更 新 メ モ 過 去 ロ グ
(2016/1/1 - 2016/6/30)


最終更新箇所へ / 表紙へ戻る

アーカイヴ (2002/8-12) / (2003/1-6) / (2003/7-12) / (2004/1-6) / (2004/7-12) / (2005/1-6) / (2005/7-12) / (2006/1-6) / (2006/7-12) / (2007/1-6) / (2007/7-12) / (2008/1-6) / (2008/7-12) / (2009/1-6) / (2009/7-12) / (2010/1-6) / (2010/7-12) / (2011/1-6) / (2011/7-12) / (2012/1-6) / (2012/7-12) / (2013/1-6) / (2013/7-12) / (2014/1-6) / (2014/7-12) / (2015/1-6) / (2015/7-12)












 


1月30日。いつもながらに一月は行く。

おだやかな年末年始は実家で過ごし、まぁお土産物的には原点に回帰して五色豆とか八ツ橋とか買って帰ったのでそんなのをぽつぽつと食べながら、また、乗換駅で買った日本酒の飲み比べセットみたいのを飲み比べては「なるほど違うねえ」などとそういうかんじの晩酌を毎晩しつつ、このたびはブリのいいのがなくて鰆のいいのをいただいたり、お正月には鯛をいただいたり、鶏のぱりぱり焼き?を念頭にレシピを見て作っているうちになぜかおいしいチキン南蛮的なものができあがったのでおいしくいただいたり、そんなこんなしつつテレビではとにかくちょっと前の朝ドラマの総集編ばかりやっていてそれをだらだら見たり、年が明けると昼間は駅伝とか高校サッカーとか?見たり、録画してあったタモリの出雲大社の歩くやつを見たり、晩になるとまたタモリが大河ドラマの舞台を歩いたりするのを見て、またお正月ドラマをあれこれ見ていた中では二宮君の『坊っちゃん』がちょっとよくて(下宿に戻ってから見た、録画してあった年末ドラマ『赤めだか』もよかったのでこの年末年始は二宮君がんばった)、しかし実は『吉原裏同心』の総集編再放送と特番あたりがベタにいちばん楽しく見れたりしつつ、木皿泉のドラマは意外ともひとつで、まぁしかしいずれにせよだらだらとそういうのんびりしたドラマなど見て過ごしたわけなのでひとまずはよいお正月だったわけである。心残りはといえば、帰省中にやろうと思っていた、実家で新しく買ったブルーレイディスクレコーダーをテレビにきれいに接続するというタスクがぜんぜんできなかったことで、なんかLANで接続せよ(ハブをかませ)みたいな話になっていて、ちょっと想定外だったんで、次に帰省するときの宿題になったというのがある。なんか、これまでテレビのほう(のハードディスク)に録画していたものをブルーレイに焼くという単純なことが、なぜこんなにやりにくいのかと腹を立て、ついでに、ブルーレイディスクレコーダーの画面上のユーザーインターフェースがちょっとずつ不親切なのにも腹を立て(使い方を帰省中にきっちりレクチャーしようと思っていたのに、いまいちすっきりいかなかった感がある。基本的には、画面上にすべての操作情報が出ていれば、落ち着いてそれを見ながら操作すべし、で済むはずなのだけれど、ところどころそうなってないのだ)、なんかそのへんはいまいちうまくいかなかったのだけれど、まぁ次に帰省したときに挽回すべしである。

でまぁ下宿に戻ってみればせちがらい浮世、休み明けの会議と学期末の授業をばたばたとやり、センター試験の業務を粛々とやり、定期試験の監督をやって、みたいな仕事が流れ作業のようにやってきてはそれをこなし、あれやこれやのうちに今に至る。
下宿のリビングに折りたたみの小さなテーブルを買い、バランスボールを椅子代わりにして勉強するとなんとなくはかどるような気になり、それはよい買い物をしたと思う。

