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(2010/7/1 - 2010/12/31)

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7月12日。このところなにをやっていたか。

あっというまに7月。あっというまに半ば。このところなにをやっていたのか。あんましおぼえていないというのが正直なところ。

サッカーのワールドカップがあって、4年前はここで、クローゼさんのシュートだかなんだかに言及しつつ「決定力」どうのこうのとかぐじゃぐじゃ考えていたようだ。今回は、日本代表に関しては、大会前には当然箸にも棒にもかからないだろう、当然惨敗、という雰囲気だったのが、ふたを開ければ大健闘で国民大満足、ということになった。どうせテレビなんだし見物するなら負けるより勝つほうがいいので結構なはなしである。日本が敗退してからも、よさそうなカードが組まれているとけっこう見てしまい、明け方までテレビをつけていて歓声が上がると目を覚ますみたいなことをけっこうやっていたけれどそういうのは身体にはよくない。

気がつけば本務校の授業は最終週、そして週明けには非常勤先も最終回である。

しばらく宣伝。


 


7月29日。とうとう携帯電話を買ったという話。

某日、懸案の携帯電話を購入。いやまぁ、携帯電話ぐらい買うでしょう、という言い方もあるかもしれないし、それはそうなんであるが、しかし、人生初携帯なんでやはりニュースなのだ。
しかしなんでいままで持ってなかったかね?という言い方がたぶん出てきて、そういう問いにはなかなか答えにくい。まぁ、勢いっていうか意地んなってっていうか、いままで持ってなかったんだから持たない、というのがすなおな実感で、まぁ、携帯なくても不便はないわけで何も困らない。携帯がなくてもふつうに回っていた世界に育ったアラフォー世代なわけである。たまに(ていうかけっこうしょっちゅう)書類なんかに携帯電話の番号を書く欄があったり、聞かれたりするような場面があったりすると、「あ、携帯持ってないんです、すいません」ってことになる。べつに謝る必要などなにもないのだけれど、なんかよほどこちらがヘンクツな人物であるかのような流れになる。それで、職場の委員会の仕事かなんかでそういう流れになって、「いやぁ、やっぱり携帯もってないとだめですかね」「いや、携帯なんて持たなくてすめば持たない方がいいですよ、どこにいっても捕まっちゃうだけで」みたいなやりとりを、まぁ決まりきったかんじですることになっていて、まぁ社交みたいなやりとりなのだけれど、まぁやはりそれで携帯の必要性に目覚めるという会話ではないわけで、つまり、持つ必要のないものを買う必要はない、という理屈になる。
それで、じゃあなぜとうとう買ったのか、というと、まぁさすがにねえ、ということになるわけだけれど、ひとつには、学生にぱっと電話連絡してつかまえる、というのができたほうがよくなってきたので、というのがある。学生を学外でボランティアさせる、とかそういう機会が増えてきた、とか、まぁいろいろ。じつは、学生についてのはなしをしていたときに同僚の先生が、目の前でぱっと携帯を出してぱっと連絡されたのを見て、「これかー」と思ったってのがある。もともと電話が苦手なのだけれど、学生相手に先生が電話苦手とか言っててもいかんってのもあるし、手元に電話があってぱっとかけられるぐらいになってたら、億劫さが何段階か減るかな、というのもある。億劫とか言っていてはよろしくない役職がこの春からまわってきた、というのも大きい。
あと、このところ「仕事術」系の本やウェブサイトを見ていると、携帯電話やらiPhoneを活用する、というのが非常にふえていて、それがいかにも便利そうだった、ってのもある。くだんの同僚の先生が使っておられるのがiPhoneで、それがカッコよかったってのもあるし、また別の若い先生が、グループワークの授業終わりにホワイトボードを携帯カメラで撮っておられたってのも、「これかー」ってかんじになった。
そういうわけで、ようやく買ったわけである。えーと、去年の秋ぐらいから、今年は仕事がちょっと大変になるという予測がつきはじめて、それでいよいよそろそろ年貢の納め時か、という気分が高まってきて、まぁしかし気分が高まったまましばらくぐずぐずしていたのだけれど、あれこれぐずぐず思案して、ようやく買った、というわけである。
で、話の流れ的にはとうぜんここはiPhoneだろう、と思った読者諸兄、ざんねんでした、ちがいました。アップルみたいなオサレなものには手を出さないという精神を貫徹して、というのと、あとはまぁ、「携帯買うならどこの会社とかあるっすかねー」「やっぱりドコモじゃないですか、電波がいいっていうし」みたいなやりとりをしたせいってのもある。なわけで、ドコモのスマートフォンの、キーボードのついてるやつにした。
で、なるほど便利そうだ。買って一週間で、なるほど便利そうだなぁということはわかった。
いかんせん、電話のかけ方がいまひとつまだわからないってところが難ではある。なにしろ電話って無闇にかけて練習とかできないからね。まぁしかし、ありがたいものを買ったってわけで。

