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10月18日。あま塩しゃけの秋の夕暮/そして人生は続く。

お彼岸を過ぎてようやく暑さが弱まってきた、暑さ寒さも彼岸まで、とはよく言ったものだ、と感心していたがそのあともなんとなしの暑さは続いていまは10月も半ば。そして人生は続く。

あるとき、月が出ていて、そういえばお月見だのなんだの言っていたなあと思い、そしてしばらくたって別の日、ふと見ると月が半月になっている。つい先だって満月だったのにずいぶん早いことだと思い、しかし、月というのは満月から1週間で半月になり、1週間で新月になり、また1週間で半月になって1週間で満月に戻るのだ、と、少し考えればわかりそうな当たり前のことに気づく。そう思うとずいぶんせわしないものだと思い、しかしこの年になり久々にそういうことを考えたような気がして、そういえば小学生の頃はもっとちゃんと月や星をそういう目で見ていたような気がするし、そうそう、庭とか車庫の上とかに三脚を立ててカメラを北の空に向けてシャッターを開放して、北極星を中心に星がぐるぐる回る写真を撮ったことを思い出した。なかなかきれいな写真が撮れた覚えがあるが、思えば父親がそういうのによく付き合ってくれたものだなあと思う。北天の星は北極星を中心にして1時間で15度回転する。シャッターを開放しておく時間が長いと綺麗な円弧が写るけれど露光が過ぎると夜空が妙な明るさになってぼやけてしまう。ちょうどいいあんばいを教えてもらいながらやったのかなあと思う。

秋学期が始まったが、なかなか手ごわい日々である。カリキュラムが新しくなり、はじめてやる授業がいちどにたくさん始まった。一週間の時間割のぐあいもなんとなくペースがわかってきつつある。まぁたいへんだということがわかったということだが、まぁのんのんずいずいとがんばるべしということである。

夏にぐったりと過ごしていたら体重が増えたので、例によってまたダイエット生活である。まぁてきとうに朝食をシリアル+ヨーグルトに切り替えて、あとは例によってプチ肉断ちの食生活にしているというていど。まぁそれで体重が減ったかというとたちまちには減らなかったけれど、秋学期授業が始まったらさすがに体重は落ちてきた。それが健康的なのかどうなのかはよくわからない。どうも魚ばかりではただでさえ少ない調理のヴァリエーションが極端に少なくなってただ焼いて食べるだけみたいになってしまって精神によくない。あるていどを目安にしておっつけ肉食に戻るつもりではある。

甘塩の鮭を買ってきて夕飯に焼く。なんだか厚切りだと書いてあってなるほどいくぶんか厚切りに見えなくもないしそうなると晩のお膳に上がってもいいような気になるし、まぁ塩鮭は好きなので本当はおいしくいただいて何も不足はない。キャベツときゅうりと塩昆布で浅漬けを作ってぽりぽりといただく。甘口と書いてある日本酒をちくちくと飲んで、これでいいのではないだろうかという気になる。

そして人生は続く。
 


 


11月30日。ブラウン管じゃわからない景色/汝自身を知るべし。

先月はまだ半袖で歩いていたと思ったらもうスーツを着込んでいるとかけまして白いご飯と解きます、その心はあきがこない、直ぐに冬んなッちまうッてんで…どうも調子がくるうじゃないかと思っていたらなんのことはない、もう11月も月末だから寒くなって正解なのだ。ことしも丹生谷貴士を読みながらぶじにまたひとつ齢をとり(出がけに鞄にお気に入りのアパシー論とかメルロ=ポンティ論のコピーを放り込んで通勤電車で読む)、気がついたら冬がすぐそこに来ているのだ。

