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(2018/1/1 - 2018/6/30)


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1月31日。ぶりを食べてお正月。/年が明けたと思ったらもう一月は行く。

年末年始は実家でのんびりと過ごした。ありがたいことである。丸々と大きなぶりとか鯛とかめでたそうなところをいただいては例によって乾杯、ビフテキをいただいてはまた乾杯、まぁ一年が無事に過ぎてまた新年を無事に迎えられてなによりである。ちなみに大晦日の紅白歌合戦を最初から最後までべったり見て、まぁさいきんのヤングの歌やらはわからないわけだけれど、自分的にいちばん感慨深かったのは五木ひろしの「夜空」だった。たぶん、小学校のころに流行っていた歌で、そのころにも紅白歌合戦でこの歌を歌っていたような気もして、そのときと現在とが一瞬、重なったので。
ずっとコタツの番をしていて、こんなことしてたら太るんだけどねえと言っていたが、まぁ下宿に帰ったら、まぁいつものことだけれど、ただちに体重がすごく増えていたというよりは、食べる習慣がついてしまって下宿に帰ってから太った。まぁそういうものである。

毎年のことだが、1月の授業は2週間ばかりで中途半端、それにセンター試験業務があったり会議が突然重なったり、のんびり休んだ宿題が重なったり、まぁいろいろで、あっというまに一月は行く。

そうそう、年が明けて、まぁある種のきっかけということで、しばらく止まっていた研究会を再始動できないかということになり、2月末に開催する運びとなった。そういうのを楽しみにするべしである。


 


2月28日。大阪ミニ出張 / ピョンチャンオリンピック / 月末は再び大阪、ひさびさの研究会。

月のはじめにあった入試にあわせて大阪ミニ出張。以前、入試委員で広島会場担当になった経験を買われ(?)入試委員の先生の代打として急遽決まったわけである。数日、ばたばたと準備作業や会議があったあと、試験前日に大阪入り、職員スタッフのお二人と合流して会場準備等、そのあと観光客でやけににぎわう夜の街に出て(わたくしが全く不案内な、しかし聞いたことはありそうな界隈のようで、「先生ここ道頓堀ですよ」「おお初めて見ました」みたいな会話をしたような)おいしい食事をたべて英気を養って早めに解散。ちなみに監督担当の先生方は当日の通いだけれど、スタッフチーム(わたくしと職員のお二人)は、万一を考えて、会場近辺に宿泊でした。で、当日はちょうど日本海側が大雪の日にあたっていたんだけれど大阪は心配されてた雪はふらずにいい天気、朝から監督担当の先生方も集結、ぶじ試験が始まれば、職員スタッフのお二人は大忙しで、まぁ、わたくしの主たる役割は「責任者印」みたいのをぽんぽん捺すとか、荷物を受け取るとか、あとは試験時間中は監督の先生方が試験監督をしておられるあいだ、入試本部になった大学難波オフィスで責任者然と留守番しているとか、電話番とか、そうそう、お弁当が届くので受け取るとか、そういう重要任務だったわけだけれど、まぁなんとか無事に完了し、そしておなじく二日目も晴天&試験も無事に完了して、わたくしもちゃんと押すべき判子をいわれた場所にぽんぽんと押すことができてぶじ任務完了。しかし学外試験というのは、終わってみるとやはりどっと疲れが来るんで、それとともに達成感のようなものがありますね。ぶじ終わったぞ的な。まぁそのようにして働いていたのが月はじめのおはなし。

それで、なんやかんやあって、月の半ばにはピョンチャンオリンピックというのが始まり、まぁ冬のオリンピックなんてどうせ地味だよね、ほんとにやるの?ぜんぜんもりあがってないんですけど、などと始まる前は言っているものの、いざ始まるとそれなりに高まってきて、しかもこのたびはジャンプもスキーもスノボもスケートも、フィギュアもアイスホッケーもカーリングも盛り上がりがあって、日本選手がメダル候補だったり、じっさいにメダルを獲得したり、いろいろなドラマがあったりして、なんだかんだいって見てしまった。いやいや、よかったよかった。

大阪、ピョンチャン、そして月末にはまた大阪、ということで、ひさびさに「教育・文化研究会」の第9回を関西大で開催。思えば前回がちょうどほぼ1年前で、そのあと間が空いたので、これは再開はむつかしいかな、と内心思っていたけれど、ありがたいことに、メーリングリストで声をかけてみたらぱっと発表の手が挙がり、またみなさん参加される日がとんとんと決まり、無事に開催となった。4時間ぐらいディスカッションできて、やはりそういう場があるといい。次回の発表者の手もあがり、たぶん3ヵ月後ぐらいをめどに次も開催できそう。

