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(2013/1/1 - 2013/6/30)


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1月1日。謹賀新年。

あけましておめでとうございます。
ことしもまたよい年になりますように。


 


1月22日。このところなにをしていたか。

お正月はゆっくりと帰省して、お正月らしいテレビもないねえ等々言いながらまずまずの寝正月で暮らした。多少のリセットはできたのではないか。初夢などは随分と険しい夢を見ていたのが、何日かごろごろしているうちに心持が緩んできたのか、帰省していた数日でずいぶん夢見がましになった感じはした。有難きかな。

なかきよの とおのねふりの
みなめさめ なみのりふねの
おとのよきかな
という唱え詞(とくに意味もなく三行に分けて書いた)を、ほんとうは紙に書いて折り紙の舟をつくって、初夢の晩に枕の下に入れておく、とかなんとか。それを、川に流すとかそういうことだったと思う。夢にはいかにも縁起のよさそうな夢もあれば、難儀そうな夢もあるのだけれど、この唱え詞は回文になっていて、またそれで作る折り紙の舟も、いわゆるだまし舟という、ちょっとたたみ方を変えたら舟の向きが変わるというので、つまり初夢というのはどんな夢を見てもくるりと変じてみな大吉のめでたい夢になりますという、まぁ縁起かつぎである。
今年の初夢はずいぶん険しい感じだったのだけれど、実家の玄関先には南天が植わっていて、悪い夢を見たときは南天に聞かせると、難を転じるというのだ。
ものの名前やことばには、みな呪術的な力があって、言葉と物とが混然と重なり合って同じレベルで混交している。おせち料理の黒豆は「黒々と、まめに」という縁起をいみするし、数の子は子孫繁栄という縁起をいみしている。ことばのうえの縁起と、たくさんの卵という事物によって象徴される縁起とが、区別なく祝われるというのは、フーコーが16世紀の《占卜》と《博識》に共通するものとして見出した解釈学を思わせて、おもしろいといえばおもしろい。
ともあれ、今年は実家の玄関先の南天の実は、まだヒヨドリに食べられていなくてきれいに実っていたので、さぞや霊験あらたかだったことであろう。

1月には2週ばかり授業があり、センター試験の監督業務があり、学期末試験やらがあり次年度に向けての準備があり卒論関連行事があり、あわただしく過ぎるもので、今年もまぁ例年通りそんな感じである。

ふとしたいきおいで、weblogのほうに記録している限りで去年見た映画の本数を数えたら41本だった。それで、少ないなぁ、と思ってさらにここ数年の映画の本数を数えてみたら、
2006年・・・62本
2007年・・・73本
2008年・・・38本
2009年・・・17本
2010年・・・21本
2011年・・・31本
2012年・・・41本
ということになってた。まぁ、見ても書いてないのもあるにせよ、だいたいこんなもんだろうというところで、おそまつなことである。それはそうなんだが、おや?と思ったのは、2009年に底を打ってからむしろここ数年、徐々に回復傾向にあったうえでの去年は41本、だったということ。2006年、2007年には、62本、73本も見ていたわけで、年間100本とは言わないまでも、まだまだ今よりは見ていたようだったのが、2008年、2009年に何があったのか?というはなしである。まぁ、思い当たらなくもない。論文を書くのに苦戦してた年であったり、勤務校の仕事が大変だったり等々。
こんな数字は、たんなるweblogに記録した映画の本数に過ぎないので、これだけを見てどうのこうのというほどのものではない。のだけれど、やはり、2008年、2009年の自分には、苦労をしたねえ、たいへんだったねえ、と声をかけてやりたくなるし、それ以降自分でも気が付かないうちに少しずつ数字を回復させてきている様子を見ると、それが自分でも気が付かなかった自分自身の生命力であるかのように思えてきてなにやら思いもかけず心強い気分にもなるというものだ。


 


