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(2005/1/1 - 2005/6/30)

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アーカイヴ (2002/8-12) / (2003/1-6) / (2003/7-12) / (2004/1-6) / (2004/7-12)


 


1月1日。謹賀新年。

あけましておめでとうございます。
本年もすばらしい一年でありますよう。


 


1月8日。ことしは寝正月だった。

実家で両親とお正月ドラマを毎晩みて過ごした。なにかというと登場人物を死なせて話を盛り上げようとするのには閉口したが、テレビドラマに創意を求めるのは八百屋で魚をくれというに等しいものだからそのへんはそういうものとして観る。近鉄沿線界隈でしきりに広告をしていた大化の改新ドラマの時代考証が失笑モノだったにせよ、そのへんもそういうものとして観れば、仲代達矢のたたずまいもよかったし岡田くんの無力さ加減がよかったのでまんぞくした。
その同じ岡田くんが翌晩にやった向田邦子ドラマはよくて、さいしょは「これがちゃんと向田邦子ドラマになるのかな?」と思いながら観ていたのだが、ちゃんとなっていて、お正月らしくてよかった。佐藤くんとの顔合わせは『木更津』を思い出させるし、演出は『ぼくの魔法使い』の人だったようだ。
その翌日の久世光彦ドラマは、向田邦子新春ドラマをやっていた久世、というより、『ムー』の久世、って感じで、樹木希林なんかが出るドタバタだった。

「きのうの父親役をやったの誰だったかいね?」
「えー、國村隼、だったか?ていう人」
「じゃなくてその父親」
「え?植木等。」
「あ、そうだった。」
「えー?あれは、だって、植木等でしょう」
「いやー、いかりやだったかな?おかしいな?と思って」
「えー?だって、あれいかりやじゃやらしいでしょう、あんなの着て。あれは植木じゃないと」
「うん、今の植木等ね」

下宿に戻ってみれば現実に引き戻されてしまうのだが、まあいたしかたない。
余勢を駆って積読状態のビデオを見る。父親が地元の映画館で成瀬を観ていたなどという話を聞いて、成瀬も手元に未見のが何作かあったかなと思いつつ、さしあたり黒澤から片付けようと、とりあえず『天国と地獄』『我が青春に悔いなし』を見る。後者の奇妙な政治的姿勢(昭和21年のタイミングだとこうなるのか、という感じで面白い)は、淀川長治の黒澤論を読み返したくなるものなのだけれど、どこへいったかしら、本が見当たらない。

年末に、積読状態のゴダールのDVDをとりあえず3枚『カラビニエ』『恋人のいる時間』『フォーエヴァー・モーツァルト』見てしまったので、DVDはかなり片付いてきて、またビデオの積読の消化をするつもりになってきた。
じつは、学生に薦める映画、というのをセレクトしよう、という話があって、DVDで入手できるもの(このしばりがいちばんきつい)、という相談のなかでとりあえず思いついたのが、たとえば↓こういうかんじ。

・ジョン・ヒューストン『荒馬と女』
(マリリン・モンローの遺作。脚本が元?夫で、モンローとの破局そのままを描いてモンローに演じさせているので、おもしろいというかなんというか)

・キューブリック『博士の異常な愛情』
・ハワード・ホークス『赤ちゃん教育』
・ヒッチコック『めまい』
(このあたりは、名作で娯楽作です)

・鈴木清順『関東無宿』or『殺しの烙印』
・寺山修司『書を捨てよ町へ出よう』or『田園に死す』
(このあたりは、学生はほっておくと絶対に見ないだろうから)

↑というようなことを、まあメールでやり取りしていると、楽しくなってきはするし、自分でもまた映画観ようという気になる。ある年、1ヶ月10作、というノルマを決めて観た年があったけれど、まあそこまで今やる気もおこらないけれど。

ことしはどんな一年になることやら。
とりあえず、自分の研究ということで言うと、なんだか、自分がやってきたことと、やりたいことと、やるべきことと、できる条件がととのってきたことと、やらしてもらえそうなことと、なんかそういうのがそれぞれ進行していきそうなかんじなのだ。
うまく調整をつけてやっていきたい。
とりあえず、学内でひとつ新しい学際的な研究会を立ち上げないか、と声をかけていただいていて、それがうまく立ち上がるといいと思う。


 


1月18日。風邪っぽい。

週末に、喉が痛いなと思っていて、うがいなど励行してみたりのど飴をなめてみたりしていたのだが、どうもやはり昨日から今日にかけて、胸の中に降りてきた感じで、せきがではじめている。微熱もある。やれやれ、授業期間がもうすぐ終わるのだから、それまで持って欲しいものだ。

一年の計は元旦にあり、で、お正月いらい半月で(というか、下宿に戻ってから授業のはじまるまでの数日で)ビデオで映画を5本見ていて、これ、あと5本を1月中に見ることは可能だなあ、そうしたら1ヶ月10本だなぁ、でも、1月にそれをやっちゃうと、むきになってノルマ化してしまったらそれもしんどいなあ、というので迷っているところ。
しかし、ビデオやDVDやテレビで1ヶ月10本というのは、毎週末に2本ずつ見て計8本、あとなんとなく2本、で達成なので、まぁ、その気になれば普通に可能ではあるのだ。野球シーズンが始まってもナイターを見ない、とかね。映画1本1時間半、という時間は、その気になれば、あるものではある。うーむ。

さしあたり今のところの5本は、
黒澤明『天国と地獄』
黒澤明『我が青春に悔いなし』
黒澤明『悪いやつほどよく眠る』
舛田利雄『紅の流れ星』
と、TVでやってた『少林サッカー』。以前見たのでもういいと思っていたのだが結局途中から見始めて面白くて最後まで見直した。
面白かったのは、『紅の流れ星』。渡哲也と浅丘ルリ子のチンピラ映画、なんだけど、ゴダールの『勝手にしやがれ』をそっくり下敷きにしている。かっくいい。

