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(2016/7/1 - 2016/12/31)


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7月27日。春学期のおわりと研究者っぽい日々(ちょっと)。

ようやくあと少しで春学期の終わりである。とともに7月も終わってしまうわけで、昔なら7月に入る早々前期は終わるような感じもあったような気がするので、まぁ年寄りくさく昔のことばかり言うのもなんなんではあるけれど、それにしてもなんだか感覚的には一ヶ月ほど損したみたいな気もしなくもない。まぁしかしなにはともあれ、やれやれとひといきつくところではある。

この7月はしかし、なんだか研究者っぽい日々というか、学会とかそっちのほうのおしごとが重なってあって、まぁなんか読んだり書いたり会議に出たりというような種類のことなわけだけれど、授業期間が終わりに近づいてあれこれかたづいてきたのにあわせてそちらのおしごとをうまくやることができて、まずは会議もぶじ終わり(会議がちょうど二つ重なったので一方は欠席だったけれどそちらも無事うまく終わったとのお知らせを受ける)、なによりであった。そういうおしごとというのは、本務校のしごとからちょっと離れて、なんか研究者っぽい気分にさせてくれる。まぁ気分だけなのかもしれないけれど。

そしてまたもうひとつ。「教育・文化研究会」というのを去年に立ち上げて、ほぼ3ヶ月に1回というペースで開催し、一年と少しをかぞえ、なんとなくひとまずの軌道には乗ってきて、それでこちらの生気も少し回復してきた。それで、以前から何度かTwitterで、こういうことを書いていたのだけれど:

【研究交流のインフラになるような場】があるといいという話なのだけれど(年一回の学会大会だけじゃなくて、もう少し日常的に交流できる範囲で)、そういうニーズはないのかなあ。
【インフラ】というのはつまり、特定のテーマが決まってないでオープンな場、ということで、そこでの交流から、個別の研究会やプロジェクトも立ち上がりやすくなる、的なイメージですが。
例えば『教育社会学研究』でも『社会学評論』でも最新号が出たときに、載ってる論文を読んだ感想をカジュアルに言い合う場みたいなのが、今の生活に欠けている。そういう「場」を作れないか。

それに反応をいただいたりして、まぁ「教育・文化研究会」のスピンオフ企画ということで、「学会誌を読む会(仮)」ということでさしあたりちょうどこの前に出た『教育社会学研究』98集を読むというのをやりましょうかというはこびになり、やった。さいしょはまぁ、全部にさあっと目を通す、みたいなイメージだったけれど、やはり実際にやってみると、興味のありそうな論文についてああだこうだいっているうちにすぐに時間は経ってしまって、半分も読めなかった。それでも、学会誌を読んで気になった論文についてあれこれしゃべって盛り上がるみたいなことは、大学院生のころには研究室の中やいろいろあった研究会の中でできていた気がするし、いまはそういう場が身の回りになかったわけなので、やはりそういうおしゃべりができたというのは断然おもしろかったし、勉強にもなった。やはり論文というのは一人でぐちぐち見ていてもおもしろくないし、他の人がどう読んだというのをうかがうことで、やっぱりそうじゃんねえ、と意を強くすることもあったし、また、なるほどと気づくことも多かった。
そして、自分のことしかさしあたり判らないのでほかの人がどうなのかわからないのだけれど、いま、論文というものは、こういう読まれ方をどのぐらいしているのだろうか、と思う。やはり論文というものは、公開されたら、ちゃんと読まれて、面白いとかこれはだめだとかああだこうだ言われるのが幸せなわけで、それならやっぱりそういう「場」がなければ作らなくちゃねえ、と思うわけである。

通勤電車で読んでいた本は、なにかの拍子でこのところ本屋さんが本屋さんについて書いた本が続いて、その教訓はというと、本屋さんもたいへんだなあ、とまぁ月並みなものなわけだけれど、それでやはり本屋さんというところに足を運びたくなるわけなのだった。現実は本の中に存在するし、とりわけ、本屋さんに足を運んで本棚のあいだを歩いて、本棚から手に取った本、この本ならここにあるだろうとか、ここになければあそこにならあるだろうとか何件もはしごして手に入れた本の中に現実は存在するという気がする(検索してクリックして送られてきた本、というのは下宿にも研究室にも山と積まれているし、まぁしょうじきほとんどそればっかりなのだけれど、なんだかそうなると、飽和しすぎてもはやインターネット上の情報と違わなくなってしまうのだ)。夏休みというのは、だから、見失われている現実をとりもどす機会のはずなのだった。


