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(2008/7/1 - 2008/12/31)

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7月16日。春学期の授業期間がだいたいおわった。おつかれさま。

非常勤先でイレギュラーな授業日があとひとつあるけれど、あとはだいたい終了。おつかれさまである。

某日。お仕事のおはなしをいただく。3月末のしめきりで400字詰で25−30枚、青少年の問題行動の発見と対応みたいなことについて、というお題。こういうことが書けそうかな、という見当はついているので、あとはそれを30枚の長さで組み立てることである。例によって映画にたとえると、50分ていどで60分は超えない中篇というところ。さてどうなるか。

もうひとつのお仕事のはなし。学校社会学研究会のプログラムが決まった。
自分は、二日目のシンポジウム「学校社会学の課題と研究方法」で報告をするということになった。去年の研究室紀要に書いたものを出発点にして、話題提供のようなことができるといいと思っている。
上智大学の武内清先生のサイトにくわしい告知が公開されている。

第26回 学校社会学研究会プログラム

2008年8月22日(金)(1日目)
12:30〜  受付
◆◇◆
13:00〜13:20  開会(自己紹介など)
13:30〜14:20
 「毎日中学生新聞投書欄に見る子ども・学校・社会」
   元森絵里子(学術振興会会員・東京大学大学院)
14:30〜15:20
 「現代の高校生における友人関係」    
   小針 誠(同志社女子大学)・末次有加(大阪大学大学院)
15:30〜16:20
 「マルチレベルモデルを用いた学力テストの分析」
   川口俊明(大阪大学大学院)
16:30〜17:20
 「ペット関連業界の労働市場 −その教育訓練とOJTの関連等をめぐって−」
   荒川 葉(お茶の水女子大学)
17:30〜18:20
 「スポーツ物語における成長の概念 −『スラムダンク』を中心としてー」
   白石義郎(久留米大学)
◆◇◆
19:00〜21:00  懇親会

2008年8月23日(土)(2日目)
7:30〜  朝食
◆◇◆
9:00〜9:50  
 「質的トランジッション研究とキャリア教育の実践」 
   古賀正義(中央大学)・五味 靖(中央大学大学院)

10:00〜12:00
シンポジウム「学校社会学の課題と研究方法」
   司会: 望月重信(明治学院大学)・武内 清(上智大学)

報告1 「会話の記述から方法/構造を読む」
     石飛和彦(天理大学)
       資料:石飛和彦「学校的秩序空間の組織化」
          『天理大学生涯教育研究』no.11(2007) p.37-50.
      (http://www2s.biglobe.ne.jp/~ishitobi/ishitobi07no11.pdf

報告2 「教室文化の文脈変容と質的研究法の課題」
     藤田英典(国際基督教大学)

コメント
     名越清家(福井大学)

12:00〜12:10  総会
12:10  昼食、解散


 


7月31日。このところなにをしていたか。

授業期間が終わって、試験監督をやり、採点をやり、あれやこれやをやり、あとは下宿に引きこもって本を読んでいた、のだと思うのだけれど、いまのところあまり夏らしい読書をしたようなかんじがしない。まぁ、今年は成績提出の〆切が早めに設定されていたこともあって、7月中はけっきょく毎日、なにがしかのごちゃごちゃした用事をやっていたのでまださほど勉強のほうに集中できてないのじゃないか、というのもある。まぁだからぎゃくにいうと、成績つけと入力が早々に終わってしまえば、あとは集中的に自分のことができるというのもある。

学校のないときにやっておかないといけないことというのはあれこれあって、たとえば今年、何ができていないかというと、映画(といってもビデオやDVDだけど)がぜんぜん見れてないんで、これはやはり見なくてはいかん。というわけで久々に何本か見たらやはりよかった。2時間ぐらい、あるいは二本立てを組んで4時間ぐらい高峰秀子の顔をながめていることは絶対的によいことなのだけれど、それがよいことなのだと言う前に最近はついつい意気阻喪してしまう。通勤電車で新書本やビジネス書を読んだり、賞味期限のはやい若手芸人が1分間ずつ次々と出てくるテレビを見たりしていると、そういう感覚になってしまう。いかんよ。