帰省したときに、実家においてあったのをパラパラ読んだからというのもあって、岩館真理子をまた買ってきて読んでいる。大学院生の頃までは少女マンガをせっせと読んでいたので、とくに岩館真理子は好きで、ほぼコンプリートで(最初期の、なぞなぞマンガみたいなやつもふくめ)持っていたものだ。
講談社の青年誌?で描いていたらしいものを読んだ。かなり悪くない。
岩館真理子『月と雲の間』講談社モーニングKC(2001年)
中年のダサい太ったおばさんが主人公で、OLと高校生の娘がいて、高校生のほうは、離婚した元夫と住んでいる(でも家は近所なので娘はしょっちゅう行き来している)、という設定。このおばさんがいかにもおばさんで、岩館真理子が以前描いていた繊細な少女マンガからすると、最初どうかな?と思うのだけれど、読んでいくと、じつに繊細に描き出されたおばさんで、すばらしい。少女マンガのおばさんというと、なんか少女趣味の気味悪いおばさんになりそうなのだけれど、そうではなくて、かつての岩舘真理子の主人公だった繊細な少女が、結婚して子どもを産んで育てて離婚して生活に苦労して到着した、疲労と居直りと鈍感さと滑稽さと物悲しさのいりまじった、とても繊細なリアリティのあるおばさんで、「老い」とか「時間」とかいうことを感じさせて、感慨深い。岩館じしんが共感を込めて描いているのがわかるし、こちらも、かつてのファンだったのがいつのまにか中年になってしまった者として、共感しながら読む。

あと、正月ドラマの余勢を駆って、向田邦子のエッセイを買ってきて読んでいる。いままで、アンソロジーの中でパラパラと読んでいたぐらいで、きちんと読んだことはなかったのだが、まぁいいきっかけと思って、とりあえず、対談集とエッセイを2冊読んだ。まぁ、上手い。で、聡明で、読んでいて心地よいわけで、なぜいままで読まなかったかというと、どうせ上手くて聡明で心地よいのがわかっていたからなのだけれど、まあ、実際に読んで実際に上手くて聡明で心地よいので、それはそれで満足している。


 


1月31日。暖かかったり寒かったり日記。

卒論の口頭試問も終わり、今週末にはもう卒論発表会と追い出しコンパ。早いなあ。

数日間、春のように暖かかったのだが、寒気が来るぞと天気予報によって脅かされて、まあたしかにじっさいに寒くはなった。寒くはなったけれど、脅かされたほどには雪も降らなくて、気温が低いことぐらいはまぁ冬だからかまわないし、温かい格好をしていればよいので(先日ひきかけていた風邪は医者の薬のおかげですぐになおったし)、まあかまわないのだけれど、ただ、いかんせん、その寒気が来るというまさにその日、研究会をじぶんちの大学で開くことにしてしまっていたんで、かなり気をもんだ。駅から大学まで歩いていただくところで風邪でも引かれてはこまる。

しかし、きをもんだわりには結局じぶんの手違いで、来ていただいた参加者の皆さんを建物の外に寒い中、締め出して待たせちゃったりして(日曜なので入り口が閉まってたりして)、ずいぶん不手際だった。まぁそんなもんですね。段取りの悪さは先天的なものだと観念するしかない。

そうそう、たとえばですね、「少し早めに学校について準備をしよう」と思って電車に乗ったのに、乗換駅で電車を確認せずに飛び乗ったら、ドアが閉まってゆっくりと、いま走ってきたばかりの線路を逆走しはじめた。ありえない。しかし、どうもその駅はその時間帯に、そういう電車が走っているらしいのだからしかたない。同じホームから逆向きの電車がでるわけですよ? 急行を降りて通路を渡って、アナウンスを聞いて乗り換えのホームに移って、そこに待っている普通電車にそのまま乗ったら逆走しはじめたんで、正解は、たぶん、少し待って次に来る電車に乗ることだったらしいのだ。ともあれ、それでいったりきたりで30分ぐらいロスした。ミラクルである。

研究会そのものは面白かったし、懇親会の段取りははなっから他の人にまかせっきり丸投げにしたので、とてもスムーズにやっていただけた。やれやれ。

帰宅後、留守録しておいた加藤正夫追悼番組を見ながらたびたび目が赤くなる。とにかくいちばん最初にファンになった棋士である(「殺し屋加藤」というのがかっこよかったし、顔もかっこよかったのだ、細面の三白眼で殺し屋っぽかったのである)。大竹、石田、趙、小林、武宮という同門の棋士が、木谷道場時代の思い出を振り返ったり、あと、かわるがわる、加藤との対局を自戦解説した。加藤の強さ、豪腕というか、剛直な、というか、迫力というか、まるたんぼうでごっつんごっつん殴るような戦い方で勝っちゃう強さ(加藤にやられまくっていたのが「コンピューター石田」だったのは可笑しい)、みたいなのを、兄弟弟子たちがみんなで偲んでいた。幸せな棋士だ。ご冥福を。

ところで、結果として1月には映画を(テレビやビデオで)何本みたかというと、10本見てしまった。ノルマ化するといやだなあと思いつつ、なにせ1月はお正月があったのでしかたない。
ちなみに月の下旬に見た5本は、
『Jivin' in Be-Bop』
黒澤明『虎の尾を踏む男達』
タマラ・ジェンキンス『Fカップの憂鬱』
黒澤明『素晴らしき日曜日』
ヒッチコック『岩窟の野獣』

