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(2015/1/1 - 2015/6/30)


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1月26日。新春シャンソンショー、ニンゲン合格あるいはトータルリコール。

あっというまの1月も末。このお正月はめでたく実家でそれなりにゆっくり過ごし、例によってぶりをたべ、年越しのおそばとお正月のおせちをいただき、おとそにビールに日本酒に梅酒、なんとかというお土産品のリキュールなどなどいただいて何にということもなく毎晩のように乾杯乾杯、実家の室温の設定が寒くて風邪を引きかければぬくぬくと布団にはまってウトウト、目がさめて具合がよくなっていれば回復力と人体の神秘をひとしきり賛嘆、まぁできるだけのんきに、大型テレビでBS民放の年末放送『若大将』を見る、『孤独のグルメ』一挙放送を今年も見る、寿司のなんとかかんとかを見る、で、『紅白歌合戦』をのんびりと頭からしっぽまで見る、『家族に乾杯』の元日特番をなんとなく正月らしさがないねえなど言いながら見る、『箱根駅伝』を往路復路と見る、大河ドラマの第一回を見る、実家で録画してあった下宿の近所が映っているテレビ番組を感心しながら見る、その他その他、まぁのんびりとすごすことができたわけである。まぁ、めでたきかなめでたきかな、といったところで、ありがたいことである。

初夢は正月何日の夜か朝か、ともあれ今年は可もなく不可もない教師生活の現実的な夢であって、富士山もなすびもでてこなかったものだから、初夢の日には諸説あるという口実で翌晩もちょっと期待したがやはり同様に可もなく不可もない教師生活の現実的な夢を見て、またしても富士山もなすびもでてこなかったわけなのだから、まぁ今年も淡々と働くべしということなのでしょう。いやまぁそれもずいぶんありがたいことです。
そんなこんなでまずまずよいお正月やすみを過ごして、国鉄に乗ってあっというまに下宿に戻る。『孤独のグルメ』に出てきた新春シャンソンショーというフレーズが残ってなんとなく口ずさみながらしばらく過ごした。

あっというまの1月も末。今年はセンター試験の役も軽めのほうだったし、授業も二週ほどであっというまにおわり、次年度に向けての計画もなんとか無事にできあがり、気がつくといま、というかんじである。

あれやこれやの流れから、中古ノートパソコンというものを試す。7年落ちのWin7の東芝ダイナブックの、どうやら当時は25万円ぐらいしていたらしいものが19800円で売れていたので購入。研究室に新しいスキャナ(というより書画カメラ)を買ったはいいがどうも既にあるPCたちとは相性その他合わないようだったので、ほぼそのスキャナを動かすだけの用途だったというのがひとつの理由で、また、学生諸君がパソコンを高い高いと言うので安く買える手段を研究するというのがもうひとつの理由。で、買ってみたらそれなりに気持ちよく動いて、むしろふつうに自分の普段のPCこれでいいじゃんぐらいのかんじ。ただし、やはり7年落ちともなれば新品を買うよりやはり寿命は短いだろうという見通しで、まぁその意味でいえばそれなりに価格相応と言えなくはないわけである。その寿命まで含め、実験の意味もこめて購入というしだい。まぁさしあたりは、スキャナがまんぞくに動きそうなので、学生さんたちには便利になるのではと思う。

それと併せ、あれこれ模索している中で、研究室で使わなくなったWinXPのPCたちがなんとか復活して使えないか、リナックスなどどうだろう、ということもあれこれ試していた。まぁ1月のあっというまのうちには、このあれこれがけっこう占めていたんだから、まぁのんびりしていたわけであるけど。で、UbuntuとかLubuntuとかなんやかんや検索したり実験したりしつつ結論的には、まぁ使えないものにこだわるのも後ろ向きだな、ということでまぁ落ち着くわけである。貧乏性なのでもったいないとは思うけれど、いまどきPCというのは消耗品と割り切るしかないところもあるようなのだ。

