更 新 メ モ 過 去 ロ グ
(2012/7/1 - 2012/12/31)

最終更新箇所へ / 表紙へ戻る

アーカイヴ (2002/8-12) / (2003/1-6) / (2003/7-12) / (2004/1-6) / (2004/7-12) / (2005/1-6) / (2005/7-12) / (2006/1-6) / (2006/7-12) / (2007/1-6) / (2007/7-12) / (2008/1-6) / (2008/7-12) / (2009/1-6) / (2009/7-12) / (2010/1-6) / (2010/7-12) / (2011/1-6) / (2011/7-12) / (2012/1-6)






 


7月16日。このところなにをやっていたのか。

学会誌が出てしまって、ようやく気持ちに一段落ついて、通常営業しつつの7月上旬だった。

某日。一年ぶりに下宿のテレビでテレ東系の番組がひょっこり見れるようになる。まぁさしあたりめでたいことである。

グラスにポッカレモンを入れて、粗挽きコショーと一味唐辛子を入れて混ぜてから、冷たーいトマトジュースをじょぼじょぼと注いで飲む。夏である。ようやく春学期授業期間の終わりが見えてきた。


 


8月2日。暑いしオリンピックだし春学期授業期間がようやく終了した。

暑い。当然である。自然現象なのであって夏に暑いことには何ら驚くべき点はない。雪が降ったら驚くべきであるし、また暑いといっても500度ぐらいになったら驚くべきだが、たかだか朝起きて室温が38度ぐらいあったところで何も驚くに値しない。やけになったりももちろんしない。いたって平常心で迎える8月である。つい数日前まで春学期通常授業期間だったし厳密に言えばまだ補講・集中講義期間なのだが、さしあたり自分は春学期の授業からは解放された(ようやく採点と事務仕事にとりかかれる)。ちなみに、「前期」という言い方を「春学期」に変えたのと、授業期間がだらだらと延びてどう考えても春と呼ぶのが欺瞞的に感じられるようになってきたのと、ともにこの数年の出来事のようにも思えるけれど両者に因果関係のありやなしや、といったことに思いをはせなくもない。くりかえすが、暑くてやけになっているというようなことはまったくない。

このところ、人間学部の教員間で交流をするという機会があり、なかなかおもしろい。若い先生がたのセッティングである。せっかくいろいろな隣接専門領域があつまっているのだから、学際的にというか、まぁお茶でも飲みながらざっくばらんに教育研究上のおしゃべりでもする、みたいな機会がぼちぼちと設定されて、その中から、たとえばということで、授業をコラボでやってみたらみたいな話も出てきて、先日、ためしに一発目のコラボ授業というのをやった。人間学部の学部共通科目「人間論」というので、宗教学(中世キリスト教神学)がご専門の先生が担当しておられる授業(比較宗教学で見る人間論、みたいなかんじ)の最終回で、トークライブみたいなセッティングにしてやってみた。企画運営や司会は若い先生がたで、自分は登壇者の役(あと、教職課程の若い先生(ヴェイユがご専門)が登壇)。で、まぁいろいろ反省点はあったけれど、それもふくめおもしろかった。学生さんたちも、まぁ、おもしろがってくれたようだし、そのへんはよかった。で、次回はたぶん自分が担当している秋学期「人間論6」の授業でコラボ、ということになりつつある。たのしみである。
そのながれでまた、別の日には、臨床心理がご専門の先生の学内研究会(大学院生さん対象)に誘っていただいて参加したりして、これもおもしろかった。学生時代は臨床心理の授業や実習にはよく参加したのだけれど、ほとんどそれいらいで、ひさしぶりである。こういうのが増えると、これから面白いだろうと思う。

