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(2012/1/1 - 2012/6/30)

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2月19日。このところなにをやっていたか。

1)去年の秋から年末にかけて身近でお世話になった方が亡くなられることがつづいて、あけましておめでたいような気にもちょっとならず過ごしていた。
2)並行して年明けしめきりの論文に難渋してかなり苦労した。
3)そうしているうちに例年の研究室紀要の論文の締め切りが月末である。今年ははじめてパスすることになるかも・・・と予防線を張りつつ。
4)下宿に引きこもっていると窓の外はけっこういい天気で陽射しのかんじは春のようである。でも寒波が来ているという情報を得ていて確かにときどき雪が舞ったりしているのでいよいよ外に出ない。
5)あれやこれやひと区切りつくころには暖かくなっているだろう。そうしたら少しリラックスしよう。
 


 


3月10日。このところなにをやっていたか。

春らしくなってきて、雨が降っても春らしい雨なんで、そのへんはありがたい。
通勤のときに長い坂道があって、急いで歩きながら空が晴れていると嬉しい。空が青いときに、その青いところを見ていて、しかしそれはいったい何を見ているのだろうか、と、思ったことがあって、夜だったら星が見えるわけだからそれは何万光年だかなんだかの遠くを見ているっていうことになるし、ていうかその星と星のあいだの夜空の黒いところを見ていたら、じゃあけっきょくそれはいったい何を見ているのだろうか? 視線をさえぎるものがなくてずーっと遠くまで視線が延びていくような気になって、そうすると「無限」みたいな観念が浮かんできて、もちろん「無限」などという抽象的な観念を具体的に目で見るということはありえないのだけれど、しかし力の及ぶかぎりの、あるいはそれをはるかに上回るほどの「限りないもの」を、目で見てるのだ、というような気になるわけで、それはやはり不思議な気持ちになるし、それからいつも通勤の時に空を見上げるようになって、空が青いとうれしいし、くもっていても雲の切れ間にどこか青いところがあるとやはりうれしいし、まぁ雨が降っていても、それもじきに晴れると思うし、冬で寒くても、まぁ待ってれば春は来るし、と思いながら通勤していたわけで、だからこうして春が来るというのはやはり嬉しいことである。

2月末に、いくつかの締め切りの仕事や遅れていた仕事が手をはなれて、すこし生気が戻ってきて、それから2月末の締め切りの研究室紀要の論文を書く力が残っていなかったので研究ノートというかたちで勘弁していただくことにしつつそれがようやく手をはなれた。

あれから一年、などとテレビでやっていて、「あれ」って何だあ?とか思いつつ、一年前の今日がどんな日だったかというと、まず今年が閏年なのではなしがじゃっかんややこしいのだけれど誰もそんなことは気にしないとすると一年前の今日の日付、ということで考えて、そうすると、まぁありきたりのふつうの日だった。研究室紀要の原稿が手を離れて、次年度の学生に勧める新書本をリストアップするためにめぼしそうな本を電車の中でチェックしながら出勤して、学内のプロジェクトのほうの勉強会に出ていた。そこで、仙台のNPOのかたがたがわざわざいらしていて、そのプレゼンを伺っていた。その日の夕方あたりにインターネットをあれこれ見ていたら、そのかたのツイッターアカウントが見つかって、奈良の天理大学でプレゼンをしたということが書いてあり、それでその方はツイッターをかなり使っておられるようだったので、これからプロジェクトでおせわになることだし、ちょくちょく見させていただこうかしらと思ったんである。


 


3月24日。卒業式もおわって / 発掘あるある / ようやく地デジ化していたはなし。

今年もなんとか無事に卒業式を終えて学生さんたちを送り出した。やれやれである。なんだかんだいって4年間見てきた面々が卒業していくということになると、なにがしかの感慨はいまだにあるようだ。こちらは着任以来もう15年も過ぎたのだが。
そして、ゆるやかに、ともいってられない昨今の世知辛い大学なわけだが、新年度の準備のほうに本格的に気持ちを切り替えることになる。またあたらしい学生さんたちが入ってくることになるわけである。