いやしかし暑い。今年は、梅雨が明けてからいきなり最高級に暑くなってた。外を歩いていても湯の中を歩いているかんじで、学校に到着した頃には汗で、「水中から登場した人」みたいになっている状態。ある日、夕方ちかくになって仕事から帰るときに、陸橋に掲示されている温度計が「39度」になっててげんなりした。まぁ、道路の照り返しや陸橋の鉄が焼けた熱もあっての数字だろうけれど。部屋も、今年は暑くて、たぶんマンションのコンクリートが熱せられてるんじゃないかと思うけれど、いちばん暑いときには、エアコンがうまく効かないという事態が。ていうか、設定温度より冷えすぎるんであって、その心はといえば、たぶん、壁が熱せられているのでエアコンの機械が、部屋の床付近が冷えてもさらにがんばりすぎて冷やしすぎてしまう、ということじゃないかと思う。まぁ、ミニ扇風機で部屋の空気をかき回して、多少、改善されるようだけれど、また最強の暑さが来たら同じようになるかもしれない。まぁ、前の下宿ではエアコンそのものが効かなくなって室外機に水をぱしゃぱしゃとかけていたのだから、それよりはいいのだけれど。やれやれしかし、暑いものである。
まぁ夏だからね。


 


8月11日。夏の読書。

夏らしく本を読もう、ということで、まぁ、あれこれ読んでいるのだけれど、例によって何を読んだのかということをあんまり公表しないわけで、何年か前にも同じようなことをここに書いたような覚えもあるけれど、つまり、こういうときに意を決して読む本というのはえてしてながねん読まなくてはならないと思いつつ読んでなかった本だったりして、だからこそ読むと勉強になってよいのだけれど、読んだというと「えー?まだ読んでなかったの?」ということになる本だったりすることもあるのだ。
あと、別パターンとしては、読むには読むけれど一読なんのこっちゃわからない、けれどとにかくちからまかせに最後まで読んじゃう本、というのもあって、それでも読まないのと読むのとでは違うといういみで、こういう時間の自由になるときにえいえいおうと読んでしまうけれど、まぁ他人様に「読みました」と言いふらせるものではない、というのもある。
で、まぁ、そういう感じで読み、そのあいまあいまに、関係なさそうな本とか軽めの本とか久々に再読する本とかを読んで、まぁ、暮らしているとお考えいただきたい。

まえまえから、これは読書会でも開催しないと読む気がおこらないかな、というような本があって、その序文だけでも読書会で読めばかなり誰もが勉強になるだろうにと思いつつ、もちろん読書会などというものが開催されるわけもなく月日がたって、たとえばそういうのを読むわけである。これはしかし読んでみてやはりおもしろかったしひさびさに勉強になった。

部屋で読書が進むというのは、外を歩いてないということで、昔は毎日のように散歩に出かけて炎天下にどんどん歩いていたのだけれど、今年などはほんとに部屋に引きこもっている。今年はひとつには、突然の雷とスコールというのが何度かあって、それが冗談じゃないぐらいものすごくて大変に恐怖した。だから多少晴れていても特に午後の遅いほうの時間帯になってくると、出かける気がそがれてしまう、というのもある。
あんまり部屋にいるとクーラー病になってしまう − 自律神経失調になって、なんでもないのにひゅるひゅるっと熱が出て39度ぐらいになったりする − というのも例年のパターンではあるので、様子を見て散歩もしよう。


 


8月27日。風邪の盆。

けっきょくのところこの夏はえらく暑かったようで、それが、お盆を越して五山の送り火あたりを境にあっさりと秋風が立って涼しくなった。ところでそのあいだ何をしていたのかといえば、やっぱりけっきょく体調を崩していたのだ。

