最終更新箇所へ / 表紙へ戻る アーカイヴ (2002/8-12) / (2003/1-6) / (2003/7-12) / (2004/1-6) / (2004/7-12) / (2005/1-6) / (2005/7-12) / (2006/1-6) / (2006/7-12) / (2007/1-6) / (2007/7-12) / (2008/1-6) / (2008/7-12) / (2009/1-6) / (2009/7-12) / (2010/1-6) / (2010/7-12) / (2011/1-6) / (2011/7-12) / (2012/1-6) / (2012/7-12) / (2013/1-6) / (2013/7-12) / (2014/1-6) / (2014/7-12) / (2015/1-6) / (2015/7-12) / (2016/1-6) / (2016/7-12) / (2017/1-6) / (2017/7-12) / (2018/1-6) / (2018/7-12) / (2019/1-6) / (2019/7-12) |
1月21日。ことしもよい年になりますように。/ 私小説 / 歯をほめられた。 さて、センター試験もぶじにおわり(今年が最後だとか言っていましたね。NHKのニュースでは恒例の受験生インタビュー、東北のどこかの受験生さんが、「令和最初の、そして最後のセンター試験ということで、がんばろうと思います」とか緊張しながら言ってたけれど、がんばれたかな…)、まぁ、お正月気分もいくらなんでも抜けたであろう。今年は暖冬で、まだ雪らしい雪の姿を見ていない。このまま春までいくんじゃなかろうか、まぁそれはそれで自分としては、寒くないのはありがたいとする。 * そういうわけで年末年始は例によってゆっくりと実家で過ごした。まぁ、このたびは多少は散歩に出かけたりついでにお使いをしてきたり、実家の近くの100均が悪くないとか偵察できたり、まぁ多少、家から出ることもあったのは進歩といえば進歩である。何日か逗留するのに、ちょっと散歩で歩くぐらいの範囲の土地勘をちょっと取り戻したというか、三十数年前とのギャップを埋めつつ、距離感をあらためてつかむかんじ。実家のまわりと今の下宿のまわりとでは町のサイズ感が違う。意外に歩けるな、というかんじ。 お正月には、父親の祝いで大きな鯛を焼くべしということになっていて、ところがその大きな鯛が、なんか台所のコンロに入らないぐらい大きな鯛だったということで、バーベキューのコンロがあったはずなのでそれで焼くべしということになった。実家にバーベキューコンロなどという陽イオンあふれるブツがあったことにも驚いたが、それで鯛を焼く役が回ってきたのにも驚いた。まぁ実際には、姉一家、甥っ子姪っ子といっしょにみんなでワイワイ焼いてよ、というご下命なのだが、まぁ一応、どっちかというとホスト側の役回りになるのではなかろうかということで、事前にスマホで「バーベキュー 着火剤 ない 新聞紙」とか「バーベキュー 鯛 塩焼き」とか、泥縄的に検索してイメージトレーニングを怠りなく、当日を迎える。新年の二日から、車庫の中から盛大に白煙を上げて、ご近所からはどう思われたことだろうかしらというのもあるけれど、ともあれ、結論としてはひじょうに上手く焼けたので、まぁ人間為せば成ると自信を持つべきである。あとスマホは便利だなと痛感した。 まぁそんなこんなしつつ、しかしまぁ例によって食っちゃ寝ーの暮らしをさせてもらって、なんかこう、そうやって実家で食っちゃ寝ーの暮らしをしているのが本当の自分であるような、それ以外のあれやこれやがすべて夢か幻であるような気持ちになってきたころに、お休みの期間は終わってしまい、まぁ観念して阿鼻叫喚の巷へと舞い戻る。 * 帰省から戻り、webをいろいろ見ていたら、武内清先生のweblogで、ここの文章に言及していただいていた。