で、基本は黒澤明の積読状態のを消化する月間だったのだが、えーと、『Jivin' in Be-Bop』というのは、D・ガレスピーのビッグバンドを中心とした音楽映画で、サントラを昔から持っていたのを、あらためてDVDで買って見たというもの。同じバップでも、パーカーの方から見ると内省的だったりアーティスティックだったりするのが、ガレスピーのほうから見ると、演芸的な感じが前面に出ているかんじ。それができるのがガレスピーの人徳というやつなわけで、たとえばC・イーストウッドの『バード』で描かれるパーカーとガレスピー(浜辺で並んで座って語り合うところとか)とか見てて、やはり泣ける。
ていうか、えーと、ヒッチコックはですねえ、イギリス時代の最後の作品ということで、まぁ時代も古いしまあ盗賊団みたいなのがぞろぞろ出てくるむさくるしい話だし、いかがなものかと思いながら見ているうちに、やはりうまく引き込まれました。だまし合いではらはらさせたり、やはりうまかった。
ていうか、えーと、結果から言えば『Fカップの憂鬱』というのを、深夜TVでふらっと見てみて、正解だった。いいかんじに塩辛い感じの、家族ものの(現代のアメリカで求められているような?、バランスを失いかけながらあれやこれやあって、ネジの飛んだようなエキセントリックなことにもなりつつ、さいごには心の繋がりを再確認するみたいな、ほろ苦さとしょっぱさ込みの、最後にはホロリとこさせもしつつのハッピーエンド、みたいな)、まぁ半分ぐらいは邦題どおりの青春おゲレツ・ガーリー・コメディだった。主人公の、なにかにつけ口を尖らして不貞腐れている女の子(なにしろ父親が金銭にルーズで年がいってて思春期の娘の気持ちなんかてんでわかってなくて、で、兄貴がボンクラで弟がバカのくせにませてて、転がり込んできた従姉はヤク中の発展家だし、隣人のボーイフレンドはチャールズ・マンソン崇拝者のヤクの売人だし、どうにもサエない家族&環境ではあるのだ)が魅力的なのだが、しかしこの映画、ターゲットは誰なのかというと、たぶん、主人公と同じようなタイプの思春期の女の子時代を過ごしたことのある女子のみなさんなんだろうと見当をつけてはみるものの、しかし、こういう、弁解を要するような邦題をつけられると困ってしまうのである。
いや、しかし、おゲレツなところをさっぴいて見ると、けっこう洒落た映画に見えなくも、まぁ、ないです。


 


2月14日。散歩シーズン開幕。

2月の第一週から第二週にかけて、定期試験だの教授会だの卒論発表会だの追い出しコンパだの前期入試だの成績付けだのであわただしく目を回しながら過ぎたのだが、それが終われば、連休もあって、一息ついて落ち着くことになる。気がつけば、節分も過ぎ、ずいぶん春らしい気候になってきた。ベランダに出れば風の中に何かしら花の香りが含まれている、ような気にもなってくるわけである。というわけで、しばらく不自由をしていた散歩がまた気持ちよくできるようになってきた。
とはいえまあ、歩くのはどのみち近所周辺なのでその点ではさっぱりかわりばえもしないのだが、しかしなんにせよ、春らしい気候の中、ふらふらと歩いているのは気持ちがいい。
さて、十年一日かわりばえのしない書店に入る。いつも行っているので買うものがないかというと、なぜかしら何冊か購入して帰ることになる。散歩に出かけ、書店に入り、何冊か購入して帰る、というのを繰り返すと、読むほうが追いつかないのだが、それはまあそんなもんだと達観してきた。ここ数日は、ひさびさに高橋源一郎を読みたくなって、『あ・だ・る・と』『ゴーストバスターズ』を読んだ。『日本文学盛衰史』も買ってきたのだけれどこれはちょっと大作のようなのでその前に、古本屋で買ってきた奥泉光『グランド・ミステリー』だとか、こっちは新本で買った東浩紀『郵便的不安たち#』だとか柄谷行人編『近代日本の批評』123だとかがとりあえず目の前にあるし、そのまえに、どっさり買ってきた岩館真理子や岡野玲子があるし、とくに岩館の『アマリリス』は第4巻が数日後に出るのでそれまでに既刊を読んだら楽しいだろう、と、ひさびさに「たのしみ」ができたわけでもあるのだが、さて、しかし・・・

この時期は、研究室紀要の論文をまとめないといけないのである。去年のここの欄を見ていると、ちょうど今日のところに、やはり書いてある。去年は、オーネット・コールマンの名前など出していたんで、それなりにイメージがあったのだけれど、今年は、まだ、「こういうイメージのものになる!」というのがないので、いかにも気勢が上がらないところである。
論文のことをあれやこれや考えながらふらふらと散歩をしているようになると、楽しいのだけれど。


 


2月28日。夜中に油揚げとキャベツをさっと煮てウォッカの当てにする。

月末である。原稿がまだできていない。〆切りですが原稿の方はできていますか?いやーええと、鋭意努力中です。どうするんですか?がんばりますから。大丈夫なんでしょうか?まかせてください。というようなやりとりを戦わせつつあるわけなのだが、なにせ抱えている原稿は研究室紀要に載せるもので、ということは、原稿催促担当者というのが誰あろう、そもそも自分で、催促されるほうも、何の因果であろうか、自分なので、ようするに上記やりとりが繰り広げられているのはすべて自分のおなかの中でなのである。いま現在は、〆切りと原稿の具合からして、執筆者の方の言い分にやや余計めに力が籠もっている。だからといって、原稿催促担当者の方が言い負かされてしまうと、それも困るので、弱った話なのである。
しかたないのでもう寝てしまうことにしようと決断して、寝酒用に買ってあるウォッカをお湯割りにして飲むことにする。冷蔵庫の残り物を当てにしていたけれど、1杯目が終わって2杯目を飲もうということにして、そうしたら当てがなくなってしまったんでもう一度台所に立つことにする。それで、さいきん気に入って作っては食べている、油揚げの刻んだのをさっと煮たのを作ることにする。さっと煮るだけなんですぐ出来るんで、今晩は、白ねぎと、あとキャベツの余ってたのを適当な大きさに刻んで一緒に入れた。なんだか淡い味でしみじみとおいしいのである。東海林さだおに、キャベツと油揚げのおみそしるの残って冷めたのを昼下がりに台所で立ち飲みするみたいな文章があったようなきがして、適当に読み返したりする。
それで、お湯割りの薄いウォッカを2杯飲んだら、若干きもちがよくなってきて、これはインターネットで全世界に情報発信しなくてはならないという発想がわいてきて、こうやって書いているのだけれど、なんか机のパソコンに向かって書いているうちに徐々に醒めてきたのも事実ではあるのだ。


 


3月12日。ねかす。

原稿を印刷会社の方にわたして、ほっと一安心。今年もぶじに研究室紀要が出せそうだ。
で、とりあえずもう改稿はないので、自分の書いた論文だけとりあえずアップ。

「生涯教育ゲームの分析枠組/分析可能性」『天理大学生涯教育研究』no.9.pp.30-49.天理大学人間学部人間関係学科生涯教育専攻研究室(2005/3/22)



