更 新 メ モ 過 去 ロ グ
(2018/7/1 - 2018/12/31)


最終更新箇所へ / 表紙へ戻る

アーカイヴ (2002/8-12) / (2003/1-6) / (2003/7-12) / (2004/1-6) / (2004/7-12) / (2005/1-6) / (2005/7-12) / (2006/1-6) / (2006/7-12) / (2007/1-6) / (2007/7-12) / (2008/1-6) / (2008/7-12) / (2009/1-6) / (2009/7-12) / (2010/1-6) / (2010/7-12) / (2011/1-6) / (2011/7-12) / (2012/1-6) / (2012/7-12) / (2013/1-6) / (2013/7-12) / (2014/1-6) / (2014/7-12) / (2015/1-6) / (2015/7-12) / (2016/1-6) / (2016/7-12) / (2017/1-6) / (2017/7-12) / (2018/1-6)





 


8月14日。地震・大雨・台風・猛暑、平成最後の夏。『ファンシィダンス』再読。

さて、6月に大きな地震があり、天災は忘れた頃にやってくる、と言いつつそろそろと油断をしていたらこんどは西日本豪雨というのがあり、ひとしきり心配しているとこんどは東から西に進む奇怪な大型台風が列島を縦断し、そして連日の猛暑。なかなかにタフなことである。平成最後の夏、というフレーズがどこからともなく耳に入り、というかどうせ毎日見ているTwitterで見かけるようになったか何かかしらと思わなくもないけれど、まぁ色々なことがある平成最後の夏である。色々な天災が起こるから改元する、というのならわかるが、改元にあわせて天災が起きるという法はないだろう、等々というのも概ねTwitterで見かけた軽口で、また、東京オリンピックをやってる場合じゃなくて大仏を建立すべきレベル、みたいなのもTwitterで見かけた軽口、まぁこういうのが間断なく流れ来ては流れ去るのだからTwitterというのものはありがたいというか、まぁ世の中には才気の余っている人たちがたくさんいるようなので結構なことである。ありがたがっている場合ではなく暑い。暦の上では秋、といいながらのまだまだきびしい残暑である。

このまえここに何か書いたのが6月の末で、それはつまり、学校で同僚の先生方と顔を合わすたびに、おかしいですねえ、昔は7月になったらもうじきに授業期間おわりだったのが、あと1ヶ月あるんですよねえ、等々ぼやいていた頃、ということで、まぁそれが7月頭の時候の挨拶になってから既にずいぶん経つわけで、まぁ考えてみれば7月になったら早々に授業がなくなるような時期から在職している先生のほうが少なくなってきたのかもしれない。やれやれである。ともあれ、7月の頭には学外のお仕事もあり、そして件の豪雨では大学も休講になったりして(地震のときにひきつづきまたもや)、学期末までの授業のやりくりやら、次年度の実習科目の算段やらであたふたしているうちに試験期間が訪れ、あたふたしているうちにようやく授業期間も終わり、8月に入るとこんどは学生さんの社会教育実習の巡回で、まぁこのところ近場ばかり当てて頂いているので日帰りで回ることができて助かるのだけれど、気がつけばそんなこんなで現在に至るのだ。