ところがその模索の中で、PuppyLinuxというのがあることに気づく。きわめて軽量でしかも古いタイプの低スペックサブノートPCでも動き、USBからブートできてインストール不要、というもの。これを実験していたらうまく動き、しかも現状のハードディスクの内容をリナックスから覗くことができる・・・というところからふと、去年の春に突然立ち上がらなくなりデータもろともおしゃかになった下宿の先代デスクトップPCのことを思い出す。ひょっとしてPuppyLinuxをUSBから立ち上げたら、そこからハードディスクの内容が読めるのではないか、そうしたら、取り出せなくなっていたデータを救出することができるのではないか・・・というふうに。
それで、床に転がっていた先代PCを急遽、繋ぎ直し、試してみたら、何度か試すうちになんとハードディスクを認識し始め、なんとデータが見えるようになったのである。そこでなんと10ヶ月ぶりに、旧データを救出して外部ハードディスクにコピーすることに成功した。3年ぶんぐらいのメールのデータが復元できたのはよかった。
というところでまだ実は話は終わらなくて、そうして何度かPuppyLinuxを試すうちに、不思議なことに、こわれていたはずのPCがあるときいきなりWindowsっぽい動きをしはじめたではありませんか。それで、見る見るうちになんかシステムのリカバリというプロセスが始まり、あれよというまに、こわれていたはずのPCが「購入時の状態」に戻って、生き返ってしまったんである。まぁ、リカバリそのものは試みようと思えば今までもできたかもしれないのだけれど、ハードディスクを初期化して旧データを見殺しにするのに抵抗があり、やらなかったんだけれど、まさに旧データの救出がほぼできた後だったので、ジャストのタイミングでもあったというわけである・・・なのだけれどお話はまだ終わらない。すっかり「購入時の状態」に戻ってしまったようにみえるPCのハードディスクを念のために覗いてみたら、なにやら何とかバックアップ、みたいなファイルがあって、ためしにそれを叩いてみたら、あれよというまに展開し始めて、まさに先ほど救出したのとほぼ同じデータが次々と復元されてしまったのである。

下宿の机の上には既に今のデスクトップPCが動いていて、10ヶ月ぶりに植物状態から復活した旧デスクトップにはさしあたりの居場所はないのだけれど、それでも生き返ったことはめでたいことである。10ヶ月、というのは人間の年齢にして何年ぐらいに相当するのかわからないけれど、植物状態からふと回復するというのは黒沢清『ニンゲン合格』を思い出させるエピソードである。また、OSがリカバリしたということは人格が「第二人格」にすっかり入れ替わったと言えなくはないのだけれど身体(ハードウエア)は同じ、見た目(UIデザイン)も同じ、そして以前の人格の記憶(バックアップデータ)がそっくり書き込まれている・・・というと、なんだかP.K.ディックの登場人物たちを思い出させなくもない。ひつじ年だけにね。
うまい。


 


3月24日。あっというまの年度末。

はやいもので、あっ、というふうに言っているあいだに年度末である。卒業式もぶじ終わり、学生さんたちがまた卒業していったわけである。4年間というのもまたあっというまのことである。まぁしかしそのあいだにはいろいろなことがあったわけで、謝恩会の席ではそんな話も出たものだった。まぁしかしそれもあっというまのおはなしである。

春らしくなるにつれ花粉の季節となり、去年はえらく苦労した覚えがあったが、今年は去年よりも対策をきっちりしているのでいまのところさほどたいへんにはなっていない。去年買った上等の掃除機でカーペットをきれいに掃除し、上等の空気清浄機によって花粉を(たぶん)除去し、ほとんど窓は開けない、というようにして、さらに今年の新兵器は窓の網戸に貼る障子紙みたいなもので、これで花粉の90%だかを通さない、という触れ込みで、これによって、台所の煙などが部屋にこもりそうなときで夜とか花粉の少ないときに、その窓だけ開けてゆるゆると換気するということが可能となった(ような気がする)。
それで、いちおういまのところほぼ大丈夫で、いちど花粉のきついときに外出してから2日間ぐらい鼻がぐしぐしとしたけれど、今年は去年まで使わなかった鼻炎薬に手を出し、それでぴたりとおさまるようである。
ところでテレビ等でさかんにCMをやっている、眠くならない鼻炎薬にかんしては、副作用に「悪夢」というのがある、というのを例によってネット上のうわさとして知り、なるほどごくまれに起こるようなので、そうすると見てみたいじゃないですか、鼻炎を抑えるばかりでなく悪夢もあやつれるようになりたいじゃないですか、というわけで近所のドラッグストアで探したのだけれど、まぁ売れてなかったですので、ふつうの鼻炎薬を購入。まぁ、もうしぶんなく鼻炎はおさまり、そしてなるほど眠くなるようである。うとうとして夢見がいいかどうかはよくわからず、かんがえてみれば普段から楽しい夢などついぞ見ないのではないか。このばあい夢見が悪くても自己責任ということになるわけで、そうなればそのほうが悪夢をあやつっているのだといえなくもない。

