、そういうときにはこうしてこういうところに作文をときどき書いていることも記録のような役に立つともいえなくもないわけなのだが、もちろん、去年の今頃もサエなかったのだとわざわざ思い出すことが何の役に立っているというのか、まあ、要するにほとんど何の役にも立っていないということなのだ、と、今現在サエない真っ最中の頭でぼんやりと思ったりもするわけである。

こういう時に面白い本に当たると助かるのだが、よりによって朝日新聞の日曜の書評欄で知らされた金井美恵子の新刊エッセイ集『目白雑録(ひびのあれこれ)』を買ってみると、帯に「比類なく辛辣。無類に滑稽。素敵に過激。/馬鹿(マッチョ)と闘う格闘家(しょうせつか)金井美恵子の稀代の批評眼冴える日々のあれこれ(目白雑録)/共感!!思わず膝打つ、痛快エッセイ集」と書いてある。帯のそういう妙にはしゃいだ惹句が編集者の手になるものか、著者自身の手になるものかはわからないが、いずれにせよ、本の中身が滑稽でも痛快でもなく共感に膝を打つこともしにくいものだろうことは想像がつく。じっさいのところ、月刊のPR誌の連載エッセイをまとめたこの本で、著者はひたすら体調の不良に悩まされ、老いを自覚し、ストレスを溜め苛々と腹を立て、毎月毎月、目にしたり耳にしたりしたあれやこれやについて、「馬鹿」を連発している。まぁたしかに、読んでいると、馬鹿は馬鹿としかいいようがないのだわねえ、やれやれ、という気にもさせられるのは、金井美恵子の芸なのだろうが、しかし、私はそれによって自分にも苛々が感染するということはあっても、「共感!!思わず膝打つ」てなまねには到底いたらない。少し前の『ユリイカ』の対談で丹生谷貴志を散々にいじめていたのを読んだときのように、いたたまれない気持ちになる。たとえば、タイトルの字面が似ている『日日雑記』(武田百合子)という小文集を、私は金井美恵子の昔のエッセイ集の中の紹介で知ったのだけれど、『日日雑記』を読むつもりで『目白雑録』を読むのはきびしいな、と思う。まぁしかしそれはそういうものかもしれない。金井のエッセイ集というのは、『「競争相手は馬鹿ばかり」の世界へようこそ』が半年前に出ていて、『待つこと、忘れること?』も2年弱ほど前のもので、執筆時期が重なっているわけで、食べ物とか家事とかに関する武田百合子的なあれこれについては後者、書評や批評や映画については前者にまとめられていると考えれば、そしてなにより金井のいちばんゆたかな文章は小説で書いているというわけなので、『目白雑録』にはそれ以外の、ほんとうに日日の雑録が記されている、と考えるべきなのだろう(もうひとつタイトルの似ている、これも金井によって知った大岡昇平『成城だより』は、未読だけれど似ているだろうか?)。えーとつまり、作品が美しく趣味もよく批評眼もしっかりと確かで家事一般日常生活も魅力的にきちんと営んでいる、けれど(だから)じかに付き合うのはしんどい、そういう人ってのは、いるものであって、まぁ要するに、「煙ったい」ということだと思う。

明日と明後日、定期試験の監督を行い、会議に出席すれば、しばらくは大学での用事がなくなる予定。この夏書く原稿のうちのひとつの編集会議を、月末にやるぞという連絡がとどいた。ある程度のものを持っていかないといけないので、月末までは第一次文豪生活を送れるようにしたい。8月の頭に開かれるさる研究会にお誘いをいただいたので、また発表をさせていただくことにした。月末の流れで新作を出せればいいのだが、まぁ、危ない橋を無理に渡らずに旧作の宣伝の機会と割り切って発表をすることにした。そのあたりを無事にやりとげれば、あとは実習の挨拶に一回出張に行って、それであとは第二次文豪生活で9月末までに、ということは実質学校の始まる前の8月中に、2本の論文を平行して書き上げる、ということになる。

さしあたりは月末までのやつ。短い入門的な文章で、一応のタイトルをいただいているのだが、そのタイトルがどうもしっくりいかない。そこがしめたものであって、つまり、ごく自然に与えられたはずのタイトルを出発点にして、それを書き換えていくようなやりかたで議論を掘り下げていき、その結果として、自然なものと思われているテーマの問いの立て方の位置ずらしをおこない、問いそのものを組み替えるということができるとよい。
そうしたやり方を、よくやる。『教育言説をどう読むか』という本の書評から展開した、「「教育/言説」をどう「読む」か − 『言葉と物』読書ノート」とか、『人生を物語る』という本のタイトルを元にして、ライフストーリー研究会で発表をした「〈自己/他者〉の〈生/死〉〈が/を〉物語る − 「ライフストーリー」をめぐって」とか、それから、『文化伝達の社会学』(柴野昌山編・世界思想社)で書かせていただいた「教育問題と逸脱 − 「いじめ」をめぐる言説の布置」というのも、柴野先生にいただいたお題を「〈教育/問題〉と〈秩序/逸脱〉」へと書き替えていく、というコンセプトで書いていった。
いかんせん、このやりかたで書くと文章が無駄に晦渋になってしまうようである。そこを気をつけるようにしつつ、なるべく面白いものを書きたいと思っているところ。


 


8月2日。ばたばたしている。

あれやこれやでばたばたしている。原稿書きには宵っ張りの生活の方が合っているので、生活のリズムをそういうふうにしたくはあるが、昼間に出かける予定が一日おきぐらいに入っていて、なかなか規則正しい生活リズムになってくれない。それでも、あれやこれや本を読んだりしながら、原稿をどうまとめようか考えている。

400字詰め原稿用紙30枚、で書かないといけない(最初は35枚プラスアルファ、ぐらいに思っていたが、どうやら、あれこれ含めて30枚以内ということらしい)。これはかなり短い。映画でいうと、90分以上のスタンダードな商業映画でもなければ、70分台で簡潔におさまるB級活劇ですらない、60分以内の短篇である。そうなると、根本的に違う書き方をしないといけない。


 


