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7月17日。このところなにをしていたのか。

暑いのは夏だからでこれはごく自然なことである、と、ここでも前にも書いていたはずだ。暑い暑いと騒ぐのはおかしなことであって、寒かったら驚くべきだ。
7月に入ると、暑い暑いなどと言いつつも若干、生気が感じられるのは、春学期の終わりが見えてきたからで、授業期間が終われば一息つけるのではないかという期待が気持ちにいくらかの生命力を与えるわけである。それで、ようやく定期試験期間に突入した。

煮詰まらないように。夏らしい読書が必要だ!


 


8月11日。買い物 / インプット・アウトプット。

さてさてお盆休みの時期である。授業は7月末まででひとまず終わってはいても、成績付けがあったり、事務仕事やら書き物やら出張(学生さんの社会教育実習のごあいさつ、まずは長野に行ってきた)やらがあってみれば、なかなか夏休みという感じではない。もちろん、大人の人に夏休みなどないというのが正論であって、世間並みに月給を押し頂いている身としては仕事があって大正解、むしろ授業に拘束されず大学への出頭も大幅に免れているだけでも夢の世界のように理解せねばならないところである。そしてしかし、世間がお盆休みということになれば大手を振って夏休みだ。まぁそのあいだにもあいかわらず事務仕事やら書き物やらは依然として残り、出張もある(お盆のさなかに和歌山へ)ので、夏休み満喫というわけでもないのだけれど。

某日、VHSのビデオデッキが壊れる。いまの下宿に引っ越した際に買ったもので、もう8年ちかくか、使ったものなので、仕方ない − という言い方が合っているものやら。症状としては、再生の終わったテープが取り出せなくなってしまった、ということであり、そのテープは、20年以上前の『LiveUnderTheSky'92』、パット・メセニーやらデビッド・サンボーンやら、ウォレス・ルーニーを据えたVSOPクインテットやらが演っている、今にしてみればなかなかぜいたくな、まだバブルの感じが残っていて、またそもそもジャズの世紀の最後の光をとどめているような、まぁしかし要するにテープそのものとしては古くなっているということかもしれず、たぶん再生を終えて取り出そうとした際にデッキの中でテープがからまったりなんかしたのに違いない。だとすると、問題はデッキではなくテープの側にあるかもしれない。ともあれ、そういうわけでビデオデッキが使えなくなってしまい、そうすると下宿に数百本あるVHSのビデオテープ、ほとんどは3倍録画で映画が3、4タイトルずつ入っているのが、見れなくなるということになってしまって、これはかなり暗澹とした気持ちになった。
それで、結論としては新しいデッキを購入。ところが、今もう、ソニーだ東芝だといったメーカーはVHSデッキを廃盤にしていて、どこの電気屋に行ってもなんかちょっとあまり聞かないメーカーの、どちらかというと廉価版みたいなデッキが一種類しか置いてないのだ。しかたない、それを買いました。VHSとDVDレコーダーがついていて、ダビングができるということになっている。下宿にあるVHSテープを、いまからでもせっせとDVDにダビングすべし、ということでもある。でも、DVDのディスク一枚に2時間が標準とすると、3倍モードで6時間ずつ録画されているビデオテープをまるっとそのままダビングというわけにもいかないなぁ、というのが悩みで、理想は、夜寝る前とか朝出勤前とかに、ダビングをパチッとスタートさせておけば、朝目が覚めたら(夜帰宅したら)出来上がっている、というのがいいんだけどなあ、と。そうすると、もう一台のブルーレイのデッキに繋いで・・・とか。ごじゃごじゃ考えながら、結局まだ一本もダビングしていない。できれば、「何も考えずに片っ端からかたづける」ことができればいいんだけれど・・・。