そんなこんなで二月は逃げる。朝、起きると、知らないうちに目に涙をうかべている自分に気づく。まぁ花粉の季節になりましたと。それでも、暖かくもなり、いよいよ春めいてくるのであれば、まずはよろこばしいことである。去年の今頃は風邪の挙句の謎の低体温だった、それを思えば今年はまず健康体で三月に向かう。ありがたいことである。


 


3月31日。年度末は新年度のはじまり。

晴れの日が続いて、桜も満開で、さしせまったしめきりもなく、まずはいいかんじの年度末である。そして4月1日が入学式というわけだから大学のほうは既に新年度のオリエンテーションがはじまっている。まぁ、それをせわしないとみるか、もう慣れちゃったとみるかは、あなたのうけとめかたにもよるだろう。

花粉の季節ということで、うららかな春というのに下宿の窓はしめっきりで、まぁそのへんは気勢があがらないのだけれど、なにしろこの季節のしのぎ方はすでに会得していて、鼻炎薬がよく効くたちらしく、鼻炎が出てきたぞとおもったらすぐに鼻炎薬を飲めばそれでしばらくはおさまるわけで、つまりこじらせさえしなければいいのだということで、とりあえず今シーズンはまだ3回ぐらいしか薬を飲んでない。

3月のあたまには会議とかいくつかあり、また研究室の紀要をまとめて出稿したりしていたのが一通りきりがついて、月の半ばに帰省してのんびりとした。お盆休みや正月と違って、帰省の列車もいたってのんびりとしていて、ちょうど晴れが続いていたころでいかにものんびりと春らしい。それでまぁ手土産に五色豆と八つ橋の詰め合わせを持って帰ってそれを食べながらやっぱり結局は定番がいちばんだねえとか評したり、まぁそうして庭を眺めていたらうぐいすがとんできたり、玄関先のほうの木に止まって鳴いたりしてなんだか春らしいとよろこんでみたり、まぁパラリンピックを見たりカーリングを見たり、それから十両がやってる時間から相撲を見たりして、それで晩になればまた新鮮な魚でおさしみとか、わかさぎフライやふきのとうのてんぷらとか、ふきの炊いたのとか、それでまた大きな鯛がこれも刺身になったりとか、ごちそうをたべてはビールとか日本酒のにごり酒で乾杯乾杯、まぁ愉快愉快といって過ごし、食っちゃ寝ーの生活でひととおり気散じができた。ありがたきかな。

卒業式があり、5回目の担任クラスを卒業させたことになる。まぁ、だんだん担任クラスというかんじもなくなってきて担任らしきこともしなくなってきたのだけれど。

卒業式にあわせて刊行する研究室紀要、今年は研究ノートを載せた。じつは一年前に書いて塩漬けにしてたものなんで、これがいちおう出せたのは自分としてはよろこばしいことである。

・ 石飛和彦(2018)「研究ノート:会議をうまくやる方法の教育と研究について」『天理大学生涯教育研究』no.22.pp.19-34.

まぁ、研究ノートということで肩の力を抜いてということなんだけれど、「会議のやりかた」の研究やカイゼンというテーマは、エスノメソドロジーと相性がいいですよね、というパッケージのしかたで、会議のビジネス書的なハウツーとエスノメソドロジーの会議研究を串刺しにしておさらいしたようなもの。以前、生涯教育ゲームについてさいしょに書いたときとおなじようなかんじがあって、とりあえずまずこういうことがやりたいというのを出して、それから各論みたいなのをやってければというかんじ。

春休みらしい読書、というのは、できなかったなあという感慨、それでまぁ唯一、『早稲田文学』が金井美恵子の特集をやるというので買い求めて読んで、まぁこれは「デビュー50周年」ということなんだけれど、自分は世代的には「目白もの」から入ったわけで(福武文庫の『文章教室』とかね)、気がつけばなんだかんだで30年ぐらいにはなるというわけである。今はもう、新作が出ればいそいそと買い求めては本棚の金井美恵子棚に並べはするものの、こと小説に関してはゆっくりと読む心境から離れてしまっていて、いつか読める日が来るのを楽しみにする本たち、ということになってしまっているんである。なかなかねえ。雑誌の特集を読みながら、こんな日が来るわけだからなあ、とか、でもくりかえし金井美恵子を読んでた日々があったよなあ、とか、まぁそれなりに感慨にひたっていたのは、それもまあそれなりに春らしいことだとはいえなくもないかもしれない。