8月6日。依然としてばたばたしている。

先日の編集会議の日の話。いちおう会議が終わり、久しぶりに議論風のことをやり、少し楽しくなってそこから夕食会に移ったのだが、それが思いのほかちゃんとした?店で、コースを一品ずつもってきては、椅子の背後で「なんとかのなんとかかんとかでございます」と唱えてからでないとくれないようなところで、若干調子が狂った。なにしろそういうところで、料理(はさして印象に残らなかったですが)を食べながら、気がつくと、ちょうど向かいに座ったさる先輩に、社会学の原理主義についてしきりにまくし立ててからんでいたわけで、これはやはり迷惑だっただろうと、帰宅してから反省した。
また、その席で、お仕事の話をいただいた。これはよいニュース。ただ、その件を私に持ちかけて斜め向こうの席から話しかけていただいたちょうどそのときに、店のお姉さんがちょうど私の椅子の背後で「なんとかのなんとかかんとかでございます」を始めた。それで聞き取れなくて「え?」と言うと、仕事の件を3、4人がかりで口々に言われ、さらに椅子の背後でおねえさんも負けずに「なんとかのなんとかかんとかでございます」を伝え終わるまで頑として引かず、「ちょっと待って下さい。ちょっと待って下さい。」と言っても、全員が、待つのは自分以外だとばかりに(店のお姉さんも含め)声を張って私に向けて話しかけ続け、混乱した。

学校社会学研究会に出席するため、岐阜に行ってきた。あれやこれやあるので今回は日帰りで参加させていただくようエントリしていたのだが、その後プログラムを見ると、二日目も面白そうだったので、結局、会場と別に当日ビジネスホテルを取って宿泊した。
自分の発表というのが第一の目的だったのだが、それがもうひとつ受けなかったので、どうもそのあともずっとサエない気持ちである。

研究会帰りに駅近くの大型書店に寄り、黒沢清ほか『映画の授業 映画美学校の教室から』(青土社、2004)をようやく買う。論文のまとめ方の教科書のつもりで半分まで読み(前半部の、脚本と演出についての章はわるくない)、それから録画したまま置いてあったビデオの山から青山真治『helpless』を引っ張り出してきて見てみたりして(わるくない)、それからその監督・撮影監督コンビの撮影論以下をさらっと読み終わる。

『helpless』に出て来た、チンピラの妹役の女の子が、何か見覚えあるなあ、かわいいなあ、と思って調べてみたら、いまちょうど放映中でいいなあと思っていたツーカーホン関西のCMに出てくる、奥さん役の女優だった。辻香緒里という人。そういえばツーカーホン関西は少し前には遠山景織子を使っていい感じのCMを作っていた。


 


8月14日。生物とは何だろう。

インターネットのニュースを見ていたら、「「ジェンダーフリー」教育現場から全廃 東京都、男女混合名簿も禁止」(産経新聞)、という記事が目に入った。こういうのは田舎の人たちの発想かと思っていたのだが、やれやれ、東京というところもたかが知れているのだなあ、貧すれば鈍すというしなあ、という感想。
記事を読んでいると、奇妙な言い回しにひっかかりをおぼえる:

「「ジェンダーフリー」は、その意味や定義がさまざまで、単純な生物上の区別や「男らしさ」「女らしさ」といった観念まで否定する極端な解釈もされている状況」

ふむ。「生物上の」ねえ。ふつうなら、「生物学上の」「生物学的な」「生物としての」といった言い回しが日本語として正しいのではないかしら?
念のためにGoogleで検索してみる(インターネットって便利だなあ)。「生物学上の」(2,820件)、「生物学的な」(20,000件)、「生物としての」(9,330件)、に対して、「生物上の」(121件)、だそうだ。ざっと検索結果の件数で見て二桁ほど違うのだから、まぁ、レアな用語法と言っていいだろう。しかも、検索結果の内容を見てみると、「生物上の」という言い回しの場合、ジェンダー関係の文章が多くを占めていることがわかる。
そうするとつまり、この「生物上の」という独特の言い回しは、かつてジェンダー論が日本に翻訳紹介されたときに、辞書的な定義の中の語法として発明された、その後、ジェンダー関連の文章の中でそれが参照されてジェンダー論領域で一般化した、ということかな?
しかしそうすると、ここでいう「生物」とは何だろう?
「生物上の」という言い回しは、「生物学上の」という言い回しとイコールではないし、前者はもっぱらジェンダー論で用いられ、日本語としてちょっと不自然なのにもかかわらずジェンダーを語る多くの人が律儀に使い続けているとすると、ジェンダーをめぐって「ジェンダーフリー推進派」と「ジェンダーフリー反対派」が共に前提としている「生物」というのが、ふつうに日本語で言う「生物」とか、生物学の言う「生物」とは異なる、独特のものなのではないか、と思われなくもない。
それはいったい何だろう? というのが本日の疑問。


 


8月25日。伏臥漫録。

某日。原稿進まず。伏臥したる目先には本が山を成せり。暫時読書す。目下の原稿との関係無関係を問わず硬軟数冊を併読す。
某日。曇。午後より雨。窓外間近に展開されたる隣家の物干場の洗濯物大濡れの模様。遂に夜半まで回収されず。日頃より余が眼前を我物顔に歩き干し回る婆の歯噛みしたる顔を思い浮ぶ。天罰也。唯其の天罰の悠長なること如何。物干台の建立より5年の雌伏を只一度の雨で贖はれ得んか。原稿は捗々しく進展せず。夜半伏見唐辛子の煮びたし。かしわ。その中を生きた魚が泳ぎ回るという所謂金魚酒。冷酒を曹達水で割りたる下手物也。余は之を愛飲す。その口当たりの淡きこと水の如し。ごとしは措辞なり。
某日。評判を目にしたるフリーソフトをパソコンにインストールす。確かに便利也。技術の進歩に驚嘆す。直ちにまた数本のソフトをインストールしまたしても大当たりなり。原稿執筆の環境を整えほくそ笑みたり。
某日。読書進む。遂に読書の要諦を発見せり。原稿の締切を抱ふべし。包丁を研ぐの要諦も風呂の排水溝づまりの掃除の要諦も皆同じならん。生活の改善目を見張る計り也。


 


