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(2017/7/1 - 2017/12/31)

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7月2日。蒸し暑くなってきた。このところなにをやっていたのか。

やれやれ6月が終わった、と大きく一息ついているところをみると、なかなかたいへんだったようである。いったいなにをやっていたのでしょう。というまえにまずは「やらなかったこと」のほうから。

6月あたりの開催を予定していた「教育・文化研究会」の第9回が諸般の事情で − というかみなさんの都合があわないということで流れたというわけである。まぁ、年4回を2年間で8回、じつは発表者も前回でなんとなく一巡したということもあって、ちょっと一段落のタイミングにはなっていたかもなのだった。次回は未定。

それでまぁじゃあなにをやっていたのかというと、まぁ働いていたというわけである。そのうちでもまあ爽快さがあるのは、学生さんの教育実習の巡回指導と称して日帰り出張に出かけたことあたり。梅雨入り直後ということで気がめいっていたら当日は晴れ、はじめて某アイランドに上陸して不思議な空間感覚と直射日光の中を歩き、そして学生さんの研究授業はなかなかがんばっていて、そして振り返りのあと予定より早く終わったので大学まで戻って夕方の会議に出席してから帰宅したこと、まぁふだん引きこもっているのでそういうちょっとしたことでもはじめてのおつかい状態で、ひと仕事をなしとげたじゃないか、自分をほめてあげたい、と感じる。
でまぁ爽快さがより少ないほうはというと、まぁこの6月はとくに学内会議が詰まっていて宿題の作業も多く、まぁくたびれた。

あと、6月末〆切のごく短い原稿のお話をいただいていて、それを書いたのもびみょうにたいへんだった。まぁ、ちゃんと書けたかどうかはご判断を仰ぐとして、とりあえず締切りを守って出せたのだから最低限のことはできたのではないでしょうか。この原稿のお話をいただいたのが半年以上まえなのだけれど、スケジュール管理のカレンダーに、〆切何ヶ月前だとか、この日はこの原稿のためのメモ書きの日その1とかその2とか、この日は下書きの日とかまとめの日とか、なんとか、早め早めにスケジュールに入れておいて粛々とやってく感じで、まぁなんとか大学のほうの校務とか宿題とかと切り替えつつできたのだから、まぁ人間というものは成長するもんである。昔は、昼夜逆転の原稿書きモードになって一気に書かないと書けないみたいなことを言っていたよなぁ、と、ほとんどなつかしく思い出す。

そんなこんなでちょっと気分転換のつもりで、小川紳介のDVDなどまとめ買いしてとりあえず学生運動モノとかをまとめ見したりしていた。なにか棒のようなものを振り回して暴れるとかそういうのを期待して、まぁ明るいニュースのない閉塞した気分をぱっと発散しようかというもくろみだったわけだけれど、なるほど日本ドキュメンタリー映画の傑作群ということで、おもしろくて、まぁ半分は達成できたと思う。ただまぁいかんせん、見てみたら棒を振り回して暴れているという観点から見て勝っているのはどう見ても警察のほうで、まぁ浮世というものはせちがらいのだった。それでまぁ「三里塚」モノの8枚組ボックスセットのほうは、また気力が回復するのを待って見ようかとおもっているところ。

なにはともあれ6月は終わり、6月末〆切の仕事は一段落して、月はあらたまって7月。くらしのなかに楽しみを見つけるようにこころがけつつやっていくべしである。  


 


7月31日。春学期はぶじ終了。

さて、7月も月末ということで、春学期の通常授業期間もだいたいぶじ終了。おつかれさま、といったところだけれど、今年は6月がけっこうタフだったので7月にはいったところでけっこうほっとしていたところがあって、それからも授業もあり学務もあり学外のお仕事(会議をやってそのあとの慰労会はとても高いところにある全面ガラスのお店で目を回しながらおいしいものをいただいた、とか、東京まで出張して会議、とか)もあり、ということではあったのだけれどなにか春学期が終わってほっとしたという実感が薄い。たいへん→ふつう→ぶじ終了、となったときに、たいへん→ふつうの部分で一段落感を感じてしまい、ふつう→ぶじ終了の部分で感慨が薄い、というのは、なんか損をしているような気がしなくもないが、ともあれぶじ終了。もっともこの夏は、夏のあいだに会議がぼつぼつあるようで、また飛び込みで会議が設定されるかもよという予告もあり、けっきょくあまりくっきりと解放されないという事情もあるのだが、まぁしかしともあれぶじ終了。