居間でテレビを見ていると妙に赤い。気がついてからずいぶんたつがやはり赤い。赤いしなんだか陽にさらされたように白く退色した感じもある。だってこのテレビはソニーのトリニトロンで上等のはずではないか、いまの下宿に越した2005年のちょうど11月ごろに買ったからまだ19年ぐらいしか経ってないぞ、と思うけれど、まぁ家電の寿命ってそんなものかもしれないなあ、と思いつつある。ブラウン管で24型はそれなりに大きくて、一人でかかえようとしたら腰がやられそうな感じはあり、これを処分するのかぁと思うと途方に暮れるが、またもうひとつやっかいなのは、この下宿の次の更新のときはひょっとしたら引っ越すかもしれないと(これまでも更新のたび何度も考えていたけれど)考えているので、そうするとあまりちゃんと大きなテレビを買うのもめんどくさい、もしも引っ越すなら引っ越しついでにテレビを処分して新しいテレビを新居に買えばいいじゃないか、とまぁ思って幾星霜なわけで、そうすると今のテレビの置き場所の空間に居抜きで入りそうなものというと、令和の家電の平均からすれば小型に類する(しかしパッと買って持って帰るにはそれなりに重そうな)サイズ感になってしまう。やれやれめんどうだなあと思いつつ、しかたないのかとそれなりに腹をくくりつつある(くくりつつあるというのはまだくくれてないということであって、くくりはじめがありくくりつつある段階が来てそのあとにくくりおわりつつある段階がおそらく来て…そしてついにくくり終わり、そしてたぶん、よし、腹を括ったぞ!と思う瞬間が訪れて…そしてそのあとたぶん、腹を括ったからにはどうにかするぞ!と思い始め…以下無限…)。

このひと月とそこらで起こったことでここに書くべきことはなにがあるか。たとえば今年は9月頭から咳が出始めて、ずいぶんながらく続いていたのだけれど、それはある意味例年のことでもあり、昔は3か月ぐらい咳が続いていたような年もあり、まぁそこまでの咳はこのところなかったのだけれど今年はひさびさに2か月ぐらい(軽い咳だが)続いたわけだがそれがひょんなことから上手に治った、というのは記録に値するだろう。上手に治った、というのはこのばあい、医者にかかるまでもなく自力で原因を突き止めてそれに対応する市販薬で症状をおさめることに成功した、といういみである。さいしょ、ここ数年のんでそれなりに効いていた市販の咳止め薬(A)の去年の残りをのもうと思ったが、残り少なかったのでドラッグストアに行って別の咳止め薬(B)を買ってきてのんだ。ところがしばらくのんでいたがそれがいまいち効きがよろしくない。それでふと(A)(B)両者の成分を見比べてみたところ、(A)に含まれて(B)に含まれない成分、というのが見つかった、という次第。それが、なんとかかんとかという、アレルギーを抑える抗ヒスタミン的な成分だった。そこであらためてドラッグストアに行って、そのなんとかかんとかが入っている咳止め(A)をもういちど買ってきたわけなのだが、ここでさらに重要な知識として、このところ特にドラッグストアで咳止めというのはちょっと買うのにハードルがある。昔から咳止めにはたしか麻薬的な成分が含まれていて、それを悪用する悪い子たちがいるということについて最近うるさくなってきて、いまではドラッグストアでもちゃんとレジのところで薬剤師が説明と注意喚起をして、連続服用でないことを確認したうえで、店によっては名前まで書かされてようやく購入に至る、等、かなり剣呑なのである。しかしこのたびはその薬剤師さんの説明の中で、(A)の成分表を指さしながらそのややこしい麻薬的な成分というのがこれとこれで、みたいに教えてもらったんである。幸いそれらは自分に効きそうな成分とは別っぽい。なので、後日、アレルギー性の咳に特化した薬(C)を探して成分表を確かめ、これはいけそうだというのを買ってきて、それをのんだらすっきりと咳が収まった…というしだい。こういうのは自己効力感が高まりますね。

とかなんとか書いている間にじつはPCのマウスがおかしくなった。まぁマウスの代わりぐらい下宿に転がっているのでとりあえずべつのやつをつないで大過なくやっているが、しかしまぁ「いうまでもなく人生は崩壊の過程である」というやつではある。

そして人生は続く。なにはともあれ、おいしいものを食べて楽しいことを見つけて日々を過ごすべしではある。プチ肉断ちもそれなりの成果をみたのでひとまず完了。 ビフテキや豚カツや唐揚げを食べて、まぁひとまず落ち着いたので、またなにか冬らしいしみじみとしたものを作って食べるとよいのではなかろうか。  