 


8月30日。すこしすずしくなってきた。

この夏は、お盆休みの帰省で、実家ではずっとリオデジャネイロオリンピックをテレビで見ていた。なにしろ地球の反対側でやるというので、前評判では、今回のオリンピックは時間帯的にあまり見れないんじゃないか、などと言っていたのが、なんのなんの、NHKなどでは朝、目がさめたときからずっとオリンピック、ニュースそっちのけでオリンピックのダイジェストを流し、まずは午前中じゅうずっとオリンピック、昼過ぎまでオリンピック、それで少し高校野球、また夕方から晩にかけてニュースそっちのけでオリンピック、という繰り返しで、それでまたけっこうそれに見合うぐらい日本人選手の活躍などもあり、けっこうもりあがりながらずっと見ていた。それで毎晩れいによってビールと日本酒で乾杯乾杯、何ということもなく大きな鯛まで出てきて、塩焼きの肩口のところの厚い身をごろりとはずしていただいてはまたまた冷酒で乾杯、そういう日々を、まぁわりとのんびりめにすごすことができて、まずはよかったことである。
それで、またこちらに戻るときにはやはり帰省ラッシュにひっかかり、しかもまさにちょうどのタイミングのゲリラ豪雨のためにJR特急が一本、運休になり、なにがおこっているのか駅員さんに尋ねて目の前の電車に乗るべしとのことで飛び乗り、二本分の指定券をもった客が一本に詰め込まれるという事態、それでもまぁふしぎと無事に座っていられたので(まぁ何度か座席を移らされたけれど、まぁ途中徐行運転とかでずいぶん遅れはしたけれど)、まぁよかったものである。

まぁ下宿に戻ってみれば、また仕事などあれやこれやの日々であって、夏には学生さんの実習のご挨拶などもあったのだった。ひとつは帰省する途中で寄り、ひとつは近場で、もうひとつは月末、大型台風が日本に来るぞという日に、へたしたら台風に頭を突っ込みに行くようなことにならないかとはらはらしたけれど、まぁ台風の進路は微妙にずれて、まぁしかし当日の朝、見てみたら早朝の特急が一本、台風の影響の豪雨で運休になっていたりして予断を許さなかったのだけれど、まぁとりあえず出発してみたら、案ずるより産むが易しとの古人が言ったのはまさにこのこと、電車はすべるように進み、途中いくぶんか小雨のなかも通過しつつ、現地に到着したら爽やかな青空、入道雲、すばらしかった。それでまぁご挨拶をして学生の顔を見てから帰途について、これまたスイスイと電車は走り、また小雨の中を通過したかと思えば大きな虹がくっきりと浮かびまでして、よいきぶんで意外とあっさり帰れたものの下宿の最寄り駅に降り立ってみればうんざりするような雨、本降り、まぁともあれ、日本は広い、ということでもあり、遠隔の地でも日帰り出張できてしまうというわけでJRは早い、ということでもあり、まぁしかし遠隔地に日帰り出張をすると疲れ果てる、というのもあった。

まぁそうこうしているうちにすこしすずしくなってきたもので、そうこうしているうちに夏の終わりである。


 


9月30日。また授業期間がはじまった。

あっというまに9月もおわりである。小雨だとかぐずぐずした天気が続き、さすがに涼しくなってきた。また授業期間が始まり、二週目が過ぎてなんとなく生活のペースが見えてきたというのもある。秋学期は春学期より授業コマ上もタフになり、また、授業でかかわるイベントも複数あり、卒論も佳境に入り、なかなかたいへんそうではあるがまけずに極力のんびりといきたい。