それで、学校社会学研究会に行き、湯河原に降り立ったときにはかなりふわふわとしていて、結論からいうと一日目だけに参加して帰ってしまった。それで、研究会のお世話どりをしていただいていた武内先生や望月先生をはじめ、皆様にごめいわくをおかけすることになってしまった。
一日目の皆さんの発表を聞くことができてよかったのと、また、急遽発表順をいれかえていただき自分の準備してきたものも発表させていただいけたので、それは収穫で、とてもありがたかったしよかった。しかし、二日目の皆さんの発表や、懇親会やその他の時間にできたかもしれないディスカッションができなかったのは残念だった。それよりなにより、先生方や皆さんにご迷惑をおかけしたのが申し訳なかった。

それで、けっきょくおとなしく寝ていて、だんだんよくなってきたところ。


 


9月13日。彼岸迄。

8月の終わりぐらいからぼちぼち学校は再開していて、会議とかがぼちぼち入っているし、学校のあれこれの業務は進行しているのだけれど、通常授業がまだ始まらないので、こちらとしてはまだ夏休みの延長のようでもある。気候も一時期すずしくなっていたのがまたちょっと暑さがぶり返してきて、そのあたりもまだ秋学期の到来を実感させないゆえんになっているといえなくもない。暑さ寒さも彼岸まで、という言い方もある。通常授業が始まるのは、ちょうど学会に行って帰ってくる頃だ。

そういうわけで、9月に入ってから帰省。妙なぐあいに、8月より余裕のある日程になったので数日間のんびりした。テレビを見たり(このたびは見ていなかった朝ドラとか、NHKの時代劇とか大河ドラマとか、あとこっちでやってない料理番組とか、あとパラリンピックとかそういうのをだらだらと)、一度だけ散歩に出かけたり、あとは庭の木や草の青々としているのをぼんやりと見たり、とんびが鳴いているのをぼんやりと聞いていたり、まぁそういうかんじ。
のんびりするぞという決然たる意志を以って帰省したので、荷物の中にのんびりと読む向けの本を何冊か入れていたのだけれど、結局、いつものように、実家に置いてある昔読んだ村上春樹とか狐狸庵先生とか、砂川しげひさのクラシック本とか、少女マンガとかをまたしてもくりかえし読み返したりしているうちに日々は過ぎ、持参の本としてはまぁようやく『百鬼園随筆』を(これも再読ではあるのだけれど)読んだぐらい。まぁあとは、20年ぶりに発掘された逢坂みえこ『9時から5時半まで』(ヤングユーコミックス)を読んで、これは悪くなかった。なんていうか、こういっちゃなんだけれど、どこといって傑出したところのない「ふつうの」マンガで、80年代終わりとか90年代頭ぐらいまでのOLさんたち(『ヤングユー』誌の読者層)の感覚がふつうに描かれていた。昨今いわゆるところのアラフォー世代の人たちが新社会人だったころの同時代的な作品。当時としては、まぁなにせどこといって傑出したところがないな、といって簡単に読んでスルーしていたのだけれど、いまとなっては意外とそういうのがむやみに懐かしい。

あと、小学中学生のときに読んでいたカッパブックスの『科学パズル』をぱらぱらとめくっていたら、昔も釈然としなかったし今でも釈然としない問題があって、帰りの新幹線の車中でもうとうとしながら繰り返し考えていたのだけれどなんとなく釈然としないのだけれど、A地点からB地点まで歩いて行って戻ってくる、というのである。それで、A地点とB地点の間を「動く歩道」で結んで、AからBに向けて定速で流れるベルトの上を同じように歩いて行って戻ってくると所要時間は短くなるか長くなるか、というのだけれど、なんとなく、行きで得して帰りで損して行って来いのチャラで所要時間は変わりません、というふうに思えそうなのだがそうではないのである。もちろんクイズの本なので頁をめくれば答が書いてあって説明を読めばそうなのかと思いはするのだけれど、でも、直感的に、行って帰って行って来いのチャラじゃん、という感覚が抜けない。ありありと感覚的に、なるほどこうだ、というふうな考え方にいたらないので釈然としない。