もうひとつの買い物は体重計、というか「体組成計」というやつ。これは、いま使っている体重計が壊れたわけでもないのだけれど、やはり授業がない余裕のある時期にダイエットをすべきではないかという天啓が降りてきたからである。いまでも毎日、体重をはかり、体脂肪計も使ってこまめに見てはいるのだけれど、なにやら新しい機種では、内臓脂肪がどのくらいかわかったり、体脂肪やら筋肉量やらが左右両腕両脚ごとに量れたり、するというふれこみだ。これを買うことで、新たな刺激としてダイエットに励むべし、という思惑が動いたわけである。
で、結論として、買ってみて測ってみたけれど、まぁ、想像していたほどの感激はないようである。第一に、体脂肪なりなんなりという数値であるけれど、原理的には、身体に微弱電流を通してその抵抗値から体内の状態を推定するということで、その推定にあたって各メーカーが算出方法にそれぞれ工夫を凝らしているわけだから、逆に言うとメーカーごとに推定値がある程度まちまちであってもしかたない、と、ここまでは重々承知の上でいうのだけれど − いままで使っていた体脂肪計の出す値に比べてそれにしてもずいぶん値が違うじゃないか、ということである。しかも、いままでの体脂肪計のほうが採点が相当厳しかったので、新しいほうだとだいたいのきなみ標準値、「体内年齢」なる数値も実年齢より多少若く出てしまう。慶賀すべきか、しかしながらこれではダイエットの刺激にはならないな。
ていうか、これはやはりいかがなものかと思うのは、いままで使っていた体重計とくらべて、体重が0.8キロぐらい重く出ること。これはまぁ、普通に考えれば新しい体重計のほうが正確なのだと言いたくなるでしょう、しかししかしである。新しい体重計は、なにしろあれこれ機能のついたやつなので、手でもグリップを握って測定する式のやつなのであるけれど、驚くべし、グリップを持ちながら体重を量ると正直にグリップ分が加算されてるのである。グリップを持たずに量ると持ったときより350グラムぐらい軽く出る。これはやはり、「?」となるわけである。これでは、なんとなくあれこれの数値に全幅の信頼を寄せようというふうには、心情的にならないではないですか。(→追記:この点については、自分の計測の仕方が間違ってました。おかしいなと思って説明書を見直したら「正しい測定の仕方」が書いてあってその通りにしたらグリップの重さは加算されなくなったし、たぶんかなり今までの体重計の値に近い値が出るようになった。そらそやわね。)
というわけで、結局、しばらくはいままでの体重計、体脂肪計と、新しい体組成計を、平行して使っていようかなあという感じになっている。めんどくさいことである。
まぁ、「筋肉量」というのが数値として出るようになったので、食事を減らすというよりも運動して筋肉をつけるという方向性に気持ちが向かいそうなのが、収穫といえば収穫。私はなにしろ体幹および両脚の筋肉量は標準の中ぐらいだけれど、両腕の筋肉量は標準値のうち少な目という値が出た。わからんではない。通勤通学で多少、歩きはするけれど、腕の筋肉については、もう何年もデスクトップパソコンより重いものを持ったことがない。運動せねば。

ふと思ったのだけれど、「インプット/アウトプット」っていう言い回しは、最近のヤングにとっては古くさい、とかになってるのだろうか。とくに「インプット」のほう。「データをインプットする」みたいな言い回しにオヤジくささが感じられる気がする。オヤジくささっていうか、まぁ自分を入れざるを得ないところの中高年世代で、世の中に「パソコン」が登場したころの新語として「データをインプット」みたいな言い回しが刷り込まれたっきり現在に至る、みたいな感じはないだろうか。自分は、中学ぐらいからコンピューター(「パソコン」じゃなくて「マイコン」とか「電算機」とかそういうかんじ)を少し触っていて、当時はもちろんWindowsもなく、BASICとかそれ以前のコンピューター言語だったので、そのころだとプログラムの中にINPUTっていうコマンドがあったので、「データをインプット」みたいな言い回しにもそれなりの実感があった。でも今の学生さんって、「データ入力」は言っても「データをインプット」は言わないんじゃないか、という気がする。
「インプット/アウトプット」という対語だとまだ生きているという気もするけれど、でもその言い回しについてこれまた自分の実感を辿ると、オーディオとかテープレコーダーとかの入力/出力のジャックの穴が思い浮かぶわけで、そうなると今のiPod世代にはさっぱり縁がなくなっているんじゃないかという気もするわけである。そもそもテープレコーダーって何?ラジカセ?何それ?という世界かもしれないわけである。おそろしいことである。
「アウトプット」というと、「きみちゃんとアウトプットを出さなあかんで」などと、しごとの生産性についてダメ出しされているような気にもなって、これはなぜか(そんな言い方をされたことは(たぶん)ないはずなのに)学生・院生時代の指導教官の声で脳内再生されるので心臓に悪いのだけれど、ともあれまだ「データをインプット」よりはまだ現役感があるかんじもある気がする。でも本来、「インプット/アウトプット」という対でワンセットになっているわけで、ばらばらに使われたり一方だけ古くなったりしてるとするとやっぱりちょっとなあ、なのである。従来の学校研究はインプット要因やアウトプット要因だけに注目をしてクラスルームをブラックボックス化していたのでよろしくない、だからスループット要因を見なければならんのだ、みたいな言い回しが、語感としてすんなり通じなくなったら、ちょっとさびしいものはあるな。もちろんそれは、たとえばテープレコーダーのデッキがチューナーやレコードプレーヤーやアンプやスピーカーとばらばらになっていて、それぞれが線でつながっていて「インプット/アウトプット」という関係になっていた時代がかつてあり、それが廃れて、iPodやケータイによってデータがクラウドとシームレスにつながったネットワークの中で音楽を聴いたりする時代が訪れつつあるように、学校もいまさらインプットだアウトプットだ、いやスループットだ、などと言うのがむしろ妥当でなくなるように、ネットワーク化していくのだ、ということかもしれないし、もしそういうことなら、もんだいはたんに語感だけのもんだいではないということでもある。