夏の終わりに、去年と同じようなかんじで、所属してない某学会の大会が近所であったのを覗いたり、研究会があったり、そして教育社会学会が名古屋であったりしたのに参戦。
所属してない某学会は、去年も近場であったので初めて覗き、けっこうよかったので味をしめて今年も見に行ったのだけれど、今回はポスター発表なるものを見に行き、なかなかにしておもしろかった。教育社会学会にはないので、学会というのでは初めて見たのだけれど、発表する人にじかに話を聞けたり、質問できたり感想が言えたりして、これふつうの学会発表を聞くより楽しいぞと。そのあと、ワークショップというのを見に行き、言語学系の学会なのに教育社会学の方が発表されているのを見たのだけれど、これはワークショップなんだけどあまり意見交換的なことにくわわらず黙って見ていたかんじだった。個々の方のご発表というより全体のテーマが、たぶん自分的にフィットしなかったかも。仮に何か言おうとすると、ぜんぜんその場にあわないことをいうしかないような気もして、まぁ他の方がいろいろたくさん喋っておられたのでおとなしくしていた。
研究会すなわち「教育・文化研究会」は、今回も盛況で、新しくご参加の方や飛び入り参加の方も含め、また参加人数が増えたりして、ご発表も面白く、ひじょうにいい手ごたえ感を感じた。次回はまた3ヵ月後ぐらいをめどに、つまり、年末かそこらだと思う。発表者は未定。参加者は随時募集です。
でもって教育社会学会、今年は名古屋で、そうなると日帰りというプラン。ほんとうは朝イチから参加するつもりだったのだけれど、やはり案の定、ぐずぐずしているうちに少し遅れ、まぁ途中からはあわてるつもりも消えて、午前の部会の後半ぐらいから参戦。昼休みには稲垣先生や竹内先生にもご挨拶でき、それから午後の部会では秋葉さん司会の部会の部屋に早めに行って秋葉さんともひさびさに少し喋れて、それでそのあと夕方の部会で司会をやったのだけれど、これはご発表のベクトルがうまく合って、すごく噛み合うはずの、しかもバトルが起こるはずの顔合わせになっていて、司会的にはぜひそのバトルが見たくてご発表の先生方にも時間厳守をお願いし、先生方もきちんと発表時間を守ってくださって − いやはや、教育社会学会ですべての発表者の方々がきちんと発表時間を厳守して一分の遅れもなく進んだ部会など、自分はいままで経験したことなかった − ところがそれなのに、肝心の総括討論の司会の切り回しが失敗して、うまくバトルが成立しなかったばかりか、ここに質疑が集中するだろうと予測していた調査研究のご発表に意外にも総括討論のときの質問がないまま時間が来てしまい(たぶんきっちりした調査で逆に質問を誘発しにくかったのかもしれないとあとでは思う。だからそのために司会というのがいるはずなのに、あたふたして何もしなかったのである)、司会のせいでご迷惑をおかけすることになってしまった。それで、どうにもうなだれながら会場を去り、ものすごい勢いで肩を落としため息をつきよろめきながら電車に乗り新幹線に乗り、また電車に乗り換えたあたりでなぜか部活遠征合宿帰りの学生にばったり出くわしたりしつつ、わけもわからずよろよろと帰宅。一週間ぐらいは夜寝るときも思い出してはうなされた。後日、その調査研究が『教育新聞』で紹介されていて − 記事による要約のしかたは発表のポイントを外しているように感じるけれど − 少し気持ちがおさまった。

いつも繰り返し思って、ここにもたぶん何度も繰言のように書いているのだけれど、学会発表20分質疑5分に総括討論が、そう、今年はついに20分で、それはないでしょうというかんじではあったのだ。これではディスカッションも何もできない、ただ発表しましたという形ばかりのための発表の機会にしかならないんじゃないか。今回も、いくつかの発表を聞き、いくつかの発表については質問というか感想を言いたかったし、というか「問いの立て方がそもそも違うんじゃないでしょうか」と疑問に思ったのもいくつかあって、まぁしかしそういう議論は、発表20分質疑5分総括討論20分の枠組みの場ではそもそも成立しない。帰宅してぐちぐちとあれこれ考えつつ、ツイッターで若い人が「懇親会なんて参加費も高いし無理」みたいなことを言っているのを見かけると、そうだ、懇親会の2時間をうちの部会にくれたら、総括討論を2時間20分できたら、うちの部会のバトルも多少なりともできただろうし、ていうかそれならついでに、せっかく全国から研究者が集まっているのだから夜に飲みに行ったりするのもなくして、どこか体育館かなにかを借り切って、オールナイトのポスターセッション&参加フリーの発表の反省会をやったらさぞや楽しいことだろうと夢想した。