この夏は、成瀬巳喜男の映画をまとめて見ることができて(そのついでに小津とか川島雄三とかも見てなにげに日本映画ブーム)、これがひとつの収穫、そして、じつはいちばんよかったのが、金井美恵子の小説をようやく読んだ、ということである。
『噂の娘』と『快適生活研究』、どちらも出たと同時に買ったのだけれど、読むとなると、せわしい日々の中で読もうという気にならなくて、ずっと背表紙ばかり眺め暮していたのだ。この夏は、新しいエッセイ集『昔のミセス』が出たということもあるし、それ以上に、ゆっくりしたものをゆっくりした気持ちで読むぞ、という決然たる意志が働いたことで、ようやく夏の終わりの8月末に、読んでみようかな、というふうな気になって、読んだ。
やはりよかった。


 


9月24日。草の名前/学会にいってきた。

たしか朝顔のような葉っぱで、細かい毛に覆われた太い蔓というか茎というか、とにかくどんどん伸びていっては崖やら樹木やらフェンスやら電線やらに巻きついて覆ってしまう、それでついに風景の輪郭がもやもやと曖昧な草色の形になってしまい、雪国で雪がこんもりと積もってできあがるのと同じような、それがぜんぶ葉っぱと茎でできているような、そういう風景というのを誰もが見て知っているわけで、ほんとうにどこにでもいたるところにあるのだけれど、その草の名前がなんというのか、あらためてふと疑問に思って、そういえば知らなかったことに気づいて呆然とする。
帰省したときに、散歩をして、そうすると、あれこれの店や町並みは変わっていたり変わらなかったり古びてしまっていたり新しくなっていたりするのだけれど、それとは別の次元で、雰囲気みたいなもので、自分が小学生だった頃から変わっていない感じを受けて、たとえば高校時代に通学路にしていた小さい山を越えていく道の傍の崖の土とか雑木林とか石段とかセミの声とかの感じが、どこがどうということはないのだけれど、固有の感触をもっているような気がする。それで、アフォーダンスとかサーフェスとか、そういう言葉を思い浮かべる。いま住んでいる街や生活圏は、たぶんスケールとか開発のされ方とかが、実家のある地方都市とは違って、それに気候も違うし、たぶん土の種類や植物の種類も違うし、人間の生活習慣も違うかもしれないし、そういうことがあれこれ重なって、ぱっと見の風景を、ちがった風合いにしているような気がする。帰省したらいかにも帰省した気分になるのは、そういう環境にふっと触れるからではないかと思ったりする。などとぶつくさ思いながら散歩をしていて、ふと気がつくと、風景の輪郭を雑草が覆い尽くしていたんである。そういえば、こういう風景は、いまの自分の生活圏の中では目にしていないような気がする。ところで、この植物は何だっただろうか?

夏休みの最後に、学会に行ってきた。今年は上越教育大学。遠いだろうかと思っていたのだけれど、案ずるより生むが易し、特急を二本乗り継いで思いのほか簡単に行くことができた。今回は、司会などの役が当たっていないし発表もしないので、会議にひとつ出席するのだけが義務で、それがおわった後は気楽だった。いくつかの部会を見て歩き、二日目の最後には社会化の部会でまったりと過ごして、来年こそは理論部会を復活させよう、といいつつおひらきとなった。
懇親会でも若い人たちと喋ることができて、楽しかった。研究の話でもりあがるのはとても楽しい。命の洗濯の趣がある。

今年の学会は三日間だったけれど、三日目は早引けして特急に乗って帰ってきた。窓の外を見ていると、線路端のフェンスから空き地にかけて件の植物がわさわさと繁っている。そうそう、こういう感じでいたるところにあるのだ。実家の回りばかりでなく。
などといいつつ下宿に戻り、それで気がつけば、じつは下宿のマンションの周囲のフェンスとちょっとした土の露出した部分に、件の植物は、あたりまえのように繁茂していたのである。

もう、どこからどうみても秋である。授業も始まった。気持ちを切り替えること。


 