などなど気楽なようなことをいいつつ、いつもながらに一月は行く。早いものだなと思うけれど、それはそれ。じつは年末に、おもしろそうな役をやらないかとお話をいただいて、さっそくその仕事が始まりもして、2月には締め切りがあれこれあったりもして、なんだかあわただしくしているうちに時は過ぎ行くのである。


 


2月25日。前に進むことだけがすばらしいわけではない、あるいは二月は逃げる。

まぁ例年のことだが二月は締切りの月としたもんである。そしてそのことがあまりにはっきりと認識されているために、一月は締切りの月ではない、という認識もまたはっきりと意識されて過ごす毎年であるために、まぁ先月はじゃっかん枕を高くしてのうのうと過ごした気味はあり、まぁところがさて一月末から二月頭にかけてはこれまた例年のことだが卒論口頭試問だの発表会だのがあり、試験の採点があり、入試があり、また春休み期間を当て込んだ学内研修会が入り学外の会議が入り、あれよあれよと日々を過ごしているうちに二月の前半は気がついたら終わっていて、まぁ呆然とするというところまでが風物詩となっていて、これがうまく五文字におさまれば俳句の季語にもなるだろう。

ともあれまぁ粛々と、手元に集めていた材料やぼんやりと構想していたアイディアを形にするというような作業をやるのがこの時期で、まぁなんとなく締切りまでにそれなりのものを提出できそうな目処が立つようになったのだから、立派なものである。以前はもう少し切羽詰っていたのがいちおう締切り前に目処を立てて作業を進めるようになってきたのだから、人間は経験によって成長するものだともいえる。もっとも、昔は文豪のごとく集中して夜中から朝まで書いたり、まぁそのかわりに昼まで寝ていたり、散歩に出かけて何時間もうろうろ歩き回ったり、ビデオで映画を何本も何本も見たり、でまた夜中から朝まで集中して、とか、そういうことをしていたわけで、そんな昼夜逆転の文豪生活は、現在の細切れのスケジュールのなかでは夢のまた夢である。

三寒四温とか言いつつまだ寒い日は寒いし今更になって雪がちらちらして驚いたり、逆に暖かくなるとこんどは花粉が飛び始めたらしく目がしぱしぱしてきて、どうも常にもまして外出が億劫になり、またそうなると生活に変化を与えると称して何かを口に放り込んだり(まぁたとえば歯の間で適度に砕けてカリポリと音がしたり甘かったりしょっぱかったりコンソメ風味やホットチリ風味がしたりそういうたぐいのもの)、まぁそうして部屋の中でばかり過ごしていると、まぁ、太るであろうと。これもまぁ毎年の繰り返しであるので、今年は一計を案じて、通販でもってトレッドミルというやつを買った。ランニングマシンというか、まぁウォーキングを室内でやっちゃおうという作戦である。で、届いてみたら思ったより大きくて設置したら存在感大なのだけれど、なるほどこれがトレッドミルかという感じ。でまぁ集合住宅なもんだから、下の階に足音がしないように台の下に発泡スチロールや段ボールなどかませて、しかもなるべく音がしないように抜き足差し足で歩いている。それで果たして効果があるのかはよくわからないけれど、まぁ少なくとも引きこもっている生活の中でいえば体を動かしているような気にはなるわけである。また、やってみてふうんと思ったのは、エアロバイク(これはすでに持ってる)とトレッドミルではエアロバイクのほうが時間当たりのカロリー消費は多いようで、トレッドミルのほうだと歩いても歩いても液晶の表示の消費カロリーの数字が一向にあがらない。まぁ抜き足差し足だからってのもあるけれど、しかし購入してからいろいろWebで調べたかんじでも、どうやらそのようであるし、まぁ実感としても納得できる。じゃあエアロバイクをすでに持ってるんだからそれでよかったじゃないか、というと、やっぱりそうでもないのはつまり、いまげんにエアロバイクをあんまし使ってないというところにあらわれているんではないかしらとも思うわけである。きついとやらないもんね。ていうか、こういうのを室内でやるのはやはりたいくつなわけで、たいくつさときつさと運動効果との按配で、エアロバイクのほうがハードルがじゃっかん高くてトレッドミルのほうがハードルがじゃっかん低いということは、まぁ怠惰な人間基準でいうと、あるみたいである。トレッドミルというのは、いったん乗ってしまうと、歩かないわけにはいかないっていうか歩かないと後ろのほうに流されていってしまうので、やはり自分が後ろのほうに流されていってしまったら、困る。困っているわけにもいかないので必然的に歩くだろう。しかるにエアロバイクだと、「漕ぐぞ」と思わないと漕がないし漕いだらきついだろうなと思うし、考えてみれば漕がなくても困らないんじゃないかなと思うので、じゃあまぁ漕がなくてもいいんじゃないかな、というふうになるわけである。ここに大きな違いがあると思うんですがどうでしょうか。
ともあれそうしてこのところ、思い出したようにトレッドミルに乗って歩いてみたり、そうこうしているうちにじつにひさしぶりにエアロバイクに乗ってみて「こっちのほうが能率がいいんじゃないか・・・」と再評価してみたり、まぁしかしいずれにせよさほどの運動にはならないわけだけれど、ともあれ怠惰な引きこもり生活の中にいくぶんかの運動的要素と、まぁこういってよければ疾走感、といったものを加味しているわけである。