2月13日。今年もまた少しずつ春の気配がしてきましたね。

節分を過ぎれば暦の上では春、天気のぐあいも少しずつうららかなかんじがしてこなくもなくて、今年もまた、春の気配がしてきたなあとふわふわと思いはじめる時期になり、春は名のみの風の寒さよ、とかなんとかリピートしているのはもう、春がまちどおしい、まちきれない、というあらわれであって、つまりこうしてバカみたいに春、春、と繰り返してるわけである。授業期間が終わり、試験期間が終わり、センター試験も前期入試も終わり、卒論口頭試問と卒論発表会と追いコンが終わり、採点と成績入力が終わり、例年のように − とばかりすんなりともいかなかったにせよそれもなんとか乗り越えて − 現在に至る。

1月の授業期間最終週に、「人間学部コラボ授業」というのをやった。第二回目で、今回はわたくしの担当の「人間論6」って授業で、宗教学の先生と一緒に登壇して、「成長すること/老いること」というテーマを立てて、なんやかんや喋るという趣向。今回は、前回よりも形が見えてきたところもあり、また、学生さんの小レポートを見てもある程度の手ごたえはあった。自分の授業で、自分が半期の授業をまとめたようなレジュメを作ってそこからスタートし、そこにほかの先生がたに絡んでいただくみたいなかたちになったので、自分としてはもちろんやりやすかったし、けっこう花を持たせてもらったというのもある(たとえば、宗教学(キリスト教神学)がご専門の先生が、宗教社会学あたりのモードで喋ってくださったので、話がかみ合いやすかった、とか、プロデューサー役の若い先生がうまく質問でディスカッションみたいなかんじを演出してくださった、等々)わけで、しかしそれもふくめ、けっこういいかんじだった。ビデオを撮ったのを見直して、自分が講義している姿をほとんど初めて見てずいぶんうすっ気味悪かったけれど、それはそれとして、おもしろい振り返りの材料にもなってると思うので、こういうのを蓄積してシェアしていけるような流れができると面白いかなあと思う。

いくらかまとまった時間のみとおしがようやくつくと、例年のように研究室紀要のための論文をまとめるシーズンなのだけれど、さてどうなることやら。


 


3月8日。これは花粉症だ。

今年度もようやく終わりが見えてきた。

ここ数日、天気もよく気温が上がって春らしくなってきたのはいいのだけれど、なんか、朝目が覚めたときに鼻がムズムズ、目がくしゃくしゃして、うーんこれは花粉症か、と思いながら下宿を出て駅までの道、鼻がぐしぐししてきてくしゃみが出たので、これはいよいよ花粉症決定である。日付で言うと3月1日、これを花粉症記念日とすることにしよう。ここに過去に書いたことを読み直すと、数年前にも花粉症か?と言っていて、まぁ症状としては同じ方向性でまぁ始まりではあったのだろうけれども、このたびは「ああなるほどこれはまぎれもないな」という感じがある。まぁもっとも今のところはまだたいしたこともなくて、くしゃみが出た出た、やはりすごいなあ花粉ってあるんだなあ、とおどろきあきれている程度でまぁ罪がないもんなのだが。

まぁ全般的にはくたびれているわけなので、授業のないあいだにせいぜいリハビリをすべし、と思うところである。


 


3月20日。春休み / 携帯電話を買い換えた。

春休みである。というようなことは、大学の先生は春休みがあっていい身分だなあ、というような意味合いが生じてしまうので通常であれば剣呑なのだけれど、まぁそうもいっていられないというのもある。年々、大学の仕事というものはごちゃごちゃと忙しくなってきて、会議だ何だで春休みなんかまともにあったもんじゃないのだ、という言い方もあるが、今年の場合の論点はそういうところにあるわけでもなし、というところ。では問題はどのあたりにあるのか。

例年この時期には、論文が書けることになっていて、まとまった時間を待望の執筆にあてる、というのを、もう15年以上、就職前からだから20年近くそんなことをやっていたんであるが、今年はどうやらそれがいよいよ途切れたらしいのだ。理由はまぁいろいろであろう。あれやこれやある理由の上に、あれやこれやの理由が重なった、というような言い方が正確なところだろう。
毎日、天気はよくて、下宿の窓からは春霞か黄砂か、とおくの山々がけぶって見えるなあ、と、天井と外の景色をかわりばんこにぼんやりながめているうちに日は暮れるね。
やれやれ。

