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(2015/7/1 - 2015/12/31)


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7月20日。このところなにをやっていたのか。

ようやく春学期の終わりが見えてきた。きがつけばまたふた月ばかりここに書いていない。このところなにをやっていたのか − いやはや、じっさいいったいなにをやっていたというのか? なにしろたぶん粛々と日々を過ごしているうちに気がつけば今に至るというぐあいなのだ。それならそれでいいじゃないの、と思いつつも、こうしてこういうところにこういうぐあいに何か書いているというのは、たぶん何年か後に読み返してああ、このときはこういう日々だったのだな、と思い返すためというのもあるのだろうから、せっかくなんだから何か書けばいいだろう。

それで、ええとなにをやっていたのか・・・と思い出そうとして、たとえばここ半月ばかりの懸案は、下宿に小バエが発生しているということなのだった。発生源の台所のごみ(何日か捨てなかったときに大発生した)は速やかに捨てて、しかし飛び回っている成虫がなかなかいなくならない。それであれこれ調べて、あまり殺虫剤を部屋の中で使いまくるとこっちがやられてしまうような気もするが蚊取り線香が有効だと聞きつけ、極太のやつを買って来て台所で二晩というもの燻しに燻したところ、小バエも減ったようだが下宿中が煙ったくなってやっぱりこっちがやられそうである。そしてまた、誘蛾灯というか電撃殺虫器の類を通販で購入し、台所に置いてみたりしたら、これはどの程度効果があるのかよくわからないが、たまにぱちっ、とごまのはじけるような音がするのはパフォーマンスとしては働いてる感を出していて結構である。ふだんあまり殺生をしたくないと思って暮らしているものの、こう飛び回られてはいたしかたない、自衛権を行使して悪を根こそぎ成敗してくれよう、とすっかり積極的平和主義に染まるわけで、そうすると台所のほうからごまのはじけるようなぱちっ、という音がしたりして、悪い顔でにんまり、ということにもなるけれどまぁそういうのは被害者意識でよろしくないとしたものである。
みたいなちょっとした生活のひとこま、ささやかな悲喜劇、総じて毒にも薬にもならない感慨、こういうのが、2015年梅雨の日々のスケッチとして未来に残されるとして、なにがうれしいのでしょうか?

それで、しきりなおし、いっしょうけんめいに思い出すと、そういえば女子サッカーのワールドカップなどあったなという気がしてくる。昼間の試合など留守録画しておいて帰宅後に観戦したが、それまでにうっかり携帯電話の画面等で結果を知ってしまわないようにびくびくしていたものだった。しかしあれはなにしろよくがんばっていた、直前のアルガルベ杯ごろまで非常に成績が悪かったので素人目に見てまさかあそこまで勝てるとは思っていなかったし、決勝まで勝ち残ったのは立派なことであった、などと書いておけば、数年後に読み返したときになるほどそうだったなと思うに違いない。
 そのほかに何かなかったかとweblogなど読み返すと、5月の下旬にふとした出来心で9000円ぽっきりの中国製Win8タブレットPCを買っていたのだった。それでしばらくはそれをいじったり、いったいぜんたい使い物になるかどうかをためしてみたり、最低限使い物になるように周辺機器(キーボードつきのカバーとか、bluetoothマウスとか、microUSBにふつうのUSBメモリをつなぐためのアダプタだとか)を調達すべく電器店を覗いたりして、それをまた学生さんにみせびらかして「これ驚きの9000円、ぜったいやばそうでしょうー」とか多少もりあがったり、まぁそういうことをしていた。まぁしかし、なんとなくひととおり使えそうなめどが立ってみたら、まぁPCもタブレットも既に持っているので、中国製謎タブレットの出番はちょっとみあたらなくて現在に至るわけである。まぁそんなものだ。
 あと、6月には積読状態だったDVDからクエンティン・タランティーノを順番に、『ジャッキー・ブラウン』から『ジャンゴ』まで見たりしていたというのが、多少めだった行動だろうか。だからなんだというと、とくになんでもない。なぜタランティーノか、といっても、まぁ見てなかったしそろそろ、という以上の理由もない、けれどまぁ、それとて何年か後に読み返してみたら、ああ、なんかこうぱあっとしたがちゃがちゃっとしたもの、それでいて志に共感できるみたいなものが見たかったんだなあ、などとふりかえることもあるだろう。
 それでまた何かほかにないかとさらにTwitterのログなど読み返してみると、そうそう、6月の頭に『教育社会学研究』が届き、ここに書評を書かせてもらっていたのだった。伊藤先生の『「子どもの自殺」の社会学 「いじめ自殺」はどう語られてきたのか』というご著書の書評で、それなりにあれこれ考えて思うところを書いたつもりなのだった。