まぁ、ちゃらっぽこはさておいて、いまだに名称未定の研究会が4回目を迎える。

「第四回研究会」

日 時: 3/10(木)13:00〜
会 場: 関西大学
発表者:
井上慧真(京都大学大学院)
 「『移行の危機』にある若者への支援の形成と変容―社会関係資本の観点から―」
石飛和彦(天理大学)
 「「見ること」のエスノグラフィー」

というわけで、今回はまた自分が発表をやらせていただくことにあいなった。いま現在じぶんがおもしろいと思っている、エスノメソドロジー系のワークプレイス研究で何か、と思いつつ手を挙げたのだけれど、参加される皆さんの関心に合うような湯加減はどのくらいだろうかと思いつつである。
ともあれ、たのしみなことである。


 


3月29日。ばたばたしながら三月は去る。

そういうわけでもう月末である。はやいなあ。しかしこの春休みは、2月の締切りのものをまずまず提出して、今年はひさびさに研究室紀要に論文も書いたし、3月には公開講座と研究会と学内シンポの登壇者というのをやったし、新しく始まった某お仕事というのの第一回もなんとか無事につとめ、まずは自分としてはずいぶんめずらしく働いた気がする。おつかれさま。

それでまぁ、ほねやすめというか、この春休みもちらっと帰省して、数日のんびりすごすことができたのもよかった。ふきのとう味噌や天ぷら、たけのこなんかをいただいて春らしい気分になった。それで、どうも正月に帰省したときにうまくいかなかった、「ブルーレイレコーダーをLANでテレビにつなぐ」というののリベンジをしようというのがひとつの目的で、どうやらルーターなるものが入用だということだったので某お仕事に行く途中でルネで安いのを購入しておいたのを使ったら、よくわからないけれどうまくいった。それで、「テレビにつないであったハードディスクのほうに録画されていた番組を、ブルーレイレコーダーのほうにダビングして、ブルーレイディスクに保存する」というのができるようになって、まぁ永年の懸案が解決してまずはよかった。その他、実家のトレッドミルが動かなくなっているというのを動くように(?)したり、留守番電話機の機能をしらべて使いたかったという機能がちゃんと使えるということを突き止めて説明したり、なんかこのたびの帰省は非常に生産的だったというか、弘法大師のごとくにさまざまなものに善を為してきたので満足である。