そういうわけで花粉のことばかり考えていては春らしい散歩などもままならず、どうもさえない日々が続くわけだけれど、まぁそんなこんなであと一週間で新年度、あと一週間たてば、がらっと気が変わったようにしてまた新年度が始まるというわけなのである。


 


5月1日。新しい研究会を始める / 花粉シーズンが終わったらしいこと

新しい研究会を始める。関西方面で、教育社会学から文化研究ぐらいまでをふくむ、なるべく何でもやりたいことができるように間口を広くして、まぁ最初はこじんまりと口コミで少人数から始めることになると思うけれど、ゆくゆくは研究交流の場になればいいなあと思っている。

自分のやりたいことを気楽に発表したり情報交換したりできて、アイディアを試してみたりコメントしたりできる恒常的な「場」というのが、やはり(いくつか)あるといいと思うし、たとえば組織学習とか研究ネットワークとかについての本とかを読んでても、そういう「場」というのは必要であるみたいになってるわけで、まったくそうじゃないか当たり前じゃないですか、と納得しつつ、いざ現実を見回すと、そういう「場」というのが、以前はけっこうあったように思うし自分はそういう中で育ったという覚えがあるのが、いま、少なくとも自分の手の届くところに、なくなってると思うんである。
本当にそうなっているのか、本当ならなぜそうなっているのか、といったあたりのことは、まぁごく一般的にいえば世の中がせちがらくなっているのでそういうことはあるだろうということぐらいはいえるんじゃないかと思うし、それ以上こまかい話になってくると、世の中の誰しも自分含めそれぞれの都合とか利害関心とかを生きているわけで、なかなかすんなりと共感の得られる像は浮かばないかとは思う。なので、このへんの話題のときに自分がいつもいつも思い浮かべる文献を挙げるとすると、
・上野直樹「ネットワークとしての状況論」『文化と状況的学習』上野直樹・ソーヤーりえこ編、凡人社、2006年。
これは、やはり涙なくしては読めないわけで、いわゆる「状況論」というのが、1980年代後半から90年代までのある時期、パロ・アルトという狭いエリアで、ゼロックス社のふたつの研究所を拠点としていくつかの研究ネットワークが交錯して、一瞬だけごく理想的な「場」になり、そこから「状況論」という動きが起こり、そしてまたその理想的だった「場」があっというまに終わってしまう(たぶん世の中というものはいつでもせちがらいものだからという理由で)、そういうおはなしであるわけである。

ともあれ、ゆくゆくはそういう研究交流や情報交換の「場」になれば、というふうに思っているので、研究会のデザインもそういうふうにしていきたいと思っている。同時に、発表のほうはある程度がっつりと時間をとってフラフラになるまで議論したいという気もあるので、そのへんの按配をどうするかというのは楽しみ。ちなみに以前やっていた研究会では毎回発表者一人で4時間か5時間ぐらい議論できたんだが、どうもこのたびはそこまではやらないようだ。
個人的には、メインディッシュは発表者二人で2時間ずつ、そのまえに前菜で参加者(希望者)の「ライトニングトーク」のコーナーを作って、まぁできるだけ参加した誰もがそれぞれ収穫があり同時にメインで当たった発表者はがっつりと勉強になる、みたいなイメージをいまのところ持っているけれど、まぁそのへんは、まずは軌道に乗せてからのはなしになるか。

研究会、とくに研究交流や情報交換の「場」という性格の研究会であれば、スケールメリットというか、集積効果というか、ようするに規模が大きくて参加者が多いことによって魅力度が増すわけである。そしてしかしそうすると、とくにせちがらいこの世の中であってみれば、せちがらいこの世を生きる人々にとってみれば、当然、「規模が大きくなったら自分も参加しよう」とか、そしてまた「自分にとって得のあるときにだけ参加しよう」というふうに、まぁ考えそうなもので、つまりせちがらい世の中の合理性というのはそういうものだと理解している。でまぁそうすると結局、研究会なんていつまでたっても成り立たないということにもなる。それはもうそういうものだというのを重々承知しつつ、しかしそこんところをもしもひとつグッと乗り越えてクリアできれば、よい「場」というのも不可能ではないのではないか、そしてそういう「場」がもし成立すれば、そういう「場」が存在することは存在しない現状よりも、ぜったいに、「よい」のだと思っている。

