更 新 メ モ 過 去 ロ グ

最終更新箇所へ / 表紙へ戻る

アーカイヴ (2002/8-12) / (2003/1-6) / (2003/7-12) / (2004/1-6) / (2004/7-12) / (2005/1-6) / (2005/7-12) / (2006/1-6) / (2006/7-12) / (2007/1-6) / (2007/7-12) / (2008/1-6) / (2008/7-12) / (2009/1-6) / (2009/7-12) / (2010/1-6) / (2010/7-12) / (2011/1-6) / (2011/7-12) / (2012/1-6) / (2012/7-12) / (2013/1-6) / (2013/7-12) / (2014/1-6) / (2014/7-12) / (2015/1-6) / (2015/7-12) / (2016/1-6) / (2016/7-12) / (2017/1-6) / (2017/7-12) / (2018/1-6) / (2018/7-12) / (2019/1-6) / (2019/7-12) / (2020/1-6) / (2020/7-12) / (2021/1-6) / (2021/7-12) / (2022/1-6) / (2022/7-12) / (2023/1-6) / (2023/7-12) / (2024/1-6) / (2024/7-12)











 


1月31日。このところなにをしていたのか。

年が明けたかと思ったらあっといういまに1月がおわる。なかなかたいへんだったのは、例年の某共通なかんじのテストの業務があったりさる学外の会議があったりで緊張感があったこともだし、年明けの提出物やらあれやこれやで事務的な仕事をほうぼうにご迷惑をかけながらやったこともだし、なんか気持ち的にたいへんだなあと思いながらだったわけである。お正月休みが明けてから秋学期の授業が1、2週だけ中途半端に残ったこの時期、昔はずいぶんのんびりというか、宙吊りみたいな心持ちで過ごしていたような気もするのだけれど、どうもそのようにはならないご時世のようである。もっともこの大変さの半分以上は、自分が去年のうちにやってしまうべき仕事が遅かったり冬休みの宿題ができてなかったりしたせいなので、まぁご時世のせいにしてはよろしくないですね。さいわいにもお天気はずっとよろしい。気が付けばもうすぐ節分である。ことしの節分は2月2日なのでお間違いのないように、とスーパーに大書してあるけれど、たしかにスーパーとしては恵方巻を買ってもらうタイミングがブレるととても困るだろうから念押しは必要だなあと妙に納得する。

年末年始は10日ぐらい帰省してのんびり過ごした。実家で去年暮れに新調したテレビの接続かなにかのもんだいで録画した番組が見られないのをなんとかする、とか、買い替えた電話機の設定をどうのこうのする、とか、そのての家電周りのことをやって大いに感謝されようという魂胆があり、まぁだいたいうまくいった。それであとはずっとこたつにはまって録画されたままたまっていたドラマとか劇的ビフォーアフターとかポツンと一軒家とか俳句番組とかを見てはなんか喋るみたいなことでたいそう生き返る心地になったものだ。年末にはチキンを焼いたり(まずはうまくできたけれど食べるほうが大変だった)、年明けには鯛とかぶりとか出てきて、それで毎日乾杯、たいへんにありがたい暮しをさせてもらって、よい帰省ができた。それで休みが明けたらやはり阿鼻叫喚の巷に舞い戻る(それで上記の通りの1月を過ごしたというわけである、まぁメリハリは大事というかなんというかですね)。

下宿のリビングのテレビを年末に買い替えて、それがチューナーレスのテレビなのでwifiでYouTubeやAmazonPrimeがすぐ見れるようになり、それで映画とかYouTube動画を見ている。PCよりは画面が大きい。YouTubeにかんしては検索性が悪いのでそれなりにしか見ていないけれど、しかし逆に、自分からは見ないようなものがおすすめで出てきてついつい見るようなことも出てきて(ふだんPCではYouTubeの履歴は設定で切ってるのでアルゴリズムによるおすすめは出てこないし、動画が終わると次のおすすめが自動的に始まるのも切ってるからおすすめを次々にというかんじにはなりにくい)、なるほどこれだとYouTubeのアルゴリズムでどんどん動画を見せられるというのはわかるなあと。お茶の間でぱちぱちと動画を見ているうちに気が付いたら陰謀論の動画ばかり次々と見せられておかしくなってしまう人が出てくるしくみはこれかぁ、と勉強になる。
ともあれ自分的にはAmazonPrimeで映画を見るハードルがぐっと低くなったのが大きい。リビングのテレビにつないでるレコーダーのブルーレイ機能が壊れてることもあり、このところはAmazonPrimeで見ることが増えた。これまたアルゴリズムでおすすめが出てくるけれど、まぁ映画であれば陰謀論にはまることもなかろう。意外にもおやっというような古い映画がサブスクで見放題なのはやばい気はする(YouTubeでも著作権切れの作品が見れたりするし、いったいどうなっているのか)。