ともあれ、「インプット/アウトプット」問題はさしあたりのわが身に切実なのだ。ダイエットとは食べる量と運動量のバランスなのだ、ということもひとつ。運動するためにせっかくの夏休み、散歩に行こう、本屋にでも行こうか、と思い立つものの、本を買ってくる量は読む速度をとうのむかしに超えてしまっている、というのもある。うろうろと歩いたり本屋を巡ったりしている時間があったら、たまっている積読本を少しでも消化すべきなのではないか、等々。それはまた同じこととして、テレビで放映される映画を録画して下宿に溜め込む量とそれを見る量とがとうのむかしにバランスを失してしまっている、ということでもある。
わずかな夏休みを与えられ、ふだんずっと授業や会議に追われるまま忘却していた「インプット/アウトプット」問題に突然、向き合って絶句するわけである。

まぁ、さしあたり、時間に余裕があれば多少まともな料理をしておいしく食べるといいと思う。ま、そっからですね。


 


9月3日。さよなら夏の光 / 研究会というものが昔はいろいろあったという昔話。

あれよあれよで9月。8月の末の雨いらい、あっさりと涼しくなってしまった。たいしたものですね。

その夏の終わりに、数日間の帰省ができた。ちょうど涼しくなったころで、例によってのんびりごろごろとして過ごし、今年はじめてやってみたというゴーヤの「緑のカーテン」を透かして、そこに毎日カマキリが訪れてくるのを眺めて暮らした。高校野球は終わっていたので朝から大リーグでイチロー選手の活躍(しなかった試合)など観戦。あとは実家に体組成計を布教したりとか。そんなこんなしているうちに日々は過ぎ、まぁ昔のようにゆっくりとした帰省は望むべくもないにせよ、ちょっとしたことで事前の想定より一日ばかり日程的な余裕ができて、心情的なせわしなさがすこしだけ少なかったのがなによりだった。

夏の社会教育実習の出張は、今年は三カ所、長野と和歌山と加賀で、長野だけが前日泊で、あとは日帰りにさせてもらった。思えば日本は狭くなったものであるね。加賀は温泉地が近く、ご挨拶のあとにバスの時刻まで30分ばかりあったので少しだけ歩いた。若い人向けのカフェとかギャラリーとか足湯とかが整備されて、入口あたりを歩くだけでもほんの少し保養地気分を味わったものである。