しばらく宣伝。


 


8月12日。このところなにをしていたか。

気がつけば日々は過ぎていくな。月末から8月の第一週ぐらいまでは、春学期の成績点けがあったり、こちゃこちゃとした用件で大学に出頭したりしてるうちに過ぎていった。たいそう暑かったような記憶がある。また、うちの専攻の実習室が地下二階という絶好にひんやりしたロケーション(建物と地形の関係で、いちおう窓はあって、廊下側の戸もぜんぶ開け放つと風も通せる)に風を通しがてら、そこでひとりで何時間も採点なんかしていたりしたことも二度ばかりあった(つまり、大教室の授業の試験の採点をそこで二科目分やった)気もする。

なんかそんなことをしているうちに日々は過ぎていき、そして社会教育実習のご挨拶で長野県に行ってきた。すんなりと行けたけれど、駅に降り立ったらぐぐっと涼しくてたまげた。それで「長野涼しい!」とか言っていたのだけれど、ひょっとしたらその日は全国的に涼しかったのかしらん。学生や、実習先の職員の方に「長野さすが涼しいですねえ!!」とやたら言ったのはおかしかっただろうか? ともあれ、ちょっとした避暑気分の出張になって、ご挨拶がおわったあとには博物館も見せていただいて(ここでも学生が実習させていただく)、お得なかんじ?だった。
で、買ってまもない携帯電話というのを持っていき、これがそこそこ使えてよかった。っていうかさしあたりパソコンなしでインターネットにいつでもつなげるというのがよかったってことだけれど。電車の中のひまつぶし的な意味だけでなく、仕事上の気がかりにすぐさしあたりの手を打てるのはいいかんじだった。あと、学生に電話できたのも便利だった。ていうか電話なんだから電話できてあたりまえなのだけれど。ただ、GPS付きの地図っていうのは、いちおう出張先なんかで道に迷わないように便利、というふれこみだったのだけれど、実際に路上で携帯電話をぽちぽちやる勇気がなくて、あんまり使わなかった。ので迷った。だいたいが方向音痴で、京都の碁盤目の道でさえ平気で90°方向を間違えてどんどん歩いていく人なので、ましてやふつうの町の、道が曲がっているようなところでは、もうお手上げなんである。でもまぁ、駅でキヨスクのおばちゃんにもらったマップを見つつ、まぁ涼しかったし時間もあったので散歩がてらぐるぐる歩いた。

帰ってきたら、なんかやはりくたびれていて、汽車の酔い止めの薬が残ってたのもたぶんあって、翌日いっぱいぐんにゃりとしていた。それで、台風だったり雷がなったり大雨だったりしているうちに、今に至った、みたいなことか。そう書いていると、なんかバカみたいなのだけれど、まぁたしかにそれ以外になんやかやしていたような気もするのだけれど、まぁバカみたいだという点についてはまちがいないしできればバカみたいに日々が過ぎていったらなによりなんだけどなぁと思う。夏だし。

しばらく宣伝。


 


8月30日。でもこう暑いと調子狂うよねえ。もう8月も終わるのに。

残暑厳しき折、どうのこうの、などといいつつしかし連日36度とか言っている。空はずっと晴れていて、まっさおな空にまっしろな入道雲が、固く立てたメレンゲをもりもりと積み上げたみたいになっている。さすがにそれでは、もう8月も終わるというのに調子狂うね。

お盆休みシーズンを避けて、大文字の送り火も過ぎてからちらっと帰省。週末をうまくつかいつつ、つごう3泊4日ほどの帰省ができた。今年は実家の方も残暑厳しくて、こっちにいるのと気温的にはあんましかわらないようだったのだけれど、やっぱりコンクリートのマンションと違って、風が通って比較的しのぎやすかった。とくに、夜に安眠熟睡できたなぁ、という印象。まぁ、おかげで実家に置いてある本なんかを夜中に懐かしく読み返す、みたいなことをほとんどしなかったのだけれど。おいしいご飯を食べて、きついめのクーラーのきいた部屋で高校野球だとか、思い出のメロディーだとか、二時間ドラマの再放送だとか、びみょうに時間帯の違うときにやっている料理番組だとかを寝転がって見ていたりしてのんびり過ごした。帰省するといろいろな、たとえばなんてことのない魚の卵んところのさっと煮付けたやつなんか、下宿で自炊で作らないようなものを食べるわけで、帰省から戻ると、ちょっとそういうのを作ろうってことになるわけである。魚の卵んとこ、こんどスーパーで出てたら買おう。