今回のものは、去年のと姉妹編みたいなもので、同じとき(一昨年ですね)に思いついた一連のアイディアの中から文章化したもの。去年のを書いた時に、勢いでこっちも文章化しようかな、と思ったこともあったのだが、結局、一年間ほうっておいて、今回、かたちにした。ほんとうは、もう少しねかしとこうかな、となかば思っていたのだが、研究会で秋葉さんたちの発表を聞き、がぜん刺激されて、やっぱり今年まとめた、ってのもある。
アイディアとしては一昨年からあったのだし、去年まとめる可能性もあったわけなのだけれど、ねかしていて、ひょっとしたらあと何年かねかしていたかもしれない。だいたいいつもそんな感じなのだけれど、じゃあ、ねかしとくとよくなるのか、というと、よくわからない。べつに、数年間推敲を重ねているというわけでもなく、たんにぼんやりとこんなアイディアがあるなあと思っているだけで、まとめるときはかなり書き散らしで書いてしまう(それが比較的許される媒体で書いているわけで)ので、べつに時間がかかっているから完成度が高いというわけでもない。ねかしているうちに、タイミングを失ったりテーマが古くなったり他の人が近いテーマで書いてるのを見つけてしまって書きにくくなってしまったりということも、けっこうある。
しかし、さしあたり、たとえば今回書いたものには、一昨年に思いついたアイディアと同様に、この一年で読んだ本とか、研究会とかでひとの発表に接したり議論したりとか、そういうのがもろに反映されている。もし去年書いていたら、それは盛り込まれていなくて、たぶんまた別のことが盛り込まれていただろうし、もし来年まで寝かしていたら、今年のとはまた別の、来年のノリで形になっていくのだろうと思う。そういうのがいいのかどうかはよくわからないけれど。しかし、まぁ、書いていて自分が面白いのがいちばんだなぁ、どうせ自分がいちばん熱心に読むんだし、あとになって読み返して自分で再発見があるのもそういう書き方をしたときなわけだし、と、まぁ退廃的なことを思ったりもする。研究室紀要というのが、ちょうどそういう書き方にぴったしで、けっこう気に入っている。


 


3月25日。卒業式がおわって

しょんぼりしている。4年間、担任だったクラスを送り出して、きょだつ状態である。あーあ。

最新の論文をもう少し宣伝しておく。
「生涯教育ゲームの分析枠組/分析可能性」『天理大学生涯教育研究』no.9.pp.30-49.天理大学人間学部人間関係学科生涯教育専攻研究室(2005/3/22)

あと、さいごの校正がおわったのでたぶんこのまま予定通り4月なかばに書店に並ぶんじゃないかなという本の宣伝も。
浅川千尋・千原雅代・石飛和彦『家族とこころ ― ジェンダーの視点から』世界思想社(近刊) これは、それぞれ法学・臨床心理学・社会学を専門とする3人が、「家族とこころ」というテーマで、それぞれの視点から書いたもの。
全体が三部構成になってて、私は第三部、社会学的な視点からみるところを担当しました。


 


4月3日。新年度がはじまった。

3回目の担任クラスになる新入生が入ってきた。
昨年秋以来の入試の合格者のぐあいをみながら、おやおや、こんどのクラスは無闇に男が多くなりそうだ、と思っていたのだが、最終的には23人中、男子17人女子6人、という男女比になった。いままでの二度の担任クラスはいずれも、男女比が1:2で女子のが多かったのでやさしい雰囲気だったのだが、むむっ?これは今度のクラスはむさっくるしくなるかな?と思っていたのだが、入学式で実際に教室に集まって顔を見てみたら、さほどむさっくるしい印象でもなかった。むしろ、例年よりやさしそうな文系クンが多そうな気もしたけれど、まあ、人間関係学科生涯教育専攻、などというところに入ろうなどというのは、男の子のうちでもちょっと変わった文系クンになってくるものなのかもしれない。まぁしかし、入学式のときはスーツだし緊張してるし、これからカジュアルな普段着でリラックスしてきたら、ちゃんとむさっくるしくなってくるかもしれないけど。
これからどんな4年間になるだろうか?

最新の論文をもう少し宣伝しておく。
「生涯教育ゲームの分析枠組/分析可能性」『天理大学生涯教育研究』no.9.pp.30-49.天理大学人間学部人間関係学科生涯教育専攻研究室(2005/3/22)

あと、さいごの校正がおわったのでたぶんこのまま予定通り4月なかばに書店に並ぶんじゃないかなという本の宣伝をもう少し。
浅川千尋・千原雅代・石飛和彦『家族とこころ ― ジェンダーの視点から』世界思想社(近刊) これは、それぞれ法学・臨床心理学・社会学を専門とする3人が、「家族とこころ」というテーマで、それぞれの視点から書いたもの。
全体が三部構成になってて、私は第三部、社会学的な視点からみるところを担当しました。


 


4月15日。授業も一巡した。一週間のペースはこういうかんじなのか。

木曜日に、1時限目から5時限目まで、ゼミ・講義・オフィスアワー・ゼミ・ゼミ、というフルコースがある。すげえな。まぁもっとも、いまのところ、オフィスアワーに学生さんが相談に訪ねてくるということはあまりないので、そこでひと息ついてはいるのだけれど。

のどがいたいのは、授業でいきなり変な喉の使い方をしたのと、あとは季節の変わり目で風邪が入ったのだろう。風邪の効用。風邪は経過させることで、あたかも蛇が脱皮するように新鮮な体になること。野口整体を実践しているわけではないけれど、風邪を引きかけるたびに自分に言い聞かせることは、すっかり習慣になった。

先週末は、研究会。↓下記論文を持っていって発表した。ゴフマンのゲーム論と対比させることでガーフィンケルのゲーム論の視点を提示する、みたいなはなしなのだが、今にして思えば、取り上げたゲームが思いのほかゴフマン的なモチーフを色濃く含みすぎていて、ゴフマン的な分析の方がやっててもけっこうおもしろくなってしまいすぎてガーフィンケルが割を食った、みたいなところはあるかも。まあいいけど。
論文の中の、ちょっとした仕掛け、というか遊び、というか、照れというか、びみょうな書き方をしている部分について、秋葉さんが敏感にというのかクリティカルにというのか、反応してくれて、おもしろかった。書き方を工夫したというか、ごまかしたというか、そういうところだったので。