 

 


12月27日。ことしも年末。

年内の授業が終わり、クリスマスも過ぎて、年末にたどりつく。よくがんばったと思う。前を向いて進むべしである。

もう一年半ほどYouTubeのリアクション動画を毎日見ていることになって、それが花冷え。とBandMaidばかりだというのでは、これはなにか新しい、創造的なものを得ているという風ではなくてまぁ惰性みたいなかんじではあるものの、しかし今年をそれで乗り切ったというかんじもある。「あっかいっはなここーろに、運命さえもー超えーるんだー」というフレーズを繰り返しながらここまできたわけである。

テレビの話をすると、つまり、コンテンツの話ではなくてメディアとしてのテレビという話でもなくて即物的な受像機としてのテレビということだが、先月にここにブラウン管の話を書いた。それで結論としてはいま新しい液晶テレビで『ワン・プラス・ワン』を見ながら ー アンヌ・ヴィアゼムスキーが緑の中で延々とよくわからない一問一答をしているところ ー これを書いているのだけれど、ここにいたるまでにはそれなりのドラマが ー 悲劇なのか喜劇なのか ー まぁ喜劇なのだろうけれど ー あった。某日、意を決して電気屋に行きテレビを買って帰ったと思っていただきたい。そしてそれなりに大汗をかいて(コンセントに辿りつくまでにCDがぎっしり入った棚を一つ動かさないといけなかったりして)場所をあけて、液晶テレビをテレビ台の上に置いて、設定を進めながら、あとはhdmiケーブルを挿せば、というところでテレビ台の前面と裏側とに手を回しながら作業をしていたらたぶんなにかの加減で身体がテレビに当たって、あれ、と思う間に不安定な液晶テレビはスローモーションのようにゆらゆらあっと前向きに倒れ込んでそのまま床にガシャン、 と落下。え?と思って画面を見たら派手に割れてしまって何もまともに映らなくなっていた、と思っていただきたい。まぁこういうのは型としては喜劇ですね。しかし、設定画面を映すところまでで志半ばにして再起不能の事故にあったテレビのことを思うとショックでしばらく立ち直れなかったわけである。「いうまでもなく人生は崩壊の過程である」、しかし、あんまりではないだろうか。「いうまでもなく人生は崩壊の過程である」。
そういうわけで、年末いよいよ暮れも押しつまって本日、意を決して前と別の某店に行き、同じサイズの液晶テレビをもういちど買い、おなじように持って帰って、まぁこんどは棚を動かす等は省略できたので汗はかかなかったがトラウマと闘いながらなんとか設置、鬼門だったhdmiもなんとか挿せて、なんとか設置ができたというわけである。自分はローリング・ストーンズは通ってきていないけれど、ミック・ジャガーはやはりかっこいいというのはわかる。さいしょに見た時には「悪魔を憐れむ歌」を知らないで見たのでレコーディングの場面もふうんというかんじで見ていたのだけれど、まぁこうして見るとやはり曲が少しずつ形をなしていくのを見るのは面白い。ただブライアン・ジョーンズはやはり影が薄くてよくわからなかった。

キャベツをざくざく切って、梅昆布茶と塩昆布とゆず胡椒といっしょにビニル袋に入れてすこし揉んでからぎゅっと空気を抜いて冷蔵庫に入れておくと浅漬けができて、まぁ白菜でも人参の細切りでもよくて、それで野菜を余らせるのがふせげてなによりである。ほうれん草をただ炒めたのとか、きのこをさっと炒り煮したのとか、なんか作ってパイレックスの小さい保存容器に入れておく。料理そのものはもうあれこれややこしいことはしなくなって、まぁしかし毎日何かを食べないということはできないので現状こういうかんじで、まぁしかしなんでもすこしでもいいのでなにかおいしいものを作って食べるように心がけたら、なにかたのしみのようなものもできるのではないかしらん。今年はなんとかがんばったということで、来年、またたのしい年がおとずれることを期待しよう。