何か飲もう、麦茶を飲もうか、トマトジュースにしようか、と思いながら台所に行き、湯呑みとグラスが並んでるのを確認して麦茶かトマトジュースか、と思い、冷蔵庫を開けて麦茶とトマトジュースが並んでるのを確認して、麦茶かトマトジュースか、麦茶かトマトジュースか、くるくるっと考えてトマトジュースを取り出して湯呑みに注ぐ。濃いトマトジュースが湯呑みのふちにまでせりあがってくる。疲れているかもしれない。


 


8月22日。このところなにをやっていたのか。

気が付けば夏休みももうおわりである。この、大学の夏休みが気が付けば終わってしまうという現象にそろそろ名前が付く頃だと思う。ヒントとしては「文科省のせいで」みたいな形容詞が付くはずだと思うしたぶんすでに全国の大学で主として先生方が言ってるんじゃないかな。

毎年恒例の夏の社会教育実習のご挨拶出張、この夏は、遠征っぽいのは、フォークジャンボリーで有名な岐阜県中津川市と、あとは宮崎市にそれぞれ行ってきた。中津川のほうは思ったより近く、宮崎のほうは思いのほか遠かったけれど、まぁ前日入りで朝いちでご挨拶、なんやかんやでその日に帰る、という流れとしては同じことである。そして、物理的距離もだけれど、国鉄の汽車にゆられていると、窓の外に見える山や川や海や、村とか町とか大都会とか、そういう中に家とか公団住宅とか巨大マンション群とか、見渡す限りの平野で遠くまでビル街とか、山あいのはるか谷底に見える集落とか、田んぼとか畑とか山の中に取り残されてくずれおちそうになってる廃屋とか、いろいろな風景があってそこで生活している人たちが、歩いたり自転車に乗って学校から帰ってきたり、畑仕事をしたり、庭に出て孫と一緒に汽車に手を振っていたり、アパートのベランダで布団を干したり、ビルの窓の明かりの中で仕事をしていたり、するのを見て、汽車の窓から見る風景の中であっというまにとびさってしまうのだけれど、なんともいえん日本は広いなあという気持ちになる。日本社会はどうのこうの、みたいなことをひとくくりに簡単には言えないよねえ、という気もするし、自分はそういう、汽車の窓から見える風景の中に一瞬、現れてはすぐに消えてしまう人たちだなあ、と、卒然と思う。これはなんていうか、学生さんたちがそれぞれの地元で実習をやって、そのご挨拶にうかがうという出張なのだけれど、なんかそういうことを感ずるというはなし。

お盆には帰省。年末年始にも春休みにも連休にも帰れず都合一年ぶりである。いろいろあった一年でもあり、そのご挨拶をようやくすることができた。そのために帰省したようなもんである。それでも、実家でのんびりと過ごすこともして、高校野球などテレビ観戦などしていた。天理高校など応援していたら、NHKの実況アナウンサーがベテランの人で、高校野球のアナウンスの鑑というべき名実況で、両校の選手を上手にほめて、とくに負けているほうのチームの選手のいいところをちゃんとうまくとりあげて実況するので、とてもよかった。鳥取のキャッチャーくんがとてもよくて、最後の打席で感極まって泣きながら打席に入っていたときにはおもわずこちらももらい泣きしそうになって、実家で高校野球見て号泣してたらバカなのでたいそう危険だった。

もちろんお盆の前、高校野球の前にはオリンピックがあって、なんだかんだいって夜更かしをしてつきあいよく見ていた。やはり、勝つべき人が勝つとうれしいし、うまく勝てなければ、うーん、むつかしいなあ、という気になる。そういうのでいくと、男子サッカーがスペインに勝っちゃったのは快挙で、その後も勝ち進んで胸のすく思いはしたけれど、やはり男子サッカーの世界ベスト4に日本と韓国が入って、日本と韓国で戦って3位が決まる、などというのはやはり間違ってる気がして、少なくとも世界を見渡して男子サッカーの実力でいえば日本や韓国より格上の国は山ほどいるにちがいないだろう、たとえばオリンピックのU-23世代でこの結果だったからと言って、そのまま次やその次のワールドカップで日本や韓国が優勝争いに絡むと思うかといわれれば、やはりそれはないでしょうと、ふつう思うだろう。たぶん多くの強豪国を本戦に進ませないしくみのオリンピックで、日本ぐらいの実力のチームがちょっと番狂わせでスペインに勝ってしまったりして、ついでに勢いに乗ってしまったりしたら、あとは結構いいところまで行ってしまうようなしくみになってたんである。まぁ、たぶん女子バレーの銅メダルってのも、組み合わせの妙みたいなのが多分にあったに違いなくてこれまた中国に勝ってしまったらこれまた日韓戦で、これはすんなり世界3位が決まってしまったわけだけれど、まぁね、勝ってメダルが取れてよろこんでる顔が見れるぶんには、やはりもんくはないんだけどね。