先月に引き続いて、小川紳介関連ということで、7月は何夜かかけて『三里塚』シリーズ全7作(+メイキング的なドキュメンタリー1作)を見ていた。大学が舞台の学生運動モノとはちがって、農村が舞台なもんだから、いまひとつとっかかりがつかみにくいというところはあったけれど、それなりにおもしろく見た。のだけれど、まぁどうなんでしょうね、見始めた動機というのはこのまえもここに書いてたように、なんか閉塞感のある日々にちょっと棒のようなものを振り回して暴れる的なものを見てみたいなあというところだったので、そうすると、学生運動モノにしてすでにそうだったのだけれど、この三里塚モノなんかはもう要するに、暴れてはみたものの世の中はせちがらくてけっきょく権力がふつうに勝つよねというみもふたもないオチであるように見えるわけで、そうすると、まぁシリーズ7作のうちの3作目がいちばん活劇的で派手でおもしろいので、たとえば、三里塚シリーズを見たことない人に、どれか一本オススメ、というのであれば、もし自分が無責任に選ぶとしたらこの第三作『三里塚・第三次強制測量阻止闘争』だろうと思うけれど、それはしかし人として無責任に過ぎるので、やっぱりやってはいけないことだと思うわけである。

さて、なにはともあれ、夏のすごし方である。なんだかんだいっても時間の自由はきくようになったはずであるし、なにか有意義にすごしたいものである。おもしろいこと、たのしいことを見つけるのもしごとのうち。


 


8月31日。この夏はどんなだったか。

思い出してみれば、今年は猛暑になるぞとおどかされていたんだったけれど、じっさいのところそうだったかしら。この夏は、臨時の会議が入るぞとか書類仕事があってとか微妙に脅かされつつだったのだけれど、そのあたりの件については比較的だいじょうぶだったみたい。毎夏恒例の社会教育実習の巡回は、今年は近場だけにしてもらったが、学生さんだけでなく自分的にもなかなか勉強にもなった。等々。

それで、お盆休みに帰省。お盆のころはちょうど涼しくて、実家の居間で高校野球など見ながらのんびりと過ごした(今年は劇的な試合とか最後まではらはらさせる試合とかが多かった)。夜は毎晩なにかにつけ乾杯して、また、ちょっとした思い付きで「変わり焼酎」というのをAmazonで実家に取り寄せて(ほんとに1日で届いてしまうのは今もって不思議なかんじ)、ごぼう焼酎と黒糖焼酎と海藻焼酎というのを飲みくらべてあれこれ評しつつまた乾杯、ビールと実家御用達の日本酒と焼酎とで、お刺身とか揚げ物とかビフテキとか秋刀魚の塩焼(これは初物。ハハハと笑って食べる)とか、これはどれが合うとかなんとかいいつつ、まぁ楽しくいただいていた。まずはのんびりとしたお盆休み、ありがたいことである。

お休みが明けて阿鼻叫喚の巷に戻り、というほどでもまぁないけれど、やはりたちまち会議があり、それから今年は教員免許更新講習を担当して(今回はようやく自分的にそれなりに満足できるぐらいうまくいった)、それから社会教育実習巡回の後半戦をまわり(ことしはそういうわけで大阪の4つの市と京都の1つの市に伺った)、そしてしかしそれにも増して大仕事だったのは、下宿のエアコンの取替えの工事だったわけなのだが、そのはなしは6月にさかのぼることになる。

