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・「〈自己/他者〉の〈生/死〉〈が/を〉物語る − 「ライフストーリー」をめぐって」『天理大学生涯教育研究』no.5.pp.34-54.天理大学人間学部人間関係学科生涯教育専攻研究室(2001/3/22)


〈自己/他者〉の〈生/死〉〈が/を〉物語る − 「ライフストーリー」をめぐって

石飛和彦

0:はじめに

 人生は物語である。我々はただ単に生物学的な次元でこの世に生まれしかじかの年数だけ生命を維持ししかる後に生物学的な次元でこの世から消滅する、わけではない − とされているのであって − すなわち、人生は物語であり、我々は誕生と死を結ぶ生の軌跡を、成長や衰退、成功や挫折、充実や徒労、生き甲斐や無常や美醜善悪といった人間的な意味づけの連鎖としてのひとつのストーリーを描くものとして把握しそれを生きている。それだけでなく、我々はしばしばそのようなものとして人生をじっさいに「語る」。
 本稿の目的は、そうした人生の「語り」 − 「ライフストーリー」 − の存在様態を社会学的に輪郭づけることにある。(1)

1:問題の所在

1−1:社会学的文脈

 「語る」という言説的な営み一般の存在構造については、既に別の機会に、M・フーコーの言説論を参照しながら論じた(石飛(2000a))。「”語る”こと」は、現代の社会的言説構造において固有のあり方で存在しており、その存在様態が成立したのは19世紀初頭から以降であるに過ぎない。
 19世紀初頭に成立した言説の社会的システムは、「言葉/物」という二項の関係を再編成した。「言葉」の世界は、「物」の世界を一対一に透明に反映する表象であることをやめ、「言葉」と「物」が互いに切り離された。そのうえで、「言葉」は、不可視の深奥にうごめく「物」に改めて目を向け、その不可視のメカニズムの自己運動・自己展開のありさまを可視化していくという営みに従事することになった。例えば、17−18世紀における博物学が、動植物の目に見える特徴(雄しべの本数や種子の形といった)を分類しては図表化することにもっぱら従事していたのに対し、19世紀以降に成立した生物学は、そうした表面的な特徴にではなく生き物の内奥に秘められたもの − なによりまず「生命」という不可視のもの、そしてその「生命」が維持・発達・進化していくこれまた不可視のメカニズム、といったものに注目を始めることとなった。そこから、生体にメスを入れる解剖学的な知が始まるのだが、いうまでもなく、そうした解剖学的視線 − 不可視の内奥で自己運動する「物」に対する視線 − は、しかし、「物」の自己運動のすべてを可視化することは原理上=言説構造上、不可能である。だからこそ、生物学的な知は − そして19世紀初頭以来の現代的な「言説」はすべて − 究極的な不可視の一点(たとえば「生命」)を外側から取り巻くように − あたかも一つの真空状態を「目」にして発達していく台風のように − 際限なく「語り」続けられ、増殖していく。
 われわれ自身の「語り」もまた、そのようなものとして編成されている。われわれは、自分自身について、自分の思いや自分の経験や自分の秘密や自分の考えについて、際限なく「語る」。そこには、「自分の」という形で、語り手自身の「オリジナリティ」が刻印されている − すなわち、語り手の内奥に不可視のオリジン=起源がありそこから言葉が湧き出しているかのように。しかし、この「オリジナリティ」の刻印は、あくまでも上述の言説構造の中に埋め込まれている限りにおいてその効果として、付与されているに過ぎない。「語り」そのものがオリジナルであるのではなく、「語り」をオリジナルなものとして扱うように言説構造が社会的に配置されているのだ。語り手の内奥にオリジン=起源があるのではなく、語り手の不可視の内奥に「語り」のオリジン=起源を探り当てるべし、という方向付けが、社会的言説構造によって指示されているのである。
 さて、このような社会学的文脈を確認した上で、本稿では、より「語り」の現場に接近してみようと思う。実際のわたしたちが「人生を語る」際に、そこでは何が起こっているのだろうか?(2)

1−2:「語り」と「枠組み」

 ある映画の一場面を最初の手掛かりとしよう。舞台は、とあるカフェである。3人の女性(ステファーヌとデルフィーヌとビュルなのだが、まあ長いのでA,B,Cとしよう)がテーブルについて注文したコーヒーを待っている。少し離れた席からこちらを見ていた軍服の男がつかつかと近づいてくる:

男:自己紹介を。(名刺を取り出し)騎兵中尉ロシュカンです。かけてよいですか
A:ええどうぞ
男:ありがとう(座る)。子供の頃は幸せでしたか
A:とても幸せでしたわ
男:(向きなおり)奥様は
B:私もよ。幸せでしたわ
C:私は違うわ。幾何学で劣等感に悩まされたわ・・・
男:(さえぎるように)私の幼年時代は悲劇でした。話をしてよいですか?
A:今ここで?
男:話は少々長くなりますが
A:ではどうぞ
男:私が11歳のときです。(画面、男にズームアップ)陸軍幼年学校に入る頃でした
(画面、回想シーンに切り替わる)

なんとなく奇妙なシーンである。実はこの映画は、こういうなんとなく居心地の悪いやりとりばかりで成り立った、『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』(1972)という、ルイス・ブニュエルの作品である。そして上に引用したシーンは、ブニュエル自身とても気に入っているという(トレント&コリーナ(1986=1990)):「中尉が三人の女性がいるカフェに到着し、全然動機もなく彼女らに質問する。「子供のころ幸福でしたか?」。このシーンは私はとても好きだ。ある意味で私のものだ」(インタビューより)。
 さて、このシーンを奇妙にしているのはどこか − 言うまでもないだろう。ふつうわたしたちは常識的に、カフェでたまたま居合わせた人に突然 − 全然動機もなく − 子供の頃のことなど尋ねないし、自分からも喋らない。「かけてよいですか」「ええどうぞ」「ありがとう。子供の頃は幸せでしたか」という会話は、常識的には明らかに不自然なのである。
 この点を敷衍して、ある種の実験をやってみることが出来るだろう。すなわち、実験者は被験者に、次のように命じるのである:「誰かに人生を「語り」なさい。ただし、できるだけ前置きを置かずに、できるだけ単刀直入にその話題に入ること。また、それが実験であることを相手に気付かれないようにすること」(関心のある方はぜひ実験してみて、ぜひその結果をご報告下さい)。(3)
 さて、明らかであるように思われるのは、次のことである:「人生を「語る」」ときには、その話題にじかに入ることはできず、なんらかの前置きを置くことが必要である。このことには、さしあたり次のような簡単な説明が可能だろう。「人生を「語る」」という行為は語り手の私的な「内奥」に関わることであり、一方、「会話」というのは複数の参与者が協働的に営むものである。ゆえに、「人生を「語る」」ような「語り」が「会話」の空間の中で円滑に流通し始める為には、それにさきだってまず、その「語り」が参与者の間で何らかの形で共有されるための「枠組み」が準備されねばならない。
 例えば先に提案した「実験」をスマートにやり抜ける方略として、次のような想定例を考えることができる:

【想定例(1)待ち合わせ場所で】
A:(遅刻してくる)ごめんごめん!
B:どうしたん?
A:いや実は大変やってん!
B:なになに?
A:実は・・・(語り始める)