ありがとうございます。 私小説的なブログ − 武内清(教育社会学)研究室 昔私小説というものがあり少し読んだことがある。小説は社会的なことを扱うのが主流の時代に、私小説はあえてどうでもよさそうな身辺の雑事をグダグダと扱い、それがかえって斬新に感じたことがある。現在もこの私小説というものが健在なのかどうか知らない。 教育社会学会や学校社会学研究会でご一緒したことがあり、エスノメソドロジーの優れた研究者である石飛和彦さん(天理大学教授)のブログを読むと、昔の私小説を思い出す。下記に最近のもの(12月12日)から一部転載させていただくが、日常的な些事を独り言のように書きながら、何か味わい深いものがある。わびしい(?)年末に読むのにふさわしい文章のように思う。 … 自分は私小説というのを特にあまり読んだことがないけれど(「子を連れて」とか?)、じつは院生時代になにかの拍子に「自分は私小説的なことがやりたい」と言った覚えはあって(学会か研究会の休み時間かなにかの立ち話で、たしか相手は稲垣先生で、私小説ねえ、ふうん、と、まぁ、きょとんとされたような覚えはある)、エスノメソドロジーというのをそのとき思っていた限りでそういう言い方をしたということである。いま同じように言うかはわからないけれど、私小説、ということばを上げていただいたのはなにかうれしいかんじはする。いっぽう、ここにこうやってときどきぐだぐだと無駄な字を書き連ねているのは、まぁエスノメソドロジーということとはさしあたりかんけいなく、備忘のためとか記録のためとか、まぁしかし概ねは愉しみのために書いていて、私小説といえるかはわからないけれど、小説についての評論とか読んでおもしろそうだと思って、そういう気になってみると文章を書くというのはおもしろいものだ。というのはこれも若いころに、ナボコフの『ヨーロッパ文学講義』『ロシア文学講義』を読んで以来とくに思うのだけれど、まぁ自分の文章がナボコフのように(あるいはプルーストのように、フローベールのように、チェーホフのように、等々…)書けるというわけではなくて、まぁいずれにせよぼそぼそと独り言のように書いてるにせよ、しかし、どうせ自分でしか読まないのだからちょっといろいろ試しながら書いたりするのは存外、楽しいものなのである。 * 年末の某日。授業の合間にふとのど飴を口に放り込み、まぁ早々にカリッと噛んで食べてしまったあとにふと、なんか奥歯が欠けた感じなのに気づく。しばらく前からしみる感じがして、もともと銀で埋めていた歯のところなので、そこが虫歯になって欠けたのであろうと見当をつけた。ずっとむかしに治療して、それがいちど6年前に銀がぽろっとはずれて、近所の歯医者さんで埋めなおしてもらったんだが、そのときに、次は簡単にはいかないぞと言われたような記憶があるようなきがして、暗澹たる気持ちになる。ついでにいうと年末が近づいていて歯医者も予約が埋まってるんじゃないか、年明けまで待たされたらお正月のごちそうが食べられないじゃないかとこれまた暗澹たる気持ちになる。同僚の先生にぼやいたら、歯が欠けたとかは緊急なのですぐ見てくれるんじゃないか等のアドバイスをいただき、少し光明を見出し、翌日、歯医者に電話を入れてから夕方の学内研修をひとつ休んで早々に帰宅、なんとか見てもらうことができた。で、「あー、ここがちょっ、と欠けてるなあ!うーん、」等々ちょっと不安な感じのリアクションをされつつ、しかし無事にうまくレジン?で埋めてもらえた。それでよかったわけなのだけれど、歯医者さんは歯を直したり歯石を掃除しながらずっと、「いやあ、きれいな歯だなあ、堅い、理想的な歯だ、きれいだ、ほら、ほら、」と助手のおねえさんにくりかえし話しかけているのでちょっとふしぎなかんじだった。