9月7日。デモもストもない。

という言い回しを、久しぶりに思い出したのは、子どもの頃によほど口答えばかりしていたのだろうか。しかし、今となってみればなかなか味わい深く時代性も感じさせることばではある。デモ行進に関しては、昨年度に何度か参加の機会をいただき、末席を汚したりしたのだが、考えてみればストライキというのはきょうびなかなか目にしない。学生時代には、よく、授業がバリストとかバリ封とか称してツブれていたのだが、授業料を払っている学生が授業をつぶすのはストライキというのかしら? しかも、がんばっていたのはヘルメットをかぶったお兄さんたちばかりで、こちらとしては普通の休講とぜんぜん区別をつけていなかった。そういうわけで、労使の交渉が決裂してストライキに突入するというのはおもしろそうだ。すでに、どうかんがえたって、普通に試合をしているより盛り上がってると思う。日曜日に野球場に行くのを楽しみにしているちびっ子のために、みたいなことを言う必要はないのであって、野球場に行くという事じたい、人気フランチャイズ球団を持つ都市近郊の住民に限られた特権階級的な娯楽な訳だから(また、そもそもそういう特権階級の人たちがその特権を行使しなかったり、そもそも地元の球団に魅力を覚えなかったりしたことも、この問題の発端なわけなので)、べつに共感には値するとは思わない。そんなごく限られたいわゆるちびっ子たち(そういえばさっきニュースでやっていたのだが、そうしたちびっ子たちの中に、さる閣僚の息子というのが含まれているらしい。「うちの子供も楽しみにしていたのに試合があるか心配してまして」みたいな事をメディアに印象付けたりする)のために「普通」を維持することよりも、メディア報道を通じてこの騒動を見る全国の少年少女たちが、「闘争」であるとか「連帯」であるとかそういうことに目覚めたほうがだんぜんおもしろい。それで、またもやDVDを取り出して『東風』を見直しながら、革命的野球の可能性についてぼんやりと考えていた。

ここ数日、なんか下宿の部屋の床とか壁とかがゆらゆら揺れるので危なっかしくてしかたない。どうしたものか。

読書生活。金井美恵子『目白雑録』からの連想でやはり読みたくなった大岡昇平『成城だより』(講談社文芸文庫)を、書店を何件か回って手に入れ、少しずつ読んでいる。71歳という年齢で老いと体調の不良を口にしながら、不思議な明るさがあるのは、趣味が断然軽薄だからだろう。今読んでいるのは最初のところ、1980年の日記だが、「ニューミュージック」が好きだとか、「イエロー・マジック・オーケストラ」に興味を持ったりとか、「三年B組金八先生」の人気が上昇して裏番組の「太陽にほえろ」を食いつつあるのを喜んでみたり、『地獄の黙示録』を見に行ってはまったり、色んな音の出るカシオのキーボード「カシオトーン」を買って「音は電子的擬似音なれど、フルート、ハープ、バンジョーなど、生れてから手をふれてみたことなき楽器の擬似音を出してみて愉快だった。わが灰色の毎日に挿入されしかすかな色どりとなる希望」などと書いていたりする。


 


9月21日。秋学期に向けて。

なにかできるかなあ、と考えているところ。授業期間がついにはじまってしまい、時間割とにらめっこをしながらどういう毎日になるかを考えている。
今年度は、授業コマ数のバランスで、春学期がちょっと重く秋学期がちょっと軽いしくみになっている。秋のほうが卒論指導とかでしんどいので、去年苦労した(去年は秋のが重かった)教訓で、今年は秋をちょっと軽くしたのだけれど、そのぶんでなにかうまく自分の勉強もできるしくみをつくれれば、と思う。


 


10月2日。サンキューブレーブス。

イチロー君はさっき大リーグ記録をさっさと達成してしまったし、松井君は100打点と30本塁打をクリアしてチームは地区優勝、そういえば昨日はドラゴンズが優勝したし、野球の話がなんやかんやとにぎやかである。

ドラゴンズの優勝が決まった巨人−ヤクルト戦をTVで見ていたら、巨人リードの終盤、中継のアナウンサーが「このまま試合が終わってしまったらセ・リーグの灯が消えてしまいます!!」と何回も何回も言っていたのは、とにかく何回も繰り返していたのできっと前夜から考えていた本人的には名文句のつもりなのだろうが、何が不満なのやら、ごく単純に中日に失礼というもので、アナウンサー失格というか、中継しているスポーツを嘘でも盛り上げないといけないという局アナの役割を基本的に理解できていないといういみで、頭が悪いなあ、と思ったのだが、まぁ、それで給料をもらっているわけではない視聴者としては、たしかにあそこは巨人は負けておくところだろう、このところ男を上げた古田君のチームを最後まで立てておいたほうが盛り上がるに決まっているのにねえ、あるいは少なくとも中日が自分で勝った瞬間に優勝が決まって胴上げ、というほうが絵になるのにねえ、という気分はわからなくはない。

先日からずっと疑問なこと。近鉄の球団がオリックスに吸収合併されて消滅する、というのはわかるのだが、新球団にバファローズという名前が残っているわけで、それなら、見ているほうからしたら、ホークスがダイエーになったのと感覚が変わらないっていうか、どうせけっきょく大阪ドームを本拠地にするに決まっているので、福岡に持っていかれてしまったホークスのときに比べ何も変わらないじゃないか、という気がする。
結局のところ、レギュラーの面子はほとんどかわらなくて、谷?とか数人がバファローズにトレードされてきただけみたいになるんじゃないか、という気がするのだが、なぜか知らないけれど近鉄の消滅がえらくもりあがっている。
冷静に考えて、消滅してしまうのはブルーウエーブじゃん、と思うのは間違っているのだろうか? だれもブルーウエーブの消滅については盛り上がっていないように見えるのは気のせいだろうか、それともTVが近鉄消滅で盛り上がりすぎて引っ込みがつかなくなっているのだろうかしらん。
もっとも、ブルーウエーブのばあい、そもそも阪急ブレーブスが消滅した段階で私の情熱は消えていたんで、どうでもいい。小学校のときの、巨人−阪急の日本シリーズは印象深かったのだが。あと、アニマルとかわけのわかんないストッパーがいたのも阪急。よかったんだけどなあ。まぁ、私のひいきは南海ホークスだったのだが。もうなくなってしまったなぁ。

地域に密着した球団を、などというけれど、たぶんいまの日本の社会では、そういういみでの地域コミュニティというのはあまりあてにならない気がする。それよりやはりナショナリズムの方が商売になりそうなのは、Jリーグより日本代表の試合のほうが盛り上がるのを見ていたらそう見えてくる。
新しいプロ野球のありようについてはマスコミでも世間話でもいろいろな形が出ているわけで、その中でいいなぁと思ったのは、パ・リーグに2チームくらい、韓国とか台湾とか、あと上海あたりの企業に買収してもらってもいいので、東アジアの外国のチームをいれる、というの。北海道(日ハム)、埼玉(西武)、ソウル&千葉(ロッテ系新球団)、大阪(オリックス)、台北&福岡(ダイエー系新球団)、上海(新球団)、ちうのはどうだろう。どうせ今だって福岡と北海道の間の移動だってあるわけだから、ソウルなんて近いものである。これはきっと盛り上がるだろう。
「いいねいいね」
「そんで、リーグ名もパシフィックというのをやめて「日本海リーグ」にするわけですよ」
「あ、そりゃだめだ、韓国がウンと言わんわ」
というのがオチになるという次第。
(じっさい学校でこの話をしたら予想通りこういうオチにきちんとなってくれたので、きっと全国でこの会話は行われているはずだ)

