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(2022/1/1 - 2022/6/30)


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2月4日。立春。このところなにをしていたのか。

年が明けても帰省しないお正月。大みそかにスーパーにおせちの折詰を買いに行く。数の子は好きなので別に数の子だけ余計に買っておく。それでふと見ると、スーパーのおせちの折詰のなかに数の子が見当たらないのでいぶかしく思う。まぁどうせ数の子は別途買ってあったのでかまわないというつもりで元旦を迎え、おとそがわりの日本酒をちくちくといただきながらおせちをつついていたわけであるが、そうこうするうちに謎が解けた。折りの一角に、なにかフカヒレふうだか春雨だか見分けがつかないようなばらばらしたものになにやらこまかい魚卵のようなものがぷちぷちとまぶしてあって、おそらくはこれが数の子という思い入れだったのだろう。つまりいちおう数の子は入っていたわけであって、つまりさすがにお正月の縁起物を省略するということはなかったわけだ。ではなぜそのようなことをしたのかというと、思案するに、日本が少子化だから数の子といってもこのぐらいなのだ、という説も考えはしたものの、やはり普通に考えて不景気なんだろうな。数の子おいしいのにね。と思いながら別に買ってた数の子をぽりぽりと食べてお酒をちくちくとのんでいた。コロナのお正月も2度目となれば、ぼんやりと過ごすのも慣れたものである。
お雑煮だが、自分の実家はなぜか元旦がおすまし、二日がかしわとかカブとかかまぼことかの入ったお雑煮で、三日が小豆雑煮ときまっている。なので下宿でお正月になるときもなるべくその雰囲気を再現することにしてるけれど、今年は三日目の小豆雑煮でピンチが訪れた。あんこ的なものがないぞと。でも買いに行くのはちがうぞということで、灰色の脳細胞で思案していたら、そうだ、年末から、ふと気が向いて、小さな一口サイズの羊羹を買ってたんだった。また、インスタントの甘いしょうが湯みたいなのもあったんだった。それでいこうということで、お鍋でインスタントのしょうが湯を作ってそこにミニ羊羹を放り込んで、そこに焼いたおもちを入れて、気分上の小豆雑煮とみなして食べた。まぁ、食べてしまえばおいしいわけである。ところでなぜ実家のお雑煮は三が日ひがわりなのか。さいしょは地域的な由緒があるのかしらと思い込んでいたのだけれど、あるときふと思ったのが、ようするに、地域のお雑煮・母方のお雑煮・父方のお雑煮、ということなんじゃないか、と。そう思ってみると理屈としてもなかなか好ましいし、なかなかいいものであって、毎日味が変わるのも楽しい。
それで下宿でぼうっと過ごす三が日に、ひさしぶりに『映画千夜一夜』など読み返していた。それでなんとなく『イヴの総て』『木と市長と文化会館』見ていたのだけれど、そこからあとがいまひとつ続かなかった。お正月をぼんやりと過ごして、そして仕事始めいきなり教授会からのダッシュなのだった。まぁそういうものだ。

共通テストつつがなく終了。いや、全国的には津波もあり東大会場で事件もあり、また後日になって新聞を騒がせたカンニング事件もあり、今年はざわざわとしていたのだけれど。しかしとにかく目の前の仕事をまちがいなく遂行すること、それが無事にできたらすなおによろこぶこと、に務めよう。いろいろなことがなくても今年は去年にひきつづきコロナの感染再拡大でとにかくぴりぴりしていたので、それを無事にクリアできただけでじゅうぶんにすばらしい。今年は役のぐあいで監督が当たっていなくて、そしてしかしいつ急遽別室をつくらないといけないなどで前線投入されるかわからないという予備役の位置づけだったので二日間ずっと緊張していた。終わってみればなにごともなく、じぶんも前線投入されずに済んだのでなによりだったわけである。