平成最後の夏、といわれて、ふと思い出したのは、自分が学部を卒業して大学院に進学したのが平成元年だったということである。平成とともに歩む教育社会学稼業、というわけなのだった。平成最初の夏には、徳岡先生の集中講義があったような覚えがあって、なぜ覚えているかというと、夏休み終わりに提出したレポートが、なかなか自分で気に入っていたからというのもある。書き出しが、「その夏、私は退屈していた」とかなんとかそういうかんじで、まぁ院生がそんなふざけた調子でレポートを書いていたんだからまぁ平成元年というのものんびりとした時代だったことは間違いない。その夏、自分は退屈していて、テレビで流れる怪事件のうわさばなしに心を奪われていた、みたいなレポートで、ちょうどその夏は「宮崎事件」で世間がもちきりだったそのことを題材に、「おたく」とは何かとか、まぁそれを他者執行カテゴリーというか、言語ゲーム論みたいな方向にもって行って、単なるラベリングというだけではない、「誰もが自分以外の誰かに「おたく」というレッテルを貼る − それによって自分の正常性を主張する − ゲーム」としての社会問題言説、みたいな図解を提示して、「・・・そうやって私もまたうわさばなしを語り継ぎ、それによってまた退屈な日常をとりもどそうとしていたということなのかもしれない」みたいなオチをつける、みたいな。まぁともあれそんなレポートでも、叱られもせずに単位を出していただいて、まぁなんやかんやで現在に至るのだからありがたいことである。
そしてまた、平成、という元号を目や耳にするたびに、つまりほとんどこの30年ずっと、「へいせいのへーは へーいぼんのへー・・・」と、頭の中でかすかにリフレインするわけで、それは、そのころ読んでいた決定的な作品、岡野玲子『ファンシィダンス』のひとコマからきてるのだった。それで、平成最後の夏、といわれてやはりここは再読すべしと本棚からひっぱりだしたのだった。読み返すと、平成元年3月掲載号で主人公は「お山」を降りて、4月号で娑婆に戻る。そこで「平成」という元号が言及されているわけである。ちなみにそのタイミングでわたくしは大学院に入って、まぁ現在に至るという。そう思えば感慨深いものがある。読み返してやはり、決定的といわざるをえない。

電車で学生さんの実習先に向かう。窓の外の景色の中に、あるとき、ちらほらと青い色、屋根にブルーシートがかかっている家がちらほらと現れはじめる。地震で瓦の落ちた屋根ならん。それがどんどん増えて、それからまたなくなる。被害の大きかった地域を電車が通り抜けたとわかる。ずいぶんと日が経った積もりで、しかしそれは現在でもあり、しかしそれもあっというまに視界から消え、しかしやはりそれはつねにそこにあるのだった。

大学もようやくお盆休みに入り、ほっとひといきといったところ。のんびりとしたいものである。


 


9月30日。平成最後の夏は後半戦もタフ。

このまえにここに何か書いたのが大学がお盆休みに入った頃、それから帰省をしたり、9月に入ったら学会に行ったり、学校も動き出して、あれこれしているうちに授業期間が始まって現在に至るというところ。それはそうなのだけれどその間に台風が3つ(いまひとつ来ているところ)、北海道で大地震が一回、平成最後の夏は後半戦もなかなかにタフなのだった。なんかいろいろあったので一月半前のことがはるか昔のようだ。