まあしかしそういう夢のような話は実現せず、なにやら仙台に新球団ができそうな雲行きである。宮城県営球場をホームにするというのだが、照明が半分しか動いてなかったり、電光掲示板がなくてスコアボードが手書きだったりして、改修するとかいっている。つまらん話だ。なにをぜいたくをゆっておるのか。そういうことだから地域密着などできないのである。

ストライキのあいだ、ゴダールのDVDなど見ながら、革命的野球とは何かと考えていた。ゴダールという人、いわゆる「五月革命」いらいしばらく、商業映画から身を引いて、極左活動家といっしょに「ジガ・ヴェルトフ集団」というのを組織して、8ミリのアジビラ映画とか、映画を通じて映画というものそのものを思考しなおすような映画、を撮っていた、というのだが、なんかそういうかっこいいことができないのか、と考えていた。実際のプロ野球ストでは、選手会は、子ども野球教室とかくだらない「ファンの集い」でタレント気取りな握手会みたいなのをやっていたというので、こりゃだめだ、と思った。
たとえば日曜日になると近所の運動公園や河川敷で草野球をやっている。河川敷には何面もダイアモンドが描かれていて、たくさんの人たちが手弁当で野球をやりに来ている。映画が誰にでも撮れる単純なものであるのとおなじように、野球も、誰でもできる単純なものであるはずだし、じっさいにそうだ。ボールとバットとグラブがあれば誰でもできる。なんかそういうことが再発見されることはないかなあと思っていた。

宮城県営球場の改修というのは、だから、あまり面白くない。逆に、面白そうだと思ったのは、四国リーグの構想で、これが本当になるのなら(なるんですか、決定ですか)、けっこう本気で地域密着だろう。
ストライキのあいだに思っていたもうひとつのことは、「勝手に独立リーグをつくっちゃえばいいのに」ということだった。ちょうど、プロレスの「みちのくプロレス」とか「大阪プロレス」とか、そういうのを念頭においていた。四国リーグ、おもしろそうだ。そんで、スカパーとかケーブルテレビとかで有料放送したら、全国の四国出身者が契約して観るとかね。

野球の話は尽きない。しかし、ライブドアよりもひとつガッカリ感のある楽天がどうせ新球団を射止めるのだろうし、そうするとほとんど面白いことはおこらなそうだ。結局、四国リーグがゆいいつの楽しみ、というあたりではなしをきりあげて・・・

読書生活について。
あれやこれやでふと読みたくなったJ・G・バラード『結晶世界』(創元SF文庫)は、読んでみたら、SF版『うたかたの日々』って感じで、まぁ悪くはなかったけれど(『うたかたの日々』よりはダサくなかったし)、まぁおなじ著者の他の本にまで手を出したくなるというほどではなかった。
それよりなにより、
菊地成孔+大谷能生『憂鬱と官能を教えた学校 【バークリー・メソッド】によって俯瞰される20世紀商業音楽史』河出書房新社
これよかった。
えー、実は、定職につくまでの非常勤暮らしのとき(10年ぐらい前)に、某工芸系学校の一般教養「現代社会学」という授業で、こういうことをやろうとしていて、ジャズとか60年代ロックとかボアダムズとか聴かせたりしてやっていたのだが、まぁ、いかんせん音楽的素養&教養の浅さで、たいしたことはできなかった。なので、「おお、こういうのがやりたかったのだ」という感じで盛り上がって読んだ。
菊地という人、難しい単語を口走りたがる癖があるようで、いかんせんそのへんが底が浅くて(「このへんは構造主義哲学では重要な問題なんだけどさ」とか「ヴィトゲンシュタインの場の理論っていうのがあるんだけど」とか「これは現象学の常識なんだけどね」とか、そういうかんじ)、びみょうなんだけれど、平均律の成立と発展の話から、ジャズのビバップの形式化のはなしとか、黒人音楽と西欧的音楽との衝突とか、商業主義とか資本主義の話とか、録音複製技術の話とか、盛り込むべき話を盛り込んで、すごくおもしろい。
また、商業音楽の理論としての「バークリー・メソッド」の、実学的なところを概説しているので、そのへん、部屋においてあるキーボードを押さえながら読むわけで、ジャズを聴くときの手がかりになる。私のちょっと好きなジョージ・ラッセルの「リディアン・コンセプト」とかオーネット・コールマンの「ハーモロディック理論」についても、「バークリー・メソッド」の体系に対抗して登場した「音楽理論のカルト」としてちょっと紹介してあるし。手元にあるいろいろな音源を聴きなおしたくなるし、音楽の聴こえ方を変えてしまう、いい本だと思う。
いろいろないみでしばらく楽しめそうな本である。とりあえず、ウェーバーの音楽社会学と読み比べたいなと思っている。


 


10月12日。朝日新聞のデリダの追悼文がいまひとつ凡庸だった。

それで、なんとなくもやもやとしてしまったので研究会のMLにポストしたのが以下の文章。



皆様

石飛です。

朝日新聞、休刊日あけのきょうの夕刊に、高橋哲哉のデリダ追悼文がでてました
が、
凡庸でいかがなものか、と思いました。

「彼は死んだ、しかし彼の残したテキストはこれから読まれ始め生きはじめるのだ」

みたいなレトリックは、べつにデリダじゃなくても誰の追悼でもいい感じ。
デリダなら、そんな凡庸なレトリックはもちいなかったはずだ、と
ちょっと脱力してます。

テクストというものが、「私は生きている」の確認の裏側で「私は死んでいる」を必然的に孕んでいる、
とかなんとかいう、デリダの基本的な発想が紹介されているのに、うまく生かされてない感じで。