9月に入れば会議なども本式にはじまり、夏休み的なものはおわってしまう。授業そのものが本格始動するのはまだ半月先なのだけれど。残暑は続くが、朝、出勤しようと歩いていたらちゃんととんぼの群がスイスイと飛んでいたから、やっぱり季節というのは動いていくらしいのだ。

しばらく宣伝。


 


9月17日。ほっといてもちゃんと秋になる。

ずいぶん涼しくなってきた。猛暑だなんだと言ってはいたものの、9月に入ったとたんにがぜん、暑さや日差しに凶暴さがなくなって、雲の輪郭もほやほやっとしてきて、まぁ、ちゃんと秋にはなるわけである。そりゃそうだ。

月日のたつのは早い。部屋の隅に置いた壜に「2010/6/5 梅酒」と書いてあって、漬けるときに、インターネットで漬け方を調べていたら「3ヶ月から飲めます」と書いてあったので、毎日壜をゆらしたりしながら3ヶ月たつのを楽しみにしていたら、あっさり3ヶ月たってしまったわけだ。それでせっかくなので、9月の5日に、記念にってことで少し、味見程度にためしてみた。まぁ、結論的には梅酒の味はしたけれどさしておいしくはなかったのだけれど、まぁ、これから1年とか何年とか古くなっていけば味も錬れてくるだろうということにしておく。さいわい、さほどおいしくなかったので、放って置くことについては何の抵抗もない。

9月に入ると、なんだかんだで毎日のように学校に出頭するわけで、もう夏休みではないなあ、と思うわけだけれど、いよいよ通常授業もはじまって、そうするとやはりあらためて、もう夏休みではないなあ、と思うことになる。もちろんもういい大人なんだから夏休みなんてありませんといわれれば返す言葉もない。

まぁ、お正月休みを楽しみにする今日この頃である。ということで。

しばらく宣伝。


 


10月3日。秋学期がはじまった。 / 座椅子 / シリアル、燻製、お好み焼き。

ついこのまえまであんなに暑い暑いゆってたのがウソのよう。今日は雨が降っていて肌寒いくらいである。もう10月。早いね。梅酒の梅も、ここ数日でラスト一個まで壜の底に沈んだ。で、このまえここに書いたあたりに秋学期通常授業期間の初日があったのだけれど、すぐに「シルバーウィーク」というのに入ったりして、初回授業が月末になったようなのもあったりした。ようやく足並みがそろって、秋学期の本格始動というかんじ。今年と来年は、某役をおおせつかったことによりけっこうあれこれの仕事がこちゃこちゃとはいったりする。自分の授業をめざして学校に出頭する、というより、あれこれの仕事のためにこまめに・はやめに学校に出頭して、なんとなく帰るのも遅めになったりする。まぁそういうものなのであろう。ともあれ、月末&月頭に提出の書類を無事まとめて提出したので、大きな仕事はクリアできたであろう。そういういみでもようやく通常営業にはいるかんじ。

以前から、逆流性食道炎だといわれていて、この夏も症状が出たのだけれど、ふと思うところあってインターネットで調べてみたら、やはりそうだったのが、寝転がったり前傾したりとかの、お腹を圧迫する姿勢はよろしくないのだそうだ。それで思い当たったのが、寝転がって本を読んだりパソコンを叩いたりしていたことで、そういうのもよくないんじゃないか。それで、近所のスーパーで座椅子を買ってきた。例によって安いチャチなものではあるけれど、たしかにそれで座っていたら、それはそれでアリだなあ、というかんじ。ほんとは寝転がって本を読みたいところだけれど、まぁ、座椅子もアリだなあ、というぐらいではある。まぁ、こうしてだんだん中年街道を進んでいくわけだろう。それはまぁそういうものである。