毎年、1月の授業は2週ばかりで、しかも今年はコロナの感染拡大によって急遽、最終回だけオンラインにするとか、色んなイレギュラーがあり、なんだかおちつかないうちにあれよというまに秋学期授業がおわった。今年度だけ担当していた科目でおもしろいことをやっていた、スポーツの実況中継を見ることの分析、みたいな授業、けっきょくおもしろかったのだが、途中で壁にぶつかって、うーむ、というところで終わったのでおもしろかった。事前にメモを作って、だいたいこういうオチに着地しよう、というぐらいはイメージしつつやってたけど、やはり学生さんたちとじっさいにスポーツ実況中継の映像を見ていると、思っていたようなオチで済むようなものではとうていない、というかんじになって、授業たっぷり2回分ぐらいは学生さんの前で「うーむ、わからん、わからん、なんだこれは?」ばかり連発していた。学生さんたちはずいぶん変な授業だと思ったかもしれない。まんぞくまんぞく。

なんやかんやで1月は行き、節分。会議と卒論発表会はオンラインで、そして夕方の会議は対面でおこない、そして家路についてスーパーに寄ると太巻きのお寿司はやまほどある。例年は中巻きのネギトロ巻きにするのだけれどそれはなく、まぁアボカドサーモンを選ぶ。あと、いわしのおなかに明太子をつめたやつも買う。で、なぜか節分の豆が見当たらないので店の人に「節分の豆はありますか」と聞くと「すみません売り切れました」との回答。そんな事があるのかと思いつつレジを済ませ、コンビニを覗くもやはりみあたらず、さらに別のスーパーに入るも見当たらず、店の人に「つかぬことを聞きますが節分の豆はありますか」と聞くと「すみません売り切れました」との回答。なんということか、そんなことがあるのか。でもまぁしかたないということで、タクシーに乗って運転手さんに「節分の豆が売り切れてたんですよーそんなことあるんですねー」とか世間話。「やっぱりせめて福を呼ぼうとまきはるんちゃいますかねえ、不景気やし」「まったくですねえやれやれですねえ」みたいなかんじで「豆が買えへんかったけどまぁピーナツでも食べときますわ…」とかなんとかいいながら、気が付けばまったく信号に引っかからずすべて青信号ですんなり到着。「おお、めずらしいです、ぜんぶ青でした、やっぱりこういうところで福を呼ぶという」「ははは」みたいなことだが、そう、がんばってはたらいて帰ってきて豆が買えなかったからといって福を逃すのでは話が合わないじゃないですか、天は我に味方をしている、サインを送っているのであると、マックス・ウェーバーの登場人物のごとき納得の仕方をするわけである。
明けて立春、Twitterにふと、立春には豆腐を食べると福を呼ぶのだというのが流れ、そうなのか、ちょうど麻婆豆腐を考えていたのだということで、晩ごはんは麻婆豆腐、ちょっと変化球で、豆板醤は使わずに冷凍してある青唐辛子を使ってついでに柚子胡椒も使いつつ色の薄い麻婆を作って食べてビールを飲む。おいしい。これで今年もよい年になるであろう。

冬季オリンピックの開会式をやっている。オリンピックというとふだん見ないようなスポーツを毎日だらだらと放映するので、知らない競技に触れるよい機会でもある。なんかおもしろい競技に出会うだろうか。また、今年はとくに、学生さんと授業でカーリングを見たりしたので、学生さんがなにか興味を持って何かの競技の実況中継を楽しく見たりすることがあったらおもしろいだろうな。

役職の任期は年度末まで、あと2ヵ月を切った。カウントダウンの日々である。とはいえこの時期は入試や年度末、それと来年度に向けてのいろいろなことが立て込むわけで、カウントダウンしている場合ではないというのもある。何とか後2カ月をしっかりと務められますように。  


 