この場合、待ち合わせへの遅刻という、会話に参与するAB両者にとっての共通の関心に関連づけることによって、いわば「トラブルに対する説明」という「枠組み」を与えられたことによって「語り」が会話空間の中に適切に位置づけられ開始されるわけである(もちろん、この例に限っていえば、遅刻の原因になる程度の比較的最近の「人生」しか語れないだろうが)。
 別の方略を想定することもできる。相手が既に「語って」いるとき、それを受ける形で自分も「語る」というやり方である:

【想定例(2)】
A:幾何学で劣等感に悩まされたわ
B:なるほど、その気持ちはとても分かります。実は私も・・・(語り始める)

想定例(1)の場合には、共有化されたトラブルの修復の為に、語り手Aが、自分の「語り」を提供している。一方、想定例(2)では、Aによって会話の中に提供された、いわばAの私的な「悩み」を、いわば中和するために、語り手Bもまた自らの「語り」を提供して、当該の「悩み」をいわば「共有化されたもの」としている。そのようなものとしてBの「語り」が会話の中で流通する「枠組み」が提供されている、というわけである。
 いうまでもなく、実際にわたしたちの日常生活の中で日々行われているさまざまな「語り」の方略は、上の二つに尽きる物ではない。しかし少なくとも上の想定例から予感できることは、それらの方略が、「会話」という協働的な言語空間の「共同性」と「語り」の「私性」との間のなにがしかの調整に関係している、ということである。ここで、先に辿った社会的言説構造一般についての議論を想起しよう。現代的な言説構造は、「語り」のオリジナリティを「語り手」の内奥に割り当てている。しかし逆に言えば、「語り」のオリジナリティが「語り手」の内奥にあると了解されるのは、そのような社会的言説構造の効果であるに過ぎない。言い換えれば、「語り」の中で語られる私的経験の「私性」は、実は語られている当の経験そのものの中にあるのではなく、そのようなものとして社会的に攻囲されているが故にそう現出しているに過ぎない。そしてその攻囲の具体的なありようは、先に「枠組み」と呼んでおいたものである。
 以下、あるインタビューの会話データ(筆者が別の機会(石飛(1992)(1994))に検討したものを含め、読み直してみたい)をもとに、そうした「枠組み」の具体例を辿ってみたい。注目するのは、次の点である:具体的な会話のやりとりの中で、「人生の「語り」」はどのような枠組み的手順をふんで「語ら」れ、そこで話者の経験の「私性」と会話内の「共同性」はどのように調整されているのか?

2:インタビューの分析 − 「失敗したインタビュー」が提起する「語り」の問題

2−1:データの紹介

 ここで見るデータは、筆者がかつて参加した共同研究で実施したインタビュー調査の記録である(註(1) 参照)。共同研究のテーマは「国際化社会の中でのナショナル・アイデンティティーの形成過程の研究」というもので、その中で筆者は、ある中学校の「帰国子女学級」へのインタビュー調査を行った(4) 。インタビューに協力してくれたのは、中学二年生の、海外で何年かを過ごしたのち日本に戻ってきた帰国生徒たちである。当時、大学院生だった筆者は、当然、彼らから海外体験、帰国体験といったものを聞き出せると思っていた。ところが、その次元でいえば、調査はうまくいかなかった。何人かの生徒をあつめて集団ヒアリングを2回行ったが、ひどく重苦しい沈黙が支配した。生徒の側に、できればあれこれ喋って協力しよう、という気持ちがあることは、雰囲気としてありありとわかったのだが、さしあたりの問題は、インタビュアー(筆者)が、下手だったというわけだ。その後、一人一人の生徒と面接する個人インタビューを行ったが、そこでも、最初の数人については、お世辞にも盛り上がったとはいえない雰囲気だった。その雰囲気が変わったのは、ある生徒のインタビューが終わって、次の生徒のインタビューに移ろうとした時だった。これからインタビューを行う生徒が、既に終わった生徒をひきとめて、インタビューの場に一緒にいてくれ、と言い、その結果、生徒ふたりにインタビュアーひとり(その日はちょうど、もう一人の共同研究者が休んでいたので)という状態でインタビューが始まった。あんのじょう、口から先に生まれたような女子中学生ふたり(途中からはもう一人加わって3人)のハイテンションな、ほとんどすべての声がひっきりなしに甲高く笑いながら発声されているようなお喋りに、引きずり回されることになる:

【例1】
(A、B=生徒、I=インタビュアー(筆者))

I:おいしょっ(テープレコーダーのスイッチを入れ録音が始まる)
A:あ、やだ。それやったらやりませんよ
I:ああん、そんないじわるそんないじわるダメ だってわたし覚えらんないもん何しゃべったか
B:さわったらアカンて
(スイッチが一度切れ、ほぼ数秒後?また録音再開)
B:めちゃくちゃだ!
A:だって、やですよ だってこんなんねー 入れたら声が変わるんだよこれ
B:そうですよーこの美しい声が
I:いや、それは自分 自分でそう思ってるだけで人が聞い・・・
A:いやいやそんなことないのこれ!やっぱしねえ マイクとか通すと声変わるんですよ
B:そうよーやなんですよー
A:知らないんですかー だってそうねえ!
B:全然違うってー
A:わたし放送委員会でさあー球技大会の時さあーやったら全然違う声やったもん
B:これもしかして入ってたりして
I:入ってる入ってる いーじゃんちょっとぐらい・・・
A:(テープレコーダーに顔を寄せて)ケロケロ!
I:(マイクを持って)こっちだよーん!
A:え!うそ!(マイクの方に)パタリロ!
B:ふーん
A:何入れよ・・・(マイクを持って何か言う。聞き取り不能)
B:やってあげーや せっかく来てんから わたし真面目にやっててんで
A:も一回!
B:もうあかん!
A:これ後世に残るんでしょ ほんなマジや
I:後世に残るしなあー
B:これどうするんですか あとでみんなで聞いたりするんですか
I:あのねえ大学のねえ研究室の人でねえ
A:やですよ!
B:え、10人ぐらいこんなテーブルで
I:あ、そん そんなんじゃない