研究会の席上でも話題になった − というか自分が話題にしたのだけれど − ことで、じつはこのまえからずっと(というか、以前からつねにずっと)考えているのが、自分がどういうトレーニングを受けてきたのか、ということで、とくに先日、師匠のひとり、竹内先生が京大を退官されたりして、そのあたりのことはずっと考えている。自分が入学したのはたしか竹内先生の着任と同時で、柴野先生が退官されたのが自分がオーバードクターのときなので、自分はちょうど、柴野=竹内体制の中でトレーニングを受けた、ということになる。自分は、まぁ不肖の、といういうしかないような者であるのだけれど、それでもやはり今こんなことをやっている自分は、あの研究室で形成されたんである。じっさい、両先生をがっかりさせてばかりの不肖の弟子ではあるのだけれど。
先日、所要で某先輩に電話をかけたときに、そういう話がでて、ついつい盛り上がってながばなしになった。でもそういう話はよそにはやはりわからないだろう。多少なりとも文章化してここに書こうかともおもったのだけれど、やはりうまくいかないと思う。
たとえば、ゲームについて書いた論文の中に、両師匠のどんな影響を読み取れるのだろうか? というと、他から見ればたんに出来損ないの不肖の弟子のやってること、ということであって、それはそのとおりなんで、これはもう、まったく自分自身にしかわからないことなのかもしれない。

閑話休題。
ゲームについては、生涯教育専攻の学生さんたちのなかには、とても詳しい人がたくさんいて、私はむしろ彼らを見ながら論文を書いている感じ。
で、そういう学生のひとりが昼休みに研究室にきて、インターネット上にある、ゲームについていろいろまとめてあるサイトを教えてくれて、ついでみたいに、論文をほめてくれた。「今回のはなかなか視点が面白かったですよ」とか。言い方が上から目線でにくったらしいのはさておき、まぁ合格点をもらえたのであればやはりうれしい。

その論文、もう少し宣伝しておく。
「生涯教育ゲームの分析枠組/分析可能性」『天理大学生涯教育研究』no.9.pp.30-49.天理大学人間学部人間関係学科生涯教育専攻研究室(2005/3/22)

本の宣伝。週明けにできるそうで、下旬に本屋さんに並ぶのかな?
浅川千尋・千原雅代・石飛和彦『家族とこころ ― ジェンダーの視点から』世界思想社 これは、それぞれ法学・臨床心理学・社会学を専門とする3人が、「家族とこころ」というテーマで、それぞれの視点から書いたもの。
全体が三部構成になってて、私は第三部、社会学的な視点からみるところを担当しました。


 


4月29日。連休。

ああー、と倒れこむみたいに連休に突入。4月はあれこれしんどかった。でも、すごくうまいぐあいにすべりだせたのではないかな。新しく入ってきた1回生もいい子たちでおもしろい。4年間が楽しみである。新しい研究会もいくつか動き出し、それから共著で参加した本↓が出て、とてもめでたい。いやはやごくろうさま。連休は決然たる意志を持ってのんびりとすごそう。

なわけで本の宣伝。
浅川千尋・千原雅代・石飛和彦『家族とこころ ― ジェンダーの視点から』世界思想社 2005年4月30日

判型 四六版 頁数 181 本体価格 \1,800
ISBN 4-7907-1126-9
(出版社のサイトから引用したキャプション)
いま、「家族」には何が起こっているのか。近代から現代へと連なる社会構造的な問題と、人間のこころ・意識とを媒介するジェンダーの視点を中心に据えつつ、法学・臨床心理学、社会学の三方面から、家族を巡る社会現象を考察・分析する。

これは、それぞれ法学・臨床心理学・社会学を専門とする3人が、「家族とこころ」というテーマで、それぞれの視点から書いたもの。
全体が三部構成になってて、私は第三部、社会学的な視点からみるところを担当しました。出来上がった本をあらためて読み直してみたら、あらためて組み合わせの妙、というか、けっこう自分的におもしろくなってると思う。専門の異なる3つの視点から書く、ということだったので、社会学の視点からのパートは、ほかの視点との違いを際立たせるかんじに書いたつもり。とくに臨床心理学の出発点となった精神分析学は、社会学とほとんど双子のように似たアイディアから出来上がっていると思うし、100年前の同世代のフロイトとデュルケームを対比して考えたらとてもおもしろいと思う。で、今回のテキストではそういう理論みたいなことをやったわけではなくて家族論、なのだけれど、たぶん臨床心理学のパートと社会学のパートを読み比べると、立ち位置の違い、というのがはっきりするんじゃないか、と思う。本という形で通読して、法学の浅川先生の書きはった「はじめに」から臨床心理学の千原先生の書きはった「あとがき」まであわせて読むと、そのへんがかなりクリアになってておもしろい。
短い紙幅のなかで、エスノメソドロジーからアリエス、ブルデュー、ドンズロや、描画療法カウンセリングやSSM調査やメディア分析やジェンダーフリー論争なんかに言及して、ちょっとぎゅうぎゅうづめ気味ではあるのだけれど、まぁ、授業から生まれた本ではあるし、『家族とこころ』という完全アウエーみたいな枠組のなかでとりあえず社会学の立ち位置を提示することを目標にしたんで、まぁ授業でてきとうにふくらましたりすっとばしたりしながら使えばいいか、という感じ。
まっそういうわけで一家に一冊、と軽く広告宣伝。


 