ともあれお盆休みに入る前は、連日の猛暑だったのだった。命に関わる暑さだとかなんとか。それで帰省でもしてのんびりすごそうかというころに、実家の居間のクーラーが壊れて動かなくなったということを聞く。あれまぁと思いながら、まぁ命に関わる暑さらしいから居間でがんばってる必要はないでしょうなどと電話で言いつつ、しかしこれは暑いのも覚悟かなあと帰省してみると、なんとまぁわたくしが帰省するや、それまでの猛暑が嘘のようにけろりと涼しくなったのだからあたかも大海を割るモーセのごときものでこれはきっとふだんの行いがよいから起こる神通力であろう。帰省してクーラーが修理されるまでのあいだはその神通力でもって大いに涼しくのんびりと過ごしたものである。甲子園では連日の熱戦で金足農業の活躍があったとかそういうのを見ていたものだ。それで、去年の夏は変わり焼酎(黒糖焼酎にごぼう焼酎、あと海藻焼酎)を通販で取り寄せてみて飲み比べなんかしておもしろかったのでこんどはわさび焼酎というのを取り寄せてみて、これは父親にはいまひとつウケなかったみたいだがわさびっぽい味はしたようである。まぁしかしビールと地元の銘酒で例によって毎晩乾杯して愉快に過ごした。
それでしかしそろそろ娑婆に、俗世に、阿鼻叫喚の巷に戻らないといかんものかなと案じていたころに台風がひとつやってきていたのは今にして思えば何かの予告だったのかもしれないけれど、ともあれそのときはどうやらギリギリ台風の来る前を走り抜けられると算段してエイヤと帰路に。駅で切符を買おうとすると、これが今日の最後の特急です、あとは運休しますと言われて、なんかほんとにギリギリだったようなのだった。ともあれ特急は走り出し、なんだかこのたびはずっと窓の外を見ていた。天気は意外によくて、一瞬だけスコールのような雨の中を通過したぐらい、それもすぐに通り過ぎて晴れ間がきらきらしていたぐらいなのだから、まぁ台風というか、嵐の前の静けさという雰囲気ではあった。列車が走る線路の側をずっと川が流れていて、線路の右側になったり左側になったり、つまり山あいの川に沿って縫うように線路が引かれて、それでぐねぐねと蛇行しながらだんだんと山間部へとのぼっていき、山越えをするのだった。窓の外には、山あいの街道と、街道沿いの集落、ときどき町があったりして、それで前方には山がつぎつぎとあらわれて、列車は川沿いにその山を大きく迂回しながら少しずつ高く進んでいくように思え、そうするとまた別の山があらわれて、というかんじ。なんだか、この線路を作ったときの人のような気持ちになって、あの山を越えて、などという感傷的な気分にもなりつつ、そうこうしているうちに川のようすが変わってきて、つまり、分水嶺というのがあって気がつくといままで列車の後ろに向かってた川の流れが逆になって前のほうに向けて流れるようになる。そうなるともう不思議なもので少し様子がかわってくるんで、川はだんだん広くなっていくし、あとは平野に向けて進んでいくのだった。ただ、そうそう、平成最後の夏の前半で西日本豪雨というのがあったんで川沿いにはそのあとがはっきりと残っていて、木なんかがのきなみなぎ倒されているところなんかがあった(それでこの路線自体がかなりながいこと不通になってたんで、夏のはじめごろには、無事に帰省できるかどうかもあやふやでわからなかったんだった)。そしてしかし列車はぶじに目的地へ、そして車内のあちこちでチャイムのような音がいっせいに鳴り出し、つまり台風の緊急速報メールが携帯電話を鳴らしてた。まぁ空模様はまだ大丈夫で、駅の構内アナウンスも運休の予定をあれこれと一生懸命に言っていたけれど、ともあれ無事に予定の新幹線に乗れて、そして新幹線はすべるように走り、そして阿鼻叫喚の巷に、下宿にたどり着いたころにザザッと大雨になった。

帰省している間にfibitのバッテリーがへたってしまったので下宿に戻ったらすぐに二代目を買った。2年半ほど使ったことになるし、1年少しぐらいでバンド部分が壊れてからはだましだまし補強しながら使っていたんで、まぁよく使ったほうだろう。二代目はAltaHRというのにした。全体的に細身になっているし、バンド交換可能ということでそのへんはかんじよさそう。睡眠のログの表示も細かくなってるし、まぁ満足である。

今年の学会は9月の頭にあり、まぁとくに役もないし司会も当たってないのでどうしようかしらと思っていたけれど、ちょうどその日に学内の用事があり、「あぁ、学会なんだけどなぁ」と言ってたら若い先生が「代わりますよ、学会行って下さい」と言ってくれて、ありがたく代わってもらった手前、学会にも行くことになった。まぁせっかくなので、また近場でもあったので、朝イチから参加。部会も3つ見れて、挨拶しなきゃと思っていた先生がたをわりとたくさん見かけてご挨拶できたのでよかった。せっかくなので懇親会までいて、それでご挨拶しようと思ってた先生にまたご挨拶して、それで早抜けして帰宅。そしてしかし、今回の学会の最大の出来事は実は、今年最大の台風(というのを台風がくるたびに聞くので何度か更新されてるみたい)が迫っているということで、そのために学会二日目のプログラムはぜんぶ中止が急遽決定されたのだった(開催校の先生方はじめ苦渋のご判断だっただろう)。遠くからいらしてる先生がたは、早々に離脱されたり、あるいは台風が通り過ぎるのを待って悠然と飛行機に乗るような予定を立てておられたりのようだったけれど、ひょっとして翌日の台風で連絡橋にタンカーが衝突して破壊され、停電に浸水で文字通り孤島となった関空に閉じ込められていた人たちの中にそういう先生方の何人かがいらしたのではという気もする。いやはや、人生はじめて経験したぐらいのきつい台風で、たいていの天災にはびくともしないマンションに住んでるつもりなのが、このたびばかりは相当こわかったしじっさいのところベランダの隔壁が破壊された。暴風でガラスが割れるんじゃないかとびびりながら奥のほうの部屋にこもって、学会の物販で買ってきた『教育社会学の20人』を読んでたらいい本だった。