卒業式の日に配布する研究室紀要、ことしはかなりひやひやしたが、無事、まにあって発行できた。自分は今年は論文という形ではなくて、「研究ノート」というていで、まぁ顔だけ出しましたということにした。別の論文で精根尽き果ててたということもあり、また、そっちの論文と関係する内容のものを書くと、こちらの研究室紀要のほうが先に発行されることになってややこしいかな、という気がかりもあって、どうも、ぱっと論文の形にまとまるネタが今回はなかった、というのが楽屋話ではある。
手持ちの在庫というか、メモとか未発表の草稿とかでリサイクルできるものはないかと、あれこれ探したのだけれどちょうどいいのが出てこなくて、なかなか往生した。そのせいで、過去にやり取りしたメールとか、大昔に書いたレジュメとかを見直したりしてずいぶんと感慨にふけることになったわけである。
ひとつ、これを日の目を見させようかしらと相当思って結局やはり没にしたのが、「論文の書き方」みたいなレジュメだった(やれやれですよ。皮肉なものですよ)。もともとは、オーバードクター時代に非常勤講師をやらせていただいて、いわゆる2回生向けの社会学初級ゼミみたいなものをやらせていただいたときに、配ったものだった。なので、大学2回生が読んでもわかるようなものではあったと思う。ただ、これを実際に読んで面白がったのは、当時の自分のいた大学院研究室の後輩たちだったわけで、当時の研究室の院生とかが「あるある!」とか盛り上がるかんじで書いていた。それはまぁ、書いているときの直接の読者は当時のその研究室の院生だったのだから、まぁ、そうなるし、まぁ学部2回生が「論文の書き方」を勉強するといっても、卒論さえ主観的には遠い話でしかないわけで、彼らに真に迫って面白いものっていうのはそれこそなかなか書けなかったわけだけれど(それは今でもそうかもしれないけれど)。
それで、内容はというと、大学で卒論を書くことの社会学的な意味(というか無意味)みたいなあたりから語り起こして、辛辣だったり皮肉だったり、まぁオーバードクター当時の自分は若かったなあというのと、鬱屈していたし、傲慢だったし、それはたぶん当時の大学院の研究室の空気でもあったわけで、自分あたりが最年長で後輩たちにそんなレジュメを読ませて盛り上がっていたのだからけっこう皆さん同罪なんだぞと言いたくなるところではある(何年かたってから、当時助手をやっていた後輩から、あのレジュメをゼミで使っていいかと聞かれたことがあるので、そういうふうに使ってもらったこともあったのかもしれない)。そして、結局のところの「論文の書き方」のオチとしては、当時、高沢先生の読書会で読んでいたベッカーのテキストのとおり、「論文はひとりで書くものではなくて人に読ませながら書くものだ」というあたりに着地している。この着地点じたいは、まぁ今となってはポピュラーだし、ベッカーのテキストも『論文の技法』として翻訳され(いくつか決定的な誤訳があって怒ったものである)、自分の論文としても、状況的学習論に引っ掛けて「研究の実践共同体」とか「協働的学習」のような文脈でベッカーのテキストを紹介したこともある。そういういみでは現在でも間違いは言っていないレジュメではあると思う。しかし、このレジュメを回し読みしてゲラゲラ笑って盛り上がっていた当時の「実践共同体」というものがあったとして、それが今現在はといえば、やはりみなさんもわたくしも変化なりなんなりしているわけなので、そのいみでは、このレジュメは、自分の個人的な若さや鬱屈や傲慢さを差し引いて考えたとしてもやはり、現在形では通用しないものだったわけなのだ。
そういうわけで、けっきょく、今回の研究室紀要のネタは、何年も前に公開講座で喋ったときの要約レジュメを引っ張り出してそれに序文をつけるかたちにした。まぁ、公開講座とはいえ、妙にひねくれた問題設定で喋ってしまったし、その要約レジュメは、大学広報部発行の小冊子に掲載されて少部数が配られただけのようなので、発掘して研究ノートとしてリサイクルしても価値がないわけではないだろうと。読み返すと、当時やそれ以前や以降に自分が考えてきたいくつかの別々のコンテクストの交点で、コンパクトな見取り図を描いているようなレジュメだったので、自分の中では、ちょっとおもしろくないこともなかった。

この前ここに書いたときに書いていればよかったけれど、二月にようやくリビングのテレビが地デジ化した。ていうか、厚型ブラウン管テレビに、地デジ対応のブルーレイレコーダーを繋いだわけである。やはりリビングのテレビは、映らないより映った方がいいなあ、と。