5月11日。ことしの連休は決然たる意志を持ってのんびりとすごした。

ここ数年、帰省といえばお正月、だったので、気がつけは、実家の市街をぶらぶらと散歩したのは、なんとなく10年ぶりぐらいじゃないかしらん、と思う。お天気にもめぐまれて、中学や高校のときに通った通学路を歩いた。さすがにそれからは20年たっているので、市街地のありさまはかなり様変わりしてしまっているのだけれど、あんがい通学路のまわりそのものは、変わってなかったりして、むかしの同級生の家などがまだひっこさずにいるのを確かめたりしながら歩いた。なんとなく、とくになつかしいという感慨もなかったのだけれど、20年前に新築で「きれいな家が建ったなぁ」と思いながら毎日前を通っていた家が、築20年あまりになっていたのには虚を突かれた。
あと、れいによって本屋をまわっていたのだけれど、以前、市街地の中心街で市内一だった書店が、3階まであったフロアを縮小して、1階だけになっていたのはショックだった。お手洗いを借りる振りをして2階に上がると、薄暗い倉庫になっていて、社員のおじさんが「何ですか?」ときいてきたので、「あー、トイレを」とかいいながら「ここ2階なくなったんですかあ」と聞くと、「ええ、そうですねえ」と答え、どこそこに店を出したんで、というのだけれど、ようするに、郊外型のブックセンターになってしまった、ということで、たぶん専門書とかを丁寧に品揃えしたりはしてないだろうなあと思う。「へぇ、そうなんですかぁ、じゃあ、そちらに移しはったんですねえ、なるほど」「ええ」みたいなことをいいつつ、淋しくなる。
別の老舗書店もおなじく2階の専門書フロアをなくしていて、どうも実家周辺の書店事情はよろしくないなあという印象を持った。でもまあ、しかたないかなあ。地元国立大近辺に新しく出来た − と10年前に感じた郊外型書店もいまや相応に古びていたのだけれど、書棚を見ると、おいおい、ここの学生さんは専門書を読まないのか、と思いもしたのだが、まぁ、それはどこの大学でも同じことでもあるわけだが、おかげで、京都ではなぜかどこでも見当たらなかった金井美恵子『噂の娘』の文庫版が(まだ)売れていて、もちろん購入。単行本でも持っているのだけれど、開いて汚れるのがもったいないので。あと、著者インタビューというのもついてたし。でもまだよまないけど。

実家では、持っていった新書本を2冊と、実家にあった、中学生の頃読んでいた星新一と、高校生の頃か、姉の本棚から借りてきて読んでいた佐藤愛子のエッセイなんかも読んだのだけれど、なによりまず、のんびりとした連休に実家で読むのにぴったりということで持っていった金井美恵子の『彼女(たち)について私が知っている事柄』を、再読した。そうそう、この小説は『小春日和』というのの続編なのだけれど、『小春日和』は、学生の頃に金井美恵子を読みはじめたころに、いまや2階が薄暗い倉庫になっているあの書店でみつけて実家で寝ころんで読んでいたもので、その続編、登場人物の「その後」を、読んでいる自分も「その後」ってかんじで、実家近辺のまちなみや書店も「その後」、あれやこれやぜんぶ「その後」、ってかんじで、月日は「あっ!」というまに流れているのだということを、陳腐にも考えてしまうのだった。

そういうわけで、今回の帰省では、かなりじゅうぶんにのんびりとすごすごとができた。いよいよ京都にもどるというとき、連休おわりの帰省ラッシュで汽車が混んで指定席がとれなかったりして、うわー、と思ったのだけれど、自由席の椅子とりゲームでうまく椅子を確保できてしまったりして、また、新幹線に乗り換えたらやはり自由席で、大阪から京都までのあいだだけ座れて、隣の席がほろ酔い気分の話し好きそうなおじさんで、なんとかなんとかでさー、とかいっている見るからに東京人って感じの人で、たのしく喋りながら京都まで過ごしたりして、とにかく、最後までいい感じの連休であったのだ。
よかった。

そのあとはというと、学生の実習のオリエンテーションがあったり、でた↓本の出版打ち上げ(たのしかったです)があったりして、急にあわただしくなっている。ずっとなおらない咳が、風邪になりかけたりして、それでも油断してお惣菜のとんかつなど買ってきてビールなど飲んでうたた寝などしていたらお腹まで壊して青くなったりもしているのだけれど、それもまぁ、読んだばかりの『彼女(たち)について私が知っている事柄』へのオマージュだと思うことにしよう


 


5月16日。「臨床」から遠く離れて。

このところいくつかのきっかけがあって、「臨床」ということと自分のスタンスの違いみたいなことについて考えることがある。
辞書で「臨床」とひくと、「病の床に臨むこと」みたいな意味です、ということになっていて、まあそういうふうにいわれるのだけれど、それはなんなのか、と。その「”臨在性”の形而上学」みたいなのを、いわゆるその、脱構築、するというのがあっていいじゃないか、とか。以前、学会の課題研究で報告したときに、『ヴェトナムから遠く離れて』の中でゴダールがぼやいている言葉を引用したことがある。ヴェトナムで戦争が起こっている最中に、ゴダールは現地での撮影許可がおりなかったわけで、フランス国内で、ヴェトナムから遠く離れてぼやいている自分をカメラの被写体にするわけで、しかし、ということは、ヴェトナムに乗り込むことと乗り込まないことそのものが、あらかじめ分割されているわけで、それを分割しているものこそが政治なわけで戦争なわけなので、まんまとヴェトナムに乗り込んで「現場」に立ち会うことそのものが、「現場」に立ち会わないことと表裏一体の、あらかじめの政治/戦争の結果、だということを、みとかないといけないというわけなのだ。

前にもここに書いたし、このまえ授業でもまた喋ったのだけれど、コインを放り投げて表が出るか裏が出るかは2分の1の確率、しかし実際には、2回とか10回とか100回とか投げても、きっちり表が1回とか5回とか50回とか出る、ということにはならない。そして、しかし、きもちわるいことに、コインを投げる回数を増やしていけばいくほど、たぶん、2分の1というイデアルな数値が徐々により鮮明に現実の中に浮かび上がってくる − たぶん。
すると、このイデアルなものは、具体的な現実の中にどのようなやりかたで介入しているのか? これがきもちわるくてしかたない。
デュルケームの『自殺論』のきもちわるさというのもそれに一脈通じるわけで、個々の自殺者の自殺を超えて、社会的な「自殺率」が現実の中に浮かび上がっている。これはしかしなんなのか。
下↓の本で、臨床心理学と社会学のパートの議論が対比的になるのも、その点にかかわっている。そこで個々のケースの「現場」にあくまで立ち会っていこうとするのが「臨床」という態度だとすれば、自分は、個別であるはずの具体的現実がそのじつ、あらかじめイデアルな/社会的な/構造的等々なものによって介入され貫かれた結果なのだ、ということに関心を奪われっぱなしでいるわけである。

