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(2011/7/1 - 2011/12/31)

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7月16日。夏が来た。このところなにをやっていたのか。

しかし毎日暑い。梅雨入りが今年は早かった、とかここに書いて、それでしばらく書いていなかったら、いきなり暑くなって、これは梅雨どころではないと思いつつしばらくしているうちに先日ようやく梅雨明け。なにしろいきなり暑くなったので、身体がおっつかなくてしばらくたいへんだった。何日か寝られずに夏風邪を引いたりした。まぁ、梅雨明けしてしまえば暑いのはしかたがないと観念もできるというものである。じつは例によって咳は(少し)残っているけれど、まぁだいたい今の勢いで夏の態勢にはいっていくわけである。

今年は節電だそうで、いろいろとうさんくさくなっとくもいかないところもなにも解決されないままではあるものの、まぁエアコンの設定温度を28度にするというのは例年身体のためにやっていることなので、世間があわせてくれるということについては文句は言わない。しょうじき、教室で28度設定だと学生諸君は目に見えてぐったりしてくるし、なにか「連日の猛暑で動物園のシロクマ君もぐったり」のニュース映像みたいにどてーっとつっぷしていたりするので、こりゃ仕事にならんな、と思わなくはないのだけれど。室温1度あたり作業効率何%おちる、とかなんとかいう数字は、れいによって検索すると出てくるわけで、だからたとえばコスト削減のつもりでやる節電なら逆効果になることは常識のたぐいなのだけれど、当節の節電は電力の絶対量が足りないのだというふれこみなのでしょうがない。しかし、グラフだのなんだの、「でんき予報」だの、もっともらしいことをいろいろ言ってるようだけれど、たぶんようするにそのでんき予報の根拠は気温の上昇とか予想最高気温とかそういうことで、つまり、電力が危なくなる予想のもとに節電を呼びかけるときというのはイコールいちばん暑いとき、ということなのだから、ようするに話を縮めると、一番暑いときにクーラーを切れ、という酷なことを遠回し&科学的風に言っていることになる。クーラーを切る以外に効果的な節電対策があるのかどうかはよくわからないし聞こえてもこない(コンセントを抜くなどというのは、いじましいケチケチ根性を満足させるためだけのもので効果の絶対値からすれば気分的なもんなんじゃないかなあと思う)のだから、どうもしかたないという気がするけれど、ほんとかなあという気も消えない。

文部科学省のせいで、というふうに不満がましい言い方にならざるをえんわけだけれど、本務校でも非常勤先でも7月中いっぱい授業期間になっていて、まったくこの暑い中、シロクマ君もぐったり状態で半月授業期間を引き延ばすことによってどういう教育効果があるもんかねえ! しかもそれによって夏休みが減っていったら、いつ研究をするんだ! とまぁ、文句の種は尽きないわけである。まぁ文句を言うほど研究業績をあげているのですか、と問われると言葉もない。ぼんやりとした時間の中で自分のやりたい研究、必然性のある研究、をゆっくりやっていく、というようなありかたは、もうありえないのか。もちろんありえないのだ。ただ、そういう旧い大学や旧い学者のふんいきがいくらかでも残る可能性がありそうなので、いまの本務校というのはやはりわるくないのだけれど。

研究上のおもしろそうなお話をいただく。年末あたりにしめきりが設定されているということで、これはそのままいくと守れなそうなので、秋学期が始まる前つまりこの夏休みのうちにいくらか目鼻を付けておかないといけないと、殊勝なことを考えている。殊勝な、とここで言ってしまっている時点で、あやうげではあるのだけれど。

某日、某書の書評セッションに参加。その場でコメンテーター風の役割を振られるけれど、もちろんそんな格好のいい真似はできないので、まぁぐだぐだと思いつきをしゃべる。ただ、ちょうど「教養」概念が話題になっていたので、シティズンシップ教育というか、私的な効果に還元されない、公的な効果を目指されるような教育、みたいなことに言及することができたのは自分としてはよかった。いや、節電でもそうなのであって、「社会のことを考える」イコール「お上(や府知事やらなんやら)の命令に従って「我慢」すること」というふうになってしまってるのが現状ではないか。むかし、朝日新聞の特集記事の大見出しで「公と個」の対立、と書いてあってのけぞったことがあるが、「公」の反対は「私」、「個」の反対は「全体」であって、そんな基本的な日本語の語彙も天下の大朝日がわからなくなってしまっているぐらいでは、民主主義なりなんなりがなりたつわけがないんである。なんかそんなことをあれこれしゃべったり、あとはなんか懇親会で、若い人を捕まえて理論が大切であるとか読めとかなんとか説教をしまくったりしていた。迷惑中年になってしまったものだ。

某日、金井美恵子のエッセイの新しいのが出ているというので本屋を探し、何日か書店を探しては見つからない日々を過ごして、ようやく手に入れる。このところ体調を崩したとか目の手術をしたとか猫が亡くなってしまったとか、勢いのつかない感じだったのが、新刊のエッセイ集では冴えが戻っている。そういうことなのだ。