10月13日。このところなにをしていたか。

秋学期の授業が始まり、この時期は例年のように、なんだかくたびれているようで、この場所にもなんだか毎年のようにそんなような事を書いているのだから、今年はもう書かないでおこう、と一旦は思いはしたのだけれど、しかし、毎年のようにくたびれているのだから今年はもうくたびれないでおこうということにもならないようである以上、やはり、なにをしていたかというとくたびれていましたというしかないようである。学会から帰って、夏いらいの体調のぐずぐずにかたをつけようと、歯医者を覗いてみたり、医者に行ったりなどして、しかしこの年齢にもなれば、大した事ないでしょうと言ってもらえるためだけにも一週間待たねばならなかったわけで、これはやはりくたびれることだ。

そんなこんな言っているときに読んだのが、すでに各方面で好評の松本哉『貧乏人の逆襲』(筑摩書房、2008)で、これはむやみに面白かった。通勤電車の中で読んで、ついつい笑ってしまって恥ずかしかったのだけれど、おもしろいことに、この本の感想を書いているあちこちのブログというのを覗いてみたら、同じように電車で読んで吹き出して恥ずかしかったと書いている人が何人もいた。まぁそんな本。この世界には面白いことがいくらでも起こりうるしいつでも起こせる、という明るさが一貫してあって、それは正しいし、貴重だ。いわゆるところの「格差社会」であるとか「ロスト・ジェネレーション」であるとかの周辺の本としても、こういう明るさというのは必要なはず。
世間では株価が下がったの世界不況だの恐慌だのなんのと言っているわけで、それはそうなのだけれど、それに対して個人レベルでの強靭なオルタナというのがあるとしたら、たとえばこのへんの本を読んで無闇に明るくなる、というのもありだと思うし、明るいというのは明晰ということでもあるのだ。

秋だからというので秋刀魚を連続して食べている。そうはいっても、あの長い魚がつぎつぎと連続的に口に入り込んでいくところを想像してもらっても困るだろう。まぁ、ひんぱんに食べている、というていどの意味である。スーパーの鮮魚コーナーで、トロ箱の氷水の中に浸かって売れている秋刀魚の、目が合ったのを「この人と、この人。」といいつつトングで掴んでビニル袋に入れて持って帰る、というのにも慣れてきて、また、魚焼きロースターで皮をパリッと、ワタまでおいしく焼く加減も、なんとなく会得してきた。


 


10月28日。へたな人があれこれと考えることは休むことに似ている。

このところずっと、短い作文の宿題にひっかかっている。さいしょに設定された〆切は過ぎていて、そういうことはあまりよろしくないのだけれど、まだ手元にある。ずっとかきあぐねていて、いくつかのプランで書きかけては釈然とせず没にしたりをしばらく繰り返していたのが、ようやく方針が決まり、ひととおり書きあがってはいるのだけれど、もうちょっと様子を見つつ手元において手直しをちょこちょことしたい気分でいる。
あんまりこねくりまわしているとよくないのだけれど。

それの関係もあって、web上の『白書』類をあれこれ覗くことがあって、これはもののついでだということで、いろいろな白書類をダウンロードしてCDに焼いたりしていた。過去何年かぶんがそれぞれweb上にアップされているので、けっこうな分量になって、CDも二枚めに突入である。
CDに焼くだけではなくて、USBメモリの大容量のやつに入れて持ち運ぶ、というのもできて、だから、学校で空き時間にダウンロードしたのをUSBに保存して自宅に持って帰って自宅のPCに入れてみたりしている。USBメモリの2Gのやつを最近買ったので、さっそく役に立っているという次第。いやしかし、大容量で小さいのはいいけれど小さすぎてペキっと折れそうなんで、ふだん使いにはやっぱり従来の32MBのを使ってるのだけれど。
『白書』やいろいろな公式統計や意識調査というのは、国がやってるんだからいちおうええかげんなものではない、という面が半分と、けっきょく国のプロパガンダなんだから結論ありきでやってるという面が半分ぐらいあって、だから、見てると結構楽しい。かなりむりやりなデータ解釈もあったりして、突っ込みどころ満載でもある。そういう意味もふくめて、学生さんにも授業で薦めたりしているのだが。