などとまぁ、いずれにせよ大局的にはどうでもよさそうなことをごちゃごちゃと書きつつ、じつは学会のほうの役割が若干あってそれをやってたというのがこの間の大きな仕事で、まぁたいへんといえばたいへん、とはいえ、アカデミックな用事でお座敷がかかるだとか同業者が集まって議論をするなどというのは日常の中でとんと縁がないので、お仕事とはいえ楽しいといえば楽しいイベントなわけである。

そしてまた、楽しいイベントといえば、先日たちあげた研究会の第2回の調整をして、あらかたの要項が決まった。

日 時:8/31(月) 13:00〜
場 所:関西大学
発表者:山本雄二先生(関西大学)
    高井昌吏先生(桃山学院大学)

参加者は前回より増えそうで、いい調子である。うまく軌道に乗って、気軽な研究交流の場に育っていけばいいと思う。


 


8月28日。夏の終わり。

気がつけば夏も終わりなのである。

今年はお盆休みに上手に帰省ラッシュを避けつつうまく帰省できた。実家で何をするでもなく高校野球を見て、おいしいごはんをたべて、晩には何にということもなく乾杯、なんかテレビでやってた京都特集みたいなのを見たりしつつ、なんということもなく何日かをゆっくりと過ごすことができた。

ひとつには、この夏は学生諸君の社会教育実習の巡回の出張が少なくて、とくに自分は近場だけで済まさせていただいた、というのがあった。まぁ、こういうときもあると理解して、ありがたくゆっくりさせていただいた。

で、しかし、帰省したという以外にさしあたりの成果があまりなくて、せっかく授業期間から離れて時間に自由があるというのに、いったい何をしていたのやら、まぁ、ようするにいつだって生産性の高い人間ではさらさらないわけだからいつもどおりに過ごしたということなのだろう。やれやれ。

月末に、研究会の第2回がある。それをたのしみにしよう。
少しずつ形をつくっていくかんじで進んでいて、まぁ3ヶ月に1回という開催ペースもあるし、まだまだゆっくり形を探っていく感じではある。まぁなにより気長に、むりはせず息長く続けるというコンセプトではある。しかしまぁまだ名前も決まっていないというのもあるし、いくつかのことはやはりこんどある程度決めたほうがいいというのもあるだろう。
そして、9月上旬に学会がある。今年は司会が当たったので、しかも1日目の朝の部会なので前泊して最初から参加するということになっている。一昨年はたぶん何かグレた気分だったので初日朝の部会の司会が終わったら逃げるように帰ってしまっていたのだけれど(そして去年はそもそも学会に行きもしなかったのだけれど)、今年は(たぶん)それなりに参加しようと思う。めずらしくホテルもインターネット予約で確保して(はじめてやってみたがたぶんできてると思う)、なんかそれなりにたのしみになっていなくもない。


 


9月20日。秋学期がはじまった。 / 夏フェス参戦記。

秋学期がはじまった。まぁ、お盆休みが過ぎた段階でだいたい学校ははじまっているわけで、なにくれとなく用事があって夏休み気分でもなかったわけだけれど、それでも授業が始まってしまうと、やれやれはじまってしまったという気分になる。秋学期の時間割の具合は春学期とまたちょっとちがう感じ(たぶん春学期よりちょっとタフ)なので、はやく生活のペースが見えてくるといい。