なんやかんやいいつつ、8月ももう下旬である。普通授業が始まるまではまだあるとは言え、もう夏休みでもないなあとあらためて観ずるところである。


 


9月8日。学校がはじまった。 / 10年たった。

まだ暑い日はあるけれど、というか暑さが抜けきったわけではぜんぜんないのだけれど、しかししかし9月に入ってずいぶん暑さに芯がなくなってきて、朝晩などもずいぶんすごしやすくなってきた。で、学校のほうも、会議がはじまり、集中講義期間もはじまり、まぁ要するに、あー学校がはじまったなあ、ということなんである。ところがなぜか、夏休みが終わったというような感じがしないのは、つまりそもそも存在しなかったものは終わりようがないためなのだ。そんなかんじ。

このまえ、ここに書いたときに気付いてもよさそうなものだったのだけれど、ここにこうやってぐじゃぐじゃと書き始めたのが2002年の夏ということらしく、つまり、10年たったということになるようだ。なんだかね。10年というのは人生の中で言うと、まぁあれですね、長いですね。それで何が変化したかとか成長著しかったかというと、まぁあれですね、コメントはひかえさせていただきたい。まぁ、なるべくなんのやくにもたたないことばかりただ気散じのためにだらだらと書きたいという初志は、なかなか貫かれていると思う。

某日、少し早起きして学生さんの実習のご挨拶に。それで要件はすぐに済んで戻ってきて駅ビルの地下の書店で何冊か買い、そのまま屋上まで上がって読みかけだった本を最後まで読み終わってぼーっとしたり、等々。


 


9月24日。このところなにをやっていたのか。

某日。学生さんたちの見学実習を京都の街なかの施設に設定する。魅力的な施設だということと、そのなかでもとくにいちばん市街地にあるところでお話を伺うことにする。で、学生さんたちがついでに京都見物でもしてくれたらおもしろいかなあと思ったのだけれど、どうだったかしら。早めに来て町ブラして集合時間までに買い物まですませてたやつもおったようだが。

某日。普通授業期間開始を目前に、授業も会議もなくてちょっとした用事のために出勤。用事はすぐにおわってそのあと、意を決して日の高いうちに大学を出て、帰りに寄り道をしようと考える。どうしようかなあと思案しつつ結局、奈良市に流れ着き、ひさしぶりに商店街をぶらぶらと歩いて、古本屋を梯子してあっというまにお札が消えるという楽しみを味わう。ツイッター上で見かけた、何やら趣味のよいCD店があるというのについては、場所をあまり調べずに行ったので見つからなかった(帰宅後に調べてみたら、どうやら歩いていたところから少し脇に入ってすぐのところだったようだ)。

某日。大阪で仕事。少し早く着いたのでうろうろする。街ということでいうと非常に大きな街で、現場にいくまで地図とビルとを見比べながら歩いたりして、ビルの名前は上のほうに書いてあるので見上げすぎて首がおかしくなった。