まぁ大人になってあれだけ熱心にくりかえしほめられることもあまりないので悪い気はしなかったけれど、しかし診察台に寝かされて口をあんぐりあけて二人がかりでいろいろされながらあれだけ熱心にくりかえしほめられるという経験は、まぁあれです、ちょっとふしぎだった。そういうわけで、堅くて良い歯なんだけれど、やはりあるていど年齢もきてるし金属疲労みたいなものでぴちっと欠けることがある、この歯は6年前に埋めたところで、ふつうならそこから虫歯になったりして欠けることもあるのだけれど今回はそういうことではなくて、虫歯にもなってないですよ、という説明だった。なんか、ずっと定期メンテナンスにも行かなくて後ろめたかったのだけれど、「こんなに良い歯だったら逆になかなか医者に来る機会もないナァ!でも半年、1年に一回はやはり来てくださいね」みたいに言われて、なんだか暗い気持ちで行ったのに帰りは妙に自尊感情が高まって帰った。 * 今年もいい年になりますように。 |
2月29日。このところなにをしていたのか。/正しいやりかたで手を洗おう。/おにいちゃんといわれる。 うるう年には1日ぶん得をする。まぁ得なのか損なのかは人生観にもよるだろうけれど、まぁ得としたもんであろう。あるいは損も得もないではないかと冷静なことを言おうとする人もいるかもしれないけれど、まぁ得をしたとしておけばいいのではないでしょうか。そしてその一日を、ぼうっとして過ごす。窓の外はどんよりと肌寒いかんじで、そして不要不急の外出は自粛のムードである。 * みるみるうちに新型ウイルスの社会的影響が広がり、まぁ自分としても罹るのはいやだなあと思うので、ツイッターで流れてくる情報などをいろいろ見比べつつ、まぁそれなりに専門家らしき人の言っていることで自分的にそれなりに理解して納得したようなことをもとに日々を暮らすことになる。それでまぁ、さしあたり手洗いが効果的ということなので、このさいだから正しい手の洗い方を身につけようと思う。今までも薬用せっけんでぱしゃぱしゃ洗ってはいたものの3秒かせいぜい5秒といったところだったので、それを20秒を目安に、手のひら→手の甲→親指の付け根と指の一本一本をぐりぐりやって→指のあいだ→爪のあいだ→さいごに手首をぐるっとやってから→水で洗う、というルーティンを試みている。そうするとなんやかんやで30秒ぐらいになって、とてもきれいになったような気になる。さいしょはめんどくさい感じと長いなあという体感があったのだけれど、だんだん30秒が苦にならなくなってきた。まぁ、もう少しこれを続けると、やらないと気持ち悪いような感覚が身につくだろうし、そうするとしめたものである。あとは、ルーティンを手際よくできるように慣れてくれば20秒でおさまってめでたしとなることであろう。新型ウイルスの騒ぎの陰でインフルエンザは今年、劇的に少ないらしい。それは誰もが手洗いを励行しているせいではないかという説もあり、嘘かほんとかわからないけれど、ほんとならよいことである。禍福は糾える縄の如し。So always look for the silver lining, and try to find the sunny side of life − とチェット・ベイカーも唄っている。 * 某日、散髪屋さんに行き、すいませんこんど写真を撮るので揃えるぐらいにしといてくださいといったらはいはいということで、それで「写真ゆうのは面接ですか?」と言われたんやがまぁねえ、「面接…ということでもないですけど」という曖昧な返事をするよりないわけである。なんだろうか、まぁ平日の昼間から散髪に来た客だったんで求職中であるように見えたのかもしれない。そのあと何度か「おにいちゃん」と呼ばれたがまぁさすがにそれは無理があるだろうと思ったがおにいちゃんと呼ばれた記録を更新したともいえる。大学というところはこのところとくに教員の写真を広報に出すようになってきてて、ながねんにげてきたもののとうとう逃げ切れなくなってきた。世も末である。