ようするに、6月ごろに、そろそろ暑くなってきて下宿の勉強部屋のエアコンを点けたらぜんぜん冷えない、というところからお話がはじまったわけである。で、まぁさしあたりはパソコンは居間でノートPCを使えばそれなりに用は足りるし、あまり切迫した気持ちもなく、それでもまぁ6月中には管理人さんにクーラーの不具合を伝えたわけで、管理人さんも「もう暑いから大変やねえ」とその場で上に電話してくれた。さてそこからしかし時は流れ、下宿の管理会社から電話がかかってきたのが7月にはいってから、そして実際にクーラーの不具合の現場を確認してもらったのが7月の半ばである。そこからさらに歳月は流れ、8月に入ってから管理会社から、「クーラーの取替えがきまりました」と電話がかかってきて、つきましては修理はいつがいいでしょう、いまからだと可能な日程は、うんぬん、ということでけっきょく工事日に決まったのは8月の終わり近くということに相成ったわけである。やれやれ。
それでまぁしかし、なにはともあれ工事をするとなるとクーラーの周辺を片付けねばならない。今回は、一つの室外機を二台のエアコンが共有しているマルチエアコンというやつで、それが四半世紀ぐらいの年季が入ってきてるので二台とも交換、すなわち勉強部屋と、あと本棚部屋と、二部屋を片付けねばならないことになった。とくに本棚部屋のほうは、引っ越して10年以上経ってかなり物置状態になってたので、片付けは相当大変なことだった。何が大変かといって、ここに引っ越してくるに当たって一切合財段ボールに放り込んでそのまま持ってきたガラクタがそのままほぼ未開封の段ボールで置いてあった上にさらにこの10年ほどのガラクタが積み上げてあるのを、いまになって発掘して、まぁとにもかくにも分量を減らさねばならない。でも、ガラクタというのはつまり、物質化されて段ボールに封入された無意識のようなものであって、それを捨てるつもりもないわけで(大学生時代に使っていた何か、とか、何かのおまけとか、昔のどっかのみやげ物でもらったキーホルダーとか、なんかのお守りとか、ぬいぐるみとか、なんとかかんとか)、だからまぁ、大きな段ボールから小さな段ボールにパックしなおしたり、あとは捨てていなかった電化製品の箱や発泡スチロールを捨てたりして、まぁなんとか圧縮に成功、ただその時点で、精神的にずいぶん来るものがあってたいへんだった。まぁそんなこんなの激闘の末、無事それなりに工事ができるだけの空間は開き、そして半日がかりでエアコン二台の取替え工事が完了し(当日までに2ヶ月かかったことは置いておくとして、工事の人は暑い中がんばってくれました、ごくろうさまです)、そして工事後の部屋をいま、現状復帰しつつあるわけである。せっかく片付けたのだから、この勢いで部屋の模様替えを、という気もしていたのだけれど、なんかほとんどまた元のような山積み状態になりそう。まぁしかしそれはそういうものである。エスのあったところを自我に、という作業はなかなかすすまない、行きつ戻りつ、結局のところ終わらないものなのである。

8月が終わって、空が高くなり、まだ日差しが強くても強い風が吹くとどこかもうさわやかで、とんぼが飛んで、朝夕はすっかり涼しくなり、まぁ9月、ということになる。毎年そうである。楽しいこと、よいことを見つけて生活すること。


 


10月31日。このところなにをしていたのか。

このまえここになにか書いてから2ヶ月がたったらしい。このところなにをしていたのか。秋学期が始まり嵐のごとき日々である。いや、これでも世間よりはのんびりしているのだろうが、しかし台風が2週連続で来たのも確かなことである。2週連続で週末の日本を通過した台風、そのうちのひとつめの週末は学会に当たり(ついでにどうでもいいことだが選挙があり)、もうひとつめの週末は入試と学外の会議に当たり、台風が大変だったというよりも、大変だったところにさらに台風までが通過したというところ。台風は通過したが秋学期はまだ半ばであり、一山二山ぐらいは乗り越えたり先が見えたりしてきつつあるもののまだ先は長く乗り越えるべき山も多い。たいへんなことである。

そもそも春学期に、今にして思えばなんだか授業がこころなしか楽だなあと思っていたのだが、それは講義系の授業が秋学期にどかどかと固まっていたからで、秋学期に入るや、講義が重なってさあたいへんというのがある。そこに向けて事務的な仕事や学外の仕事が重なってきて、まぁさらに秋学期には毎年、学生さんが授業で行う地域連携のイベントが重なり、さらに入試が重なり、さらに卒業論文が佳境を迎えることになるわけである。まったくもってめがまわる。