よいことも、いまいちだったりこれはいかがなものかといったりしたことも、1ヶ月のうちにはあったであろうわけで、苦しきことのみおおかりし1ヶ月だったようにも思い起こされはするけれど、やはりもう少しこまめに書き留めてさえいれば、喜ばしい瞬間だっていくらでもあったんである。たぶんね。ブログでもツイッターでもなくここにこうして書き留める文章は、そういう楽しいことを何度でも読み返すために書いているようなもんじゃないか。たぶんね。


 


8月1日。テレビが映らなくなった日々。

そういうわけで7月いっぱいまで授業期間が続いて、ようやく8月。ひところの厳しい暑さは、台風前後からなんとなくおさまって、まぁ夏だから暑いにせよ、なんとなくしのげる感じではある。

居間のテレビが映らなくなった。地デジ化、ということで、対応しなかったらそうなったということであって何の不思議もない。一週間たったが、もう少し慣れたらこのままいけるんじゃないかしらとも思わなくもない。寝床の枕元にひとつ、地デジ化したテレビがあるので、まったくテレビと縁が切れたわけでもない。朝、目が覚めたときにとりあえずテレビをつけるとか、あとまぁ見たいものがあれば、寝室で見れるわけである。ただ、寝室でずっと居るわけにももちろんいかないし、居間のメインのテレビがとりあえずついていないと、シーンとして辛気臭いものである。
まぁ、困ったらテレビぐらい(というか、実際にはレコーダーを買うと思うけれど)すぐに買いに行けばいいわけだし、そんなにあわてる必要もなかろうという気もする。いや、困ることなんてあるんだろうか? テレビが映らないうちに、積んどく状態になっているビデオやDVDを見ればいいじゃないか、というのはまったくそのとおりだと思う − 90分なり2時間なりのコンテンツとしてみた場合、テレビと映画のどっちが充実してるかとか言い出せば勝負にならんだろうと思う(それは、昔、90分の授業と映画と・・・と考えたときに思ったことと似てなくもないけれど)。生活を上等にするよい機会かもしれない。


 


8月15日。夏の生活。

さしあたり暑い。夏だからであろう。しかし朝目が覚めて室温が体温を超えていたらやはり、わかりきったこととはいえ、暑いと言ってもいいのではないか。こういうときに、暦の上ではもう秋でとかなんとか言う人のいうことは聞かなくてもよい。秋というのは枯れ葉が舞ったり焼き芋を焼いたりするのが秋である。ひまわりが咲いていてどこへ行っても日焼けして興奮状態にあるかのような小学生が昼間からうろうろしているのは夏である。いま理由あってびわ湖のほとりを特急で走っているが、湖上にはジェットスキーやら水上スキーをしている人たちがいる。ジェットスキーのことはよくわからないが、やはりそれも夏だからなのではないだろうか。(ところでpomeraというのはなかなか書きやすい。特急電車の座席のテーブルの上でカタカタとキーボードを叩いていると時間つぶしになる。)

文部科学省の思惑によって7月いっぱいまで授業期間があって、というところまでが前回までのお話。それで8月に入ったら夏休み的な生活になったかというとはてさてどうだかよくわからない。客観的にみて生産性がさほどあがった気がしないので休んでいるのだろう、と言われれば返す言葉がない。生産性が上がらないのはいつものことだ、と強弁しても迫力に欠ける気がする。とりあえず8月の上旬は試験の採点などをぼちぼちとしていたというのはある。また、判子を押すべき書類がありやなしや、ということでさしたる用事もないのに学校まで出頭したり(出頭したら何枚かの書類があるにはあって、目を通したり判子を押したりしたら数分で用事は ー 少なくとも緊急性の高いような用事は ー 終わってしまうけれど、すぐに帰るのもなんなのでぐずぐずと不要不急のことをやったり)、まぁぐずぐずとしているうちに日々は過ぎゆくわけである。

夏の出張やお仕事の日取りをにらんでいると、うまいぐあいにとびとびに用事があって、帰省するタイミングがあまりないことに気づき、しかたなく二泊三日でこのたびもまたせわしなく帰省。いちおう帰省ラッシュをきわどくかわして往復とも座れたのはよかった。しかし、中一日しかないような帰省というのは、以前は考えられなかったものだ。汽車賃もだし、長いこと汽車に乗っているしんどさも考えると、なるべく長く帰省しないとわりにあわない、という感覚があったもんである。まぁしかし、学生時代のときと比べれば、給料ももらうようになったし、汽車もずいぶん楽になった(所要時間も短くなった)し、mp3プレーヤーなんかで時間つぶしが容易にできるようになったので、帰省列車が以前ほどの大苦痛ではなくなってきたというのはある。まぁいまでも苦痛ではあるけれど。かならず酔い止めは欠かさないけれど。まぁいまだにそんなことをいっているのもなんじゃそりゃということではあるのだけれど。(ツイッターなどというものに手を出したおかげで、何人かの卒業生の「つぶやき」を「フォロー」している。みなそれぞれがんばっているようすが見えてくる。あんまりのんきなことを言っていると叱られそうですな。)
実家では、地デジ化して衛星も導入したテレビで高校野球を見たり、下宿では見たことのなかった衛星デジタル民放というのをめずらしく見たりしていた。下宿は地デジ化のせいでテレビ大阪が映らなくなって、テレ東系のまったりとした低予算番組なんかが見れなくなって気を落としていたのだけれど、衛星民放は総テレ東化してるんじゃないか、低予算番組ばかりではないか、という印象で、これなら導入してもいいなあと思ったりした。
おいしいお刺身とか、あとはお盆の、麩と糸瓜の炊いたやつとか、いろいろ食べて、鋭気をやしなって、というほどもともと鋭気というほどのものなどないのだけれど、まぁすくなくとも気散じになった。