で、お腹を圧迫するといえば、そもそもお腹が中年的に太くなっていたこともよろしくないのではないだろうか、という連想が働き、また、学会などというものもあって、数年前の学会では夏休み明けに久々にスーツを着ようと思ったらズボンがきつくて着れなかったという衝撃に直面したりしたこともあったわけで、そういう衝撃はこれまた心身によろしくない、魂によろしくないですよということで、ダイエットを敢行した。
まず朝食を、味も素っ気もないオールブランのシリアルにした。一食40g、と箱に書いてあるので、毎朝40g、秤で計って、そこに、乳酸菌がどうのこうのという名目で売られているヨーグルトをひとつ空けて、ごしゃごしゃと混ぜて食べるという。これと、起き抜けに市販の野菜ジュースを飲むので朝食が終わりで、それが身体に好ましい影響を与えるか、というと、よくはわからないけれど、確実なのは、精神に好ましからざる影響を与えるわけで、つまり、さわやかな朝においしい朝ごはんをいただくのが楽しみというような甘い心を破壊する。そうすると、昼も夜もなんだかまともに食べる気が失せてくるわけで、つまり、痩せる。1ヶ月で2、3kgほど落とした。
まぁ、あまり過激ダイエットは身体によくないわけなので、一段落したあたりでそろそろ通常の食生活にもどしていこうか、せっかく食欲の秋だし、とは思っているところだけれど、なんていうか、リバウンドするのもいやだしなぁ。

といいつつ、まぁ夏いらいけっこう作ってるのが、なんちゃって式の燻製である。実家に帰省したときに食べたので下宿でも、というのがひとつの理由で、じつは何年か前に100均のミニ中華フライパンと網とボウルで装置を作って、たまに燻製をやっていたのだけれど、また最近それをけっこう作っている。カロリーのことを考えてかしわの胸肉を適当に切ったもので作ったりしてるのだけれど、重要なのは、燻煙するチップに該当するものである。で、じつはさいきんひんぱんにやっている主たる理由はそのせいでもあるのだけれど、夏に毎日飲んでいた紙パック式のミネラル麦茶が大量に余ってたので、それを使ったという。まぁ、なんちゃって式の燻製のつくり方としては、紅茶の葉っぱとかを使うみたいなのはあるわけで、紅茶がアリなら麦茶もちょっとありかな、と。まぁ、おまじない的に紅茶とか緑茶とかも混ぜるけれど、さて、煙になってしまったら違いがあるのかどうだか。ともあれ、やってみたら、少なくとも煙っぽい色と香りはつかなくはない。まぁ、なんちゃって式なのでかまわんわけである。おいしいかどうかもさだかではないけれど、例によって証拠は自分で食べてなくなってしまうので平気、大阪地検特捜部もびっくりである。
なんとなく慣れてきたので、もう少し大きな鍋でいろいろ作りたくなってきたのも確かだ。

もひとつ、ダイエットの間隙を衝いてお好み焼きを作って食べていた。これまた、帰省した頃にテレビで特集をしていて、やってみたくなったんである。関西に在住すること四半世紀にして初めて自分ちで作るお好み焼きなわけだけれど、なに、今はお好み焼きの粉が品々に売られているのですぐ出来るのだということがわかった。で、やってみてそれらしいのが出来て喜んで食べている。キャベツが大半なので思ったほど太らないようなのはありがたい。

まぁそんな日々である。

しばらく宣伝、といいつつ半年たったので、今回まで宣伝。
去年、書いていたものを入れていただいた武内清先生の編著『子どもの「問題」行動』(子ども社会シリーズ5)学文社、が出た。Amazonでも書影まででた。めでたい。


武内清(編)『子どもの「問題」行動』(子ども社会シリーズ5)学文社
2010年3月30日発行、2000円。


この本、教育、幼児保育系(子ども学部など)のテキストとして企画されたシリーズで、全体的にとても読みやすくてわかりやすいつくりになっている。で、わたくしは「子ども「問題行動」のエスノグラフィー」というお題で、エスノメソドロジーとか状況論とかワークプレースのエスノグラフィーのはなしを、破格にわかりやすいかんじで書いたつもり。ええと、教育や保育の現場に立つ人たちに、その手のはなしを知って欲しいと本気で思って書いたつもりなんだけれど。


 