7月の終わりごろからひさびさに、つんどく状態のDVDの映画をまとめ見していて、8、9月は10本ずつをクリアしていたのだけれど、10月はさっぱりである。授業が始まったせいと、くだんの短い原稿が書けてないからということなのだけれど。
かわりといってはなんだけれど、枕元に高峰秀子の自伝エッセイ『わたしの渡世日記』を置いて寝る前や寝起きにちょっとずつ読んでいて、それは楽しかった。
5歳から子役スターで、一家の収入を一人で支え、親兄弟に金をむしられ、小学校にもろくに通えず、かんたんな算数もできないままで、しかし聡明で、自分で本を読み、また一流の大人たちと交流しながら自己形成した、甘さのかけらもないドライな「現実と二人づれ」の半生記。文章が心地よいんで、率直で聡明な文章。
成瀬に出てくる高峰秀子の存在感の感じが、いっそう理解できるようになる気がする。それは収穫だった。

肌寒くなってくると、肉豆腐をつくっては、ぼちぼちと突っ付きつつ日本酒をあっためたのを飲んでたりするのがちょうどよくなってくる。これはこれでよい季節であるね。
今年はれんこんとか里芋を食べている。先日読んだ水上勉『土を喰う日々』のイメージで。


 


11月15日。あたらしい研究会はじめよっかなあ。

今月はなにしろ誕生月で、誕生日があるというので昔はなんとなしにそわそわしていたものだけれど、この歳になってみると、これといってめでたいこともなく粛々と誕生日を迎えるといったわけで、昼休みにコンビニに出かけて何かおなかに入れるものをみつくろっているときに、赤飯のおむすびがあったのでそれを買って食べたとか、帰りにスーパーで鯛の切り身を買って、塩焼きにしてから、いっしょにこれまた買ってきた赤飯とともにもそもそと食べたとか、そのくらいでおしまいである。ていうか、コレステロールが高いとか言われて、なんかすっかりごちそうを食べる気力が削がれてしまった、というのもあって、その辺で、逆説的にも、年齢をまた一つ重ねたことが身にしみたりもしているというわけなのだ。

また、この時期は、3年前にいまの下宿に引っ越してきたという時期でもあって、10月の終わりに引っ越してからしばらく、台所用品とかをぼちぼちと買い揃えていたのが今の時期で、ちょうど寒くなってきたので誕生日に毛布を購入、とか、カーテンを買ってきたのは引っ越してしばらく経ってからで、ちょうどいまごろ、大相撲を見ながらカーテンを張ったとか、なんかそういうことを思い出す。

それで思い出したのは、3年まえにはまだ研究会が動いていたのであって、引越しして本棚が増設できたことを研究会の懇親会で自慢していたのを思い出した。本棚が増やせたのがよほどうれしかったのだろう、バカなはなしだ、というのはさておき、いますっかり動いていない研究会が、動いていたときがあったということを思い出して、感慨にふける。まぁ、3年というのはそういう時間で、みなさん忙しくなり、状況が変わったり所属が変わったり住所が変わったりもして、集まれなくなったというのはいたしかたのないところである。いい研究会だったし、いいメンバーを集めることができたし、また、それぞれのメンバーがいいタイミングで集まって、つまり、各自が新しい刺激を求めたり新しい成果を出したりするちょうどのタイミングで、研究会がプラスになって産まれた成果もいくつかあったと思う。それはそうなのだけれどそれはそれとして、どんな研究会でも動かなくなってしまうということはあるし、動かなくなってしまったらそれはしかたないことだ。よい研究会なので、また機会を見て動かしたい気はあるけれど、それはそれ。
新しくて生きのいい研究会というのが立ち上げられないかなあ、というふうに思う。
よいメンバーとよいコンセプト、がきめてである。
まだ、具体的な案はないし、具体的なあてがあるわけでもないけれど、たとえばこういうところに書いてみれば、自分でも少しその気になるのではないか、実現に向けて前進するのではないか、というふうに思う。