たいへんおくればせながらWorkflowyというのを触ってみている。Webブラウザベースのアウトラインプロセッサってことだと思う。この時期、やはり論文を書きたいなあということで、こういうのにも手を出してみようかなと。
で、自分は昔からずっと、論文を書くときに、ボトムアップで、つまりKJ法みたいに紙切れに断片を書き溜めていってそれを床にばらまいて構成を作ってからPCに向かう(あるいはもう一段階、スケッチブックか何かに鉛筆で殴り書きをする段階をはさんでからPCで文章化する)、というのをやっている(『ベッカー先生の論文教室』で進めてるのがたぶんそういうやり方)。で、世の中の論文の書き方には、逆にトップダウンで、つまり「章立てから書いていく」やりかたがあるというのは知っているし、そっちのがメジャーだろうなあというのもまぁ認識はしている。でもって、トップダウンで書くのであればアウトラインプロセッサというのは有効だな、というのも知っていて、まぁ昔「あうとら」というフリーソフトがあってこれはデザインがかわいいのもあってPCに入れたりもしてる。のだけれど、自分的にはかたくなにボトムアップで、卒論指導でもトップダウンとボトムアップがあるけど(けっきょく書く本人の好き好きだし無理強いはしないけれど)ボトムアップをおすすめしてきた。なので、けっこうまえに『アウトライナー実践入門』って本を読んだ(https://k-i-t.hatenablog.com/entry/20160728/p1)ときも、まぁねえというかんじだったわけである。なのだけれど、このまえ、自分が当時ブログに書いた感想をふと読み返していたら、その本には、トップダウンとかボトムアップとかいうのは紙で書いてるときの考え方であって、デジタルなら、バラバラに書いてからそれを階層化するようなボトムアップ的なやりかたをアウトラインプロセッサで簡単にできるよ、トップダウン/ボトムアップをあたりまえに行ったり来たりできるよ、と書いてて、ふむ、と思った。
で、その本でも言及されてたWorkflowy、おもいのほかよさげ。たしかに、ボトムアップのつもりでばあっと書きちらしているという気分で書けなくもない。たしかにアウトラインプロセッサに向かうとやはり章立て的に階層化したくなるけれど、まぁ考えてみれば紙切れに書く時だって早いうちから章立てに類するメモを作ったりもするので、まぁおんなじっちゃおんなじことである。ばあっと書く時の「書きちらし」の気分というのは大事なわけだけれど、PCの画面に向かいながらでも意外と書き散らしてる気分で書ける気がする。操作性もそこそこあるので、書いたメモをあっちにやったりこっちにやったり動かすというのもそこそこストレスなくできそう。しかも、これWebベースなので、クラウド上の文章にどこからでもアクセスできて、たとえば電車の中でなんとなく考えてて思いついたことをスマホからメモしたりできる。悪くない。困った。
まぁ、やってるうちにやはりちょっとしたことで感触が合わなければやっぱり使わなくなるかもしれないし、まぁ、飽きるかもしれないし、わからないけれど、第一印象的にはけっこう悪くないと思いながら触っているところ。

下宿の勉強部屋の机に置いているメインのPCを新調する。前のが2019年に買ったデスクトップのミニPC、手のひらサイズのものだったのだが、これがたぶん初期不良だったのかもだけれどいまいちシャキシャキ動かず、不便だなあと思いながら使っていた。でまぁ5年たったわけだし、まぁWin10機でもあるし、そろそろ買い替えても罰は当たらないかなあということで、ぐずぐずと物色して、注文したわけである。
このたびはノートPCにした。なんか、あまり凝ったことをするつもりもないのでデスクトップの中途半端なやつよりノートPCのほうがシンプルでいいかなあと。ノートPCにしては画面が大きめ、というのにすれば、リビングのノートPCとの使い分けもできやすいだろう。そういえばむかしむかし最初に買ったWindowsPCはノートだったわけだし、2代目もダイナブックで、あわせて15年ぐらいやってたわけだし、研究室のほうのメインマシンもノートだった時期もあるわけで、まぁ特段困ることもないのかなという見通し。
で、届いたのを少しいじってると、やっぱりPCを買うといつだって最初はしっくりこないわけで、しっくりこないというのはある。まぁ慣れていくことになるのだろうね。

帰省をすると実家でおいしいものをたべて、そこからなにかヒントを得て下宿での食生活が少しよくなる。ひょんなことでこのたびはセリがおいしいなということにあらためて気付いて、いままでスーパーで通り過ぎていたセリを買って食べたらやはりおいしい。で、またあるとき買って帰ってみたらなぜか三つ葉だったことに気付くがこれもやはりおいしい。牛でもかしわでもいい、やさしい味の卵とじのなにかをつくって三つ葉をたくさんいれる、とか、鯛を淡い出汁でさっと煮て三つ葉をたくさん、とか。そういうやさしげなものをするするっと食べて日々を暮らす。
 