4月15日。めでたく任期をまっとうしてほっとひといきの新年度。

春、桜が咲いてすっかり暖かくなり、年度がかわった。2年間の学部長の任期をなんとかめでたくまっとうして、ほっとひといき、肩の荷がおりた4月、新年度である。自分におつかれさまと言いたい。それで4月からもとの専攻主任に戻り、ついでに学科主任の順番が当たっていたのでそれをやり、それと矯正保護支援課程という資格課程の主任が前学部長の当て職になってるってことでそれをやり、いくらか免除になっていた授業担当が戻ってきて、あれれ?なんだかほっとできるのかどうか。さしあたり学科主任と課程主任にかんしては年度初めのしごとがいくらか重なっていて、それらがようやく一段落ついてひといきついたぐらい。やれやれ。でもやっぱりほっとひといきだわ。こころなしか学校の廊下を歩くとき身体が軽いような。きっとこれから力が抜けてぐにゃぐにゃになるのだわ。おつかれさま。よくがんばったじゃないですか。

まぁとくにふりかえって何かということはないけれども、ひとつ、とにかくこの任期とほぼ同時にコロナが始まって、入学式がなくなって、緊急事態からのオンライン授業、というところからはじまってあれやこれやの2年間だった、というのはあるだろう。

さて、ともあれ、肩の荷が下りて、じゃあ研究に励むぞということにぜひなりたいのだけれど、これについてはさほど期待しないところもある。2年間というものは、学会にも行かない、研究はとにかく後回しにして公務をやるべし、自分の能力的にそうするべし、と思っていたので、まぁあるいみ割り切っていたのだけれど、役が終わってみれば、状況はあまりかわらず、けっきょく身の回りに研究の交流ができるコミュニティがないということについては以前からそうだったわけである。それどころか、この2年間の間に、オンライン学会だのオンライン研究会だの、自分が近づかなかったものが増えて、そのいみでは完全に乗り遅れた人になっている。まぁ、そういうのはべつにいまにはじまったことでもないし、ありがたいことに基本的にはのんびりした職場にいるわけなので、自分が面白いと思うことをぼちぼちやっているぐらいかなあ、と思っているところ。

とかなんとか書きかけながら何日かたつとまたいろいろと今年度の状況が見えてくるわけなのだが、講義型の授業が戻ってきて、またそれが全部対面授業で大勢の前で大きい声でしゃべり続ける的なことになり、しかも研究日としていた曜日に会議がトントンと入ることで、物理的には去年よりたいへんになるのではという予感もしてきた(まぁ精神 − のようなものが自分にあるとするなら − 的なところでの気楽さは何事にも代えがたいのでけっこうなはなしなのはいうまでもないのだけれど)。まぁそれについては以前はそんなもんだったんだから、慣れるべしではある。
例年そうであるように、授業が始まってスッと体重が減ったわけで、まぁ授業で痩せるダイエットというか、まぁ働くべしであるということだろう。なにごとにも良い面がある。禍福は糾える縄の如し。これまた例年のようにやっているプチ肉断ち、あるていどダイエットができたらまた解除しようとなる。めでたいことである。

学部長時代に体重が1〜2キロぐらい増えて、というようなことは、だから、書かずに済みそうである。ただ、年度が替わってすぐだったかしら、また歯が欠けた。これはあきらかに虫歯で、コロナということもあって歯医者さんに行くのをサボっていたらこうなった。気が重い。
改行している間に歯医者さんに行ってきた。大事には至らずのようで、とくに怒られることもなく、一か所だけ治療して(他は様子を見て)それで済みそう。ちょっとほっとした。案じるより産むがやすし。削ったところを埋めるのが来週になるけどそれまでとりあえず無事に過ごせますように。

今年もまたプランターにバジルの種など蒔いてみる。100円均一で買ってきた、バジルとシソとイタリアンパセリとパセリとパクチーをそれぞれむやみに蒔いて、朝晩水をやっている。まぁ、むやみに蒔いたんでいくらかは生えてくるのではと思う。期待して待ちましょう。  