そしてあたふたと下宿に戻って、8月の前半がおしまい。後半は、学生さんたちの社会教育実習の巡回指導という夏の恒例行事がありまして、いまそのために車中の人となっているわけでもある。


 


8月31日。夏が終わりますね。

研究棟の玄関を出ると、夕方でもう暑さにも力がなくて、蝉が「かなかなかな・・・。」と鳴いていて、これはもう夏の終わりだなあ、と感じられる。勤務校の界隈には空き地があちこちにあるし、さほど高層の建物もなくて、駅前の広場も無闇に大きいので、空がとても広いんである。雲の形もなんとなく夏の雲ではなくなってきていて、それが夕焼けできれいに赤く光っていたりすると、またしても、あー、夏が終わるのだなあ、と感慨に耽ることになる。そうそう、下宿の界隈も、かなり見晴らしがよくて空が広いわけで、考えてみれば通勤通学はなにかというと空を見上げて雲の形でああ夏だとか秋だとかいってるのだ。これで雲の写真でも撮り始めたらとんだ不思議ちゃんである。あぶない。
いや、空など見ている間もなくて、8月の下旬になると大学の業務もはじまって、もう夏休みじゃないのである。やれやれ。

今年は、教員免許状更新講習というのを1日分、うちの学部のチームでひきうけることになった。で、わたくしも一枚かむことになって、つまりひとコマ講義をやった。心理学や特別支援教育と並んで、まぁ「いじめ」のはなし、ということにして、会話分析の話をしようという魂胆。もちろん学会でもないわけで、学術的な話をするということではなくて、でも、「いじめで会話分析をやろうとしている人は、現場に通じる研究をやりたがっているのですよ」ということを伝えるのは大事かな、それは講習としても意味あるんじゃないかな、と思ってやった。会話分析って名前だけ覚えて帰ってください、みたいな。で、うーむ、やはりこういう講義ってなかなかうまく喋れないなあ、というわけでいろいろとできなかったことはあるけれど、まぁ最低限の目的は果たせたのではないかしら。まぁ、参加者がみなさん学校の先生方ってことで、講義というのをちゃんと聞いてくださってた、というのが大きいけど。まぁ、試験をやった答案でも、好意的な感想を書いてくださった方もあり、まぁなにがしかのことはできたかなあ、と。

その翌日にオープンキャンパス(高校生がたくさん来てくれてよかった)があって、お手伝いをしてくれた学生さんと顔を合わせたし、専攻会議もやってなんだかもう通常モードになってきた。

月末の数日は、論文の準備。来月頭に打ち合わせ会議があって、そのときに構想レジュメ的なものを持っていく必要がある。けっきょく、構想というよりまだまだアイディアってかんじなのだけれど、数日間ぐちぐちと考えて多少、イメージが出てきた。自分が今まで考えたり書いたりしてきたことをおさらいしつつ、今回いただいたテーマについてどういう切り口で切るときれいな絵になるか、みたいなことを考える。午前中にレジュメをちょこちょこといじり、午後に散歩をしながらぐちぐちと考えて、うちに帰ってまた書き直したりひっくり返したり、というかんじ。そういうペースの生活が数日とはいえ久しぶりにできてよかったしよく散歩ができた。まだよくわかんない状態でもありすっきりとした形が見えてきてないのだけれど、まぁ、レジュメばかりガチガチに書いてもぎゃくに後で書けなくなるというのも経験上わかるので、まぁこんなかんじがいいペースかなあ、最終的には締め切りは年明けらしいので(年末かと思って少し焦っていたけれど年明けだとずいぶん余裕があるような気になる。数日の違いなのだけれど)、徐々になんとかしていこう、というかんじ。