夏休み、という言い方をすると、じゃあその間にさぞやおもいきり研究ができたでしょう、というふうになりかねないけれど、そうもならなかったわけである。ふしぎだ。
ある日、探し物があって、昔のレジュメ資料などを掘っくりかえしていたら、探していたものは出てこなかったのに、なんか院生時代とかに参加した研究会の発表レジュメなんかが出てきた。忘れてたようなのもある。昔は、研究会というものがいろいろあって、院生で参加してたんである。いまもあるのかどうかは知らない。たぶん若い人たちはあれこれやっているのだろう。
「教育社会学 俳句の会」。竹内先生の主催で、錚々たる先生がたが集まって、院生も混ぜていただいて、月イチか隔月ぐらいでやってたと思う。ちょうど私がたしか博士課程からODにかけての時期で、事務局として案内状など出していたんで、フルに関わっていた(わりに忘れてるな。記録のためにも書き残しておく)。かなりカチっとしたフォーマットが決まっていて、「なんでもいい、ある”教育言説”を取り上げて短く引用して、それを、原稿用紙10枚分のテキストで社会学的に料理する」というかんじのもの。短いテキストでピシッと決める、という意味を込めて「俳句の会」、という事だったように思う。ここでは非常に勉強させていただいた。校則にかんするご発表をうかがって、そこから自分の校則論文のアイディアを最初に得て次の回に発表したのはここだったし、また、関曠野『プラトンと資本主義』が引用されたご発表をうかがって興味を持ち、さっそく読んでそれを下敷きにしつつ魯山人のテキストをダシにしたものを次の回に発表し、あとで就職した後に研究室紀要むけの論文にリサイクルしたりもした。「俳句」というだけあって、いわば「連句」のような楽しみがあったわけで、発表者がそれぞれ自分の好きなことを発表しつつそれが緩やかに相互に響きあうようなところがあったと思う。また、一回に二人発表ぐらいだったと思うけれど、夕方からの研究会だったのに夜までしっかり思い残すところなく議論できて、すごくよかった覚えがある。
「教育社会学 若手の会」。これは、関大の岩見先生の主催で、岩見先生・山本先生がオーガナイズしてられたものと思う。岩見先生が「自称若手でもかまいません」と例によってニッコリされて、それで当時の関西の院生〜若手中堅ぐらいの交流と発表の場を設定していただいていたわけで、私もいちど、たしか修論を書き終わった直後にそのネタを発表させていただいた。これも、自分のやりたいことを発表してしっかりと議論していただけるという機会で、よかったような記憶がある。
「三大学交流会」。これは自分が院生の時は、存在したのだけれど、いまもやっているのかしら? 「三大学」というのが正式には東大と京大と名大だったか、阪大だったかも覚えていなくて、要するに結局は三大学に限らず院生と教官やその他の先生がた(いちおう「三大学」OB、ということだったのか?)が参加していたものと思う。夏休みに一泊二日で、がっつりと発表が組まれていたように記憶している。
そして、「津々浦々の大学院生の会」、というのがじつはこのたび久々に思い出されたもので、記憶が定かではないのだけれどひょっとしてたぶん「三大学」を発展的に引き継いだものじゃなかったかしらんと思う。でもこの名前で現在まで続いているとは思えないし、たぶん一度か二度でなくなったのかもしれない。
「関西教育社会学研究会」、これもこのところ開かれていないけれど、やはりあってほしいものである。発表の機会もいただいたし(校則のネタで喋って、すべって落ち込んだ帰りのバスで薬師院さんにちょっと慰めてもらった思い出が・・・)、また、森先生オーガナイズで京女で開催だった回では、「エスノメソドロジーとコミュニケーション研究会」のメンバーの秋葉さんと大辻さんが発表で、私も司会をさせていただいたりもした。
なんか、じぶんは人見知りでほとんどこういうものに参加しないほうだったとはいえ、それでも院生時代に貴重な勉強の場が与えられていたというのはありがたかったものだと思う。今はほとんど研究会というものと縁がなくなってしまい、唯一、院生時代から勉強させていただき何度か発表の機会もいただいている「学校社会学研究会」にも、もう何年も失礼をしてしまっている。

9月に入ると、もう9月、あれこれの会議も本格的に始まるし、という考え方もあるし、まだ授業開始までには間があるとかそういう考え方もある。できることなら、なんとか前向きな考えで生きていきたいものである。


 


9月30日。秋学期がはじまった/学会があった/PCを購入/驚異の豆苗パワー。

普通授業期間が始まるとやはりくたびれる。紙の上の予定に過ぎなかった授業時間割が現実のものとなっていくにつれて、あ、この曜日はタフだなとか、ここでムダ時間ありすぎだなとか、実感されてくる。そこに、月末月頭〆切の重要書類などいくつか重なって、イレギュラーの仕事もいくつか重なって、けっこうあっぷあっぷの今日この頃である。