そうこうしているうちに、書けない、といってぼんやりとすごしていることのほうが文豪的のような気がしてきたので、やはりなにごとも続けていると悟りのひとつふたつは得られるものである。
湯河原だか城崎だか伊香保だかよくは知らないけれど、旅館に部屋をとって永逗留して、湯治客に紛れて懐手で散歩をしてみたり、空を眺めているうちにうとうととしたりしながら、旅行鞄の中の原稿用紙は真っ白のまま、というと、いかにも文豪らしいではないですか。まぁ、旅行も嫌い温泉も嫌いなので自分のばあいそうはならないけれど、しかし、このばあい原稿用紙が真っ白というところに味があるのであって、そのあたり気分の上では、なかなかその域に達しつつあるかもしれない。齢46にしてたいしたことである。

携帯電話を買い換えた。2年半まえに買ったのはドコモで東芝のdynapocketT-01BというWindowsmobile6.5のマシンで、QWERTYキーボードがついていたこともOSがWindowsだったことも大いに気に入っていたのだけれど、ほぼ買ったとたんにOSも開発停止(後継はWindows8を予告するMetroUI採用のWindowsPhoneというOS)、東芝も携帯端末から手を引いてdynapocketはたちまち廃盤という、スマホ時代にあって報われない星のもとにあった端末ではあった。それでも愛着を持って、しかもじっさいパソコン慣れした人間にとっては非常に使いやすいマシンだったので便利に使っていたのだけれど、どうもこのところタッチパネル周辺がプチフリーズすることが増えてきて、もうきびしいかな、というかんじではあったのである。
それで、ドコモで買い直すならAndroidになるなぁと思いつつそれとなく気にかけていたのだけれど、ある日、ちょっと本腰をいれてスペックなど見てみたところ、この二年半でT-01Bとは比較にならないぐらいに進化していて(クアッドコアだと?)、これは買い換えないとばからしい、ということになった。それでさっそく目星をつけて、近所の電気屋の携帯電話コーナーで購入。パナソニックのELUGAというやつである。
いやぁ、いまのところまずまず快適である。やはりAndroidはアプリが多いね、ていうか前のWinMobile6.5がいきなり開発停止になってアプリがほとんどなかっただけなのだけれど。まぁ、Androidのアプリなんていずれにせよ気味悪いので、定番のものを少ししか入れないけれど。
買い換えというのは何でもそうなのだけれど、新しいマシンの傍らで、SIMカードを抜かれた旧マシンは文字通り魂を抜かれたようである。おつかれさま、T-01Bよ、安らかに眠れ。

それでじつははなしは少しさかのぼり、自分が管理していた研究室Twitterをさる理由でしばらく休止していたのを、再稼働した、というはなし。いずれかのタイミングで再稼働しようとは考えていたのだけれど、あれやこれやのかたがついて新年度に向けてタイミングが整ってきて、2月下旬ごろから再稼働にむけてうごきはじめた。
それにあたって、やはりひとつ工夫をして、個人のアカウントを別に作ることにした(@2013_ishitobi)、というわけである。個人名をあまり表に出さないで「中のひと」として多少のキャラクター感も出しつつ基本的には研究室の半公式アカウントとしてツイートする、というスタンスは、まぁそれなりに自分の中のバランスとしては確立できていたと思うのだけれど、やはり「中のひと」のさじかげんというのはむつかしいものでもあり、また、どうせTwitterをやるなら社会学系とか自分じしんの情報収集に使いたい(けれど研究室名義だとそういうふうにもなりにくい)、というのもあって、これはもう別アカウントをもうひとつ作った方が便利であろうということになったんである。
で、その条件としては、なにしろふたつのアカウントをスムーズに扱えるツールをきっちり準備して技術的にストレスなくできるということ(あたりまえのはなし、ツイッターをやることが仕事なわけではないのだから、手間のない手段が確立されていなかったらいみがない)、で、そのうえでふたつのアカウントの「役割分担」をきっちり決めてストレスなく運営できるということ、これがクリアできないと、皿回しの皿が二枚に増えるようなことになってしまってうまくいかんだろうと。
で、まぁさしあたりツールの方から探して、まぁ探せばマルチアカウント対応のツイッタークライアントソフトはあれこれみつかるわけで、下宿のPC上で試してみてだいたいうまく扱えることが確認されたわけである。
で、お話が携帯電話に戻ってくる。WinMobile6.5ではほとんど選択の余地はなかったけれど、買い換えたAndroidではだいたい使いものになりそうなアプリはすぐ見つかって、だいたいうまく扱えるようになった。あとは大学の研究室のPCで、これは下宿のPCで動いたソフトはなぜか動かなかったのだけれど、別のオンライン上のクライアントで無事対応できて、これによってだいたいどこにいても研究室と個人とふたつのアカウントを読み書きできる体勢はできた。
あとはふたつのアカウントの役割分担だけれど、これはおいおいうまくいくようになると思う。これはようするに、自分じしんの中でどういうペルソナができているか、ということなので、新学期がはじまってみればある程度の形は見えてくるんじゃないか、ぐらいなかんじ。まぁたぶん基本は今までどおりで、個人的なことをつぶやきまくることはいずれのアカウントにせよ、しないはずではあるけれど。