けっきょく夏休みらしいことはあんましできなかった夏だったなあとふりかえる。リビングのテレビを地デジ対応してないせいでテレビから距離を置いた生活が続いている。8月はつんどくだったDVDなどで映画を14本?見れたのかな?それはまぁよかったことである。大したものは見ていないにせよ。また、この夏はじつは、研究室のロッカーの中に長らく置いていたマンガの類を下宿に引き上げてはまとめて読み返していたりして、またその勢いで、ひさびさにマンガの類をまとめ買いして読んだりもしていた。後ろ向きこの上ないけれど、まぁ時間にまかせてまとめてやったというと、まとめ読みということでこれは夏休みらしかったと言えなくはないかもしれない。しかしそうだ、それをいうなら、この夏、ついに通販の中古店で、金井美恵子の絶版の映画論『映画、柔らかい肌』を買ってしまった。学生時代からいままでずっとずっと探していた本が、amazonで検索して出てくる中古店で、こんなにいとも簡単に手に入ってしまうわけである。信じられない気もするが本当に買えてしまったのでしかたない。そして、届いた本が期待通りよかったので満足である。満足しつつ、ああ、もう古本屋を巡って本を捜し歩くことがなくなっていくのかなあ、と思わなくもない。複雑な心境になりつつ、ともあれ、amazonで中古で買うことを自分の中で解禁にしたこと(要するに代引きにこだわるのをやめたわけである)が、ひょっとするとこの夏の最大の出来事かもしれない。これからの生活を具体的に変化させてしまうような。まぁたぶんいいほうに変化するのだと思うけれど。  


 


9月17日。画面を見ながらボタンをカチカチやるだけのかんたんなお仕事。

夏が終わったというのに、気がつくと幽霊のように暑さが戻ってきている。温度計を見ると体温に近いような気温で、天気予報やニュースでもたしかにそんなようなことを言っている。それでも妙なのが、夏の間のじりじりとした暑さとはなんか感じがちがって、なんか暑さに力がないかんじなのがいかにも幽霊的なんである。それで、学校はもう始まっていて、ところが秋学期の通常授業はまだはじまってないものだから、そうすると事務作業とか会議とか実習とかだと夏の間もなんだかんだいってあったわけで、そうするとまだ夏休みが続いているのだという漠とした感触もあるわけで、つまりこれも妙に幽霊的なのだ。みたいな9月。幽冥境を彷徨するがごとき日々をおくるうちに半ばもすぎたというわけである。

このまえここに書いたのだけれど、amazonの通販で代引にこだわるのをやめた。そうすると、きゅうに古書とか古CDなんかも含め選択肢が増えて、また、配達時に下宿にいる必要がなくなったせいでずいぶん買い物のハードルが低くなった。それが世間的にはあたりまえだったのだろうけれど、とうとうそういうことに我が身が染まってしまったわけで、これはやはりこの夏の最大の事件かもしれない。それでなにが変わったといって、たとえば自転車に乗って散歩にでかけて古本屋に入り、欲しい本がないかなと探しているうちに、こんなことをしているよりもどうせネットで売ってる、それでクリック一発で買った方が早くて確実ではないか、という気持ちになってくるわけで、いままでもけっこうそういうことはあったけれどこのたびばかりは決定的なかんじなのだ。

パソコンの画面を見ながら手元のボタンをカチカチ。これは何をしているところかというと仕事をしているところ。家にいながら事務連絡をチェックしたり返事を書いたりなどなど。ひととおり一段落したら、気分転換にネットなど見たり。社会学系のブログとか仕事術とかの記事が更新されてないかチェックしたり、研究室名義のブログやツイッターで紹介できそうな話題がないか探したり、なにかあったら記事を書いてみたり。これは余暇なのか仕事なのか。さしあたりやっていることはパソコンの画面を見ながら手元のボタンをカチカチ。なんだか気分が転換されてないような錯覚に陥ってきたので、気晴らしに買い物でぱあっと散財することにするけれど、これまたやることはといえばパソコンの画面を見ながらボタンをカチカチ。  


 


9月30日。このところなにをやっていたかといえば授業が始まった。

秋学期授業が始まり、もっともその第一日目がいきなり台風で終日休講、なんだか気勢をそがれたようなものだったのだが、もっとも、専攻の会議をやると決めてあったんで会議はなくならずにむしろ授業がすっかりないのではかどった。
そういうわけで木曜が実質の秋学期の初日で、ところがこの秋学期の授業というのが、妙に曜日的に偏っていて、木曜日が1,3,4,5限めが授業という、ひさびさのタフさである。それで初日からくたびれたのだけれど、しかし教育社会学と人間論というわりかし好きな話のできる講義科目、あとは担任クラス2回生のゼミと実習なので、まぁ面白くはある。もっとも、3,4,5限め三連続で私の授業、という学生さんも多いわけで、ちょっと気の毒ではあるね。

あくる日の金曜日は祝日で、しかし文部科学省の陰謀によって大学は授業日ということになっていて、しかし時間割上わたくしは授業のない日で、ところがしかし学会の司会が当たっていたので行ってきた。今年こそサボろうと思っていたのだけれど、まぁ、司会をさせようと思い出されるのもありがたい話であるのでことわってもいけないだろうというわけで、ぱっと行って司会だけやって日帰りでぱっと帰っちゃおう、そしたら義務は果たされるわけだししかも学校をフケたような爽快感があるかな、と思っていたわけである。まぁ、結果どうなったかということについては言うべき言葉がない。司会をひとつやって帰るだけでこれだけうちひしがれて帰る人はまぁいないだろう。いったいなにがあったのか。