授業期間のはじまる直前、世間の三連休に合わせて、埼玉大で日本教育社会学会の大会があった。部会の司会をせよとの命令が降ってきたので、発表はなかったけれど参加。司会が初日の朝イチだったので、前日入りである。埼玉の様子なんてわからないけれど、大会プログラムの案内にある最寄駅あたりをヤホー地図で見てみるとビジネスホテルがあまり見つからず、となりの浦和駅周辺だとけっこうありそうなので、浦和駅周辺に投宿すべしと見当をつける。駅前の一軒は断られ、こりゃマズいかなと思って、目の前の駅前交番のお巡りさんに様子を聞き、それから駅前観光案内所を教えてもらってそちらに行く。で、そこで案内された宿も二軒ぐらい断られて、やっぱり大都会浦和では飛び込みで宿はとれないのかしら、と思っていたが三軒目で無事部屋が取れた。それで、無事チェックインして、かねてから気になっていた囲碁名人戦の中継に間に合い、部屋で見ながら、携帯電話で大学のほうの仕事をひとつかたづけたりした。で、翌朝は早めに起きて、早めに部会の会場を確認するために8時にホテルからタクシーで会場へ。途中少し渋滞していたようだけれど問題なく到着、学会受付も済まして部会の部屋に直行したら、会場係の学生さんたちがきちんとセッティングしてくれていたので問題なし。そこから小一時間ほど待ったけれど発表者以外ほとんど誰も来ないで、そこそこ人気の出そうな部会なのだけれどおかしいな、でも時間だからはじめないと、と、定刻2分前から「おはようございます・・・」と司会らしき挨拶をして、定刻ジャストに発表者の発表が始まるように、秒針を確認して「では発表お願いします!」とやったものである。ところで周知のとおり、この日は道路の渋滞のせいかなんなのか、遅刻者続出ということで、事務局判断で午前中の全体のプログラムを15分遅らせることになるわけで、会場校の先生がたのご苦労はいかほどだったかと思うわけだけれどそれはともかく、気の毒だったのは発表で喋りはじめて2分ぐらいに止められて再開後もう一度同じ話の「ツカミ」を喋る羽目になった第一発表者の人だった。
いちおう司会ということで、事前にいただいた発表要旨は予習していて、関連する本や論文もいくつかあればそれも予習して、論点などあれこれ考えてはいたのだけれど、いざ本番になると時計の針ばかり気にしてほとんど予習の成果など出せず、まぁそれは司会の出る幕などなければないほうがいいわけなのでかまわないとしても、フロアからの質問や討論の時間がやはりじぶんとしては絶対的にものたりない。これはそもそも学会の大会というのはむかしからそうなので、発表後の質疑が5分、あと総括討論が30分とかそこら、というフォーマットなのだけれど、本来ならひとつの発表で4時間ぐらいフラフラになるまで議論したら勉強になると思うわけで、それを5分ぐらいでどんどん流していくので、まぁ学会なんてお披露目会みたいなものだから形式的なものだと割り切るしかないわけで、まぁそういういみでは物足りないとあらためて文句を言ったりストレスを感じたりすることさえ、ないといえばない、そもそもがお門違いということにもなるのである。

某日、大学の営業活動の一環ということなのだろうけれど、高校に模擬授業というやつに出かけることになる。「教育学」ということで、上手に喋れるかどうかはともかく、ちょっと動画など見てもらいながら授業ができれば面白く聞いてもらえるかしらと思い、そのわりには持ち歩き用のノートPCの適当なやつを持ってないなあということに気付く。このところ、大学の研究室と下宿との両方にそれなりのデスクトップを置き、あと通勤電車の中や出張や出先などでは携帯電話でそれなりに用が足せるという体制ができあがっていたので、持ち歩き用のノートPCのしゃこしゃこ動くやつがないということに気付かなかったんである。なので、思い立ってぱっと購入。Acerの安いやつで、店頭で5万なにがしで買ったけれどどうやら通販だと4万なにがしのようであるな。まぁ、その場ですぐ手に入れたかったのでそれはしかたないとする。で、これがWin8というやつで、極めて気色悪かったのだけれど、まぁ結論としては、あれこれ設定をしてなんとかXPに近づけたということで(ブログに書いた記事その一その二)。まぁしかし、そこまで苦労してXPに近づけるっていうのもどうかね。というのと、いやじっさいたとえば実家の父親とかパソコン教室でWin98→Vistaを覚えたのに、次に買い換えたらWin8で大混乱だぞ、そのへんのニーズはどうなってるのだろう、と思ったりである。