7月に出ていた『教育社会学研究』100集の特集の、潮木先生の文章のしめくくりに引用されていたダーウィンの言葉、「私の心は、膨大な事実の山から、苦労して法則を導き出す機械の一種になってしまった。もしもう一度生まれ変わることができたら、少なくとも週に一度は詩を読み、音楽を聴くという規則を立てることにしたい」というのになるほどと感銘を受け、まぁ自分は事務仕事に忙殺されているんで事実の山から法則など導き出しはしていないのだけれど、ともあれ、音楽を聴くというぶぶんに感銘を受けることにして、ちょうど新しいのを買おうかなと思っていたmp3プレーヤーの安いのを買い、容量が増えるものだから手持ちのジャズのCDを棚ごと入れてしまうことを考える。それで、スイング〜ハードバップぐらいまでは入れて(フリーにはまだ手がついていない)、通勤電車で聴く音楽がジャズになった。まぁ、通勤電車で聴くのが「週に一度は音楽を」というのに当てはまるかというと怪しいものではあるのだけれど、ともあれ、やはり秋にはパウエルを聴き、ヴォーカルを聴き、チェット・ベイカーとアニタ・オデイの「Old Devil Moon」を聴き比べてはなぜか涙を誘われたりしながら、日々をなんとか過ごす。


 


12月2日。淡々と或いは粛々と日々は過ぎる(或いは嵐のように日々は過ぎる)。

気がつけば師走ということだがなにしろ気がつくと日々が過ぎている。無意識のうちにというのか意識不明のうちにというのか、淡々と粛々とというのか、ものは言いようでもあるのだが、ともあれこれはよいことなのか、いずれにせよ日々は過ぎ、気がつけば毎年恒例の学生の企画のイベントもぶじにおわり、一連の秋の推薦入試やら大学祭にともなうホームカミングデイやらも含めて週末が削られるのも恒例のことで、ともあれまずまずの調子で日々は過ぎて師走。自分のような者でも、それなりに年季を積んでくるとひとまずこうしてなんとか心の平安を保ってやっていけるようになってくるわけで、それはたいしたものである。仕事の塊を切り分けてスケジュール管理し、目の前のタスクを明鏡止水の心境で処理していく日々をこのままあと千日ぐらい続けていければ、悟りを開くことも可なるべし。うそうそ。同僚の先生方は獅子奮迅の活躍をしておられるが自分は自分にできる範囲のことしかしていないのでなんとかやっていけているのです。有難き哉。

なにしろ11月は毎年ひとつずつ年を取る月でもあり、まぁこの齢にもなると目出度さも中くらいなりといったところではあるのだけれど、今年は前日が学生の企画イベントの当日、それで帰りが遅くなるかと思ったら意外と早くに切りあがって、自宅最寄の駅に降り立ってスーパーに入るとちょうどよさそうな鯛が売れていて、「調理します」のシールが貼ってあったんだがもう時間が遅かったので魚屋さんはいないわけで、ちょっと思案したけれど、まぁいいかと購入。翌日は日曜で、まぁのんびりした誕生日を過ごすべしと思っていたんだけれど、あの鯛をさばくの厄介だなあ、以前やったときはけっこう面倒だったし生ゴミが出るし、ということが頭を離れず、とりあえずwebで調べて、ウロコはペットボトルの蓋を使ってとれるよと書いてあったので、ちょうどホームカミングデーのときに支給されたまま持ち帰った緑茶があったのでそれを使うことにする。しかしこの季節、ペットボトルの蓋を欲しいという理由だけで冷たい緑茶をとつぜん一気飲みするのも気が進まないわけじゃないですか、なので、これで茶飯を炊いて祝賀の心境を高めるべしと思い立つ。これまたwebで調べて、緑茶で炊くという流儀もあり、それなりの晴れの日に食べるとの記述まで見つかり、これ幸いと、お米を洗ってペットボトルの緑茶をどぼどぼ入れ、何かのまじないに梅昆布茶の粉を入れて針しょうがを山ほど入れて適当に炊いたら、まぁ食べられなくもなさそうなものができた。もっとも食べられなさそうなものができたっていずれにせよ食べる以外の道は与えられていないのだがそれはともあれ、ようやくペットボトルの蓋が手に入ったことになる。そしてそわそわしながら夕方を迎え、鯛を取り出して、あちこちにウロコが飛ばないようにビニール袋をかぶせながらとりあえずウロコを取り(まぁできなくはなかったし確かに包丁の背でやるよりやりやすかった)、ワタとエラをはずして、まぁなんとかおろせたので塩焼きにして、まぁそれなりに今年も無事に誕生日を祝えたのでまぁよかったとするべしである。