さて、しかし、夏の終わりより今に至るこの間はめずらしく研究者っぽい雰囲気に触れていたわけである。Twitterで見かけた言い方でいえば、学会というのはロックでいうところの夏フェスみたいなものだというわけで、社会学者にとって社会学会というのがサマソニだ、いやフジロックだみたいなはなしがあったわけだけれど、そういうあれでいくと夏フェス三連戦をした。
で、まず8月の末に、名称未定の研究会の第二回があって、これはまぁ夏フェスというかライブというかだけれど、第一回よりも参加者も順調に増えて、発表されたおふたかたの発表も面白く、非常に良かった。そしてとてもよかったことには、以前やっていた「エスノメソドロジーとコミュニケーション研究会」の元メンバーがご参加くださって、たぶん9年ぶりぐらいにお会いした。9年ぶりである。
それで、まぁ9月にはいると会議だなんだで日々は慌しく過ぎ、ふと週末を迎えてTwitterを見ていると、そういえば近場で面白そうな学会が開催されているのだった。それで不意に思い立ち、その学会のウェブサイトなど見てプログラムなど調べ、身支度をして自転車に乗りふらりと訪れてみた。自分が所属しない学会を見に行くなどついぞしたことがないのだけれど、まぁ以前から面白そうだと思っていた学会ではあったし、ちょうど面白そうなワークショップがあったので行ってみたというわけである。会場校の正門の守衛さんに場所を聞き、受付に行って参加費を払って要旨集をもらい、名札を付けてなにくわぬ顔でワークショップ会場を確認して、ちょっとの空き時間に書籍販売コーナー(そもそもここに出店している某出版社さんのツイートを見ているうちに来たくなったわけである)に寄って、なんとなく見ているうちに一冊欲しくなって買い、そうこうしているうちに時間が来てワークショップの会場となる教室のはじっこにうまく席を見つけて座っていたら、偶然か否か、これまた「エスノメソドロジーとコミュニケーション研究会」の元メンバーと再会、というかちょうど隣に座ることになって、おどろくやらなんやら、これまた9年ぶりの再会なわけであった。そして、活字やWebでしか見たことのない方にご紹介までしていただいたりしてご挨拶したりして、そんなこんなのうちにワークショップが始まってこれも興味深く、研究会に引き続きひさびさに研究っぽい空気に触れて非常に満足した。
なわけで、9年前には大学院生だったりした人たちがそれぞれ優秀な研究者として活躍しておられるのは、非常によろこばしい気持ちになるわけだし、こうして再会してひさしぶりに現実に触れたような気にもなったわけである。
そんなこんなあって、こんどはメインイベント、まぁ教育社会学者にとってのフジロックというわけで教育社会学会@駒澤大学に行ってきた。今年は折からの台風で、北関東に大きな被害があった豪雨の日と重なって、東京でもかなりの雨、しかも関西との温度差は寒いくらい、まぁそのへんではかなり気分的に削られはしたものの、まず無事に(新幹線が途中わずかに徐行したぐらいで)前日夕方に東京入りし、まぁ雨が降っていたのでホテルに直行(三軒茶屋というところの駅前で、結果非常に便利だった)、まぁぐずぐずと過ごし、翌日の部会の予習と、あとタブレットに入っていた論文をまとめて読み、結局どっかのコンビニで買ったパンを食べてビールを飲んで、サッカー日本代表が久々に勝つのを見てからさっさと寝た。で、翌朝、雨の中を出かけて、無事に電車ひと駅で駒澤大学に着き、ちょっと早めに着いたので少しゆっくりしてから、朝一番の「部会I-1」という縁起のいいような部会の司会をつとめた。まぁ、もう少し総括討論など盛り上げられたはずだったと、まぁ反省はするものの、まぁ致命的に失敗するということもなく、部屋担当の会場係の学生さんたちもきびきびと仕事をしてくれて、まぁひとまずは発表者の皆さんやフロアの皆さんにご迷惑をおかけすることもなく、まずは無事に部会を終えることができた。
そしてお昼には総会というのがあり、今年は学会奨励賞の選考委員だったということもあり授賞式には出席した。そのあとは午後の部会に行き、さらに夕方の部会に行き(ここでは終わり間際に変な質問もしてしまったのだが、まぁどうせならもう少し早いタイミングだったらまだよかったかもしれない)、まぁ久々にフルに学会に参加した。そのあと、じつは懇親会後にちょっと二次会に行こうという話があって、ちょっと顔を出しますと返事をした手前、懇親会にも出ざるを得ず、最初は途方にくれていたのだけれど、同級生の山口氏と喋ることができて(思えばこれも何年ぶりということなのだろうか)、それから何人かの人と喋ったりなんかして(そう、ここでまた「エスノメソドロジーとコミュニケーション研究会」元メンバーと9年ぶりの再会、そう、9年ぶりですよ、9年ですかあ、みたいなかんじで)いるうちに無事時間は過ぎ、二次会というのに顔を出し、頃合で失礼して宿に帰って、その日は結局明け方まで寝付けなかったのだけれど少し寝て、無事に起きて大会二日目。午前の部会、どこに行こうか、志水先生のご発表を見に行こうかと思いつつ直前で日和って別の部会へ。で、部会が終わって廊下を歩いていたらその9年ぶりの方と再会(こんどは16時間ぶりぐらい?)、志水先生のご発表を見ていたということで感想などうかがう。そうそう、こういう感じ、学会に参戦して感想をあれこれ言い合うみたいなのが、ほんとに久しぶりなのであった。
それで、午後の課題研究は失礼してお昼も食べないで離脱、そのまま新幹線に乗ってぴゅーっと帰っちゃうというコースだったわけだけれど、じつは今年のこの学会のあいだ、つまり、一日目の朝はやく、受付がまだ始まらないので玄関前で立ち話をしていたところからずっと、今回の研究会でもお世話になっている岩見先生と、なんやかんやで一緒になって、休憩室で喋ったり、おなじ部会を見に行っていたり、懇親会二次会でも、二日目の朝イチの休憩室でも、なにかずっとご一緒していたような気がする。それで、志水先生の部会の部屋から出てこられた岩見先生にも、志水先生のご発表の感想を伺ったりしながら歩いて、それで、食堂に向かわれる岩見先生に「私はこれで失礼しますんで」と言い、つまり初日の受付前から二日目の離脱までずっと、なんだか岩見先生にストーカーのごとくに付きまとって過ごしたような二日間ではあったわけである。こういうこともあるものだな、と思いつつそのあいだにも新幹線はぐんぐん走り、空は見る見るうちに明るくなり、自宅に着くころにはすっかり晴れていて傘を持っているのがバカみたいだったのだから、あれは何かの夢のようなものだったのかもしれない。