某日、テレビをぱちっとつけると、眼鏡をかけたおじさんが映っていて、それがどうやら過去の映像アーカイブからの安部公房のインタビューか何かで、それで、自分は安部公房のよい読者ではなくて、学生時代か何かに1冊ぐらい読んでもひとつピンとこなかったかなんかなのだけれど、そういえば丹生谷貴志の安部公房論があったということを思いついて、ちょっと読んだ。誕生日に丹生谷貴志を読むというながれを今年も反復。
あと、通勤電車ではドゥルーズ『記号と事件』の改訳文庫版をぱらぱらと読みつつ。「追伸 管理社会について」の最後の一文の訳が変わっているのだけれど、原文はどうだったのだろう?


 


11月30日。このところなにをしていたのか。

野口整体なんかの本を読み返したり、あたらしく別の整体についての本を買ってきて読んだり、していた。野口整体というと、何年か前に『風邪の効用』というのを読んでぐっと来た覚えがあったもの。もちろん、基本的にはあやしげなのだけれど、科学として読むのではなくて、ある種の経験則というか、身体イメージを比喩的にコントロールするみたいなものとしては、けっこうおもしろい。
それで、腹式呼吸をしながら「背骨に気を通す」ってのが、いちばん基本の入り口のほうにあるのだけれど、どうやるんだ? イメージとしてはわかる気がするのだけれど、実際にできるかというとなかなかできない。しかし、そのまた手前のところで、息を全部吐き出してから吸う、というのを何回かやっているとあくびが出てくる、というのは、簡単にできる。そりゃ、あくびというのはたしか酸素が足りなくなると出るので、これは自然な反応なのだけれど、しかし自分であくびを出すというのは(そういえば「あくび指南」って噺があったけれど)あまりできるような気がしなかったわけで、なんとなく簡単にあくびが出ると、隠しコマンドを見つけた(?)ような感じで面白い。あくびが出ると、体の緊張が取れてリラックスするみたいなことのようで、それはそういうこともあるだろうと思う。

日々はあわただしく過ぎていく。なにをやったということもなく11月もおわりである。寒くもなってきたことだし、なによりも健康に留意しながら12月を迎えよう。そのためにはまず背骨に気を通すってのを何とかしたいものだね。


 


12月15日。明るい表通りで。

こういうところにくだらない作文を書いてはお眼汚しをしているのだから、せめてもの心がけとしてはなるたけのんびりと気楽なことを書きたいものである。しかしどうもこのところ不景気なニュースばかりが聞こえてきて、のんきな感じにならないところだ。

「100年に1度の不況」だそうで、そんなものかな、テレビで言っているのだからそういうものなのだろうと思いつつ、100年前といえば明治時代だ。1929年に世界大恐慌があって、というのはたしか学校で習った気がするけれど、そこから数えても80年しかたってない。明治以来の日本が(あるいは20世紀の世界が)経験したことのないような、あるいは一度だけ経験したような不況、ということかしら、と考えてみて、そうかなあ、とも思う。バブル崩壊だってひどかったし、オイルショックなんてのもあったし、第二次大戦後の混乱なんてのもあったし、経済の混乱ということで考えてそれ以上のものが今だ、といわれると、そうかなあ、と思いはする。だいたいこの100年で経済の規模もしくみもどんどん変わってきてるわけだから、「100年に1度」という言い方じたいがぴんとこない気がしてくるわけで、「100年に1度」というなら少なくとも800年ぐらい前から観測して、なるほどこれは100年に1度ぐらいだなあ、というのなら納得もできる。まぁ、テレビの人たちや専門家の人たちはそういうことをちゃんと調べて言っているかもしれない。