・『声と現象』じたいが、ポーの『ヴァルドマール氏』をエピグラフにしている、
「私は生きている/私は死んでいる」をめぐる論考ですが、
個人的には、
・『他者の耳』(産業図書)所収の、「ニーチェの耳伝」という講演を思い出します。
これは、ニーチェの自伝的著作『この人を見よ』の中の奇妙なテキスト
「わたしの父としてはすでに死んでおり、わたしの母としては生きつづけ・・・」という一節を
ていねいに脱構築しながら、
自伝(自−生−記)auto-bio-graphie概念の裏側に、「自−死−記」auto-tanato-graphieとか、
それから、ニーチェ(と、それに倣ってデリダも)がこだわった「耳」という器官(の比喩)にひっかけて、
耳伝oto-bio-graphieとか、倍音を書き込んでくようなテキストであります。
わたしが学部教養生時代にいちばん好きだった「倫理学」のゼミでニーチェを講じていた先生が、
その論文についての紹介論文を書いていて、それでしたしんだ、ってかんじです。
・須藤訓任「わたしの父としてはすでに死んでおり、わたしの母としては生きつづけ・・・」『理想』'84.8
もっとも、
デリダのその論文というのは、
「死せる父の名」などというラカン的なアイディアなんかが使われていて、
そのへんはさっぱりちんぷんかんぷんなのですが。
ちなみにデリダという人、アルジェ生まれのユダヤ系ということで、
出生にびみょうなところがあるらしく、デリダ自身、じぶんの「名前」にいろいろいきさつとおもいいれがあるとかないとか、
たしか高橋哲哉さんの『デリダ』という紹介本で読んだような気がするのですよ。
だから、なんかよけいに、凡庸な追悼文やったなあ、という残念さが。



某日。
自転車に乗って、本の買出しに行く。天気がよろしいので、気分がいい。
以前住んでいたあたりの古本屋に行くと、いま住んでいるあたりとは品揃えが違うんで、どんどん欲しくなる。それを押さえて、今実際に有用性を感じるものだけについて購入、それでもかなりのまとめ買いになり、古本屋をはしごしたあとでもよりの100円ショップに入り、リュックサックに使えるビニールのバッグを購入、ずいぶんおかしな買出しスタイルで自転車に乗って帰ってきた。


 


10月24日。きょうは背中が痛い。

きっと寝違えたせいだろう。

夏に書き終わるはずの原稿を、ひとつは締切日に提出したがもうひとつがまだ手元にある。いちど夏にざあっと書き上げたのだけれど、結局ほとんど書き直している。9月末ということだった締め切りが、なんとなく延びていて、それを自分が延ばしているのやら他のかたが延ばしているのやら、よくわからない時空に宙吊りになっている現状なわけで、けれどとにかく10月末という新ガイドラインが聞こえてきたので、それを目途に完成をさせるつもり。おもしろいものを、と思っているのだが、さてどうなるやら。


 


10月29日。街に雨の降るごとく。

さいきんスパムメールが多い。それで、先日、ひょんなきっかけから、プロバイダのほうでスパムメールにフィルタをかけるサービスをやっていることをいまさら知り、ふたつのプロバイダのをさっそく設定してみた。
それで結果としては、いまのところniftyのほうが圧倒的に性能がいい。niftyのほうのメールアドレスはこのところ、自分からはほとんど使っていなくて(いつも巡回メールチェックはしているけれど)、来るのもほとんどスパムばかりだったのだが、これをほとんどサーバ内の専用フォルダにほいほいと分別してくれる。しばらくは様子を見ながら、スパムも一応、[spam]とつけた上でメーラーでも受信させるように設定していたのだが、一週間見ていたら、スパム以外のメールが誤って捨てられることはなかったので、スパムとして分別されたメールをメーラーにいちいち受信させないように(たまにまとめてチェックするだけでいいように)設定しなおした。かなりすっきりした。
いっぽう、biglobeのほうはどうも、フィルタがうまくかかっているのかどうかよくわからないうえ、いちいちログインしてメールサーバにインターネット経由で捨てメールの条件を入力しないといけない。これが面倒。結局、スパムの排除は遅々として進まないようだ。もっとも、この手動での条件追加以前に、biglobeさん側がおおもとで一括して怪しいメールを自動的に受信拒否しているらしいので、ほんとうはもっともっとこの10ばいぐらい集中豪雨的に届いているのかもしれないけれどそういういやな想像はしないほうがいい。
れいによってフリーソフトで、「spammailkiller」ってやつも、大学の自分の研究室のパソコンにはダウンロードして使ってみているが、これも登録のやりかたがよくわからなくて使いこなせてないせいなのか、ほとんど素通しのようである。
一計を案じて、いまメインで使っているbiglobeのほうに届いたメールをぜんぶいったんniftyに転送する設定をやってみた。一応、biglobeのメールサーバにもメールを残しつつ、チェックは頻繁にはしないで、メールチェックはniftyのほうだけでおこなう・・・フィルタがきれいにかかって必要なメールだけが届く・・・みたいなことを思っていたのだが、実際にやってみたら半日で、なぜか同じ大学内から発信された重要用件のメールがbiglobeのほうでは受信されているのにniftyのほうでは受信されず、おいおいと思って確認してみたらゴミの方に分別されてしまっているのを見つけてしまい、これbiglobeに残してなければ、ひょっとして見落としてあぶなく一括で消去してしまうところで、やはり心臓に悪いので転送計画はやめた。

その捨てられそうになったメールの重要用件というのが、原稿の〆切りに関するものだったのだが、この週末からの大学祭休暇あけに脱稿、という線がでてきた。あれやこれや大幅に書き直しつつ、なんか名残惜しい気もしてくるがそれは倒錯というものだろう。

米「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」
天「やはり、強制になるということではないことが望ましいですね」
米「もうもちろんそう、本当に素晴らしいお言葉をいただき、ありがとうございました」

↑このやりとりはやはり面白い。なんかややこしいはなしはぬきにしても、コントのような味わいがあるのだが、よくわからないのは、地方の一教育委員が「日本中の学校」で国旗を掲げろとか掲げるなとか、斉唱させるとか黙らせるとか、そういう仕事をするんだっけ?ということで、どうせなら稀有壮大に「世界中の学校で」と言うと園遊会にふさわしくめでたくてもっとよかったと思う。米長という人は、将棋の解説でTVにでてくると、将棋を知らない自分が見てやはり面白いし、団鬼六という著名な作家が書いた『米長邦雄の運と謎』という本もおもしろかったわけで、好きだ。まあしかし、この人はやはり将棋の解説でTVで放言をしているとおもしろいということで、おさめておくことはできないのかなあ。
ちなみに、もしこの教育委員が将棋界でなく囲碁界の人だったら、かなりちがったんじゃないかなあと想像する。囲碁というのは、もう国際的なゲームになっていて、韓国や台湾や中国の出身のトッププロ棋士がタイトルをどんどん取っているし、TVの解説でもマイケル・レドモンド九段や趙治勲二十五世本因坊の解説はそれだけ聴いていても心地よく楽しいもので、日本人がとか外国人がとかいう話はもうずいぶんなくなってきている(国際棋戦があるときはもちろん日本チームを応援するわけですが、ここ数年けっこうあっけなく負けちゃうんで本気で囲碁は国際化してしまったわけだけれど、ちなみにその場合、日本で活躍しているプロ棋士は外国出身でも日本代表としてやってる)。ついでにいうと、囲碁ではもうひとつ、女流プロ棋士がちゃんと強くて、対等に戦っている(将棋はというと、実力差もあるのだろうけれど、たしか女流プロは別団体だったんじゃなかったですっけ?女子プロレスみたいなもので)。だから、米長さんが熱心にやっているもうひとつ有名な、ジェンダーフリー排斥みたいな発言は、囲碁界ではまぁあまりそういうマッチョなというか稀有壮大なセクハラ発言をする人は、たぶんあまりいなくて、ひとり気を吐いているのがこれまた稀有壮大な「宇宙流」武宮で、じつは私は武宮の碁というのも大好きなので困るのだけれど。