 

 


3月1日。あっというまにもう三月 / 気分を変えてもう一度。 / 水炒め。

毎日みたいに天気がよくて、このまま春になるんだろうなあと思っていたらある朝、カーテンを開けると真っ白に雪がつもっている。この冬最大の寒波が来ますなどとテレビでいってたのもどうせ東京でちょっと雪が降りそうになると世界の一大事ぐらい大騒ぎするやつだろうぐらいに聞き流していたので、おやおや、このかんじはひさしぶりだな、とすこし感心したわけだけれど、しばらくしたら日に照らされた雪はすっかり消えてしまっていてまぁそんなもんである。2月は月初めからなかばぐらいまで、入試があったりレポート採点だとかシラバス作成だとかがごちゃごちゃあって、そこからようやく一息つくわけだけれど、今年はそれなりに観念して論文を書くべしというのと、あと短い原稿が月末〆切というのがあり、それが学内的な文書作成の〆切とも重なって、というわけで、まぁやっぱりさほど落ち着かないのだった。まぁこれでもずいぶんましになったほうで、2020-21年度は学部長が当たり、2022-23年度は学部長後の充て職とかでやはりそれなりに会議が多くあり、ようやく少し解放された2024年度なのであった(のかなぁ…自信がなくなってきつつあるけれど)。少なくとも、この時期に論文とか書くべしになっているのは何年ぶりかのような気がする。

さてしかし、論文を書くのに昔は、文豪生活と称して、映画を見たり散歩をしたりしながら昼夜逆転の暮らしになっていって、それで夜中にがーっと書いたり、散歩しながらなにかまとまってきたりとか、そんなのを、まぁ、してた。もうずいぶん昔の、いまとなっては夢のなかのできごとのような話であるね。まぁしかし今年はほんの少しだけそういう気分を思い出して、気分転換をうまくはさみながらなんとかやっているつもり ― なのだけれど、かんじんの論文がまだできていないのでえらそうなことは言えないですね。
ちなみに、そんなことを考えながら「気分を変えてもう一度」というフレーズを思い出したけれど、あれ?と思って検索してみたら、ブリジット・バルドーの映画は『気分を出してもう一度』でしたね。「気分を変えて」という歌は別にあって、山崎ハコ、これも自分が子どものころによく流れていたのだけれど、ブリジット・バルドーと山崎ハコだとけっこう気分の方向性はことなるのであった。

先月ここに書いたWorkflowy、それで論文を書きかけているのだけれど、結論から言うとこれでずっと書いていくかどうかはちょっとわからないかんじではある。ちょっとした感触のもんだいではあるのだけれど。なんか、とりあえず短いほうの原稿は従来のように紙切れに書いてからテキストエディタで書いていったら、そっちのほうがすんなり書けたような気がして、まぁやはり慣れたやりかたがいいのかなあと。まぁ、短いし書きやすい原稿だからすんなり書けたんでしょう、という気もしなくもないけれど。いや、ようするに紙切れに書くようなアイディアや断片の段階と、それを文章にするというのとの作業の分かれ具合・つながり具合のもんだいなのだけれど、Workflowyで最初からPCに書くより、やはりさいしょは紙切れにばあっと書いていくほうがやりやすい、PCに書いてしまうとやはり文章で書いていってしまって、気持ち的に重たくなってしまう、みたいなことか。

いっぽう、これも先月ここに書いたノートパソコン、これはちゃんと使えそう。いままで使ってたキーボードとマウスをノートPCにつないで、それでキータッチとかは今まで通りに使えてる。また、今まで使っていたディスプレイ(というかじつは小型テレビを流用してるのだけれど)をサブディスプレイにして、デュアルディスプレイにしてみている。まぁこれでしばらくやっていけそうだ。

なんだかんだいって40年ぐらい自炊しているのだが、このまえ「きょうの料理」で見た「水炒め」というのは知らなかった。野菜炒めなのだけれど、油を使わないで、樹脂加工のフライパンを使って、大さじ1杯ぐらい?の水をたらして蒸気で火が回るようにする(特に蓋をして蒸らすようなことはない。水分が切れたらまた少し補う、みたいに)、という方法。ほんまかいなと思って検索してみたら、たしかにそういうやりかたが出てくる。まぁ、樹脂加工のフライパン前提なのかもしれず、そして樹脂加工というのは空焼きをすると傷んでしまうので、だいじょうぶなのかな?という気はするものの、しかしなにしろじっさいにそんな感じで作ってみたら、たしかにおいしいわけである。豚バラとほうれん草の炒め物を作ったんだが、ふだんだったら油っこくなるところが、なにしろすっきりしている。待って待って、ってかんじである。人間いくつになっても学ぶことはありますな。これから春野菜がおいしいだろう。たのしみである。