研究会というのが開けていない。3月に開いて、そこから3ヵ月後の6月あたりにやりましょうといっていたのが流れ、そうするとそこから次回をやりましょうという話をする場がないので、6月あたりの3ヵ月後の9月あたりも当然流れ、まぁしかし学会のときにでもお会いしたらちょっと相談できるかしらと思っていたらまったくお会いすることもなく、そうすると9月の3ヵ月後は12月という計算になるのだけれど、まったく研究会をやろうという声は出ず、これはつまり研究会というものはそもそも存在するのか、あるいは存在とは何か、なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?いやないのか。まぁ、時に利あらず、ということはごくありふれているので、それはそんなものだろう。

某日、大学の図書館のサポーターの学生さんたちが主催する、教員が映画を勧めるビブリオバトル映画版、というのに出るべしと誘われる。お題は「学生に見てもらいたい映画もしくは学生時代に見た映画」とのこと。はいはいと特に何も考えず引き受けたものの、はて何を紹介しようかと意外に困った。よく考えたら、学生さんと話が通じるような映画を見てないのだった。それでちょうど今年見たことだし、大学生が登場する映画ってことで小川紳介『現認報告書 羽田闘争の記録』あたりどうでしょう、土本典昭『パルチザン前史』なんてどうでしょう、と一瞬おもったが、まぁ勧めない。『ドレミファ娘』も当然ながら勧めない。若大将とかキートンとかあるいは大学は出たけれどとか、まぁあまり学生さんに喜ばれるとも思えないし、というところで路線を変更、もう映画の授業みたいにしちゃおうかということで、リュミエール映画の「工場の出口」「列車の到着」「水をかけられたカード遊びをする人」(http://d.hatena.ne.jp/k-i-t/20110915#p1)を紹介しながら映画の原初的な三次元性について話を、まぁするわけにもいかないし、さて困った困った、ということで、結局のところ、これは以前から(ビブリオバトルみたいな形式ではなくてもうすこし授業っぽい文脈で)学生さんに勧めようと思っていた、ジョン・フォード『真珠湾攻撃』(http://d.hatena.ne.jp/k-i-t/20041208#p1)を勧めながら、プロパガンダ映画について喋ろう、ということにした。じつはこれと日本の国策映画『新しき土』(http://d.hatena.ne.jp/k-i-t/20051226#p2)とどっちにしようか、日独合作でドイツの山岳映画の名匠アーノルド・ファンクが監督を務めた『新しき土』のほうを、原節子デビュー作だよ、メロドラマだよ、戦前の日本の名所を(でたらめに移動する)観光映画でもあるよ、しかも、クライマックスでは悲恋の原節子が花嫁衣裳を持って浅間山を登っていき火口に身投げをはかるよ、そのとき浅間山が大噴火するよ、つまり山岳映画でもあるよ、それで結局、ゲッベルスが「耐え難く長い」と評したらしいけどたしかに映画としてはちょっとだれてて退屈だよ、でも日本人がトンデモ映画として見るにはそれなりにおもしろいよ、というかんじで勧めようかとも思ったのだけれど、まぁ映画としてつまらないほうを敢えて勧めるのも良心がカシャクしちゃうので、まぁそれは当然のごとくに『真珠湾攻撃』のほうを勧めることにする。もうすぐ12月8日ですね、それでは『真珠湾攻撃』を見なくてはですね、等々。まぁしかし、担当のかたに「『真珠湾攻撃』にします」と言ったとたんにサッと顔色がくもったのを見て、やっぱりいかんかったかなあと少し反省した。それで当日、それなりにどんよりしつつ会場に向かうと、同じようにどんよりと、ロシアフォルマリズムとか映画学とかをやっておられる先生が「あーもう私は媚びてしまいましたよ」とか言いつつ相米慎二を。臨床心理の先生は以前からファイバリットだと公言しておられたペドロ・アルモドバルを。そして図書館学の先生は森崎東を、というように、まぁなんだかんだいって妥協を許さないラインナップを出してこられたので、なんていうか、いい職場だなあと。4つの作品の公開年が、00年代・90年代・80年代と来て、まぁわたくしの『真珠湾攻撃』の1943年もなんとなくアリになったのではないかと思う。まぁ、プロパガンダ映画の専門家の前でプロパガンダ映画について喋ることになったのは予想外だったのだけれど、まぁニヤニヤしておられたのでいいことにする。まぁ、いい職場だなあ。