 


10月24日。夢は夜ひらく。

秋学期もたけなわ。一週間のペースも見えてきそうなものなのだけれど、学期初めはシルバーウィークやらなんやら(シルバーウィークのど真ん中が授業日になるやら)でいまいちつんのめり、また秋学期は例年いくつかのイベントものが同時並行で走っていて、つまり各学年の授業で学生さんたちがイベント企画運営をするのになんやかんやでつきあったりで、それやなにやでいまいち一週間のペースが安定しないというのはある。ともあれじたばたしながら日々をこなして気がつけば10月も下旬なのであった。すっかり秋らしい気候で、さいわいさわやかな秋晴れが続いている。

調べてみると、ここにちょうど二年前に書いていたのがわかったのでもう二年間というもの、朝の目覚まし時計を6時前にセットしていて、このところはさらに5分早くして0550でやっている。それで、これも今見れば二年前に既にそんなようなことを書いていたのだけれど、早起きしなくていい日まで毎日そんな時刻に、目覚まし時計が鳴る前に、目がさめてしまうというわけである。早起きは三文の徳なのだからいいじゃないかと思い、毎日朝の時間をゆっくりと過ごしたりもしていたわけなのだけれど、なんかさいきんふと、睡眠不足なような気がしてきたわけである。なにせ、以前ほどではないにせよ夜更かしはするわけで、たとえば夜中のテレビを見たりしていたら容易に日付が変わったり草木が眠ったりするわけなので、その一方で朝の5時台になるとふと目がさめてしまったりすると、なんか寝てないような気がしてくるわけである。
まぁ寝不足というのは体にもよくないだろうし、それに考えてみれば、朝すこしぐらい支度にゆっくり時間をかけたってそれで生活が向上したような気もしない。どうせダイエットのせいで朝食はたいしたものも食べないし。なんか慣れてしまうと、たんにだらだらしているようにも思われる。であるならば、まぁ朝イチの授業がある日はそれでいくとしても、そうでない日はもう少し寝ていてもいいのではないかと。そしてまた早寝というのも多少こころがけつつ、寝ている時間を長くすれば、それだけ夢など見ることも増えて、そうするときっとたまに楽しい夢など見るということも増えるのではないだろうか? − そういうわけで、このところまた、朝が遅い日には、もう一眠りぶんほど遅い時間にタイマーをセットしてみたりしているのだった。