某日、ふと気が向いてスーパーで豆苗を購入。晩ごはんに中華炒めでおいしくいただいて、そのあと、残った根のところを水栽培するとまた生えてくるということになっていて、まぁふつうはそんなことやらないのだけれどふと気が向いて、やってみる。水を多めに与えて、窓辺の、バジルの鉢(今年はさっぱり元気がない)のとなりに並べて置いた。それで、毎日、水を替えろと書いてあるので、古くなって濁った水を隣のバジルの鉢に捨てて、新しい水を与えて、それでバジルのほうの水やりにもなるという一石二鳥で待つこと数日。驚いたことに、わずか数日でバジルが突如として青々と茂ってきたのである。豆苗の浸かっていた濁り水が肥料になったのだろう。それが、スーパーで買った豆苗のパックに事前に液肥が仕込んであったのか、それとも学校理科で習ったように豆類が根粒菌により空気中の窒素を肥料に変えたのだか、それともたんに豆がいい加減に溶けだした濁った水が栄養に富んでいたのだか、それはよくわからない。とにかく、あまりに効果がはっきり出たので驚いているところ。バジルの鉢の土は、スーパーで適当に買ってきたものだったけれど、ようするにそこに肥料となるべき成分が全く含まれない痩せた土だったのだということが今にしてわかったわけで、そこに栄養らしきものが与えられたらまさに干天の慈雨とばかりにバジルが吸収したと。いやあ大自然の驚異だなあ。
そうそう、豆苗はそれなりに再生したのでおいしくいただきました。で、いまもっぱら肥料目的で第二弾を育てているところ。


 


10月15日。このところなにをしていたのか。

襟なしのシャツに10月が来ても夏は終わらない、というのは杉山清貴とオメガトライブのヒット曲で、掛け値なしのヒット曲なのだが、もちろん若い人はさっぱりなんのことだかわからないし、若い人であろうがなかろうがここのつまらない作文を読んでいるような紳士淑女には意味が分からないだろう。ともあれ10月が来たのに30度近かったり超えたりという陽気が続いている。もちろん朝晩は肌寒いぐらいだし、もう秋、いくら暑くても秋晴れといってもかまわないところではあるのだけれど。

秋学期の授業も何週か回転して、なんとなくペースがわかってきたところではある。同時に、学生が実施するイベントがいくつか近づいていて、その進行状況にいくぶんかハラハラし、いくぶんかイライラしているというのもある。それについては、まぁ自分でも、そんなにハラハライライラするのも正解ではないというのは分かっていて、同僚の先生がたからもそう言われているのだけれど、まぁ現在なんの因果か専攻主任などということになっているのであれば、イベントが失敗したらとか教育上これでいいのかとかその他その他あれこれ思うとやはりそんなに気楽ではいられない気にどうしてもなってしまう。それで精神的に疲弊してしまっているところがなきにしもあらずで、これはしかし繰り返せば、正解ではない。もっと客観的に状況を把握すべきである。もっともっと自分はのんびりできているはずだ。

このところ目覚まし時計のセットを0555にしている。大昔は0630だったのをあるとき0620にして、それでずっと朝のルーティンが出来上がっていた。たぶん10年間ぐらいはそれできたと思うのだけれど、この夏前にふと思い立って0600にしたらずいぶん楽だった。それで、ついでに少し改良を加えて、朝のいちばん早い占いを見てから起きだそうということになって0555である。これは完成形の予感がしてしばらく続きそうな気がする。それはつまり、朝少しでも遅くまで寝ていたいという欲がなくなってきて、どうせ目覚ましが鳴らなくてもその時間に目が覚めてしまう(休日でも)というので、ずいぶんつまらないことでもある。それよりも、朝起きてから出勤するまでの時間に少し余裕ができる方が楽じゃないか、ということで、つまり総じて年を取ったということであろう。やれやれどっこいしょ。

生活を向上させる必要がある。


 