今日は雨。雨が降っていると花粉のほうが楽なような気がして好ましい。祝日であるがどうせ引きこもっているので雨だろうがへいきである。窓を開けて、空気清浄機(フィルターを交換して復活)を全力で回しつつ換気。部屋の中にこもっていた目に見えぬ悪い空気と花粉が出ていき浄化されていくような心地である。
このところダイエットのために昼ご飯は抜き、朝もパン一枚の日々なので、晩ご飯を一日の楽しみとする今日この頃である。


 


4月8日。桜の園。

ことしの桜は、あれ、もう咲いてる、と思ったとたんにあっというまに満開になって、卒業式も桜のもとでということになった。そういえば小学校の時は卒業式に歌を歌わされたなぁ、「桜のつぼみ数えつつ、瞼に浮かぶ思い出の、・・・」というような歌で、卒業生と在校生、それからたしか先生たちのパートもあって、歌い交わすようなちょっと劇的な構成になっていたけれどあれは音楽の先生の作だったのだろうかしらん? ともあれ、大学の卒業式はそんなに劇的でもなく、また今年はきれいに咲いた桜とともにということになって、まぁ天気もきれいに晴れたし、気持ちよく卒業生を送り出すことができた。
それでその桜は入学式までなんとかもって、今年もまた20人の新入生を迎えて新年度が始まり、学科オリエンテーションと新入生歓迎合宿も無事すぎ、今年もまずまずよさそうな新入生が来てくれたと一安心したと思ったら早々と金曜から授業開始、そして土曜日曜の週末に春の嵐と冷たい雨が全国をおそってあっというまに今年の桜はおしまいとなった。

予想外に早い開花で花見会場は大慌て、というニュースをのんびりと実家で見ていた。卒業式が終わってから新学期の会議までの数日のあいだに、二泊三日で短い帰省。正月にも帰省したけれど、まぁちょっとした祝いを口実にした骨休めである。おいしい魚を刺身でたべて、また鯛ならぬたい焼きなど食べる。

今年はしかし、その帰省ぐらいで、いたって成果のない春休みだったのである。まぁ、そんなときもあってもよかろう。
大学院生か、オーバードクターをやっていたとき、ぼんやりと思っていたのは、ゆっくりと本などを読む生活で、中公の赤と黒のデザインのチェーホフ全集を揃えてのんびりと読んでいるような暮らしができたらさぞよかろうと思っていた。今にして思えばそのときは時間は売るほどあったのだけれど貧乏していたので、古本とはいえ全集をそろえることなどできなかったし、端本で安く買った何冊かを持っていただけだった(し、読むのは文庫で読めたし)。
ふと、Amazonの中古で検索すれば買い揃えられるのではないか、と気づく。そんなことをしてもあまり意味ないのに。それで、検索をかけて買えそうなものをずらっと購入(ない巻もあり、また、妙に高値の巻もあってそれはスルーしたけれど)。下宿の本棚に数冊並んでいたチェーホフ全集が、一気に揃った。そしてしかし、そんなことをしてもあまり意味ないのだけれど。