国歌でおもいだした。
某日、自転車に乗って、少し遠いブックオフに行くと、山下邦彦『楕円とガイコツ 「小室哲哉の自意識」×「坂本龍一の無意識」』(太田出版、2000年)という本が売れていて、なんとなく買って帰って読んだらおもしろくて、かなり厚い本なのに夜更かしして読んであと翌朝起き抜けに読んで読みきってしまった。
なんか、この人の『ビートルズのつくりかた』という本の名前は知っていて、音楽評論を楽譜の分析(コード進行とかそういう)でやっちゃう、みたいな?人みたい。というとつまらなそうに聞こえるが、じつに面白かった。
先日読んだ、菊地成孔+大谷能生『憂鬱と官能を教えた学校』と同じジャンルの本だと思うのだけれど、菊地のほうが、物言いがペダンチックにしたがってるところがちょっと減点で、まあそれはともかく内容的理屈的には、ジャズ(というより20世紀ポピュラー音楽のアレンジ全般)の理論システムである「バークリー・メソッド」というのを(仮の)出発点として、その達成と限界とを解説する(つもり)みたいな本だったとすると、山下のほうは、小室と坂本を例に出しながら、バークリー・メソッドを含めた西欧的音楽理論システムを、さらにその外側の音楽理論システムで説明しきっちゃう、そのキーワードが「骸骨」と「楕円」である、という、面白い本。この本の面白さを説明するのは私には無理なのだけれど、このふたつのキーワードのオリジナルのアイディアをつくった柴田南雄というひとの名前は聞いたことがあって、民俗音楽みたいなものの研究の人?ぐらいにアバウトかつちょっとずれた理解だったのだが、じつはかなりの人だったみたいで、その柴田って人のアイディアを展開して、坂本や小室やいろいろなひとの曲の「すごさ」を説明しているわけである。いやちがうな。坂本は、芸大でアカデミックな音楽理論をきっちり修めてしまった人なわけで、それを修めたうえで壊す、ということをじたばたとがんばっていたのだ、と。で、小室はもっと天然である、と。で、坂本を鏡のようにして小室を見ると「すごさ」が見えてきて、それはアカデミックな西欧的システムの外側のシステムを見せてくれるものである、と。それで話がさいしょにつながって、西欧の外側ということを言うときに、この本で山下さんは、「君が代」を例にあげる。あれなんか西欧的な和声学にはおさまらない「声」をひめた曲で、それが坂本にも小室にも、あと宇多田ヒカルや椎名林檎や松任谷由美や・・・にも響いている、と。
えー「君が代」かよ、といいつつ、じつは、給料取りになってから電気ギターを買って、弾けないのに弾いてみて、まあジミヘンのつもりで轟音でやったのが楽しかったのが「君が代」であって、また、おなじく下宿の電気キーボードで弾けないのに探り弾きをして楽しいのが、ちょっとドビュッシー風にもっていきたいつもりの、やはり「君が代」なのであった。


 


11月7日。ひらきの鯵の秋の夕暮れ。

気がつくとすっかり秋だ。不思議だ。

この夏は、さんまが豊漁ですよとTVでやっていて、そうかそうかと思っていたのだが、それは暖流だか寒流だかの具合で季節が早く訪れていただけだ、とか言い始めて、いざ秋になる頃には、わたしの通うスーパーの店頭でいうと、生さんまより塩さんまとかのほうが多かったりして、ちょっと拍子抜けだった。
しかしまあ、狭い下宿住まいなので、どのみち、さんまを焼いて食べるなどという贅沢は許されていなかったわけだ。去年だか一昨年だか、台所のコンロの上に魚焼き網を乗せてさんまを乗せて、まあようするに特にまちがってないはずのやり方でということだけれど、焼いたら、労働は自由にするといわんばかりに猛然たる煙が室内に充満して、下宿の非力な換気扇ではとうてい勝負にならず、胸の悪くなるようなにおいが何日もとれなかった。
それで、焼き魚はずっとあきらめていたのだけれど、今年、どうした具合だか下宿中の包丁を研いだり台所のガスコンロを掃除したりしたことがあり、それでながねん使っていなかったグリルというやつが使用可能な状態になった。すると、魚を焼きたいなあという心理がもやもやとわきあがってきたわけである。
さんまはじつはまだおそろしくて焼いていないのだが、かわりに朝食や晩酌の肴に、ひらき干しの魚を焼いて楽しみに食べるようになった。丸干し鰯とか金目とかかますとか、いろいろこころみてみたが、やはり鯵の開きというのが単純にいちばんおいしい。

先日、知り合いが「ブログ」というものを始めたと知った。それで、たしかに便利そうなツールだし、こことは別にちょっと持ってみたら使えるかなあと思っていたところにそういうきっかけがあったので、えいやっとつくってみた。タイトルは「クリッピングとメモ」ということにした。
このところ、インターネット上に、白書類をはじめいろいろなデータや資料があることに気づき(自分がインターネットを始めたころはこんなに充実してなかったので油断してた)今まではそういう資料とか気になったニュースへのリンクとかは、機会を見て学生向けの掲示板とかに貼っていたのだが、それも掲示板の流れを止めてしまうのであまりできなかった。なので、そういうのをクリッピングしたりする場所をつくると、便利だと思った。

それで、じゃあ、ここに何か書くのをやめるかというと、たぶんやめないと思う。たぶん、書くときの意識が違うと思うのだが、べつにこちらに書くときに特に長いものを書くとか、まとまったものを書くとかいうつもりもない。いずれにせよ、たいしたことは書かないのはまずまちがいないとおもう。