 


4月10日。新年度が始まった / 「私は絶対に成熟しない」

あっというまに四月、新年度が始まった。今年は新入生がけっこうたくさん入って、にぎやかでけっこうなことである。入学式、オリエンテーション、授業履修登録と、あわただしく第一週が過ぎたが、すこし落ち着いてようやく一回生の最初のゼミで、ゆっくり自己紹介してもらうことになる。毎年、一回生最初の自己紹介はビデオに撮っているのだけれど、今年はどういうかんじになるだろうか。楽しみである。

けっきょくこの春休みに何をやっていたかというと、仕事面勉強面はおいておくとして、自分の中でこれ、というのは、黒沢清のビデオやDVDをまとめて見た、ということに尽きる。
黒沢清、著書はだいたい追いかけて買って繰り返し読んでいるのだけれど、肝心の映画のほうは、『CURE』で国際的に評価されるより前のものはだいたい見ていたのだけれど、その後は見てなかった。なので、この際ということで、Amazonの力を借りて力任せに、未見の黒沢清を片っ端から入手して見た、という次第。で、よかったのだけれど、なんか意外で興味深かったのは、あれだけ避ける避けるといっていたヒッチコック的なやりかたとか、小津的なやりかたとかを、近作では進んでやっているじゃないの、ということ。黒沢という人は、なにせ映画史とか映画の原理主義とかを強く意識して映画を撮ってる人であるわけで、その人がやらないといっていたことをまさにやっているというのは、やはり驚きなわけである。ある雑誌の黒沢特集の中の対談で、自分は成熟なんかしないぞと断言していて、その言葉が特集の総タイトルにもなっていたのだけれど、この変化は成熟ってことなのか?と思ったり、しかしやはり、作品を冷静に見れば「黒沢清も成熟して巨匠然となったなあ」とは口が裂けても言えないような、やはり奇妙なものであるのだから、やはり成熟などしないことのひとつのやりかたなのだろうか、と思ったり、する。
『トウキョウソナタ』という作品を見て、それから、小津安二郎生誕100年国際シンポジウムでの以下の発言を読むと、どうしたって、なあんだそういうことか、と思うだろう:

・・・今朝、この会場に来ますと、小津映画の音楽が延々と流れておりまして、ずっと聴いていました。ああ、みんなこの音楽にだまされるんだな、と感じました(笑い)。音楽だけ聴いておりますと、何やらしみじみとした、しっとりと感情を揺さぶる、落ち着いた穏やかなものを感じるのですが、本当に映画がそうなっているのかとなると、どうもそうではないというのは、いろいろな方が指摘している通りだと思います。
たまたま、昨日の深夜、テレビで『風の中の牝鶏』をやっておりまして、久々に僕も見直しました。ご覧になった方もいると思うんですが、この作品でも、つらいけれども頑張って生きていこうよ的な物語上の結論が、音楽によって都合よく伝えられてはいるんですが、注意深く見てみると、これが本当に気味の悪い映画でした(笑い)。
まず、ほとんど全員が死んでいるとしか思えない。息子が病気になって、いや、助かったというんですけど、ほとんど助かってよかったというようには見えない。息子は亡霊のように、その後も生き続けて、帰ってこないはずの戦争に行った夫が急に帰ってくる。この佐野周二さんもほとんど亡霊のように帰ってきます。最後に有名なシーンで、田中絹代さんが階段から落ちて死んだとしか見えない演出がされているわけですが、その後、ゆっくりと立ち上がっていく。
家族三人とも、ほとんど死んでいるわけですね。ただその後に、幽霊のように抱き合って一緒に生きていこうという・・・。しかし音楽だけは、よかった、よかったという音楽でみんなだまされるんですけど、本当は何ともゾッとする気味の悪い映画なんじゃないでしょうか。

このシンポジウムの時点ではまだ『トウキョウソナタ』は存在していないわけで、また、いくらなんでもシンポジウムでちらっと言ったことをもとに映画一本撮ってしまうことなどありえないだろうけれど、にもかかわらず、ここに出てくるキーワードをいくつか適当に組み替えることによって、『トウキョウソナタ』を言い当てているように見えてしまうのである。で、そういう作品でカンヌで賞まで貰ってしまうのだから、まったくそういうのって成熟と呼べるのか、あるいは成熟していないと呼べるのか。不気味である。見習いたいものだ。