10月17日。機械類導入月間。

個人研究室にあたらしいPCを買った。とうとう。プリンタも買った。これはモノクロレーザー複合機。前のPCを7年使った計算で、まぁもとは取ったであろうし、このところとくに動きが重たくもなってたんで潮時でもあったわけである。ていうかふつうはもっと潮時の判断は早いはずで、まぁ物持ちがいいっていうか、よく使ったものである。ていうか世間のPCの買い替え回転が速すぎるってのもある。ほんらい、PCってのは汎用性があってソフトウェアを入れ替えればいくらでも使える、という理屈だったはずなのが、どんどん買い替えをせまられる。ひとつには、新しいことがしたくなる、たとえば7年前のマシンではスキャナがうまく動かないとかあるので、スキャナ生活をするためには新しいマシンが要る、みたいなことはある。しかし、より深刻なのは、たぶんマイクロソフトのアップデートで、これが致命的にマシンの動きを悪くするのじゃないかと思っている。いつもいうことだが、ウイルスよりマイクロソフトのアップデートのほうがずっと確実に悪辣にPCを重たく使い物にならなくしていると思う。もちろん、仕事用のマシンをウイルス感染させるわけにもいかないのでがまんはしているけれど、まぁそれによって、買い換え需要が生み出されているのだという気はするし、自分はかなり抗ったほうだけれどついに、である。
個人宛に支給される研究予算ってのがあって、それを例年はぜんぶ本につぎ込んでいる。予算執行手続きが単純だってのもあるけれど、本を何も考えずにパッパッと買いたい、&PCなんかは自費で私物として買いたいという理由である。でも、厳密には大学内のネットワークに私物のPCを無闇に繋いではいけないことになっていて、いままで繋いでいたのは私物だけど私物として大学に登録していたんだけれど、やはりいちばん正式には公費で購入すべきことになってるようだ。公費で買ったPCだと、いろんなサポートが利用できるってのもある。なので、このたびは公費で購入。じつは夏までにすでに本を買いすぎていて、残額から購入したので、あまり高価なものは買えなかったのだけれど、でもいつもあれこれお願いしている事務機業者さんに勉強してもらって、予算内でまずまずいい感じで揃った。
新しいPCとプリンタを設置するために、研究室の片付けからはじめねばならず、そのうえでもちろん、PCとプリンタの設定、また、かんじんのドキュメントスキャナの接続と設定もすまして、なんとか仕事が始められるようになったかんじ。
いままでドキュメントスキャナを研究室でも使っていたけれど、研究室の7年前のPCでは無理なので、半年前に買ったネットブックの「音響さん」を繋いではじめてうまくいっていた。スキャナを繋いだネットブックでスキャンして、それをUSBメモリに一旦コピーして、さらにメインマシンに移す、みたいな手続き。ばかばかしい話だけれど、そういうのを半年やっていて、その手間がなくなるってのは非常に大きいと思う。

さてしかし、おはなしはそれだけではおさまらなくて、じつは研究室でiPadを導入した。これも予算費目の具合で通信費は落ちないだろうということで、Wi-Fiモデルである。ちなみにうちの大学では学生ホールで最近無線LANが使えるようになったところで、学内の無線LAN環境はこれからってところ。なので、けっこう四苦八苦しながらiPadの設定ってのをやりつつある。さしあたりPDFファイルを流し込むところまでは行ったので、いちばんやりたかった資料読み端末には使えそう。だけど、そもそもiPad導入の目的のひとつは、生涯教育専攻だけに(いま公平に見て、普通のサラリーマンが自分のために学習してるっていえば仕事術とかだとおもう。そのことをどう評価するかはべつとしてだけど)、こういう新しいしかも可能性ありありの機器でできることをまず隗よりやってみる、ってのがあるわけで、そうすると、かなり画期的に色々なことができるようになるとも言えるし、逆に言えば、自分の情報環境をいやおうなく見直して再構築せざるをえなくなるということにもなりかねない。たとえば、スケジュールやカレンダーやTodoを全部流し込んでクラウド&スマホ&iPadベースにする、みたいな。仕事術系の本を見るとそのようなことが書いてあって、それは便利そうなのだけれど、やはり自分などはじゃっかんの気分的抵抗感があるわけで、そうすると、そういう抵抗感はやはり大事にしたい。そうすると、iPad導入ということと、自分のペースということのバランスを、意識的にコントロールしていく必要があるって気がしている。なのでさしあたりは、iPadは、資料アーカイブ&ビューアーとしての利用って線で考えている。なので、簡単なiPad入門書を買ったあとは、むしろ百均に通って自炊用のカッターナイフとかクランプ・万力の類を買ってきているとかそういう方向性。
そしてまた、それに連動して、じつは買って3ヶ月ほどになる携帯電話っていうかスマートフォン、の活用ってのもまだ模索中なんである。それで、あれやこれやの設定熱の勢いにのって、ずっとうまく行ってなかったメールの設定がようやくできた。携帯そのもののメールはもちろん使えていて、また、いままでPCで使っていたbiglobeのメールを携帯に転送することもできていたのだけれど、biglobeメールそのものを携帯で送受信する設定がいままでなぜかうまく行かなくて、なんかいまいち使い物になってへんかったんである。それが、もういちど冷静に携帯の設定と向き合おうという気になり、冷静に見直したらケアレスミスが見つかって、それを正したらちゃんと使えるようになった。これで、メールを全部biglobeに集約して、出先でもリアルタイムに送受信できる。よしよし。
ま、そういうあれやこれやで、10月はとんだ機械類導入月間である。まぁ、これで仕事環境がずいぶん向上すると思えば喜ばしいことである。ていうか、嫌いじゃないわけで、授業がない日に学校に行くのがこのところそんなに苦じゃないのは、まだ設定が残ってたりするからってのが大きい。昨日も、PCのキーボードだけ、どうもセットでついてきたのが気に入らなかったので電気屋でましなのを買ってきたところ。そういうふうにしてこちゃこちゃいじって使いやすくしていくってのは、ちょっとひさびさの楽しみになってなくもないところなのである。