学期はじめのごちゃごちゃと月末のごちゃごちゃ(9月末には、来年度に向けての書類をまとめて提出というのがけっこうあった)がかさなって、あわあわとしてしまったのだけれど、学期末〆の書類はなんとか提出してしまい、まぁ授業もぼちぼち落ち着いてきて、そうするとようやく気持ちが平静にもどってくるであろうとおもう。  


 


10月17日。この下宿にも気がつけばもう6年住んでる。

まぁ10月なのだから当たり前とはいえ、秋であって、天気がいいといちばんいい季節かもしれない。秋学期の授業のコマ組みが木曜に集中して偏ってるのにも慣れてきて、木曜だけばたばたするけれど他の日はのんびりしたかんじでペースができてきたといえなくもない。この時間を有効活用して論文を書かないといけないのだけれど、まぁまだぼちぼちと、おすすめだときいた本を読んだりしているところ。あらすじはできていて、それが大きく変わることはいまのところなさそう。

10月半ばといえば、この下宿に引っ越しをしてきたのがこのころで、先月、契約更新をしたので、もう6年住んでいることになる。はやいものだ。6年というと、人生の中でも短くはない期間ってかんじがする。その間に何が進歩したか、とかいうと、進歩してる感じはないわけで、やれやれ、といったところ。引っ越しをした秋から年明けにかけて書いた論文が『子ども・学校・社会』所収の、教育問題を管理社会論で読む、ってので、それを書いていたころは教育についても、まだ小泉改革とか規制緩和とかいう文脈で考えてたわけで、たしか前の下宿と今の下宿の界隈を自転車で行き来していたときに「あ、そうか」と、キーになるイメージのひとつを思いついて、それでずいぶんお話が整理されて書きやすくなったのだ、ということを覚えている。その論文が、翌年末に出たころには総理大臣も替わっていたし、その年が明けると教育基本法改正と教育再生ということで文脈がえらく混乱してしまったわけなのだけれど。
その後、何度か「いじめ」「学校問題」について書いているけれど、こんどのも同じく「いじめ」について。かんがえてみれば、6年前からこっちのこともふまえてもういちどまとめる、みたいなことを考えている。うまく書ければいいのだけれど。

6年住んだ、という実感があるかというと、あまりなくて、それは自分が年を取ったという実感がないということであるわけだから危険な兆候なのだけれど、それはともかく、前の下宿を出たのは、荷物や本が増えすぎてどうにも部屋が手狭になったからで、いわば押し出されるようにして引っ越しを敢行したのだけれど、その点、今の下宿はまだまだ手狭になる様子がない。いろいろと不満はあるにせよ、ここから引っ越すことによってより良くなるという確信ももてないので、とうぶんここに住んでいることになるのだろう。

夏に、amazonの利用の仕方を変えたことで、CDなどまとめ買いをしたりもしたのだけれど、だからといって聴く方に関してはあまり一度にまとめ聴きすることもできないわけで、また、これも下宿の話、ご家族向けのマンションだとあまり景気よく音楽など聴けないし、せっかくいい気候なのに窓を開けて音楽を聴くのもはばかられるということで、けっきょくほそぼそとウォークマンに落として通勤電車で聴いている今日この頃なわけである。それが、何年も前のプリンスとか小島麻由美とかフリッパーズ・ギターとかなので、まぁ、6年どころか、時間はすっかり止まってしまっていると言っても過言ではない今日この頃なわけであるね。

れんこんは好きだけれど、あの皮をどうやってむくのか、いままでずっとわからなくて、ピーラーでも包丁でも、凹んでいる部分がきれいにむけなくて、イライラしていたのだけれど、ある日、卒然と思い当たり、ユリイカ、ユリイカ、むけるところをむいた後、輪切りにしてから凹部分にピーラーを当ててむいたらあっさりきれいにむけた(誰も知っていたのでしょうか?料理番組とかではいつもそこのところがよくわからなかった)。これでこの秋は、筑前煮の当番回数が増えそうな予感である。  


 