さいしょは口コミから、というふうに相談しているので、こういうところにも、どの程度の情報を出せるかということはまだよくわからないところがある。まぁ、その辺も第一回の集まりのときにでも、顔合わせがてら方針を決めればいいかなあというところ。
まぁ言えそうなところを言うと、第一回は5/23(土)、関西大学でおこなう、メインの発表は二人で、自分も発表する、ということにさせてもらった。自分の発表のタイトルは

「教育言説研究の布置と射程 − 「いじめ問題」研究に注目して」

みたいなかんじ。さいきん伊藤先生や北澤先生のご著書が出て、「いじめ問題言説に関する構築主義的アプローチによる研究」というすごく近いところでそれぞれ違う問いを立ててまとめておられるので、それに加えて山本先生とか、自分のとかの「いじめ問題」研究も見比べながら話題提供したら、おもしろい議論ができないかなあ、という趣旨。

さて、そして、そういうふうに段取りを進めていたら、ふと、関西社会学会の開催日に研究会の日がかぶっているということに気づく。
やれやれ。まぁ世の中というのはえてしてこういうものである。

5月に入った。だいたい一週間ぐらい前から、めにみえて花粉の感じがなくなってきて、そのうち公式にも花粉終息宣言が出たようなニュースも聞こえてきて、どうやら今年の花粉シーズンは終わりのよう。今年はあれこれの算段をめぐらしたこともあって、去年よりも花粉のしんどさは少ないままやり過ごせたと思う。まぁ、大きい理由は、市販のだったけど鼻炎薬をこまめに飲んだことだと思うけれど。去年は薬なしで乗り切ろうとしていたのできつかったけれど、薬を飲んだら花粉もあっさりとやりすごせるし、ふだん薬を使わないのでとてもよく効く、というか効きすぎというか、朝晩二錠というのを朝一錠のんだだけで二日ぐらいすごせるかんじだった。ともあれ、まずは一安心である。
マスクをせずに晴れた空の下を歩くのは気持ちがいい。



 


5月31日。ひさびさの研究会。

梅雨入りもまだまだだというのに夏日だの何だのと晴れて暑い日が続いたりした5月も末である。
ゴールデンウィークは、お天気に恵まれて、古本まつりには2回行き、その合間にも市街地の中古レコード屋をはしごしたりしてジャズのCDなど買い、またGWのおまけのようにあった休日には、ふと思い立って学生時代の下宿界隈に降り立ち、住んでたワンルームマンションやらお店やらの健在を確かめたり、昔オサレだった通りを歩いたり、それでまた本屋に立ち寄って気になってた新刊本を見つけて帰りの地下鉄で読んだり、まぁそういう楽しい日々を過ごした。
そして、その翌週はといえば毎年恒例の専攻合宿研修、今年は新しい施設を開拓して、例年とはかなり違う雰囲気にもなったし、まぁふりかえり的な意味でも、たくさんの材料が得られた合宿ではあったわけである。

そしてしかし、この5月はといえば、ひさびさの研究会をおこなったというのがハイライトで、非常に満喫した。発表は若い院生の方と自分との二本立てで、それぞれ2時間半とか3時間とか議論して、非常におもしろかった。ふりかえり的な後日のメールのやり取りでも、参加した先生方が、よかった的なことで、ひじょうにいいかんじのスタートでこれから回っていくんじゃないかと期待している。
今回はちょうど関西社会学会の日程にぶつかってしまい(これは日程調整のケアレスミス)、それもあってかどうか、来られなかったという方もあったらしく、でも次回から参加したい、みたいな方がけっこういらしたようだし、また次回には発表したいという方もいらっしゃるようで、今から楽しみである。だいたい年4回のイメージで、ということは次回は3ヵ月後の8月末あたりか、などと言っているところ。

さて、しかし、5月がおわって6月は通常営業の月。春学期の中盤であって、ここを淡々としっかり乗り切っていかないといかんですねと思う今日この頃である。