 


11月1日。人間だもの。

いやぁいきなり寒くなってきた。真夏日とか夏日とか言ってたのもついこの前なかんじだし、つい10日ほど前まではたしかシャツ一枚で学校に行っていた気がするけれど、もうスーツだけでは寒いくらい。この温度差に、身体の対応がおいつかないかんじで、いま下宿の室温は、温度計を見ると21度かそのへんなのだけれど、もうちょっと足元がソワソワして(フローリングがつめたかったりするし)、暖房でもしたくなる気分なのだ。でもいまからそんなこともしてられないのでしばし様子見である。

秋学期の授業が序盤から中盤にさしかかってきた。この秋学期は、「人間論」という授業を持たせてもらっているけれど、これがなかなか楽しい。
「人間論」とはえらくおおざっぱなタイトルだけれど、これ、人間学部の学部共通科目なので「人間論」。人間学部なんだから、そこに所属するふたつの学科には人間学というものが底流しているはずだ、という理屈で、宗教学科と人間関係学科(臨床心理・生涯教育・社会福祉の各専攻)の学生さんたちは選択必修で、「人間論」1〜6のうちいくつかとらないといけない、という仕組みになっている。というわけで、わたくしは「人間論6」で、いちおう生涯教育専攻の視点からの人間論を講じるってわけだけれど、なにせテーマが「人間」と大ざっぱかつ抽象的で、しかも宗教学・哲学・臨床心理・社会福祉あたりを視野に入れつつ学際的に喋るというのは、社会学ベースの人間としては非常にやりやすい。ひさびさに気分よく喋り散らしている。
初回に、「人間とは何か。定義を述べよ」と小レポートを書かせたら、「人間はことばを使う」とか「人間は知能を持つ」とか「人間は共感しあう」とか、まぁそんなふうなのがわらわらとでてくる。それは当然そんなもんなわけだけれど、じつはこのお題は罠であって、ひっくり返してみると「〜しないものは人間ではない」という恐ろしい命題が出来上がる。定義というのはそういうものであって、だから人間の定義を述べよなどというお題そのものが実はきわどいわけだけれど、学生さんたちはすなおにひっかかるわけで、そうすると、「言葉を喋れない者・知能が欠けている者・共感できない者、等々、は人間ではない、と君たちは言うわけだな、君たちはえらいサベツ主義者やな!」といって因縁をつけたりするわけで、そこに宗教対立の話とか倫理的な「悪」の話とか、人種差別とか、いわゆる精神病やらいわゆる障害やらの話、さらに中絶の話やら脳死・安楽死の話やらを引き寄せながら、「そういうサベツを君たちが暗黙のうちにするってことやからな、いやはやまったく」と因縁をつけたりするわけで、そうやって学生さんたちをびびらすのは楽しい。
先日は、「人間動物園」の話題から、植民地主義と進化論の話になり、進化論ってのもたいがい差別的な使われ方をするよね、という流れのついでに、そういえば「発達」概念ってのも似たようなもんだよね、と八つ当たりを食らわしたら、あんのじょうリアクションペーパーで反撃をしてきた臨床心理専攻の諸君がいて、おもしろいから次の時間に、エリクソンのライフサイクルのアイデンティティ発達の階段みたいな図を黒板に描いて説明しながら、ほーらほーらこれってやっぱりねえ、けっこうみんなが突っ込んでるんだけどねえ、一時期のアメリカの中産階級のサラリーマンの男性の人生だけ見てモデル化した理論なんじゃないかって、見えるよねえー、それを「発達」みたいに一般概念化しちゃって、そうすると診断やら治療やらにその概念が用いられることにもなっちゃうわけだしねー、そこから外れるヒトを「異常」とか「未発達」と見なしたり、枠の中に押し込めることを治療と見なしたり、したくなってきちゃうことにもなっちゃうわけだしねー、その危険はじつは臨床心理をほんとにやってる人じしんがいちばん気にするはずのことなんだよねー、と、これまたじわじわとびびらして楽しんでいたりする。
で、この授業、登録が180人ぐらいいて、出席も100人を超えているのだけれど、ひとつおもしろいのは、毎回、リアクションペーパーを兼ねたマークシート式の出席票で出席を取っている、ということである。「SQS」というフリーで公開されているマークシート集計ソフトを利用して、研究室のパソコンとスキャナでかんたんに出席を取る、というしくみである。これがなかなか使えるという感触で、100人超の出欠が、ながら作業の10分程度で自動的にエクセルの表に落ちる。しかも、出席表に転記するのを自動化することで、小レポートの部分を気楽に集中して読むことができる。けっこう具合がいいので、他の授業でも使ってみようと思う。じつは今年度、学内のFD委員になっていて、この出欠のとり方、うまくいけば全学に紹介できるかなあ、というつもりもあった。感触としては、全学の先生がたにというのはハードル高いだろうと思う(PCとかスキャナを自然に使う人間というのは、やはり一部であって全部ではないと考えるべき)。でも、あるていど機械物に馴染んでいる人であれば、とても便利だという感触はある。以前、シラバスを書きながら、この授業の出欠のとり方について考えていたことは、ここにも実は書いていた。そのときとは違うソリューションではあるけれど、なかなかおもしろいことができていて、そのへんもこの授業が楽しいというところ。