 

 


12月29日。年の瀬 / 神の子は皆踊る / 携帯電話を買い換えた話。

年末である。思えば夏休みが終わったころから「はやく冬休みこーへんですかね」等々ちゃらっぽこを言っておったわけだが、やれやれようやくの仕事納めということになる。あっというまといえばあっというまにも感じるが、まぁそういうものだといえばそういうものである。

この12月の特記事項はというと、なにしろ今年の卒論の〆切前は楽だった。よいことかどうかはわからないっていうか、まぁこれからの卒論審査で明らかになっていくことではあるのだけれど、しかしさしあたりしんどかったか楽だったかということでいえば、拍子抜けするぐらい楽だった。というのも今年のうちのゼミの学生さんたちは、総じて、あまり時間外の相談に来なかったので。けっこう大変な年であれば、追い込みの時期になると朝早くとか放課後遅くまで相談とか、夜中に電話がかかってきたりとか、していたものだけれど、そういうのがほとんどなかった、というのがひとつ。だいたいの卒論指導がゼミの時間におさまり、或いはさすがに最後のほうは学生諸君も何人かで共同研究室にこもって(別の連中はたぶんPC室でやってたんだろう)やってたのでこっちも時々覗きに行って、なにかあれば「ちょっとおいで、相談しましょう」みたいなこともやったのだけれど、それも例年よりは少なめで、また、夕方とかに共同研究室を覗いて「なんか聞くことある??」と言っても「特にないです。今晩までに進んだところをメールします」「あっそうっすか、じゃぁバスん乗って帰っちゃうんですが」「おつかれさまでーす」というかんじで、ほとんどの日は最終6時のバスに乗って帰宅できたんで、もういろんな人に、「今年の卒論の学生さんたちは淡白で・・・」とか言っていたんである。まぁ、もういっこ言うと、今年の学生さんたちはたぶん、いったん方向が定まったら、自分のやろうとしていることとかこっちの伝えたこととかをうまく形にするということが基本的にできる人たちだった、ということなんだろうと思う。なので、作文をしていきながらうまくまとまらず収拾がつかなくなり混乱したり途方にくれたりしてさてどうしたものかと悩む、というようなことが、今年の人たちにはあまりなかった。なので、ゼミのときとかに進捗と問題点を聞いて、「こんなふうにしたらええんちゃうんかなあ・・・言ってることなんとなくわかりますか?」「だいたいわかります」「どうっすかね」「いや、そうだと思いました」「できそう?」「やってみます」「じゃあきりのいいとこまで進んだらメールで」「了解です」みたいなかんじであっさりと済み、まぁそれで後日メールが来たらなんとなくこっちのイメージしていたような方向性で進んでいるので、まぁあまり引っかからずにすむわけである。まぁ、いずれにせよかんじんなのは評価ということで、まぁこれからの卒論審査でそれが明らかになってくることとおもわれるのだけれど。

いずれにせよ卒論は今年もまずは無事に提出され、そしてそれから1週ぐらい授業があって、ゆるゆると年内最終の授業をやり、他方では次年度に向けての事務作業なんかも進めつつ、まぁ気がつけば年末になった、というしだい。