台風のあとで気分的にもざわざわ、じっさい近所の道の植木なんかもばきばき倒れてたりして落ち着かない中、まぁ大学的には通常営業で仕事をしていたらこんどは北海道で大きな地震、まぁさいわい身近な親戚とか先生がたのご実家とかは大丈夫だったみたいだけれど、ほんとうに大仏を建立したくなるような平成最後の夏の後半戦なのだった。

ともあれ、さすがに9月も下旬になって秋風が立ち、大学もついにとうとう秋学期の授業期間スタートである。今期の時間割にまだ慣れてないというのもあるが、じきにペースをつかみたいものである。
ふと気がつくと、冷蔵庫で作っていた麦茶を一度も飲まないで捨てていた。まぁ秋になったということですね。


 


10月31日。このところなにをやっていたのか。

なんか秋学期の授業時間割がなにげにたいへんなのか、なんなのか、あわただしくというか、ほぼ空回りしつつというか、日々が過ぎる。生産性のほうはたぶんさっぱりで、時間のロスとかまぁだからようするに空回りだとか。学外のおしごとの宿題があり、まぁ授業のない研究日に下宿でやるのがつねなのだが、10月は研究日にぜんぶひとつかふたつずつ大学のほうで小さな用事や重要な会議、ミーティングが入り、けっきょく早起きして通勤電車に揺られて出勤、用件を済ませて帰宅するといいかんじに時間はつぶれてしまう。とか。で、宿題のほうはけっきょく週末をつぶしてやることになるとか。そうそう、週末に日帰り出張が一回あって、新幹線に乗って現場についたらなにげに空振りで(まぁそういうこともあるだろう)、懇親会のごちそうだけいただいて新幹線に乗って帰ってきた、とか。まぁなんかそんなかんじで、空回りのあたふたした日々を送った。

Windows7のサポートがまもなく終了するというので、いま使っているPCをWindows10にアップグレードできないかと思いつく。それで下宿で休業状態だった − 突然死してからPuppyLinuxの力で蘇生して、しかし活躍の場がすでになく休業状態だった − デスクトップをひっぱりだして枕元のテレビをディスプレイ代わりにつなぎ、ためしにWindows10を導入してみる。おどろいたことにすんなりと入る。それでしばらく使っていたらだんだん様子がおかしくなりふたたび突然死。やれやれ、である。やれやれではあるが、ためしというのはつまりそういうものである。失敗によってわかったことというのがあるわけで実験とはつまりそのためにしたのだからこれはよかったことなのだ。しかも、枕元のテレビにPCをつないだらどういう生活になるか − つまりインターネットが枕元までやってきて寝不足になったし寝起きで布団にはまったまま仕事のメールチェックと返信をするはめになった − ちょっとわかったわけだし、数日間たのしかった。よかった。

DVDは見た。ゴダールのジガ・ヴェルトフ集団時代のボックスセット第二弾というのが出てたので見てみたり(まぁ概ねしんどかったかな)、月の下旬には気分転換もかねて、毎晩一本ずつぐらい、つんどくになってる中からアメリカ学園映画方面のものを見てた。だいたい、とくに今年はこれまで映画ぜんぜん見れてなかったんで、10月になって怒涛のまきかえしをはかってるというのもある。

岡山駅に降り立ち、いつも新幹線の待合室の窓から見ている駅前に出てぶらぶら目的地に向かう。晴れてるし時間があるのでどこか見ていけないかなと思ったら駅前のビルに本屋さんがあり、短いエスカレーターをあがると何かアウトドアグッズなど置いている奥にさほど大きくない店舗スペースがあったんだが、棚を見ていたら何かちょっと欲しかったかなというような本が並んでいたり、何かちょっと工夫した特集コーナーの棚があったり、ちょっと好感を持てる本屋さんなのだった。それで、懇親会がおわって駅に戻ったときにもういちど店に入って何冊か買い、駅ビルに入ったらまたその店の書店コーナーがあったので入ってもう一冊買い、その意味ではたいへんに収穫があったのだった。書店カバーをかけてもらい、レシートをしおりがわりにして、この本は岡山の駅前のあの好感の持てた本屋さんで買った、と思いながら読むのは、ちょっと楽しい。