しかし、イデアル等々なものが具体的現実に介入している「現場」というと、どこにあるのだろうか?じっさいのところ、どこに立ち会えば「臨床的」になれるのか、というのを、べつに反語とかそういうことでなく、考えている。
たとえばいまげんざい、心理学に限らず、教育学でも社会学でも哲学でも、「臨床」という語を冠するのがはやっているわけである。それらは、それぞれに論者ごとに色々な考え方があるわけで、一括してどうこうということもいえなそうでもあるのだが、しかし、これまたそれこそ社会学的にいって、これは個々の論者の思惑を超えて、流行だといえる。それで、そりゃあんまりだろう、という考え方をしたくなるわけなのだが − 

2年ほど前にここでもその様子を書いた関西教育社会学研究会で、「臨床」ということも話題になり、そのあとそれをうけて、自分たちのやっている「エスノメソドロジーとコミュニケーション研究会」のほうでも、「臨床」ということばについて(流行してるよね、ということもふくめ)ML上とかでやりとりをしたりもした。
で、流行みたいなことで「臨床」という言葉や態度をインフレみたいにしてもいかん的なことまでは、共通認識になって、そこからさき、たとえば私は、「臨床」という言葉は使いたくない、というほうに行きたいと言い、それから、たとえば関西教育社会学研究会の発表者でもあったあきばさんは、たしか、自分は敢えて「臨床」という言葉を使って行く、と言うてはって、それもまた共感できるところもあり、なにせ悪貨が良貨を駆逐しかねないのなら、最良の意味において「臨床」というものを提起し続けていくこともまた、研究者の責任であるということも、じゅうぶんにわかるのである。
でもやっぱし私は自分自身では、「臨床」から遠く離れるのだとおもう。ていうか、さっきも書いたけど、どこに立ち会えば「臨床的」になり、どこにいれば「臨床から遠く離れる」ことになるのか。たとえば、「臨床から遠く離れる」ためには「臨床」にもっとも近づかないといけない、ということもあるかもしれんとかも思う。そのへんにずっとこだわっているのにちがいはない(私じしん、臨床心理とか精神分析とか読むの大好きだしすごく勉強にもなると思っている。臨床心理をやっている若い人には、ぜひ社会学も読んでみてねと薦めてもいるけれど、同時に、社会学をやっている若い人には臨床心理や精神分析を読めと薦めている)のだけれど、結局のところ、最後には自分は「臨床」からは離れるんやないかとおもう。これは体質みたいなもんやと思う。

なんだかよくわかんなくなりましたね。


 


5月27日。喋っているのは「エス」であり「社会」なのだということを気軽に実感する小ねたを思いついた。

深夜にやっている『マシューズベストヒットTV』の、「なまり亭」という企画を楽しく見ていて、そうそう、と思った。使えるかもしれない小ねた。
で、「なまり亭」というのはどういう企画かというと、地方出身のタレントがゲストで来て、郷土料理をたべたり郷土話なんかをしたりして、方言で挨拶とかさせたりしておいてから、「方言禁止タイム」に突入。方言で書かれた文章を標準語に同時通訳させたり、地元の友人や家族に電話をさせたりする。そうすると、おもしろいように標準語が言えなくなって、なまりに引きずられてしまい、方言で喋ってしまう、というしくみ。
こういうのは、まぁ、誰でもそういう経験はあるわけで、TVを見ながら、ある、ある、と、みにつまされつつ笑ってしまうわけなのだが、考えてみれば、こういう、方言と標準語の「コード・チェンジ」みたいのは、不思議な感覚をともなっている。「自分」が喋っているはずなのに、「相手」に引きずられるような感覚、というか、「相手」の臨在に向けて、聴き取られるべき言葉が、「自分」を「通じ」て「どこか」から出てくる、という感覚、があると思う。だから、「自分」ではコントロールできない(だけど、それじたいとしては「方言」として正確にコントロールされた)喋りが出てくるわけで、それを喋っているのは、「エス」としか呼びようのない何者か、なのだ、という実感があると思う。
おなじようなことを考えると、たとえば、同郷ではない人に「なにか方言で喋ってみてくれ」と言われたときにグッとつまる感じ、というのもおなじことだと思うし、それは、外国語のレッスンなんかで、「さあ、英会話をしましょう」みたいなことをやっても言葉がしっくり出てこないし入ってこない、ということでもおなじだと思うし、ふだんの日常の中でも・会議とか・授業のときなんか自分も学生さんもそうだというのでも、同じようなことがあって、場違いなところで発言にグッと声がつまる感じが一方であり、他方、うまくいくと、たあいないことでも夢のようにスムーズに喋れるという感じになることもある。
たとえば、学校の講義なんかで、教壇の上から喋ることは、とても不自然なことで、10年やっているいまでも苦手なのだけれど、あれはあれで、教室空間というのは、90分間という長い時間、一方的にべらべらとわかったようなわからんような内容を教師が演説するという奇怪なコミュニケーション?のために組織されたセッティングになっているわけで、学生さんたちが前向きに固定されて並んで座っている前で教壇から喋るという空間配置は、「聴き手」がホントに聴いてようが聴いてまいが、聴いていることにしちゃってる、という仕掛けになっている。そこんところをひとつぐっと呑み込んでしまいさえすれば、あとは、教壇の上から喋ることはきっととてもスムーズに行くことなんだろう。学校というのは、そういうふうに社会的にアレンジされた空間ということなんだろう、とか。
同じように、会議机の円卓とか、薄暗い喫茶店とか、電車車内とか、精神分析の寝椅子とか、電波の悪い携帯電話とか、何秒入るかわからない留守電メッセージとか、学生さんの自宅電話で本人を呼び出してもらうときとか、そしたら本人と母親と声がそっくりなんでため口で喋ってしまってしまった!!と思うときとか、さまざまな空間やさまざまなメディアが(あるいは、空間=メディア、というべきなのだけれど)それぞれのやりかたで、適切にないしトラブルサムなやりかたで、コミュニケーションを社会的にアレンジしているわけで・・・。
とかなんとかいろいろ思い巡らしていると、喋っているのは「エス」なのだ、それをふだんは「自分」がコントロールしているように思っているし、しばしば、そう思いこめるように状況も社会的にアレンジされているから気がつかないのだけれど、ちょっとしたきっかけで「エス」の喋りは「自分」のコントロール下から離れてしまう、ということが、リアルに直感的にわかる小ねたになるのではないだろうか。