せわしい日々が一段落したら、なにか自分にご褒美を!と、アラサー女子みたいなことをぼんやりと考えはするものの、じつはあまり物欲がわかないというのもある。休日になっても、買い物を口実に出かけるよりは部屋で座椅子でぐったりしているかんじ。それでもAmazonで注文するぐらいのことはして、このまえは廉価版のバド・パウエルのCDセットを買った。いわゆる名盤ばかり集めた『7Albums』『8Albums』という4枚組み×2セットで、まぁブルーノートの『アメイジング』とかヴァーブとかルーストとかプレスティッジとか、まぁアルバムとしては持ってるのが多いのだけれど、LPで持ってたりとか、抜けがあったりとかするわけで、それが、なんやかんやの15アルバムセットで中古なら驚きのお値段、で手に入るのだから、まぁ買うわけである。それをmp3に落として、秋に買った安いmp3プレーヤーに入れるわけで、この前もここに書いたとおり、ジャズボーカル、スイング、ビバップまでの自分のジャズCD棚がそこに再現されることになるわけで、それをランダム再生するしながら通勤電車で聞くみたいなことなのだけれど、まぁ困ったことにというか当然そうなるというか、ボックスセットを持っているパーカー、モンク、それにこのたびまたパウエルが加わって、ランダム再生してもその3人の曲がやたら登場することにもなるわけなのだった。ともあれ、パウエルやはりなかなかいいわけで、LPで持ってたっきりこのところ聴いていなかったソニー・スティットとの名盤の「神の子は皆踊る」をリピートしたりすることにもなるわけである。