10月30日。ぎっくり腰。

このまえここに何か書き、それをアップしてから、出勤しようとばたばた支度をしているうちに、あれれ?という感覚があり、いやだなーと思っているうちに痛みは腰に広がって、ぎっくり腰ということになった。それでも歩けないということもないので非常勤の授業にでかけ、やばいなーと思いながら二カ所の学校の授業を終わって晩に帰宅したら、もうかなりひどくなっていて、立ったり座ったりができないことになって、夜中にはもう、壁を使って5分ぐらい思案して試行錯誤をしないと立ち上がることもできなくなっていた。それで、翌日、授業が一つあったのを休んで一日寝ていたけれどいっこうになおらず(むしろ悪くなっていく感じもあって、風邪なのか腰からなのか、熱がでている感じもあって)、翌日に授業が二つと専攻の会議を休ませてもらい、医者に行った。待合室で名前を呼ばれてもソファから立ち上がれず、生まれたての小鹿のような様子で看護師さんに大いに受けた。自分でも笑ってしまっていたけれど、「腰が悪いと傍から見ると面白くなるわねえ」とずいぶん酷なことを看護師さんも言い、ほんまですねえ、とかいいつつまぁおもしろかったわけであるけれど、ともあれレントゲンをとって、薬と湿布とコルセットをもらって帰り、まじめに薬を飲んで湿布を貼ってコルセットをしめていたら、さすがなもので痛みが薄れる方向性に向かい、翌日の木曜日、朝1時間目から夕方5時間目までに4コマある授業を休ませていただいて、翌金曜、授業がなくてミーティングが一つあった日に復帰した。たまっていた書類書きなどやっているうちに夕方になり、少し早めにはけてもう一度医者に行って、まぁかなり順調に治ってきているということでまぁ一安心した。このたびはしかし、ぎっくり腰で学校を休むなどということを初めてやったのだけれど、医者にかかって非常にすっきりと回復に転じたので、やはり医者というのはたいしたものであるとの教訓を得たわけである。

ここにこうして何年もぐだぐだと何か書いているうちに、たぶんこれで3回ぐらいぎっくり腰をやっていて、そういう言い方をしてみると、なんだかずいぶんな気もする。まぁ、医者にかかってみてレントゲンを撮ったおかげで、椎間板だのなんだのといったややこしいことではまだなさそうなのがわかったのをいい方に考えることにしよう。腰痛をやると、それをきっかけについつい生活が不活性になっていくわけだけれど、たぶん逆で、腹筋やら背筋やらをしっかりきたえて腰の負担をなくすというのが正解なのである。父親がやっているという腰痛体操でも教えてもらおうかしらん。そういう言い方になってくるとまぁやっぱりなんだかずいぶんな気もしてくるわけなのだけれど。まぁ、あれだね、ごくあたりまえのふつうの日常的動作を無意識でできることって幸せですね、っていうことをつくづく感じましたよ。これも教訓を得たことですね。  


 


11月21日。そして人生はつづく。

さて、またひとつ歳をとったわけである。来し方行く末を思う。11月というのは毎年、そういう月間なのだ。

30歳の誕生日は、オーバードクターで、大学院生室で迎えた。就職のお話はすでに進んでいて、しかし完全に決まっていたわけではなかった(たぶん)ので周囲には言っていなかった、という時期。それで、今の大学で働き始めたのが30歳、ということで、そのとき一緒に大学に入学した学年のクラス担任になって4年で卒業させ、次の担任クラスとその次の担任クラスも卒業させて、そのあと定年退職された先生の後をうけて一年間、4回生のクラス担任をやったあと、また新入生クラスをもってその担任クラスが現在、2回生。というわけで15年目、という計算である(合ってますね)。まぁ、ありきたりな言い方になるけど、あっというまだった。

30歳からはじめて15年、というのは、けっこう区切りで、というのもあと15年を足すと60歳、いわゆる世間的に言う定年の年である。いまのうちの大学のしくみでいうと、大学教員はそこからさらにあれやこれやで68歳ぐらいまで現役でやってけるようになってるようだけれど、まぁ気持ちの問題としては60歳というのは大きな区切りなわけで、そうするとつまり15年というのは中間地点という言い方もできることになる。
そうするとたとえばいままで自分がやってきた仕事をふりかえってそれをぱたんと未来に折り返してみたら、これからできる仕事がどのていどか、めやすがついてしまうことにもなって剣呑である。いやもちろん、人間には成長するというところがあるので、今までよりこれからの方が生産性が高くなるという期待だってふくらむかもしれないんだけれど、しかし小さい声で、でも衰えてくってこともあるわけだしね、とか言い始めるとこれまた剣呑剣呑。