夏が終わって授業が始まると、ふしぎなもので、研究者のような気分でいたついこのあいだまでの日々がどこか遠くの夢のできごとのようである。


 


11月23日。日々というのは過ぎるね。あっというまじゃないか、あっというま。

あっというまに日々は過ぎる。このまえここに何か書いていたのが秋学期の始まったころで、そのころはまだ夏が終わったばかりで、夏フェスならぬ学会の参戦記など書いていたのだけれど、最後に、授業が始まって研究者気分がどこか遠くの夢のようだなどと書いていて、それでふっと記憶が途切れて、今に至る、というのもたいがいなはなしだ。
まぁ、今年は夏から秋をすっ飛ばして冬が来た、などと言われもして、まぁそれはたんに東京が急に寒くなったからというだけの、まぁいつもながらうんざりの視野狭窄なメディアの言っていることではあれど、まぁ確かにクーラーをつけていた日々からものの一週間で暖房をつけ始めたわけで、会う人ごとに「急に寒くなりましたねえ、体調くずしますねえ」と言ってたような記憶も、いま卒然と想起された、そうか、今年はそういう気候だったのである。

そう、思い出されてきたのは、この秋に、お世話になった先生、近しい方の訃報に相次いで接して気持ちが沈んでいたことや、それをめぐるあれこれ、それと連動して、まぁいつものように胃が痛くなって1ヶ月ばかり薬を飲んでいたこと、等々。そういう日々でもあった。

そして、まぁ例年のことだけれどロラン・バルトの、高野文子の、ミヒャエル・エンデの、誕生日というのがこの時期で、Wikipediaによればさらにロダンの、グレース・ケリーの、サッカーの清武と平祐奈の誕生日でもあることがわかるのだけれど、まぁ小さな声で言うと私も誕生日ということで、まぁまたひとつ齢をとったわけである。週末に当たったその日は、2回生の諸君が授業でコースイベントを企画運営したという、市のウォーキングイベントが開催されて、朝5時に目覚ましに叩き起こされ、朝っぱらから夕方近くまで会場をあたふたと歩き回り(いや、朝は文字通り走り回っていたな。二十歳の学生といっしょにダッシュするのはきつい)、その一方でじつは学外の会議が同日にバッティングしていてそれを泣く泣く欠席しつつ、いつ電話がかかってきてもいいように携帯電話を首に下げ、資料一式をガッツリと鞄の中に入れて斜め掛けにした格好でばたばたしていたので、夜に帰宅したときにはすっかり疲労困憊していたものだった。
その前日に、どうしたものか、不意に「今日で40代がさいごかぁ」という感慨が胸を衝き、まぁしかしイベント前日ということで学生諸君ののんびりとした会場準備に付き合って、帰宅がすっかり夜遅くになり、40代最後の日的な感慨もさほどそれ以上の発展をみせないままに日付が変わり、翌日がとにかく朝早いので眠るしかなかったわけで、そして当日もそういうわけでばたばたとして帰宅したら疲労困憊していたわけで、さいわいその翌日が日曜日だったので終日ぐったりとしていた。まぁそういうぐあいで50歳代になったわけである。毎日計る体組成計の表示が50才となった、というのが目に見えた変化ではある。