それで某日、いちおうプロのカメラマンであるという人に、こっち向いてとかあっち向いてとか口角を上げてとか上を向いてとか立ったり座ったりもう一回目線をこっちにとかいろいろ言われながらぱちぱちと撮られて、まぁ出来上がった写真というのはやはりプロの目というのは厳しいわけで、老けたおにいちゃんみたいな実存が映し出されていた。やれやれ。 * 新型ウイルスは空気感染はしません、というのはどうやら定説であり、それならば春風に誘われて戸外を散歩するぶんにはかまわないのではないかという気もする。じつは例年この時期、花粉のほうがたいへんで、今年だって少し前からときどき目がうるうるしたり鼻がぐしぐししたりしているのだけれど − そしてまた今年はマスクが市場から消えているという状況ではあるのだけれど − でもねえ、春なんですからねえ。必要なことをしながら、人為的で無意味な自粛ムードにまけてしまわないこと。あと花粉には鼻にワセリンを塗っておくといいそうなので試してみようかと思っているところ。 |
4月5日。やれやれ、始まりの漸進的な繰り延べにおける新年度とはどのようなものか(あるいは曖昧に先取りされた年度末との間隙において)。 さて、今日は4月5日、そしていったい何時なのかさっぱりわからないようだとひとまず書いておくことにしましょう。文脈がわからないで読むと何を言ってるのかということだけれど、じつは、やれやれ、たぶんいま、誰もがこの文脈を共有して意味がわかってしまうという。窓の外はいいお天気で、桜が咲いている。今日は部屋の押し入れを、引っ越ししてきていらい十数年ぶりに整理して、ごたごたしたものを段ボールに詰めて整理したので下宿がたぶん合計1畳分ぐらい広くなった。どんなことにも良い面というのはあるものである。 * ふりかえれば卒業式の開催があやしげになったあたりから不穏だったのだけれど、やがて簡略化されて実施の見通しだった卒業式がけっきょくなくなり、あれよというまに入学式もなくなり、というか春学期の始まりが後ろ倒しになると予告され、刻々と変化する状況に食らいつくようにしてもろもろの調整とリスケでばたばたして、そしてしかしきわどいタイミングでオリエンテーションのそのものの実施を延期にすることができ、そしてあらゆる年度始まりがまるごと後ろ倒しになり、状況を見つつの現在、ということになった。 同僚の先生方と、いったいぜんたい、卒業式を目指して1年間を、あるいは4年間を走るのに、それがないとやはり教員側も堪えますね、そうですね、といったことを言い合っていた。まぁ、卒業式があったはずの日、学校に行く道で1人(晴れ着)、帰り道で6人、専攻の卒業生にばったり会って、おめでとうを言えたのでよかったとしよう。おめでとう、こんなことで残念だったが、同窓会しよう! 等々。 * そして、専攻にはことしも20人の新入生が入ってきて、しかしそういうわけで入学式もオリエンテーションも急遽、後ろ倒しになったので、専攻教員で全員に(うちの大学はそれをやることにした、まずはいい大学だ)電話でその旨連絡、しつつ新入生やご家族の前向きな明るい声が聞けたのはよかった。 * そして、まぁ、あったことのあらすじをごくかいつまんで書いたらこんなかんじで、週末にはいり、いまにいたるわけである。 やれやれ。 * こういうときにいうのもなんだが4月から学部長になった。任期は2年。入学式がなかった4月1日に辞令交付をうけ、まぁ入学式がなくなったので、礼服(買った)を着て壇上に上がり自分の顔写真をスクリーンに映写されてプロフィール紹介をされるという目だけはきわどく回避され、まぁその日はごしゃごしゃと学部長仕事をして帰った。なにせわからないので前任の先生や現学部長の先生方、他の先生方、あちこちの事務部局のみなさん(は全員出勤で事態の対応に飛び回っておられる)にいちいち伺い、人影まばらな研究棟のロの字型の廊下をぐるぐる走り回っていたらずいぶんダイエットになった。