11月2日。あっというまである。

前回ここに書いたのは半月ほど前で、そのときは、暑い、夏が終わらない、と書いていたような記憶がぼんやりと残っているし、そのように書かれた記録が残っている。ところが正確にはそのような記述をアップロードした日だか翌日だかはたしか雨で急に冷え込んで、ほぼそれいらいずっと肌寒い日々が続き、おまけに10月後半に二度も台風が来たりして、まぁ台風というと夏のイメージかとおもいきや秋雨前線を大いに刺激したりして、どうもこう、急激に秋になったかんじで、かと思うとテレビではひっきりなしにハロウィンの宣伝を繰り返していたりしたものだからむしろいきなり晩秋から冬を迎えるような気分に追い込まれもしているわけで、それがもうあっというまのことなのだ。で、もう11月。

某日、夜中になにか体がかゆいなと思って目が覚め、なんだか赤くなっているなあと思いつつ、翌日出勤し、鏡を見たら首のところが真っ赤になっていたり、頭がかゆいわと思ってガシガシ掻いていたら帰りの電車の中でふと気付いて額のあたりをなでてみるとあきらかにぶつぶつしている。帰宅して鏡を見たら全身真っ赤になっていて、これはやはりおどろいた。それで翌朝の予定を午後に動かしてもらって医者に行くと、まぁじんましん(というかお医者さんは正確には別の呼び方をしたのだけれど、「じんましんですか」と聞いたらまあそうですねということだったので)ですねということになり、たぶん何かの中毒でしょう、前日何を食べましたか、油いため、たぶん体力が落ちていて油を分解しきれなかったときにアレルギーみたいになることがありますよ、これだけ出たらびっくりしたでしょう、とかなんとかいう運びになり、まぁ心配することはないですよ、という運びでもって注射してもらって薬をもらって、それで翌々日にはじんましんもおさまって、また念の為の血液検査も異常なしでまずは一安心だったのだけれど。
それに重ねて、じんましん騒動で病院に行ったその日の晩、ごはんを食べていたら急にガリっとして、「?」となって見てみたら奥歯に詰めてあった銀がはずれていた。それで翌日、土曜の午前、このまま奥歯に穴の開いたままで週明けまでいるわけにはいかないということで急遽、近所の歯医者に飛び込みで入り、うちは予約制なのにとさんざん嫌な顔をされ、待合室で待たせていただいているときも、治療室のほうから医者が受付の人を叱責して「うちはちゃんと予定を組んでるんじゃないか!」と声を荒げているのが聞こえてきて震え上がり、いたたまれなくなったりした。それで平身低頭しながらなんとか銀の詰め物をふたたびはめてもらい、「年齢にしてはいい歯だな、歯医者なんか来たことないんだろう」との言葉もいただいて、ありがとうございますありがとうございます、生まれてすみませんという気持ちになりながら何度も何度も感謝と謝罪の言葉を繰り返し、命からがらなんとか無事帰宅。こういうのを踏んだり蹴ったりというか泣きっ面に蜂というか、それでもなんとか無事にクリアできたのだからまずはありがたかったのだけれど。
急に寒くなって仕事も大変になってストレスもたまったこの半月は、こういうことのあった半月でもあったんである。やれやれごくろうさま。

生きていかねばならない。某日、非常勤帰りに繁華な通りの大きな書店をはしごして本を買う。金井美恵子の新刊が出ているのである。それと何冊か。とりあえず買うことだけで、なかなか読むところまで余裕が出ない日々なのだけれど。ちなみにじんましんのときの待合室では、むかし古本で買ったきりになっていたルイス・キャロル『不思議の国の論理学』を読んでいて、また歯医者の待合室ではブローティガン『ビッグ・サーの南軍将軍』を読んで最初のところで歯の話が出てきて驚いた。


 