繰り返すなら、ここにはA、Bふたりの生徒がいるが、正確にはここでのインタビューの対象はAで、Bは既にインタビューが終わったのだがAにひきとめられ同席している。これはAへのインタビューの録音テープの最初の部分である。インタビューの目的である「帰国子女としての経験を聞き出す」という話題がなかなか始まらない。それどころか、インタビューそのもの(とはしかしいったい、何か?ここでは少なくともテープは回り始めてインタビュアーと回答者の会話は始まっているのだが・・・)を、始めさせてもらえていない。しかし恐らく、それはAやBが調査に非協力的だからというわけでは、ない。ここでAとBが話題にしているのは、このインタビューがテープに「録音される」こと、そしてそれが「残る」こと、である。ここでAは「テープに「残る」ような事を「語る」」のに、ちょっとした抵抗があると演じて見せているのだ。じっさいのところ、調査に必要なのは、「データ」であり、すなわち録音テープから再生された「語り」なのだが、それは本人にしてみれば、決定的に「全然違う声」なのである。ごく当たり前の話だが、会話においては発話は誰かに聞き届けられるものとして発話されている。いつの日にか誰か「10人くらいこんなテーブルで」聞くように喋る、というのは、ほんらいとても不自然なことだ。Aがここでやって見せているのは、その誰かわからない未来の聞き手に向けて(彼らの目を白黒させることの出来るような)メッセージをまず最初に自分の方から積極的に「入れ」ておくことであり、また、Bの方は、ちょうどAとインタビュアーの間にたって両者を取り持つように絶妙のバランスをとりながら、インタビューの録音に向けて「真面目にやる」ように会話の流れを導いているのである。
 さて、結局のところ、いわゆる「帰国子女としての経験を聞き出す」という意味では、このインタビューは「うまくいかなかった」と言えるだろう(調査の外在的な都合上、数回のインタビューだけで切り上げることとなり、調査が「浅く」なってしまった事は、大きな要素だろう)。しかし、そこでは、上で見たように、「インタビューで「語る」こと」をめぐる、メタレベルの主題がしばしば浮かび上がってきた(個人インタビューの後半では、筆者自身、このテーマに関心をひかれ、そこに焦点をあてて進行していった)。失敗したインタビューをおこなった下手なインタビュアーとして、筆者自身とても多くのことを学ぶことのできた調査だったのである。

2−2:ある質問 − 「向こうに行って良かったこと悪かったこと」

 最初に、南保輔氏によるやはり帰国子女のアイデンティティ問題についてのインタビュー調査をまとめてある『海外帰国子女のアイデンティティ』(2000)というテキストから、氏によるインタビューの記録を引用しよう:

南:あのう、なにか、なんていうんですかねえ。まあ、英語でいうとミス(miss)するものがありますか。向こうで、なにがいちばん、帰ってきて。
祥子:ああ、向こう。えーと、やっぱり、ずっと英語でしゃべってたから、こう、日本語の社会にいると、なんか、無性に英語にしゃべ、英語でしゃべりたいときとかがあって。それで、だけど、ひとりごと言ってんのも、ちょっと変だし(笑い)。だから、「英語がしゃべりたい」っていうときがたまにある。
南:あー、そうですか。
祥子:けどね、やっぱり、なんか、あの、こんな、こと言えるんだよって[先生が]ゆって、「ああ、そういえば、向こう[アメリカの学校]でもやったなあ」っていうと、思い出にふけるっていうか(笑い)、いろんなこと思い出したりして[なつかしい]。ほんで、あっちもよかったなあって思えるんだけど、でも、やっぱそういうときは、「でも、こっちもいいじゃない」(力強く)ってかんじで[自分に言い聞かせる]。
(p.211。文中、「無性に」の部分が太字で強調されている)

このやりとりには、「「でも、こっちもいいじゃない」−社会文化的アイデンティティの言語報告」というタイトルが付けられ、次のような説明がなされている:

「なにか、英語でいうとミス(miss)するものがありますか」、アメリカから帰ってきて、何かアメリカのほうが良かったなということがありますかという著者の質問は、「アメリカに帰りたいですか」という問いかけを少し遠回しに表現したものである。従来の研究においては、この問いへの回答をもって「日本人」あるいは「アメリカ人」であるとの「アイデンティティ」の判断根拠とされてきたものである。/しかし、このような質問と回答のやりとりがどのような場面でなされているのか、という社会言語学的分析視点が考慮される必要があると著者は考える。・・・祥子の言葉は・・・「状況に埋め込まれた行為」なのである。/・・・著者が帰国子女の問題を調べており、アメリカからこの家族を追跡して調査していることを祥子は知っている。また、このインタビューは著者が祥子の家庭を訪問して行ったものであり、祥子とのインタビューに先だって彼女の母親にインタビューしたことも祥子は知っている。また、著者とのインタビューに同席していないものの、母親が隣接するキッチンで夕食の支度をしており、祥子の言葉に興味津々耳を傾けている。このような状況で「アメリカに帰りたいですか」と問いかけても「本音」が引き出せないだろうと判断して、著者が具体的にアメリカのほうが良かったと思うところはどんなところかとたずねているのである。/慣れた環境から新しい生活に移っていやなことがあると、「あっちもよかった」と思うのは当然のことであろう。その時に、「でも、こっちもいいじゃない」と自分に言い聞かせることができるのはなぜだろうか。これを問うことのほうが、「アメリカに帰りたいですか」という質問よりも、帰国子女の置かれている状況についてより豊かな情報を提供してくれると著者は考える。これは、「アメリカに帰りたい」という「気持ち」を、それを生み出すプロセスと切り離すのではなく、帰国子女が直面する解決すべき課題の反映と見る立場なのである。
(p.212-213)

そして、このインタビューのデータから、帰国子女のアイデンティティが生活の中の相互行為場面でうまくいったりいかなかったりする事によって再生産されあるいは浸食される、という氏自身の仮説が導入されるのであるが、これこそは、「成功した」インタビューの好例といえるだろう。
 さて、ここからが筆者自身の「失敗した」インタビューなのであるが、実は筆者もまた似たような質問をしてはいたのである:

【例2】
(【例1】に先立つ、Bへの個人インタビュー)
I:[アメリカに]行ってて、そいで・・・良かったこと悪かったこと、みたいの・・・
B:(笑)
I:前聞いたっけ ちょっと聞いたなあ
B:(笑)みんな聞かれますよ
I:あほんと
B:良かったこと えーたぶんみんな同じこと言ってるんですけど そら
I:あーいいじゃん
B:そら めったに そら 行けないし、うーんそれでアメリカの友だちとか他のアメリカっても中国人とかいろいろいるからその友だちができたり、英語しゃべれたりするし、うーん、どうなのかな、日本ではー、経験できないことができた っていうこと
I:うーん なるほどなあ

もちろん、このインタビューの質問のしかたはお世辞にも上等とは言えない。ほんの少しの言葉遣いの違いではあるが、「なにか、英語でいうとミス(miss)するものがありますか」という訊ね方には、確かに、「本音」「豊かな情報」を引き出し得たという主張に値するリアリティがあるだろう。それにひきかえ、「良かったこと悪かったこと、みたいの」という訊ね方は、どうも(テープを聴き直してみれば、訊いている本人にもきまりの悪さが伺えなくもないのだが)「紋切り型」の質問でありすぎるようなのだ。それに対して、Bは、笑いながらではあるが、まとまった「回答」をしてくれている。
 ところが、Bのような「帰国子女らしい回答」ばかりが出てきたわけではない。別の生徒へのインタビューでは、次のような回答が残っている:

【例3】
(【例1】【例2】よりも前におこなった、男子生徒Cへのインタビュー)
I:アメリカの生活でよかったこととか、
C:アメリカの生活ですか アメリカで良かったこと おやつが安かったかな(笑)

ここでの回答(特に笑い)には、解釈のしようによっては、質問の紋切り型に対するちょっとした抵抗の態度が見られるということになるのかもしれない。しかし、いずれにせよこの回答はC自身の置かれている状況、生活環境にきわめて密着した「具体的」な情報を提供してくれる。しかも困ったことに、それは「帰国子女調査」の関心からすれば、いかにも「帰国子女らしくない」回答なのである。
 先にも述べたように、インタビューの「失敗」に − あるいは、「失敗したインタビュー」が表面化させる、「語ること」をめぐるメタ的な問題について − はっきりと気付かせてくれたのは、【例1】のインタビューだった:

【例4】
(【例1】のインタビュー。同じ質問)
A:だから、まず英語がしゃべれるようになったでしょう、
B:わたしもそう言うた
A:だから、あとアメリカとか他の国から、日本を見るって形で日本の弱点、じゃないけど悪いところと良いところが客観的に見れたでしょ、
B:それ言うの忘れた
A:たまにはsensibleなことも言うねん(笑) あとー、
B:あれは? 友達とか
A:そうそうそう いろんな国に友達もできたしアメリカだったらほら日本みたいにほら普通の学校にいろんな国の人がきてるでしょ、だからアメリカに行ってても、フランスの人とかいろんな人がいるしね
B:そうそう
A:なんか私が言ってること全然ためになってないみたい(笑)
B:私もそうやってん だってほとんど同じこと言ってる本当に 
A:そうなん?(笑)
B:みんな同じこと言ってるって

つまりそういうことなのだ。先に【例2】の中でBが言っていた「みんな聞かれますよ」「みんな同じこと言ってるんですけど」という言葉にこそ注目すべきだったのだ。

2−3:状況の中に埋め込まれた発話行為 − インタビュー内での「達成」

 次のインタビューでは、そのあたりの事情がさらに出てくる:

【例5】
(D、Eへのインタビュー。Iaは筆者、Ibは共同研究者)
Ia:こないだこれ聞いたら「あ、また」とか言われたからあれなんだけど
D:へ?
Ia:「海外に行って良かったこと悪かったこと」
D:(笑)あーあーあー(笑)
Ia:あ、そんなに常に聞かれるわけだな!
D、E:(ふたり同時に)もうややーもう
Ia:誰に聞かれるん 先生とかー?
E:何かよく学校でのアンケートで
D:そうそうそう なんか海外ではどうのこうのとか
E:帰国子女なんとかセンターちゅうとこからも来るし
D:そうそう
Ia:ほいでやっぱりこんなこと聞かれるの ふーんそうか もうちょっと珍しいこと聞くんだった
D、E:(笑)
Ia:まあいいや へるもんじゃなし答えてや
D:べつになー 日本と変わんない
E:交通ぐらいちゃう
Ib:何歳から何歳まで行ったんだったっけ
D:8歳から・・・13まで
Ia:現地校だっけ?
D:(笑)日本人学校です
Ia:あそっか
D、E:だからやなんだよねー!(笑)

つまり、この種の海外経験についての設問は、どうやらかれらが、帰国子女を対象とするアンケート調査等でたびたび訊かれる紋切り型であるらしい。しかもそれだけでなく、その質問の背後にはどうやら、ある種の「典型的な」帰国子女像 − 例えば、英語圏で、日本人学校にではなく現地校に通ってしかるべき期間を過ごした、「英語が喋れて日本語が不得手な」生徒、といった − が前提となっているらしいのである。そのために、例えば日本人学校あるいは非英語圏で過ごしてきたというような、設問が設定する文脈状況にあてはまらない生徒は、答えにくさを感じる、というのだ。
 繰り返すように、先に引用した南氏のインタビューにおける「なにか、英語でいうとミス(miss)するものがありますか」という訊ね方は、回答者の自然な答えを引き出すことのできる、その場に適切なものだった。回答者が「無性に英語でしゃべりたいときがある」と言うのも、おそらく掛け値のない「本音」であろう。にもかかわらず、いみじくも氏自身が引用文中で指摘しているように回答者がインタビュー調査の文脈について既に「知っている」ことに注目するならば、回答者の回答が「帰国子女らしい」という事態に、もっと関心を持ってもよいと思われるのだ。その回答は、【例2】のBの回答のように、質問の前提に対して「いかにも適切」なのである(たとえば、回答者がこのとき【例3】のCのように「おやつが安かったかな」と言う可能性はなかったのだろうか)。
 本稿が注目するのは、むしろ、回答者の「語り」の適切さ・不適切さをめぐる問題のほうである。本稿の関心からすれば、インタビューの回答者の回答が「状況に埋め込まれた行為」であるというのは、まさにその発話によって回答者が、インタビューという状況において、何かを達成している、ということにほかならない。例えば【例3】の回答者はその回答を発話することによって、インタビューの質問の紋切り型にやんわりと抵抗することを達成していたと言えるし、【例4】(や、さかのぼって読み返せば【例2】も)の回答者は、その発話によって、紋切り型の質問にこんどは「「真面目」に回答すること」を達成していたわけだ。
 確認しておかなければならないことは、このように、(特に「失敗したインタビュー」の)回答が「状況に埋め込まれ」ているという場合であっても、それが回答者の「タテマエ」にすぎないというわけではない、という点である:

【例6】
(【例5】のインタビューが終わり、引き続き、F、Gが加わって回答)
F:夏の夜とか涼しいときでも自転車とか乗ってたら気持ち良かった 庭の水まいてるときでも気持ち良かったけど 日本に来たらまわりにいっぱいビルとか、家でもなんか二階建の家とか高い家とか建ってて木とかが少ないし緑も少ないからあんまり気持ち良くないけど アメリカんとこは芝生とか多かったから気持ち良かった 広かったし
Ia:なるほど
G:うーん 外国人のものごとの考え方や(笑)常識的な考えや生活様式などを知ることができたのがやっぱりいちばん良かったんやないかと思います(一同拍手)
F:書いたのそのまま言ってるやろ
G:言うことないなあ
Ia:そういうふうに書くわけ?
G:やっぱし、あんまりふざけて書けないからな
F:今の(気持ち良かった)は書いてませんよ
Ia:じゃあ書くのはどんな事書くの?
F:書くのはそういう(ものの考え方うんぬん)事です
Ia:あそっか
F:今だから言うんですこれ
Ib:どれぐらい本音なん、その、
G:結構ね、本音です
F:ほとんど本音だけど、それはまじめな目で見てて、自分の気持ち良かったとか遊びが面白かったとかいうのんは、こういうときしか言わない

ここには二種類の「語り」(「夏の夜・・・」と「外国人の・・・」)がある。それは、どうやら二種類の相互行為状況(アンケート等に書く場合と、今回のように喋る場合)に対応しているらしく、また、その際の「語り方」のモードの違い(「まじめ」とそうでない、あるいは「ふざけて」)にも対応しているらしい。しかし、その二種類という数にこだわるのは本稿ではさしあたり控えておこう(5) 。「語り」や「相互行為状況」や「「語り方」のモード」は、二種類と限らずおそらく無数にありうるだろう(さまざまな「言語ゲーム」を数え上げてみせるヴィトゲンシュタインの口振りを想起しよう)。
 ここまでの議論を敷衍して次のようにまとめておくことにする:インタビューやアンケートもまた、相互行為の種類のひとつであり、その回答もまた、相互行為の状況の中に埋め込まれた発話と見なされる。それらは、設定された相互行為状況の文脈ないし「枠組み」に対応するようにアレンジして語られ、その状況の中で何事かを達成する。すなわち、インタビューの回答における「語り」とは、回答者の「内奥」から湧き出る、経験の単なる報告ではありえない、ということである。