 

 


6月10日。このところ何をしていたのか / Day Dream

いやなんだかようすがおかしい。某役の任期が終わったらほっとひといきで買いためていたつんどくの本をのんびり読みながら研究生活に舞い戻るはずだったのだが、なんかそんなことにあんまりなっていない。今年は結構忙しい年に当たっていてけっこうばたばたしている。研究日が空いてると言うのでそこに会議がぽいぽい入ってくるし、最近は土曜日に行事が入ってくることも重なって、なんだかおかしいなと首をかしげる日々である。

ゴールデンウイークに帰省できないのは何年目になるだろうか。もっとも今年はそもそもゴールデン感がぜんぜんなかった。連休の間に授業日がどしどし入ったので。だから帰省できなかったという感覚も希薄だったかもしれない。そもそも存在しない連休に対して何の感慨を持つというのか。

4月下旬から5月上旬にかけて虫歯を治療した。某役の任期2年間、そしてこの時期はまたコロナの2年間ということもあったわけで、それもあり、またなんだかんだずっと気が張っていたので、歯医者さんに足がむかなかった。それでいろいろ歯が欠けたりぼろぼろしたりしていたので、連休の前後で1か月以上にわたって2本ほど治療してもらった。
それでふと気が向いて口腔内カメラというのを購入した。歯ブラシぐらいのサイズのカメラでうつしながらそれを手元のスマホで確認するという装置である。これで歯の様子が自由自在に見えたらおもしろかろう。それでまぁ、さっそく使ってみたけれど、まぁ、口の中なんて見て盛り上がるようなものでもなかったですね。いずれにしても、歯を大切にということで。

気がつけば春学期の授業も折り返しをすぎたわけである。そう考えると早い。今学期の自分的な面白い授業は、『教育社会学事典』の項目を愚直にパラグラフリーディングする、というやつ。ふつうなら授業で本を紹介することがあっても一冊を自分なりにひとことでまとめてとか、まぁ教科書でもひとコマ90分で1章ぶんとか、演習なら論文2本でだいたい20p×2ぐらいの分量を、まぁどんどん進めるわけで、まぁそのぐらいやって一つの領域を15回で勉強、ということなのだけれど、そういえばゆっくり読むほうの授業を最近やってなかったなと。で、『教育社会学事典』はさいきんはやりの読む事典ということなので、1項目だいたい見開き2ページを90分かけて読むという。資料も、ノリとハサミで切り貼りして段落ごとにしたものを作って、1段落ずつ学生さんに音読してもらっては、はい、この段落は何文ありますか?トピックセンテンスはどれでしょうね?接続詞をマークしていくと段落の分の組み立ての構造がわかりますね、キーワードをピックアップしましょう、これはどんな意味合いでしょうね、等々、まぁ文章読解の授業のまねごとをしながら、まぁそのぐらいのスピードで読んでいけばけっこう内容についても解説できるという寸法。授業の準備をしながら、まぁ自分自身が読む練習をしていることにもなる。じつはどっかのタイミングで自分が書いた項目もとり上げることになるのだけれど、ひさびさにそういうつもりでちらっと見てみたら、かなりパラグラフライティングできてない行儀の悪い文章だったので、そのときは大いに反省しながらの授業になるであろう。楽しみなことである。

朝はやく起きて電車に乗り、吊革にぶらさがりながらなにか本を読んで、それでこのところはまたウォークマンで音楽を聴いている。スティーヴ・レイシーの「Day Dream」などを朝から聴いていていてよいのか。このところくりかえし聴いている。やわらかくてふくらみがあって、ところどころ塩辛いかんじのスティーヴ・レイシーのソプラノサックスのゆっくりと旋回するフレーズを聴いていると、気持ちがささくれているのはひょっとするとなにかのまちがいではないだろうかという気にもなってくる。