ともあれ、今年の誕生日は週末にかかっていて、それに前日の金曜には授業がなくて会議もなかったので、「金曜はさぼりますよ!!」と宣言して、まぁ気分だけでものんびりといい気分で誕生日を過ごそうということになった。
なにかいいものを買いたいかなあ、と思いつつ、けっきょく、下宿の勉強机の椅子 − 小学か中学のときに買ってもらったもので、もうガタがきていて間違いなく腰痛の原因になっていた − を新しく買うことにした。まぁ、近所のニトリで7000円ぐらいのワークチェアというのを買ったわけで、まぁ大した買い物ではないけど、妙にフカフカの重役みたいな椅子も好みではないし、パソコンに向かうときの椅子を妙に上等にするというのがなんかおたくっぽい感じがしてそれもいかがなものかと思ったってのもある。いずれにせよ、いい買い物をした。
あと、スーパーで鯛でも買ってきて塩焼きにして食べよう、と思って、夕方、売ってそうなちょっと遠くのスーパーに行ってみたら、やけに大きい立派な天然真鯛ってのが特価で売れていて、これはしかし一人では食べきれないぞ、と、しばらくうーむ、と腕組みをして首をひねって鮮魚コーナーの前で立ち尽くして思案していて、いやまてちょっと頭を冷やそうとその場を離れ、ふと振り返ったら、たぶんその姿を裏で見ていたのに違いない鮮魚担当のあんちゃんがヒョッと出てきて、その鯛をホイと持ってバックヤードに持っていってしまった。たぶん、もう夕方なので、尾頭付きでこれ以上置いておいても売れない、最後の客も結局立ち去ってしまった、と見切りをつけて、切り身にしてしまうってことなのだろう。あっ、と思ったけれどもう手遅れ。ダスティン・ホフマンのように鮮魚コーナーのガラスを叩いて叫び鯛を取り戻して家に持ち帰りハッピーエンド、というような情熱ももはやなく、なんかがっかりして何も買わずにそのまま店を出た。あの大きな鯛は切り身になってあちこちに売れていきそれぞれの食卓をにぎわしたことであろう。
なんだかこういう縁起物でこういうことだと悲しくなるなあ、なんだか私の人生のようだよ、と世をはかなみつつ、チャリンコを転がして何件かのスーパーを見て回り、しかしやはりちゃんとした鯛というのはなかなか見つからなかったのだけれど、ふと、今まで入ったことがなかった鮮魚店(スーパーの隣でやっている、たぶん地元の昔からの魚屋さん)に入ったら、ちゃんと売っていた。たぶん、そういう風にしてスーパーと共存していて、地域の人たちもそういうふうに使い分けてるんだろうと思う。で、おばさんに「この鯛をください。おなかだけ抜いてもらえますか」と言うと「うろこは?どうしよか?取っとこか?」「あ、はい、お願いしますぅ」という感じで、おじさんがさっさとやってくれて、無事、鯛が手に入ったわけである。よかったよかった。

そして人生は続く。たあいのないことで悲しんだり喜んだりしているいっぽうで、じつはこのあいだにも、近しい人の訃報にあうこととなった。生前、よくしていただいたことを思い出す。オーバードクター時代に、奨学金の保証人になっていただいたりもした。ありがとうございました。ご冥福を。

新しい椅子はまずまずぐあいよく、腰が痛くなることもへるのじゃないか、と期待をさせる。それでいよいよこの椅子にじっくりと座って論文を書かないといけないのだけれど、卒論シーズンでそれどころではない雰囲気でもあり、こまったことである。

そして人生は続く。  


 


12月12日。このところなにをやっていたか/「生徒コード」再考。

まのぬけたはなし、冬というのがいつから始まるのかというのをこの齢になるまでいまいちピンときてなかったわけで、立春なんていえば卵が立ったりするのですぐわかるわけで、暦の上ではもう春ですが、春は名のみの風の寒さよ、などと言ったりするのだけれど、立冬というのがいつだったか、毎年気が付かずに通り過ぎていたのだ。12月に入って、ようやくぐんと寒くなってきた。コートなど着込んで通勤する季節である。それで、このへんは雪はまだまだ先だけれど、もうそろそろ冬ってことでもいいかな、と思っているころ、じつは冬至も近づいてかぼちゃを煮なければならないことになってるわけである。

卒論の〆切シーズンで、あしたから今週じゅうが提出期間である。仕上がりペースの速い遅いはあるものの、ことしは何とか、あまりハラハラせずにいけそうな気がする。いや、ハラハラするかどうかはこちらの主観の問題で、学生諸君はいまごろ必死でやっているわけなのだけれど。けさも目が覚めたら草稿が2通、メールで届いていた。印刷して、とりあえずちらちらっと見てさしあたりの返信をして、今日は非常勤の日なので持って歩いてじっくり読んでコメントをつけようと思っている。
今年は、赤ペンでコメントを書き込んだものをスキャナでスキャンしてメールで返信したりもしてみて、けっこううまくいったみたい。IT革命だなあ。

先日、帰宅したら学会誌が届いていて、なんか「生徒コード」という概念をつかったエスノグラフィーの論文(上床弥生「中学校における生徒文化とジェンダー秩序 − 「ジェンダー・コード」に着目して」『教育社会学研究』第89集)が載っていた。直接参照されているのは稲垣先生の「生徒コード」論文だけれど、わたくしの論文もちらっと引かれていたので、おお、私の書いたものを読もうというような奇特な人もいるのか、と驚いたものである。「不在の共同体」という概念を使ってくださっていて、やはりせっかく書いたんだから使っていただけると嬉しいものである。しいていえば、じつはこの上床論文のいちばん基本的なカテゴリーになっている「男子」「女子」といった集団こそ「不在の共同体」だということを、じぶんなら言うだろうと思う。そのへんで、じつは私の論文が「不在の共同体」とかなんとかようわからん概念を付け加えながら稲垣論文を批判的に引き受けようとした論点がかかわってくるわけで、つまり、石飛から見て稲垣論文の弱点に見えるかもしれない部分が、そのまま上床論文でも出てるんじゃないか、と思えなくもないんである。えーとたとえば、「共有化」って何よ、とか、エスノグラフィーからこの考察を引き出してきた手続きはどんなふうなのか、とか、「コード」って言わなくても「文化」でよくないか、とか、そのたそのた。まぁしかし、稲垣先生の「生徒コード」概念、実際のエスノグラフィーのなかでもっと使われるべき(稲垣論文はすごく言及されるのだけれど、実際のエスノグラフィーで正面から使ってる人ってあんまし見なかったので)だなあと思ってわたくしもリスペクトとかリメイクとかそんなかんじでその論文を書いたわけなので、「生徒コード」がこうして使われるのは(そんでもってその余禄にあずかり私の論文も読まれたり引かれたりするのは)よろこばしいかぎりである。