2−4:インタビューにおける「枠組み」の組織化と「私性」の管理

 「語り」は、「枠組み」に相関してなされる。「枠組み」がない真空状態では「語り」は動き出せず、発話者は当惑するしかないし、「枠組み」が見つかれば、それに相関した「語り」が動き出すことになる:

【例7】
(【例2】と同じBへのインタビューの、最初の部分)
I:自己紹介あたりから始めてもらお
B:えー 自分で自己紹介しないとだめなんですか(笑)
I:うん
B:聞かれるほうがいいんです(笑)希望は
I:(絶句、笑) じゃいいや名前と、それから・・・自己紹介って自分でするんだぜー
B:えー 聞かれるんですよ 聞かれるほうが 何言えばいいかわからないから聞かれるほうがいいんです
I:ふうん
B:言えば止まらないから(笑)
I:ふうん じゃあ名前とー・・・名前もわかるなぁ
B:(笑)
I:じゃいいや自己紹介パスね 部活なに?
B:入ってません(笑)あ 家が遠いんですよすごく
I:ああー言ってたなあー
B:1時間半かかるんですよ 奈良のド田舎ですから
I:(笑)
B:クラブ行って、帰ってきたら、ごはん食べてすぐ塾いかないとだめなんです
I:あらー
B:たぶんー(笑) だからずっと入ってないんです1年間
I:ふうん たいへん

何度か見てきたように、Bは、調査そのものには協力しようという態度をもってくれているようだ。しかし − だからこそ − ここでもまたインタビューの「枠組み」に対してデリケートな対応をしている。インタビュアーのほうは、できるだけ「自由に」喋って欲しいといったつもりで「自己紹介あたりから」などと水を向けているし、例えばそれに対して適当なことを喋ってお茶を濁しておくことも不可能ではないはずなのだが、Bはその前で立ち止まり、「語り」の「枠組み」の提供を求める。すると、あんのじょう、インタビュアーのほうもようやく「自己紹介」という状況の無意味さに気付く。
 興味深いのはその後のやりとりである。「部活なに?」という質問から、なぜどのような仕組みで、家が遠くてたいへんだ、という「語り」が導かれたのだろうか。おそらくここには、見かけよりいくぶんか込み入ったプロセスが組み合わさっている。
 会話の流れを辿ってみよう。最初に筆者が自己紹介を求める。Bが、それに単純に従わず、逆に「聞かれるほうがいい」と「希望」を述べる。筆者が「ふうん」と言う。この生返事は、また、筆者の側からの消極的な抵抗でもあるかもしれない。それによって、「この生徒は調査に協力しないつもりなのだろうか?」という疑念の表明、あるいは「ごちゃごちゃ言っても聞き流すぞ、大人しくこっちの言う通り自己紹介しろよ!」という要求が達成されているのかもしれない。そこでBが「言えば止まらないから」とつけ加えているのは、要求通りの自己紹介を回避しつつそうした疑念を打ち消すリップサービスを達成する方略である − かもしれない − そこで、筆者は、Bによる注文を、「調査に協力しない意志表示」としてではなく、まさに文字通りに受け止めることにして、「じゃあ名前とー・・・」と言いかけて、そして「気付く」。ここで、(笑い)によって会話の流れが一段落する。そこで今度はあらためて「部活なに?」という質問である。これは、確実に「回答」を言うことのできる、強力な「枠組み」であるはずだ。しかも例えば「部活、とかは・・・」といった曖昧な調子ではなく、筆者には珍しく「自己紹介パスね 部活なに?」と、きっぱりとした口調で質問している。だからこそこの質問に対して「まともに」回答することには、極端に言えば、これから始まろうとしているインタビュー全体の有意性が賭かっているのである。Bもまたそれにきっぱりと答えている − 「入ってません」。さてここで、Bによるこの回答は、論理的には過不足ないものである。だが、ここまで辿ってきた会話の流れの中に位置づけられて発話されたことによって、再び「調査にやはり協力しない意志表示」であるかのごとき文脈的効果を達成しかねない − そこで、「あ」、である。「あ」という声を出し、先の自分の回答の帯びかねない望ましからざる意味に今、気付いたのだ、という表示をしておいてから、「家が遠いんです」という説明をただちに加え、会話の文脈を補修している − ということを達成しているのである。従って、「部活なに?」という質問が「家が遠い」という「語り」を導いたメカニズムは、そこで(本稿[1−2]の【想定例(1)】で見たような)、「トラブルに対する説明」という「枠組み」の文脈的な構成によるものだったといえるのである。
 このように、会話の中での「語り」は、思いがけず精密な手順を踏んで相互行為状況の中で「枠組み」が構成されることによって成立しており、その組織化の様態は、会話の流れを辿ることによって観察・記述することが可能である。
 次の例では、6人が参与して、その発話の絡み合いの中から、ある共通の「枠組み」が組織されている:

【例8】
(【例6】のインタビュー)
Ia:いつもそんなこと(普通学級への不満)言ってんのかクラスでは
F:言わない
D、E:この人だけ
G:この人たち日本人の扱い方に慣れてんですよ
E:まあ扱い方やね
F、Ia:扱い方!
E:扱い方やん
F:も、物みたいな
D:そうやん、Gだって日本人やんか
E:でもあんなんグループでいられたら物みたいなもんやん
D、E、F、Ia:ふーん
G:私はまだそういうのになれてへんねん 少人数のクラスで育ったやろ
F:そうやな
G:3人、3人やで中1が
Ia:うそー
E:あ、ばかにしたー(笑)
G:中1の時なんか3人で(F:っかあーっ!! い、田舎や!)小学校5年の時は1人やってんで(F:うそー!)さびしかったー
F:すごいな
Ib:現地校?
G:補習校
Ib:あ 補習校
F:補習校もっと多かったよしかも
G:うち田舎やもん だって日本から先生派遣してもらえへんねんで(D、E:えー) あの 一緒に転勤で行ったおばさんがボランティアでやってたり永住でそこに住んでる日本人のおばさんを探してきて先生をやってもらってんねん
F:すーごいなー ・・・補習校もそんなんやってんけど、でももっと人数多かった、ひとクラス30・・・
G:うち30人ぐらい・・・なに、ひとクラス?うち全校生徒(笑)30人(一同笑)えらいちがいや
F:全校生徒は 幼稚園と小学校に高校合わして800人くらい
Ib:800人 すごーい
G:小学と中学合わして30人
E:勝った! 1200人!
D:300人ちょっと(笑)けた違い!
G:なんでけた違いやねん!
E:(笑)1200人! 1200!
G:30人やで