某日。暑さ寒さも彼岸まで、ということばがあるので、ずいぶんと涼しくなる。

授業期間が始まり、あれこれの提出書類の締め切りが迫り、そのたのあれこれも迫り、そのたにあれこれもあって、なかなかタフではある。
今年は学会が遅い時期なのだけれど、去年のいまごろは学会があったりしていた。夏の終わりに買った小島麻由美なんかをウォークマンに入れて、新幹線で聴いたり、通勤電車で秋の間ずっと繰り返し聴いていたりした。そういうわけで今年も秋である。


 


10月12日。このところなにをやっていたのか。

今年から、非常勤先のひとつが春学期だけの半期授業になったので、秋学期の出講日は少し楽である。助かる。授業が終わって、帰り道に繁華な市街地を歩くというかんじも悪くない。

ツイッターを見ていて、奈良市の商店街のさるCD店が、趣味がいいのだけれど経営がむつかしくなってきて閉店を考えているというような話を目にする。で、追いかけているとやはりいろいろ大変なようで、なるほどそれは大変だろうと納得する。しかし、奈良の商店街は、このまえ散歩してきて悪くないなあと思っていたところなんで、そこでそういう状況であるのなら、やはりこれはなんというか、大変だなあと。で、おなじく奈良の商店街の面白そうなTシャツ店のツイッターを追いかけはじめたら、ちょうどその日に、その店が実店舗を閉店(通販は残る)しますという案内が。やれやれ、大変だなあ、と。

どうせ気散じに書くのだからここには気楽なことやのんびりしたことを書こうというわけだし、毒にも薬にもならないぼんやりしたことを書ければと思うのだけれど、なかなかそういうふうにもならない。例によって相変わらず、通勤電車ではビジネス書を読みつつ(このところは、「企画書の書き方」みたいな本を。いや、悪くないですよ、ビジネス書。面白いしためになる)、学内の仕事をやったり、授業でも学生さんたちと「企画運営のやりかた」みたいな内容をやったりしている。秋はイベント物の本番が重なっていて、どうやったら少しでも効果のある広報ができるか(やってみるとなかなかできないものですねえ、本当に)とか、そういうことを考えたりやったりしている。
今年は学会が近所であるのだけれど、入試日に重なったので、まぁなかったことに。

まぁそういう日々。


 


10月29日。エレベータートーク。

今年は学会が近所で行われていて、しかし勤務校の入試と重なって行けません、というところまでが前回のおはなし。行けないのであれば近所であろうが火星であろうがおなじことである。厳密には、夕方ぐらいにちらっと行くという線は − 何しろ近所なので − ありえたかもしれないけれど、夕方に行ったってなんにもないわけである。余った資料をもらえるくらい。つまらんので行かなかった。それでAmazonで入門用のトランペットを買って下宿で吹いてた。もちろん吹けるわけはなくて、ろくに音も出ない。それでも楽器というのはやはりいいものだ。

ここに何か書き始めた10年前に、ガーフィンケルの新刊が出たと書いていて、その本の第一章の最初のところを書き抜いている:

アメリカ社会学会の年次大会でこんなことがある度に、私はエスノメソドロジーについてあらためて考えさせられる。私はエレベーターを待っている。ドアが開く。「やあ、ハル!」「やあ」 私は乗り込む。 質 問 がなされる:「ねえ、ハル、いったいエスノメソドロジーっていうのは結局のところ、 何 なんだい?」 エレベーターのドアが閉じる。私たちは九階まで上がっていく。私はこう言うことしかできない「エスノメソドロジーは、ある種のとても途方もない問題を解明しようとしているんだ」 エレベーターのドアが開く。
 私の部屋まで歩いているうちに、私は次のように言う べ き だったと思いつく。つまり、エスノメソドロジーはデュルケームの言う、生きられた不滅の[immortal]普通の社会を再特定化している[respecifying]のであり、一連の途方もない問題を解明するというのも、まさにそのためなのだ、と。それらの問題の源泉は、全世界的な社会科学運動の中にある。その運動は、形式的分析[formal analysis]ないし表象的理論活動[representational theorizing]一般の研究方針と方法とに遍在的[ubiquitous]に関わるものであって、確かな成果がそこから挙がってもいるのだが、まさにそのために、それらの問題を解く必要性も生じてくるのだ。