どんなことにも良い面というのはあるものである。 * そしてもうひとつ、さる学外のアカデミックなお仕事、ようするに『ソシオロジ』の編集委員の4年の任期が終わって、編集委員会をぶじ卒業した。なにせほとんどゆいいつ自分が社会学者のようで居られる機会だったので、大変だったけれど楽しかったし、そのへんは残念ではあるけれど、まぁちょうど偶然にも、学部長が当たったのとタイミングが合ったので、どうせ学部長などやったら社会学などやってられないかもしれないと思ったら、まぁものは考えようで、よかったのかもしれない。まったくもってどんなことにも良い面というのはあるものである。 やれやれ。 |
5月6日。Time out of joint 時流に遅れるとか世間から取り残されるとか、自分がそうなることに関してはおおいにありうるはなしだとはつねづね思っていたけれど、世の中そのものが何かから − 何から? − 取り残されたような状況は、ちょっと想像したことがなかった。まったくいろいろなことがおこるもので、油断がならないものである。近代社会は、と言ってみたり、資本主義社会はと言ってみたり、まぁ適当なことをいつも吹いているわけだけれど、マグロみたいなもんで止まると死ぬんですよ、直線的な時間軸が成立して常に進歩発展拡大再生産していくことが存在の条件になって云々、みたいに、授業では、見てきたようなことを喋っていたんだけれど、先生、どうなんですかねえ、止まってませんか、これどうなるんですか? − とまぁ訊ねられたら、まぁそこは教師生活四半世紀、少しも騒がず、a)止まってなどいない、表面だけ見てあれこれいうのは愚かである、b)しかも近代は終わるので少しも間違ったことは言っていない、揚げ足を取った気になっているのは愚かである、c)しかも止まっていると思うんだったらそれなりの覚悟をすべきであってくだらない質問をしている暇があると思っているのは愚かである、等々、いずれも軽薄な返事を次々と思いつくのでひとまずは安泰なのだが、なにか鍋の論理というか、夢の中であれこれ喋っているようなふしぎな感じはするわけである。今年のゴールデンウイークは例年になく休みがつながって、しかしStayHomeということで帰省もせずに下宿にこもってぼんやりとしている。油断がならない。 * 連休が明けると春学期の授業がスタートする。3月から、緊急会議が何度かあって、ぎりぎりのタイミングで年度初めを1ヵ月遅らせてきわどくキャンパスをロックアウト、何度か会議を重ねながら、国の方針と他大学の動き、もちろん感染拡大の状況をにらみながら、対策を打ち出し打ち出し、オリエンテーションと授業登録、教科書販売もなんとかクリアして、なんとか4月を走り抜けたかんじはある。もっとも自分はこの間あまり何の役にもたってないってのはあるけれど、まぁそれはそれ。遠隔による授業がうまくいくのか。本番はこれからなんである。 * しかし、授業も遠隔になり、会議も遠隔でも可能なものから遠隔に切り替わり、まぁしごとの性質上はんこを押すという重大任務があるので(あとまぁ遠隔にできない会議というのもあるわけだし)緊急事態宣言下でも出勤するときはするのだけれど、まぁ、在宅仕事も多くて、なんかメリハリがない感じではある。なんだこれは。そして、遠隔のオリエンテーションと会議とでZoomというのもやったが、下宿に仕事が侵入してくる感じで精神的にきついものがある。幸か不幸か、スライド本棚を並べて書庫みたいにしている(うちにいつのまにか物置みたいになった)部屋があって、そこを片付けて、折り畳みのテーブルを持ってきて、先日買ったネットブックPCを置き、あまり使ってなかった椅子をセットして、即席の遠隔仕事スペースにした。PCの置き方を慎重に工夫して、本棚を背にして映るようにしたけれど、上下左右に少しでも角度がずれるとごたごたしたものが映り込んでしまうという緊張感。