この会話の流れを大づかみに言うならば、前半部ではGの「日本人の扱い方」ということばをきっかけとする緊張した場面、そして後半部では、会話に参与した生徒4人全員がそれぞれの在籍校の規模について口々に「語る」場面、ということができるだろう。そこでやはり問題は、なぜどのような仕組みで前半の緊張が一転して数秒後にワイワイと大騒ぎ(だった。ここでは言葉の重なりで聞き取れなかった部分は省略したのだが)の「語り」に移行したのか、ということである。
 第一のメカニズムは、【例7】と同じ、つまり【想定例1】と同じ、「トラブルに対する説明」という「枠組み」である。インタビューを受けている帰国子女学級の生徒達にとって、公然と、あるいは少なくともインタビューの場で、普通学級の生徒に対する直接的な否定的言及をすることは、やはり望ましいとされていないように見える。だから、この会話の最初の部分では、Gがそれ以外の生徒D、E、F(と筆者Ia)によって「切り離され」ている。そこでGは、(おそらくこのあたりが彼女の持ち味なのだが)「この人たち日本人の扱い方に慣れてんですよ」と発言し、さらにくっきりとその対立(D、E、F(と筆者Ia)対G)を可視化しようとする。それに対し、Eが「まあ扱い方やね」と、今度はGの側の加勢にまわり、以下しばらくはGに代わってD、Fとやりとりを行い、「ふーん」という発話を引き出すことに成功し、ひとまず場の緊張を緩和する。そこでGが、自分の海外での体験(規模の小さい補習校で育った)を語り出す。これは、自分が引き起こした相互行為上のトラブルに対する「説明」という「枠組み」に相関して語り出されていると見なすことができる。
 さて、ここで第二のメカニズムを指摘することができる。この会話の後半部では、たんにGの「語り」だけでなく、D、E、Fの経験(在籍校の規模)の「語り」もまた語られている。この、「語り」のいわば横への拡がりのメカニズムは、先に示した【想定例2】に似たものだと考えられる。
 会話の続きを見てみよう。Eの調停によって一応おさまった緊張ではあるが、おそらくまだ誰も納得し切れてはいないという意味では、潜在的なトラブルは解消していないと見ることができる。そこでGが提示した「私はまだそういうのになれてへんねん 少人数のクラスで育ったやろ」という「説明」にF(と筆者Ia)が同調し始める。つまり、ここでGが提示した、Gの在籍校の規模の小ささを、協力してくっきりと強調することが、Gによる「説明」を会話内で共有化することであり、すなわち、相互行為上のトラブルを協働的に解消することでもある、ということなのである。Gの「語り」に同期してD、E、そして特にFが入れる合いの手はことごとく、Gの生活史の特異性を強調している。例えば「すーごいなー ・・・補習校もそんなんやってんけど、でももっと人数多かった」というFの発話は興味深い。「補習校もそんなんやってんけど」という部分は、正確に見るならば、Gの「日本から先生派遣してもらえへんねんで」という発言(とそれに対するD、Eの合いの手「えー」)を打ち消す(すなわち、自分の通っていた補習校もそうだったので驚くに足らない)可能性がある発話である。それだけに、すぐに声を張って「でももっと人数多かった」と発話して、あくまでGの経験の特異性を強調する方向に流れを導いているのである。
 そこで、Fの「ひとクラス30・・・」という発話とGの「うち30人ぐらい」という発話がほぼ同時に出て、それ以降、在籍校の人数を口々に「語り」合うという「枠組み」が完成する。人数以外のごちゃごちゃした要素、例えば「日本から先生を派遣してもらえへん」かどうか、などという要素を下手に挙げていけば、「うちもそんなんやった」などということになり、Gの特異性が打ち消されてしまいかねないだろう。繰り返すならば、重要なのは、ここで互いに在籍校の人数を披露し合い、それによってGの在籍校の人数が「少ない」ことを強調するという作業に協働的に参加することによって、会話上のトラブルの修復を達成することができる、ということである。だから、例えばDの在籍校は「300人ちょっと」で、これは800人や1200人よりは少ないのだが、「けた違い!」とつけ加えることによってあくまでGとの差異を強調する。また、Eが「1200人」と繰り返し発話しているのは、他の生徒がそれにいまひとつ反応してくれないからなのだが、それも、この会話場面の「枠組み」があくまでGの特異性の強調であるという点に注目すれば理解できる − つまり、この部分の会話はあくまでGの「30人」が少ないと強調することをめぐって精密に組織されているのであって、Eの「1200人」が多い、というのはこの場ではさしたる意味を持たないからである(あるいはもうひとつの説明。Eは先程Gの弁護と調整に回っている。その意味では、この会話場面での位置づけが両義的な参与者なのである。げんに、Gの冒頭の発言に対してのG自身の「説明」を採用する限り、Eの在籍校の生徒数がこの4人の中で最も多いという事実は排除されなければならないのである)。
 繰り返すならば、本稿[1−2]で予測したように、会話は、参与者の「私性」と相互行為状況の「共同性」の間を調整する協働的作業である。そこで話者の「語り」は、状況の「共同性」を維持していく(あるいは破壊しない)ように精密に組織化された「枠組み」に相関して「語り」出されていることが確認される。
 次の例は、インタビューという独特の「枠組み」をめぐるものである。インタビューという枠組みでは特に、話者の「私性」と「共同性」との調整という問題が重要になってくる。というのも、調査者が最終的に導き出さねばならないのは、社会的に一般化可能な命題なのであり、そうした一般的な命題に接続されるべき素材を、個々の当事者の「語り」として導き出そうというのが、インタビューの構造的な「枠組み」だからである。こうした特性は回答者によって強く意識されており、先に見た【例1】のような例、そして次のような例に、そのことは見て取れる:

【例9】
(【例1】【例4】と同じインタビュー:ただし他の生徒もしばしば口にした)
B:これ雑誌とかに載るんですか?

つまり、回答者にとってみれば、インタビューという枠組みは、自らの「語り」 − 通常であれば私的でしかありえないとされるような − を、一挙に公的な主張、クレイムメイキングへと変換・流通できるような場と言えるのである。そうした意味において、次の例は、単なる会話文脈の補修以上のものが達成されようとしている場面:

【例10】
(【例5】のインタビュー。【例5】でEが口にした「交通」の話題が再び登場)
E:むかつくったら、ラッシュの時 車とかバスの
D:ラッシュ?
E:電車とかむかつく
D:あ そういう意味
E:そうそうそう じゃないんです むかつきません、ハイ(笑)
Ib:え 電車とか 何なに?
E:あれいややな ひとごみ やだと思わない?
D:私 だって逆がわやん 大阪行くやつ 私京都のほう行くやろ

ここでEがいったん「むかつきません、ハイ」と話を切り上げ、Ibに質問をされた(させた?)上であらためて「語り」始めていることには、注目してよいだろう。つまり、こういうことだ。第一に、この話題(電車が混むのが厭だ)は、EやD(や、他の生徒たち)が普段から喋っている、彼女たちにとっては既知の話題である(じっさい、他のインタビューでもこの話題は出てきた)。しかし第二に、Dはここではこの話題に乗ってきておらず、少なくともDは、それはこの会話(「帰国子女インタビュー」という「枠組み」)の中で「語る」べき適切な話題ではないと見ているように観察できる。「あ そういう意味」というDの発話が、「そうそうそう じゃないんです むかつきません、ハイ」というEによる発話を導いていることから、そのことが読みとれるだろう。しかし同時に、第三に、Eはそこで単に発話を自然に打ち切るのでなく、やや大げさに「むかつきません、ハイ」と言うことによって、今度はIbの質問を誘発することに成功するのである − Ibはインタビュアーであり、Ibに質問されることによってこの話題は、あらためて「帰国子女インタビュー」という枠組みを与えられ、その回答としての適切さ(Dによって一度は棄却された)をふたたび獲得し(ようとし)ているというわけである。それは言い換えれば、帰国子女インタビューという状況の中で「語る」ことで、自分の通学電車が混むという「私的」な経験を、「帰国子女」というカテゴリーを手掛かりにして、より公的に共有され得る問題として主張することを達成し(ようとし)ている、と言えるわけである。