 


4月29日。風邪がゆっくりと通過 / おうちでハーブ栽培。

世に言うところのゴールデンウィークに突入である。とともに風邪気味。このところの気温の変化がいちじるしかったのに身体がついていけなくなったものか、連休数日前ぐらいから鼻の奥が痛くて、風邪かな?と思ってのどスプレーなど使いまた葛根湯など飲んでいたものの、やはり治るというよりはゆっくりと喉痛に、微熱に、身体の倦怠と関節痛に、じわじわと進んできて、いまは咳が少し出る感じ。まぁ、日常に支障があるほどではないので、寝込んだりせずに、この快晴の連休を連休的にそれなりに快活に過ごしたいという希望は持っているのだけれど(まぁ、風邪じゃなくても快活さはないからしょせん無理だという気もしなくはないのだけれどね)。
weblogの何年か前の今時期のものを見ていたら、やはり連休にかけて風邪をひき始めたようなことが書いてあって、同じようなことをやっているようなのだ。なんていうか、やはり4月に新学期が始まって疲れが蓄積しているのだろう。3月ぐらいからちょっと気を入れてダイエットをやっていて、それがガクッと効果が出てきたのはやはり授業開始してからなわけで、やはり負荷は、いかに怠け者の自分であっても、それなりにかかっているのだろうということだ。それで、気が張っているのでなんとか持たせているのが、連休前になるとちょっと弛んで、身体症状として出てくるに違いない。ここでも繰り返し言及する野口晴哉『風邪の効用』の文庫本帯の惹句にいわく、

風邪は自然の健康法である。風邪は治すべきものではない、経過するものであると主張する著者は、自然な経過を乱しさえしなければ、風邪をひいた後は、あたかも蛇が脱皮するように新鮮な体になると説く

というやつで、だからこの風邪をどういうふうに通過(まぁ経過っていうより、台風が通過していくような気分なのだ)させていこうか、というふうに考えたりしている。

4月から、学内の役が当たってしまい、それはまぁいまのところたいへんではなさそうで、役の中では軽い方だと思うし面白そうな仕事なのでさほど深刻ではないつもりでいるのだけれど、やはり緊張感はあるわけで、そういうのもあるのかもねと思う。
まぁ役が当たったということをせっかくなので面白い方向に捉えて、仕事もなにか面白くできればいいかなあ、とは思っている。

下宿の近所を散歩して、本屋で見かけたのが『おうちでハーブ栽培キット』という、昔の学研のおまけのようなもので、タマゴ大の器と土と種が3組入っていて、ミントとイタリアンパセリとバジルが窓辺で栽培できます、と。で、ちょっと興味を持って買ってきて、しつらえて一週間、毎日観察している。バジルだけ芽が出てきたが、説明書を見ると5日ほどで発芽と書いてあったので正解である。ほかのは芽が出ないのだけれど10日とか20日とか書いてあるのでこれも正解の範囲である。使っていなかったしょう油差しで水をちょぼちょぼと与えながら意外と楽しんでいる。ある程度うまくいくようなら、もう少し大き目のプランターを買ってきてもいいと思っている。風邪に効くぐらいハーブティーを淹れられるようになるにはどれだけ必要やら。このままベランダ園芸の世界へ、あるいはもういっそ年相応に盆栽の世界へ進んでいくのも悪くないかしらん。


 


5月15日。ここのところなにをしていたのか。

連休らしきものはあっというまに過ぎてしまい、今年は結局帰省もできず、いまひとつゴールデン感に乏しい連休だった。大学が国民の祝日を授業日に設定するという風潮にも一因があり、今年などはそもそも「連休っていつ?」みたいなかんじもなくはなかった。連休前から風邪気味だったのは、じつはいまだにひっぱっている。あまりよろしくない。