なにかぱあっと楽しい買い物でもして、と思いつつ、まぁそんなぱあっと楽しい買い物などするはずもなく、結局通販でCDなど買うぐらい。そうそう、少し前にはビートルズの後期のアルバムを買い揃えて(ようやくCDでアルバムが揃った)、ウォークマンに入れて通勤電車で『イエロー・サブマリン』『ホワイトアルバム』を繰り返し聴いていたし、このところはピチカートファイヴを棚からひっぱり出してPCに入れて、そればかり何度も何度も繰り返し聴いている。
そう、それでぼんやりと思っていたのが、しかし、自分は今世紀に入ってからの音楽ってほんとにほとんど要らないなあということで、たぶんほとんど要らない。たとえば、「アーティスト10人だけ残してそれ以外の2000年以降の楽曲は全部消滅しないといけない」となってもほとんど困らないと思う。それでぼんやりと、箱舟に乗せるべき10人を思い浮かべたりしていた。小島麻由美、松田マヨには残ってもらうとして、小山田先生も『Point』1枚のために残ってもらわねばだし、プリンス殿下には当然残ってもらうとして、・・・とここで既に詰まるわけで、奥田民生も『股旅』ぐらいまででいいや、Puffyさんも『Fever*Fever』まで入ればほとんどいいけど「海へと」(2000)1曲のために残ってもらうかどうか、いや2000年はまだ前世紀だからいいのか?などと考えていると、なんだかやはり10人も要らないのかなあという気がしてくる。
ピチカート・ファイヴのCD、PCに入れたおかげでレアトラック集の『great white wonder』というのをよく聴くようになり、「3月生まれ」「キャット・ウォーク」「Me,Japanese Boy」あたりをとっかかりにして繰り返し聴き、その勢いでいままでスルー気味だったアルバム『ロマンティーク'96』も聴きなおしたりして、まぁすっかり「90年代さいこうじゃないか!」という気分である。スゥイートでハッピーでラッキーでキャッチーな世の中が来るのかと思っていたら、このていたらくなのだ。やれやれ。

日々というのはあっというまに過ぎる、というのがこのおはなしの結論である。

 

 


12月29日。年末 / めがね。

そういうわけで今年も年末。まぁこうやってぶじに年越しをできるのであるからありがたいはなしである。今年はまだ雪を見かけない(市内では少し前に降ったとかニュースでやってたみたいだけれど)。年末感もなんとなく薄いけれど、年末感の薄さそのものにおどろかなくなってきた。まぁ、ひきこもってるからというのもある。年明けに締め切りのちょっとした作文の宿題がある、というのも、気持ち的な中途半端感の原因のひとつではあるだろう。

先月末に、下宿のインターネット接続をイーモバからWiMAXに変えた。というのも、イーモバ(とはもうそもそも呼ばないんか)のサービスが終了するということで、乗り換えないといけないということに気がついたから。で、適当にプロバイダの乗り換え広告に従ってWiMAXに。適当に手続きしたらあっさり届き、適当に設定したらあっさりつながった。あっけないものである。
それで、便利になったかと言うと、まぁ便利になったということなのだろう。下宿の勉強部屋のデスクトップと、リビングにおいてあるノートと、あとタブレットとかが、いちどにインターネット接続するようになった。もちろんいまどき当たり前のことなのだけれど。まぁしかし、困ったと言えば困ったことなのは、いままで以上にだらだらとインターネットを覗くようになったことじゃないかなと思う。あとまぁ地味にいまいちなかんじがするのは、ルーターはバッテリーで動くようになってるのだけれど、そうするとわたくしのように特にモバイル用途でなく置きっぱなしのつなぎっぱなしで使うばあいは、いつも充電状態になってるということで、バッテリーに悪かったりおかしくなったりしないかしら、ということで、いまのところなんとなくそのへんを気にしながら使ってるのはめんどくさいことである。まぁそのへんは、使い方に慣れていけばいいのだろうけれど。