3:声と現象 − 〈自己/他者〉の〈生/死〉〈が/を〉物語る

 桜井厚氏は、最近の論文「語りたいことと聞きたいことの間で − ライフヒストリー・インタビューの管理をめぐる争い」(2000)の中で、本稿の関心からみて非常に興味深い議論を展開している。それは、二時間あまりのライフヒストリー・インタビューを終えた瞬間に回答者がインタビュアーである氏に向けて「警察の尋問みたい」といい放った、というひとつの経験を、「社会調査のインタビューにおけるこうした調査者(インタビュアー)と対象者(語り手)の非対称的な関係を反省的にとらえ直してみよう」(p.115-116) とした、スリリングでありそれ以上に切実な論考である。そして氏は、インタビューにおける「語り」を「公的/私的ストーリー」という観点から整理した。それまでのインタビュアーや「語り手」は、しばしば類型化された公的な「モデルストーリー」を聴き/語ろうとし、「そこからはずれる語りを、語るに値しないもの、聞くに値しないものとして黙殺してきた」(p.131) 、それに対して、氏の出発点となったインタビュー事例では:

・・・語り手の意図に反して、モデル・ストーリーではない生活のストーリーを聞こうとするインタビュアーの統制がインタビュー過程に働いたものと考えられる。語り手は、そこに権力性を感じたのであろう。しかし、このインタビューの枠組みによって、最初は「とりたててこれまで何をしてきたわけでもないので、お話することはありません」と断った人でも、二時間ほどにわたるインタビューに応じて自分の人生を、精力的にせよ訥々とにせよ語ってくれ、わたしたちも聞く耳を育てることができた。めったに自己を語ることのない人が自分のことばを発見し、語るに値しないと思われている人生の断片が「声」となることこそ、ライフヒストリー・インタビューの醍醐味なのである。
(同上箇所)

と述べている。桜井氏の議論を、本稿でこれまで述べてきた議論と重ね合わせることができるだろう。氏が「公的」な「モデル・ストーリー」と指摘したのと同様のものが、【例2】【例4】のAやB、そして【例6】のGの「語り」に重なり、また「私的」な「ライフヒストリー」とされているものが、【例3】のCや【例5】のD、E、【例6】のFの「語り」に重なるだろう。また、それぞれをたとえば「まじめ/そうではない」あるいは「アンケートに書く/こういうところで喋る」というふうに区分することもできるという指摘も、ほぼ重なるだろう。
 ところで、氏が「ライフヒストリー・インタビューの醍醐味」と表現した「声」とは、しかし、何だろうか? それが、「自己を語る自分のことば」であること、そして、お仕着せの=「公的」な「モデル・ストーリー」ではない「生活のストーリー」=ライフ・ストーリーである、ということ、これは、氏の議論を辿れば誰でも了解できるだろう。そうした氏の議論は充分に説得的であり、インタビュー調査を実践する者、また読む者は皆、そうした「いきいきと生きた」言葉による「語り」をこそそこに発見したいと、間違いなく思う。
 それを確認した上で、氏の「声」の中に、本稿の文脈を書き込んでみよう。
 氏の議論を辿るならば、それが「醍醐味」と呼ばれるに値する価値を持つのは、それがまさに「自己を語る自分のことば」であること、自らの自己同一性の中に起源=オリジンを持ちそこから発する「声」であること、によっていることが了解されるだろう。それは言い換えれば、「人生を「語る」」と「「生そのもの」が「語る」」とが幸福に重なり合っている状態だと言うことができるだろう。つまりそこではライフヒストリー(ないしライフストーリー)とは「人生〈が/を〉物語る」ような「語り」だ、というわけだ。
 ところでそうした「モデル・ストーリーではない生活のストーリー」を回答者から導き出すことの「権力性」については、いうまでもなく氏は充分に自覚的である。それは、その限りにおいてはまぎれもなく、「語り手の意図に反して」までインタビュアーが介入することによって導き出された「語り」である。それによって「めったに自己を語ることのない人が自分のことばを発見し」た、という。その限りにおいては、そこで「自分のことば」が「発見」された、というのは、いささか一面的ないいかただろう。まぎれもなくその「語り」は、インタビュアーと回答者の相互行為において協働的に産み出されたのであって、そのいみでは、その「語り」は、「回答者が自分の人生を物語る」ものであると同時に、「インタビュアーが回答者の人生を物語る」ものである、とも言うことができる。むろん、さらに別の次元を重ね合わすことができる。というのも、回答者がここでインタビュアーに語った「語り」の中に「モデル・ストーリー」が含まれていないという保証など、もちろん、ないのであって、本稿で先に辿ったいくつかの例を見ればわかるように、回答者は「公的」な「語り」と「私的」な「語り」を会話状況の中でデリケートに両方用いているし、それどころか、【例10】に見られるように、ある「語り」が「公的」であるか「私的」であるか、ということそのものが、会話の流れの組織化の進行に連れて揺れ動くのである。だから、インタビューにおける回答者の「語り」はまた、回答者自身にとって(またインタビュアーにとっても)「自分の人生を「語る」」であると同時に、「他者の人生を「語る」」でもある、つまり「〈自己/他者〉の人生〈が/を〉物語る」ということになるわけだ。
 さらに書き込みを続けよう。本稿で先に見てきたインタビューの会話の組織化を見ていると、そもそも、「語り」というものが、語り手の「内奥」の自己同一性の中に起源=オリジンを持つものではなく、会話相互行為状況における会話の流れそのものにおいて、協働的に構成された「枠組み」に相関して産出されていることがわかった。いいかえれば、会話の起源=オリジンは、参与者を巻き込む状況そのものの中にある、ということができるだろう。それを、共同体的な「生」のありかであると捉えることもできるだろうが、別の言い方をするならば、それは個体の「死」の場所でもあるだろう − 「死」といっても、人生の終末を彩る「死」ではなく、より端的に、「非・生」としての、無機的な状態を指して「死」と呼ぶならば、ということであるが − じっさい、会話の流れを分析すると、それが、個々の参与者のあずかりしらないような次元で、「語り」そのものが思いもよらず精密に自己組織化していることに気付く。このことを、エスノメソドロジカルな会話分析の創始者であるH・サックスは充分に意識しており、彼は一貫して会話をひとつの精密な「機械装置」と見なしていた。同じく、ハロルド・ガーフィンケルもまた、相互行為秩序の問題を探求するにあたって、頻繁に「死体」「人形」「機械装置」といったものに目を向けた(石飛(2000b))。あるいは、会話分析についての教科書の中での次のような記述も同じことを言っている:

[会話のテープを繰り返し聞いてみて欲しい]これは実は危険な作業である。内容が理解できた後も何百回もテープを聞き続けていると、次第にそれが普通の会話ではないように感じられてくる。私の場合はまず、生身の人間同士の会話ではなくテープレコーダー自体が話しているように聞こえ始め、次いで、会話という生き物自身が声色を使って話しているように聞こえてきた(これは一種の幻覚かもしれないが、現在の私は、会話自身が会話をしているという聞こえ方はある意味で根拠のないものではないと思っている)。こうした経験は人をきわめて不安定にする。もしここまで試みるならば、体調や精神状態がよいときに行うことを勧める。
(阿部(1997),p.156-157)

だから、私たちは「人生を物語る」というライフストーリーの定義を − ちょうどJ・デリダがニーチェの自伝にかこつけて「自伝」という言葉をさまざまに書き換えていった(レヴェック&マクドナルド編(1982=1988))ように − 書き換えよう:すなわち、ライフストーリーとは、「〈自己/他者〉の〈生/死〉〈が/を〉物語る」こと、である。

4:おわりに

 ・・・従って、その「声」に私たちの「生」の証を見ることは、ここでは差し控えておこう。社会学的な文脈(本稿[1−1])に立ち戻るならば、私たちは19世紀初頭以来こうした「声」に自らの「生」の証 − オリジン=起源=「私性」・・・ − を見出そうとするような言説構造の中に生き、あるいは言い換えればそういう言説構造の中でそのようなものとして与えられた「生」を生きている。その構図はもちろん現在でもなお強力に機能しており、例えばここ数年の「自分史ブーム」がそうであるように、私たちは繰り返し「人生を物語る「語り」」を産出し、「語るに値しないと思われている人生の断片が「声」となること」(桜井前掲引用文参照)を日々、実践している。
 その「声」に、あらためて耳を傾けてみる。ただしそこに「生」の輝きを聞き取ろうとあらかじめ待ちかまえるのではなく、その「声」の中に共鳴している様々な響きを追ってみよう。すると、「声」は、語り手の「内奥」の「起源」からさながら一本の矢印のように「人生」を「語り」出すモノローグであることをやめ、そこに、生とも死とも判断できないような無気味な響きが立ち現れるだろう。
 【例1】をもう一度、読み直していただきたい。彼女たちの「語り」はまさにそうした「声」についてのものだ。最初Aは、テープ録音に抵抗してみせる。テープに録音しない声、自らの頭蓋の中で無媒介に自分で聞く声こそが自分の本当の声であり、マイクを通し機械に吹き込まれた声は「全然違う声」だという。その通りだろう。Aの唇をひとたび離れて機械に吹き込まれた「声」は、Aにとって「他者」として、あるいは「死」として無気味に響き始めるだろう。だが、私たちがAをはじめ回答者となってくれた彼らに感謝したいのは、そのことで彼らがテープ録音のインタビューを拒絶してしまわなかったことである。だから、本稿では、彼らの「声」の、無気味な響きをこそ、響かせようと試みた。その響きが − ちょうど、【例1】の中でAがテープレコーダーに顔を寄せて吹き込んだ「声」のように − ケロケロ! − 無気味に − un/heimlichに − このテキストの中で共鳴するように。

【註】
(1) 本稿は「ライフストーリー研究会」での筆者の研究報告のために準備されたものである。なお、同研究会のこれまでの研究成果は既にやまだ編(2000)として公刊されている。本稿は同研究会ならびに同書にインスパイアされて成立した。研究会への参加のお許しと示唆を与えてくださったやまだ先生はじめ皆様に感謝します。また、本稿で用いた資料は、平成元年度〜3年度科学研究費補助金一般研究B(研究代表・柴野昌山)によって行った調査研究の成果の一部である。石飛(1992)(1994)を参照されたい。
(2) この問題に関するエスノメソドロジカルな先行研究(例えば西阪(1997)、クルター(1979=1998))は、後期ヴィトゲンシュタインの「私的経験」論を参照しながら、「心」「内面の経験」といったものがいかに協働的に構成されているかを描き出している。ぜひ参照されたい。
(3) すぐ気付かれるように、こうした「奇妙さ」は、すこし注意すれば日常生活の中に頻繁に見出することができる。また、それは狭義の「人生」が話題になっている場合に限るわけでもない。例えば、ある種の漫才 − 大木こだま・ひびきや西川のりお・上方よしおの持ち芸だ − では、こうした奇妙さがネタとされている。しかし、例えばこだま・ひびきの漫才の構造が、互いに「自分の経験を「語り」」合う、という仕組みになっているのを見ればわかるように、多くの「語り」は、広義の「人生の「語り」」であるということができる。
(4) ところで、共同研究がスタートしたのが平成元年=1989年であり、日本社会がバブルの頂点に達していた瞬間であったことは、今となっては興味深い再検討の余地のある問題である。当時の文脈で言うところの「国際化社会」「ナショナルアイデンティティ」「帰国子女」といった概念はどのようなものであり、そうした概念規定はどのように研究そのものに反映しているだろうか?
(5) 無論、大まかにこうした二分法を用いることは、恐らく、理論的にもまた経験的にも有効性を持つだろう。前掲拙稿においては、この「真面目/非・真面目」という二つのモードのうちの前者を、社会問題(いわゆる「帰国子女問題」)に結びつく認識/語りのモードであると指摘し、また、それがいわゆる「科学」的研究や学校教育にも共通するものであるがゆえに、学校教育が「帰国子女」アイデンティティ形成の枠組みともなりうることを示唆している。

【文献】
阿部耕也(1997)「音声データ分析と会話分析」北澤毅・古賀正義編著『〈社会〉を読み解く技法』福村出版
クルター、J(1979=1998)『心の社会的構成』新曜社
レヴェック、C&C・V・マクドナルド編(1982=1988)『他者の耳 − デリダ「ニーチェの耳伝」・自伝・翻訳』産業図書
石飛和彦(1992)「問題設定装置としての〈帰国子女〉カテゴリー」平成元年度〜3年度科学研究費補助金一般研究B研究成果報告書『国際化社会の中でのナショナル・アイデンティティーの形成過程の研究』(研究代表・柴野昌山)pp.8-26.
 − (1994)「社会問題の存在論とエスノメソドロジー的アプローチ − 帰国子女問題研究を事例として」『ソシオロジ』vol.39,no.1,pp.23-39.社会学研究会
 − (2000a)「「教育/言説」をどう「読む」か − 『言葉と物』読書ノート」『天理大学生涯教育研究』no.4,pp.31-49.
 − (2000b)「ハロルド・ガーフィンケルのテキストにおける「受肉」のモチーフ」『教育・社会・文化』no.7,pp.1-23.
南保輔(2000)『海外帰国子女のアイデンティティ』東信堂
西阪仰(1997)『相互行為分析という視点 − 文化と心の社会学的記述』金子書房
桜井厚(2000)「語りたいことと聞きたいことの間で − ライフヒストリー・インタビューの管理をめぐる争い」好井裕明・桜井厚編『フィールドワークの経験』せりか書房
トレント、T・P&ホセ・デ・ラ・コリーナ(1986=1990)『ルイス・ブニュエル公開禁止令』フィルムアート社
やまだようこ編(2000)『人生を物語る 生成のライフストーリー』ミネルヴァ書房
やまだようこ(2000)「人生を物語ることの意味」やまだ編(2000)所収