学生諸君の卒論であわあわしているけれど、自分の論文の〆切が近づいているのである。授業期間にはとくに、研究などということが遠い世界のことのようになってしまって困ったものだし、秋学期は授業のない曜日に論文を、と思っていたのに会議だとか打ち合わせだとかあれやこれやでほとんど思うようにいかなかったというのもあるけれど、それもあと少し。またねじを巻かなくてはと思う今日この頃である。  



 


12月28日。年内の授業も終わって。

今年もぶじ全員卒論を提出、そしてその次の週で年内の授業もぶじ終了、となるはずだったのだが、と言う話である。
卒論提出締め切り日の金曜、ぶじに全員分の卒論が提出されたのを受け取って、今年はさほどきつくなかったもののやはり若干の解放感はあり、その勢いで週末に買い物をしようと決める。
というのが、iPodTouchで、これは半年ぐらい前から、かなりいいかもしれないと思っていてとくにこのところは電気屋の展示の前で腕組みをしては思案して帰るみたいなことを繰り返していたので、これはもういっそ買ってしまった方が能率がいいじゃないですか、ということになった。まぁいちばん安いのを買ったのでさほどの買い物ではなかったのだけれど、なぜ躊躇していたかというと、WindowsMobileのスマホと用途がダブるのが気に食わなかったというのが大きい。でも、あれこれ本を読んだりしてると、やはりiPhoneのアプリというのが洗練されていて、しかもその多くはどうやらiPodTouchでも使えそうなので、試しに買ってみようということになったんである。で、土曜日の午後、近所の電気屋に買いにいきましたよ。買ってみればあっというまである。で、いじってみたら想像を超えてよさげである。
いちばん気になってたのが、カメラ周りのアプリで、これはしかしiPodTouchはiPhoneよりカメラの性能がぐんと落ちるらしいので気がかりだったのだけれど、なんのなんのけっこう本気で使える。たとえばカメラをスキャナ代わりに使えるというやつで、紙を斜めから写しても、補正をかけてまっすぐの画像にしてくれる。これがかなりさくっといけて、文庫本1頁ぐらいならだいたい読める画像にしてくれる、ということは、簡単なメモなんかを取り込むのに実用可能なレベルということだ。また、ポメラの文章をQRコードで読み込ませる、というのを、スマホではどうにもうまく行かなかったのが、あっさりいけた。これはカメラのせいなのか(でもカメラの画素数や性能ならスマホの方が上のはずなので)、QRコードの微妙な仕様のせいなのかはよくわからない。iPodTouchのアプリはKINGJIMの純正なので、そのへんはさくさくいけた。あと、もうひとつ以前から気になっていた、本のバーコードを読みとってweb上の本棚サービスに登録してマイ本棚をつくる、というのが、これまたびっくりなほどさくさくいける。単純に登録するだけなら、スーパーのレジ並の速さ、とまではいわないにせよ十分に実用レベルの速さと安定度で処理できる。実際には、研究室や下宿の本棚の本をwebに登録したとして、ただ登録するだけじゃなくて検索なりなんなりのタグ的なものを併せて入力しないと、ただ本棚をweb上に再現してもあんまし意味ないと思うのだけれど、それでも十分に研究するかいがありそう。

そんななんやかんやで週末をすごし、しかし世間は冬、晴れてはいたものの風が冷たい中をばたばたしていたので、「のどが痛いかな・・・?」と思っていて、それが明けて月曜にはどうやら風邪っぽいかんじになってきた。それで困ったなと思いつつ非常勤の講義をふたつやったらすっかり声が嗄れて出なくなっていた。声が嗄れるなんてほとんど初めてのことだった。火曜は朝から打ち合わせで大学に行き、事務仕事も済ませてはやめに帰宅、医者に行き、それから水・木曜日の授業を休んで養生したけれど、はかばかしく治らないまま金曜は会議で出勤、さえないかんじで夕方まであれやこれやをなんとか済まして帰宅。土曜日の朝にもう一度医者に行き、診察室にこんにちはと入ったら、おや治ってませんね、そうなんですすみません、ということになり、点滴と注射を打ってもらって、ちょっと強い目の薬をもらって帰った。それがクリスマスイブで、その薬がどうやら効いてきて現在に至るわけなので、今年のクリスマスプレゼントは「薬」、だったというお話。

のんびりしたはなしをしているばあいでもなく、年明けに論文の締め切りがある。冬休みというのが、論文の追い込みに与えられた時間なのである。おもしろいものが書けるか。