こんな書き出し、ずいぶん人を食った妙な調子ではあるのだけれど、10年前の自分はこの文章について「このミニコントがぶきみなのは、質問する人が声ばかりで姿が登場しないことだとおもう。ちょっとゴダールの『決別』に似ている感触があるような気がする」と書いていて、それはまぁ(ゴダールはともかくとして)外れてるとは今でもあまり思ってないのだけれど、それよりも重要なのは、これ要するに「エレベータートーク」ということなのだ(→参考:「エレベータートーク − 人材マネジメント用語集」・・・「エレベータ・トーク」とは、エレベータに居合わせている30秒程度の間に自分の話(報告事項・アイディア等)を簡潔に伝えることをいう。/元々は、シリコンバレーの起業家が、投資家に自分のアイデアを売り込むために、エレベータに乗っている短時間でアイデアを伝えたことに由来している・・・)。
ガーフィンケルがどういうつもりで、どのくらいビジネストークのことを意識して(あるいは意識してなくて)この文章を書いて第二の主著の冒頭に置いたのか、そういうことについてはさしあたりどうだってかまわない。また、この趣向は読者の誰もが当たり前にすぐ気付いていたことで今さら驚くことでもないと言われれば、それはまぁそうかもしれないしそれでもいっこうにかまわない。まぁ自分が、ビジネス書しか読めないような境遇になりしばらく経って、不意に気付きましたというだけのおはなしである。


 


12月15日。そして人生はつづく。

人生にはいろいろなことが起こるものである。まぁそれでも人生は続く、というわけだ。

暦の上ではもう冬なのであって、まぁ冬なのだろうけれど、なんとなく毎年、いつから冬になったのか気が付かない。晩秋、というのがきらいではなくて、なんとなくいつまでも晩秋というかんじがしている。今年も、先日ふと窓の外を見たら雪が舞っていたりしたので、まぁ冬なのだけれど。そうこうしているうちにクリスマスが来て、そうこうしているうちに年末年始になるのだが。

誕生日というのが今年もあり、月曜日で非常勤の日だった。それで、月曜はことしから秋学期は夕方のコマがなくなったので、授業帰りに繁華な人通りの中を歩くことにしている。何か買おうかなと思い、本屋で松浦理英子の新刊を買った。小説をやはり読まなくてはと思う。こころ穏やかなときに、などというのはもはや贅沢な望みなのだと思う。

そして人生はつづく。


 


12月31日。年末。

年末である。今年一年を振り返るというと、精神衛生上あまりよろしくない。ここの欄を読み返しても、なんかいまいちなかんじである。まぁ来年はよい年になればいい。

と、書きかけて筆が止まってしまう。それで放置していたのだが − 

大晦日の散歩。晴れているけれどエネルギーに欠けるのでけっきょくご近所の域を出ない範囲を流しておしまい。商店街の店などもう休みになっていて「賀正」の貼紙がはってあるところも多い。人出は多いけれど、せわしないのかのんびりしているのかわからない雰囲気で、道で出くわしたらしいおじさんたちが年の暮れの挨拶などしているのを見かけると、やはり年末の感じはでてくる。突然、こうして一年が終わってすべてがいったんリセットされて元日から新年が始まるというのは、いい習慣だなあという考えが浮かぶ。

ことしもまぁまぁまずまずの一年でした、という人たちも、いやぁ今年は大変だった、という人たちも、いや今年はまったく絶好調だったという人たちも、まぁ世の中にはいるだろうけれど、いずれにせよ、いったんリセットして明日から新しい年が始まる、というのはありがたいことである。
よいお年を、というのはそういうことなのだ、と、この年配になって卒然と気付くのだから、やはり大したものだ。

そういうわけで、よいお年を。



 


1月1日。謹賀新年。

あけましておめでとうございます。
ことしもまたよい年になりますように。