 


12月2日。やれやれまたしても日々があたふたと過ぎた。

あたふたと日々は過ぎる。いちおう11月初めは大学祭があったりしてまぁ授業がとんだり、月半ばには入試でこれまた授業がとんだり、まぁ学外のアカデミックな案件の会議や仕事があってもそれはたのしいことの部類にはいるわけで、また11月は例年、1回生と2回生のイベント実施が重なるけれど、それもまぁつつがなく終わり、そうしてみるとこのひと月はひとまずしんどさは少なかったと見るべきかもしれないけれど、しかしまぁ日々があたふたと過ぎていったことに関しては間違いない。秋が深まる割には寒さはあまり訪れず、天気予報では年内だいたい暖かいみたいな見通しで、なんだかゆるい気分になりそうなものではあれど、しかし、気分としてはなかなかのんびりとした感じにはやはりならないもんである。そりゃまぁまがりなりにも働いているのだからそれはそんなもんなのだろう。

そして11月といえばなにしろ、毎年恒例の、ロラン・バルトとか高野文子とかの誕生日があるわけで、まぁ例によって小さな声で自分も、と言い添えるわけだけれど、今年はそれが平日で夕方には会議もあり、慌ただしく過ごしてしまったので、なんかこうおめでたい気持ちになるタイミングを一つ逃したようなもんで、いまいちぱっとした11月感を得そこなった、というところはある。あ、でも、昼のおにぎりを買ったときにシュークリームも買って食べたな、いちおうあれはケーキ的な意味で。ま、そのていど。それでなにしろ、誕生日を口実に何か楽しげなものを買うとかそういう物欲方面にも動いていなくて、そのへんはせっかくだから何か買ったらいいかなあとは思っているところ(しかしなにしろ物欲が枯渇しているので何も思い浮かばないのである)。

といったようなことを月末の金曜の晩に書き、そしてそこまで書いて、まぁしかし何かあと少し、せっかくなのでもう少しのんびりしたようなことが書きたいと思ったらハタと手が止まった。それでまた、その昼間からすこしのどが痛いかな、そういえばじゃっかんぼぉっとするかしらん、といった感覚もあって、まぁそうするとこれは、長い人生経験からすればあれかな、風邪のひきかけかな、という洞察もあって、そうするとまぁ、寝る、ということになり、週末ずっとぐずぐずと布団にはまって寝てみたり、そのまま通販で届いた漫画を読んでいてみたり、ときどきしょうがをたくさん入れた温かいあんかけうどんとかあんかけそばとかを食べてみたり、熱いお茶とか梅昆布茶とかをやたら飲んでみたりというふうにして過ごしていたら土日が終わってしまう。やれやれこうしてまたしても休日は無為に過ぎていくわけであるが、まぁそのようにして日々が過ぎていくのは、あたふたということになるのか、のんびりということになるのか、わからないといえばわからないし、どちらでもおなじことだということだといえばおなじことのような気もしてくるわけである。そのようなことをむにゃむにゃと書き足して、何かを書いたことにしてしまう。するとあらふしぎ、このところの日々はまさにそのようなふうに流れていたのだと見えてくる、等々。

 

 