自分が「研究」している(とほんとにいえるとしてその)ことを、自分の仲間内以外の人たちや学生さんたちに伝えるには、このての小ねたがあると便利だ。自分が惹かれていることを、直感的に、相手に伝えるにはどうすればいいか、みたいなことを考えることが、最近、あるのだ。


 


6月13日。懸案のしごとがひとつおわった。おつかれさま。

この半年ほどの懸案だった、公開講座の講師のしごとが、金曜にようやくおわった。伝えたいことが伝わったか、面白がってもらったのか、というと、うーむ、なのだけれど、しかし、なるほどこういう雰囲気なのか、ということがわかって、自分のなかで修正可能だなあという感覚があるので、自分的には、うまくいったのでは、と思う。

奈良県社会教育センターの奈良県生涯学習カレッジというプログラムの中の、奈良県大学連合「なら講座」というののひとコマで、90分間の講演をさせていただいたわけである。
タイトルは、「教育のことばの社会学」ということで、自分のやっているような専門分野のおもしろそうなことを見繕ってしゃべれるようにしたつもりだったのだけれど、反省点としては、ちょっと内容を盛り込もうとしすぎた、というのが第一やろう。あとは、客層がもう少し老若男女ばらけるとおもっていたのだけれどそうでもなかったということかしらん。
春先からずっと咳が続いていて、講座のときに咳き込んで喋れなかったらどうしよう、とずっと思っていたのだが、なかなかすっきりおさまらなくて、ついに当日まで咳が残っていたのだが、会場に入る直前に咳止めを飲んでいったら、だいたいスムーズに喋れた。これはオッケーな要素。

ともあれ、懸案のしごとがひとつおわった。おつかれさま。
土曜は一日じゅうぐだぐだと過ごして、日曜も洗濯して碁を見て本を一冊読んだぐらいであとはぐだぐだと過ごしていたのだから、よほど緊張して疲れていたのだろう。これでひとつ解決である。

じつはその前に、火曜日に、学内で立ち上がった言語系の研究会の第一回もやった。これは、自分がいいだしっぺではなくて、いわば共犯者、というぐらいの立場なのだが、発表はトップバッターだった。まぁ、第一回ということで、まずなんでもいいから、やることが値打ち、という言い訳を自分にしつつ発表したら、うまいこと議論で盛り上げていただいて、まずは成功だった。この研究会もうまくいけばいい。たのしみである。


 


6月27日。雨が降らないと6月って気がしない。

6月というと、祝祭日もないし行事もなくて、春学期の授業ということでいうといちばんみっちりやる月なのだけれど、今年の私のスケジュール的にいうと、リレー式の講義を5月いっぱいで次の先生に交代して解放されて授業コマが6月のほうが一個少なくなったのにくわえ、5月には学部のシンポジウム、研究室のソフトボール大会、研究室の合宿、というぐあいに行事もタフなのがめじろおしでくたくただったのが、6月にはほぼ解放され、公開講座の講師というのがプレッシャーだったのもまず無事に終わってしまい、それとともに咳もおさまって、ずいぶん身軽になったかんじだったのだ。

で、なにをやっていたかというと、龍谷大学秋葉ゼミの見学にうかがったりした。刺激になった。
研究会ではいつもごいっしょしながら、申し合わせたわけでもなくふしぎと同時期に、秋葉さんは演劇的手法に、私はゲームに興味を持ち始めて、もう3年めぐらいになるのかしらん。それぞれ、授業で学生さんとあれこれやったりビデオを撮ったりと、いろいろなことをやってるということも似ていたのだけれど、このたび、ようやく秋葉ゼミを見学にうかがうことができた。で、かなーり本格的な感じで、びっくりしたやら刺激を受けたやら、だっのだ。

じつはその二日前に、通勤電車のなかで目の前に秋葉さんが座ってはって、びっくりして声をかける、ということがあった。どうやらその日は、奈良のある高校にミニ授業をしに行くところだったということで、奈良方面の電車に乗ったら私が通勤していた、ということのようだ。うちの学生にもそこの高校の卒業生がいたりするので、「学生取らないでくださいよう!ウチにくるんやから!」とか言ってたのだけれど、まあそれはそれとして、そのミニ授業も、演劇的手法を導入したものだったようで、おもしろそうだった(あとで聞いたら、受けたそうだ)。そのときも、乗換駅までゆっくりあれこれ話をすることができて収穫だった。それにしても偶然というのはあるものだ。

あと、ちょっと気持ちに余裕ができて、長めの小説でも読めるかな、という気分になって、懸案だった高橋源一郎『日本文学盛衰史』『官能小説家』を読んだというのは、かなりの収穫だった。(そうそう、本を読んだ感想をここにあまり書かなくなったのは、weblogのほうにそのつどとりあえずのものを書いてしまうから、というのがあるなあ。あっちに書くのとこっちに書くのは、ほんとは、書くときのノリが違って、こっちの方があっちより落ち着いてじっくり書けるので、ほんとはこっちで何か書いたらいいなあと思うような本もあるのだけれど、あっちでとりあえず書いてしまうと、それで満足してしまう、というところがある)

きのうはE&C研究会。エスノメソドロジーの話をふつうにできる、こころのオアシスである。きのうは、D論を準備中の院生のかたの発表で、CMCをEIAの立場から分析する、そのさいHCI部分のデータに注目する、みたいな話だった。ついつい自分の方に引き寄せて考えたりディスカッションしたりしてしまいつつ、同じエスノメソドロジーでも参加者のスタンスがちょっとずつ違うところがでてきたりしてとてもおもしろい。オアシスだなあ。

で、もう6月も終わり。雨降らなくて感じが出ないまま。やはりこう暑いと、もう夏ってことにしちゃうほうが割り切れていい。