某日、藤圭子の昔のインタビュー、沢木耕太郎『流星ひとつ』を読んで、YouTubeなどで「新宿の女」など聴きなおしていたら、どんどん藤圭子いいじゃないかという気になる。それで、翌日、散歩をしつつCDを買おうという気になる。それできっとそこなら売っているだろうと近所の中古CD店に行き、案の定、あって、ついでにまたあれこれ見ていたらPiLの持ってなかったアルバム『コンパクト・ディスク』を見つけたので、二枚あわせてレジに持っていったら、店主のおじさんがニヤリと笑って「すごい取り合わせですね。ただものじゃない。」と言った。それでまぁ、べつに本当にすごいというわけでもないので「いやまあ、同時に聞くわけでもないですので」みたいなことをごじゃごじゃ言い、「パンク世代ですか」とか聞かれ、「いやまぁ、YMO世代です」「ああ、ニューウェーブ世代」みたいなやりとり。まぁでも、藤圭子とPiLだったらごくふつうに両方聴くだろうと思うわけだけれど、じつはそれもどうでもよくて、この中古CD店はじつは自分が大学院生時代にふと立ち寄ったこともあったりしつつ、そのご就職して縁あってこっちのほうに引っ越して頻繁に通い、それから10年前にまた少し引っ越してからは微妙に足が遠のいていたりしてまた最近なんどか行っているわけだけれど、このまえ行ったときはジャズのCDを何枚か買ったら「ジャズですか、」と言われ、このたびはまたこういう感じで、まぁ楽しいわけではあるものの、この店主の人、以前はもうすこし淡々としていたんだけどなあ、とも思ったわけなのである。まぁ、こっちはこっちでいいかんじにふけこんできたので昔のようなジャックナイフ感がなくなって話しかけやすい客に見えるようになってきたのかもしれない。


 


11月30日。寒くなってきた。このところなにをやっていたのか。

秋学期はいろいろなイベントがあり、とくに11月には2回生が主たる運営のウォーキングイベントと1回生が企画運営の子ども教室とが相次いで本番をむかえ、その準備と本番とふりかえりとで目が回る日々を送り、そしてようやく一息ついたころにはすっかり寒くなってきているのだった。もう11月も末である。そして卒業論文の締め切りまで半月を切り、これまた提出直前の目が回る日々が訪れるという次第である。やれやれ。

そんななか、今年もまぁぶじにひとつ歳をとったわけで、まぁめでたいことである。なぜか誕生日に読み返す習慣ができてしまった丹生谷貴志をぱらぱらと読み返し(まぁドゥルーズが没後20年でムックも出たし本も出たのでその辺をさいきん読んだりもしていたこともあって、『死体は窓から投げ捨てよ』を久々に再読、やはりいい)、また、松田青子のエッセイで勧められてたのに触発されて大島弓子を何十年ぶりにひっぱりだして読んだり、また何冊も通販で取り寄せてみたり、まぁ大島弓子のついでに研究室のロッカーから発掘した耕野裕子とかこれまた何十年ぶりに読んだり(なつい)、なんかようするに後ろ向きで退嬰的な日々を過ごすわけである。そのぐらいでちょうどだ。

夏には食事を控えていたけれどさほどのダイエットにならず、それであまりだらだら節食していてもよろしくないということで秋から多少食べている(ので現金に体重は増えていてうんざりだ)、それでとくに、近所を散歩しておいしそうなバン屋さんでパンを買って食べたり、また、自宅のパンやき機でパンを焼いて食べたりしている。パンの焼ける匂いで目がさめるのはよいものだ。それで、サンドイッチのレパートリーがもう少しできないものかと思っているところ。アボカド的ななんかそういうやつとか、買ってきて食べるぶんにはおいしいわけで、そういうのが簡略的にうちでできないかなと。まぁそういう程度の楽しみを糧に日々を過ごしている今日この頃である。やれやれ。