11月23日。新しい生《Vita Nova》。

乳歯が永久歯に生え変わる頃だから小学校にあがったかどうかというくらいのことなのだけれど、抜けた乳歯を、上の歯なら縁の下に、下の歯なら屋根の上に投げて、「ねずみのいい歯と代えてくれ!」と唱えるのだというきまりごとがあって、じっさいにやったという記憶もあるのだけれど考えてみればそういう民俗学的なエピソードをもっていることじたい、21世紀平成の御世に生きているつもりの自分がいつのまにか旧い人間の部類に入ってしまっていることに気付かされてしまう。そういうわけで今年も誕生日を翌日に迎えようとしていた晩、ごはんを食べていたら急にガリっとして、「?」となって見てみたら奥歯に詰めてあった銀がはずれていた。まったく同じことを半月ほど前に経験して、その翌日に近所の歯医者でそれをはめてもらったことはここにも書いた通り。そしてしかしその同じ詰め物が半月ほどで再び外れたわけである。やれやれどうしたものか。
そういうわけで翌日、朝イチの授業を終えてから恐る恐る同じ歯医者に電話をしてみた。入れてもらった詰め物がまた外れてしまったのですが・・・たいへんにお忙しいところをお邪魔して申し訳ありませんのですがもしも予約がとれるというようなことがあれば・・・治していただきたいのですがお許しいただけますものでしょうか・・・というぐらいのつもりで電話したところ、幸運というのはあるものでその日の夕方ぎりぎりに時間を取っていただくことができた。もっとも先方にも、入れた詰め物が半月で外れたのではちょっと恰好がつかなかったかなという思惑もあったやもしれない。ともあれ帰りの電車の時刻をよくよく調べて、一日そわそわして、4コマ目の授業をそそくさと切り上げて早めのバスに乗り込み、なんとか予約時刻に歯医者に飛び込むことはできた。結局のところ、たぶん20年以上前に治療した歯だったので、やはりわずかに虫歯になっていて詰め物が外れやすくなっていたものであろう、ということで、新しく治療し直して新しい詰め物を作ることになったわけである。そうなれば、麻酔を打って歯を削り、型を取ってから、新しい穴に仮の詰め物を入れて、次回の予約を決めて釈放、ということになった。
そういうわけで、なんとなく落ち着かない誕生日だったわけで、歯医者帰りにスーパーを回って鯛と赤飯を調達はしたものの、大丈夫な方の歯でもそもそと食べたりしてるようではあまり気勢は上がらなかったと言っていい。
ともあれ、今年の誕生日の自分へのプレゼントは「新しい歯」ということになったわけである。これがまた何十年も持ってくれるといいなあと思いつつ、ひょっとしてまた半月ほどでガリっと取れたら今度はどうしよっかなあとも思っている今日この頃である。



 


12月22日。師走だから走る。 / 男の顔は履歴書。

今年もまた卒業論文はまずまず全員ぶじ提出され、そして年内の自分の担当授業もまずまず完了。あとは会議だけという算段である。この秋学期は、時間割上の問題なのかなんなのか、けっこうしんどかった。先日ここで書いたように朝の目覚まし時計を0555にしたことに、まだ体が慣れきってないというのもあるかもしれない。

駅の階段を駆け上がり、ホームに停まっている電車に駆け込むとドアが閉まってゆっくりと走り出す。それで授業に間に合うことになるのだけれど、およそ電車で通勤をするようになった20年まえのアルバイトの塾講師のころからだったと思うけれど、このような場面でいつでも、「間に合った自分と間に合わなかった自分は紙一重」というのを考える。さいわいそれで間に合わなかったということはほとんどなかったと思うのだけれど、それでも電車に駆け込んでほっとしたときに、なにか一つの運命というか、「間に合った自分」が実現して「間に合わなかった自分」が実現しなかった、というふうにぱっと思う。だからなんだということはないのだけれど。
学期末が近づくにつれ、身体に疲れが蓄積するのか、駅でギリギリということが増えて、つまりそれだけ運命を感じる機会も増えるというわけである。ギリギリで間に合い続ける人生とは、しかし、どういうものか。もう20年もそんなふうでやってきているわけなのだが。

気が付けば年末にさしかかり、年末といえばこの一年を振り返るということにもなる。今年は目が二重まぶたになった。齢を取って顔がくたびれてきたということであるけれど、とくにこの一年は難しい顔をして過ごすことが多かったということかもしれない。

大きい鍋に水を入れて、スペアリブをほうりこみ、鶏手羽先をほうりこみ、ネギの青いところをほうりこんであとは気長に沸かしていると、それらしいスープになって、放り込んであったスペアリブやら手羽先やらをときどき拾ってはもそもそと食べていると、週末などのんびりと過ごせる。