そしてしかし、この半月ばかりの最大のニュースというのは、眼科に行ったことだろう。いやまぁ、このところ目が悪くなったなあと感じることが多くて、まぁたぶん年齢相応ということもあるだろうしパソコンばっか見てるからだということもあるだろうし、まぁそのへんはもう文句を言うつもりもないのだけれど、しかし何かややこしい病気だといやだなという気持ちもあったわけである。それでさしあたり学生諸君の卒論草稿など見ていても集中力が出てこないことがあったりして − それはこっちの目のせいなのか、草稿のせいなのかはわかりようがないけれど、まぁ教育者としてはあくまでこっちの目のせいであるとする − といったような同業者ぼやきジョークをまじえつつ − しかしそれも困るわけなので、以前買ったままになっていた「パソコン画面のブルーライトを軽減するメガネ」というのをひっぱり出して、卒論終盤にはそれをかけてやっていた。まぁ、人生初メガネといってよかろう。目への効果があったかどうかはよくわからないけれど。
でまぁそのほかに、「レンジで暖めて小豆の力で目のまわりを暖めてリラックスするやつ」とかを買ってみたり(これはとりあえず気持ちはいい。寝るときにリラックスできる)、まぁ、目薬をさしてみたりしてみたけれど、まぁ、やはり根本的な解決としては医者に行くべしというわけである。で、近所の眼科を探して、学校帰りの夜の診療時間に行ってみた。眼科というのも人生のなかでたぶん小学生のときに行ったことがあったかどうかぐらいなので様子がわからなかったのだけれど、まぁ結論としてはなんでもなかったんでよかったわけである。いくつかの機械を覗き込んで検査のようなことをやったり、視力検査をしたり、医者に目のなかを覗かれたり、まぁそういう一連のあれこれの結果、まぁとくにややこしそうなことはなかったようだ。で、視力もいちおう1.0ぐらい(がんばれば)見えているということで(ふつうにがんばってない状態だともう少し悪くてこのぐらいでしょう、とは言われて、なるほどそれはそんなもんかと納得)、まぁ医者にも近くも遠くもどっちも中途半端な視力だと言われた(納得)。眼鏡を作るかどうか、という話にもなり、まぁそのつもりでいたのでハイハイどうぞお願いしますという勢いではあったのだけれど、いざそのつもりでいろいろレンズを試して視力検査をやっているうちに、まぁしかし見えてるしねえ・・・という雲行きになってきて、近くと遠くとどっちが困っていますかぁ、と訊かれても、まぁいまのところさほど・・・という煮え切らない答えをする始末で、医者も、中途半端に見えてるからなあ・・・と中途半端をしきりに強調し、まぁ何かこちらもすみませんという気持ちになりつつ、えーとそうすると眼鏡はどうなりますでしょうか、というかんじでお伺いを立てると、でも生活してて切実に困ってないんだったら眼鏡を作っても使わなくなるでしょう?という言葉を賜りグーの音も出ない。まぁ、ありがたく疲れ目の目薬だけもらって帰ってきたという一幕なわけだった。しかし、ややこしい病気ではなさそうだったのがなによりで、すっかり晴やかな気持ちである。名医だ。
まぁそういうわけで、遅まきながらの眼鏡男子デビューは未遂に終わったが、とりあえずはパソコン用メガネをせっせとつけて、せいぜい目をいたわることにすべしである。

そういうわけでぶじ今年も暮れて、一年を振り返ってみると、そうそう、去年の年末、たしか帰省しているときに某仕事のお話のメールをいただき、その役目をおひきうけして一年目がぶじ終了、というのが最大のトピックじゃないかなと思う。自分につとまるかしらと思いつつ、得がたい経験の機会でもあるし、勉強のつもりでなんとかがんばっているというかんじか。
そして、「教育・文化研究会」。2年目に入り、名前も無事決まり、メーリングリストとウェブサイトも作って、スピンオフ企画「学会誌を読む会」も含め、上手く回りそう&手ごたえが出てきた感じがする。次回は3月に開催の見通し、それと「学会誌を読む会」のほうも年明けには日程調整して早めにやりたいし、たぶん(たとえばweb上で補助的なやり取りの場を作る、等の)何かもう一工夫の仕掛けをつくるといい気もして、そのへんもうまくいくと面白くなりそう。
あとまぁ、今年のもうひとつのふりかえりはやはりFitbitの導入で、3月からずっとログをとって、睡眠時間とか消費カロリーとかをだいたいつかめるようになった。それでとりあえずなるべく睡眠をとるようにしたのはプラスの点であり、また、それなりに運動せねばと意識するようになったのもまぁプラス、それでもって、歩きすぎたことで膝が痛くなったりしたのはまぁマイナスっていうか、要するに、無理がきかなくなってきたことを自覚すべしという悟りに到達したのではあった。
それはまぁ、メガネの件についてもそうであるように、歳相応、ということであって、それはまぁそういう種類の悟りに到達したのであれば、おおむね結構なことなのだった。そのようにして、まぁおおむね無事に年末が迎えられ、年越しができるのであれば、なにより結構なことではないでしょうか。
ま、そういうわけでみなさまよいおとしを。