それで、帰省のもうひとつの目的であったのが、正月になにかの景品で実家に山ほど届いたコーヒー豆というのを一袋おすそわけでもらって帰って、それで勢いをつけて下宿にコーヒーミルを買って豆を挽いてコーヒーを入れる習慣というのをはじめようということだった。で、下宿の近くの店をはしごしつつ、手動と電動のコーヒーミルを買ってきて、とりあえず基本の手動のやつでごりごりやってみたら、けっこううまくいった。まぁ、新学期が始まってしまえばそんな心の余裕もなくなってしまうかもだけれど、まぁ、これも春休みの成果ということで。

卒業式があり、学生諸君が卒業していってしまい、しかしじきに新学期になれば新入生が入ってくることになる。感慨にふけったり、しかしそんなまもなくあわただしくなる三月、といったところ。

そうそう、研究会は無事、第4回を開催し、つまり、1年がたったというわけなのだった。思えば1年前、雨の関大キャンパスに山本先生を訪れて打ち合わせをしてから、これまたあっというまだったけれど、まず順調に立ち上がったのでなによりである。それで、名前が未定なのもあれだろうということで、ようやく名前が決まった。教育社会学とか文化社会学とかの人たちがはじめた研究会なので、「教育・文化研究会」。まぁ、ベタではあるわけだけれど、あまりごちゃごちゃと内容を限定してないところがミソと思う。でもって、名前が決まったのとともに、メーリングリストもたちあげて、また、研究会の記録や告知のためのウェブサイトも作りつつある。まぁ、まだまだようすをみつつではあるものの、これからがいよいよたのしみというかんじになってきた。
次回は6月ごろを予定している。


 


5月8日。健康は足から、あるいは禍福は糾える縄の如し、ないし人間万事塞翁が馬。

世間ではゴールデンウィークというのがあり、今年は日の並びがいいので有休をうまく取れば10連休!などと世間では言い、しかし文部科学省のせいで全国の大学では祝日が授業日となるのであれば大学界隈ではむしろ今年のゴールデンウィークはほとんど連休感がないのだ、などという話もあり、そしてまたしかし自分に関してはちょうど授業のない曜日がうまく組み合わさってやはりそれなりにゴールデンウィークだった、といういわく説明しがたい状況があって、まぁ、結局のところゴールデンウィークだった。おおかた天気にも恵まれて、買いたい本などあって街中の書店に行ってみたり、ついでに中古レコード屋 − 学生の頃に近所に支店があって、しかしいちど店をたたんだらしい中古レコード屋が復活、というか、場所を変えて屋号が同じで違う店主らしいのだけれど − ともあれ懐かしく思われてついつい探して覗いてみたり、ついでに広い公園めいたところのベンチで買った本を広げて読んでみたり、また別の日には毎年恒例の古本まつりに行き会場の隅から隅まで棚を検分して歩いてみたり、まぁなんやかんや連休らしきこともしたわけなのだけれど、そういった話には前段がある。