ともあれ、新学期である。またあわただしい日々がはじまるというわけだ。


 


4月30日。GW、エリック・ドルフィー、たけのこ。

某日、Amazonであれこれ検索しているうちに、ジャズの廉価版CDボックスのシリーズが目についてくる。アーティストの(たぶん著作権が切れたとかそういう)初期作品LPで7枚分をCD4枚に詰め込んで1000円、とかそういう無法なもの。そこにはどうやら、え?こんなのがしれっと入ってるの?というような盤もある。そこで、ジョージ・ラッセル、エリック・ドルフィー、それからセシル・テイラーのを購入。
セシルについては、ファンなのでLPではたいがいいろいろ持っていて、もっぱらCDでの買い直しという意味。ジョージ・ラッセルについては、『宇宙時代のジャズ』という、一曲だけラジオでエアチェックしたのがよかったけれどCDではあまり見かけなかったものがしれっと入っていたので。
で、ドルフィーである。これもあれこれ持っているつもりだったけれど、意外に持ってないディスクがあって、今回のボックスはお買い得でもあったのだけれど、ともあれ、なぜか自分の記憶では、学生時代にドルフィーの「AprilFool」という曲を某離島で過ごした春休みに、うららかな天気の日に聴いていた、とか、ドルフィーの中古LPをゴールデンウィークに手に入れた、というような印象が残っていて、なぜかドルフィーというのはこの季節なのである。ゴールデンウィークだからということで、自転車でぐるぐると散歩をして、そのルートの中にはなにしろ学生当時住んでいた界隈だから古本屋と中古レコード屋が何軒もあってそこを巡回する感じで、それでたしかドルフィーの1stアルバム『惑星 Outward Bound』を中古LPで買ったんである。その2曲目には、それ以前にラジオのエアチェックで録音していた「On Green Dolphin Street」が入っていてこれも楽しい演奏で好きなのだけれど、そのまえにこのアルバムは、まず1曲目から快調で全曲通してかっこよかったんである。で、その1曲目のタイトルが「GW」というので、ひょっとしてだからこの時期にドルフィーを聴きたくなるということかもしれないのだけれどそれじゃ駄洒落じゃないかと、ふと気付くわけである。

今年のゴールデンウィークは前半と後半に分かれてしまっているし、しかも両方に月曜が入っていて、この月曜というのを各大学は授業日にしたりする。そして困ったことに月曜を自分は非常勤の出講日にしていて2校を回ることになっていて、そうすると、月曜日を授業日にするやり方の統一が大学間でまちまちなので、けっきょく両方の月曜とも授業日ということになっていて、やれやれなのだ。まぁ、だましだましいこう。

日々のボヤキを書く先が、1)ここ、2)weblog、に加え3)Twitter、という選択肢がでてきた。Twitterで、たとえばこんなかんじでぼやいている:

休日にバイト入れる学生さんには、ほんとは反対。毎度言うが、大学の休みを擁護すべきなのは、その時間的余裕に、学生しかできないことをできるはずだから。時給幾らの低賃金労働で使役される、のではない過ごし方とか。大卒の人間に問われるのは(ほんとは)そこ。

なんか、古代ギリシアの市民たちの哲学とか民主制とかが奴隷制度のうえに花開いてたみたいなことを連想しなくもないけど、あんがい当時の奴隷の人たちは「しごと充実www時給アップwww哲学とか民主主義とかバカジャネ?」とか言ってたかもなぁ。

そういういみでは、休日に大学が授業をするなら授業に出る方が、バイトで使役されるより、学生さんは「自由」を得られる、と言えるのだが、学生さんにそう言っても通じない気がする。