あわあわとしているうちに年度末、そして年度末は新年度のはじまりなんである。


 


6月5日。日々はあわただしく過ぎる。このところなにをしていたのか。

気がつけば6月に入っている。日々はあわただしく過ぎる。このところなにをしていたのか。

とはいえこの前にここに書いてたのが3月の末だったということだと、このところというにはちと間が空きすぎているといえなくもない − しかしまぁ、積極的にこんなことをしましたと申請するほどの人生を送っているわけでもないのではあるけれど。

なにしろ4月から新年度で、というお話から始まるとすると、今年も新入生が入学してきて、というのに加えて、また、専攻に新しい先生がひとり参加されたというのはやはりよいニュースである。昨年度に、専攻のいちばん上の教授が副学長に就任されて、それでお忙しくなられたということで、もう一人新しい人を雇ってくださいということで、まぁそのへんは必要とあればちゃんと新規採用してくれるよい職場ってことでありがたきかなということなのだけれども、ともあれじつは昨年度はこの新規採用人事がずっと走っていたのだった。さいわい、よいかたがたがたくさん応募してくださって、悩んだけれどそれはうれしい悩みってわけで、けっきょくおひとかたにお願いをして、この4月から参加していただいた、という次第。どうやらしっくりと馴染んでいただけて能力を発揮していただけそうで、ほっとするやら心強いやらである。まぁ、それより自分はどうなのかと言われれば、まぁ自分はまぁポンコツなわけだけれど、しかしそれはもうどうだっていい些細なことにすぎない。

あれよというまに4月が過ぎ、ゴールデンウイークにはプチ帰省。さすがに慌しかったけれど、連休にしては思いのほか汽車も空いていて、そうなればまぁうららかな5月の汽車の座席に落ち着いて内田百間の文庫本でも読みながらのんびり揺られているうちに到着、またまたおいしい魚にたけのこに毎晩乾杯で食っちゃ寝ーの数日、まぁそのように英気をやしなえたのはまったくもってありがたきことである。娑婆に戻る日は肌寒い雨模様。まぁしかし空いてる汽車に揺られて内田百間の文庫本(二冊目)を読んだりうとうとしたりしているうちに着いてしまう。

それで娑婆に戻ったらまぁ5月は5月であたふたと過ぎて行き、気がつけば6月、もう梅雨入り間近、ということのようである。やれやれ。日々はあわただしく過ぎる。

ふと思い立って、下宿にロボット型掃除機の安いのを買ってみた。毎年この時期、咳が出るのは花粉症の流れで下宿の埃のアレルギーになっとるんじゃないかという思惑もある。それで走らせてみたら、まぁそれなりにがんばってほこりを吸っているようである。勉強部屋のほうで走らせておいてリビングで本を読んでいると、うごうごと動いている音がしている。ときどき音の様子がおかしいかなと思ったら何かに引っかかったりしているので助けに行ったりする。ランダムに動くようだけれど、四角い部屋を丸く掃くといった風にも見えて、まぁやはり部屋の隅とかは苦手にしているように見えるので、100円均一ショップで小さな箒とかちりとりとかをたくさん買って来て部屋の隅はきれいにしておいてやっている。

4月にはいったころのある夜、セシル・テイラーが亡くなったことをツイッターで知る。ちょうど、春休みぐらいからフリージャズのCDをPCに落として聴きなおしていたところだった。おどろいたことに、昔より”聴ける”なあと思っていた、つまり、学生のころにはフリージャズの長尺の曲は長くてしんどいなあと思いつつそれでも圧倒されてすごいものだというふうに聴いていたのだけれど、そのしんどいやつをひさびさに聴いてみたら、なんか意外にふつうにかっこいいのだった。年をとると時間の流れが速くなるというのはこういうことか、という気もしなくもないけれど、まぁ、15分とか20分とかの曲を落ち着いて聴けるようになったということかもしれない。セシル・テイラーの訃報を受けて、いろいろと聴いている。まさかJCOAの『The Jazz Composer's Orchestra』の「Communications #11(Pt.2)」を何度も聴く未来が来るとは思ってもみなかったわけである(学生の頃、たしか「津田蓄音機a.k.a.つだちく」の店の奥の中古盤コーナーで銀色ジャケットの二枚組みLPを購入し、たしか就職した後にCDが出たので買いなおした覚えがある)。セシル・テイラー、5年前に京都賞を受賞して、来日して演奏してたのだった。学校帰りの電車で同僚の先生とセシル・テイラーの話でもりあがった覚えがある(職場にめぐまれたものである)。田中泯の舞踏とコラボレーションした受賞パフォーマンスはYouTube動画で見たが、セシルひじょうによかったという覚えがある(http://d.hatena.ne.jp/k-i-t/20140109#p1)。かっこいい演奏をして亡くなるというのはかっこいいことである。すばらしい。ファンの幸せである。ごめいふくを。