3月の末に、以前よりなんとなく気になってた活動量計というのを購入。Fitbitという、腕時計型の、まぁ要するに万歩計と心拍計が組み合わさったもので、24時間身につけているとデータが細かく取られて、それがクラウド上の専用画面でグラフ化されるという寸法。それが、歩数だけでなく、心拍数と組み合わさって「消費カロリー」も算出、グラフ化されるし、なにより面白いのが、眠るとちゃんと睡眠が感知されて、しかも寝返りとか心拍数とかで「眠りの浅さ・深さ」も感知されて、朝になると、睡眠時間と睡眠の効率、いつが眠りが浅かったとかなんとか、算出、グラフ化されるんで、しかもそれが体感とだいたい合ってて、ちょっと信用できるかんじがあるわけである。それで、以来、1ヶ月というもの、常に腕に装着して日々を暮らし、グラフを見ては自分の活動量と睡眠時間を見える化しているわけである。それでどうなったのか、という話である。
どうなったかというと、やはりFitbitの提示する一日の目標値、1万歩あるくこと、2380カロリー消費すること、が気になるようになった。1万歩のほうは、普通に仕事の行き帰りに下宿と駅の間(15分ぐらい)、駅と学校の間(20分ぐらい)を歩けば、あとはふつうに過ごしていればなんとなく達成する(グラフを見ると、朝、出勤するときはやはり速足らしく消費カロリーが大きいし、帰りはなんとなく消費カロリーが落ちるのはやはりとぼとぼと歩いているからだろうことがわかる、そんなかんじでけっこうリアリティのあるグラフが出てくるのでおもしろい)。2380カロリーのほうは、もう一声なにか活動しなくてはなかんじだけれど、まぁ普通に仕事をしていれば、授業をしたり廊下を歩き回ったりしているうちになんとなくつじつまは合うようだ。それはそれでいいのだけれど、問題は休日とかで、これは放っておいたら引きこもって過ごすわけで、そうなるともう、なんら活動していない状態がグラフによって見える化されるわけで、これは精神によろしくないような気がする。そこでむりやり散歩に出かけて用もないのにぐるぐると近所を回って帰ってくるようなことにもなる。さてそうするとどうなるか、という話になってくるだろう。まぁ良いニュースといまいちなニュースがあるがさてどちらから聞きたいでしょうか。
まぁ、じつは3月末ごろから同時にやってたのが、肉類を控えるというので、まぁそれも併せて、1キロぐらい体重が減り、体組成計(というのも毎日はかってるのだけれど)の数字もよくなってきて、しめしめと思っていた、というのが良いニュース。それでゴールデンウィークなどは活動的にいろいろ歩き回った、というのも良いニュースとしたもんである。さてしかし、そんなことをしているうちに、何時間も歩いた日のあと、じゃっかん膝が痛くなってきた。それで、インターネットでいろいろ見てみたら、やはり歩きすぎで膝が痛くなったときは、みたいなのもいろいろ出てくるわけで、世の中だいたい似たような人というのはいるものなわけだけれど、ともあれ2日ぐらい休めろ、と書いてある。まぁそうですね。というわけで、じつはゴールデンウィークの後半はどっちかというと膝痛で静養、みたいな時期でいまいち気勢は上がらなかった、という、まぁ最終的にはいまいちなニュースに到達するわけだった。
まぁ、ともあれ、買って来た本を読んだり、つんどく状態のDVDで映画を見たり、じつはそっちのほうが全くはかどっていないので、多少、そういうこともできたという意味はあるだろう。このたびの古本まつりでは、いろいろ見た挙句、雑誌のバックナンバーを2冊、『ユリイカ』のナボコフ特集と『GS』の戦争機械特集というのを買ったので、それをぱらぱらと読んだりして、とくに『ユリイカ』ナボコフ特集のほうはけっこう読んで面白かった(『GS』のほうは、丹生谷貴志の文章と、あとはパラパラと)。また、古本まつりでもう一つ、CDのボックスセットが安く出ていたので、エヴァンスのヴィレッジ・ヴァンガードのコンプリートボックスを持ってなかったのを買って、それは、今、聴きながら書いてる。

禍福は糾える縄の如し、ないし人間万事塞翁が馬。まぁいろいろなことがおこり、そして人生は続く、といった次第である。



 


6月28日。このところなにをやっていたのか。

このまえここに書いていたのがゴールデンウイークのおわりで、気がつけば一月半以上経っている。そのあいだになにもなかったわけでもなくて、例年のごとくに合宿があったり、学会の用事で東京出張があったり、学生さんの教育実習の授業参観があったり、それから「教育・文化研究会」の第五回を無事開催したり、まぁなんやかんやあった。さはさりとても、おおまかには春学期の授業の山場だったわけで、日々が概ね通常営業のうちに過ぎていくというのが基調になっていて、そうすると犬の如く働き丸太の如く眠る日々を送るというわけで、気がつけば月末になっているというわけである。

まぁ、月がかわれば、春学期のおわりも見えてくるし、春学期の授業期間が終われば、気も変わろうというものである。どうにかこうにか梅雨をしのいでいきたいと思う今日この頃である。