まぁ心の平安のためにはできるだけこんなことは終わってほしいものである。 * 時間の関節が外れたような。あったことを順番に思い出すことができないような。 * 5月5日はこどもの日、ということで、なぜか毎年おもいだすのは、自分がずっと小さかった時のたぶんある年の、NHKのテレビ番組で、むかしはこどもの日には子ども向けのそれらしい番組をやっていたもので、たしか上條恒彦とかが歌ってたんじゃないかと思うんだけれど「風よふけふけ 風よふけふけ 僕もはだしでとびだそう 五月の空には 風がとっても似合うから…」という歌があった。 …と思ってふといま検索をかけたら、あっさりYouTubeで出てきたね。これは「みんなのうた」ということになっていて、聞き覚え的にはこのバージョンだろうと思うのだけれど、これは上條恒彦ではないですねえ − 「かぜよふけふけ」。 * あと、ゴールデンウイークには毎年、古本まつりに出かけるのだけれど、今年はそれもなし。 * 「美しき五月」 − と獅子文六は称賛するわけで、それはつまりフランスでアスパラガスを食べる − 美しき五月のアスパラガス、と書いている − 市場に行って中年の野菜売りのおばさんにアスペルジュの食べ方を教えてもらうはなしを繰り返し読んだものなわけなのだが、獅子文六の『食味歳時記』(文春文庫の表紙には鯛の写真と、たっぷりとした白ワインの壜、まるまると太ったアスパラガスの束、エスカルゴの写真が配されている)をはじめとした、吉田健一や内田百閧竅Aそれから大河内昭爾編の福武文庫をバイブルとしながら食味随筆を、古本屋を回っては買い集めては下宿で飽きずに繰り返し読んでいたわけで、同級生からは安倍公房の小説にそんなのがなかった?と変な顔をされながら、お金のない学生時代や大学院生時代やオーバードクター時代にそんなことをしていたわけである。なので美しき五月、はアスパラガスと古本屋めぐりの記憶とともにあるわけであり − * 例年のことだがこの時期、咳が出る。どうも花粉症の流れであろうという気配はあるが、今年は花粉症はほぼ免れたようで、一度か二度、鼻炎薬を飲んだぐらいで、あとはなにごともなく過ぎた。のだけれど咳は出始めて、まぁ時期的には例年通りつまり例年花粉症の流れでこの時期に咳が出る、というのの花粉症の部分が省略されて咳だけ始まったかんじ。まぁ、今年はそれこそ授業もないし会議も間引かれてるしで声を出す機会が少ないので例年ほどきつくはないけれど、しかし、咳が消えるかというと、消えそうで消えない。花粉症の症状がでないのでいい気になって下宿の窓を全開にしているせいかもしれない(スギ花粉よりヒノキ花粉のほうがピークが遅れるというし、それ以外のマイナーな花粉に反応してるのかもしれない)。まぁいずれにせよ、この時期あまり咳をコンコンしていると世間体がわるい。いちおう3月からずっと毎日何度も体温を測ってて、ほぼぴたりと平熱なので、そのへんは心配ないとしてるのだけれどしかし自分でも気持ち悪くなくもない。まぁ症状が軽いうちにさっさと治らないかなあと思う次第である。 * 朝、なんとなく目覚めぎわに空気清浄機がすごい勢いで作動している。花粉症がきつかった年に導入した舶来の大型のものである。まぁカーテン越しの朝の光のなかで、ごうごうと音はしているものの空気はとても清澄なかんじがしてよろしい。それにしてもなぜに朝からこんな勢いで作動しているのか、しばらくはわからないままうとうととしていたのだけれど、しばらくしてふと気づくわけである。休日の朝、パン焼き機でパンの焼けるいい香りが寝室にまで漂ってきてそれでもって目覚めようという魂胆だった。なんかセンサーが作動してぜんぶ吸引されてしまったようなのである。油断ならない。 * 帰省は出来なかったが実家から内祝いのワインが送られてきたのを開けて、まぁなるべくきげんよく飲んでお祝いのおすそ分けにあずかり、積読になっていた長い小説やら懐かしいマンガやらを読んだり、まぁぼんやりとしながら、今年のゴールデンウイークが終わるわけである。 |