12月28日。師走。ことしも一年が暮れようとしている。

前回のあらすじ的には、風邪を引きかけたところまでで以下次号となっていたわけだが、その週明けに早々に帰宅してかかりつけ医にかかり、薬をやまほど貰って帰ってそれをまた律儀に飲んだもんだから、大したことにもならずあっさりと治った。その教訓はといえば、これまでしばらく『風邪の効用』などを参照しつつ、なにしろ風邪薬というものは基本的に対症療法で、風邪はけっきょく自分自身の免疫力で治すしかないのだから症状が特にひどくならないのならせっせと体温を上げて免疫力を高め(葛根湯は体温を上げるという信念から、飲む)、風邪が通過するのを待つ、という方針を堅持していたが、まぁ逆に言うと、どうせ自分自身の免疫力が治してくれるわけだから、早めに医者にかかって対症療法で症状を抑えながら免疫の発動をのんびり待っていればいいのではないか、そのほうが身体に優しくて妙な咳とかが残るようなこともなくていいのではないか、等々、まぁ新しい思想の可能性を見た気はする。まぁどっちでもええことではあるが。
卒論もまぁ、今年もまた無事といえば無事に提出され、あとは評価、という段階である。それからさらに10日ほど授業期間があり、クリスマスイブまでしっかり授業があり、クリスマスまで会議があり、そのあとなにげに宿題もあり、まぁしかしどうやら仕事納めということになった。

月はじめに、気散じとして、タブレットの安いのをひとつ購入。2014年3月に買ったことになってるYogaTabletも動きがぼちぼち遅くなってきてはいて、また、ちょっとサイズの大きい10.1インチのものが売れ線で安くなってきてるのに気づいたからってのもある。聞いたことのないTeclastA10Sというのを1万7000円かそこらで買った。でまぁ、思ったほど画面が大きくなくて、また思ったほど軽くなくて、またYogaで使えていたアプリが使えなかったりしてそのへんはぴんとこないけれど、なにしろ安物だと思えばさほど不満にもならない。電車の中で論文など読むのに、少しだけ字が大きく読みやすくなったような気もする。
しかしまぁ、それよりも画期的だったのは、個人研究室のPCにいままでずっとプロジェクタを繋げていて、卒論指導のときなどは壁に投影して画面を見たりしてたのだけれど、どうもいまいち使いやすい感じがしてなかったのを、やめてですね、同僚の先生が使わなくなってたディスプレイをひとつ貰い受けてそれを(長いUSBケーブルで)繋いで、学生さんが座るテーブルのほうに置いてみた。それでついでにキーボードも長いケーブルでもう一台繋いで、またマウスも無線のやつを用意して、自分のデスクでできることをテーブルの上でもできるようにしたら、これははかどった。ふだんどおりに学生さんはテーブルのほうに座り、私は私でいつもどおりデスクのチェアをくるりと後ろ向きにしてテーブルのほうを向き、マウスやキーボードで操作しながら同じ画面を見ていろいろできるというのは便利である。ええとつまり、似たような理屈だけれど電気を消して壁にプロジェクタで映していたときよりも、断然、実用的に使いやすくなった。身体とデバイスの物理的な配置の違いで使い勝手が画期的に変わったというはなし。卒論指導とか、研究室でやる会議とかがだんぜんやりやすくなった(気がする)。
(ところでこのはなしにはちょっとしたおまけがある。二つのディスプレイが向かい合って置かれていて、私はチェアをくるりと回転させて、デスクのほうを向いたり、テーブルのほうを向いたりする。それで、デスクのほうからくるりと後ろを向いてテーブルの上の画面を見ながらテーブルの上でマウスを操作するときに、一瞬、はてな、なぜ左右逆にならないのだろうか、という不思議を思いつき、まぁ半日ぐらいで解消したんだが、ちょっと一瞬、錯覚しますよね、ちょっとおもしろかった)

まぁしかしあれです、仕事効率化みたいなことに楽しみを求めはじめるというのは症状としてはよろしくなくて、方向性として社畜のほうを向いていて剣呑である。そういうのはほどほどにしたいものだ。

まぁもう少し精神によさそうな気散じとしては、今年は10月ぐらいから寝る前などにつんどくのDVD消化の意味も込めて映画など見てた。というか、今年はさっぱり見てなくて危機的だったのを意地で挽回しようというのもあって、ゴダールのジガ・ヴェルトフ集団時代のボックス、アメリカ学園映画、あたりで勢いをつけて、なんとか40本台。
あとは、やくたいもない漫画などを読んで、まぁなんとかしのぐ日々である。

年の瀬と言い師走と言い、ことしも一年が暮れようとしている。世の中いろいろなことがおこり、しかしわが身に関しては無事であったなら、これはもう無事に一年が過ごせたと晴れやかな顔をしているべしである。
それでもちろん、新しい年もまたよい年でありますようにひとつ。