帰省できなかったことにより、漠然と帰省を考えていた時期に重なっていた古本市に行くことになった。4時間ぐらいかけて会場の端から端まで本棚を見て歩き、結局、5冊ぐらいか、購入。今年は金井美恵子の詩集『花火』を見つけたのがヒットで、これは学生時代に、金井とあれば必ず買っていたはずなのに唯一、「詩集かぁ・・・」という理由によってスルーして以来見かけなくなったもの(たしか鴨川の近くの通りにあって、学生時代にはよく行った、入口に「良書を読むための条件は、悪書を読まぬことである ショーペンハウエル」という看板が置いてあった本屋だったけれどたしかもう無くなっている)。古本市は、そういう、学生時代に書店や古書店の棚で見かけたような本がいまだに並んでいるようなところで、なんかそのために行くようなところがある。古典的な本は次々に新訳が出て文庫化されるし、単純に入手困難な本を入手するためだけなら、ネット通販で容易に手に入るようになってきてしまった。なので、買う、というより、棚を見て空気を吸いに行くような感覚なんである。やれやれ。スーザン・ソンタグの『隠喩としての病』とか、昔はどこに行っても当たり前にあったのに、なんか、就職してからふと探したら見当たらなくなっていたような本で、そういうのを買ったりするわけである。

で、それはそれとして、連休中には絲山秋子の文庫本をまとめ読みしていた。連休前に読んだ『逃亡くそたわけ』が意外によかったし、ブックオフ等で安く簡単に手に入るので、すぐに何冊か集まって、それを枕元に置いておいて読んでいったという次第。著者は同世代なので、そのへんで共感しつつ読むというところもある。なんでも世代世代というのもあれだが、この人に関しては、やはりこの世代ということを主題にしていると思う。
それにしても、一方で本を買い、もう一方で読む本はそれとは別に買い、ということであるなら本を買うって何だ?

3月ごろから続けていたダイエットはいちおう一段落ということにする。べつにさほど苦痛でもないのでもっと続けたってかまわないようなものなのだけれど、一応、集中的にというつもりでやっていたので、体重も体脂肪も一応へらすことができたということで、成果が一応みとめられたところで区切りをつける。栄養を取って風邪を治そう。


 


6月3日。ここのところなにをしていたのか。

気が付けばもう6月なのだった。5月の後半は例年なんやかんやと気ぜわしい。専攻の合宿研修がこの時期だというのが大きいのだけれど、今年は、学内の役が当たったことで急遽、関西のFDの総会というものに出席せねばならぬことになり、それが合宿のある週末にちょうど重なった。今年は担任クラスが三回生で企画運営担当ということもあったし、二回生の授業の企画会議も合宿の夜にすることになっていたので、行けないのは痛かったけれど、まぁ仕方なかった。
で、関西FDの総会、というのは、ポスターセッションあり調査報告ありで、想像してたより面白かったので、まぁよかった。各大学のFD担当者やFD委員長のような人たちが集まっていて、なんだかんだで教育学出身の人がけっこういたりして、知っている人に声をかけていただいたりして、そうなると学会的な面白さというのか、同窓会的な楽しさというか、はあった。
で、翌日、朝5時に起きて電車に乗り、路線バスに乗り継いでから最後には45分ほど徒歩で坂道を上り、なんとか朝9時半に自然の家に到着して午前中のプログラムに間に合った。そのあと食堂で昼食のカレーを食べて、バスに乗って帰ってきたので、なんだかカレー食べに行ったような感はあったけれど。まぁ、今年はそういうことだった。

それ以外にも週末に仕事の入ることもあり、5月後半は妙にくたびれるのが例年のことで、今年もそうなったわけである。


 


6月15日。疲れは腰に来る / イコライザーが効果を示す / 梅酒をつける。

梅雨に入ったとはいえなぜかさほど雨に降られているかんじがしない。単調な通常営業の続く6月なので、雨に降られないのは助かることである。このままなんとなくやりすごしてくれるといいなあと思い、でも梅雨に雨が降らないと水不足になるというのだから、ここじゃなくてもっと山の中のダムのあるところや水源のあるところではたくさん降ってほしいものである。なんか、マンガみたいに雨雲がこう、スーっとダムの上に行ってそこでザーザーと降ってくれると、なんていうか、ベストである。
などとまぁあいかわらずのんびりしたことを思いめぐらして日々を過ごしてはいるのだけれど、まぁしかし疲れはたまってきているね。年齢のせいで中年力がついてきたものだから、疲れがたまってくると腰にきて、ときどきなんとなくぴりっと違和感を覚えるかんじがする。そこからまたぎっくり腰になったりしたらかなんので、ソロソロと生活するわけであるが、それにしても「腰に張りを覚える」とか、なんとなくプロ野球投手みたいじゃないですか。まぁ、故障者リスト入りしないように、なるべくのんびりと生活しようとこころがけるところ。