6月23日。このところなにをしていたのか。 気が付けば6月も半ばをすぎた。このところなにをしていたのか。オンライン授業というのをやっている。とにかく春学期いっぱいはオンラインでいくということで、それがちょうど折り返し地点にさしかかっている。で、うまくいっているのかどうかはきっとあとになってからしかわからないだろうが、さしあたり成立している。こちらが毎回資料を提示して、学生さんたちがそれをもとに毎回課題を提出するというしくみなので、学生さんたちもたいへんであろう。まぁ、こっちもなんだかんだで資料準備に追われているので、ぜひ、行ってこいで引き分けだと理解していただきたいものである。まぁ要するに、この状況下にあってそれなりの内容の(あるいは、「設置基準をクリアできる」)授業というものを成立させるためには、授業をする側でも受ける側でも労力が必要になるよね、という身もふたもないはなしではある。あたりまえのはなし、大学の教育というのは、通常、大学のキャンパスだの教室だのというセッティングのうえに成り立ってるわけで、というかお話は逆で、そのためにキャンパスだの教室だのというセッティングがアレンジされているのだから当然なのだけれど、それ全部なくしたうえで教育しろ学習しろとなると、まぁ労力は必要になるよねと。だから、教員もがんばってるし学生さんたちもがんばってて、春学期前半がなんとか成立したことはすごいことなんである。ここに前に書いたのは授業開始直前のタイミングで、そのときは正直どうなるかわかんなかったので、折り返し地点のいまの状況は、おどろくべき上出来だという気がする。なんか、これで春学期をぶじ完走して、いろいろ状況がおさまったら、みんなでおつかれさま!!とやりたいところではあるね。 * このまえここに書いてたのが連休明けのタイミング、緊急事態宣言が延長になるのならないの、というところで、そこから全国の緊急事態が解除になり、感染状況が厳しかった地域が続き、それから東京も(なぜか感染者数が再上昇する上がりばなを狙ったように)緊急事態解除、しばらくして「東京アラート」というよくわからないが東京ブランドの何からしいものが発令されてビルをライトアップしたらしいと聞いたかと思ったら(またしてもなぜか感染者数が再上昇する上がりばなを狙ったように見えるわけで、よほど間がわるいように見えるのだけれど)(しかしライトアップの写真はいかにもきれいでSNSにあげたくなりそうだったからやはりあれは東京ディズニーランドみたいなもんだったのだろうがそれはともかくとして)それが解除になって、まぁビルを赤くしようが緑色にしようがウイルスに対しては何のまじないにもならなかっただろうからどうでもいいのだけれど、これからはウイズコロナなのだそうだ。なんか過激ダイエットをやっていったん痩せてから、もう痩せ方はわかったからといって安心してリバウンドする人、を見ているような気がしなくはない。 まぁしかし、大学というところは、ひとつまちがうと、あるいはほんの少しの隙をみせただけでクラスターになりかねない施設なので、あくまで慎重に、緊張感を切らさずにやってかないといけないってところはある。 * 週に3日ぐらい出勤、会議があったりはんこを押したり。あと自宅では授業資料の準備。だいたいそれでルーティンができてきて、それなりに義務に追われるように日々が流れていく。週末はぼんやりしている。外出してどこかの店に敢えて入ろうという気持ちが起こらないので引きこもりがちであるが、もともとこうだったような気もする。むりやりにでも外出して気散じをすべしという意志が消滅してしまえば、まぁこんなものである。 * ひさしぶりにここに書くのだから、まぁなにか楽しそうなことでも書けないかなあと思って手が止まる。宿題。楽しいことを意識的にみつけること。 |