植木鉢のバジルが、気候がよくなってきて元気な葉を増やしているのだけれど、少し前に水遣りの具合で何株か枯らしてしまい一株だけになってしまってやれやれと思っている折から100円均一ショップでふと、野菜の種のコーナーを見かけて、ふとバジルと大葉の種を買って来て植木鉢の空いているところにぱらぱらと撒いてみたら、なんかすぐに芽が出てきた。そもそも下宿でバジルを生やし始めたのは、何年も前に本屋で『ハーブ育成セット』みたいなのをふと見かけて買ってきたところからなんで(2012年の4月らしい。ここに書いていた)、まぁそのときも種からだったのだけれど、なんかこんなにあっさり芽が出てきたんだっけ・・・と思いつつ、ともあれなんかたのしみである。

日々はあわただしく過ぎる。なにか道楽でも見つかればいい。それで日々にたのしみを見つけながらすごせればよいのではなかろうか。

 

 


6月30日。地震とワールドカップ。

地震のときは下宿にいたが、たいへん揺れた。さいわい特に危ない目にはあわなかったけれど棚の上のものとか本棚の上に置いていたマンガなんかはそれなりに派手に床に落ちた。そのくらいですんだのであればありがたい。片付けようとしてしばらく読みふけった。大きな余震に注意せよとのことで、風呂桶に水を入れて、また、鍋に水を汲んで置いてみた。料理ができなくて不自由である。これをいつまでつづければいいのかというとよくわからなかったので今日になってやめた。しかし天災は忘れた頃にやってくると言うのだからおそろしいことである。いずれにせよこれからまたいずれ起こる天災に向けて待機し続けるべしということだろう。一瞬一秒後にあの揺れが再び襲うかもしれないと常に待機し続けながら生きること、それを忘却して送る人生は偽りにすぎないであろう。

ともあれワールドカップである。1990年にイタリアでワールドカップがあり、そしてしかしその年にはイランで大きな地震があったということで、その被災地の子どもたちがワールドカップの決勝戦をテレビ観戦するというエピソードが、『そして人生はつづく』という映画にあり、人生はつづくのだ。なんでもでてくるWikipediaを覗いてみると1990年の決勝戦は西ドイツ×アルゼンチンということで、あれ、マラドーナが活躍したのだったかしらと思ったらそれは1986年のことで、1990年のマラドーナは決勝戦でついに沈黙、西ドイツが優勝したとかマラドーナが試合後にひとめもはばからず号泣したとかなんとか書いてある。いずれにせよ人生はつづく。
時は流れて2018ワールドカップはロシアで行われてグループリーグが終わったところ。ひとめもはばからず号泣していたのはグループリーグで敗退したドイツ代表の皆さんで、アルゼンチン代表はメッシのようやくのゴールで辛くも決勝トーナメント進出、スタンドで見ていたマラドーナが号泣したかどうかは知らないしどうでもいいしたぶんいずれにせよひとめをはばかりはしなかっただろうことは想像に難くない、等々。

朝の通勤電車でドイツ史の先生と会い、おはようございます、ドイツ負けましたねというとやはり首をかしげて残念そうにしておられた。それで夕方はこんどはロシア美学がご専門でサッカーについてもいろいろ書いておられる先生に会ってこれまたドイツが負けた話、日本がなんやかんやで決勝トーナメント進出した話などなど。勤務校にはたくさんのいろいろなご専門の先生方がおられて、たのしくおしゃべり、まぁほとんど屈託のないおしゃべりができるというのは、ありがたくもぜいたくなはなしである。気の置けないおしゃべり、サッカーで一喜一憂、そして人生はつづく。