 


12月28日。ことしも年の瀬。

年末、である。今年もまぁまずまずの平穏無事な年の瀬を迎えられて結構なことだと思う。

今年は、とにかく、新しい研究会を始めた、という年だった。まだ3回だけれど、まずは順調に立ち上がったようなのはけっこうなことである。
3回目が終わった後で、ツイッターで書いていたことを書き写すと:

【関西で教育社会学の研究会】第3回までまずはうまく立ち上がりつつある模様。ただ名前が未定なのと、まぁ同じことだけどつまり研究会の性格がまだしばらく固まらないというのがある。いちばん大きいのは、どのぐらいクローズド/オープンな性格でいくか、これが参加者間でまだイメージが定まらない。
まぁ、「最初は少人数で、少しずつ口コミで広がっていく」というイメージは共有されてるのだけれど、そのなかで「できれば親密っぽい場で遠慮ない議論を」というイメージと「なるべく開かれた場で意見の交流を」というイメージとのあいだのどの辺の湯加減か、というのが、まだ読めないかんじ。
研究会のクローズド/オープンというイメージの違いによって、実際面では、「どのていど積極的に新しい人を誘うか」「どういう広報宣伝をやるか」が違ってくるし、参加者間の連絡や情報交換でメーリングリストを作るとしてもどういう方針で運営するかが違ってくると思う(のでまだ作れてない)。
以前やってた研究会(http://homepage3.nifty.com/k-i-t/ec/kiroku.html)は基本クローズドで、発起人が3人、初回が5人、その後関西教育社会学研究会のセッションを担当し、参加者10人を超えたのは半年後第6回、で参加者5~10人で実質4年間30回ぐらいやってML登録者だと20人ぐらい?
今回の研究会は3ヶ月に一度なので条件が違うけれど初回5人で半年後第3回で10人なので、まぁそのへんのペースは同じっちゃ同じだし3回目で参加者10人なら以前より早いペースで拡大してるともいえる。でも、自分的にはまだイメージがつかめてなくて研究会名もMLもまだで手掛かりがまだな感じ。
まぁ、そんなことを一人でカリカリ勘定しててもべつになにがどうなるわけでもないんで、いつも研究会のときには、「まぁ様子を見ながらぼちぼちやっていけばいいんじゃない?」となだめていただきながらやってますよ・・・。
まぁとりあえず、毎回の研究会の内容が充実してればそれでいいよね、というのが基本で、そのへんはうまくいってると思う。発表&ディスカッションの時間をしっかり確保して、かつ、気楽な雰囲気をキープして、発表者にも参加者にもよかったと思ってもらえるようにと気にかけつつやってます。
なわけで、次回は3月ぐらいになると思いますが、関西で教育社会学に関心のあるかた、お気軽に覗いてみてください。発起人の石飛と山本雄二先生(関西大)の好みで、文化研究のほうまでレンジの広い関心で、好きなことができる&交流ができる研究会ってことで、気楽な雰囲気を作ってお待ちしてます。

とかなんとか。
まぁ、まだ名前も決まらずMLもウェブサイトも作ってない状態で、もろもろ様子を見つつというところではある、けれど、感触として立ち上がりは順調であるし、なにしろ存在しなかったものが存在しはじめたというのは決定的なことだし、それはきっと「よい」ことなのだ。

この年末年始は、目先のしめきりというものがないのもけっこうなことで、そのことが、穏やかな心持で過ごしている原因ともなっている。ただ、2月末しめきり、というのがいろいろあって、ほんとうは油断していてはいけないのだった。
もちろん、ほんとうということと現実ということは違っていてあたりまえなのであって、まずはこの年の瀬をのんびりとすごすことが目先の大事なんで、それはもう人というものは現実的にそういうもんなんである。
とかなんとかちゃらっぽこをいいつつ。よいお年を。