物欲がなかなかつづかなくて、そうなると日常は最低限のラインで妙に安定してしまう。疲れたら疲れたなりのラインで妙に安定してしまうのでそれは困ったことである。なにか努めて積極的に楽しいことを求めよう、そのためにはさしあたり何か新しいものを買って生活に変化をもたらそう、と、まぁ中年力を発揮して何事も金銭に解決の糸口を見いだそうとするわけである。それでAmazonかなにかをつらつらと閲しているうちに、ふと、イコライザーを見てみたら安くていろいろ出ていた。下宿のミニコンの音をドンシャリ化したいというのは以前からずっと思ってあれこれしていたのであるが、根本的には、昔のラジカセにはグラフィックイコライザーが付いてたのに今のミニコンにはついてない、という問題があったのだった。なので、イコライザーを外付けで購入してうまく接続すればなんとかならないか、ということになる。以前そう思い立ったときに探したら見あたらなかったものが、ふと先日見なおしたら、ふつうに売ってたんである。なので買いました。それでこちゃこちゃと工夫をしてつぎはぎ的になんとか接続してみた。で、思ったほど(というかほとんど)音が変わらないので、なぁんだ、と思っていたけれど、次に思いついたのが、やはりアンプをどこかにかませたらいいんではないかと。それでまたAmazon。で購入。そういう流れは物欲が自然に生じて非常に幸福である。でまたこちゃこちゃと工夫をしてつぎはぎ的に接続。こんどは明らかにうまくいかないので、なぁんだ、と思ってアンプはやはり没にする。この無駄な消費感がこれまた経済人類学的な幸福を生むけれどそれよりもミニコンの音のはなし。結局しばらくは首を傾げつつ聴いていたのだけれど、あるときふと、今までさわってなかったよく意味の分からないボタンというのをプチっと押したらいきなりイコライザーが効きはじめて、これでもかというぐらいのドンシャリな音を出すことができるようになったんである。ジャズのドラムセットのハイハットやシンバルやブラシの音がこれでもかというぐらいに聞こえるようになったので、非常に生活が改善されたような気になった。よいことである。

スーパーの店頭に青梅が並ぶ季節になり、今年も懸案の梅酒を、結論的には漬けた。一昨年にひと瓶、去年にはまたひと瓶漬けた上にもうひと瓶、ブランデーと黒糖の梅酒を漬けて、これがけっこう具合よかった。なので、今年も「通常版」「黒糖ブランデー版」をふた瓶漬けるということも考えたのだけれど、どう考えても下宿が梅酒だらけになってしまう(作る割りには、ほとんど飲まないので)。なので、今年は「黒糖ブランデー版」をひと瓶だけ漬けた。3年目ともなれば慣れたもので、じつに適当に漬けたので仕上がりがどうなるかはまったく保証の限りではないけれどもそれは一向にかまわない。要するに飲まなければいいのだ。



 


6月30日。『教育社会学研究』が出た。「特集 教育と責任の社会学」に書かせていただいた。

さて通常営業の6月とはいえ、中身は結構あれこれあって、たいへんだった。奈良市の公民館&放課後子ども教室とのコラボ事業で、1回生クラスが施設見学と子ども教室参加。天理市観光課さんとのコラボ事業で、2回生クラスがイベント企画運営するというの、これが、一つ目の大きな会議をどうやらクリア(まぁ、宿題が結構残りつつの合格というかんじではあったけれど)。FD委員会のほうで、公開授業をやっていただいたのと、学外から講師の先生をお招きしての研修会。どれも、自分が何かやるというより、学内外のかたとの連携で成功にもっていくみたいなしごとが続いた(まぁ、FDのほうに関しては、事務局のみなさんがてきぱきとやってくださってたので私がとくに何かやったということはないのだけれど)。なんかしかし、そういうのが苦手だったはずなのに、気が付けばやはりそういう種類の仕事になっているわけで、ひとつには、まぁいつもながらに思うことではあるけれど、そういう年配になってきたということなんだろう。

某日、下宿に『教育社会学研究』が届いた。これ、「特集 教育と責任の社会学」に書かせていただいたやつなんで、ようやく出たのは非常にうれしいことである。わたくしの論文の出来はともかくとして、やはり特集をお読みいただきたいと宣伝したいのである。