9月の学会をめどにダイエットを敢行し、2,3キロ落として学会明けでいちおうダイエットを一旦終了としたのだけれど、そのごどうなったでしょう。まぁ、ひと月ほどは無事体重キープである。食欲の秋だし、いちおうおいしく食べて、しかしまぁ昼食とかちょっと控えめにして、間食(研究室にお菓子を置いておくとか)はしないようにして、夜中、学校帰りにおなかがすいてるからといって電車に乗る前にサンドイッチとか買って食べないとか、そういうところはまぁ無駄なことなので気をつけつつ、こまめに体重を量っていると、だいたいキープ、ということになる。これで落ち着いたら、またその気になったタイミングで、もう少し絞ろうという気になったら絞れるような気がしている。ダイエットというのが往々にして思春期の食行動異常に結びつくとかいうわけで、それはある種の自己能力感に関係している、という言い方もあるわけなのだけれど、わかる気がする。自分の体重をコントロールするというのは、ちょっとした支配体験の気分なんである。支配されてるのも自分だってことについてはさておくとして。
ま、さしあたりは、心にじゃっかんの余裕を持って食欲の秋を迎えられたのでよしとしよう。社会人学生の人が、自分ちで作った新米をわけてくださったのを炊いて食べたら、おいしいもちもちのごはんでおいしかった。初物の縁起物である。


 


11月22日。このところなにをしていたのか。

あわただしく日々は過ぎるわけである。11月は誕生日がある月で、まぁこういうだんだん寒くなって木枯らしなんかふいて景色も枯れてくるころになると、おお自分の季節がやってきたぜという気にならなくもない。月頭には祝日があったり大学祭なんかがあったりして、てきとうに休みがはさまってくれたのでいいペースでもある。

授業が秋学期の半ばにさしかかっているが、今学期は、このまえここで言及した「人間論」とか、1回生の演習授業とか、非常勤先の「教育社会学」とか、わりかしおもしろかったりうまくいってたり手ごたえがあったりする授業がある。非常勤先の「教育社会学」、カリキュラムが変わって今後なくなってしまう(新カリでは半期ものの「教育社会論」になる)ので、いまは移行期間で受講する学生も、秋学期からは旧カリの学年に限られて、しかも登録だけで消えてしまった学生もいるので、なんか小人数のゼミみたいになっている。なので、教室も変更してもらって、まぁできるだけぐだぐだと喋りながらやるのがいいなぁ、みたいに思っている。まぁ、実際にはなかなかそんなにはできなくて、講義調になってしまうのだけれど。まぁでも雰囲気はいいわけで、学生さんもおもしろがってくれてるのがなにより。

機械ものをいじる月間が継続中で、なにせiPadというと無線LANがつながらないと話にならんということで、あれこれ試している。さしあたり下宿のイーモバを無線LANで飛ばすルータ、というのを見つけてやってみた。さいしょうまくいかなかったけれど、何日か後にいじっているうちにうまくいった。あとは職場のWifi環境がもう少し整ってくれるといいけれど、どうやら今年来年にスマートフォンがいっきに増えて(自分もだ)学内でも学生さんたちがWifiを使いたがるようになるであろう、それに見合うように導入、というかんじになるのでは。
あとはいよいよ下宿のメインPCを新しく買うこと、で、あれやこれやがうまくつながってうまくいくことになるとおもう。このまえ研究室のPCを新しく買って以来、やっぱし作業能率があがったわけで(つまり旧型のPCと色々な機器をつぎはぎで工夫しながら使っていたらやっぱり能率がわるかったわけで)、おなじことが下宿のPCにも言えるのだろう。ボトルネックをひとつひとつ解決していくこと。