【現実逃避】ソクラテス死亡www【この世にさようなら】

あー授業行ってくるわ。

などなど。やはり書く場所によって文体とかスタンスは変わりますね。

連休前半は、そういうわけで単なる週末と同じことになったけれど、せっかくだからなにか連休らしきことをと思い、そういえば毎年この時期にスーパーの店頭でたけのこを見ては茹でたい茹でたいと思ってまだ果たしていなかったのを実行しよう、と思い立った。それで、案ずるより産むがやすしということもあり、多少手際がよろしくなかったことは最初だから差し引くとして、まずおいしいたけのこ土佐煮ができた。けれど、小ぶりのたけのこだったにせよやはり1本茹でると一度ではもちろん食べきらないわけで(まぁ食べようと思ったらすぐであるにせよ、まぁねえ)、痛まないうちにということを心配するのがやっかいなのでやはりあまりたびたびやることでもないかなあとも思った。


 


5月21日。このところなにがあったのか。

日々はあっという間に過ぎ去る。このまえここに書いたときよりも後に何があったのか、というと、連休があったのだ。分断されて、文部科学省のせいで授業日が設けられ、ほとんどゴールデンとは言えなくなったような連休のある日に、今年も古本祭りに出かけたのである。それで、今年は妙に収穫があり、つまり、金井美恵子の本がまとめて売れているのを見つけて即購入、その他その他で、たいへんに充実した。のであるけれど、あまりに収穫があったので、きっかり正午に会場入りし、会場の閉まる夕方の4時40分までゆっくり見て回ろうと思っていたのに、買い物かごの重さに音を上げて後半はほとんど流すようにして3時で撤収してしまったのは、まったく歳はとりたくないとしかいえないことである。結局、買った本たちも手で持って帰るには重すぎるということになり、会場内の宅配コーナーに直行、自宅に送るということになった。なんだかインターネットで買ったのと結局あまり差のないようなことになってしまったと言えなくもないが、ともあれ、なかなかそれはわるくはなかった。

連休明けにいくつかの書類の提出が重なっていて、いろいろとバタバタしたりストレスをためたりしているあいだに、また今年も咳が出るようになった(思えば古本市に行った日あたりからその兆しがあった気がする)。学校帰りにとびこみで、近所の初めてかかる医者に行き、薬をもらったけれどどうも完全には治らず、そのあとかかりつけの医者にかかったら違う薬を山ほどくれて、それでぴたりと咳が止まった、けれど、いかにも薬で抑えつけているような感覚がある。

例年のごとくに専攻合宿があった。ことしも学生諸君はがんばっていたが、それはそれとしてこちらは、咳の薬を持っていかなかったためにだんだんぶりかえしてきて、しかも二日目の朝にひょんなことで腰をひねってしまい、あまり上機嫌ともいえないかんじで帰ってきた。どうもね。

そんなこんなで今に至る。まぁ、帰宅してからまた薬を再開したら咳は抑えられているし、腰のほうも湿布とコルセットと漢方薬でどうやらぎっくり腰はまぬがれそうで、まぁ低空飛行ながらなんとかやっていけそう、といったところ。


 


6月9日。このところなにをしていたのか。

梅雨というのが信じられないほど毎日いい天気で、暑いし、春学期の授業は中盤でまだまだ終わりは見えてこないし、週末にあれこれと仕事が入って、疲労がたまる今日この頃である。

某日、公開講座の講師というのをつとめる。このたびは、あれやこれやの行きがかり上、なんだかけっこうたいへんだった。のだけれど、準備の途中から、「こんなに厳しい戦況の中であるならば、ぶじやりおおせることができたならそれでじゅうぶん」という悟りを得て、それでなんとかやりおおせることができた。公開講座として出来がよかったかどうかと問われれば、まぁ、やりおおせたからそれでじゅうぶんなのですと答えるまでである。ききに来てくれた方々からのアンケートでは、まぁ酷評はされてなくて、いちおうよかったよかったという線でマルがつけてあったので、いちおう社交辞令の通用するぐらいのレベルではあったのだろうと思う。それならば上出来ではないですか。
今回は、公開講座シリーズ全体のテーマが「魅力」ということになっていて、タイトルを「なんとかの魅力」としないといけないことになっていた。社会学をやっている人間の端くれとしては、しょうじきキツい。しかし、ふつうの市民向けの、しかもどちらかといえばごく一般的な、年齢層の高い参加者が想定される講座なんで、まぁそういうテーマ設定になることには十分な合理性がある。ちなみに、当初、生涯教育専攻教授のわたくしに当局より割り当てられたタイトルは「生涯現役の魅力」だったが、これはさすがに頼み込んで変えていただいた。まぁ「自分史」の話ぐらいなら、「魅力」ってことでもなんとかなるか、それにあと「ライフログ」の話のほうにもっていけばふくらませられるかしら、というわけで、そういう話をした。
そんなこんなでけっこうきびしかったのだけれど、自宅のパソコンにパワーポイントを買ってきて、「はじめてのパワポ」ということで自分的なモチベーションにすることにした。そしてしかし、パワポというのはどちらかというと大嫌いなわけで、結局、高橋メソッドで突っ切ることになった。まぁ、後悔はしませんよ。ただ疲れた。