不景気だからというのでテレビでは節約だの吝嗇だのの特集をやっていて、まぁ生活防衛のために節約は必要なのですといわれればそうなのでしょうと思うけれど、「残り野菜をアレンジすればもう一品!」みたいな、なんだかケチなんだか優雅なんだかよくわからない悠長なことをやっていて、とても本気であるようには見えない。
そして、かたっぽでは、内需拡大しないといけないようなことを言っているのだけれど、みんなが節約したら内需縮小してしまうのではないかと、心配になって、そこのところをわかるためにやはり経済というのを少しは勉強しておかなくてはいかんなあという気にもなる。
なんか、「100年に1度!!」みたいに景気よく騒いでいる人が、けっこう無責任で気楽だったりして、実際に進行しているいま現在シビアな状態とか、とくに大学の教師であれば若い人たちの現状とかにかなり直に接するわけで、そういうところに目が行ってないような気がするんである。

まぁしかし、よくわからない。よくわからないで、不景気なニュースや不景気な見通しばかり毎日聞かされているというのは、あまりこころ楽しいものではないですね。

教育ということでいえば、いま、あちこちの予算を削りながら、「学力低下」だけには対処しようとしているようなのだけれど、まぁ、「学力向上」を煽れば、個人レベルというか個々のご家庭レベルでは、自分ちの子どもの成績が上がればうれしい気がするので誰も反対はしないと思うけれど、そういう競争を煽っても、少なくともさしあたり国内ということで見れば、受験競争とか学歴社会というのは基本的にゼロサムなので、あんましいみないような気は、する。また、学力の国際比較のテストの順位が、下がるよりは上がるほうがいいわけだろうけれど、だからといってそれだけで「教育立国」が成り立つわけでもないし、いま現在の日本で、これだけ学校の勉強の能力がいわゆる「実社会」で軽視されているじょうたいで、教育立国もへったくれもないもんだとは思う。
その一方で、社会教育とか文化とか芸術とかをどんどん削っているわけで、いま現在じぶんが生涯教育専攻のスタッフなので特にそう思うのだけれど、なんだかなあと思う。国内で豊かに暮して内需拡大、ということであれば、社会教育とか文化とか芸術とかそういうほうに力を入れるほうがいいんじゃないかなあと思うわけである。現状では、学力競争はゼロサムだけれど、社会全体の教育水準を上げるというのは、富を産むことにもなるし、「実社会」の教育水準が上がれば、「学力」を活かせる社会にもなるというものだし。

「明るい表通りで On The Sunny Side Of The Street」というのが、1930年の曲で、ジミー・マクヒューの作曲したレビューのナンバーなんである。大不況の中で、暗い気持ちを吹き飛ばして足音軽く明るい表通りを歩こう、懐はカラッポでも気分はロックフェラーみたく豊かになるさ、みたいな唄で、ジャズのスタンダードナンバーになっている。
自分が大学院生で懐がカラッポの頃は、ハリー・コニック・Jr.というニューオリンズふう(のパスティッシュ)のピアニストが登場して、この曲をストライドピアノで弾いていて、カッコよかったのでずいぶん繰り返し聴いた覚えもある。
ちなみに今は、この曲、たしか発泡酒のCMで使われている。らしいといえば、らしいのだけれど、そういうつもりで使われているのかどうかはわからない。


 


12月30日。年末。

体重を量り、スクワットを50回ほどしてもう一度体重計に乗ると200グラムほど減っている。たしか5年以上前にそれに気づいたのだけれど、じつにひさびさにやってみたら、やはりそうなって、なにせものの一分かそこらで体重200グラムが煙のように消えてしまうというのだから大いに人体の神秘を感じたものだが、なにせ身体がすっかりなまっているので翌日から三日間ほどは足にミが入ってロボットのようになって歩いていた。通勤電車の乗り換えで階段を走って上り下りできず、トコトコと歩いているうちに電車一本見送ったりして大損害である。まぁ、(ぎっくり腰ならめずらしくもなくなってきたのだが)足にミが入るなどというのも久しぶりで、なかなか新鮮ではあった。まぁそんなかんじに総じて暇らしく年末を過ごしている。



 


1月1日。あけましておめでとうございます。

ことしもよい一年でありますように。