 


11月13日。めでたさも中くらい。

気がつくと、ここに作文を書きはじめてずいぶんになる。一年前の今頃なにをやっていたか、と見てみたら、丹生谷貴志とか読んでいたらしい。さらに一年前というのもあって、ええ、丹生谷貴志とか読んでいたらしい。やれやれ。こうやってまた一個としをとって、しかしやっていることはあいかわらず、既視感と倦怠が積み重なっていくというのは、なんだか不思議な心持ちだ。

たとえば、去年読んでいた『新潮』12月号の丹生谷貴志を読み返していると(だからこうやって、来年またこの欄を読み返すことがあったら、またしてもやれやれと思うことになるわけなのだけれど)、この一年というのはどういう年だったのだろう?という気になる。

周知のようにドレスデン爆撃は当時発明されたばかりの初期型ナパーム爆弾の威力を米軍が誤算、或は真面目に計算もしなかっただろうために予想を超えた被害を市民に与え、敵方とはいえ同じ「白人種」の市民を無意味に惨殺してしまった事実に驚いてか、政府は六三年までその被害の大きさを隠し続けた。因みに、しぶしぶ発表された公式算定では十三万五千人、実際はおそらくそれ以上の者が、一日で爆殺・焼殺された。彼の読者なら周知のように、ヴォネガットはドイツ軍に捕らえられた捕虜として、皮肉にも「屠殺場保冷庫No.5」に閉じ込められていたためにその空爆を奇跡的に生き延びたのだった。実際この体験は彼のオブセッションとなり、他の作品でも繰り返し現れる(例えば『青ひげ』)。/言うまでもなく誰もが「経験」から「学ぶ」訳ではないが、彼はこの「経験」から学んだものを手放さなかった。・・・要するに彼は「人類の未来」にほぼ完全に希望を持つことをやめたのである。
「スラプスティック」丹生谷貴志

この文章は、とうぜん、一年前の空気のなかで書かれたもので、一年前の空気のなかで自分も読んだのだけれど、そのとき、一年後の今を想像していたかというと − あたりまえのことながら − べつに想像もしていなかった。それでも、今になってみると、こうなっているわけで、それはしかし、もし想像していたらその範囲内だったのか、よりよくなっているのか、といえば、うーん、まぁねえ・・・というかんじ。
それは状況のせいなのか、自分がとしをとったせいなのか、というと、これもまた、両方でしょうねえ、としか言えないようだ。


 


11月21日。小林という男。

某日。昼からTVで碁を見る。小林光一と蘇耀国七段の対局。解説が趙治勲で、これがききものだった。趙は小林の解説をやるのは初めてだとか言っていて(ほんとかなあ)、「光栄です」なんて言っていたが、もちろんそんな事は思っていないわけだ。同門で世代も近いライバルどうしで、意識しないわけはないので、じっさい、「解説してても対局してるような気持ちになりますね」なんて言ってた。これはほんとうのところだろう。
趙は終始、いつものちょうしで、くすくすでもにやにやでもないなんともいえない笑いを噛み殺したような口調で、聞き手の青葉ちゃんを相手に軽口をとばしている。この人の解説には、嘘か本気かわからないような韜晦があって、一見、陽気で親切な解説なんだけれど、ときどき小学生でもわかるようなことを言って見せて「ここをこうやったら・・・こうなってとられちゃいますね、これはたいへんですね、こうなっちゃったら終わり」「はあ」「こういうところをわかるっていうことが大切ですね、当たり前みたいなことなんだけど、こういうところがわからないといけない」「はあ」という感じで聞き手の青葉ちゃんを唖然とさせたりする。要するに、会話のようでいてじつは会話ではないのだ。趙という人の中には、ふかーいふかーい底なしのニヒリズムがあって、この人はそこで、自分にしかわからない独り言を言ってひとりで上機嫌に笑っているってかんじがする。
小林が中盤で間違って大損をする。趙は「うーん、元気な頃の光一さんはこういう間違いは絶対にしなかったんだけどなあ」と言っていたがこのへんは妙に本音らしくきこえる。蘇耀国くんが考慮時間3分を投入して、形勢リードを確信して、勝利宣言みたいな、守備がためみたいな手を打つ。趙がまた上機嫌に「勝ってるときの形勢判断は楽しいですね、至福の3分間ですね。これがもう一回数えなおしたら実はそうでもなかったりしてね、そうしたら地獄の3分間ですね」などと言い出す。
結論から言うと、小林は、なぜか勝ってしまう。とくに派手な勝負手だとか鮮やかな大技を決めたというわけでもなく、落ち着いてきっちりと正しい打ち回しをしてきっちりと僅差で勝った、ということで、たねをあかせば、蘇耀国くんが中盤で喜びすぎて錯覚してしまっていた、ということのようだ。つまり、趙の言ったとおりだった、というわけ。しかし趙は、それを軽口や韜晦の中にまぎらせて屈折した言い方で言うので、よくわからないのだ。
終盤に差し掛かった頃、いつものように聞き手の青葉ちゃんが、「形勢はどうなんでしょうか?」と聞くと、趙は、「僕、地が数えられないから、青葉さん数えてください」という。それで青葉ちゃんに数えさせて、「白がいいような気がするんですが・・・」「じゃあ、青葉さんを信じますね」といった具合。ところが、しばらく戦局が進み、どうも黒の蘇耀国くんがポイントを稼いでいるように見えるし趙もそういうふうに言ったりするので青葉ちゃんがもういちど「形勢はどうなんでしょう?」と聞く。「青葉さん、どうなんですか?僕は青葉さんを信じる」とかなんとかいいながら、もう一度、青葉ちゃんが計算しなおすことになる。で、ここで青葉ちゃんが「変えていいですか・・・? 黒がよくなった気が・・・」と言ってしまう。そこから、趙のからかいというか、ほとんどいたぶっているようなかんじで、「ええっ?本当に?」「え・・・本当はどうなんでしょうか?」「いや、僕は計算が出来ないから青葉さんの言うことを信じる」といったぐあい。それで、「さっきと違ってるじゃないですか」とか「青葉さんの名誉がかかってますからねえ」とか、さんざっぱら色々なことを言い、もう一度計算しなおさせ、やはり白がいい、ということになり、「いやあー、もし本当に白が勝ったら、青葉さん変えなきゃよかったのに、二回目計算しなかったら、あんなに早い段階から白の勝ちを読みきっていたなんて青葉さん強いですねってなってたのにねえ」とかなんとか散々言い、ひとごとながら、青葉ちゃんが泣いちゃうんじゃないかとTVの前ではらはらしていた。
小林光一という人の碁は、なにがおもしろいのかわからない。風貌からして岡本信人のようなのだが、その風貌どおりの、カラい、というかセコいというか、ダイナミックな感じが感じられないというか、ようするに岡本信人を碁にしたような棋風だと思う。「ここのところは、まあこう打っておくとしたもので、このぐらいが相場」というような言い方がよく出てくるような碁、というか。趙はくり返し、小林の棋風を「味がないところはどんどん決めて打つ」「部分部分でなく常に碁盤全体を見て打つ」「勝っていても負けていても、その時のもっとも正しい手を打つ」と評していた。それはまあ、褒めているのだけれど、趙自身の棋風はその正反対で、どんなに相手が安定しているように見える部分にも踏み込んでいって手にしてしまうとか、勝っていても負けていても「打ちすぎ」ぐらいに欲の深い手を打つ、とか。そのへんが、底なしのニヒリズムと思えるところで、この人は勝つためにやってるんじゃないんじゃないか、というところがあるのだ。勝つためには、小林のような打ち方が正しいので、趙にはそれがわかっているし、解説をしながら敬意もはらっているのだが、しかし、こころ穏やかではなかったはずだ。
「解説していても対局しているような気持ち」というのは、だから、その通りで、小林は小林で若手を相手にせず小林流のうち回しできちんとまとめたし、趙は趙で、青葉ちゃんを相手に解説をしながら、ほんとのところは青葉ちゃんなんか相手にしてなくて、小林と勝負していた感じなのだ。ただそのへんで、小林の勝ちっぷりを見てしまってたまった苛々を青葉ちゃんで発散させていた、というか。ちょうど、猫がねずみを散々おもちゃにして捨ててしまうように。