あれやこれや書きかけてはいたけれど、ずいぶん長い文章な割にどうもあまりたのしい話やのんびりした話にならないので没。
黙る、ということがベストな時というのはあるわけで、沈黙は金、ということばもあるわけである。黙るということができるのは、ずいぶん自分は恵まれた環境を与えられているのだとも感じる。
非常勤先の図書室で読んだ『現代思想 5月号 特集自殺論』の、伊藤茂樹先生の「子どもの自殺を消費する社会」がよかった。この一年ほどの自分の絶句と違和感に、接点のあるものをようやく読めた気がする。

梅がスーパーに並ぶ季節がきた。梅酒ことしはどうしよっかなあと考えている。



 


6月30日。はやいもので今年も折り返し点。

気が付けば6月も終わりで、今年も半分が過ぎたことになる。じたばたと目の前のことをがんばっていれば日々は過ぎていくのである。6月もきつかった。もうそろそろ山を越えただろう。

このまえの公開講座講師に続いて、橿原市生涯学習推進員研修会の講師というのをやらせていただいた。以前、天理市の同様の研修会講師をつとめたことがあり、基本そのときやったことをバージョンアップしようということで、講義に簡単なワールドカフェ形式を組み合わそうというのがコンセプト。それで、うまくいったかというと、まぁあのぐらいのかんじなのかなあ、というところ。ワークショップというのはその状況のあれこれの条件によっていろいろと左右されるし、その状況の中でいろいろなことが起こるものなのだろうから、ひとことで成功とか失敗とかいえないところがあるんだとおもう。その中でも特にワールドカフェというのは、枠組みが意図的に緩く設定されてるところがたぶんあって、アウトプットにしても明確にこれといったものを求めるわけでもない、っていうかたぶん求めないことをよしとしている。なので、うまくいったかどうかという判断は「手ごたえ感」みたいなものによるだろう。まぁ、あるテーマを設定してワイワイと気楽におしゃべり、ということはできたと思う。それがワールドカフェなのだといえばそうだろうし、しかしもう少し明確なアウトプットがないと釈然としないというところもある。まぁ、こういうのも経験である。先日の公開講座ではパワポプレゼンを(というか高橋メソッドだったけれど)試み、研修会ではワールドカフェを試み、そういうのをいろいろやってみているというのがこのところの成果である。

そのほかに、4回生の教育実習巡回指導が二校。卒論構想検討会。「てくてくてんり」大学イベントのための天理市との第一回協議(のために学生諸君をつついて企画書作成等催促するなど)。1回生基礎演習で南部公民館見学と帯解小学校放課後子ども教室に参加とか。FD委員会の研修会で外部講師の先生をお招きして実施したとか。なんやかんやがあって(まぁふつうの人にはごくふつうのことなのだろうけれど)、ぴりぴりしたりあたふたしたりしているうちに6月が過ぎたというわけである。まぁ、たぶんそれらがほぼ問題なくできたということで、それはよかったということである。でもまぁしんどかった。

梅酒は今年は漬けなかった。あたふたしていて、気がついたらシーズンが終わっていたというかんじ。空梅雨はあいかわらずで、窓を全開にしてるとさわやかな風がレースのカーテンをふわんふわんと揺らしているのが気持ちいい。