食欲の秋、ということで、少し食べようかと思っていたらすぐに体重が戻る気配を見せてきたので、またちょっとセーブ気味である。昨日あたりからぎっくり腰手前っぽい腰痛も出てきたのでこれも要注意。誕生日が過ぎるたびに、身体のメンテとコントロールに気をつけねばという気持ちがいよいよ増すわけである。まぁそういうものだ。


 


12月13日。師走だなァ、ぼかァ。

例ニ拠ッテ例ノ如ク、ぼやぼやと日々は過ぎ去り、行き交う人あたかも旅人の如き有様にて師走も半ばと相成った。はやいねえ。

気がつけば年内の授業の終わりが見えてきたのはありがたい。年明けにも授業があるけれど、区切りは区切りである。今学期は、ここにも書いてたけれど「人間論」がわりかし調子よくて、きぶんよく喋っている。社会学の話に入る前に、フロイトの人格理論の話にちょっと寄り道をしたら、なにしろフロイトが好きなこともあり、また臨床心理の学生さんたちや、臨床心理いがいでもそのての話に興味を持っている学生さんたちが引っかかってくれたこともあり、ちょっとあれこれ引っ張りすぎたところもある。このところ、ようやく社会学の話に入って、もちなおしているかんじか。まぁ、フロイトの話(や、そのまえにユクスキュルとかの話も)をくどくどとやったおかげで、社会学の話がしやすいってのもある。といってもまだ、「社会とは、人間が集まってできてるものではないです、身体が結合してできてるものです」「人間は、海の表面にできた波頭の形象のようなもんです、あるいは飛沫とか」みたいな話をしたりして、歴史図式でいくとまだ近代的な人間の話に入ってなくて、共同体的な社会のありよう(と、そこにおける、個体で完結しない生)の話をしている。まぁそのへんをていねいに念押ししておくと、近代的な人間とかフロイトの人格理論とかの特殊性も実感できやすくなるだろうし、そうすると学生さんたちは、じぶんがあたりまえと思っている「人間」というのを違う目で見れるようになるってこともあるかもしれん。

あと、1回生のゼミがわりかしいい展開をしている。小学校の「放課後子ども教室」ってのにボランティアにいく、その一回分のプログラムを企画して実施する、ということをやっている。ここ数年、やってるのだけれど、今年度は企画の準備段階に回数をかけることができて、事前学習やってブレストやってKJ法をじっくりやって、そこからグループごとに企画案を作ってプレゼンやって、全体企画に落とし込んでいく、というのを、まぁ一通りできたし学生さんたちもけっこう乗ってやってくれたようである。先週が本番で、今週ふりかえりをやる。反省点もたくさんあって、それもふくめふりかえりの具合にもよるのだけれど、プロジェクト型のすすめかたが見えてきたような気がする。この授業、専攻の4人のスタッフが協同して進めているけれど、かなりおもしろい。たいへんだけど。

なんて言いつつ、じつは卒論提出締め切りが目前に迫っているのである。今年度は担当学生が少なくて、4人。それぞれに最後の追い込みをやっている。日曜日はメールのやりとりで指導。今年は(いまのところ)ものすごい心配をさせられるということはないようである。消息不明になるとか。提出前日にファイルが全部消えてしまいましたという電話がかかってくるとか。そういうのは体によくない。今年はなんとかぶじに提出されるといい。

某日。ポークソテーを作る。中華風にしようかしら、と、オイスターソースで味付けする。ふとした出来心で、ガラムマサラを振りかけたらインド風が加味されるだろうか、中印国境ふうになるだろうか、と思ったら、なんか洋食ふうになったのは気のせいだろうか? 翌日もう一度試して、やはり洋食風になった。よくわからんので書き留めておく。

さむくなってきたので、ふと思い立って、おでんを作る。さいしょに牛スジを圧力鍋で柔らかくして、あとは市販のおでん練り物セット的なものと、大根とこんにゃくとタコを入れて煮て、ひとまずできる。そこから、ちょっと食べては、里芋を足し、卵を足し、またちょっと食べては、新しく買ってきた練り物をまた足し、で、煮返しては具材を足していると、けっこう無限に続きそうである。飽きたからといって止めることはできない。



 


1月1日。謹賀新年。

あけましておめでとうございます。
ことしもまたよい一年になりますように。
みなさんにとっても。私にとっても。