さはさりとても、物欲というのにもやはり体力が必要なわけで、部屋でぐったり座椅子にはまりこみながらノートパソコンの画面の中でAmazonの発注ボタンを押しててもなぜかしら物欲が満たされたような気にはさっぱりならないわけで、それはそのとおりあたりまえのことなわけだけれど、一方で、目を上げて見回せば、あれこれ買ったほうがいいものはあるんだけどなあと思いながら、まぁ買わなくても困りはしないなあと。ところが、このところ調子が悪くなっていた携帯電話がいよいよというかんじになったので、まぁこっち(http://d.hatena.ne.jp/k-i-t/)にも書いたけど、ひさびさに自転車を走らせ電気店をはしごして、買い換えたというわけである(以下、weblogに書いた文章をコピペして、同じことを繰り返し作文する体力を節約するライフハック)。
このたびはXPERIA XZ1というのを買った。一個前はELUGAというパナソニックのスマホ(http://d.hatena.ne.jp/k-i-t/20130312#p2)を2013年の3月に買ったらしく、その前は2010年のたぶん夏前ごろに、T-01BというWindowsMobile機を買ってたんだった。あまり買い替えるのはめんどくさいのだけれど、バッテリーがへたってきたのだろう(一度買い替えたのがまたへたってきたということで)、挙動がおかしくなり、先日気がつくと文鎮化してにっちもさっちも動かなくなっていて、念のためということで古くなったほうのバッテリーに付け替えてみたらなんとか立ち上がり、そういうことがなんどか繰り返し、要するにバッテリーを一度抜くことでリセット的な意味になるのだろうと推察されたものの、ともあれ、これは早急に買い替えるべしということになった。それで、まぁえいやと重い腰を上げて家電量販店に行ってみたところ、ちょうどクリスマスイブの日曜日で、客がごったがえしていたのであきらめてすごすごと帰宅。まぁしかし年末年始ぐらいはだましだまし使えるのではないか、と期待していたものの、またしても文鎮化、やはり買うべしかなあということでまた出かけ、こんどは平日だったので適当に空いていて、なんとか二件目で在庫もあり、なんだかんだで入手した。それで、量販店の携帯コーナーのお兄さんが商品を渡しながら、「設定はしたけどインターネットの設定は自分でやってね、あっはっは、あと、うちは代理店なのでトラブル等はドコモショップに行けよ」という趣旨のことを言って、まぁはいはい、あっはっは、と返事をして帰ったものの、なんか私の回線が昔に契約した時のままのmoperaというやつでちょっと変わってるので、昔にもらった設定マニュアルを引っ張り出してみたものの、所定の画面に所定の項目が出てこない。それでよほど思案したものの、これはやはりということで近所のドコモショップへ。で、ドコショのお兄さんには「moperaですか・・・」等々いぶかられつつ、たしかに契約書等そうなっているわけなので、古いほうのスマホの設定画面と見比べながら、こうすればできますよ、というかんじでやってもらい、ぶじに接続も成功。この時点で夜。それで、帰宅してから、いろいろ設定するうちに、そうそう、SDカードで前のデータを取り込もう、と思ったのが苦難の始まりで、なにしろSDカードスロットの使い方がぴんと来ないまま(正式にはスロットのふたに付いたトレイにセットして挿入する)、まぁ仮にとかなんとかいいつつカードをそのまま本体のスロットに挿してみたら、外れなくなったばかりかどんどん奥の方に入り込んでしまい、にっちもさっちもいかなくなった。ふたも閉まらない。あちゃーである。これ、修理に出しても、SDカードに入ってる個人情報データはどないなるんや、と、暗澹たる気持ちになった。それでどうしたものかとうつうつ考えているうちに夜中になり、まぁ寝付けないのでまた携帯をいじっていたら、ふと気がつくとSDカードを認識していたんである。てきとうにやったわりに入れる向きとかは合ってたらしい。それで見てみたら、まぁ大した個人情報は入ってなかったというのが一つと、とにかくSDカードを認識したということは、そのデータを消去することができる、ということで、修理に出すときに本体のデータと一緒に消してもらったら、個人情報の問題もクリアされるのではないか、と、少し気楽になったわけである。ま、それで結論としては、朝になって再びドコショに出かけ、これこれこういう具合にSDカードが中に入ってしまって、まぬけでしょう、すいませんね、どんなもんでしょうね、等々、言ったところ、まぁ結論としてはお店のお姉さんがしかるべきピンセットで取り出してくれてあっさり解決。まぁ、たしかに、たぶん同じようなことをする者は多いんじゃないかなとも思っていたわけで、まぁドコショとしても心得たものだったわけである。お姉さんにありがとうございますとても助かりましたと平身低頭しつつ帰宅、それでまぁしょうがないんでいろいろ設定していて今に至る。まぁ、なんでもそうだけれど、買い替えたりして新しくなると、古いのと使い勝手が大きく変わってくるわけで、できていたことができなくなる等々が気になって、どうも気に入らないということにもなる。XPERIAというのはなにしろスタイリッシュなイメージというのがウリなのかな、と思っていたのだけれど、いざ乗り換えてみると、ホーム画面のかんじとかいまいちださい気がして気が滅入る。また、電話やメールの通知音がいまいちとか、通知ランプが小さくてわかりにくいとか、「置くだけ充電」ができなくなったとか、まぁなんだかんだ。まぁしかしそれでも、いままでハードやOSの古さによって十分に使えていなかったもの(fitbitとかね)が使えるようになって、まぁそのへんやはり、便利になったはずなので、慣れるまでしばらくぶつぶついいながらやっていこうと思っているわけである。前の携帯も、買って来た時には、フィットしないとかなんとか書いていたのだし。
・・・というところまでが昨日の時点でweblogに書いたことで、まぁその後、いろいろ設定とかして、まぁまだしっくり来てはいないにせよ、まぁいいところもあるなという気にはなってきた。まぁいずれにせよまたこれから何年か使うことになるだろうわけだから、馴染んでくれるといいと思う今日この頃である。

などと言っているうちにいよいよ暮れも押し詰まる。今年はまだあまり雪を見ないけれど(数日前に一瞬、雪のようなものが舞っているのは見た)、職場もどうやら仕事納めとなって、事務的なメールでも文末には「よいお年をお迎えください」等々、まぁそうなるとあとは年明けまでペンディングですね、という阿吽のサインを送りあうわけである。まぁそうしてみれば、総じて平穏無事、今年も一年おだやかにすごせましたということになるのであろう。ありがたいはなしではないだろうか。