結局、だから、いちばんわからないのは、小林という人なのだ。

碁を見終わった後、チャンネルをぱちぱちと替えていたら、東京女子マラソンをやっていた。千葉ちゃんががんばって走っていたが、さいごのところで抜き去られて日本人2位。この千葉ちゃんという人も変な人で、自我が固いというかなんというか、今日のインタビューなんかでも、笑顔で優等生的な受け答え、という線を一歩もはずそうとしなかった。それがいかにも不自然なところが千葉ちゃんらしい。

マラソンも見終わったらずいぶん遅くなったが、自転車で出かけ、古本屋で気になっていた本を買う。ジョルジュ・プーレ『円環の変貌』国文社、上下で6000円。先日は、スタロバンスキーの『作用と反作用』法政大学出版局というのも入手し、ようするに、テマティック批評みたいなのを欲しいと思っているのだった。すぐ読むかとか、読んでわかるか、とかはまた別の話なのだけれど。原稿が終わったら買おう、と思っていたので、買った。

weblogというのをはじめてみて、どうなるかと思っていたけれど、やはり書く感じがちょっと違うような気がする。ここで書くようなことと、あっちで書くようなことは、違うノリのような気がする。しかし、こっちで書くものが長くなってしまうのは、それはそれでめんどくさいと思う。気をつけたいところ。


 


12月4日。あと半月。

卒論の〆切まで、あと半月。きのうは、放課後に3人の草稿を検討。帰りの電車に乗ってシートに座り、ふうーと一息ついて、リポDをくいっと飲みかけているところで同じ電車に乗ろうとする学生さんと目が合って挨拶をされてあせった。

weblogというのをはじめて1ヶ月が過ぎた。なんとなく、せっかくなので1ヶ月ぐらいは毎日書こう、と思っていたのだが、やってみてわかったのは、あんがい手間と時間をくう、ということだ。基本的には、Web上で気になったニュースや使えそうなデータのサイトをクリッピングしてメモを書く、というだけなのだが、毎日欠かさず書こう、とすると、ネタのない日も出てくる。そこを無理やり探すことで、意外に役立ちそうなデータに当たるということもあるけれど、まあ、そんなことのために時間と手間を食うのはばかばかしいので注意。
しかし、役に立っているのも確かで、たとえばいま、1回生のゼミで、谷岡一郎『社会調査のウソ』(文春新書)をネタにやっているのだが、本自体だけではなにしろさまざまな意見がとびかって盛り上がる、という種類の本でもないので、本のなかで出てきそうな怪しげな「データ」の記事をWeb上から探して、補足資料として読ませている。そういうのは、気がついたときにクリッピングしておく場所があると便利だ。

ながいこと枕元において、寝る前に少しずつ少しずつ楽しみに読んでいた大岡昇平『成城だより』を読み終わってしまった。なにしろ著者の晩年に近い時期の日記だとわかっていたので、だんだん残りページが少なくなって、ページをめくって、ぱっと「解説」が出てきたときはどきっとして、それからなんともいえない感慨をおぼえた。

で、最近の枕頭の書は、中沢新一『僕の叔父さん網野善彦』(集英社新書)に感化されて、網野善彦の講談社学術文庫のをやはり少しずつ読んでいる。


 


12月20日。卒論が終わって4年間の終わりが始まった。

最後の週はやはりばたばたと、卒論の提出が終わって、一夜明けた土曜日はもう一日中、ねむたくてねむたくてうとうとしながら過ごした。日曜日は研究会だったのだが、そのあとの懇親会の途中で電池が切れてしまい(まあ、昼間の暖かさのわりに晩がきっちり寒かったので薄着で風邪がはいりこんだというのもあるけれど)、先に失礼してしまった。

今年の4回生は担任のクラスで、感慨深い。去年の今頃は、ここに書いていたものを読み返すと、そうそう、バスで博物館見学に行って、しみじみしていたのだった。一年間というのは、というか、4年間というのは、まことにあっというまである。
卒論指導が終われば、もうあとは卒業式までのカウントダウンである。提出の終わった学生と話していたのだが、4回生の顔を見るのは卒業式までに、もう数えるほどしかなくて、ぜんぶあわせても1週間ぐらいになっちゃうんじゃないか、とか。

きょう、これから非常勤に行って、2箇所で最終授業をやってそれで年内の授業はおわり。じつは学生さんたちに提出物を求めていてその〆切りを今日に設定しているので、その整理を明日以降やらないといけないのがのこってるんだけれど、しかし、授業が終わるというのがなによりだ。


 


1月1日。謹賀新年。

あけましておめでとうございます。
本年もすばらしい一年でありますよう。